松岡農相「自殺?」事件考その2

 (最新見直し2007.6.26日)

 これより前は、「松岡農相「自殺?」事件考その1

 東京アウトローズWEB速報版」の2007.6.8日「【真相レポート】松岡利勝前農相、死亡時間は28日午前中か!?」を転載しておく。

 松岡前農相の自殺は、月が替わった今も永田町・霞ヶ関周辺に複雑な波紋を広げているが、本誌の取材で、松岡前農相の自殺した時間を意図的に遅らせたのではないか、との疑惑が浮上してきた。

 警視庁の公式発表によれば、松岡前農相は5月28日午後0時17分ごろ、赤坂の議員宿舎の自室で首をつり自殺しているのを発見され、同0時50分ごろ慶応病院に収容。そして、同2時ごろ死亡が確認されたことになっている。

 ところが、本誌が調べたところ複数の関係筋が、「実は、松岡氏はそれ以前に自殺をはかり死亡していた」と、いずれも匿名を条件に証言した。これらの関係筋の話を総合すると、松岡前農相は午前10時半ごろ自室で自殺をはかり、同11時半過ぎには死亡が確認されていたという。こうした自殺・死亡時間のズレについて、関係筋は次のように語っている。
 「松岡氏の自殺は官邸にとって予想外の出来事だった。善後策を協議しようにも官房長官、秘書官らがパニック状態で何ら具体的な指示を出せなかった。そのため、『とにかく時間を稼ごう』との意見から死亡時間が約2時間ズレた形になった」

 また、警視庁から官邸への連絡が何故か1時間ほど遅れたとの話もある。いずれにしても、今回の松岡前農相自殺への対応で、官邸の危機管理が如何にお粗末なものかがハッキリと露呈したことは間違いない。【文・水島哲】


Re:れんだいこのカンテラ時評302 れんだいこ 2007/06/10
 【松岡農相変死事件を風化させない、れんだいこの意地】

 松岡農相が変死で逝ってから2週間経った。この間の事件報道は異常に限られている。メディアの報道もその殆ど全てが、警視庁の自殺断定を何の疑いも無く採用し、自殺説に基づいた周辺情報ばかりである。これを変死とみなして、現場の不可解さに迫る検証記事は皆目見当たらない。恐らくこのまま推移するのだろう。

 れんだいこは、日本は法治主義の国ではないと又もや確認させられる羽目になった。法治主義の国であれば、被疑者の罪状が確定しない限り容疑者であっても犯罪人ではないように、変死事件の場合には現場検証と関係者事情聴取による整合的な見解が出されない限り、自殺とか他殺とかは容易には断定してはいけないと思う。しかるに、警視庁の第一次発表を盲信してか、政府も与党も野党もメディアも司法も何の疑いも無く警視庁発表に従っている。

 人民大衆が井戸端で居酒屋で「事件の不審」を口にしている時、この国の自称インテリたちは「松岡農相自殺説」に何の疑問も湧かさずやり過ごしている。学べば学ぶほど馬鹿になる格好見本を晒している。学問が有益とすれば、その学問を人より多く学んでなお馬鹿ということは、よほど元々がお粗末過ぎるのだろう。こういう手合いが、我が国の上層部を占めている。ということを改めて分からされた。

 れんだいこは、松岡がなぜパジャマ姿で逝ったのか、否逝かされたのかに執拗に拘りたい。事前の墓もうでや、首吊りひもや脚立や遺書など、自殺に見せかけるための小道具に過ぎない可能性がある。この小道具があるだけで自殺を盲信するような頭脳は相当にオツムが弱いと云わざるを得ない。人は覚悟の死を選択する際、ましてや現役の大臣ともなればそれなりの衣装で死ぬとしたもんだ。「パジャマ姿の松岡農相の首吊り死」という無様さに何の疑問も湧かさないとしたら、松岡はホンにかわいそう。

 ましてや、その筋では高名な飯島君が現場(それが病院だろうが)に居るとしたら、それだけでアンテナが作動すべきだろう。飯島の挙動に不審の目を光らせないとしたら、そういう頭脳の手合いは社会の指導的な地位に座すべきではない。目下の政局が何も分かっていないことになる。

