党史4、「1991.5五月テーゼ」以降「2004新指導路線」まで |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.5.2日
これより以前は、「党史3、1975.3.14本多虐殺から「五月テーゼ」まで」で確認する。
(れんだいこのショートメッセージ) |
中核派と云うのはなかなか味のある党派であるように思われるので、ここで履歴検証しておく。「ウィキペディア中核派」その他を参照する。 2007.10.20日 れんだいこ拝 |
【1991(平成3)年】 |
【「五月テーゼ」(2003年以降は「新指導路線」と呼称)を決定】 |
1991.5月、 「五月テーゼ」(2003年以降は「新指導路線」と呼称)を決定。70-80年代の闘いを総括し、革命的大衆行動の組織化と労働者細胞建設を基軸とした党活動へと転換させた。二重対峙・対カクマル戦に規定された特殊的闘い方から転換し、「将来の武装闘争に備えてテロ・ゲリラ戦術を堅持しつつも、当面は武装闘争を控え、大衆闘争を基軸に党建設を重視する」との方針を決めた(2003年以降、「新指導路線」と呼んでいる) |
9月、「外務省審議官実父宅放火殺人事件」。 他、同時ゲリラ事件。 |
【革マル派関連】 |
10月、革マル派の最高指導者・黒田寛一が、労対4人組(森、土門、朝倉、西条?)を批判、元全逓労働者土井(DI)を抜擢する。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連】 |
1991年、革労協反帝学評(青解派)の関西の全逓組合員らが西原学を中心に西原グループとして分裂した。 |
労働運動の分野では自治体、郵政、教育、JRを「四大産別」として、労組への影響力拡大を図ることになった。毎年11月頃に「全国労働者総決起集会」を東京で開催しており、その動員数は年々増加傾向にある。2005年の「11.6全国労働者総決起集会」では過去最高の2700名を動員した(平成17年の警備情勢を顧みてより)。 |
1991年、ソ連邦が崩壊し、ブルジョア評論家やマスコミは、「マルクス主義は終わった」と一斉に宣伝した。レーニンの石造が倒され、資本主義が勝利したかのような映像が世界を駆け巡った。 |
【1992(平成4)年】 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
3月、革マル派が、沖縄教労高橋利雄拉致、後殺害。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
*月、革マル派の沖縄党トップ山里章,全駐労党トップ仲原忠義が脱退。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
7月、革マル派を脱退した沖縄党トップ山里章が拉致される。 |
【1993(平成5)年】 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
7月、拡大全国委員会で黒田議長が、賃プロ主義者DIを「粛清」。 |
【革労協反帝学評(青解派)が革マル派テロ】 |
8.27日、JR貨物革マル中村辰夫を完全打倒。そのつれあいであり民間産別指導部・「虚点」エーザイ革マル中村シズエを重せん滅。「この決定的打撃は、沖縄革マル創始者山里以下の沖縄産別革マルの全面逃亡に端的な革マル組織分裂と崩壊を強制していったのである」。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
1993年、高島が査問中投身自殺?。 |
【1994(平成6)年】 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害、山里章の脱落・逃亡により、沖縄県で大きな勢力を誇った革マル派組織は壊滅的状況に陥る。 |
【革労協反帝学評(青解派)が革マル派テロ】 |
3.4日午前1時ごろ、埼玉県浦和市元町所在の当時東京高等裁判所判事の近藤和義(61歳)宅に対して金属弾が発射された。同判事宅の外壁に着弾し、さらに発射弾の胴体部分が隣家の物置に落下している。3.6日、革労協の狭間派が都内の報道機関に対し犯行声明を郵送し、革労協狭間派の犯行と判明する。 |
【マルクス主義基本文献学習シリーズの刊行開始】 |
1994.6月、マルクス主義基本文献学習シリーズの刊行開始。 |
【1995(平成7)年】 |
【革マル派関連】 |
