第10期その3 戦後学生運動の考察/00年代の学生運動

 (最新見直し2007.6.18日)

 これより前は、「第10期その2、戦後学生運動の考察/90年代の学生運動に記す。



(この時期の政治動向) 

 2000年代、日本政治は急速に腐臭を放ち始める。特に、2001年に登場した小泉政権は中曽根以来の「戦後総決算、大国責任論」路線を振りかざし始め、それはとりもなおさず日本の国家的富の外資への譲り渡しに過ぎないものでしかないが、これをマスコミが提灯することで5年有余にわたる長期政権を維持させた。その後、安部、福田、麻生と首相代えるが、日本の国家的溶解化は止まらない。歴史の摩訶不思議で、この頃より自由党と民主党が合同し政権交代論をぶちあげ、歩一歩実現に向かい始める。これに日共が「唯一の野党」路線で水を差しつつ今日まで経緯している。

 2009年8月、第45回衆議院選が行われ、民主党が歴史的な大勝利を収め、悲願の政権交代を果たす。

 この時代の日本左派運動は、もはや完全に死に体に陥り政局絡みの運動は何一つ組織し得ない。学生運動で僅かに法政大学で中核派系の主導による紛争が持続的に続けられている。こういう関心を以て、以下検証する。


【2000(平成12)年の動き】 「戦後史2000年当時」

 1.20日、衆参両院の憲法調査会が発足。


2月、 革労協現代社派と革労協赤砦社派の内ゲバで2名が殺害。「平成12年 警察白書」は次のように記している。「革労協狭間派は、5月に狭間嘉明を中心とするグループ(以下「主流派」という。)と山田茂樹を中心とするグループ(以下「反主流派」という。)に分裂した。両派は,その後,双方が切り崩しや引き戻しをねらった主導権争いを展開する中で、11年中、5件の内ゲバ事件を引き起こし,活動家3人が死亡,1人が重傷を負った。12年に入っても,両派は機関紙等で攻撃主張を強め,12年2月には3件の内ゲバ事件を相次いで引き起こし、活動家2人が死亡、2人が負傷した。」


 【森政権登場】

 4月5日、森喜朗が第19代自民党総裁に選出された。自民党は自由党との連立解消、公明・保守との連立。官房長官・青木幹雄(再任)。


 11.3日、革マル派の古参党員にして 全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)のJR労研中央幹事会事務局長・坂入充・氏が革マル派により拉致監禁されるという事件が発生。                    


 【日共第22回党大会】

 11月24日、日共第22回党大会。この大会で、「前衛政党」、「社会主義革命」を明記していた規約を全面改訂し、新規約から消した。有事の際の自衛隊活用を容認した(「自衛隊活用論打ち出し」)。但し、前衛2001年2月臨時増刊91頁は、次のように留保している。

 概要「決議案で自衛隊の活用としているのは、自衛隊解消を追求する過程で、かりに『万が一』の事態がおこったら、その時点において存在し、使用しうる手段を、使用できる範囲で生かすというものであって、有事立法をはじめ、自衛隊の役割と行動を拡大するためのいかなる新規立法にも、わが党が反対であることはいうまでもないことであります」。

 更に、「自衛隊活用論打ち出し」を次のように是認している。

 概要「国民の安全に責任をおう政党ならば、あくまで理論的想定にたいする理論的回答であっても、国民の疑問に答える責任があります。『急迫不正の主権侵害』がおこったときに、国民に抵抗をよびかけながら、現に存在している自衛隊にだけは抵抗を禁止したとしたら、これはおよそ国民の理解はえられないことは明白ではないでしょうか」。

 日共は、日の丸・君が代立法化で演じた役割に続き「自衛隊活用論」を打ち出したことになる。代議員一人が賛否を保留したが、大会議案が全会一致で可決されなかったのは42年ぶり。その他、柔軟頑固路線を打ち出した。

 第22回大会で規約の全面改訂を行い、除名、除籍問題について次のように確定させた。
 「第四条、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる」。
 概要「第十一条、党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける」。

 ところが、除籍措置は規約上の処分でないので、所属支部の審議は要らない。党中央が、党中央批判・異論党員や専従を党外排除したくなれば、党中央規律委員会に命令する。党中央の下部・任命機関である規律委員会は、支部・中間機関を飛び越えて、全党のどこに所属している党員でも直接に、即座に除籍できる。支部へは、除籍の事後連絡で済む仕掛けになっている。これほど手が掛からない簡便で、実質的な除名システムはないということになる。宮地氏は次のように述べている。

 「面倒な手続を必要とし、かつ、強烈な反発を引き起こす除名処分をできるだけ減らし、簡易除名=除籍措置を活用・流行させた功労者は、やはり宮本顕治と不破哲三であろう」。

 これについて、筆者はかく思う。この除籍措置の反動性は如何に。除籍について所属支部の審議が要らなくされている。こうなると、党中央が、党中央批判、異論党員、不都合専従を党外排除したくなれば党中央規律委員会に命令し、規律委員会は支部・中間機関を飛び越えて直接即座に除籍できることになる。支部へは除籍の事後連絡ですむ。1994年以降、恣意的な除籍決定と通告という第2除名システム=簡易除名が、批判・異論党員を党外排除するための主な手法となった。

 不破委員長が議長に、志位和夫書記局長(46)が委員長に、市田忠義書記局次長(57)が書記局長となる新執行部が選出された。これまで188名いた名誉議長、名誉幹部会委員、顧問らを「名誉役員」に一本化した。「中央委員歴20年以上の経験者」に推薦対象を絞られ69名に大幅減員された。宮顕名誉議長は他の名誉職と横並びの名誉役員になった。金子満広元書記局長、立木洋副委員長ら古参幹部が引退した。


【2001(平成13)年の動き】 「戦後史2001年当時」

 4.7日、神奈川県横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス構内で午後0時頃、同大学の学生自治会を事実上支配している革マル派の活動家ら数人が、サークルの勧誘をしていた同大学の男子学生を取り囲んで集団で暴行を加え、約10日間の軽傷を負わせた上、「なぶり殺しにしてやる」「家に火をつけてやる」などと脅迫。これに対し、神奈川県警察は被疑者を指名手配して捜索を行う。