 もう一つ考えられることは、今や我が社会が飯島萎縮症に陥っているということか。飯島がそれほどに絶大な独裁権力を握っているということか。彼及び彼を押し立てるネオ・シオニストが、あちこちに指令を飛ばしており、あらゆる業界がひれ伏しているということか。

 この仕組みを打破するためには、飯島を国会へ喚問し、「松岡農相変死事件」に関わる一切を証言させればよい、それだけのことである。それができない、したくない、させない卑怯腰抜けどもばかりが国会に巣食っているということになる。やれ社会保険庁、やれコムスン、やれ北朝鮮、やれ天下り、やれ参院選云々と日替わりメニューで遊んでいるだけのことではないか。

 この連中こそ税金の無駄遣いであり、松岡の何とか還元水の費用を訝るどころの話ではなかろう。この連中に費やしているん兆円を景気対策に使ったほうがなんぼか賢明だろうぜ。

 2007.6.10日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評303 れんだいこ 2007/06/12
 【松岡農相変死事件を風化させない、れんだいこの意地その2】

 事件後2週目になる今週の週刊現代に目を通してみたが、やはり松岡農相変死事件を記事にしていない。週刊現代はとうとう松岡農相変死事件に対し何一つ記事しない不名誉を飾ることになった。週刊ポストは、先週号で採り上げてはいたが周辺情報であり、今週号では記事にしていない。結局こちらも事件検証しないままに次の話題に転じたことになる。その他週刊誌、月刊誌も同様に、週刊現代の如く採り上げないか、週刊ポストの如くさほど意味の無い関連情報で糊塗するかどちらかの方法でごまかすことになるだろう。

 今や、松岡農相変死事件には報道管制が敷かれていることが露骨に判明する。飯島に手玉に取られていることが判明する。れんだいこは、松岡農相変死事件を各社各党一斉に自殺認定した挙句、事件を封殺せんとするこの動きを近代稀に見る「見識不祥事」と見る。この不祥事は後世語り継がれることになるだろう。これを工作した者、追随した者、不問にした者は応分の責任を負わされるべきである。

 松岡自殺?事件後直ちに概要「松岡農相が臭いものに蓋をして逝ってしまった」とする見解を打ち出したマスコミよ、君たちは子供騙しの言辞で幕引き宣言論評したが、その論評はジャーナル精神の貧困を如実に証している。「松岡農相が臭いものに蓋をして逝ってしまった」が、事件現場には数々の不可解があるとして事件の徹底究明をこそ迫るのが見識ある論評ではないのか。れんだいこの目には、臭いものに蓋をしているのはお主たちではないかと揶揄したい。

 何度も云うが、松岡農相が自殺しようと思えば首吊り以外にもいろんな方法がある。彼はなぜ首吊りを選んだのか、こう疑惑せねばならない。しかもなぜパジャマ姿なのか。そのパジャマは着慣れたものか新調のものか、誰がいつ購入したものか、パジャマに乱れとか血痕はなかったのかを明らかにさせせねばならない。当日午前10時頃まで着ていた背広はどこに行ったのか、部屋にあったのかなかったのかを明らかにさせねばならない。

 本来なら司法解剖すべきであるが、意図的にしないままに荼毘に付された。よって遺体の損傷は分からない。ならば、残された他の要素で解析せねばならない。遺書が自筆のものかどうか、最初の発見時の具体的な様子、既述したパジャマ、背広、首吊り用リード、脚立につきそれぞれを「5W1H」手法で検証せねばならない。れんだいこの見立てるところ、自殺と断定するには不自然さが際立っている。

 マスコミ各社は、最低限以上の確認を経て見解を出すべきだろう。事件後直ちに自殺認定したのはなぜなのか。その後この事件に対し共通して何も語らないのはなぜか。本来なら特集を組んでもよいのではないのか。各政党、議員然り。時の現役大臣変死事件に対しあっけらかん対応で済まして居れる精神の者に政治改革を語る資格はなかろう。手前達にとっては党派は違えども一応は議員仲間であろうが、その死に対してあまりに水臭いと云うか冷淡と云うか薄情であろう。