革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害される。山里章が拉致されたことにより沖縄県の革マル派組織は壊滅的状況に陥る。 |
【革マル派関連】 |
10月-12月、JR労組幹部(鉄道友愛会議長)宅に電話盗聴。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
12月、革マル派を脱退し拉致されていた沖縄党トップ山里章が脱出生還する。 |
【中核派関連/第19回全国委員会総会(19全総)】 |
1995年、第19回全国委員会総会(19全総)を買い指し、「先制的内戦戦略フェーズⅠ・フェーズⅡおよび5月テーゼ」のもとでの闘いを総括する。ソ連スターリン主義崩壊後の現代世界認識と情勢分析、沖縄奪還綱領の再構築と第三次安保・沖縄闘争論、憲法闘争論、7・7路線の革命的貫徹などについて討議・決定した。 |
【1996(平成8)年】 |
【革マル派関連】 |
2月、JR内部で活動する革マル派の実態を告発した「JRの妖怪」の著者である小林峻一の自宅から取材メモやフロッピーディスクなどを盗み出し、その情報をもとに、取材に応じた関係者に対して脅迫や嫌がらせを行う。これに対し、警察は革マル派非公然アジト「大和アジト」を家宅捜索。 |
【革労協反帝学評(青解派)が革マル派テロ】 |
5.14日午後9時頃、革労協(挟間派)の十数人が、横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス付近の路上で、革マル派の国学院大生ら7名を鉄パイプで殴り、「SOB」として派遣されていた早大革マル五十嵐修(元早稲田大学社会科学部自治会委員長)を殺害、6人に重傷を負わせた。 |
【革マル派関連】 |
8月、国鉄労働組合(国労)本部書記長(当時の企画部長)宅に不法侵入する事件を起こす。 |
【革マル派関連】 |
8月~10月、早稲田大学学生部長宅盗聴事件。 |
【革マル派関連】 |
9月、神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す。 |
【革マル派関連】 |
10月、議長・黒田が辞任し、後任議長に植田琢磨が就任。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連】 |
1996年、革労協反帝学評(青解派)の神奈川のグループが集団脱走し、狭間派の内部崩壊がエスカレートしている。 |
【1997(平成9)年】 |
【中核派関連/陶山健一逝去】 |
1.14日、中核派最高幹部の一人である陶山 健一(すやま けんいち)氏が、内臓疾患で病死した(享年)。革マル派の幹部森茂(鈴木啓一)は陶山の実兄である。東京大学農学部入学後の1955年、日本共産党に入党。1958年に党を除名された後は社会主義学生同盟委員長として名を馳せた。卒業後は、農林水産省の食糧庁に入庁するものの、60年安保闘争に飛び込み、過激な左翼運動を理由に懲戒免職されている。以後、中核派の専従活動家となる。1974年、革マル派との内ゲバ事件で重傷を負って入院後、病院を脱走して消息不明となる。1987年、養父の法要が行われていた自宅に姿を現し逮捕された。その後は岸本健一の筆名で執筆活動を行っていた。陶山の葬儀に森茂(鈴木啓一)の姿はなかった。 |
【革マル派関連】 |
6月以降、神戸連続児童殺傷事件は冤罪だとする闘争に乗り出す(米国のCIAによる「謀略的権力犯罪」であると主張)。 |
【革マル派関連】 |
8月-10月、早稲田大学学生部長宅盗聴事件。これに対し、警察は革マル派活動家10人を指名手配。 |
【革マル派関連】 |
9月、神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す。また、盗聴器を仕掛けるため被疑少年の両親宅にも忍び込む。 |
【中核派の新指導体制として議長/清水、副議長/中野(安田)、書記長/天田が確立】 |
年末、第20回拡大全国委員会総会(20全総)。中核派の新指導体制として議長/清水丈夫、副議長/中野洋(安田)、書記長/天田三紀夫を選出した。北小路敏が副議長に就任(清水丈夫議長―天田三紀夫書記長の最高指導体制)。しかし、清水丈夫による党内の独裁体制、中野洋による労働運動重視(のちの「関西派」は動労千葉至上主義と批判)の指導方針について党内で次第に対立が生じて行った。 |