 【小泉政権登場】

 4月24日、自民党総裁選本選。小泉、橋本、麻生で争われ、小泉氏が第20代自民党総裁(第87代首相)に選出された。4月26日、首相に就任する。外相に「政権産みの親」田中真紀子氏を起用した。小泉政権は「聖域なき構造改革路線」をシグナルし、道路公団、郵政の民営化に突き進むことになる。

 これについて筆者はかく思う。この時点での小泉は或る種の期待を持たせた。しかしながら次第に馬脚を露にし、最後にはネオシオニズムの愚劣な御用聞きでしかないことを暴露する。


 5月、千葉県で、革労協赤砦社派が革労協現代社派の活動家を殺害。「平成14年 警察白書」は次のように記している。 「5月、千葉県内において,主流派幹部活動家が反主流派非公然活動家とみられる数人の者に襲撃され死亡する事件が発生した」。


 6月、革マル派非公然アジト「玉川アジト」が摘発され、非公然活動家2人が逮捕される。翌月には同アジトの名義人だった小学校教諭が、犯人蔵匿罪で逮捕される。


 【第19回参院選で自民が圧勝】

 7月29日、第19回参議院議員選挙で「小泉旋風」を巻き起こし、自民党が9年ぶりに過半数獲得の64議席を獲得する。


 【小泉首相の靖国神社公式参拝続く】

 8月13日、小泉首相が就任後初の靖国神社参拝。この時、「口は一つだが、幸い耳は二つ持っている。虚心坦懐に熟慮に熟慮を重ねて判断した」の弁を為している。2002.4.21日、小泉首相が春季例大祭に合わせて二度目の靖国神社参拝。中国側との事前調整せず。2003.1.14日、小泉首相が三度目の靖国神社参拝。2004.1.1日、小泉首相が四度目の靖国神社参拝。

 【米国で同時多発テロ発生】

 9月11日午前(日本時間同日夜)、米国の経済中心地ニューヨーク・マンハッタン島南部の世界貿易センタービル2棟と首都ワシントン郊外にある国防省(ペンタゴン)ビルにハイジャックされた飛行機が激突(前者に二機、後者に1機)、その他ペンシルベニア州などでもテロ発生が伝えられており、同時多発テロが発生した。計約3千人が死亡又は行方不明となった。アルカイダのテロリストの犯行とされた。これを「9.11テロ」と云う。ブッシュ政権は「9.11テロ」を奇禍としてアフガン、イラク戦争へと突き進むことになる。


 【米国がアフガニスタン空爆開始】

 10月7日、米国空軍がアフガニスタンの空爆開始。アフガン戦争始まる。


 【テロ対策特別措置法成立】

 10月18日、テロ対策特別措置法案、自衛隊法改正案、海上保安庁法改正案(共産党賛成で反対は社民党のみ)採決される。10.29日、テロ対策特別措置法成立。11月30日、PKO協力法改正案採決される。


 【アフガニスタンでタリバン政権崩壊】

 10月7日、米国空軍がアフガニスタンの空爆開始。アフガン戦争始まる。これにより、12月7日、アフガンのタリバン政権崩壊する。12月22日、アフガニスタンでタリバーン後の暫定政権が発足。


 11月、革マル派非公然アジト「名古屋西アジト」が摘発され、活動家1人が有印私文書偽造・同行使罪等で逮捕される。


 12.26日、警視庁と北海道警が、革マル派非公然アジトの札幌市中央区のマンションなど北海道内11ヶ所を捜索。神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで指名手配されていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら3人の逃亡犯が、アジトに潜伏していたところを発見され、逮捕される。また、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で指名手配されていた広田雅明も逮捕され、さらに現場にいた革マル派活動家・住井秀行が犯人蔵匿の現行犯で逮捕される。


【2002(平成14)年の動き】 「戦後史200年当時」

 【小泉首相が北朝鮮を訪問、「日朝平壌宣言」調印、朝共同声明発表】

 9月17日、小泉首相が北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談。「日朝平壌宣言」調印し、日朝共同声明発表。この時、「諸懸案の解決を確かなものにするためにも、正常化交渉の再開が適切と判断した」の弁有り。10.15日、北朝鮮の日本人拉致被害者5名が帰国する。翌10月、拉致被害者5名が24年ぶりに帰国する。


 【民主党の石井紘基議員が刺殺される】

 10月25日、民主党の石井紘基衆議院議員が自宅前で何者かに刺された。


 【元革共同中核派政治局員・白井朗・氏が中核派にテロられる】

 2002年12月18日、元革共同中核派政治局員・白井朗・氏が、春日部市のマンション自室で襲撃され、両手脱臼、片足大腿骨陥没、全身打撲により救急病院へ搬送されるという事件が発生した。中核派の内ゲバ的襲撃であった。


 【JR不採用問題闘争】

 この年、2000年に当時の与党と社民党が政治解決に合意し、国労が定期大会で受け入れたことを不服とする組合員が訴訟を起こした。国労執行部は与党側の強硬姿勢を受け、提訴した組合員を大量処分した。


【2003(平成15)年の動き】 「戦後史2003年当時」

 1.17日、革マル派非公然アジト「貫井アジト」が摘発され、フロッピーディスクなどが押収される。


 1.29日、共同「日産社員宅を家宅捜索 革マル派にアジト提供か」参照。
 神戸の連続児童殺傷事件で、革マル派活動家が鑑定医の勤務する病院から検事調書を盗んだとされる事件で、警視庁公安部は二十九日、窃盗と建造物侵入容疑で、東京都練馬区にあった同派アジトのマンションの名義人だった横浜市の日産自動車の社員宅や勤務先の横浜工場など四カ所を家宅捜索した。

 ほかに捜索したのは、保証人となっていた千葉県館山市内に住む県立高校教諭宅と勤務先の高校。公安部はこの社員らが革マル派にアジトを提供していたとみて経緯について事情を聴く方針。

 調べでは、革マル派活動家らが一九九七年九月、児童殺傷事件の加害少年の精神鑑定医が勤務する神戸市の光風病院に侵入、検事調書などを盗んだ疑い。公安部は今月十七日、同じ容疑で東京都練馬区貫井一丁目のマンション一室の革マル派アジトを家宅捜索していた。アジトには非公然メンバーの男性二人がいた。公安部のその後の調べで、このアジトの名義人が日産社員で、保証人が教諭だったことが判明した。


