「佐幕派志士列伝」

 更新日/2022(平成31.5.1日より栄和改元/栄和4).2.10日

 幕末佐幕派の志士列伝をサイトアップしておく。


横井小楠(よこい しょうなん)
別章【勝海舟
徳川慶喜
松平春嶽












(私論.私見)

  広瀬隆『持丸長者 幕末・維新編』ダイヤモンド社より

『後の三井の大番頭・三野村利左衛門と組んだ男として知られる小栗忠順は、次のような出自であった。遠祖は平将門のいとこにあたる平定盛の弟・繁盛から出て、徳川家康の父・松平広忠時代から徳川家に仕えた。小栗家四代目・小栗又一が家康の家臣となり、姉川・三方ヶ原・長篠の合戦に活躍して槍の達人として聞こえた。この旗本屈指の名家、新潟奉行・小栗忠高の息子として江戸駿河台に生まれた小栗順太郎が、のちの忠順その人である。数え年八歳から漢学を学び、剣術、柔術、砲術、馬術、弓術を修得して、文武両道に秀でた才人として台頭した。


目から鼻へ抜けるような小栗の天分が世に広く知られるようになったのは、咸臨丸を随伴船として、日米修好通商条約の批准書を交換するためポーハタン号で渡米した時からである。この渡米中、小栗はサンフランシスコとフィラデルフィアで造幣局を二度も訪れた。ここで、日本人が損害を受けている通貨問題を明らかにし、アメリカ人を論破した時の出来事は、幕末の伝説となっている。



小栗は、横浜にフランス語学校を設立し、日本最初の株式会社・兵庫商社を設立して郵便制度と鉄道の建設計画を推進し、慶応三年には、関西ではこの兵庫商社(鴻池)が、また関西では三井の手を通じて「金札」という紙幣発行に踏み切った。関ヶ原の戦い以来、江戸幕府として初めての紙幣発行である。だが、パリ万国博覧会に日本代表を送り込んだところで、幕府瓦解という事態を迎えることになった。横須賀製鉄所はドッグが完成しないうちに明治政府の手に委ねられ、横須賀造船所から海軍工廠へと変貌を遂げることになった。レンガ製造技術は、わが国化学の開祖と言われる宇都宮三郎によって明治時代に品川白煉瓦会社と浅野セメントの誕生をもたらした。郵便制度は前島密によって築かれ、鉄道建設は小野友五郎らの測量技術をもって新橋〜横浜間の鉄道敷設へと受け継がれる運命にあった。その時、日本の繊維産業を巨大な金の卵に育て、造船王国・日本を生み出した、持丸長者育ての親・小栗はこの世になかった。



小栗上野介は、将軍徳川慶喜が調停に恭順することに反対して徹底抗戦を主張し、鳥羽・伏見の戦い直後の慶応四年一月十五日に慶喜から勘定奉行を罷免され、二月には断腸の思いを胸に秘めて、知行地である上野国(群馬県)榛名山西南のふもと、群馬郡権田村に引きこもった。最後は閏四月五日に薩長軍に捕われ、新政府に恭順の意志を示すが聞き入れられず、翌六日、榛名湖の南十キロほどのところ、鼻曲山から流れ下る烏川の河畔、水沼川原で斬刑に処せられた。小栗の抗弁を聞き入れず処刑したのは、新政府郡で岩倉具定配下の東山道先鋒総督府軍艦・原保太郎と豊永寛一郎とされ、処刑を命じたのは官軍の戊辰戦争東征大総督・有栖川宮熾仁(たるひと)と伝えられる。



明治になって大隈重信が、「小栗上野介は謀殺される運命にあった。明治政府の近代化政策は、そっくり小栗が行おうとしたことを模倣したことだから」と語ったと言われる。日本経済を救おうと粉骨砕身、精魂を傾けた男は、数々の真実と共に、新政府によって抹殺されねばならなかった。』



♪やがて三井家はウオーバーグ家と懇意になり、財閥のノウハウを教わる。「白洲次郎はウオーバーグの庶子である」という鬼塚氏の卓見に私は同意する。吉田茂もまた、アヘン王ジャーデイン・マセソン商会が営々と育てた掌中の玉である。


白洲次郎は戦時中、昭和天皇と吉田茂を中心とする売国奴集団、ヨハンセン・グループの連絡掛絡係を務めている。御前会議の内容を逐一OSSにいる一族のジミー・ウオーバーグに流し、原爆投下までのシナリオのやり取りもしている。原爆投下総指揮を執ったステイムソンの日記に、ヨハン戦グループのくだりが出てくる。

戦後はいよいよ待ちに待った白洲次郎と吉田茂の本番である。彼らは『私的外務省』といわれたほどの恣意的な外交を行い、外資系企業を優遇する。白洲次郎が「占領憲法に悔し涙を流した」などと自己申告しているが、デタラメもいいとこだ。彼が忠誠を誓っているのは日本ではない。我々はこいつに『プリンシプルのない日本』などと言われる覚えはない。NHKの特番にカブレてカッコイイなどと憧れていてはお終いである。

第二次世界大戦も真珠湾攻撃も、1919年パリ平和会議という名の戦争準備会議で画策され、ここに八百長戦争の役者が集結したのである。今日の日本の頽廃だって明治維新の時から既定のシナリオなのだ。『維新』と名のつくものは国外勢力による秘密破壊工作だと思って間違いない。

ちなみに『昭和維新』を謳った2・26は8・15クーデター同様、昭和天皇によるヤラセである。橋下徹などは言わずもがなである。

なお落合莞爾の堀川政略史観では、小栗忠順は国外逃亡したことになっている。