【1998(平成10)年】 |
【革マル派関連】 |
1月、革マル派非公然アジト「豊玉アジト」が摘発され、偽造した警察手帳や公安調査官証票などが押収される。 |
1998.2.25日、革命軍が東京都世田谷区桜丘の運輸省(現・国土交通省)元航空局長の新築中の住宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。「「成田空港二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を絶対に粉砕することを明らかにする戦闘宣言」と発表。 |
【革マル派関連】 |
4.9日、革マル派非公然アジト「浦安アジト」が摘発され、警察無線解読機器などが押収される。これにより、革マル派が警察無線の傍受を行っていた事が発覚する。 |
【革労協反帝学評(青解派)が「明大ゴスペル愛好会」闘争】 |
5月、革労協の拠点であった明治大学で「明大ゴスペル愛好会」との闘争が激化した。「明大ゴスペル愛好会」は韓国からの留学生が主体で、キリスト教原理主義の立場に立ち、政治的には反共とシオニズム支持(クリスチャン・シオニズム)であった。革労協は同愛好会を襲撃をするも返り討ちに合い、警察へ突き出されるなどの失態まで出すことになった。そこで明大ゴスペル愛好会への対応をめぐり、闘争をやめて事態の鎮静化を図ろうとする穏健派の山田茂樹ら反主流派(後の赤砦社派)と、徹底抗戦を主張する強硬派の狭間、千木良ら主流派(後の現代社派)が対立。以前から革労協内部でくすぶっていた現代社常任幹部(狭間派)と全学連・寄せ場労働者などのメンバー(赤砦派)の対立が表面化する。 山田茂樹が個人の判断で勝手にゴスペル代表者と手打ちをしたことで、狭間嘉明の怒りを買い杉並区高井戸の「現代社」での反主流派への査問が始まった。 その際山田ら反主流派は革労協内部での劣勢を立て直すため、ひそかに革労協のシンボルである現代社の乗っ取り計画を立てクーデターを画策した。社防隊が手薄となるゴールデンウィークに狙い定め実行するも失敗。反主流派は逆に外部へと放逐される形で追い出され、現在の台東区下谷の賃貸マンションに新拠点の「赤砦社」を置き、山田茂樹をリーダーとして、革労協の分裂が決定的となった。主流派は現代社派・狭間派、反主流派は赤砦社派・山茂派・木元派などとも呼ばれる。 |
【革労協反帝学評(青解派)が「韓国人牧師襲撃事件」】 | |
1998.10.18日、東京都新宿区戸山二丁目、プロテスタント教会牧師の金圭東・氏(49歳)が襲撃され重傷を負う。革労協狭間派の仕業とみられる。 同派機関紙「解放(1998.11.1日付け680号)は、革命軍よりの軍報として「国際反共ファシストの頭目=金圭東に革命的鉄槌―徹底せん滅 ファシスト解体・絶滅戦の歴史的突破口切り開く」なる見出しで次のように声明している。
|
【革マル派関連】 |
11月、革マル派非公然アジト「厚木アジト」(神奈川県厚木市)が摘発され、非公然活動家一人が凶器準備集合罪で検挙された。アジトは一戸建てで、「アベ製作所」の看板を出し、板金や塗装を行う製作所を装っていた。アジトには、旋盤機、万力等の大型工作機械が設置されていたほか約150本にものぼる鉄パイプ(伸縮式のものも含む)、約60本の鉄棒入り竹刀、防護用小手、サバイバルナイフ、鉈(なた)、まきびし等の凶器等の凶器が押収された。 |
【1999(平成11)年】 |
【革マル派関連】 |
1月、革マル派非公然アジト「荒川アジト」が摘発され、指名手配中の1人を含む非公然活動家4人が逮捕される。また、偽造ナンバープレート・鉄パイプ・まきびし・携帯電話電波妨害用機材などが押収される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/滝口弘人病死】 |
3月、1969年の革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の結成時の総務委員にして、1981年の革命的労働者協会分裂に伴い、1985年、「革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会」結成に参画、リーダーとなっていた滝口弘人(本名、佐々木慶明(よしあき))が逝去する。 |
3月、北小路敏が三里塚反対同盟・市東東市さんの逝去を悼み、現地集会で追悼演説を行う。
【革労協反帝学評(青解派)関連/第三次分裂】 | |||||||||||||||