 3.16日、「革マル派結成40周年・『共産党宣言』155周年記念革共同政治集会」を開催。議長・植田琢磨が「わが党組織建設の新たな段階を切りひらけ!革マル派結成40周年記念集会に際して」と題する記念講演を行う。


 【米英多国籍軍によるイラク戦争勃発】

 3月20日、米英によるイラク戦争開戦。アメリカは、イギリス、オーストラリア、日本等の有志連合の国々とともに、フランス、ロシア、中国などの反対を押し切ってイラク戦争に突入した。5月、終戦宣言。


 4.24日、革マル派非公然アジト「弥生アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、ビデオテープなどが押収される。


 【小泉政権下で、反動法制相次ぎ立法化される】

 5月6日、個人情報保護関連5法案決議される。5月15日、有事法制関連3法案決議される。5.23日、個人情報保護法が可決、成立。6月、有事関連3法を公布。7月4日、イラク復興特措法案決議される。8月、イラク特措法を公布。自衛隊派遣へ。10月3日、テロ対策特措法改正案決議される。

 これについて筆者はかく思う。日本左派運動は、これらの動きに対して全く闘いが組織されず、あれよあれよというまに法案が通過していった。


 5月、中核派が、「当面は武装闘争を控え、大衆闘争を基軸に党建設を重視する」との「五月テーゼ」路線(一五年以降は「新指導路線」と呼称)を打ち出した。以降、大衆運動や労働運動への取組みを強め、組織の拡大を図っている。


 6.2日、東京の路上で革労協現代社派が革労協赤砦社派の活動家を殺害。「平成16年 警察白書」は次のように記している。「16年6月2日早朝、東京都内の路上で革労協反主流派活動家3人が4、5人の男に鉄棒等で襲撃 され2人が死亡、1人が軽傷を負うという内ゲバ容疑事件が発生した」。


 6.20日、革マル派非公然アジト「福岡城南アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。


 7.6日、「弥生アジト」に在室していた活動家2人のうちの1人が、詐欺罪及び有印私文書偽造・同行使罪で逮捕される。


 【元中核派非公然活動家、上口孝夫被告(53)が逮捕される】

 7.8日、威元中核派非公然活動家の上口孝夫被告(53)が、29年ぶりに神奈川県横須賀市内で警視庁公安部により身柄確保、収監された。上口被告は1970年に威力業務妨害罪、71年に公務執行妨害罪などで起訴された。その後保釈され東京地裁で公判中だったが、1974年1月、横浜国立大の内ゲバ事件で殺人容疑で神奈川県警に指名手配され、同年3月に予定されていた公判には出廷せず逃亡していた。東京地検は上口被告の保釈を取り消し、収監指揮書を出して行方を追っていた。上口被告は今年2月、横須賀市に住民登録したため、逃亡先が発覚した。


 【民主党と自由党が合同】

 7月23日、「民主党と自由党の合同」が発表された。民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎の党首会談が開かれ、「政権交代を目指すためには結集が必要との観点で小異を捨て大同につく」旨合意し、「次期衆院選前の両党合流に向けた協議を行う」との発表が為された。これについて筆者は思う。この政治史的意味は殊のほか大きく、久しぶりの政界流動化であり、実にこの時から政権交代の流れが本格化することになる。


 【革マル派の指名手配容疑者が次々と出頭】

 9.12日、警視庁から1997年の早稲田大学学生部長宅盗聴事件で指名手配されていた革マル派の非公然活動家の金井道子(52)が警視庁向かいの東京地裁1階ホールに出頭し、直前に匿名の男から、東京地裁に金井被告の関係者がいるという内容の通報が同庁公安部にあり、駆けつけた捜査員が、バッグを持ってホールに立っていた金井被告を見つけ逮捕した。金井被告が起訴された同月30日には、同じ事件で指名手配されていた萩原明子被告(51)が警視庁本部の受付を訪れた。萩原被告は本名を名乗って、公安部の革マル派担当の捜査員の名前を告げ、「金井被告に差し入れしたいので(捜査員に)会いたい」と申し出た。捜査員は本人と確認した上で逮捕した。 その後も、97年に神戸市で起きた小学生連続殺傷事件の検事調書盗難事件で指名手配されていた三浦孝義被告(55)ら、逃亡を続けていた4人の活動家が次々と仲間への差し入れに訪れては、そのまま逮捕された。こうして、さみだれ的に革マル派の指名手配容疑者計6人(うち女3人)が逮捕されるという事件が発生した。 6人以外にも数人の同派活動家が警視庁に姿を見せたが、捜査員から指名手配されていないことを聞かされると、そのまま帰っていったという。


 9.12日、「福岡城南アジト」の名義人だった小学校教諭が詐欺罪で逮捕される。


 10.31日、革マル派非公然アジト「沖縄アジト」が摘発され、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。


 【第43回総選挙】

 11月9日、小泉政権発足後初の第43回総選挙。自民党が議席を減らす。


 【イラクでの外交官2名殺害事件】

 11月29日、日本人外交官・奥克彦在英国大使館参事官(45歳)、在イラク大使館・井ノ上正盛書記官(30歳)、イラク人運転手の3名が殺害されるという事件が発生した。犯人像、犯行状況について未だに情報が錯綜しており、「不審」が付きまとっている。結果的に小泉政府は、米国の目論見通りに事件を政治的に利用し、「脅しに屈しない」との口上で自衛隊のイラク派兵盲動にのめり込むことになった。被害者及びその家族に為したことは、お定まりのテロ非難声明と葬儀の取り仕切りと何の価値もありはしない川口賞を授与するだけというお粗末振りとなった。日本政府は、日本人初の犠牲者にして現役外交官が殺害されるという不祥事にして「不審な事件」であるにも拘わらず、その捜査を米国に「丸投げ」している。主権国家の面目が疑われる失態を平然と続けており、事件被害国としての調査責任を果たそうする気配もない。

 これについて筆者は思う。小泉首相派が対北朝鮮に見せる強面(こわもて)外交とは対照的で、腰を引かせた軟弱な対応を見せているが国家の一大不祥事であろう。が、このことをを指摘するマスコミは皆無である。恐ろしい日本に成り下がったもんだと思う。


