どういう道も、こういう道も、みな神の道やで。‥学者がした道でもなし、人間心でした道でもなし、真実の神が、天然自然の理で五十年の間 付けた道である。〔おさしづ 明治20年 陰暦 7月〕
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何事も みな銘々の心次第と言うてある事やで。何処(どこ)に居ても 月日の身の内や。何処に居るのも同じこと、誠の心一つや。誠が天の理や。天の理にさえ叶(適)えば、何処に居ても道が付くで。実誠(じつまこと)無けねば(無ければ)何処い(どこに)行た(行った)とて、何をしたとて道は狭(せば)むばかりやで。しっかり聞き分けねば分からん。しっかり聞き分けて諭すがよい。〔おさしづ 明治20年7月〕
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これまでどんな話聞いていても、理を聞き分けねば何にもならん。一つの台を拵(こしら)え。
人々に諭すには、内に台というもの拵え。睦(むつ) まじいとの、内々に睦まじいという台を拵えて、それより世界〈に〉伝え。何処 (どこ) から見ても成程(なるほど)と言う。世界から成程と言うは天の理や。心に誠一つであれば、これが往還道
(おうかんみち)や。めん/\ (銘々)これからや。未だ/\(まだまだ)との心を定め。 〔おさしづ 明治20年10月 補遺〕
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この道 天然自然の道 これが天の理である。元々 天理王命と称するは、五十年前からの道筋。〔おさしづ 明治20.12.1 補遺〕
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真のきょうだい(兄弟姉妹)は、誠一つの心がきょうだい。また、誠一つが天の理。常に誠一つの心が天の理。真の心の理がきょうだい。〔おさしづ 明治20年〕
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神の道 たゞ(ただ)結構々々で随(つ)いてきた。結構だけでは分からんで。理を聞き分け。たゞ心々。身の内は 心に随(つ)いて廻るのやで。心通りに身の内なるものやで。善というものは弱いようで、〈善ほど〉強いものはないで。誠は天の理や。誠は直ぐに受け取るで。心に掛けて通れば、なんぼ細い道でもよう通れるで。めん/\身上長くと定め。独りめん/\救かる。〔おさしづ 明治20年 補遺〕
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内々ちゃんと朝は起きる。日々頼もしい/\。それから理を出せば どんな理も出る。睦まじいは誠、天の理である。この順序伝え。皆同んなし(同じ)理や。‥
誠の心さい(さえ)あれば自由自在(じゅうよじざい)。誠より外に理は無い。この理を治め。生涯と定め。未だ/\/\(まだまだまだ)の心治めは 誠である。〔おさしづ 明治20年
補遺〕
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精神から改めて 変わらぬが一つの事情、一度定めた心変わらん一つが天然自然の理。変わらぬ一つ改めて。早く/\/\。〔おさしづ 明治21.4.4〕
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さあ/\たすけ一条は、天然自然の道。天然自然の道には、わが内、わが身のことを言うのやないで。天然自然の道は、長らえて長く通ることが天然自然という。天然自然の道通るには、難儀な道を通るので、先の楽しみという。今十分の道を通るのは先の縺(もつ)れとなるのやで。(「おさしづ 明治21.8.17」) |
道理上より、天然自然の理を以(もっ)て、幾重(いくえ)にも思案して治めさす。さあ/\難しきようである。天然自然の理を以て、道理上第一たんのう(足納)の理が第一、芯の心の理が第一、一つの理がある。理さえ聞き分けて成程(なるほど)と言えば、世界中は皆その通り。一つの理を見定め。ほんに
さしづはこうであった。今はこう成った。天然自然の道、皆聞き分けにゃならん。いずれ(どこ)へ尽すれど、一つの道に集まる。人間心の理は 世界一つの理である。危(あや)うき道を見にゃならん。通らにゃならん。聞かさにゃならん。元々一つの理に帰る。早く一つの理を聞き分け、見分け。天然自然一つの理を見れば、行末(ゆくすえ)一つの道を見る。〔おさしづ
明治21.9.24〕
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だん/\天然自然の道という。多くの心を寄せる處(ところ)、あちらへ心を寄せる處、一つの理が栄える。あの者も心次第、この者も心次第、古き一つの理を以(もっ)て〈せよ〉、人間思案は久しく(長くは)続かん。十分の世界の道と見たら、元々一つの取扱い方を以てせよ。〔おさしづ 明治21.9.24〕
【註】古き一つの理 親神の思召・教祖の教えの理(教理)。元々一つの取扱い方 親神の思召・教祖の教えの理に沿った・適った方法、手段。
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あちらへこちらへ心を映し、皆(み)んなこれだけ慎んでいたらよい、これだけ言わんとおこう、と慎みきたる。人間の心 一つも要らん。 この屋敷に於(お)いては五十年の間、天の理を以(もっ)て始め掛け。天然自然の道を知らんか。神一条の道、皆 人間心勝手の道を、皆んな これまでの道を聞き分けてくれ。〔おさしづ 明治21.11.14〕