5.6日、革労協反帝学評(青解派)は1980年に主流派の狭間派、反主流派の労対派に組織分裂(第一次分裂)、1988(昭和63).1月、主流派の狭間派、反主流派の永井派に組織分裂(第二次分裂)しているが、主流派の狭間派内で戦術方針をめぐって狭間派が主流派(狭間嘉明を中心とする中執系千木良派)と反主流派(山田茂樹を中心とする明大系山茂派)に分裂する。 挟間派は1989.6.25日の元革労協(挟間派)最高幹部内ゲバ殺人事件以降も、神奈川グループや関西グループの脱退などで分裂を繰り返していた。また最高幹部・挟間嘉明の健康悪化による指導力低下で、山田を中心とする学生グループと古参幹部を中心とする労働者グループで主導権争いが起こった。 5.7日、東京地裁において双方が怒鳴りあうなど表面化していた。以後、主流派を「現代社派」(千木良派)、反主流派を「赤砦社派」(明大系山茂派)と表記する。これにより革労協反帝学評(青解派)は次の三派に分かれることになった。
1999年は3名の活動家が殺害された。両派は,その後,双方が切り崩しや引き戻しをねらった主導権争いを展開する中で、11年中、5件の内ゲバ事件を引き起こし,活動家3人が死亡、1人が重傷を負った。12年に入っても,両派は機関紙等で攻撃主張を強め、12.2月には3件の内ゲバ事件を相次いで引き起こし、活動家2人が死亡、2人が負傷した。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の最高幹部・山田茂樹重傷】 | |
6.4日、現代社派(狭間派)が、東京・北区豊島の日本キリスト教団「王子北教会」礼拝堂で牧師と談話中の赤砦社派の最高幹部・山田茂樹を鉄パイプのようなもので襲撃。山田は、右腕と両足を骨折、全身打撲という大けがを負った。山田はその後、後遺症により単独での歩行に困難をきたしている。 「現代社派」は次のように声明している。
赤砦社派はさらなる襲撃に備えるために明大学内サークル室に搬伸縮式鉄パイプや特殊警棒、金属バット類を搬入した。が、それを理由に警察が家宅捜索に入り、6.8日、中心メンバー17名が凶器準備集合罪で逮捕され、赤砦社派は危機的状況に陥る。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバ】 |
6.12日、現代社派が赤砦社派の手薄に乗じ、明大駿河台の学生部隊(赤砦社派)に向け私服部隊で武装潜入をかけ、明大学生会館内の赤砦社派に握られていた革労協拠点の奪還を図るが未遂に終わる。 6.13日、赤砦社派は、一連の現代社派の攻勢に対して「無制限・無制約の革命的テロ」を宣言し、現代社派との「全面戦争」に向った。山田は幹部/土肥、小沢(従来彼らは革労協の軍事部門の担当だったキャリア?)らと、巻き返しのための革命軍を早速強化し、さっそく全国で「無制限・無制約の革命的テロ」を実行にうつすこととなった。最大の学生拠点である明治大学が両派攻防の主戦場となった。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派の長田佳比古殺害】 |
7.2日、「明大生協理事殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、出勤途中だった現代社派の明大生協理事・長田佳比古(50、荻野)が松戸市で出勤中のバイクを倒し、側頭部のみにハンマーで連打を浴びせ虐殺する。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバ】 |
7.7日、東京都中央区茅場町の地下鉄日比谷線茅場町駅のホームで男女がもめ、男の1人が止めにはいった駅助役(58)の顔を殴った。駅員らが男を取り押さえ、警視庁中央署が逮捕した。逮捕されたのは、過激派「革労協狭間派」非公然活動家、秋山祐一郎容疑者(45)。警視庁は内ゲバ事件とみて捜査している。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/赤砦社派の相川一郎(中山)殺害】 |