【2004(平成16)年の動き】 「戦後史2004年当時」

 イラク復興特別措置法に基づく自衛隊のイラク派兵】

 1月26日、小泉政権は、2003.12月に自衛隊のイラク派遣を閣議決定し、陸上自衛隊のイラク・サマワへの派遣命令が下された。これにより陸自先遣隊がイラク入りする。1月31日、衆院がイラク復興特別措置法に基づく自衛隊のイラク派遣承認案を承認。月9日、参院本会議でも承認された。2月、陸自本隊も派遣される。12月9日、イラクへの自衛隊派遣の1年延長を閣議決定し、以降繰り返されることになる。

 これについて筆者は思う。自衛隊のイラク派遣は、そもそもに於いて自衛隊創設時の海外派兵禁止決議違反であり、その後の自衛隊膨張に伴う安保論議に於ける国会での東南アジア海域までを専守防衛区域とする申し合わせ違反であった。小泉政権は、この縛りを一気に解いたことになる。反省すべきは、日本左派運動が健在なら、こういう暴挙が許されぬところ、この時既にこれを押しとどめる力を持たなかったことであろう。


 1月、【革マル派関連】 出頭続々。


 3.25日、【革マル派関連】 革マル派非公然アジト「深川アジト」が摘発され、パソコン、携帯電話などが押収される。


 3.29日、指名手配中の革マル派非公然活動家4人を匿ったとして犯人蔵匿の罪に問われていた、革マル派活動家の住井秀行に対し、札幌地方裁判所が懲役1年6ヶ月・執行猶予4年の判決を言い渡す。


 【木村愛二氏が「小泉レイプ疑惑訴訟」を提訴】

 
3月31日、ジャーナリストの木村愛二氏が小泉首相を被告とする「小泉レイプ疑惑訴訟」を提訴する。6月14日、平野貞夫議員が、「小泉首相のレイプ疑惑」を国会で追及する。

 これについて筆者はかく思う。小泉首相の履歴疑惑は、1・慶応入学の浪人期年数、2・慶応大学生時のレイプ事件、3・レイプ事件後のロンドン高跳びまでの経緯、4・衆議院議員時代の神楽坂芸者殺しについて言い逃れのきかない形で疑問がある。これを解明しておくことが必要なところ、日本左派運動はサボっている不可解さがある。木村氏の「小泉レイプ疑惑訴訟」は当然の提訴であろう。


 【「イラクでの日本人人質事件」】

 4月8日、イラクで、日本人3名の人質事件が発生する(「イラク日本人人質事件」)。謎の武装集団が「イラクからの自衛隊の撤退」を要求するも、「テロには屈しない」として断固拒否。小泉政権周辺が、「自己責任論」を打ち出す。その後、人質3人は無事に解放される。さらに2人が拉致されるが同様に解放される。


 4月、【革マル派関連】 JR総連・教組内に非公然組織の暗号名「ヘーゲル」、「ワトソン」の革マル派活動家が旅行代理店侵入容疑で逮捕される。5月、革マル派活動家が国労幹部宅に侵入容疑で再逮捕される。


 4月、共産主義者同盟戦旗/西田派(両川派)とブント系党派「共産主義者同盟 (全国委員会)(通称「烽火派」)」は1991年頃より提携関係を結ぶようになっていたが、その後次第に関係を深め、この頃、両者は統合し新たに「共産主義者同盟 (統一委員会)」として再出発することになった。


 【小泉首相再訪朝。拉致事件被害者家族5名が帰国する】

 5月22日、小泉首相が再訪朝し平壌で金正日総書記と会談。北朝鮮に対する25万トンの食糧及び1000万ドル相当の医療品の支援を表明し、日朝国交正常化を前進させると発表。5人の拉致被害者の家族の帰国を実現。拉致被害者の家族が帰国(曽我ひとみさんの家族帰国は7月)。 


 6月、 【革マル派関連】 神戸小学生殺傷事件の記録窃盗で革マル派活動家に懲役4年6月。


 【第20回参院選】

 7月11日、参院選で、自民党の獲得議席が49議席にとどまる。自民党が民主党に僅差で敗れるも政権維持を表明。


 7月、【革マル派関連】 革マル派活動家また出頭、逮捕。 昨年9月から9人目。早大学生部長宅盗聴事件で革マル派活動家を逮捕。


 【イラクで日本人人質が殺害される】

 10月、再びイラク日本人人質事件。イラク聖戦アルカーイダが「イラクからの自衛隊の撤退」を要求するも、「テロには屈しない」として断固拒否。その後、人質は殺害される。


 【小泉首相が「自衛隊が活動しているところが非戦闘地域」発言】

 11月10日、党首討論で、「非戦闘地域」の定義を、「自衛隊が活動しているところが非戦闘地域だ」と答弁し、物議をかもす。


 【日共の不破夫妻の皇室外交お相伴事件】

 11月17日、日共の不破夫妻が、東京元赤坂の迎賓館で、デンマークのマルグレーテ2世女王夫妻招待の夕食会に招かれ参列した。日本側の主賓は天皇皇后夫妻で、夕食会への参加は、日本の政党関係では不破夫妻だけだったとのこと。不破は、見知っている人として俳優の岡田真澄氏や外務省から宮内庁に移っていた役人がいたと伝えている。(筆坂秀世著「日本共産党」141P参照)これについて、

 筆者はかく思う。なぜ不破が招かれたのか、何やら臭い。


 【ビラ配布の男性が逮捕される】

 自衛隊官舎への反戦ビラ配布について「ビラ配りは憲法に保障された政治的表現活動」として無罪にした東京地裁八王子支部判決の直後の12月23日、東京都葛飾区内で日本共産党の「都議会報告」、「区議団だより」などのビラをマンション内で配布していた男性、(57)が、住人の通報でやって来た亀有警察署に「住居不法侵入」容疑で逮捕される事件が発生した。

 ただちに党葛飾地区委員会、木村ようじ都議、国民救援会などが同署に「正当な政治活動にたいする弾圧」、「東京都議選を前にした時期で、憲法と民主主義に反する重大な政治弾圧だ」として抗議。即時釈放を要求した。東京地裁八王子支部の無罪判決も指摘し、直ちに釈放するよう求めた。12月24日、同署は、捜査官十数人を動員し、玄関前を封鎖、党地区委員会の立ち会いを認めないままAさん宅の家宅捜索までおこなった。

