松岡農相「自殺?」事件考その1

 (最新見直し2007.6.18日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 松岡農相変死事件に関しての政財官学報の五者機関ぐるみの隠蔽工作を糾弾せよ。れんだいこは、こういう事象を見逃さない。こういう不正をそのままにして新たな課題を見つけては正義の弁論を為し続ける者の不義を許さない。松岡農相変死事件は明らかに謀殺の臭いがする。今からでも遅くない、事件の真相を暴け。

 2007.6.18日 れんだいこ拝

 (れんだいこのショートメッセージ)
 極めて異例の「現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内自殺?事件」が発生した。これだけなら、れんだいこのアンテナは作動しないが、小泉前首相秘書官・飯島勲がいち早く現場に駆けつけ陣頭指揮したことで、れんだいこの堪忍袋の緒が切れた。「小泉衆議院議員の愛人小はん変死事件考」を彷彿とさせたからである。この時も、飯島が同じような役割を果たしたのではなかろうか、叉かよという思いが禁じえない。飯島が登場したことで、「人のうわさも75日」で済ませる訳にはいかなくなった。

(私論.私見)

 これは、どうも間違いの記述のようである。飯島が駆けつけたのは慶応病院であった、ということのようである。よって、上記文はこの線に沿って書き直さねばならない。が、書き直しようが無いので、ここで訂正する。

 2007.6.1日 れんだいこ拝啓


 飯島は、政界裏実力者として君臨し、政治家を巧妙に篭絡しては脛に瑕持つ凶状持ちにさせ、その後弱みをゆすっては政治利用する。云うことを聞かない場合は「強制殺人」に追い込み、あるいは事故死に見せかけての暗殺をも辞さない。彼から臭うのはこういう政治手法であり、ネオ・シオニストの教本通りのものである。このトンデモ御仁が日本政界上層部を仕切っている現実を糾弾せねばなるまい。

 れんだいこの見立てるところ、現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内自殺?事件」は現在時点で、自殺か変死つまり暗殺か予断を許さない。ネオ・シオニズムに飼い慣らされている政党及びメディアはいち早く自殺報道し、この観点からそれぞれコメントしているが不謹慎と云うべきであろう。君たちの観点に拠り仮に自殺と断定したとしても、自殺にも任意自殺と強制自殺の二種類があるのは常識だ。松岡農相の死は仮に自殺であったとしても、限りなく強制自殺の臭いがするのではないのか。種々不審な点が認められるのではないのか。ならば、事件の全容の解明に向かうのが政治責任だろう。日頃、政治責任を口うるさく論い、松岡農相にもこの論法で迫っていたが、ならば今度は手前達が政治責任を果たすべきではないのか。

 以下、「自殺?」とする観点からこの事件の解明に向かう為、ここに急遽サイト化しておくことにする。追々判明する情報を咀嚼して書きつけていくことにする。

 2007.5.30日 れんだいこ拝


【松岡農相「自殺?」事件発生】

 2007.5.28日正午過ぎ、現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内自殺?事件」が発生した。事件直前までのこの日の松岡利勝農水相(62歳)の様子は伝えられていない。松岡農相は、「午前10時頃、秘書と話した」ことが証言されている。その後、東京都港区赤坂にある議員会館内の議員宿舎の1102号室の自室に入った模様である。後に判明するが、飯島が、「松岡氏が死亡した日の午前中に、松岡氏の携帯電話をコールしたが応答がなかった」と自ら証言している。「飯島の電話コール」は何の為のものなのだろうか。

 松岡農相は、この日の午後1時40分からの参院決算委員会で「緑資源機構」の官製談合事件について答弁する予定だった。他の予定も入っており、正午頃宿舎を出るはずが出て来ないため不審に思った秘書がノックしたところ応答が無い。部屋には鍵がかかっていたので、午後零時18分頃、合鍵を使って警護の警察官(SP)と共に部屋に入ったところ、松岡農相がリビングのドアのちょうつがいに、布でできた犬の散歩用ひものようなものを掛け、立った状態で首をつっているのが発見された。部屋の中には首吊りの際に使用したと思われる脚立があったと伝えられている。

 午後零時29分頃119番通報した。この時点では心肺停止状態で意識不明の重体とされいるが真相は不明とすべきだろう。この時点までは「遺書は見つかっていない」とされていた。この現場へいち早く駆けつけてきたのが、小泉前首相秘書官・飯島勲である。彼の指揮と思われるが、慶応大学病院(東京都新宿区)へ搬送されることになり、救急隊が手配された。

(私論.私見)

 ここも訂正せねばならない。

 2007.6.1日 れんだいこ拝
 同42分、救急隊員が到着し、心肺停止を確認した。現場に立ち会った救急隊員の「CPAシート」が漏洩されているが、それによると次のように記されている。
 概要「本日12時20分、議員会館で、SP、議員会館の施設長、エトセトラの3人に、 首を吊り、足が浮いた状態で発見された。救急隊員側が呼ばれたのが12時29分、現場到着が12時42分。救急隊現場到着。患者をおろすまでそのままの状態であった」。

 これにより、SPは救命措置を施していないことが判明する。この時の状況につき、コラムニストの勝谷誠彦氏は、6.3日のMBSラジオ「勝谷誠彦の志ジャーナル」で週刊新潮の記事を引用し、「松岡農水相は首を吊った状態でSPらに発見された」、「SPらはそのままの状態で20分間放置した」、「確実に死ぬまで放置したのではないか」、「不審な状況なのに警察に通報しなかった」などと発言している。( 「松岡前農相自殺 松岡農相は、首を吊った状態で20分間放置されていた」(http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180969177)、「勝谷誠彦の志ジャーナル」参照)

 警察官が到着した際にはひもは外されていた。救急隊による搬送中、ストレッチャー上で顔と体に掛けられた白い布の上から心臓マッサージが続けられた様子が報道されている。

 午後2時、慶応病院で死亡が確認された。警視庁赤坂署が管轄し、死因を窒息死と発表した。 これが事件の概要である。

 松岡氏の遺体は司法解剖せぬまま、慶大病院に駆けつけた遺族に引き渡され、午後7時すぎ、霊きゅう車で病院を出て仮通夜が行われた東京・新宿区内の斎場に入った。遺体は29日、地元熊本に運ばれ、30日正午から熊本県阿蘇市内牧166の浄信寺で行われる。喪主は初美(はつみ)夫人。

【現職大臣の「自殺?」は戦後史上初】
 戦後憲法下での自民党現職衆議院議員の自殺者は、中川一郎(1983.1月、元農水大臣)、新井将敬(1998.2月)、永岡洋治(2005.8月)に続くものであり、中川一郎の首つり「自殺?」事件を髣髴とさせるが、現役大臣の「自殺?」は珍しい。というか、戦後政治史上前例の無い現職閣僚の「自殺?」となった。

 「戦後の現職国会議員の自殺」は次の通り。
氏名 政党 自殺?日  自殺?の様子
阿南惟幾陸相 1945.8.15  陸軍出身の阿南惟幾陸相がポツダム宣言受諾に反対して割腹。
中川一郎元農相 自民党 1983.1.9  札幌市のホテルで首吊り自殺?。前年末の自民党総裁選で敗れたことによる心労が原因とされている。
松本幸男衆議院議員 社会党 1983.1.28   体調不良を苦に首吊り自殺とされている。
名尾良孝参院議員 自民党 1991.5  体調を崩して議員宿舎から飛び降り自殺とされている。
新井将敬衆院議員 自民党 1998.2.19  日興証券の利益供与事件で逮捕許諾請求が提出された翌日、港区内のホテルで首吊り自殺?。
永岡洋治衆院議員 自民党 2005.8.1  郵政民営化法案で賛成票を投じたことを悩んで首吊り自殺とされている。
松岡利勝農相 自民党 2007.5.28  議員宿舎で首吊り自殺?。

【松岡農相訴追包囲網考】
 この間、松岡農相は、事務所経費の申告に於ける異常な光熱費計上が問題とされ、野党の厳しい追及を受けていた。松岡新世紀政経懇話会は、家賃や光熱費、水道代がかからない議員会館に事務所を置きながら過去5年間、毎年2400万円以上の事務所費を、さらに01〜05年には総額約2880万円の光熱水費を計上していた。政治資金規正法違反(虚偽記載)に当たるのではないかとの批判に晒され、野党は厳しく追及し始めた。松岡農相は、「ナントカ還元水の購入費」と釈明し居直ったところが却って火に油を注いだ格好となった。