7.21日、「明大生協職員殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。現代社派が、7.2の報復として赤砦社派の神奈川大出身の相川一郎(中山)明治大学生協職員を襲い、相川氏は翌日死亡。狭間派はこの人物を「木元派をつくれと山田をそそのかした正体不明の撹乱分子」と呼んだ。 7.22日、現代社派は、明大生田キャンパスに再度、全国動員公然ゲバ部隊を差し向け、構内の山田派を「投擲用の鉄片、青竹」で白昼襲撃せんとする。赤砦派は直対応せず、学生部の出した「退去命令」にしたがい構外に出たところ、入れ違いに突入してきた機動隊によって現代社派37名全員が凶器準備集合罪と建造物侵入で検挙・起訴された。現代社派はこの大量逮捕がたたり、拠点の明治をはじめ山谷や福岡、九州大など「同派のシンボル」から一掃され、山田派一色に塗り替えられることになった。 |
【革マル派関連】 |
10.23日、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で、革マル派非公然アジト「札幌豊平アジト」が摘発され、携帯電話・カセットテープ・文書類などが押収される。また、アジトにいた革マル派非公然活動家の荒井政則が、免状不実記載の疑いで逮捕される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派幹部の安部利昭殺害】 |
11.14日、「福岡県委員会議長殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、福岡市城南区で現代社派幹部・佐賀大出身で全学連書記長を務めた安部利昭(当時50)を襲撃し虐殺する。これを契機に九州大や福岡の寄せ場に登場、革労協の拠点は三里塚現闘以外、赤砦社派一色に塗り替えらることになった。 |
11.8日、新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社)次長の自宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。 |
11月、闘う労働運動の新しい潮流の形成へ3労組呼びかけの11月労働者集会始まる。 |
1999年、春の新安保ガイドライン決戦、夏の組織的犯罪対策法と「日の丸・君が代」法制化阻止闘争を闘いぬき、闘う労働運動の新しい潮流の形成をかかげて11月労働者集会の成功をかちとる。 |
【2000(平成12)年】 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の片岡知和殺害】 |
2.8日、現代社派が、福岡県内の赤砦社を襲撃し、駐車場で現地に派遣されて常駐していた片岡知和(25、福井大生)を虐殺。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派の柿沼忠殺害】 |
2.8-9日、「真鶴駅学生活動家殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。赤砦社派が、神奈川県のJR真鶴駅上りホームで、現代社派襲撃部隊のキャップ柿沼忠(48歳)を襲撃し虐殺、サブの女性後藤あざみが3人組の男に襲われ、停車していた伊東発東京行きの普通電車に逃げ込む。2人は小田原駅で降ろされ病院に運ばれたが、男が右胸を刺され死亡、女の方も背中や腹を刺されて重傷を負った。5、60歳代と見られる逃げた3人組は真鶴駅の改札口を抜け、海の方向へ逃げて行った。3人とも大きなマスクをしていた。 |
2000.6.5日、公式ホームページを開設。
8.26日 運輸省(現・国土交通省)幹部の車両に時限式発火装置を仕掛け、放火。革命軍が「農民の営農破壊、生活破壊のためだけに暫定滑走路工事を強行してきた張本人」「強烈無比の爆破戦闘は、乗用車を大破し、家屋をも徹底的に破壊した」と軍報。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の片山美恵子殺害】 |
8.30日、「鶯谷駅明大生協組合幹部殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。現代社派が、JR鶯谷駅で赤砦社派の明治大学生協組合書記長・片山美恵子(48)を小型出刃包丁等で襲撃し刺殺虐殺。襲撃したメンバーはワゴン車で逃走した。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派の仲野茂樹殺害】 |
12.10日、「革労協総務委員殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、東京・清瀬市の路上で、現代社派の革労協総務委員・タクシー運転手の仲野茂樹(52)を襲撃虐殺。革労協狭間派の主流派と反主流派抗争で既に6人が死亡しており7人目の犠牲となった。 |