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さあ/\常々に 真の心に誠という心あれば、天然という理がある。世界という、自由自在(じゅうよじざい)は何處(どこ)にあると思うな。めん/\の心、常々に誠あるのが、自由自在という。〔おさしづ 明治21.12.7〕
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さあ/\真実の心あれば、世界という。常々に真の誠という心あれば、内々も治まる。誠あれば、天然自然の理がある。〔おさしづ 明治21.12.7〕
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論(ろん)は、ちょっとも要らん/\/\。論をするなら世界の理でいけ。神の道には論は要らん。誠一つなら天の理。実でいくがよい。どんな高い所でも入り込んで、さあ/\世界の往還 ちょっとの理を知らし置こう。〔おさしづ 明治22.7.26〕
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いかなるも、茨畔(いばらぐろう)も 崖路(がけみち)も、剣(つるぎ)の中も 火の中も、前々の理を以(もっ)て説いたる處(ところ)、見るも一つの道という。天の理教(てんのりおしえ)や。〔おさしづ 明治22.8.4〕
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だん/\諭すまで 心一つの理が台や。孝行を尽して 孝があって立つという天の理が分かる。〔おさしづ 明治22.8.25〕 |
「これまで尽す運ぶ中に、互い扶け合い(たがいたすけあい)は諭する理、又所に一つ成程の者というは、第一に家業親孝心、二つ一つが天の理という」(明治22.10.9日補遺)。 |
「日々家業第一内々親孝心、この二つ理がこれが天の理」(明治22.12.14日補遺)。 |
成る理 成らん事情、成らん事情を好む者はあろまい。どんな理も通る。どんな理も通らにゃならん処(ところ)を通るのが通り難(に)くい。成る道、神の道。成らん道は
世界の道。これから何でも神の道に治める。一つの理(成らん事情・成らん道)という、天の理より どうでもこうでも立たせんで。 〔おさしづ 明治23.1.4〕
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往還道(おうかんみち)は世界の道。細い道は心の道。心の道は誠。誠は天の理。天の理で あたゑ(与え)という。〔おさしづ 明治23.4.6〕
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一つの理 天の理。天災いかなるも聞き分けくれるよう。〔おさしづ 明治23.5.26〕
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どのような話聞いても案じる事は要らん。皆分からんから皆言うのや。この事情聞き分け。‥誠真実一つの理は どのように潰そうと思うても、どないにも出けるものやない。よう悟りておけ。真実誠 天の理。天の理が潰れたというような事はない。なんぼ潰しに掛かりても 潰れるものやない。一度下ろした理は真実の理。何も案じる事は無いで。分からんから難しいのやで。分からん者程(ほど)難しい者はない。もう程無う(ほどのう/ほどなく)分けて見せるで。何にも心にかける事は要らん。どないに成る、皆々こちらから成らんようにするのや。よう聞け。〔おさしづ
明治23.5.26〕
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天の理に凭(もた)れてするなら、怖わき危なきは無い。‥神の道、神一条の理に基(もとづ)いてやらねば さしづしたとは言わん。さしづと聞いて どういう心に関(せき/関所の関/堰)という垣(かき/仕切り)を拵(こしら)えては どうもならん。〔おさしづ 明治23.6.29〕
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天の理は 潰そうと思うても潰れる事はない。心に天の理を治める。〔おさしづ 明治23.11.21〕
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誠は尽きん、尽きんが天の理。誠と言うて居(お)れば、これより誠は無いと言う。‥誠さえ十分固めてあれば、何も案じる事は一つも無い。誠薄ければ 種が(を)失う。〔おさしづ 明治23.11.21〕
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立てば(立てれば)立つ。倒(こ)かせば倒(こ)ける(倒せば倒れる)。これ一つ天の理という。この理を心得ば、何一つの難(なん)も無いという。〔おさしづ 明治25.2.20〕
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成らん事をしようと言うて成るやない。なれど成らん事でも、しようと思えば一時成るやろ。なれど続く、続かんの理を思やん(思案)せよ。天然自然の理も聞き分け。成る処(ところ)は成る。成らん処を無理にと言えば 天然とは言えようまい。〔おさしづ 明治25.7.27〕
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皆(みな)連れて通るが 天の理。連れて通って 心の道は世界という。〔おさしづ 明治26.1.21〕