 しかし、安部首相は、政権への影響もあったと思われるが、松岡農相の更迭に踏み切らず、むしろ擁護し続けた。松岡農相も叉「所定の合法的申告」として居直り続け、膠着状態に入り始めた。この状況に於いて新たに緑資源機構事件が沸き起こっていた。松岡農相が、緑資源機構の発注事業に絡んで、受注企業より落札と引き換えに政治献金を受けていたという構図であり、談合事件として検察の捜査が始まっていた。地元企業とのつながりを発端にした捜査は、特捜部が2002年に摘発した鈴木宗男衆院議員の事件と共通し、事実、松岡農相は、「九州のムネオ」と呼ばれていた。

 検察が、逮捕前の聞き取り調査が為されていたと思われるが定かではない。いずれにせよ、陰に陽の「松岡スケープゴート」は開始されていた。これが事件前の状況であった。

【究明せねばならないことその1、自殺かどうか検証せよ。15の疑問がある】
 松岡農相はいち早く自殺と断定され、各党も、この観点でコメントしている。数多くの遺書が残されているのが決め手とされているようであるが、現場にはなお次のような不審さが残っている。これを検証せずんば自殺と断定するのは早いのではなかろうか。
 松岡農相と直前まで会っていたことが確認されるのは誰なのか。「直前までSPの人と話しをしていたらしい」とあるが、現役大臣の「自殺?」事件であり、「らしい」では済むまい。詳細をはっきりさせよ。「らしい」で済ませるとしたら、甚だしい議会制民主主義政治の横死であろう。
 松岡農相は、10時以降2時間も議員宿舎にこもっていたことになるが、分刻みと云われる政治家の、ましてや現役大臣のスケジュールに、秘書及びSPを欠いた2時間の空白時間が有り得たのか。当日午後の予定も含めて判明させよ。

 先に松岡農相の地元秘書が「自殺?」しており、何やらきな臭くなっている。それを思えば、松岡農相の身辺警護は一層厳重に為されている筈である。「2時間の空白時間」なぞ有り得ることだろうか。不可解と云うほか無い。SPの責任も問われるわな。それにしてはコメントが出ないのも不思議だ。
 パジャマ姿だったと伝えられている。松岡氏は、昼日中に何ゆえパジャマに着替えたのか。「自殺?」するにも背広姿の方が体裁が良かろうに。その理由を詮索せねばならない。なお、午前の執務中に着用していた背広はどこに行ったのか、ひょっとしたら血糊が着いていて取り替えられた可能性もある。よって、背広の行方を追わなければなるまい。肝心の事が発表されていないではないか。
 リビングにあるドア上部の金具から、犬の散歩用の紐(リード)で首を吊っていたと伝えられている。リードをなぜ持っていたのか。誰がいつどこで入手したものなのか、古いものなのか新しいものなのか、これらを捜査せねばならない。
 ドア上部の金具にかけての自殺は為しえるのか。金具は、体重負荷に耐えられるのか。それにしても窮屈ではないかな。これらのことも疑問である。
 部屋の中には首吊りの際に使用したと思われる脚立があったと伝えられている。部屋に不似合いな脚立は、誰がいつどこで入手したものなのか、元々有ったものなのか、古いものなのか新しいものなのか、これらを捜査せねばならない。
 事件現場へ、飯島元小泉首相秘書官がいち早く駆けつけている。飯島が一番手で駆けつけられたのはなぜなのか。後から駆けつけた他の人間は中へ入れたのか。飯島は部屋の中で何をしたのか明らかにせよ。
(私論.私見)

 ここも訂正せねばならない。

 2007.6.1日 れんだいこ拝
 警察は、現場状況について、秘書、警護警察官、飯島に対し、調書を採ったのか。飯島の挙動を確認したのか。もし採られていないとすれば、余りにも不自然ではないのか。
(私論.私見)

 ここも、飯島につき訂正せねばならない。

 2007.6.1日 れんだいこ拝
 慶応大学病院(東京都新宿区)へ搬送されたが、何故近くの虎ノ門病院でなくわざわざ慶応病院に運ばれたのか。
10  誰が担当医師となったのか。彼は、運ばれてきた時の状態所見と如何なる治療を施したのかにつき説明せねばならない。どういう訳か、担当医師が登場していないではないか。
11  遺体は司法解剖(検死)されることもなく遺族の元に引き渡され荼毘に付された。仮に変死事件の可能性も考え検死するのが、こういう場合の対応ではないのか。仮に、体内に薬物反応が出る可能性は無かったのか。荼毘に付されると、全ては闇に葬られることになろう。
12  後に遺書の存在が報道され、自殺と断定される有力な物証となった。それほど重要な遺書であれば、数と宛先と内容と封書が当人筆跡のものなのか、何時ごろ書かれたものと推定されるのか精緻に検証されねばならない。
13  事件に先行して、松岡農相の地元有力秘書も首吊り自殺をしている。こちらの「自殺?」との関係はどうなのか。
14  緑資源機構の官製談合問題も含めて、検察はなぜ執拗に松岡農相の訴追に向かったのか。
15  安倍首相は、これら数々の疑惑ないしは未解明に対し事件の徹底検証を要請していない。むしろ幕引きを図っている形跡がある。手前が入閣させた閣僚の死に対して余りにも非情、おかしなことではないのか。
(私論.私見)

 事件の数日前に「29歳ネイリスト変死事件」が発生し、こちらの場合はマスコミは自殺か他殺かを廻って、現場の様子、遺体の損傷箇所等々精緻に検証している。それに比べて松岡農相の死を廻る同様検証はまるで為されていない。おかしなことではないか。

 2007.6.5日 れんだいこ拝

【自殺の決め手遺書を検証せよ】

 黒のボールペンで書かれた便箋遺書8通が茶封筒に入って遺されていたとも、「親展」と書かれ、リビングのテーブルの上に整然と並んでいたとも報道されている。ならば、事件発生当初「遺書は見つかっていない」とされていたのはなぜなのか。この訂正は何を意味するのか。

 封書6通のあて名は、1・安倍晋三首相、2・縁せき関係にある島根県選出の景山俊太郎参院議員、3・小林芳雄・農水事務次官、4・青山豊久農相秘書官と警護官(本名)、5・小泉純一郎前首相の前秘書官の飯島勲、6・事務所の事務担当者(本名)である。他に、「国民の皆様 後援会の皆様」と題された農水省のA4判の便せんに横書きで記された遺書と、発見者のために便せんに書かれた宛先不明のものが遺されていた。しかし、不自然なことにと云うべきか、妻、子供に対するものは無かった。

 次のように報道されている。安倍晋三首相は29日夜、自殺した松岡利勝前農水相が首相あてに残した遺書について、内容の一部を記者団に明らかにし、「大変短いものだった」、「松岡氏の大変無念な気持ちが伝わってきた」と述べた。判明するのは次のくだりのみである。「安倍晋三殿」となっているとのことである。

 「ありがとうございます。日本の農政は、この道を行けば必ず発展していく」。

(私論.私見)

 これが正確な文面なのかどうかは分からないが、おかしな文章だ。いずれにせよ、時の首相宛のものが、走り書き程度のものであったことになる。


 飯島は、29日夕方6時のフジテレビ系列のスーパーニュース番組に出演し、安藤優子アナとのインタビューに応じる形で、飯島秘書官様」と宛書された封書を見せながら、遺書の中身は開示できないと明言し、筆跡については「慌てて書いたようだ」との趣旨の発言をした。
(私論.私見)

 文面不開示なので分からないが、安倍首相宛と同様に走り書き程度のものであったことが窺える。

 「国民の皆様 後援会の皆様」は次の通り。
 私自身の不明、不徳の為(ため)、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫(わ)び申し上げます。自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。なにとぞお許し下さいませ。残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。安倍総理 日本国万歳 平成19年5月28日 松岡利勝
(私論.私見)

 この文章も要領を得ない。自殺するほどの事態を前にすれば本来、何らかの釈明と責任を理路整然と書き付けるのではないのか。「残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます」を裏読みすれば、松岡が残された者たちの生活が保障されることを望み、誰かがそれを引き受けたとの合意が為されていることが婉曲的に吐露されているのではなかろうか。あるいは、この遺書作成者の意思表明かも知れぬ。

 宛先不明で、発見者のために書かれたとみられるものは次の通り。(正確な原文は報道されていない)

 家族への手紙は、女房が分かるところにありますので、ぜひ探さないで下さい。女房が来るまでは、どこにも触れないでください。

(私論.私見)

 意味ありげな不自然な文章である。

 いずれにせよ、正確な文面と筆跡と書き込み時刻、封書の様式、筆、色その他が精査されねばならない。

【究明せねばならないことその2、飯島の挙動を詮索せよ】
 飯島は、自殺当日、慶応病院にいち早く駆けつけている。飯島の履歴については、「飯島秘書考」で考察している。松岡農相は、飯島にわざわざ遺書を遺しているが、どういう関係なのか。