2000年頃、小西誠(いわゆる「反戦自衛官」)が、「清水による独裁体制」を批判して脱党。現在、「中核派vs反戦自衛官」、「検証 内ゲバ」などの著書で中核派を批判し続けている。
【2001(平成13)年】 |
【革労協反帝学評(青解派)関連】 |
2.16日、朝の出勤時間、相模原にある赤砦社派活動家宅を公安私服部隊が徹夜で監視していた目の前で、現代社派の襲撃部隊を載せたバンが現れ、乗っていた4名全員が凶器車輛もろとも一網打尽に遭う。この未然逮捕は警察が前年の『片山殺害への報復』として起きた現代社派古参現役労組構成員への殺害(12月10日)を受けて現代社派が必ず等価報復に出ると予測し、山田派労組幹部部分への隠密裏監視を行なっていたため成功した。この逮捕により赤砦社派優勢が決定的となる。 |
【第6回大会開催、「黒田哲学」徹底批判】 |
2001年前半頃、第6回大会を開催した。 大会では黒田寛一の主張する哲学(いわゆる「黒田哲学」)の徹底批判を行い、対カクマル戦の勝利を宣言し、新指導路線模索に向かった。また、中核派批判を行なっていた白井朗元政治局員への「粉砕」宣言がなされた(白井朗は翌年の2002.12月、何者かによって襲撃される)。革共同再建協は、白井朗への組織的なテロを謝罪する声明を発表した。 |
【革マル派関連】 |
4.7日、神奈川県横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス構内で午後0時頃、同大学の学生自治会を事実上支配している革マル派の活動家ら数人が、サークルの勧誘をしていた同大学の男子学生を取り囲んで集団で暴行を加え、約10日間の軽傷を負わせた上、「なぶり殺しにしてやる」、「家に火をつけてやる」などと脅迫。これに対し、神奈川県警察は被疑者を指名手配して捜索を行う。 2001.12.23日~2002.3.21日、國學院大學たまプラーザキャンパス構内で発生した集団暴行事件の被疑者として、革マル派活動家の早水潤二・北條純・福本満および岡田貴行が、傷害と脅迫の疑いで相次いで神奈川県警察に逮捕される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代派社幹部・矢野義孝殺害】 |
5.16日、赤砦社派の4名が、千葉県八街市の飲食店駐車場で、現代派社の幹部・矢野義孝(49)を乗用車内から引きずり出し、ハンマーで頭などを殴打襲撃虐殺(革労協総務委員殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派))。8人目の死者となった。 |
【革マル派関連】 |
6月、革マル派非公然アジト「玉川アジト」が摘発され、非公然活動家2人が逮捕される。翌月、同アジトの名義人だった小学校教諭が犯人蔵匿罪で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
11月、革マル派非公然アジト「名古屋西アジト」が摘発され、活動家1人が有印私文書偽造・同行使罪等で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
12.26日、警視庁と北海道警が、革マル派非公然アジトの札幌市中央区のマンションなど北海道内11ヶ所を捜索。神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで指名手配されていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら3人の逃亡犯が、アジトに潜伏していたところを発見され、逮捕される。また、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で指名手配されていた広田雅明も逮捕され、さらに現場にいた革マル派活動家・住井秀行が犯人蔵匿の現行犯で逮捕される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/狭間嘉明最高幹部病死】 |
12.8日、狭間嘉明最高幹部が病死(享年55歳)。 |
【2002(平成14)年】 |
2002.3月、北小路敏が革共同政治集会で、党を代表して長期獄中同志奪還への決意を述べる。
4.22日、千葉県職員宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。 |
