れんだいこ |
この頃から日共の安保闘争の取り組みも加速して参ります。ここまでは何とかしてルーチンな政治闘争の儀式で終わらせようとしていた。しかしブントが創りだしつつある流れが奔流化し始め、バスに乗り遅れると見たのではないでせうか。
|
S |
この頃の動きは次の通りです。3.10日、アカハタの主張で、アイゼンハワーの来日反対闘争を提起。3.17日、三池労組が分裂し、第二組合作られる。3.23-24日、社会党臨時大会が開かれ、委員長に浅沼稲次郎を選出。3.28日、三井鉱山生産再開、第一組合と流血の激突。3.29日、三池闘争、第一組合員久保清が暴力団員に刺殺される。 |
ト書き |
この頃、三井三池闘争も熾烈さを増す。
|
島 |
この頃ブントが事務所を神田神保町に移りました。1階は香村正雄氏経営のリベラシオン社で、香村正雄氏の斡旋によりました。4.10日、党港地区委員会がブントに結集して来ました。常木ら労対グループのオルグ活動の成果でした。こうして次第に労働者グループ形成も進んで参りました。闘う者にのみやってくる僥倖だろうと手ごたえを感じましたね。 |
れんだいこ |
4.5-9日、日共の「第10回中総」が開かれ、「三井三池労働者の英雄的闘争の勝利のために全民主勢力の奮起を訴える」を採択。全国の党組織に三池闘争への取り組みを指示しております。
|
生田J |
この頃「三池の闘いは安保闘争を支え、安保闘争に包まれて三池の闘いは進む」といわれる事態がうまれつつあった。日共系も含め延べ数千の活動家が現地に派遣され、支援体制を執りました。 |
れんだいこ |
4.17日、日共主催で、日比谷野外音楽堂で「新安保条約批准阻止総決起大会」が開かれます。日共の60年安保闘争はこの時点から号令一下本格的に稼働したとみなすべきでせうね。総評・社会党・
全学連による運動の盛り上がりを見て参入したというのが史実であることを確認しておきたいと思います。
日共の取り組みの遅れは、それまでの党中央の方針と指導にあったと思われます。この時期の党中央の方針と指導は、安保闘争全体を民族闘争の枠に限定付けており、これを国内支配権力である日本独占資本との階級闘争との絡みで岸政府打倒をターゲットとするという政治闘争としての位置づけを避けていた風があます。
この結果、安保闘争を労働者のヘゲモニーのもとに政治的危機に盛り上げていくような基本方向が棚上げされ、綱領路線に基づく反米闘争的位置づけで安保破棄を掲げ、
しかも当面は安保破棄を直接の目標にせず、むしろ「民族民主革命」に向けた
「民族民主統一戦線」を形成させることを地道に目標とすべきだとしていました。
そういう位置づけからして、できるだけ広範な人民層の参加をうるためにという口実で統一戦線の基準を幅広主義で結集させ、闘争戦術も学生や青年労働者の全てを最低次元の統一行動に規制していこうとする整然たる行動方式を指針させます。つまり、安保闘争を何とかして通常のスケジュール闘争の枠内に治めようとしていた観があり、国会突入を視野に入れるブント的指導との両極端にあったというのが実際だと思います。
とはいえ、党がひとたび動き始めると行動力も果敢で、この時期より全国1700共闘組織の64%まで正式加入してたちまち指導権を強めていくことになりました。党は、中央段階ではオブザーバーでしたが、地方の共闘組織では社会党と並んで中心的位置を占め指導的役割を果たしていくことになった。しかし、日共の指導する統一戦線型の幅広行動主義によるカンパニア主義と整然デモ行動方式が、戦闘的な学生・青年・労働者の行動と次第に対立を激化させます。 |
島 |
日共式「国会請願デモ」に対して、我々は「お焼香デモ」・「葬式デモ」の痛罵を浴びせました。それは欺瞞以外の何ものでもないという認識でした。 |
れんだいこ |
統一戦線の基準を幅広主義で結集させる遣り方は、宮顕のペテン論理であり、結局何も出来ない方向へ薄められることしか結果しませんよね。 |
S |
4月からは全国の地域安保共闘組織を総動員して、波状的な「国会請願デモ」が開始された。 |
生田J |
この頃、清水幾太郎らの呼びかけがなされている。清水氏寄稿「世界5月号『今こそ国会へ-請願のすすめ』」は、次のように檄を飛ばしております。
概要「今こそ国会へ行こう。北は北海道から、南は九州から、手に一枚の請願書を携えた日本人の群が東京へ集まって、国会議事堂を幾重にも取り巻いたら、また、その行列が尽きることを知らなかったら、そこに、何ものにも抗し得ない政治的実力が生まれてくる。それは新安保条約の批准を阻止し、日本の議会政治を政道に立ち戻らせるで有ろう」。 |
|
S |
4.15日、安保改定阻止第15次統一行動。全学連約1500名が地下鉄議事堂前駅から請願デモに移ったが、機動隊に阻まれ、特許庁下まで押し返されている。 |
れんだいこ |
4.16日、革共同全国委は、ブントの学生組織の社学同に対抗する形で自前の学生組織として「マルクス主義学生同盟(マル学同)」を組織し、機関紙「スパルタクス」を発刊しました。この発足当時5百余の同盟員だったと云われています。マル学同は、民青同を「右翼的」とし、ブントを「左翼空論主義的傾向」、「街頭極左主義」として批判しつつ学生を中心に組織を拡大していきましたね。
|
S |
4.19日、南朝鮮ソウルで、「李承晩政府打倒」を要求する人民蜂起が起こっている。戦いの火蓋を切ったのは学生たちであったが、蜂起は燎原の火のように全土に広がった。
4.20日、全学連反主流派13自治会が声明を出し、全学連中執の単独国会デモ闘争を非難し、国民会議・青年学生共闘会議の下に行動するよう呼びかけ、組織的な対抗を行った。
|
ト書き |
4.20日、東大教授ら353名、安保反対の声明。 |