 ここに興味深い新聞記事がある。2006.9.27日、松岡氏の地元紙「熊本日日新聞」が「安倍内閣発足 松岡氏待望の初入閣」という見出しで次のように報じている。
 午後3時、松岡事務所に、安倍首相から電話が入った。松岡氏は『たった今、連絡を受けた。安倍内閣の一員として国民のために頑張りたい』と神妙な表情。小泉首相の飯島勲秘書官に早速、連絡し、『秘書官のおかげ。本当にありがとうございます』と頭を下げた。

 つまり、待望の初入閣に飯島の口利きがあり、松岡にとって飯島は以降ますます頭の上がらない存在であったという事になる。松岡は、小泉内閣時代、郵政政局で主流派に転じた。首相官邸に定期便と揶揄されるほど頻繁に訪れていたことが知られている。こういう事情で、「遺書を残すほど2人が密接だったことは間違いない」ということになる。

 しかし、それにしても、飯島が「自殺?」の現場にいち早く登場したことには裏がありそうである。飯島は、松岡農相の「強制自殺」を知っていたのではないのか。異変をキャッチして心配して慌てて現場へ現れたのではなく、公表されては困る証拠が残されていないか確認する為と後始末のために、あらかじめ予見していたかのごとく用意周到に登場したのではないのか。こう読み取るほうが自然であろう。

 阿修羅政治版35」のwhite氏の2007.5.30日付け投稿「飯島勲秘書官がテレビに出演し、遺書について語った! 」が、「らくちんランプ」氏の同題名文を転載している。これを重複転載しておく。

 □飯島勲秘書官がテレビに出演し、遺書について語った! [らくちんランプ]

 http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/archives/5680375.html

 飯島勲秘書官がテレビに出演し、遺書について語った!

 飯島勲前小泉首相秘書官が、今日の夕方6時のスーパーニュースというフジテレビ系列の番組に出演し、安藤優子アナとのインタビューに応じる形で、松岡農相が飯島氏宛に書いた遺書の「封書」を示しました。 飯島氏は安藤アナの質問に答える形で、遺書の中身は開示できないと明言し、筆跡については「慌てて書いたようだ」との趣旨の発言をしました。そして、「松岡氏が死亡した日の午前中に、松岡氏の携帯電話をコールしたが応答がなかった。」と発言しました。そして、松岡氏の死は、夏の参議院選挙には影響はないと、明確に言い放ちました。

 さて、なぜ松岡氏が死亡して2日しか経過していない今日、飯島氏はテレビに出演する必要があったのでしょうか?
 それは、松岡氏と自分(飯島)は、普段から連絡を取り合っている親しい関係であるので、松岡氏が自分(飯島)宛に遺書を書いたとしても、特段疑う必要がないとの印象を国民に植え付けるため。

 松岡氏が死亡していた議員宿舎内で発見された遺書は、全て松岡氏自筆の本物であり、筆跡鑑定を行う必要はないとの印象を国民に植え付けるため。大新聞やテレビ各局に対して、松岡氏の死亡原因を詮索したり、遺書に疑問を抱く内容の報道をするな!これは小泉=アメリカの意思だ!というメッセージ送るため。そして最大の眼目は、緑資源機構の案件を担当している東京地検特捜部の検事達に対して、夏の参議院選挙が終わるまでは、青木幹雄自民党参議院議員会長周辺には近付くな!というサインを送ることだったと思います。

 ペテン師小泉純一郎内閣時代の郵政政局前に、亀井グループに属していた松岡氏は、平沼・亀井らによる倒閣運動に当初は参加していましたが、自民党内での勢力争いが、小泉側が有利と見るや、さっさと平沼・亀井らに見切りを付けて、小泉に取り入ってもらうために飯島秘書官に接近し、飯島氏に何度も嘆願するようになり、ようやく小泉との面談を果たした時には、完全に小泉(飯島)に懐柔され、今後自分が政界での確固たる地位を築くために、小泉の親衛隊隊長として働く決意を固めたのだと思います。

 旧友の鈴木宗男氏が、小泉の道路公団民営化に刃向かった為に、政界から引きずり下ろされている姿を見ているだけに、小泉への忠誠心は人一倍強かったと思います。そして安倍内閣の組閣の際に、小泉(飯島)は安倍内閣を操る道具として、金に纏わる噂が絶えない松岡氏を、ただ一人だけ閣僚として推薦したのです。農林水産省大臣に就任した松岡は、安倍内閣の国務大臣としての職責を必至にこなしたのはもちろんですが、安倍晋三の動向は飯島(小泉)へ逐一報告していたようです。
 
 安倍内閣発足直後から、安倍内閣の国会運営は、小泉(飯島)の思惑通りに展開し、松岡農相の「事務所費問題」がクローズアップされるようになったのも、後ろで手を引いたのは小泉(飯島)であり、野党から政治と金の問題でどんなに追及されても、安倍が頑として松岡農相を罷免しなかったのは、安倍の意思ではなく、小泉(飯島)の意思だったのではないでしょうか。もちろんその目的は、安倍内閣をある程度弱体化させ、小泉(飯島)院政を維持するためです。

 という訳で、今日飯島秘書官がテレビに出演して「遺書」について語ったのは、現内閣の実質的な支配者は小泉純一郎であり、いざという時には小泉純一郎が再登板する用意は調っている事を、自民党の支持率低下で不安がっている自民党支持者(党員・財界・官僚)に知らしめる事が、最大の眼目だったのではないでしょうか。


【究明せねばならないことその3、松岡叩きの背後にあった事情を詮索せよ】

 松岡農相がかくも執拗に追い込まれたのは何ゆえか、これを詮索せねばならない。はっきりしていることは、米国産牛肉を初めとする農業分野の一層の市場開放を求めるネオ・シオニズムの要請があり、これの内通派と松岡農相派が一定程度対立していたことである。他にも種々裏と闇があるものと思われる。松岡農相をめぐって、水面下で小泉・飯島一派と安倍一派が、激しい攻防を繰り返していた様子も漏れ伝わっている。

 「文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』へようこそ!!」の「何故、スキンヘッド飯島は、テレビ出演し松岡遺書を振りかざしたのか?」その他を参照し、れんだいこが松岡のこの間の政治履歴を要約すれば次のようになる。

 松岡は、小泉政権の郵政政局で、元々は亀井派(現・伊吹派)に属し、当初は平沼・亀井らによる抵抗運動に参加していた。だが、旧友の鈴木宗男が使い捨てにされ、自民党内での勢力争いが小泉側に有利と見るや、平沼・亀井らに見切りを付けて小泉を操る飯島秘書官に接近した。飯島は松岡を篭絡し、松岡は小泉の親衛隊隊長として働くことで政治的立身出世を託する身となった。

 しかし、「裏切り者」として取り入った松岡に待ち受けるのは汚れ役であった。その論功行賞で、念願かなって農相という大臣ポストを得た。しかし、松岡農相は、安部政権の動向を逐一報告させられる役目を負わされ、農政ではネオ・シオニストの御用聞きを引き受けさせられた。念願の大臣ポストを手に入れたものの裏切りの代償はあまりにも過酷であり、元々民族派的政治信条を持つ松岡には鬱屈した日々が続く身となった。

 松岡農相は、米国産牛肉問題、その他農政問題でネオ・シオニストの御用聞きを大胆に押し進めるよう迫られていた。松岡は服従しつつ抵抗した。その優柔不断さに鉄槌が見舞われるかのごとく、「事務所費問題」が取り上げ始められた。野党による松岡農相政治訴追運動は、この流れの中で読み取らねば真相が見えてこない。

 「何とか還元水購入」の言い訳による逃げ切りも、松岡の発案ではなく黒幕飯島の指示による可能性がある。「鈴木宗男衆院議員証言」の「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」が、これを物語っている。野党から政治と金の問題でどんなに追及しても、安倍が頑として松岡農相を罷免しなかったのは、小泉−安倍の共同意思であり、安部のみの判断では為しえない。我々は、安倍に院政を敷く小泉(飯島)の最高指示を見て取るべきだろう。

 こうして、松岡農相は、辞めるに辞められない役目を引き受けさせられ、矢面を浴びる立場に立たされ続けた。その矢先、「月刊日本」創刊10年記念パーティーでの松岡農相の立ち居振る舞いが、飯島を激怒させた。松岡農相は、亀井静香、鈴木宗男等と親しく膝を交え、盛んに「自分は亀井先生の子分だ!!!」と、亀井へのラブ・コールを繰り返した。よしんばリップサービスでも、「親分を裏切って地獄へ突き落とし、その功績で大臣ポストを得た」汚点を自己批判したことには変わりない。あるいは真実密かに「自責の念」を持ちはじめていたのかも知れない。