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繋(つな)ぎ/\は天の理。世界広く諭したる処(ところ)、家内(家族)は一つ 言うまでやあろまい。〔おさしづ 明治26.5.12〕
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側々(そばそば)掻(か)き上げた理は、逆落(さかおと)しに落ちんならんが天の理。〔おさしづ 明治26.5.12〕
【註】連続する一つ二つ前のおさしづから
『「あいつは悪い」などと騒ぎ立て、側の人たちを煽(あお)り巻き込み、当事者を突き落とすようなことをすると、自らも、真っ逆さまに突き落とされなくては ならなくなる。これも天の理である』
といった意味になります。
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堪忍(かんにん)というは誠一つの理。天の理と諭し置く。堪忍という理を定めるなら、広く大きい理である。‥
天より明るく道と諭し置く。心に堪忍戴(いただ)いて通れば晴天同様、一つ道と諭し置こう。〔おさしづ 明治26.7.12〕【註】堪忍 人の過ちを許すこと。勘弁。
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【参考】ぜんあく二つの理をきゝわけ
何事にても たんのう(足納)一つの理というは、堪忍辛抱(かんにん しんぼう)の道を通り、その中で 心に善と悪と この二つの理、悟りをつけたる心であるなら、それどんな事を聞いても見ても、でけ(出来)てきても前生の因縁。また
この世の因縁、善悪二つの理を聞き分けて、何事も治めて通るなら、この理が天の理に適う、たんのう一つの理という。〔静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛 13頁〕より
(現代用字変換)
実(じつ)は天の理。天の理は 誠一つの理 と言う。一度二度三度は 見許してある。 〈神の子供である人間が〉可愛(かわいい)
一条から許したる。なれど、心の理より起こる事は、皆適わん。 〔おさしづ 明治28.5.19〕
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尋ねる時の心というは、いつ/\(いついつ/いつも)生涯定めると言うなれど、速やかなれば、事情日が経ち、月が経ち、つい/\(ついつい)忘れる。一度や二度は皆許したるなれど、難儀するは可愛一条から。可愛という理から
身上に悩み掛ける。よう聞き分け。なれど、だん/\(だんだん)天の理に迫れば、どうもならんようになる。一時定めたと言うたら、何年経っても変わらんのが生涯という。人が知らんと思うても、めん/\(銘々)心で夜々思やん(思案)すれば、千里離れても思やんは付くやろう。〔おさしづ 明治28.5.28〕
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人は一代 名は末代と、これ伝えたる。真実は誠、実(じつ)である。実は世界、又(また)道と言う。実あれば、どんな曇り被(かぶ)せようと言うて被せられん。真の理、天の理。天の理は 曇り掛からん。よう聞き分け。‥
最初の理は元。後の道は無い。元の心無けにゃならん。元の心 受け取りて 理である。受け取りて理は、どんな剣(つるぎ)というとも、岩の中でも切れやせん。理は
元の理。元の理は 神の話す理。〔おさしづ 明治29.8.22〕
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この道という、天然で出来た道という。天然の道なら、どちらから眺めても成程(なるほど)と言う。今までは、今まで通り来たる中、難し處(難しいところ)通るにも 神の守護という。‥天然の理は、今年で行かにゃ又(また)来年という。よう この理を聞き分け。先々の心に 未だ(まだ)今年ではなあ と言うようでは、天然とは言えん。楽々の道とは言えん。この理をよく聞き分け。
〔おさしづ 明治30.9.25 補遺〕
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天然で出けた(出来た)もの。天然を知らんか。天然を知らねば 何も分からせんで。〔おさしづ 明治31.8.4〕
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これだけ言われて よう出けたなあ。これがあたゑ(与え)かと 皆喜んでくれにゃならん。苦労さしては あたゑとは言えん。古い話にもしてある。前々始め掛け。容易やない。ほんの草生えの中から出けた理、今日の日は 大いの事情に成ってある。まあ危ないなあ、これ怖わいなあ という中から出けた。今日の日 一時に成ったのやない。人の義理を思て(思って)なるか。聞き分け。 天の理から出けて来る(出来てくる)のが あたゑ。あたゑ無くば、どれだけ蔓(はびこ)っても、〈神に〉退かれたら どうもなろまい。勇んで掛かりてくれ/\。勇んで掛かりてくれ/\。勇み無くては 受け取る理は無い。よう聞き分けてくれるよう。 〔おさしづ 明治32.9.15〕
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この道という、どうでもこうでも天然自然という理を皆治めてくれ。皆々 時々 理無けにゃならん。ならんが、天然自然という理以(もっ)て、先々さあ/\(さあさあ)というはなあ と言う。この理
