「神さまは、どうして、こんな形の生物世界のしくみをお創りになったのであろうかと思う。これが分らない。教祖はこのことについて、どうお話になったであろうか。私が教祖にお会いした人々から聞いた話の中には、それに対する話はない。誰も質問しなかったものであろうか。あの当時の人々は、それは当り前のことで、世の中の当然の仕組みとして疑問に思わなかったらしい。「人間はどうして水を呑まないと死ぬのでしょうか」、「人間はどうして息をしないと死ぬのでしょうか」と質問した人の話も聞いていない。当時は当り前と信じ切っていたものと思う。もっとも、教祖は、『この世に当り前ということはないのである』と仰せになっていたそうだ。そうするとそれに対するお応えもあったものと思う。だが伝わらなかったか、誰も質問してくれないので、お話するきっかけがなかったものか。またお話があったものと思うが、聞き手の方が直接生活に関係がないので、忘れられたのでないか。奥野道三郎氏のお話では、塩は月さまの心とおっしゃったそうだ」。
(「当り前ということは 」、昭和六十一年十二月発行、高野友治著「創象38」(天理時報社)2~3pより)。 |
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