 この状況で、緑資源談合事件問題が発生している(これについては考察を省く)。
 
 こうした事情の中で、松岡農相は「政治的絞殺」されたのであり、その手段も「金または女にまつわるスキャンダルで政敵を失脚させる常套手法」で失脚させられたことになる。

【地元秘書の突然変死考】
 2007.5.18日、松岡大臣の地元後援会の元幹部・内野幸博氏が自宅で、首を吊った状態で発見された。自殺として処理された。

【突然の帰省、墓参り考】
 「松岡大臣「本当は謝罪したかった」? それを止めた人間はだれか [J-CASTニュース]」は、自殺直前の松岡氏の足跡として、自殺の2日前の5.26日、突然熊本県の実家に帰省、父母の墓参りをしていたことを伝えている。朝日新聞によると、その後、熊本市の料亭で開かれた地元選出県議の歓送迎会で、荒木詔之・元県議会議長に対して「私も荒木先生のようにスパッと辞められたらなあ」とこぼしたという。

【鈴木宗男衆院議員証言】
 鈴木宗男衆院議員は、ウェブサイトに掲載している日記「ムネオ日記 2007年5月28日」(http://www.muneo.gr.jp/html/page001.html)で、次のように述べている。
 議員会館から羽田に向かっている最中、私の携帯に新聞社の方から「松岡大臣が自殺を図った」と第一報が入る。ビックリして松岡大臣の議員会館に電話し、赤松秘書官に確認すると、自殺を図ったのは事実との事。ただただ驚き、言葉を失った。

 閣僚になってから何かと狙われた感のある報道が目立ったが、特に「ナントカ還元水」以来、世間の目は厳しかった。最近の緑資源機構の談合事件も、所管官庁の長として責任を感じていたのか。農林水産省のまだ肩書のなかった役人時代からの、35年にわたる付き合いだったが、何ともあっけない永遠の別れである。奥様はじめ、ご家族に心から哀悼の意を表したい。

 今となっては24日夜、熊本の地元の人が出てきたので会食につきあって欲しいと早くから言われていた会合でゆっくり話したのが
最期さいごとなってしまった。その時私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。私はなお、「これからも何かにつけこの話は続くので、早く国民に正直に説明した方が良いと思うよ」と重ねて話すと、「そこまで言ってくれるのは鈴木先生だけです」と、にっこり微笑んでくれた事を想い出す。

(私論.私見)

 これによれば、松岡と鈴木は35年来の付き合いであり、最後の出会いは松岡の方から持ちかけたことが判明する。これは、ひしひしと感じる迫り来る危機に対して、松岡は懸命に「歴史証言」を遺したのではなかろうか。これを託したのが鈴木であり、両者の信頼の厚さを感じさせる。

 会談で、鈴木の「国民にお詫びしたらどうか」の示唆に対して、「今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と述べたとの貴重証言している。「上からの指示」とは、誰からの指示なのか。この御仁が黒幕ということになろう。


 「ムネオ日記 2007年5月29日」は次のように記している。
 熊本空港9時発で羽田へ。11時20分、松岡利勝さんの弔問。家内も一緒に行く。眠る様な松岡利勝さんのお顔であった。「松岡さん」と声をかけながら「身命をす決意があるなら、まだ生きる道があったのではないか」と考えると、ただただ涙が流れてくる。松岡さんだけが、松岡さんにしかわからない厳粛な事実を受け止めるしかない。

 お互い肩書もない頃からの36年の付き合いだった。昨年9月26日、官邸から呼び込みの電話が入った時、私は松岡さんの議員会館の部屋にいた。あの時、すくっと立ち上がって「鈴木先生、お陰様で大臣になれます。本当にありがとうございました」と私の手を両手で握ったあの感触が今でも残っている。

 奥様、息子様に御挨拶しながら、秘書の皆さんにも
ねぎらいの言葉をかける。28日、松岡大臣と最後に話した秘書さんから「車の中ではよく鈴木先生のお話をされていました。『鈴木先生の意志、精神力は強い。俺は鈴木先生の真似は出来ない』と言っていました」と聞かされ、松岡さんの無念さが伝わってきた。松岡さんとの事でテレビ4社、新聞6社の取材が入り、これだけで一日が終わってしまった。

 「ムネオ日記 2007年5月30日」は次のように記している。
 5月28日のムネオ日記で、24日の松岡さんとの会食の席での松岡さんの話を載せた。今一度、28日ムネオ日記のその部分を乗せたい。

 私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。

 この松岡さんの話に対し、自民党の中川幹事長は記者会見で「国対に確認したがそういう事実は一切ない」といっている(毎日新聞5面)。しかし私はこうお聞きしたい。こうした問題が出た時、答弁のすりあわせや確認を、自民党の国会対策委員会はしていないのですか。「ぶれてはいけない。言った以上それで押し通せ」と指導していないのですか、と。松岡さんが国対の職員に相談したことも私は確認している。何も改まって幹事長が事を荒立てる話ではない。事実を正直に言っているだけである。あの時、松岡さんと私の他に3人の人がおり、私は念には念を入れて表現している。

 安倍首相は「政府で方針を決めるという事は勿論ない。鈴木議員がどういう意図でそういう事をおっしゃっているのか私はわかりません」と述べたという(朝日新聞1面)。私は松岡さんとの長い付き合いの中で、今となってはこれが松岡さんの最後の言葉となり、松岡さんの遺言を、胸の内を、国民に知らせるのが松岡さんへの供養になると思って書いたのだ。これが私の意図である。そして私は更に言いたい。「人は死ぬ前にウソはつかない」という事を。

Re:れんだいこのカンテラ時評297 れんだいこ 2007/05/31
 【「現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内死亡事件」考】

 2007.5.28日正午過ぎ、「現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内死亡事件」が発生した。事件発生後三日目になるが、この辺りでこの事件に対するれんだいこ見解を述べておく。

 流布されている情報から判明することは、「松岡農相の無念の死というより愚かな死」である。松岡は、大臣のイスを手に入れるためになりふり構わず、去る日、時の小泉政権の陰の実力者飯島にすりより、その後押しで後継安部政権の発足時に農相ポストを手に入れた。が結果的に、引き換えに生命を失った。つまり、大臣イスと生命を引き換えたことになる。

 ぼろ雑巾の如く使い捨てにされた挙句、その死は現役大臣のそれとしては不似合いな虫けら同然に扱われた。「現役大臣松岡農相の議員会館内死亡事件」は、ネオ・シオニストに身も心も委ねた者の哀れな末路を物語っていよう。こう感覚しないとしたら、随分萎えていることを知るべきだろう。

 もう一つ指摘しておかなければならぬことは、各野党、各メディアが官邸発表に対し揃いも揃って何の疑念も表明せぬまま「松岡農相の自殺」を受け入れた上で、色とりどりのコメントを披瀝していることである。この連中は、その昔の田中角栄政界追放以来「覚えさせられた政界浄化運動」が殊のほかお気に入りのようで、病膏肓に陥っている感がある。

 はっきり云っておくが、田中角栄の政界追放運動は無論こたびの松岡農相訴追運動にも裏と闇がある。それを承知で正義ぶった訴追運動し続ける者は、それが右からであれ左からであれ、裏と闇の走狗でしかなかろう。政治運動は万事、それの作用と効果をも弁えねばならず、これも政治責任の一つだろう。これに無自覚なままの「覚えさせられた政界浄化運動」を繰り返すのは既に犯罪的な面がある。

 こたびの事件に対する政治見識として示すべき事は、現役大臣の「自殺?」に対し正当な調査を要求することである。徹底現場検証を要求し、報告させることである。仮に、野党の党首ないしは幹部の「自殺?」が発生した場合を考えればよい。「任意自殺」が判明するまで徹底捜査を要求するべきであろうが。ひょっとして、この場合でも、相も変わらず警察発表を鵜呑みにするのだろうか。

 ましてやこたびの事件には、安倍院政を敷く飯島が、単に黒幕としているだけでならまだしも、「自殺?」現場にいち早く顔を出し、堂々と現場指揮しているのだ。これは特殊れんだいこ感覚かも知れないが、「小泉衆議院議員の愛人小はん変死事件」の際の手際と酷似していることに気づかされる。

 あの時も、部屋のドアのふちに着物の細い帯がかけてあり、これにより首吊り自殺と断定された。遺書は存在せず、走り書きの「つかれました。ごめんなさい」という紙片が残されていた。検死で自殺と判断されたため司法解剖をしていない。やはり、秘書官飯島がやってきて采配している。こうなるともはや、飯島を国会喚問せよ。警察の捜査調書を開示させよ。こう主張すべきが常識だろう。

