八つの埃り個別教理

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.18日

(れんだいこのショートメッセージ)
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 2016.02.29日 れんだいこ拝


【八つの埃り一覧】
欲しい  何によらず分不相応に欲しがる埃りを云う。
惜しい  何によらず入るものを喜び、出るものを惜しむ埃りを云う。
可愛い  我が子や我が持ち物への度を過ぎる可愛がりの埃りを云う。
憎い  自分の落ち度に対する反省のないまま相手を憎む埃りを云う。
恨み  自分の落ち度に対する反省のないまま相手を恨む埃りを云う。
腹立ち  自分の落ち度に対する反省のないまま相手に腹立ちする埃りを云う。
 何によらずあるが上にさらに求める欲張りの埃りを云う。
高慢  相手を卑下し自分を偉そうに振舞う態度の埃りを云う。

【第一埃り/欲しい】
 第一埃りは「欲しい」。次のような教理になる。
 第一の埃りは「欲しい」です。「欲しい」の埃りと申しますは、価も出さず、心尽さず、努力せず、働きもせずに欲しいと思い、人の物を見ては羨み欲しがり、人を押しのけてまで欲しがり、お金を欲しがり、吉い飲み物を欲しがり、吉い着物を欲しがり、女は吉い男を欲しがり、男は吉い女を欲しがる等々の、万(よろ)ず「分限に過ぎたるものを欲しい、あるがうえにも欲しいと思う心遣い」を云います。

 「欲しい」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、欲しい心は人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 その為の成人ができなければ親神の徳を貰う道がつきません。日々家業に勤め、働いただけの与えを欲しいと願うのは宜しい。価(あたい)をもって欲しがるのは結構な欲しいです。なれど、分限に過ぎたものを欲しいと思い心が埃りになります。これを乞食根性とも云います。「欲しい」の埃りを積み過ぎますと、「欲に切りない泥海」に嵌まってしまいます。これが原因で、世に争いが起り、親不孝になり、夫婦の中も不和になります。己(おの)が立場と身分を弁えず、足納(たんのう)をせず、努力を怠(おこた)り、十分な働きもしないままに欲しがる性分を切り替えねばなりません。昔の諺で「正直者の頭(こうべ)には神宿る」とある通りです。日頃より「中庸」を心がけて通るのが「欲しい埃り払い」の秘訣です。「中庸の欲までは良くて必要なれど、欲に切りない泥海に嵌らぬようの心遣いをすべき」と悟るべきでせう。
 みかぐらうた、お筆先の教理は次の通り。
 「正文遺韻抄」の「欲しい諭し」は次の通り。
 「欲しい、という埃りは、分限に過ぎたるものを欲しいと思い、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見ては欲しいと思い、すべて、我が身分を思わず、たんのうをせずして、欲しい欲しいという心が埃りでございます。例えば、分限に過ぎたものというのは、おおよそ皆なそれぞれの、身分相応と言うことがあります。百姓は百姓らしく、月給取りは月給相応の身なり、暮らし方をせにゃならん。学生は学生らしくせにゃならん。同じ学生と言えども、それぞれの財産と境遇とによってそれ相応の程度にせにゃならん。しかし、何ほど財産があると言えども、学生はその学生たるの分限を守らなねば、埃りであります。例えば、良い服を欲しいと思い、又はよい器具を欲しいと思って求めたり、学生には不必要な物を求めるのは、たとえ与えがあるとしても、程度の過ぎたもので、埃りでございます。なぜならば、ほかの同じ学生に埃りをつけさせます。即ちそれは、我さえ良くば良い、という事になりましょう。これは大いなる埃りの根源であります。また、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見て欲しいと思う事は、例えば友達が時計を持っていると、自分も欲しいと思います。また、人がものを食べているのを見ると、自分も欲しいと思います。これはもっともな事で、だれでも同じ人情でございます。けれども、銘々に与えがあるとか、ないとかいうことは天の采配であって、銘々の因縁からで、決して人をうらやむのではない。心を治め、たんのうをして、欲しいと思う心をさらりと捨ててしまわにゃならん。何事についても同じことで、欲しいと思う心がわいても、自分の身を振り返り、ふところを探り見て、求めるだけの理がない時には、さらりとその心を捨ててしまえば、埃りの理は残らないでしょう。しかし、この欲しいと思う心の理がこもって、捨ててしまうことができなければ、悪い行いにもなって来るのであります。また、行いに現れなくても心の不平不足となり、不足の理が積もり重なれば、身の不足となります。ゆえに埃りであります。もしも、身分不相応なものや、与えのないものに、欲しいと思うところから、次々と求めますと、人には損をかける。内々には波風が立つ。様々なほこりが生じるましょう。また、それが段々長じて来ますと、人に損をかけるのも何とも思わず、借りたものはもらった物のように思い込み。内々のなげき、口説きも、全く心にかけないならば、人をペテンにかけ、生みの親をペテンにかけてまでも、我が欲しいの妄念(もうねん)を遂げるようになり、果ては、盗みもする、詐欺もするようになるのであります。そうなればもはや、法律の罪人でございますが、そうなる元といえば、罪とも咎(とが)ともいえぬ、ただささいな欲しいという凡人の心であります。よって身分を思わず、懐を考えず、むやみに欲しいという思い、念を起こすことが欲しいの埃りでございます」。
 お指図は次の通り。
 「小さい心はやめてくれ。疑ぐり/\の心はやめてくれ。ほしい(欲しい)、をしい(惜しい)、うらみ(怨み、恨み)、そねみ(嫉み)の心はやめてくれ」(明治28.10.7日)。