 12月25日、男性は、亀有警察署から東京地方検察庁に送検された。東京地裁は同日、十日間の勾留を認める決定をした。日本国民救援会東京都本部などは同日、ただちに東京地検に釈放と不起訴を求める要望書を提出した。要請書は、「東京都選挙管理委員会は、選挙・政治活動にわたる宣伝物の配布について『国民に政策を知らせるために、本来自由でなければならない』」としていることを強調。東京地裁八王子支部が自衛隊官舎へのビラ配布について、「ビラの投かん自体は憲法21条(表現の自由)が保障する政治的活動で、民主主義社会の根幹をなす」、「刑事罰に処するに値する違法性はない」との明快な判決をだしていることを指摘し、すみやかに釈放、不起訴決定をするよう求めた。

 12月28日、男性(57)の勾留理由開示公判が東京地裁で開かれ、男性は、意見陳述で、「政党ビラの配布は正当な政治活動で、『侵入』にはあたらない」とビラ配布の正当性を訴えた。意見陳述で、男性は、「私が行ったマンションの廊下での政党ビラ配布は、まさしく正当な政治活動で、私の意見表示です。『侵入』にはまったくあたらない。なぜ逮捕、勾留という人格否定がされるのか理解できません」と訴え、勾留の取り消し・執行停止を求めた。男性の弁護人は、公の政党が連絡先を明確にしているビラを、居室に立ち入ったりチャイムを鳴らすこともせず、一人で平穏に配布していたことを指摘し、「男性のビラ配りが憲法21条1項の表現の自由で保障された正当な行動なのは論をまたず、捜査機関の逮捕は暴挙。刑事裁判にのせるのは民主主義社会を崩壊にすすめるものだ」と意見陳述した。弁護人は、逮捕手続きの異常性にも言及。警察は「私人による現行犯逮捕」としているが、男性が逮捕を告げられたのは警官に同行して警察署に行った後で、その間に身体の制圧も受けてないとして「違法逮捕であり、勾留は許されない」と強調した。検察側は意見をのなかった。(「ビラ配布の男性を不当逮捕」、「不当逮捕の男性を送検」、「ビラ配布の正当性訴え」参照)


【2005(平成17)年の動き】 「戦後史2005年当時」

 【小泉首相が郵政民営化断行の決意表明】

 1月21日、通常国会召集。施政方針演説で、郵政民営化断行の決意表明。「改革断行は私の本懐とするところだ」の弁を残す。4月4日、政府が郵政民営化関連法案の骨格を決定する。4月27日、郵政民営化関連法案を国会に提出。


 【中国の反日デモ激化】

 4月9日、中国各地で反日デモが続発。中国の北京で、反日デモ。日本大使館の窓ガラスが破損させられる。


【郵政民営化法案を廻る郵政解散】
 7月5日、郵政民営化関連法案が衆議院本会議で可決される。8.8日、郵政民営化関連法案が参議院本会議で否決される。小泉首相は直ちに衆議院解散を閣議決定し、署名を拒否した島村宣伸農林水産大臣を罷免・自ら兼務する。同日、憲法7条に基づき衆議院を解散する。小泉はこの解散を「郵政解散」と命名する。これにつき筆者はかく思う。小泉首相の衆議院での再可決をせぬままの衆議院解散は違憲行為である。しかしながら、これを指摘した党派はなかった。

【鹿砦社社長・松岡利康氏不当逮捕事件】

 2005(平成17).7.12日、松岡氏は、6月下旬頃より検察の出頭要請により2度任意で取調べに応じてきていたがこの日、阪神タイガース元職員やパチスロ製造会社役員らを書籍やインターネット上での記述による名誉棄損罪、プライバシー侵害罪に問われ、本社、支社、松岡社長自宅に大掛かりな家宅捜索が入った。家宅捜索は、大株主の会社にまで及び、更に取次会社、製本所、倉庫、頒布書店にまで及び、任意での事情聴取や資料提出を強いるものとなった。明らかに異常な「やり過ぎ懲らしめ」が発生した。松岡氏は、神戸地検特別刑事部により逮捕された。本来なら、問題にするとしても、民事裁判でやるべきところである。ところが、検察が刑事事件として扱った。

 「名誉毀損での逮捕は、月刊ペン事件(1976年)以来」となった。同種事件として他に「噂の真相事件」(1995年)がある。「月刊ペン事件」(1976年)では、3月号、4月号が創価学会の池田会長スキャンダル記事を書いたところ、同年4月、創価学会は編集長を名誉毀損罪で告訴。同誌の編集長が逮捕され25日間勾留、1審、2審とも記事には公益性がないとして罰金25万円の判決となった。最高裁で差し戻し後、審理中に被告の編集長が死亡した為被疑者不在となり裁判が終結した。「噂の真相事件」(1995年)では、西川氏と和久氏に関わる記事の両方の名誉毀損を併合して刑事事件にされた。「噂の真相」の岡留編集長とデスクが在宅起訴された。即ち身柄は拘束されなかった。編集長に懲役8月(求刑10月)、デスクに懲役5月(求刑6月)、各執行猶予2年の判決となった(最高裁で確定)。 鹿砦社は直ちに「不当逮捕。憲法で保障された表現の自由への挑戦で、言論弾圧である」として次のような抗議声明を発表した。

 鹿砦社の松岡社長逮捕の声明文

 拝啓 平素は小社活動にご注目いただき、厚く御礼申し上げます。本日、鹿砦社代表取締役 松岡利康が、大手パチスロ機器メーカー「アルゼ」及び阪神タイガース球団に対する告発書籍、及びそれに関連するインターネット上での記述について、名誉毀損の疑いで神戸地検特別刑事部に逮捕されました。これは不当逮捕です。憲法で保証された「表現の自由」への挑戦です。言論弾圧です。鹿砦社としては、断固戦います。