 しかしいけない、我らが野党は、こうした疑惑解明には向かわず、こぞって「更なる政界浄化運動」へ向けてボルテージを上げるばかりである。ならば最後に問おう。政界浄化運動が、ネオ・シオニスト派に向けられることは稀なのはどういう訳か。松岡は元をただせば内治派である。変節して猟官運動この場合は大臣ポスト運動に走った訳であるが、要するにそういう転向派出自だからして容易にスケープゴートにされたのではないのか。戦後政治史上、岸、松野、中曽根、小泉といったお歴々のワルがお縄についたことはないではないか。

 せめてこういうことを考えなければ、松岡農相の死は報われまい。

 松岡農相「自殺?」事件考
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/abeseikenco/matuokazikenco.htm

 2007.5.31日 れんだいこ拝
Re:れんだいこのカンテラ時評297 れんだいこ 2007/06/01 20:54
  【「現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内死亡事件」考の重大な訂正】

 れんだいこはカンテラ時評297投稿で、飯島が「自殺?」現場へいち早く駆けつけてきたと書いたが、勘違いのようで、慶応病院へいち早く駆けつけたというのが実際らしい。飯島の挙動不審そのものは消えないが、これはかなり重要な箇所の間違いなので、伏して謝罪申し上げる。特段指摘された訳ではないが、更に考察中に判明した。どこにも「飯島が現場へ居た」という情報はないのに想定してしまった。

 とすると、飯島が慶応病院で何らかの政治的動きをしたのかどうか、例えば司法解剖せず指令とか、死因に対して意見を挟むとかしたのかしなかったのかという事になる。しかし、ここら辺りは推測で書くには重大すぎるので控えたい。繰り返して伏してお詫び申し上げる。「飯島が現場へ居た」という情報はないところを居たかのように推定して種々書き込みした部分について撤回させていただく。全体が駄文になってしまった。申し訳ない。以降このような書き込みのないよう自重自戒につとめたい。

 2007.6.1日 れんだいこ拝
Re:れんだいこのカンテラ時評297 れんだいこ 2007/06/02 09:42
 【「現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内死亡事件」事実確認】

 昨日訂正したが、一夜考えてやはり疑問が残った。れんだいこが 「飯島が現場へ居た」なる情報は、テレビ実況から得たのではなかったか。ならば間違いなかろう。しかし、れんだいこは、朝の出かけ前ならともかく昼のテレビを見ることは滅多にない。今となってはこれを確かめるすべが無い。どなたかご確認してくだされば有り難い。

 ところで、れんだいこには早くも疑問が生まれつつある。松岡農相自殺事件を論うブログは多いが、キーパーソンの飯島の挙動に目をつけているのは殆ど無い。おかしなことであろう。

 2007.6.1日 れんだいこ拝
Re:れんだいこのカンテラ時評297 れんだいこ 2007/06/05
 【「現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内死亡事件」事実確認】

「飯島が現場へ居たのか慶応病院に居た」のかが分からなくなっていたが、記憶を辿ってみた。れんだいこが滅多に見ない「昼のテレビ」をどうやって見たのかが解せなかったのだが、ようやく判明した。あの日、れんだいこは、知人と昼食を共にし、その時のテレビで事件の発生が知らされ、暫く釘付けになった。丁度救急隊が松岡農相を搬送しているところで、この時確かレポーターが飯島が現場に来ていると伝えていたのではなかったか。

 それが聞き違いかもしれない。なぜなら、2チャンネル速報版で、飯島がいち早く慶応病院へ来たとの報を発しているからである。誰がこれを伝えたのか分からないが、飯島がいち早く現場へ来ていたのと病院へ来たのでは価値に雲泥の差がある。してみれば、「飯島がいち早く慶応病院へ来たとの報」は意図的なミスリードの可能性さえあろう。

 れんだいこにはこれを確かめるすべが無い。報道関係者なら造作ないことだろう。どなたか真偽判定頼む。れんだいこは少々気がかりで落ち着けない。もう一つの気がかりは、週刊誌の事件報道姿勢が変調な事である。飯島の事件発生時の挙動不審を採り上げているものがない。妙にへっぴり腰を感じさせる。過日、言論の自由、表現の自由で一席ぶった文芸春秋に期待するしかないか、注目しておこう。

 2007.6.5日 れんだいこ拝

【緑資源談合事件の「陰のドン」も自殺?】

 2007.5.29日午前5時15分頃、独立行政法人「緑資源機構」の前身に当たる森林開発公団の元理事で「陰のドン」と云われている山崎進一氏(76歳)が、横浜市青葉区青葉台のマンション駐車場で転落死しているのが見つかった。山崎氏はパジャマ姿の素足で転落死しており、頭から出血していた。居住しているのは5階であったが、6階の階段に靴が揃えられていた。遺書は見つかっていない。神奈川県警は自殺とみて調べている。

 山崎氏は、同機構の官製談合事件で東京地検特捜部の家宅捜索を受けていた。業界団体「特定森林地域協議会」(特森協)=解散=の副会長も務め、政界への窓口役とされていた。山崎氏は「受注調整など興味がなかった。自分はやっていない」と強く主張しており、自殺の動機は認められない。


 松岡農相変死事件は、地元秘書の首吊り、松岡農相の首吊り、山崎元理事転落死という3名の犠牲者を出して、真相が闇に葬られようとしていることになる。


Re:れんだいこのカンテラ時評298 れんだいこ 2007/06/02
 【飯島を国会証人喚問せよ】

 「現役大臣松岡農相の議員会館宿舎内自殺?事件」に言及しておく。その第一点は、事件が種々不可解な点を残しているにも拘らず、司直の捜査の手は萎縮しているのではなかろうか。現場検証、関係者事情聴取、リード、脚立、遺言書等々の証拠物の吟味や入手経路等々の捜査は進んでいるのだろうか。

 現役の閣僚の「自殺?」は、格別の捜査でもって、それがどういう事由により引き起こされ、どういう風に死亡したのか徹底的に解明されてしかるべきではなかろうか。参院選に対する影響を論うのは興味本位であり、そういう風に茶化してはいけないそれ以前の次元の違う為すべき肝要事として認識し徹底捜査すべきではなかろうか。

 その第二点は、飯島元小泉首相秘書官が登場していることに鑑み、彼が何をしたのか、その挙動の一部始終を明るみにさせねばならない。彼は自ら、「松岡氏が死亡した日の午前中に、松岡氏の携帯電話をコールしたが応答がなかった」と証言している。この話が実際かどうか、つまり電話したのか、繋がらなかったのかどうか裏づけを取るべきであろう。誰から飯島に連絡が入ったのか、慶応病院へいち早く駆けつけ何をしたのか、しなかったのか解明せねばならない。

 飯島宛の手紙は今どうなっているのだろうか。司直は直筆かどうかも含め、いつごろ書かれたものか、その内容についても厳正捜査しているのだろうか。私信ゆえに公開せずは通るまい。

 れんだいこは思うに、与野党はこぞってキーパーソンの飯島元小泉首相秘書官秘書を国会へ証人喚問せよ。「飯島工作」の全貌を明らかにさせよ。彼が、死因特定、司法解剖せずの判断に関与している可能性が強い。これが事実かどうか、事実としたら法に抵触していないかどうか判断せねばならない。

 その第三点は、れんだいこの情報不足かも知れないが、こたびの事件を担当した医師団の所見が見当たらない不自然さを感じる。誰が担当したのかさえ分からない。担当医師は今からでも司法解剖せずの判断の根拠を示さねばなるまい。

 以上の三点は普通に湧く疑問である。この疑問に誠実に対応しない与野党よ、汝らは揃いもそろってなぜ、事件の徹底捜査と飯島証人喚問の声を上げないのか。松岡農相自殺説に何の疑問も湧かさず当初から受け入れているのはなぜか。

 週刊誌がどのように事件を採り上げているのかにも興味がある。本来なら、不審男飯島をターゲットとした記事が出てもよさそうだが、これまでのところ何やら避けている風がある。この裏には何があるのか。決して偶然では有るまい。日頃、言論の自由を説教しているからには、ここで男ぶりを見せてみぃ。

 れんだいこは、様々のブログに目を通してみたが、飯島に疑惑の眼を向けるそれは案外少ない。むしろ目を向けさせないようあらぬ方向へ引っ張ろうとするそれが多い。れんだいこは、公然登場し傍若無人に振舞った飯島の挙動不審を見過ごすべきではないと考える。徹底追及せねばならないと考える。

 2007.6.2日 れんだいこ拝
 週刊誌大手の「週間ポスト6.15日号」は、「松岡は皇太子殿下と同席するな」を掲載しているが、題名の通り事件の不審に照準を合わせていない。飯島につき僅かに言及している程度であり、それも事件前の会食を問題にしているに過ぎない。もう一つの大手「週刊現代6.16日号」は、何と該当記事なしという珍現象である。こったらことが許されて良いだろうか。週刊現代編集長の責任が問われて然るべきではないか。

