「立毛(りゅうけ/農作物/植物)の育つも、この世始めも同じ事。無い人間を拵えて、初めより、ものが言えたやない。一年経てば一つ分かる。又(また)一つ分かれば、又一つ分かるように成って、もの言うように成りたも同じ事。順序事情の道を伝うて、何事も一つ/\分かる」(明治20年8.23日)。
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「人間/\元が分かろまい。世界中皆(みな)神の子供。難儀さそう、困らそうという親はあるまい。親あって子がある。この理を聞け。憎い可愛(かわいい)の隔てない」(明治20.12.9日補遺)。 |
「この世に親という理は めん/\(銘々)の二人より他にある理はあろうまい。その理を離れて何處(どこ)で我が身が育とうか。親という理が 外(ほか)に
もう一人あろうまいがな。皆々々聞いて置け。神の話は 見えん先に言うのが神の話や、をや(親神・教祖)の話や。さあ/\この話の理を忘れんよう。神の話というものは、聞かして後で 皆々寄り合うて難儀するような事は教えんで。言わんでな。五十年以来から
何にも知らんばかし寄せて、神の話聞かして理を諭して、さあ/\元一つの理を よう忘れんように聞かし置く。さあ/\それでだん/\成り立ち来たる道」(明治21年8.9日)。
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「さあさぁ神さんと思うやろう。神は何にも身を痛めはせんで。さあさぁ銘々心から痛むのやで。銘々の親の心に背けば、幽冥(ゆうめい)の神に背き/\て、まる背きとなってあるのやで。めん/\の親が言う事に、悪い事言う親はあろうまい。身上に不足あれば、この理を諭してやってくれるよう」(明治21.9.18日)。
註、幽冥の神とは、現身(うつしみ)をお隠しになられた教祖を指して仰る。 |
「人間生まれ更(変)わり理を聞き分け。そういう事はあろうかいな、と思う。世界にある。どんな者〈も〉、親があって子があろ。何人ある、皆(みな)可愛いが理である。年を取る。世界同じ理である。難儀するも不自由するも、皆(みな)心の理である。ほんにな、理が分かるなら、速やかなものである。何年 年を経て〈も〉、理が分からねば、同じ日を通らねばならん。これが実(じつ)かいな、あたゑ(与え)をやろうと言うても、嫌じゃ/\言うても、どうでも/\心の理によって与えると言う」(明治22年8.7日、補遺)。
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喜多治郎吉 身上に付き願い。
「さあさぁ尋ねる。尋ねるから 一つの理も聞き分け置かねばならん。身の障り、さあさぁ一寸(ちょっと)身の障り、一つ/\直ぐ/\何か障る身のところ、小児因縁のところ、ようよぅ小児一人与えたるところ、身のところ、一つ/\二つ三つ、さあさぁ妊娠、さあ出産、さあさぁ三才で物分かり掛け。よう聞き分け。さあこれもあたゑ(与え)一つの理という。又(また)因縁一つの理。この理をよう聞き分けば、身は速やかという。さあさぁ小児因縁/\、あたゑ/\という」。
只今の「小児因縁あたゑ」と仰せ下さるは、いかなる理で御座(ござ)りますか、押して願い。
「さあさぁ与えたるは小児は、親々の親という。親々の親を与えたるという」(明治22.6.16日)。
註、喜多家に養子に迎えた梅谷四郎兵衛先生の四男「秀太郎」氏は、『治郎吉先生の「親々の親」、つまり「祖父の魂のいんねんの方」を与えたのや』と仰るのです。
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「前々古き事情、古き道(教祖ひながたの道)があればこそ、新しい道(銘々の信仰の道)という。をや(親神・教祖)があるで 子があるという理を考えば、分かるやろう。世界は理屈や。理の世界という。早く悟れよ/\/\/\。さあ/\/\悟らにゃならん。身上から一時早く悟って、早く治めてくれ。をやがあるで子という。子は世界という。さあ/\急ぐ/\/\/\。未だ/\(まだまだ)話するで/\。さあ をやの道を通りながら、をやの道の理が分からん。古き道があるから
新しい道がある。古き道は をや。新しい道は 子という。さあ/\だん/\に 新しい道(銘々勝手の人間思案の道)を通ろうとするで、古き道が(を)忘れる。よう聞き分け。古き道があるで
新し道という。古き道は埋(うず)めて了(しま)う。人が障りがあれば あれ ほこりや と言う。どうも情無(なさけな)い。日々の理が辛い。古き道というは、前々より固めたる。新しき道というは、雨が降れば崩れるというが新しき理(人間思案の心通りのご守護)。もうこれ世界に無い。道の始めたる處(ところ)、一時ではあろうまい。五十年以来、だん/\固めたる道。新しき道は、何時(なんどき)山崩(やまぐえ)するやら
これ知れん。古き理(天然自然の道理に沿い切るの)が これ第一という」(明治22年10.9日)。
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「木は元やで。元は順々に芽が出る、栄える。‥古きものは 大切にすれば花が咲く。大木(たいぼく)々々と人間ばかり、花咲くも、その元ありて寄りある。古き元あればこそ大切。元無くてはならん。元というは 古きものが元。元より花咲く。実がのる。元あればこそ花咲く。よう聞き分け。忘れぬよう。それ一つ理
詳しくたんのうさせるよう。元一つの理というは、風吹けば散る。〈しかし〉根は そのまゝ(まま)。枝という、花という、俄(にわか)に風吹けば散る。〈しかし〉元は散らぬ。元より出ぬものは無い。新しいものは枝折(えだお)れ易(やす)い、散り易い。この理をよう聞き分けるなら、何分(なにわ)からんではない」(明治22年10.10日)。
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「古き者 親という。子は何人ありても親は一人。為(な)したる事は どうでも立てねばならん。
