「天然自然、面々(銘々)に誠さい定め、実(じつ)さい定め。身の處(ところ)心なくしてならんなれども、面々きょうだい(兄弟姉妹)。これはこうじゃ、神の指図、神を恨(うら)む事は少しもない」。(明治20.3月) |
「さあさぁどんな者もこんな者もいる。妬(ねた)む/\。どんな事を言うて来ても、じっと静まりておれば独(ひと)り静まる。何程(何ほど)の邪険(じゃけん)出しても悪を出しても、悪は続かんと心を治め」。(明治21.1.15日) |
「多くの中に世界の道理、今一時 人を毀(こぼ)つでほこりが立つのやで。世上の道が狭く成る。人さえ毀(こぼ)たねば 人の事を悪く言う事はない。人を毀(こぼ)つで、あちらから こちらから眺める。あの者この者が
何でも実々(じつじつ)の道を通るに、悪く言うたら 善き道とも、たすけ道とも言うまい。日々の道を通ろうと思うては、人を毀(こぼ)ったり 悪く言うてはどうもならん。人を毀(こぼ)って、何ぼ(なんぼ)道を神が付けても、毀(こぼ)つから
道を無いようにするのやで。急く事情は要らん。偉い者に成ろうと思うたら どうもならん。皆たけ/\(丈々)の人間。偉い者に成ろうとて一時に成らん。人間一生と言うても、人間の一生の事は急いては いかせん。末代の道やもの。急いては いかせん。天然自然の道に基(もとづ)いて、心治めてくれるよう」。(明治23.2.6日)
註、毀つ ー 壊す。削る。この場合は、人権や個人の体面、名誉、精神面などを著しく毀損(きそん)すること。悪口・陰口、讒訴・讒言ほかの言動。 |
「少しぐらい こんな事ぐらいという理は むさくろしい(むさ苦しい)。妬み合いという理が見て居られん。これで掃除は仕舞(しまい)。これだけ見分けんならん。見分けるには遠慮は要らん。遠慮するのは分からんからや。陰で言うは
十代罪と言う。陰で言うなら その者 直ぐに言うてやれ。身のためや。来る者に去ね(いね/帰れ)とは言わん、来ん者に来いとは言うやない。心で尽す者と、現場で尽す者と
よう見分け。陰隔(かげへだ)ての理の無きよう」。(明治24.1.29日) |
「怨(うら)み悔(くや)みを持たず、心だけ改め。いかなるもいんねん(因縁)。早く事情定めてくれ」。(明治25.5.2日) |
「要(い)らざらん事、何も心を付けるやない。面々でする事、どうも知ろうまい。是非はあろうまい。面々の怨み、これだけの事を皆(み)んなよう思うてみよ。天然自然という處(ところ)成程(なるほど)と言う。面々承知して居(お)れば、どんな慎(つつし)みもでき。これよう聞き分けておかにゃならん」。(明治26.5.11日) |
「笑うて暮らせば、何にも妬み恨(うら)みは 一つもあらせんで。よう聞き分け」(明治31.5.9日)。 |
「さあさぁ尋ねる事情/\、身上という、心得んと言うやろ。身上心得ん。一年改(あらた)め、二年改め、身上から改め。一年改める、二年改める、三年改める。一つ/\心の理改め。道これまで運ぶ處(ところ)、十分受け取ってある/\。長らえて道中、掛かりならん處
運んだ理は、十分受け取る。それから心という理/\、とんと計り難(がた)ない。順序改め掛けた/\。又(また)事情、一年改め二年改め三年改めて、事情働き損やない/\。年々銘々心の理で伸びたもの/\。誰怨みやない/\。一時鮮やかなら、一年二年三年理が、表という一つ理に集めてやろ。理に取り立てる。これ楽しませ/\」(明治32.3.22日)。 |
「悪い風に誘われ、取り損(ぞこな)いは どうもならん。これまで指図及んだる。風に誘われたのは、銘々の恨みと諭しおこう」(明治33.5.31日)。 |
「何か天然の道理 持たにゃならん。天然は いつになっても、天然で通るだけは、どうでも連れて通る。これ聞き分けたら、怨むやない程に/\。銘々心恨みと諭しおこう」(明治33.5.31日)。 |
「人の出世を怨むようでは違うぞ」(明治34.5.26日)。 |
「皆の中/\という。一つまあ余程(よほど)結構と思うて、一日楽しんだ理もある。なれど、どうも人という、心見て、銘々身からなれば是非もない。これを恨みるやない。恨んではならん。身上という身から思うような理で、さあ是非もない。順序一つ諭しおこう。人間我が身から出したる。我が身からする事どうもなろうまい。たゞ(ただ)一時
道一つ理 心に一つ理、人々我が身恨みという。これを一つ理台という。さあさぁ相手一つどうしたらよかろう、こうしたらよかろうと結ぶやろう。なれども、元々一つ、これ聞き分けにゃならん。人々の心次第/\」(明治34.11.8日)。 |
「一手一つ、これだけ諭しおこう。どれだけ不思議と思う。これだけこうと残らず/\寄り合(お)うてすれば、粗相(そそう)あっても案じる事 怨む事要らん。たゞ隠し合い包み合いする中に錆(さび)ありては、照らす事仕難(しに)くい。どうでもこうでも、一条(ひとすじ)の明るき心持ってくれ。そこで、どんな事
変わりた事あっても、皆(み)んな残らず/\知ってしたら、善うても悪うても、何處(どこ)へ怨む事はないが、明らかな道という。これだけ諭したら、どんな者でも分かるやろう」(明治35.7.23日)。 |
「身に一つ 口に言うた處(ところ)が、心に使わん理どうもならん。皆々を騙(だま)し 親を騙す。その心も同じ事や。もうこれだけ言うたら、これだけ言うて心に感じなけねば、銘々の思う通りせい。すれば、誰にも怨むるものは一つもありゃせん」(明治41.4.10日)。 |