 れんだいこには、社会保険庁事件もコムスン事件も北朝鮮ボート侵入事件も、松岡農相変死事件を採り上げない為の故意の話題振りな気がしてならない。それらの事件追及で、野党がどんなに力んで政府批判をしようとも何がしかヤラセの田舎芝居の臭いがしてならない。

 このまま推移するなら、れんだいこは参院選を棄権しようと思う。こったら連中に政治をやらせてもろくなもんができやしないから。政治が馬鹿らしい。今からでも遅くない、心ある党派は、事件解明特別委員会の設置を掲げよ。なぜこれを云わないのか。れんだいこ党は、その党と議員に及ばずながらの支持と声援を惜しまない。

 2007.6.12日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評304 れんだいこ 2007/06/13
 【松岡農相変死事件を風化させない、れんだいこの意地その3】

 2007.5.28日、「松岡農相の議員宿舎変死事件」が発生した。この事件は、松岡農相の変死のみならず、これを報ずるべきメディアが緘口令を敷かれたと理解するしかない報道管制ぶりを見せつけ、二重の意味で変事となった。れんだいこは、「現代世界のマスコミ管制ぶり」を如実に知らされることになったが、これの古典的教本とも云うべき「シオンの議定書」での「言論機関、マスコミに関する記述」を確認したくなった。これについては、「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_giteisyoco.htm)で論及しているが、「松岡農相の議員宿舎変死事件」に絡む記述を要点整理してみることにする。

 「プロトコール2」で、ロスチャイルド派が、新聞を始めとするマスコミメディアの効用を見極め、血みどろの戦いで言論機関を掌握してきたことが明かされている。「プロトコール3」で、言論人の性格を「あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋」と評しつつ、これを上手に利用することの必要が語られている。

 「プロトコール7」で、新聞が「言論大砲」的役割を担うことが告げられている。「プロトコール9」で、ロスチャイルド派の世界支配政策に有利なように言論機関を手なずけ、新聞紙法等々の法律で縛り、「我々は新聞に鞍を置き馬勒を付け、しっかりと轡をはませる」とテクニックが披瀝されている。

 「プロトコール12」で、新聞その他出版物に関して、検閲、認可、罰金、発行禁止処分、保証金、免許取消制等々で規制することの必要が指示されている。そして、次のように豪語している。

 一片の記事といえども我々の検閲抜きには公表されることはない。現在ですらすでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社に世界中から集められそこから各新聞社、諸官庁に配信されるようになっている。現在ある程度まではそうなっているが、通信社は追って完全に我々の傘下に入り、我々が許可したものだけが供給され一般に公表されるようになるだろう。

 その免許証は何か過失があれば即刻取り消しとなるようにする。こうしておくと、ジャーナリズムがいろんな思想を発表したとしても、我らの政府の意向に添ったものとならざるを得ず、そういう意味で政府による教育手段の一種となるのである。よって、人民が埒もない進歩の白昼夢に憧れることもなくなるだろう。

 課税圧力で思想的作家は尻込みし始め、処罰が恐くて文筆家は我々の軍門に降る。それにも拘らず我々に文筆で抵抗する者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受け手がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得なければならない為である。これによって、我々は我々に対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われないうちに先手を売って反駁する。出版阻止することもできる。 (引用以上)


 そして、このように形成された御用機関を、大衆教育と世論操作に利用すべしと云う。特に新聞を重視し、政府系の御用新聞、半官半民の中立新聞、民間の疑似反対新聞の三列を上手く操り、最終的に彼らの思惑通りに利用していくと云う。次のようにも述べている。

 新聞社をコントロールする為、中央新聞局を設け、各社の責任者を寄せて、「問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない」。

 我らが新聞軍団の指導にあたっては、格別細心の注意を払ってこの問題を組織しなければならない。中央新聞局という名称のもとに、我々は文筆者の会合を設け、そこに我々の覆面の代理人を送り込み、指令と当日の標語を示す。問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない。

 彼らは、政府機関紙とも公然と華々しい論戦をしたりするが、我々が見せかけの一斉射撃を浴びせることで、政府政策のプロパガンダを補足する材料を提供するようになり、政府機関紙が第一報で意を尽くせなかったことを、詳しく補足して報道することになる。

