10期その3 | 2000年代 | 2000年代の諸闘争 |
(最新見直し2007.6.18日)
これより前は、「10期その2、1990年代の諸闘争」に記す。
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここでは、2000年代の学生運動史を概略する。詳論は「10期その3、戦後学生運動の考察/00年代の学生運動」、概論は「2000年代の諸闘争」に記し、この時期の枢要事件を採り上げ解析する。全体の流れは、「戦後政治史検証」の該当年次に記す。この頃より政治運動としては無風となるので政治情勢と訃報情報を書き付けておく。 |
【この時期の全体としての政治運動】 |
この時代の政治闘争の枢要事を眺望しておく。 |
【戦後革命流産の経緯】 | ||||
2000.3.26日、ロシア大統領選挙でウラジーミル・プーチン大統領代行(47)が過半数の票を得て当選。初の民主主義的手続きによりロシア大統領誕生。 4.5日、森喜朗が第19代自民党総裁に選出された。自民党は自由党との連立解消、公明・保守との連立。官房長官・青木幹雄(再任)。 11.24日、日共第22回党大会。この大会で、「前衛政党」、「社会主義革命」を明記していた規約を全面改訂し、新規約から消した。有事の際の自衛隊活用を容認した(「自衛隊活用論打ち出し」)。但し、前衛2001年2月臨時増刊91頁は、次のように留保している。
他方、「自衛隊活用論打ち出し」を次のように是認している。
しかし、日共は、日の丸・君が代立法化で演じた役割に続き、「自衛隊活用論」を打ち出したことになる。代議員一人が賛否を保留したが、大会議案が全会一致で可決されなかったのは42年ぶり。その他、柔軟頑固路線を打ち出した。
これについて、筆者はかく思う。この除籍措置の反動性は如何に。除籍について所属支部の審議が要らなくされている。こうなると、党中央が、党中央批判、異論党員、不都合専従を党外排除したくなれば党中央規律委員会に命令し、規律委員会は支部・中間機関を飛び越えて直接即座に除籍できることになる。支部へは、除籍の事後連絡ですむ。1994年以降、恣意的な除籍決定と通告という第2除名システム=簡易除名が、批判・異論党員を党外排除するための主な手法となった。 不破委員長が議長に、志位和夫書記局長(46)が委員長に、市田忠義書記局次長(57)が書記局長となる新執行部が選出された。これまで188名いた名誉議長、名誉幹部会委員、顧問らを「名誉役員」に一本化した。「中央委員歴20年以上の経験者」に推薦対象を絞られ69名に大幅減員された。宮顕名誉議長は他の名誉職と横並びの名誉役員になった。金子満広元書記局長、立木洋副委員長ら古参幹部が引退した。 |
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2001.1.20日、ジョージ・ブッシュ(53歳)が第43代大統領に就任。 4.24日、自民党総裁選本選。小泉、橋本、麻生で争われ、小泉氏が第20代自民党総裁(第87代首相)に選出された。4.26日、首相就任。 7.29日、参議院議員選挙。「小泉旋風」で自民党が64議席獲得。 10.7日、米国空軍がアフガニスタンの空爆開始。アフガニスタン戦争始まる。 10.18日、テロ対策特別措置法案、自衛隊法改正案、海上保安庁法改正案(共産党賛成で反対は社民党のみ)採決される。10.29日、テロ対策特別措置法成立。 11.30日、PKO協力法改正案採決される。 12.4日、 イスラエルがパレスチナ自治政府を「テロ支援」と断定し、事実上の宣戦布告。 12.7日、アフガンのタリバン政権崩壊する。12.22日、アフガニスタンでタリバーン後の暫定政権が発足。 |
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2003.3月、米英によるイラク戦争開戦。5月、終戦宣言。 5.6日、個人情報保護関連5法案決議される。 5.15日、有事法制関連3法案決議される。 7.4日、イラク復興特措法案決議される。自衛隊派遣へ。 9月、総裁選で、亀井静香らに圧勝。第88代首相に再選される。中曽根、宮沢が引退。 10.3日、テロ対策特措法改正案決議される。 10月、拉致被害者5名が24年ぶりに帰国。 第二次小泉内閣発足。 11月、小泉政権発足後初の総選挙。自民党が議席を減らす。 11月、外交官2名がイラクで殺害される。 |
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2004.1月、陸自先遣隊がイラク入り。2月、陸自本隊も。 4月、イラク邦人人質事件発生。1週間後、3名の人質が解放される。 4ー5月、議員の年金未納が次々と発覚。小泉首相の未納も発覚。 5月、小泉首相が第二次訪朝。拉致被害家族5名が一緒に帰国。 11.17日、日共の不破夫妻が、東京元赤坂の迎賓館で、デンマークのマルグレーテ2世女王夫妻招待の夕食会に招かれ参列した。日本側の主賓は天皇皇后夫妻で、夕食会への参加は、日本の政党関係では不破夫妻だけだったとのこと。不破は、見知っている人として俳優の岡田真澄氏や外務省から宮内庁に移っていた役人がいたと伝えている。(筆坂秀世著「日本共産党」141P参照)これについて、筆者はかく思う。なぜ不破が招かれたのか、何やら臭い。 |