 小社<アルゼ本>第2弾『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』(2003年9月10日発行)の内容が名誉毀損にあたるかどうかについて、東京地裁における民事控訴で係争中です。特に、第3弾『アルゼ王国の崩壊』(2004年3月1日発行)及び第4弾『アルゼ王国 地獄への道』(2005年3月25日発行)につきましては、神戸地裁尼崎支部より差し止めの仮処分を受けたものの、地裁の判断によりすでに却下されております。

 小社代表松岡は、2度にわたる事情聴取を神戸地検で受けており、証拠の隠滅や逃亡のおそれは全くありませんでした。なぜ逮捕する必要があったのか。全く理解できません。逮捕という2文字は、非常に重く、言論弾圧にほかなりません。松岡の矜持は、市民の視線から声を拾い上げ、伝えることでした。それを実践したのがアルゼであり阪神タイガースへの告発でした。小社としては、今回の不当逮捕について断固として闘います。本件は言論にたいする権力の介入であり、決して一出版社、一企業の問題ではありません。皆様のご賛同、ご支援をお願い申し上げます。 敬具

 2005年7月12日 株式会社鹿砦社

 以下、詳論は「【「鹿砦(ろくさい)社裁判」(「鹿砦社社長・松岡利康不当逮捕裁判闘争」)考」で言及する。


 【2005.8.15小泉首相の戦争謝罪談話】

 8月15日、1995年に発表された戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話を踏襲した小泉首相談話を発表し、第二次世界大戦中に行われた日本のアジア諸国に対する侵略と植民地支配を謝罪した。戦争謝罪の談話を発表した首相は村山富市以来。


 【第44回総選挙で自民党が大勝、小泉政権続投】

 9月11日、 第44回衆議院議員総選挙において、自民党だけで296議席、与党で327議席の歴史的大勝。9.21日、第89代内閣総理大臣に就任。第163回特別国会で、衆・参両議院の本会議の首相指名選挙が行われ、自民党の小泉純一郎総裁が第89代内閣総理大臣に指名された。小泉首相は、昨年9月に行った内閣改造の閣僚をすべて再任して第3次小泉内閣の組閣を行った。


 【革マル派非公然活動家幹部・竹内政行が警視庁に出頭】

 11.30日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の被疑者として指名手配されていた、革マル派非公然活動家幹部・竹内政行が警視庁に出頭し、窃盗と建造物侵入の容疑で逮捕される。


【2006(平成18)年の動き】 「戦後史2006年当時」

 1.6日、2005年10月26日に大阪経済大学で教職員に対する暴行したとして、革マル派の活動拠点となっていた大阪経済大学の自治会室や学生会室などを、大阪府警が家宅捜索。活動家8人を逮捕。


 【自衛隊の米軍傭兵化進む】

 1月、陸上自衛隊西部方面普通科連隊(長崎県佐世保市、山中洋二連隊長)が、米国カリフォルニア州で米海兵隊かに直接の訓練指導を受け、1ヶ月に及んだ。5.1日、米軍と自衛隊の「再編実施の為の日米のロードマップ最終報告」が発表された。1・共同訓練、2・基地の共同使用、3・共同作戦計画などが織り込まれていた。これにより、米軍と自衛隊の一体化が加速さることになった。5月、在日米軍再編の実施基本方針を閣議決定。「日米同盟は新たな段階に入った」と宣言。米軍と自衛隊の連携強化は一層進んだ。6月、航空自衛隊第3航空団(三沢基地)と米第5空軍(横田基地)、第11空軍第3航空団(アラスカ)によるグアムでの共同訓練が実施された。沖縄の嘉手納基地では、新たに米空軍と空自の共同訓練が実施される。 


【法大闘争】

3.14日、増田総長独裁体制法大当局が一方的に立て看板・ビラまきを規制し、抗議した学生29名を警察へ売り渡した。以降、法大当局は活動家学生を次々と処分、逮捕者延べ110名、起訴者33名に及んでいる。


【革マル派の元議長・黒田寛一逝去】
 6.26日、革マル派の最高指導者にして元議長の黒田寛一が、埼玉県春日部市の病院で肝不全のため死亡(享年78歳)。
 黒田寛一の死去後、しばらくはその黒田寛一の死が秘匿された。公安当局が黒田の死を確認し、同年8.10日、共同通信、産経新聞が報道し、翌8.11日、朝日、読売、毎日その他各紙も「関係者の話」としてその死を伝えた。これを受けて8.12日、革マル派議長植田琢磨が記者会見し、「同志黒田のたっての意志とわが党組織の国家権力にたいする防衛の観点から、彼の逝去の事実の公表を今日までひかえてきた」と説明し、革マル派としてその黒田寛一の死を確認した。革マル派機関紙解放は1931号まで沈黙を守り、第1932号(2006年8月28日)で黒田寛一の逝去特集を組み、朝倉文夫名の「同志黒田の革命家魂をわがものに」と「同志黒田の逝去にあたって」と称する植田琢磨議長の記者会見(8.12)を掲載し、革マル派刊行物として公式に黒田寛一の死を伝えた。
 日本政治思想史を研究する原武史によると、東京都八王子市の南多摩霊園23区に黒田寛一の墓所があり、墓石にはただ一文字、「闘」という漢字が彫られているという。

【小泉首相がイスラエル訪問、聖地巡礼】
 6月30日、小泉首相は、はブッシュ大統領夫妻と共に、テネシー州メンフィスにあるロック歌手エルビス・プレスリー邸(グレースランド)を訪問した。7.12日、ロシアのサンクトペテルブルク・サミットに先立ちイスラエルへ立ち寄り、ホロコースト記念館を訪問した後、イスラエルの建国の原点にもなっている復讐の誓いを為す聖地「嘆きの壁」を訪問した。小泉首相のホロコースト記念館でのいでたちが異様であった。小泉は頭上にユダヤ教徒が頭に載せる小さなお皿のような帽子であるキッパを乗せ、「永遠の炎」のそばでたたずんでいる。これは、見る者が見れば分かる歴史的ユダヤの秘密結社の行事である。「嘆きの壁」でも、ユダヤ帽をかぶってにたたずみ、ユダヤ教徒がする仕草で祈念している。

(私論.私見)