 それにしても、採り上げても愛人問題などあらぬ方向でのそれであり、総じて採り上げないことも含めて採り上げ方が不審である。これが偶然である訳が無かろう。飯島派のマスコミ強権支配の実態を知るべしであろう。

 2007.6.5日 れんだいこ拝

【「共同通信編集委員・柿崎明二氏の興味深い指摘」考】
 2007.6.3日付け共同通信編集委員・柿崎明二氏の評論「農相の死に思う 政治家に生き抜く責任」は、本人の意思とは別に興味深い内容となっている。これを論評しておく。

 柿崎氏は、松岡農相自殺説の立場から、概要「政治家には、どんなに過酷で悲惨な状況に置かれても、決して自殺はしてはならず、生き抜かなければならない責任がある」と主張している。そう述べた後、松岡氏が、2006.6月、議員立法で成立した自殺対策基本法の政府諮問会議「自殺総合対策会議」のメンバーであったことを知らせている。その上で、概要「そのメンバーが自ら死を選び、周りが防げなかったのでは、取り組みは説得力を持たず、むなしいものとなるだろう」と述べている。

 以下、「負けないで」で知られる人気ポップスグループZARDのボーカル坂井泉水の2007.5.28日の転落死にも触れ、次のように結んでいる。
 「自殺者を減少させることこそが、社会的な影響力を持つ政治家の責任であると思う。あってはならない閣僚の自殺という事態を招いてしまった安部政権に課せられた大きな責務でもある」。

 れんだいこは逆に、政府の自殺防止審議会メーンバーでもあった松岡氏が本当に自殺したのかいなぁと疑問を湧かしたい。よしんば真性自殺だったとしても、任意自殺ではなく強制自殺だったと認識することで、政府の自殺防止審議会メーンバーでもあった松岡氏を追い込んだ政治圧力をこそ解明したい。

 しかしいけない。もう既に人の口の端に上らなくなりつつある。こうやって重大事件までもが風化させられていく。

 2007.6.3日 れんだいこ拝

【日共赤旗の自殺報道考】
 日共は、事件翌日の2007.5.29日、「松岡農水相が自殺 『政治とカネ』疑惑の中」と題して次のようなコメントを掲載している。これを転載しておく。

 松岡利勝農水相(62)が二十八日正午すぎ、東京都港区赤坂の議員宿舎の部屋で、首をつっているのが見つかりました。心肺停止状態で慶応大学病院(東京都新宿区)へ搬送されましたが、午後二時に死亡が確認されました。警視庁赤坂署は自殺とみて、詳しい状況を調べています。松岡氏は、政治資金問題で野党から追及を受けていました。


 安倍首相は記者団から死亡の理由を問われ、「きょうの段階では何とも言えない」と語りました。

 調べによると、秘書が同日正午すぎ、警護員とともに、部屋に入ったところ、松岡氏は、リビングのドアのちょうつがいに、布でできた犬の散歩用ひものようなものを掛け、立った状態で首をつっていました。

 松岡氏は、議員会館事務所の光熱水費をめぐる政治資金収支報告書への不透明な記載の問題で、野党や国民世論から「虚偽記載の疑いが強い」と批判を浴びていました。また、緑資源機構の官製談合事件でも疑惑が指摘されていました。

 松岡農水相は、熊本県出身で一九六九年農水省入省。林野庁広報官で退官し、九○年に熊本1区(当時)から出馬し、衆院議員に初当選し、自民党副幹事長や農水副大臣などを歴任。二○○五年に六期連続当選を果たし、○六年九月に農水相として初入閣しました。

(私論.私見)

 日共のこのコメントの問題性は次のことにある。その1、自殺と見なして報道している。その2、飯島の挙動不審に対するのーコメント。

 2006.6.5日 れんだいこ拝


【日共赤旗の自殺報道考】
 2007.5.30日、日共は機関紙赤旗で、「農水相自殺 首相に厳しい目 けじめつけなかったツケ “盟友切れず”」と題して次のような記事を掲載している。これを転載しておく。

 「(安倍晋三首相は)党内の忠告にも逆らいながら、彼(松岡利勝前農水相)は法的責任を果たしていると主張してきた」(英BBC電子版)

 議員会館事務所の光熱水費や緑資源機構の官製談合事件などで疑惑がかけられていた松岡前農水相の自殺は、海外でも「安倍晋三首相に新たな打撃」(米ニューヨーク・タイムズ紙二十九日付)などと波紋を呼んでいます。自らの政権維持のために松岡氏をかばい続け、疑惑隠しをしてきた安倍首相の責任を問う声は、内外から起きています。

 二十九日付の全国紙社説は、「松岡氏を閣僚に起用し、疑惑を追及されても擁護してきた安倍晋三首相の責任も小さくない」(「産経」)「悲劇的な結末に至ったのは、首相が政治とカネの問題に対する国民の不信や怒りを軽視し、けじめをつけてこなかったツケとはいえないか」(「毎日」)。

 自民党内でも、津島派の笹川尭元科学技術政策担当相が「首相は任命責任をたたかれるのは嫌かもしれないが、辞めさせてやらなかった責任の方が大きい」(二十八日)と発言しています。

 「問題はあれだけの疑惑が彼に出てきたにもかかわらず、なぜ安倍首相がかばい続けたのかということ。松岡農水相は安倍首相にとって右翼運動の盟友だったんです」と指摘するのは、子どもと教科書全国ネット21事務局長の俵義文さん。

 松岡前農水相が、日本会議国会議員懇談会の幹事、教科書攻撃の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(のちの教科書議連)の副代表など「右翼的議連に最も多く入っている一人だった」と指摘し、次のようにのべます。

 「安倍首相は、こういう議員たちに押し上げられて総理になったわけです。松岡農水相を切れば、盟友、同志を冷たく扱うことになるし、総理にしてもらった恩をあだで返すことになる。だからどうしても切れなかった。それがあだをなしたと思います」

(私論.私見)

 日共のこのコメントの問題性は次のことにある。安倍との関わりを穿っているが、飯島との関わりについて意図的に報じていない。「奥の院」で、飯島派と現下の日共党中央が通じている気配があることが更に証されたと云うべきか。

 2006.6.5日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評299 れんだいこ 2007/06/05
【飯島を国会証人喚問せよその2】

 れんだいこは、松岡農相の自殺?事件をそれなりに整理してみた。気づくことは、どうみても飯島の挙動が不審であるということである。次に、その飯島の挙動が隠蔽されようされようとしていることである。世の自称インテリ、ジャーナリストの多くが、この問題を論じようとしていない。この問題に比べれば、どうでも良いことをさもらしく語って糊塗しようとしている。

 自殺の決め手は遺書複数通にある訳だから、それを鑑定にふさねばなるまいに、されているのだろうか。飯島は、テレビの前で見せた遺書の封書に書かれた宛名を公開している。松岡の直筆かどうか精査せねばなるまいに。安倍首相宛の文言も短かったと云う。死を覚悟した松岡は、それほど稚拙な文言しか残せなかったことになるが、解せない。

 疑えばきりが無くなる。パジャマ姿と云うのがどうも不自然だ。ならば、当日午前中のそれまでに来ていた背広はどこにあったのた。部屋にあったのかないのか、行方不明なのかはっきりさせねばならない。勘ぐるに、背広には抵抗の後があり、出すに出せないのではないのか。

 救急隊の要請のまでの時間も到着までの時間も慶応病院への搬送も、妙に間延びしている。最新情報として、救急隊が駆けつけるまで、松岡農相は首吊りした格好のまま放置されていたという。SPは一体何をしていたのだろう。空白の2時間をつくったことも含めて彼を登場させ証言させねばならない。

 その他その他疑い出したらきりが無い。安倍首相は、支持率なぞに一喜一憂しないと日頃述べている。ならば、現役閣僚の戦後初の自殺?死に対して、徹底捜査を指示するのが政治責任だろう。これを云わない野党もどうかしている。いち早く自殺追認の日共赤旗記事も犯罪的だ。遺言書が唯一の決め手の自殺断定というのは変だろうが。

 それにしても、れんだいこの耳と意識に残っているのは、現場に飯島が居て、遺書を発見云々のレポーター報告である。あれは聞き間違いだったのだろうか。れんだいこが見たのは搬送ではなく搬入で、その慶応病院には既に飯島が到着していたと云う情報だったのだろうか。そうなると、遺書を発見したのは誰か、確か飯島ではなかったかとか疑問が消えない。

 これは難しいことではない。事実を確認すればよいだけのことである。つい先日のことである。どなたか特に現場記者諸氏よ、この疑問を解いてくれないか。このところ寝つきが悪いのだわ。