5.27日、鉄建公団訴訟をおこした国労闘争団員に対し、国労本部は除名を含めた統制処分をかけようとして国労臨時大会を開催した。 10.7日、中核派幹部や活動家、国労組合員が、会場前でビラまき中に国労幹部に殴る、蹴る、首を絞めるなどの暴行をしたとして、警視庁公安部は、国労闘争団員2名を含む国労組合員5名と中核派3名を逮捕した。検察は勾留満期の10.28日、8名のうち6名すなわち国労組合員5名全員と中核派1名を起訴。中核派2名は釈放された。その翌日の10.29日、警視庁公安部は国労組合員2名をさらに逮捕した。11.18日、2名とも起訴された。中核派はこの事件を「国労5.27臨大闘争弾圧」として徹底抗戦。一審で暴処法の適用と共謀の存在はいずれも退けられ、中核派1名は無罪確定。国労組合員は最高裁で罰金刑確定。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の片山美恵子殺害】 |
8.30日、現代社派が、JRうぐいす各駅南口で、赤砦社派の片山美恵子を襲撃し虐殺(享年48歳)。 |
【中核派元幹部で除名(「中核派民主派宣言」著者)が襲われ重傷】 |
12.18日、中核派元幹部で中核派批判本「中核派民主派宣言」を刊行し除名されていた白井朗が何者かに襲われ重傷を負う。 |
【中核派関連/56歳の活動家の転落変死】 |
12月、56歳の活動家が広島市南区宇品西1丁目2-36の前進社中国支社(革共同中四国地方委員会)のビルの階段から転落死している。 |
【2003(平成15)年】 |
2003.年、前進新年号が、「イラク反戦闘争・杉並区議選・国鉄決戦」の「三大決戦論」を打ち出す。(新指導路線) |
【革マル派関連】 |
1.17日、革マル派非公然アジト「貫井アジト」が摘発され、フロッピーディスクなどが押収される。 |
【革マル派関連】 |
3.16日、「革マル派結成40周年・『共産党宣言』155周年記念革共同政治集会」を開催。議長・植田琢磨が「わが党組織建設の新たな段階を切りひらけ!革マル派結成40周年記念集会に際して」と題する記念講演を行う。 |
【革マル派関連】 |
4.24日、革マル派非公然アジト「弥生アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、ビデオテープなどが押収される。 |
【革マル派関連】 |
6.20日、革マル派非公然アジト「福岡城南アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。 |
【革マル派関連】 |
7.6日、「弥生アジト」に在室していた活動家2人のうちの1人が、詐欺罪及び有印私文書偽造・同行使罪で逮捕される。 |
8.26日、千葉県警幹部と同姓同名の男性が住む民家に爆発物を仕掛け、放火(県警幹部と誤認した可能性が指摘されている)。 |
【中核派関連/飯田憲・氏の転落変死】 |
8.4日午前5時頃、広島市南区宇品西1丁目2-36の前進社中国支社(革共同中四国地方委員会)のビル前の路上でこの政治結社の構成員が血を流し倒れているのを通りがかりの人が見つけ警察へ通報した。男性は顔を強く打っておりすでに心肺停止状態で病院に運ばれたがまもなく死亡が確認された。死亡したのはこの政治結社の構成員飯田憲さん(60)で、普段からこの政治結社事務所に寝泊りしていた。 襲われた形跡がなくまた飲酒した様子が見られることから警察では飯田さんが寝泊りしている「前進社中国支社」の3階から転落したものとみて自殺と他殺の両面で捜査している。 |
【革マル派関連】 |
9月-12月、早稲田大学法学部教授宅に対する電話盗聴事件などで指名手配されていた革マル派非公然活動家6人が、東京都千代田区で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
9.12日、「福岡城南アジト」の名義人だった小学校教諭が詐欺罪で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
10.31日、革マル派非公然アジト「沖縄アジト」が摘発され、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。 |
11月、日韓米の国際連帯闘争始まる。
12月、新生マルクス主義青年労働者同盟結成。
(私論.私見)
11.21日、東京地方裁判所が上口孝夫被告に懲役1年6ヶ月、執行猶予4年の判決が言い渡された。