 しかし、これらの方法は必要な場合以外には用いない。新聞の我々に対する攻撃は、新聞がまだ言論の自由を失っていないという印象を大衆に与えるのに役立つ。それは又我らが代理人が、反対者たちは意味のない反対論をぶっている、実のある反対意見をこれっぱかりも示していない、政府政策を批判する本当の根拠が示されていないではないか、我々に反対する機関はみな空騒ぎしているだけではないか、と説きまわる機会を与える。

 我々は、ある時は真実、ある時は虚偽を振りまき、ある時は事実に即して立論し、ある時は反論を掲げたりする。それは大衆にどんな印象を与えようとするのかによって異なり、その為に常に我々が足を踏み出す前に地面の様子を細心の注意をもって調べねばならない。(引用以上)


 他にも確認しておきたい内容が多々記述されているが、もういいだろう。問題は、現代言論機関がこの通りになっているのかどうか吟味することであろう。「シオン長老の議定書」を捏造書として批判する前に、中身の確認の方がより大事であろう。れんだいこには、現代マスメディアがこの通りに利用されている気がしてならない。「松岡農相の議員宿舎変死事件緘口令」がこの筋から出され、ものの見事に言論封殺されていることを知らされるばかりである。

 以上の批評はそれだけのことである。何事も批判だけではつまらない、ならばどうすべきかの処方箋まで思いを馳せねばならない。ここにこそ真の能力が要求される。そしてそれを実践して試行錯誤させ次第に高次なものにしていかねばならない。それを思えば、我々の自由自主自律的な言論空間としての和製アルジャジーラ放送局、出版局創設こそ急がれているのではなかろうか。ここに目がいかない政府批判運動は生産的でなく、単なるアリバイ闘争の羅列にしかならない。

 まもなく党派の垣根を越えた共同戦線闘争として実にまさに歴史的な待望の6.15集会が挙行されるが、大きな実りとなりますように。これが、れんだいこの決意表明である。

 2007.6.13日 れんだいこ拝

【国際評論家小野寺光一氏の指摘】
 国際評論家小野寺光一の『政治経済の真実』」の「松岡農林水産大臣 赤坂新議員宿舎偽装自殺連続殺人事件 について」は、冒頭で「松岡大臣は、他殺であると思われる。自殺は、偽装であると思われる」と述べ、次のよう に指摘している。
 概要「自殺か他殺か判定するのに鑑定医の死因鑑定が必要であるが、松岡大臣の死因鑑定は行われていない。 というのも、死んだ時間がずらされ、慶応病院に運び込まれてから『死んだ』ことにされたからである。病院で死んだ場合は死因鑑定が行わなくても良いことになる。小野寺氏は、「事件の経過を追うと、実はこの死因鑑定が巧妙に回避されているとわかる」。

 「不可思議な秘書の言動」として次のように指摘している。
  この松岡大臣の秘書は、不思議な言動をしている。 それは、当日の午前10時ごろに松岡大臣と「宿舎の部屋」 で打ち合わせをした。と言っているのだ。 このときに、松岡大臣は、秘書の手を握って「世話になった。後はよろしく頼む」 と言ったと、その秘書は発言している。 そしてその後に部屋に入って、松岡大臣は、自殺したことになっているのである。 しかし、一回、スーツを着て、秘書と打ち合わせをした後に、自室で パジャマ姿で首吊りをした。ではおそらくおかしすぎると思ったのか 「打ち合わせの時もパジャマ姿だった」と秘書は言っている。 これはおかしくないだろうか? 考えてみてほしい。 松岡大臣が、昼の10時頃に、自室で、パジャマ姿で、悲壮な顔をして 秘書相手に「世話になった。後はよろしく頼む」と言ってパジャマ姿で 手を握っている姿を。 こんな馬鹿げたことはありえないと思われる。 小泉じゃあるまいし。

 松岡氏は、もともと農林省の役人出身である。秘書相手に、パジャマ姿で 応対するわけがない。しかも朝の6時ではなく、10時である。 普通は着替えている。 そして秘書に「世話になった。後はよろしく頼む」 と松岡大臣が言ったのであれば、その秘書は、その場で「自殺するつもりだ」 とわかったので止めたはずである。 しかし、「世話になった。後はよろしく頼む」 といった松岡大臣に対して、「じゃあ午前11時過ぎに出かけますのでお待ちしています」 といって、退出したことになっている。 しかも、飯島秘書官は、午前9時30分前後に松岡大臣に電話したが、初めて つながりませんでしたね。とテレビで証言をしている。