 松岡農相「自殺?」事件考
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/abeseikenco/matuokazikenco.htm

 2007.6.5日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評301 れんだいこ 2007/06/07
 【松岡自殺?事件報道に見せるマスコミの奇怪】

 れんだいこは、「松岡自殺?事件」に「宮顕の党中央委員小畑査問致死事件」、「ロッキード事件」同様の胡散臭さを感じ取っており、情報収集の為にマスコミ記事に期待していたところ、驚くことにこの種のことに飛びつくはずの週刊現代が記事にさえしていなかった。週刊現代よ、大相撲の八百長問題には精力的なようだが、現役大臣の「自殺?」を取り上げない法はなかろうに。編集長よ、弁明してみよ。週刊ポストは取り上げていたが、「自殺?現場」の状況についての突込みをしていない。その他数多くの週刊誌も、れんだいこが目を通してみた限りに於いてではあるが、「松岡自殺?事件の怪」に触れたものはただ一つ無い。記事はなべて自殺を前提にしての補強情報ばかりである。

 新聞各社は、れんだいこの知る限りではあるが、ただの一社も、松岡農相の死を変死扱いするものはなく、なべて自殺事件として論評している。各政党も然りである。これっておかしくないか。新聞各社論説委員よ、政党声明者よ、事件の自殺処理に何の疑問も湧かさず、自殺報道した論拠を聞かせてくれ。ちなみに、警察発表はどのように出されているのだろうか、それさえ分からない。

 こたびの事件で、小泉前首相秘書官・飯島が妙な形で登場している。れんだいこは、事件実況中継の際にレポーターから飯島が「自殺?現場」に居たと聞いたと記憶するが、その後の報道では画一的に慶応病院へいち早く駆けつけたとされている。れんだいこには確かめようが無いので、れんだいこの聞き違いだったのかどうか明らかにして貰いたい。どちらにしても「飯島工作」が為されたことは疑いないが、前者と後者では重みが違う。そういう意味で確認したいところである。

 もとへ。マスコミの「松岡自殺?事件」に対する自殺認定報道は早過ぎるのではないのか。目下は、自殺か他殺か分からない変死として報ずるべきではないのか。更に事件現場報道の及び腰が歴然としている。これは俗に云う報道管制、報道規制が敷かれていることを物語っているのではないのか。これも叉「飯島工作」の為せる技なのではないのか。

 れんだいこにはこの疑念が持ち上がり止まない。あたかも白昼夢を見せられた気がしてしまう。今や数万人は居よう司法関係者からの声が上がらないのも解せない。彼らは日頃この種の事件の真相解明の専門家ではないのか。誰も疑問を沸かさないようなら余りにも結構な頭脳である。

 野党もええ加減にせんかい。一人気を吐いているのは鈴木宗男である。事件への直接の言及はしていないが、松岡が辞任するもしないも自分の意思だけでは決められないと述べたことを証言している。この間矢面に立たされ続け、こたびの「自殺?」で臭いものに蓋されてしまった。今となっては、「何とか還元水」として計上された経費の行方を追っても空しい。空しくないのは、自殺?現場の徹底検証である。

 野党各党はこれまで松岡農相を根限り追い詰めておきながら、「自殺?」したとなると、何の疑問も湧かさず自殺で済ますのかよ。政治責任上、自殺か他殺か調べるのが筋だろう。現場は結構不自然なのではないのか。何度も繰り返すが、飯島がオカシイのだ。「飯島工作」の全貌を明るみにさせるのが、松岡農相自殺?に対する政治責任となっているのではないのか。この道理が通じないまま何を正義面して云ってもダメ、参院選に勝とうが負けようが全てはお遊びのゲームでしかない。

 こういう時こそ真のジャーナルが欲しいわな。れんだいこ党は目下ただ一人この事件の真相究明を求めて闘っていくことを宣言する。御意の士よ、我が党に列なれ。

 2007.6.7日 れんだいこ拝

【第4インターかけはし派の見解考】
 第4インターかけはし派は、松岡農相自殺?事件に対し、「松岡農水相の自殺と安倍政権の危機」(松原雄二)と題する次のような見解を表明している。これに逐条コメントしておく。
        かけはし2007.6.11号
 利権・腐敗体質と新自由主義的政策決定の狭間で苦悶する保守政治
 窮地に陥った松岡の死

 五月二十八日、松岡農水相が都内の一等地にあり家賃が安過ぎると話題となってきた赤坂の議員宿舎の十一階で自殺をした。

(私論.私見)

 この党派も自殺見解に立っていることが判明する。

 当初、松岡農水相は五月二十七日の午後は、東京競馬場で開かれる第七十四回日本ダービーに出席するスケジュールになっていた。この日本ダービーには皇太子と安倍首相が出席することになっており、「競馬」を管轄する農水省のトップとして同席するはずであった。しかし松岡は突然このスケジュールのキャンセルを農水省の事務方に伝え、自分の選挙区であり、実家のある熊本県に帰り、後援会の会合に参加し、実家で母親に会い、墓参りをして東京に戻っている。
(私論.私見)

 選挙区の熊本に帰ったのは事実であるが、墓参りはしていないと云う秘書証言報道も為されているぞ。墓参り説は自殺派の誘導かも知れないとは考えないのか君たちは。
 松岡のとったこの行動をみれば、明らかに「死」を決意したものであることは歴然としている。多くのマスコミは、アンケート調査で「内閣支持率」が大幅に下がったことが影響していると書いているが、彼を「死」に追い込んだ大きな理由は、一連の「なんとか還元水」を中心とする収支報告書偽装の「政治とカネ」問題であり、新たに緑資源機構をめぐる官製談合が発覚したことである。五月二十四日には機構の理事らが六人も逮捕され、地元の後援会幹部が自殺し、熊本県小国町の機構事務所や宮崎県の松岡に献金し続けてきた建設会社にも家宅捜索が入ったことが直接の契機であろう。
(私論.私見)

 地元の後援会幹部の変死も自殺かよ。手前達は、当局発表を疑うと云う精神が無いみたいだな。お利口な左派であることよ。
 松岡は機構の受注業者で作る特定森林地域協議会(特森協)から他の国会議員よりもはるかに多い政治献金を受けていただけではなく、熊本で緑資源機構が調査し、さらには水道と林道、田畑などの「開発」が一体で押し進められている「中山間事業」の建設利権にも深く関わっていたと考えるのが自然である。
(私論.私見)

 松岡がいろんなところから政治献金を受けていたのは事実のようだが、「他の国会議員よりもはるかに多い政治献金を受けていた」とまでは断定できない。どうやって推定しているんだ君たちは。
 松岡の死亡が発表されたあと東京地検の担当検事と安倍首相は声をそろえて「故人の名誉のため」に言うが、「松岡大臣に対する捜査はなかったし予定もしていなかった」と発言した。しかし、すでに捜査は及んでいたのである。松岡自身がそれを最も知っていたのであり、その結果一切の「黒い事実」に「ふた」をするために死を選んだのである。安倍は「戦後レジームからの脱却」を声高に叫ぶが、松岡の「死」こそ戦後自民党が体現した「利権」政治そのものであり、「死」という形でしか「政治とカネ」の問題を解決できないありようがその深さを現している。遠くは中川一郎、近くは新井将敬の自殺と「政治とカネ」の問題を死で解決するありようは戦後延々と続いている。時には「シッポ切り」という形で秘書が死ぬというのは数え切れない程である。
(私論.私見)

 「臭いものに蓋自殺」なる見解は商業新聞社説と全く同じ観点であるが、おかしいと思わないのか君は。中川一郎、新井将敬についても自殺説を披瀝しているが、けったいな観点だな。
 安倍内閣のアキレス腱
 
 安倍内閣の閣僚には成立直後から政治資金をめぐる疑惑問題が浮上した。住田行革改革担当大臣が収支報告書の不明金を明らかにできず辞任に追い込まれたのを初めとして、久間防衛相、甘利経済産業相、伊吹文科相と次々に名前があがった。また追及する側にいる民主党の角田参議院副議長も辞任を余儀なくされ、「額」の問題を除けば国会議員の多数がこの構造に「毒」されていることが明白になった。

 だが松岡の「政治とカネ」は突出していた。収支報告書に家賃や水道代、電気代がかからない議員会館に自分の資金管理団体の事務所を置きながら、数千万円もの事務所経費や水道代を計上し、三月の予算委員会で二十三回にもわたり「適切に報告している」と繰り返し、「疑惑」をはらすどころか野党の追及に「ナントカ還元水」なる「迷言」をはき「集中砲火」を浴び、柳沢厚労相の「女は子どもを産む機械」発言とともに安部政権のアキレス腱となった。