 これについて筆者は思う。小泉はこたびのイスラエル訪問で、「永遠の炎前たたずみ」、「嘆きの壁詣で」という二種の宗教行為を演じた。1・日本の首相職の者が、2・ユダヤ教徒としてのいでたちで、3・ユダヤ教の入信ないしは信仰決意儀式を敢行した。これは、靖国神社参拝問題を吹っ飛ばすもっと大きな衝撃的政治的事件ではなかろうか。こう感知することのできない日本世論は政治的に死んでいる。小泉のこたびの行為は、憲法上の政教分離に明らかに抵触している。日本の祖宗である神道仏教のうちの特定宗派の儀式に参加したのでも責められるのに、ユダヤ教儀式なら何故許されるのか。ここが論ぜられなければならない。北朝鮮問題には論客が現れ、かまびすしく議論するが、こういう本筋の問題には誰も近寄らないのは滑稽なことである。


【安倍政権登場】
 9月20日、小泉純一郎総裁の後継を決める自民党総裁選が行われ、安倍晋三官房長官(51)が全体の6割を超える得票を集めて圧勝し、第21代総裁に選出された。

 9月26日、自民党の安倍晋三総裁(52)が、午後1時からの本会議で首相指名選挙が行われ、安倍氏が自民、公明両党などの賛成多数により首相に指名された。続く参院本会議でも安倍氏が指名された。第90代、57人目の首相に選出された。戦後生まれの首相は初めて。

 9月21日、小泉首相自民党総裁任期が満了し、9.26日、小泉内閣は総辞職して内閣総理大臣を退任した。任期満了による退任は1987年の中曽根政権以来であり、小泉政権は2001年4月26日以来の戦後3位の長期政権を記録した。

 同年秋、中核派が「革共同第二二回拡大全国委員会総会」を開催し、組織問題の関係者五人に対して「除名決議」を行ったことを明らかにした。


 12.4日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら6人の被告人に対し、東京地方裁判所(大島隆明裁判長)が懲役5年〜1年10ヶ月の実刑判決を言い渡す。


【2007(平成19)年の動き】 「戦後史2007年当時」

 【松岡農相変死事件発生】

 5月28日正午過ぎ、現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内変死事件」が発生した。事件直前までのこの日の松岡利勝農水相(62歳)の様子は伝えられていない。松岡農相は、「午前10時頃、秘書と話した」ことが証言されている。その後、東京都港区赤坂にある議員会館内の議員宿舎の1102号室の自室に入った模様である。後に判明するが、飯島が、「松岡氏が死亡した日の午前中に、松岡氏の携帯電話をコールしたが応答がなかった」と自ら証言している。「飯島の電話コール」は何の為のものなのだろうか。

 松岡農相は、この日の午後1時40分からの参院決算委員会で「緑資源機構」の官製談合事件について答弁する予定だった。他の予定も入っており、正午頃宿舎を出るはずが出て来ないため不審に思った秘書がノックしたところ応答が無い。部屋には鍵がかかっていたので、午後零時18分頃、合鍵を使って警護の警察官(SP)と共に部屋に入ったところ、松岡農相がリビングのドアのちょうつがいに、布でできた犬の散歩用ひものようなものを掛け、立った状態で首をつっているのが発見された。部屋の中には首吊りの際に使用したと思われる脚立があったと伝えられている。

 午後零時29分頃119番通報した。この時点では心肺停止状態で意識不明の重体とされいるが真相は不明とすべきだろう。この時点までは「遺書は見つかっていない」とされていた。この現場へいち早く駆けつけてきたのが、小泉前首相秘書官・飯島勲である。彼の指揮と思われるが、慶応大学病院(東京都新宿区)へ搬送され、遺体は司法解剖されることなく荼毘に付されている。


 【第21回参院選】

 7月29日、第21回参院選が行われ、自民党は改選前の64議席から37議席に減らし、89年に宇野首相が退陣した過去最低の36議席に匹敵する歴史的大敗となった。公明党も選挙区で擁立した5人中3人が落選する惨敗で、改選12議席のところ9議席にとどまった。他方、野党の民主は改選32議席に対し60議席と躍進。自民党が55年に結党してから参院で占めてきた第1党の座を奪取した。共産3、社民2、国民2、日本1となった。非改選を含む与党の議席は過半数を割り込み、新勢力は野党側が134議席、与党側は105議席となった。参院での与野党ねじれがその後の政局に大きな影響を与え続けて行くことになる。
 【福田政権登場】 

 9月25日、安倍内閣の総辞職を受け国会で衆参両院の本会議が開かれ、首相指名選挙の結果、自民党の福田康夫総裁が第1回投票で首相に選ばれた。一方、与野党が逆転している参院は決選投票の末、民主党の小沢代表が133票、福田総裁が106票となり、衆参の議決が異なったため、約9年ぶりに両院協議会が開催された。衆参両院で首相指名が異なったのは、過去に芦田均(48年)、海部俊樹(89年)、小渕恵三(98年)の各首相がそれぞれ選出された時に例がある。両院協議会には衆参両院から選出された各10人の委員が参加し、それぞれの決議について採決を行ったが、いずれも3分の2以上の賛成を得られず、首相指名について成案を得ることができぬまま不調に終わった。このため午後5時半過ぎから開かれた衆院本会議で、河野衆院議長が「憲法67条の規定により、衆院の議決(福田氏の指名)が国会の議決となった」と宣告、福田氏が第91代、58人目の首相に選出された。福田氏の父の故赳夫氏が1976〜78年に首相を務めており、憲政史上初の親子首相となる。


 【法大闘争】

 この年も法大で闘争が続いている。法大当局−教授会は弾圧体制を強め、活動家学生の退学、無期停学処分連発、学友会解体決定、ガードマン倍増による警備強化で対応した。闘う法大生は公判闘争も含め果敢に闘いを続行した。


【2008(平成20)年の動き】 「戦後史2008年当時」

 【法大闘争】

 5月20日、文化連盟と全学連が、学友会解体過程での恩田君処分に対する5・20実力決起闘争を敢行した。弾圧と処分によってしか学生支配を維持できない大学の腐敗を暴露し、学生が団結して立ち上がった時にそれは無力化できることを示し続けてきた、とある。5月29日、戦闘的なキャンパスデモを敢行。