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2005.4月、中国各地で反日デモが続発。 | ||||
2006.1月、陸上自衛隊西部方面普通科連隊(長崎県佐世保市、山中洋二連隊長)が、米国カリフォルニア州で米海兵隊かに直接の訓練指導を受け、1ヶ月に及んだ。 5.1日、米軍と自衛隊の「再編実施の為の日米のロードマップ最終報告」が発表された。1・共同訓練、2・基地の共同使用、3・共同作戦計画などが織り込まれていた。これにより、米軍と自衛隊の一体化が加速さることになった。 5月、在日米軍再編の実施基本方針を閣議決定。「日米同盟は新たな段階に入った」と宣言。米軍と自衛隊の連携強化は一層進んだ。 5.20日、イラク正統政府発足。 6月、航空自衛隊第3航空団(三沢基地)と米第5空軍(横田基地)、第11空軍第3航空団(アラスカ)によるグアムでの共同訓練が実施された。沖縄の嘉手納基地では、新たに米空軍と空自の共同訓練が実施される。 6.7日、米国の空爆で、「イラク聖戦アルカイダ組織」のザルカウィ容疑者が死亡する。 |
【この時期の学生運動の動き】 |
この時代の学生運動の枢要事を眺望しておく。 |
【2000(平成12)年の動き】 | 「戦後史2000年当時」 |
3.18日、レバノン政府は服役中の岡本公三(52)の同国への亡命を認める。足立正生(60)和光晴生(51)山本万里子(59)戸平和夫(47)は国外追放。
6.2日、坂口弘死刑囚(53)が東京地裁に再審請求申し立て。1993年に死刑が確定。
11.8日、日本赤軍幹部の重信房子(55歳)が大阪府高槻市内で逮捕。1ヶ月後、「希望21」を日本赤軍の大衆組織として関係者全国20か所家宅捜索。
【2001(平成13)年の動き】 | 「戦後史2001年当時」 |
9.1日、石堂清倫氏逝去(97歳)。
【革労協狭間派の最高幹部・狭間嘉明氏が逝去】 |
12.8日、「革労協」狭間派主流派の最高幹部・狭間嘉明(55)が8日、川崎市内の病院で病死した。同派は、1981.6月、闘争方針の違いから、狭間幹部ら軍事優先路線を唱えるグループ「狭間派」と大衆闘争を重視するグループ反狭間派とに分裂した。狭間氏は議長として狭間派を結成した。狭間派は、成田空港反対、反皇室闘争などを掲げ、ゲリラ事件を起こした。90年11月即位の礼に反対し、東京都内の警視庁独身寮に爆弾を仕掛け、警察官1人が死亡、7人が重軽傷を負うゲリラ事件を起こした(警視庁独身寮爆破事件)。「革命軍」名で犯行声明を出し、警視庁が同派の犯行と断定した。99年5月に、裁判闘争をめぐる対立からさらに分裂。狭間幹部が率いる主流派と反主流派に分裂、激しい内ゲバを繰り返し、これまで13件の内ゲバ事件が起き8人が死亡している。 |
【2002(平成14)年の動き】 | 「戦後史200年当時」 |
【反帝全学連委員長・藤本敏夫氏が逝去】 |
2002.9.31日、元反帝全学連委員長で、環境問題にも取り組んだ藤本敏夫氏が肺炎で死去した(58歳)。同氏は、1968年、反帝全学連委員長として、防衛庁や国会に突入を図り、逮捕された。交際中の加藤さんは、その時の寂しさを「ひとり寝の子守唄(うた)」で歌った。2人は72年に「獄中結婚」し、話題を呼んだ。その後は有機農業などに取り組み、92年の参院選に立候補したが落選した。 |
【東大全共闘の今井澄・氏が逝去】 |
10.1日、元東大全共闘のリーダーの一人にして民主党参院議員の今井澄(いまい・きよし)氏が、胃がんのため自宅で死去した(62歳)。東大医学部卒。学生時代に学生自治会中央委員会議長に選ばれ、全共闘リーダーとして東大闘争を指導。安田講堂事件では最後まで講堂に立てこもった。卒業後は医師となり、諏訪中央病院院長などを務めた。92年、参院長野選挙区から旧社会党公認で初当選。98年、参院比例区に転じ、民主党で当選、2期目だった。 |
【民主党の石井紘基議員が刺殺される】 |
10.25日、民主党の石井紘基衆議院議員が自宅前で何者かに刺された。 |
【2003(平成15)年の動き】 | 「戦後史2003年当時」 |
【2004(平成16)年の動き】 | 「戦後史2004年当時」 |
【2005(平成17)年の動き】 | 「戦後史2005年当時」 |
【2006(平成18)年の動き】 | 「戦後史2006年当時」 |
【革マル派の最高指導者・黒田寛一氏逝去】 |
6.26日、革マル派の最高指導者・黒田寛一(ひろかず)元議長が埼玉県内の病院で肝不全のため死去した(享年78歳)。 |
【自民党総裁選で、安倍晋三氏が第21代総裁に選出される】 |
【2007(平成19)年の動き】 | 「戦後史200年当時」 |
【2008(平成20)年の動き】 | 「戦後史2008年当時」 |
【2009(平成21)年の動き】 | 「戦後史2009年当時」 |
これより後は、「」に記す。
(私論.私見)