(私論.私見)

 残念ながら、小野寺氏は、この後の推理で、9時30分の飯島電話に出なかったのは、「松岡大臣が、死んだのが深夜だったのではないか? もし、パジャマ姿で絞め殺されて、吊るされたのであれば すべての説明がつく」と云う風に飛躍させている。真相は分からない。これにより、せっかくの鋭い疑問を台無しにさせている。今はそういう推理は不要で、松岡農相の死が自殺なのか他殺なのか事故死なのかを推定するだけでよい。関心をそらしてはいけない。

 2007.6.26日 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評307 れんだいこ 2007/06/26
 【松岡農相変死事件を風化させない、れんだいこの意地その4、コロンボ刑事を呼んでくれ】

 2007.6.26日付けZAKZAKが、めっきり少ない中で松岡農相変死事件関連の情報を提供している。(ttp://www.zakzak.co.jp/top/2007_06/t2007062621.html)

「なんでこうなるのか…松岡前農水相“最期”の言葉 死の4日前、霊能者下ヨシ子さんにポツリ」と題して、夕刊フジの取材を転載している。下(しも)ヨシ子(55)氏は、熊本で六字明王を本尊に持つ修験真言宗の一派の六水院管長で霊能者らしい。昨年3月に初対面、それ以来昵懇な関係らしい。

 昨年9月の安倍内閣の誕生時に、松岡入閣を霊能したとの事である。今年3月には、事務所経費問題などで追及を受けていた最中に松岡氏から「毎日、毎日お騒がせしています」と電話があったが、「運勢は変わらず強いです。今後どうしていこうか、という気持ちが大切です」と励ましていた、とのことである。

 松岡氏と最後の会話を交わしたのは命を絶つ4日前の夜で、松岡は、「“なんでこうなるのか”とポツンとおっしゃられたんです。ここで気付いてあげればよかった」。下さんは今も熊本の本院で松岡氏の供養を続けている云々。

 何のことは無い。松岡農相自殺説を補強しているだけのことであった。しかし、松岡農相変死が真相とすると、この霊能者の霊能力もたいしたことはないという事になる。松岡農相変死に拘るれんだいこの方がよほど霊能があるということになる。こうなると、コロンボ刑事を呼び寄せ、丹念な調査をお願いするしかない。コロンボ刑事なら、トリックなら見破ろう。真実の自殺なら、その要因を嗅ぎつけよう。どなたか、コロンボ刑事を呼んでくれ。れんだいこが相談したいから。

 ちなみに、れんだいこはこういう気分だ。

 第22回参院選挙が2007.7.29日と決まった。自公対民主連合の政権盗り大手戦争の感が有り滅法面白い。しかし、れんだいこは敢えて冷ややかである。何となれば、先の松岡農相変死事件に対して、既成党派のどこも議員の誰一人として調査を呼びかけていないからである。時の現役大臣の変死に対してかくも無関心な政治屋野郎の政争に乗せられる手は無い。

 今からでも遅くない。どこの政党か議員でも良い。それはそうと松岡農相自殺?事件のその後の捜査はどうなっているのか疑問を投ぜよ。さすれば、れんだいこはれんだいこ党を率いて馳せ参ずる。それが自民党ならそれも結構だ。それほど重大視するのがれんだいこ史観である。

 この認識を共有できない政治貴族の政争ゲームに加担するつもりは無い。天木氏よ、あなたでも良い、とにかく疑問を提起してくれ。あなたの命が狙われた時、自殺でもないのに自殺処理されたらかなわんでせうが。他人事ではないはずだ。それにしても元警視庁長官の亀井がこれを云わないのが解せない。お前ならとことん情報を寄せることが出来ように。捜査の仕方が明らかにオカシイのではないのか。この問題が解決しない限り、れんだいこの22回参院選は滅法興味が薄くなっている。