 松岡は閣僚に就任した日から「カネ」の問題が浮上し、就任当日にさっそくパーティー券百万円の収支報告書の訂正を行っている。そしてそれにからみ福岡市の資産運用会計の関連団体WBEFのNPO法人認証申請問題で秘書の「口利き」が発覚し、同時にWBEFからの「献金不記載」も明らかになった。

 「東の鈴木宗男、西の松岡利勝」の「政治とカネ」の問題は政界筋では「有名」であったという。〇三年と〇五年の二回の選挙では運動員が公職選挙法違反容疑で逮捕されたり、投票直後に行方をくらませたり、BSE問題では族議員を地で行くように畜産業者の在庫牛肉の買い上げを強く農水省にせまり、一方でだまし取った助成金を牛肉の「ハンナン」から政治献金として受け取っている。鈴木宗男の逮捕理由の一つであった製材会社「やまりん」でも同じように暗躍し、名前が出ていた。
(私論.私見)

 何とかノーコメントで聞いてしんぜよう。 
 マスコミはかつて同じように自殺した故中川一郎元農相の秘書を「鈴木とともにやり、カネ集めをおぼえた」という。たしかにその側面はあるにしろ、住田、伊吹、甘利という形で閣僚の名前が出てくるのは自民党の「体質」であり構造的な「腐敗」そのものである。作家の猪瀬直樹は「小泉政権以前の自民党が田中角栄、竹下登らに代表される業界ゆ着型の古い自民党だとすれば、その最後の人が逝ったといえる」と発言している。猪瀬は小泉政権で道路公団問題に関わったせいか、小泉以前が古く、それ以後を新しい自民党に分けたいようである。その分類でいくとなぜ安倍政権の閣僚の名前が次々と出てくるのか説明がつかない。ある学者の「圧倒的多数の二世議員が国会の中を『ばっこ』する時、学歴も選挙基盤もない者が『成り上がる』ためにカネ集めも多少『乱暴』にならざるをえないのが現在の政界である」とする説の方が説得力がある。
(私論.私見)

 結局何が言いたいんだ君は。ネオ・シオニズム・エピゴーネンの猪瀬を引き合いに出して何の意味があるんだ。

 「逃げ」は許されなかった

 松岡の農水大臣就任をマスコミは論功行賞人事と分析した。その根拠になっているのが、昨年まで「族議員」を代表していた松岡は小泉の郵政民営化で突然「賛成・支持派」にまわり亀井派を捨て、次には安倍政権の成立に奔走したという経過がそれである。他方そのマスコミの評価を意識してか、安倍はことあるごとに松岡の「能力」を強弁し続けた。「松岡さんは農林族議員として、日本農業保護の急先鋒だった。ところが、時代の変化を感じ取って、国際派にがらりと変ったんですよ。農民に力を持つ松岡さんだから国際化への動きを説得できる」。そして死後マスコミを通して聞こえてくるのは、安倍のこの発言は松岡が「やめたい」というのを封じるための官邸と国対が一体となった「芝居」説である。

 安倍は松岡の「政治とカネ」問題を「かばう」形を取りながら他の閣僚への波及を防ぎ、政権の延命と求心力の維持のために松岡をやめさせなかったのである。住田に続き、松岡、伊吹、甘利、久間と波及すれば政権は持たないと考え、松岡だけでなく柳沢厚労相の辞任を受けつけなかったのである。「外」では「かばい」、「内」では「受けつけない」、これはメダルの裏表である。

 安倍はこの内と外を使い分ける手法で「政治とカネ」にはふたをし、一方では教育基本法の改悪、改憲手続き法を遮二無二成立させるという形で右にかじを取り、他方で自民・公明の多数派体制を利用し、あらゆる法案の強行採決を行い「存在」をアピールしようとしたのである。政権の動揺と綻びがあらわになればなる程「右」と「強権」を安倍カラーとして使い政権を浮揚させる武器としたのである。これによって一時下がっていた支持率は上昇し始めた。

 だが、安倍が考えていた以上に松岡にとって「政治とカネ」の追及は重く、緑資源をめぐる官製談合問題は深く、その重さと深さが松岡を「死」へと追いつめたのである。松岡を「死」に追いやったことで、「かばう」という形を取りながら政権維持のために利用し、「逃げ道」を塞いだ安倍政権の本質が明らかとなった。さらに「五千万件にものぼる不明な年金記録問題」が発覚し、それに対するいい加減な対応が重なり一挙に安倍政権の支持率低下につながり、屋台骨をゆさぶり始めたのである。

(私論.私見)

 何とも陳腐な評論でしかない。

 今こそ追撃を組織しよう

 松岡の「死」の直接的要因と思われる林野行政の管制談合の舞台である緑資源機構は、前にも述べたように水道、林道、田畑などの「開発」のための調査・測量を行う林野庁の外郭団体である。林道などの調査・測量事業は年間約十億円の財政規模で他の公共事業と比較すると一見あまり大きくない。だがこの事業はその後の道路建設などの入り口に位置しているため、国交省・道路公団、さらにはゼネコンと密接に結びついている。「測量」の結果としてトンネル・橋梁の位置を変えるだけで千億円の単位が動くと言われる。松岡が関与したと言われている熊本県の「中山間事業」だけでも百五十四億円であり、阿蘇山に通じるスーパー林道になると工事費はゆうに一千億円を超える。つまり緑資源機構は「入り口は入り口」でも談合と汚職の「入り口」でもあり、緑資源機構をめぐる管制談合には戦後日本と「新自由主義時代」への転換期の政策決定の仕組み・システムの歪みが典型的に現れている。

 戦後の日本では、政治家・官僚・業界が「鉄の三角形」という形で利益を分け合う構造が成立していた。官僚が企業や外郭団体に天下り、族議員と手を結び、省の縦割り行政を利用し「利益」を受けるのである。決定権を持たない地方自治体はこれにぶら下がる。

 ここでの「戦後レジームからの脱却」は、「政策決定から族議員と官僚を排除する改革」となっているのだが、政策立案の中心がかつて「天下りの外郭団体」であったものが民間シンクタンクになるだけであり、「天下り」は省庁の縦割り組織から政府が今国会に提出している「公務員制度改革」によってできる「人材バンク」が一元的に管理するようになるに過ぎない。先日政府は成田国際空港会社の次期社長に現社長の黒田匡彦・元運輸事務次官の再任を拒否し、新たに住友商事出身者を起用することを決めたことをみると官邸のヘゲモニーを強化し、よりストレートに大資本と結びつこうとするものに他ならない。それは郵政民営化と同様、国が公共の資産を政策として資本に供する方式に他ならない。検察が緑資源問題を始めとして「談合・天下り・族議員」を必死になって摘発しようとしているのは、新自由主義的な市場競争の中に「公共」を投げ出すための場慣らしに他ならない。経団連が自民党への「政治献金」を復活させた理由もここにある。

 松岡の「死」が体現しているのは、自民党の「腐敗」した体質を一方で温存しながら、他方では「政策決定システム」だけを変更しようとする矛盾がつくり出した結果である。

 先日の安倍と小沢の党首討論で民主党の小沢は「死者にムチ打つわけにはいかない」と言い「政治とカネ」の問題には一切触れず、「年金問題」に切り縮めた。あまつさえ改憲、米軍再編という安倍政権が押し進める本質に対しては何ひとつも発言をしない。民主党にとってあくまでも「政治とカネ」は参院選のための道具でしかないのであり、自分に火の粉が降りかからない「年金問題」はさらに利用し易い道具なのである。

 こうして今国会の中から政治資金規正法も公務員制度改革法案も消えてしまったのである。民主党の議会主義的な馴れ合い政治をはねのけ、支持率が低下した今こそ安倍政権を追いつめ、改憲を阻止する大きな流れをつくり出そう。
松原雄二

(私論.私見)

 この党もネオ・シオニズムの回し者に違いない。事件の不可解と飯島の挙動に対する不審の目が無い。商業新聞、君たちの言葉ではブル新と何ら変わらない解説に終始している。コメントした意欲は買うが、恥を晒しただけだな。れんだいこは元々この党には何も期待していないが、改めてその思いを確認しただけのこととなった。第二日共的役割を果たしているんだなきっと。

 この事件の論評の核心はいち早く自殺説を追認することにあるのではなく、少なくとも変死と見立てて事件の真相解明を促すことにある。同時に名うてのネオ・シオニスト飯島の挙動不審を俎上に乗せ、飯島工作の全貌を明らかにすることにある。この見地から離れてあれこれ論評するのは左派ではない。ネオ・シオニストの狡知に手玉に取られているだけのことである。そういう左派運動はよしこにしたい。これが我が党の見解である。分かったか。

 2007.6.7日 れんだいこ拝

 これより後は、「松岡農相「自殺?」事件考その2





(私論.私見)