親がありて子というは、親が賢(かしこ)うても、子は鈍(どん)な者 出ける(できる)やら知れん。子は、親が鈍な者や と言う者があるなれども、何ぼ(なんぼ)鈍な親でも、親があればこそ。年が寄れば
鈍な者や。鈍な者でも 親というもの大切なものや。‥親というものは どれだけ鈍な者でも、親がありて子や。子は 何ぼ(なんぼ)賢うても 親を立てるは一つの理や。これだけの理を聞かしおこう」(明治22年10.14日)。
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「親は親。何も案ぜる事は要らん。どういう事も治まれば皆な治まる。親小人同じ事情」(明治22.10.22日)。 |
「どうもならん道(教祖五十年のひながたの道)が通りてある。親の道から真実の心という」(明治22年 巻一595頁)。
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「親の理は神の理、‥」(明治24.3.25日)。 |
「第一心 一人心、親という理思う。神という理思う。思うは鮮やか。思うは神の理、親の理忘れる事なら道とは言わん。‥生涯さしづは生涯
親の理 神の理、その理 知らねばならん」。 |
「親は 子を思うは一つの理、子は 親思うは理。この理 聞き分け。何でもぢば、という理が集まりて道という」(明治28年3.10日)。
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「第一心 一人心、親という理思う。神という理思う。思うは鮮やか。思うは神の理、親の理忘れる事なら道とは言わん。‥生涯さしづは生涯
親の理 神の理、その理 知らねばならん。」(明治28年6.24日)。
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「一戸の内に諭しても分かるやろ。水も同じ事。汲(く)めば飲める。親があって子という。子は何人あれど皆(みな)可愛いもの。なれど、どんならにゃ
ならんように片付ける。中に出直す者もある。我が子であってまゝ(まま)にならん。出すにも出せん、切るにも切られん。あんな者は何處へなっとと(原文まま)思えど、真の理は切れるか。この理から取ってみよ」(明治31年3.30日)。
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「根という/\、先という。幾筋一時(いくすじ いちじ)に出た根やない。追々(おいおい)芽が出るというは、根が有りて芽が出るという。聞き分け。一筋二筋(ひとすじ ふたすじ)だん/\(だんだん)世上へ芽が吹く。芽が出る。又(また)根から。根が無くして芽は無い。根がありて芽が吹く。その根年限から遠い所へ一つから芽が出る。よう聞き分け。順序の道やで。よう聞き分けにゃならん」(明治32年5.9日、補遺)。
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「‥道順序の理。道の親、理の親、これ心にちん(鎮)と治めてくれ」(明治32年8.28日)。
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「親ありて子、親ありて子。思やん(思案)せい。結構思えど、心に掛かれば どうもならん。理の煩(わずら)わんようにせにゃならん」(明治32年9.23日)。
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「銘々子を持って一つの道理を見よ。皆な親子供(おや/こども)憎い可愛(かわい)、隔てあるか。成るという成らんという、この一つの理 聞き分け」(明治33.11.2日)。 |
「取り損ないあっては、踏み被(かぶ)らにゃならん。何よの事も 天然と言うて諭(さと)し掛けたる。天然という順序 聞き分け」(明治34年2.10日)。
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「何も彼も皆いんねん同志(同士)、いんねんという。親子の理、いんねん理 聞き分け」
(おさしづ 明治34.3.11)。
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「親の言う事は、道の上の心と思わにゃ理やない。道の理やで。これさえ聞き分けたらば、腹立ちゃせん。たゞ(ただ)ぬっと大きなって、子の間はというものは、どういう事も知りゃせん。さあ/\欲というものに切り(限り)は無い/\。いんねん(因縁)が悪かったらどうするか。門に立って一度のものも乞うや。不自由の理 聞き分け。不自由の理 聞き分けたら、何も腹立ちゃせん」(明治35年3.14日)。
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「皆な可愛(みなかわいい)子供と言う。親の子、親が子をどうする。これから一つの理 聞き分け。知らず/\の理、道から何年以前、元々は何にも分からんなれど、年限から道は分かるやろう」(明治35年8.21日、補遺)。.21
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「親という子という、子の煩(わずら)いは 親の煩い、親の煩いは 子の煩い。これしっかり聞き分け/\」(明治35年9.21日)。
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「親となり子となるは、いんねん事情から成りたもの。親を孝行せず、親という理忘れ、親に不幸すれば、今度の世は、何になるとも分かり難(がた)ない/\。この話理(はなし/り)伝えておこう」(明治40年4.9日)。 |
「『人間の、我が子の可愛いことを思案してくれ。ない世界、ない人間拵(こしら)えた、この元々ばかりやないほどに。月日、今にても子供は皆々宿し込んでいる。子供の可愛いは同じこと』」()。
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