S |
全学連第17回大会の帰趨を見て、京都府学連=関西ブントが主力となって残存系のブント活動家が、社学同の再建を目指して活動を始めた。7.11日、社学同東京都委員会再建。8.11日、東大.早大.明大.中央大の活動家が「社学同東京委員会」を再建した。この時、社学同全国準備委員会名で機関誌「希望」を創刊し、社学同再建のアピールを行い、マル学同を批判している。次のように述べている。
「従って、学生運動の自立性を否定し、学生運動を既成のイズムの工作の対象.客体としてのみみなすものは、学生運動にとって、絞殺者であり、敵である」。 |
京都府学連=関西ブントがこの動きの主力となった。8月、東大.早大.明大.中央大の活動家が「社学同東京委員会」を再建した。 |
れんだいこ |
「社学同再建のアピール」の見地こそ本来真っ当なものであったのではないでせうか。れんだいこは、この見地が生かされなかったことが実に惜しいと考えております。 |
ト書き |
8.31日、ソ連は58年から停止していた核実験を再開した。平和擁護運動は混乱に陥った。それまでソ連を平和の砦としていた日本の左翼内にあった傾向からして大いに当惑させられることとなった。 |
S |
日共はソ連核実験の支持声明を出した。革共同関西派は対応が割れた。革共同全国委=マル学同は「反帝反スタ」の立場から精力的に抗議運動を展開していくこととなった。 |
**氏 |
9.4−5日、マル学同は、全学連27中委を開き、ソ連核実験反対闘争の方針を決議した。この時の革共同全国委の動きが、「日本の反スターリン主義運動」の中で次のように総括されている。
「1961年秋のソ連核実験再開に直面させられて完全に混乱の渦中にたたきこまれ、何らかの反対運動をも展開することができずに自己破産を義黒した原水協並びに社共両党の、この腐敗を公然と暴き出し弾劾し、のりこえつつ推進されたわが全学連の『米.ソ核実験反対』の反対闘争は、1962年の春のアメリカ太平洋実験に対する激烈な反対闘争として受け継がれ、そして日本原水協の完全な無活動的腐敗や第8回原水爆禁止大会における社共両党の衝突の茶番性を大衆行動をもって暴露したことなどを通じて、同時に国際的な反戦統一行動を生み出しながら、今や確固とした地歩を築き上げた。さらにそれは、闘う労働者自身による反戦闘争の行動化を促す触媒としても働きつつある」。 |
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れんだいこ |
この頃、春日(庄)派の「青学革新会議」が結成されております。 |
**氏 |
我々はブントの中からしか見ていなかったが、結構めまぐるしいんだな。 |
れんだいこ |
ですね。9.29日、春日(庄)ら構造改革派の青年学生組織として青年学生運動革新会議(青学革新会議)を結成した(10.6日ともある)。「共産主義的青年学生同盟の結成を目指して」という宣言を発表した。全自連グループのうち早大・教育大・神戸大・立命館大・法政大・東大などで呼応した。第8回党大会における綱領問題と官僚指導に反対し、離党・除名された民青同盟内の党綱領反対派の活動家と、全自連中央の活動家を中心としていた。
その背景にあったものは、宮顕式の不当な干渉によって民青同を共産主義的青年同盟に発展させる可能性がなくなったという認識に基づいて、マルクス・レーニン主義の原則に立脚する青年同盟の創設の課題を提起していた。次のように述べております。
「日本共産党は、宮本、袴田ら派閥官僚主義者によって党規約を蹂躙し、一方的に党大会を強行して、新綱領、政治報告、規約改正を強行した。その結果、共産党は新綱領を民青同盟に強制し、同盟の規約を無視してまで、党綱領に反対する同盟員を同盟組織から排除した。また青年が自主的に決定した民青の六大会.七大会の路線を、党綱領によって修正することを企図し、同盟の掲げた青年の要求の運動化、全国化の方針をぶちこわし、同盟を党の方針をシュプレヒコールする自動装置にかえてしまった。同盟は完全に党機関の従属物にかえられている」。 |
青学革新会議の特徴は、この時期党が指導していた新たな全学連の創出を画策するのではなく、ねばり強く学生運動の統一を目指していたことにあった。但し、この方針はマル学同の独善的排他性に対する認識の甘さを示しており、遂に叶えられることのない道のりとなった。青学革新会議は、この経過をさし当たりブント急進主義派と社青同との統一戦線を志向しつつ活動していくこととなった。
なお、青学革新会議は、「層としての学生運動論」を採用しており、この時期一層右派的な方向に変質させられつつあった民青同に比較すれば幾分かは左派的な立場にあったといえる。ソ連核実験再開への態度の違いも見られた。なお、このグループもまたこの後春日らの統一社会主義同盟と内藤派に分裂する。青学革新会議もこの動きに連動し、春日派は翌62.5月、社会主義学生戦線(フロント/東大教養、神戸大等)、内藤派の系統として63.8月、日本共産青年同盟(共青/教育大等)へと続く。 |
ト書き |
10.7日、マル学同系、社学同系二つの都学連大会開催。 |
れんだいこ |
10.7−9日、前年の日本共産党第8回党大会前後の経過で「反党分子」として除名され集団離党することとなった春日(庄)ら離党組は、社会主義革新運動(社革)の創立総会を開いた。議長春日(庄)・副議長山田六左衛門.事務局長内藤知周。社会主義革命と構造改革論、「平和.中立.完全独立」を指針化していた。
この時の春日(庄)は次のように述べています。
「私は新しい党を作ろうとは考えていない思わない。運動の目標は、党をマルクス.レーニン主義の立場にたって新しい基盤の上に再建することにある。そのため党外に出て独自の共産主義者の組織をつくっていこうと考えている。その組織は、新しい革命路線と民主主義的ルールの組織原則を持つ集団である。結論的に言えばそれは党派である。しかし党を名乗り党派的に代々木と争うことはしない」。 |
「私は新しい党を作ろうとは考えていない思わない」、「党を名乗り党派的に代々木と争うことはしない」という日共に対する未練、ひ弱さでは闘えない。その後を暗示していますよね。 |