天然に委(まか)せにゃなろうまい。又(また)、国々所々、あちら治まり こちら治まり、世界中に どうでもこうでも という道もあれば、又どうやろうなあ
という道もある。 道は 天然自然から定めて道という。この理 成るも成らんも一つ、事情運んで、一つ尋ねる事情であるから、案じる事要らん。皆々心
何でもという精神が受け取る。精神が受け取りてあると、これ一つ順序の理に諭し置こう。 〔おさしづ 明治32.12.12〕
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さしづ こうやけど、どうもなあ、と言うようでは、天の理に背(そむ)く。教祖一つの理にも背く。今日のさしづ皆々聞き分け。さしづの通り順序運ぶ中なら、心に〈人間〉心要らん。
〔おさしづ 明治32.12.29〕
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成程(なるほど)道は、天然自然の理である。天然自然の理で治めるなら、どれだけ危ない所でも、怖わい所でも、神が手を引いて連れて通る。天の綱(つな)を持って行くも同じ事。これ一つ諭し置く。〔おさしづ 明治33.2.11〕
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天然の理と言う。心に理を治め。成る道 成らん道、成らん中の道が 天然の道である。‥
これから天然の道という、長い道ある。どんな事も積み、天然の理である。こうなったらどうと、小さき心を捨てゝ了い(捨ててしまい)、大きく咲く花の理と 心を治め。
〔おさしづ 明治33.4.8〕
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天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょう言うても出来ん。独り成ってくるは天然の理。金(かね)でどうしょう、悧巧(りこう/利口)でどうしょう言うは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ、何処(どこ)から眺めても成程(なるほど)というは、天然に成り立つ道。この理聞き分け。〔おさしづ 明治33.5.31〕
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満足は心の理。優しき者は日々満足。満足は小さいものでも、世上大き(大きい)理に成る。これより大き(大きい)理は無い。満足広く通り、不足はあちら縮める、こちら狭(せ)ばむ。時によれば取れて退く。満足というものは、あちらでも喜ぶ、こちらでも喜ぶ。喜ぶ理は
天の理に適(かな)う。適うから盛(さか)ん。 〔おさしづ 明治33.7.14〕
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どうでもこうでも天然で成り立ったものは、何処(どこ)から眺めても曇りない。どんな者が見ても水晶玉の如(ごと)く、どんな者でも この道理の一つに集まる。
〔おさしづ 明治33.9.14〕
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同じ一つの中でも、西向いてる者もある。東向いてる者もある。西から北向いてる者もあれば、東から南向いてる者もある。それでは天の理とは言えん。何でもかでも、東向こうと言うたら一時に東向く。西向こうと言うたら一時に西向く。これを一つの理に諭するによって、ようこれを聞き分け。 〔おさしづ 明治33.9.17〕
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人の力を借りて為す(なす/する)ようでは、天の理とは言えん。‥成る理 成らん理 心に治めてくれ。人を頼りと思う、一つの心はどうもならん。そこで又々(またまた)先は 恐ろしいものが出て来る。 〔おさしづ 明治33.9.24〕
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天然の理に添うて行け。天然の理に添うて行けば、一つも踏み被(かぶ)りは無い程(ないほど)に/\。〔おさしづ 明治34.2.10〕
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人を救ける道なら、救かるは天の理である。日々の理である。この道理 よく聞き分けてくれ。〔おさしづ 明治34.11.4〕
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どうでもこうでも陰から、天より理あるから通れる。‥これ真実の心定める事なら、世界に於(お)いて多くの人通す。通す理 立つというは、天然自然と諭したる。‥この道の掛かりは、先ず一代という、どうでもこうでも不自由難儀の道
通らにゃならん。不自由の道通るは天然の道という。神の望む處(ところ)である。‥心だけという、心に働き、心にどれだけ言い聞かした處(ところ)が、皆んな心から苦しみ通る理は、天然自然の道という。どうでもこうでも、艱難不自由通りてくれるは、一代の道の台と言う。〔おさしづ
明治35.7.13〕
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何よの事どうであろう こうであろうと古き物調べて こうとするは、天の理の道であろう。〔おさしづ 明治36.9.18〕
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