 2007.6.26日 れんだいこ拝

【月刊「紙の爆弾2007.8月号」(64-755頁、鹿砦社)の告発考】
 阿修羅政治選挙37」のpassenger氏の2007.7.7日付け投稿2007.7.7v「憲政史上最凶の心霊写真】樹海で首相を歓迎する自殺怨霊!! 松岡大臣「変死」の猿芝居!! 墓穴をほった安倍政権の断末魔」を参照する。これは、月刊「紙の爆弾2007.8月号」(64-755頁、鹿砦社)が元ネタとのことである。

 記事は、「4.松岡大臣「自殺」説をゆるがす、怪しすぎる状況証拠の数々」の項で、松岡農相変死事件の直前の熊本里帰りについて重要な訂正をしている。従来、松岡農相が墓参りしたとされているが、週刊朝日6.15日号は、墓参りしている事実はないとの証言を載せている。つまり、松岡農相墓参りの意図的虚報が為され、松岡農相自殺説を補強する役割を担ったことを明らかにしている。


 松岡農相首吊り事件が発覚するや、いち早く自殺説が一人歩きを始め、変死にもかかわらず司法解剖もせぬまま、その日のうちに葬儀の段取りが始まったこと。最初から「自殺」扱いだったので、首吊り現場(議員宿舎の自室)の捜査も司法解剖もおろそかにされ、仮に他殺だったとしても物証そのものが大急ぎで葬り去られたことも明らかにしている。 

 5.30日、松岡農相変死事件の翌々日、フジテレビが、慶応大学病院にまっさきに駆けつけた飯島勲・元(小泉)首相秘書官との「飯島勲・元首相秘書へのFNN単独インタビュー」(聞き手・安藤優子)を放映した。その時、「突進する移動ベッドの上で、白布で顔を覆われたままの松岡氏に馬乗りになって心臓マッサージを繰り返す医者」の映像がはさまれていた。「瀕死の患者への救命行為としては無理がある」と疑問を投げかけている。

 飯島元首相秘書官は、このインタビューで、次のようなやり取りをしている。記事は、そのやりとりの一部を次のように再現している。

ナレーション  そして、様々な松岡氏の疑惑については……。
飯島  「緑のアレ……緑資源機構、これが問われてアノ……、報道されてたんですが、大臣自身は一切おかしいところはない。白か黒かはっきり世間に見て頂きたいという覚悟は持ってましたね」。
安藤  「じゃ、なぜ死を選んだんでしょうか?」
飯島  「これは全くわからないです。(自殺)当日も九時半前後に、実は大臣のケータイに電話したんですよ。初めて通じなかったですね」。
ナレーション  その直後、みずから命を絶った松岡大臣……。
飯島  「これは全くわからないです。(自殺)当日も九時半前後に、実は大臣のケータイに電話したんですよ。初めて通じなかったですね」
(ナレーション  その直後、みずから命を絶った松岡大臣……。
飯島  「第一発見の十二時二〇分頃前、十時ぐらいから二時間で何があったのかってのが、興味がありますね、私個人。政策に対する夢と熱意を考えたら死を選ぶ政治家じゃない。……これ、松岡大臣から私宛の親展で来てます(といって懐から「遺書」を出す)。中身は言いません」

 こう述べた後、飯島は突然、懐から「遺書」を出して、「松岡大臣から私宛の進展で来てます」と言いながら白封筒を安藤優子キャスターにちらりと見せた。
ナレーション  これが飯島氏あての遺書……。
安藤  「それは、いつもの字体と違いますか?」
飯島  「私から見たら、とっさの出来事の感覚かなあと……。電話一本くれたら助けられるという気持ちはあるんですよ」

 このやり取りはかなり重要なことを露呈している。飯島が、当日も九時半前後に大臣のケータイに電話したが初めて通じなかったと述べている。ならば、交信記録を精査せねばなるまい。次に、安藤の「いつもの字体と同じかどうか」聞かれて話題を変えてごまかしている。遺書は明らかにされたが、本当に松岡大臣の自筆によるものかどうか鑑定に付さねばなるまい。次に、遺書の包みが白封筒であったことを明らかにした。松岡農相の覚悟の死の体裁としてはいかがなものだろうか。


 松岡農相変死事件の疑惑はますます強まりつつある。





(私論.私見)