S |
10.15 −16日、全学連28中委では、「反帝・反スタ」路線を全面に押しだし、社学同残留派をブント残党派と言いなし、これら諸派を右翼分裂主義者と決めつけ、これと絶縁、一掃するすることを宣言した。
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れんだいこ |
これに対し、反マル学同三派連合が形成されることになります。 |
S |
社学同残留派は、社青同派、構造改革派とともに12月に反マル学同の三派連合を形成した。この年の秋の自治会選挙では、マル学同系・三派連合・民青同で激しく争われたが、マル学同系・三派連合が勢力を一定伸張させた。 |
れんだいこ |
この頃、島さんが漸くブント再建に乗り出しておりますね。 |
S |
10.24日、「その数日前に共産主義者同盟書記局、島成郎他の連盟で一通の召集状が届けられ、私達は九段にある雄飛寮の集会室に集まった」(福地茂樹証言)。ブントの再結集を目指した秘密会議であった。島、常木、森田がおり、対馬(忠)と吉本が講演した、とある。
席上、島さんが次のように述べたと伝えられている。
概要「(旧書記局の統一見解であるとして)ブントを再建する」。 |
「この1年半の分派活動の首謀者達は、みな小者ばかりでトレランスに欠ける。その理論に至ってはチマチマして中小企業のオヤジの床屋談義よりも程度が低いくらいだ」。 |
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れんだいこ |
この動きがどうなったのでせうか。 |
S |
その数日後、島氏の声掛かりで福地氏はジャズ喫茶で落ち合い、バーに席を移した。福地茂樹が次のように証言している。
「島は開口一番、お前の云うとおりブントの再建はあきらめた。森田と常木もこれに同意した、というのだった」。 |
「その後の話し合いで、社学同の再建を依頼され、それがSect6の立ち上げに繋がった」。 |
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れんだいこ |
つまり、島氏はどういう事情に拠ってかブント再建をあきらめ、ブント分裂より一年有後、島氏の意向を受けた「Sect6」が登場してきた、ということですね。 |
**氏 |
「Sect6」に参集したのは、福地、中村(光)、古賀(泉)、山崎(修)、河野(靖)、中村(佳)、佐藤(粂)らで、高井戸の都営住宅の島夫妻の居宅に集った、と伝えられている。
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S |
9.8日、社会主義学生同盟(社学同)、政暴法、ソ・米核実験反対集会、デモ。100参加。10.26日、都学連(社学同)政暴法粉砕闘争。10.31日、社会主義学生同盟(社学同)が、政暴法、ソ・米核実験反対集会、デモ。11月、社学同事務局派が東京社学同大会開催。
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12.5日、社学同再建準備会(社学同全国事務局派)が全国結成大会を目前にして、機関誌「SECT No.6」を創刊。「SECT(セクト)bU」(社学同全国事務局)という名の機関紙でアピール「僕たちの宣言」を出した。 |
れんだいこ |
これ以後「セクト」という言葉が使われだすことになったようですね。 |
S |
Sect6は、全学連第17回大会に対して、次のように批判している。
「一党派の全きセクト的利益の貫徹の場に転化し、大会そのものは『反帝反スタ』前衛党創造の為にそのような党的(党派的!)立場に立って、学生運動を一切利用しつくせ、という公然たる赤色労働組合主義の一掃の徹底化に他ならなかった」。 |
この時の「僕たちの宣言」を要約する。
「安保闘争を経験した僕たちは、旧社学同・共産主義者同盟の一切の残滓に訣別する、これが教訓であったのだ。革命の旧意識よ!前衛主義よ!レーニン主義者たちよさらば!」。 |
「旧式用語と前時代的革命意識の日本共産党と、歌と踊りの民青派からかって訣別した僕たちは、さらに明言する。 春日のごとき構造改良・トリアッチ主義者の自己分解は現在急激にすすんでいる。諸君!さらに分解せよ。全学連の名を標榜する戦前左翼の亡霊、旧社学同の誤りの縮小再生産者たち、マル同くたばれ!」。 |
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れんだいこ |
そしていよいよ社学同が再建されます。 |
S |
12.15日、社学同全国事務局派、社会主義学生同盟は、社学同全国支部代表者会議を開催。来る3月下旬に結成大会を持つことを決定し、全国事務局がその任を負うことが決定された。「ロシア・アメリカ核実験反対!政暴法反対!日韓会談と海外派兵・徴兵制反対!憲法改悪反対!」などのスローガンで活動が開始された。 |
**氏 |
しかし、「外部と僕たち自身の間で緊密なコミュニケーションが未だ保てない状態」で、「特に新聞・機関紙の発行、その他の事務を集中するための事務所の設立の計画については、総額一五万円ほどの資金を必要としますのでその一部をその一部を負担していただきたく」とあるからしてその状態が推して知れる。 |
れんだいこ |
この間ブント解体は無慈悲に進行し、全学連第18回大会が開かれ、マル学同からブント色が一掃されます。 |
S |
12月、マル学同指導部が全学連第18回大会を召集した。この大会で、唐牛.北小路ら安保闘争のリーダーが中執から引退し、委員長に根本仁(旧ブント系、その後革マル派の最高幹部になる。土門肇がペンネーム)、書記長に小野田襄二らが選出された。米ソ核実験反対の運動を徹底して進める方針を決めた。
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**氏 |
結局、水と油は馴染まなかったことになる。 |