 7月3日、法政大学当局が文化連盟の学生に呼び出しをかけ活動の沈静を目論む。内田、鈴木、市川君の3名が「転向拒否」し、キャンパスで「処分阻止・新自由主義大学打倒・サミット粉砕」を訴えビラまきを敢行。7月24日、「法大弾圧ぶっとばせ!7・24全国集会」当日、警視庁公安部により会場近くの中野駅前逮捕される。8月14日、東京地検により建造物侵入罪で起訴される。


 【麻生政権登場】

 9月22日午後、自民党総裁選が過去最多の5氏(麻生太郎幹事長、与謝野馨経済財政担当相、小池百合子元防衛相、石原伸晃元政調会長、石破元防衛相)で争われ、1回目の投票で麻生氏が全体の7割近い351票(国会議員票217、地方票134、総得票率66.9%)の過半数を得て第23代総裁に選出された。麻生氏の祖父は、戦後保守政治の基盤を築いた故吉田茂元首相、妻は故鈴木善幸元首相の三女。

 9月24日、首相指名選挙を経て新内閣を発足させた。麻生首相は24日夜、首相官邸で就任後初の記者会見に臨み、「景気への不安、国民の生活への不安、政治への不信という危機にあると厳しく受け止めている。日本を明るく強い国にすることが、私に課せられた使命だ」と決意を表明した。


【米国で民主党のオバマ政権誕生】 

 11月6日、民主党オバマが共和党マケイン候補に大差をつけ次期米国大統領選に勝利した。アメリカ国政史上初の有色人種大統領が選出されたことになる。これまでのところ、オバマはチェンジを旗印に掲げ、ブッシュ共和党の好戦政治からの転換、内治重視政治を標榜している。これを支持した労働者大衆の期待を担うのか裏切るのか、はたまた暗殺されるのかに関心が寄せられている。


【2009(平成21)年の動き】 「戦後史2009年当時」

 【法大闘争】

 2009.3月、ビラまきを禁止する「情宣禁止仮処分」を発令。大学の「営業権」を理由に、キャンパスの半径200b以内を憲法停止にした。4月8日、「追加処分」抗議学内集会とデモ。法大教授会が倉岡雅美さん(人間環境学部3年)に対し「追加処分」を決定したことに対し抗議の学内集会とデモ。4月14日、法大キャンパス中央で新入生がビラまきに決起。4月24日、「不当処分撤回! 法大解放集会」を呼びかけ1500人の大集会。恩田君、倉岡さんを取り戻そうと署名を集め、ビラをまく中で法大生と討論が始まる。増田体制が「入構禁止看板」を掲げ学生活動家を取り締まっていることに対し、これこそ監獄大学・法大の象徴であるとして3万法大生の怒りの決起を呼びかけた。「学生の看板を一切認めない法政大学が、学生が大学の看板を認めないと言ったら警察に逮捕させる。こんな理不尽な逮捕が許されるのか!」。300名の警察が学生らに襲いかかり、文化連盟副委員長の恩田亮君、倉岡雅美さんら5学生を逮捕する。4月30日、法大で4・24闘争に続き60名が参加して正門前集会と抗議デモが闘われた。その後、法大総長室と、恩田亮・文連副委員長が勾留されている麹町警察署に怒りのデモをかけた

 5月15−16日、12名が一斉逮捕された。6.5日、4人の仲間を奪還。全学連の織田委員長、法大文化連盟の恩田副委員長、増井企画局長をを始め5名が暴処法違反によって再逮捕・起訴される。続いて、不起訴でいったん釈放された文化連盟の斎藤委員長ら3名が4・24法大解放集会における「威力業務妨害」などのデッチあげ容疑で再逮捕される。6月8日、4・24集会に関して逮捕されていた全学連の冨山書記長を起訴される。6・14−15闘争。渋谷2100―法大1200の大結集で「労学共闘」集会。6.20日、文学部教授会が、文化連盟A君(社会科学研究会所属)に対し「停学1カ月」の処分を下す。処分理由は「今年2月19日の正門前での看板破壊に加わった」とされている。「弾圧に次ぐ弾圧、処分に次ぐ処分によってしか学生支配を維持できない」状況に至っている。


 【第45回衆院選】

 以上のような流れで、2000年が明け2009年が暮れようとしている。


【2010(平成22)年の動き】 「戦後史2010年当時」

 【1047名のJR不採用問題闘争の決着】

 4月、政府・与党と公明党は、1987年のJR六社発足後の国鉄分割民営化に伴う1047人のJR不採用問題に対し、当事者の国鉄労働組合(国労)組合員や遺族ら計910世帯に1人平均約2200万円の和解金を支払うなどの政治解決案をまとめ、大半の組合員が受け入れを決めた。

 4.26日、国鉄労働組合(国労)が東京都内で臨時大会を開き、1人約2200万円を支払うことを柱とする政府の和解案を受け入れる方針を確認した。組合員や家族ら560人が参加。高橋伸二・中央執行委員長は「国鉄改革法によって作り出された組合差別との闘いを解決に導いた意義は大きい」とあいさつ。JR各社に対し不採用者の雇用確保を訴えていく方針も議決した。
 2019/06/15 樺美智子さんの追悼の会(国会南通用門前)

  1960年の安保闘争からは既に60年に届かんとする月日が経ちました。あの時に、若かった人々もいつの間にか高齢者に達しました。そして、鬼籍に入る人も増えています。この1960年の6月15日に闘いの中で亡くなられた樺美智子さんを追悼し、偲ぶ会を僕らは毎年やっているのですが、いつもここに顔をだしていた渕上太郎さんや正清太一さんも旅立ちました。樺さんのことを思うことは、同時に彼女の生きられなかった時間を思うことです。それは僕らが生きた時代と歴史を思うこともあります。潰えた夢、果たせなかった約束、鮮やかな印象を伴う歓喜、僕らはそんな日々を樺さんとの対話で再現します。これは未来の糧になるものです。そんな列に多くの人が加わっていただくのです、今年も6月15日の樺美智子さんの追悼の会をひらきたいと思います。

 樺美智子さんの追悼の会

 時 6月15日(土) 13時から

 場所 国会南通用門前

 連絡 9条改憲阻止の会(03−6206−1101)
     090−3908−7330(三上治の携帯)

※ 献花用の花などは9条改憲阻止の会で用意いたします。






(私論.私見)