【第二埃り/惜しい】
 第二埃りは「惜しい」。次のような教理になる。  
 第二の埃りは「惜しい」です。「惜しい」の埃りと申しますは、出し惜しみ、納め惜しみ、返し惜しみ、貸し惜しみ、義理惜しみ、分け惜しみ、施し惜しみ、務め惜しみ、負け惜しみ、横着等々の、万(よろ)づ「出し惜しみ、骨惜しみ、身惜しみする心遣い」を云います。

 「惜しい」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、惜しむ心も人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 古い衣服や古い品物を、まだまだ使えると惜しみ、垢を落として使う。いずれ廃(すた)るものを惜しむ。これら勤倹、節検の心は結講な「惜しみ」です。なれど、「惜しい」が逆用され埃りを積み過ぎると「出し惜しみ」、「骨惜しみ」になります。溜め込むことになり、それが我がまま勝手になり、それが原因で次第に嫌われ、その結果、世間をわざわざ狭くしていくことになります。この性分を切り替えねばなりません。人の世を形の上から見れば、算盤上では人に出しただけは損、取り込んだだけは得というような算用になりますが、天理は違います。無理な取り込みすれば結局は倍にして吐き出さにゃならないことになることを諭すのが天理です。人を助けた理は一粒万倍の天の理で我れが助けられることにもなります。昔の諺に「長者の万燈、貧の一燈」とある通りです。日頃より「陰徳」を積んで通るのが「惜しい埃り払い」の秘訣です。欲しい惜しいの埃りが取れたら心明らか清くなるに従って慈悲心が広く大きくなります。八つ埃りはこの二ツが根本です。
 みかぐらうた、お筆先の教理は次の通り。 
 「正文遺韻抄」の「惜しい諭し」は次の通り。
 「惜しいという埃りは、納めねばならぬものを惜しいと思い、かやさねばならぬものを惜しいと思い、人に貸すことを惜しいと思い、義理をするものを惜しいと思い、人に分配することを惜しいと思い、難渋に施すものを惜しいと思い、人のために暇を費やすのを惜しいと思い、すべて出すべきものを惜しいと思うはもちろん、人の助かる事、人の為になる事に費やす物事を惜しいと思う心が埃りでございます。又、身惜しみと言う、横着な心も惜しいの埃りと聞かせて頂きます。この惜しいという心がありますから、人を助けるということもできません。返すものは段々延びる、返礼は薄くなる、納めねばならぬ金銭も怠る、義理を欠く、人が物を貸してくれと言えば、あるものもないと言ったり、空いているものもふさいでいると言ったりして、嘘をつくようになる。こうなれば、段々恩を重ねるばかりで、人には悪く言われ、けちんぼなどとそしられて、人の埃りのためにもなります。また、出すものは出し、やるものはやりながらも、この惜しいという心のために、理を失ってしまう事がしばしばあります。例えば、人に物をやっても、もっと少しにすればよかったと思ったり、神様へお供えしてもああ惜しい、お供えしなければよかったと思ったり、物を買いましてもせんど値切って、向こうが負けると言うと、もっと値切ってやればよかったと思ったり、惜しいけれども義理で仕方がないと思って出したりする事がしばしばありましょう。こういう心遣いでは、せっかく出しながら、心で取り返してしまう理で、何にもなりません。そこで神様は、そういう心を出すものは、人は受け取っても、天が受けとらんと聞かせられます。丁度、種をまいてすぐ掘り返しているようなもので、労して功なしでございます。そしてまた、事によっては、大層惜しいと思いますが、惜しいと思っても取り返しがつきません。そして惜しい惜しいの心が残念となり、心の悔やみとなって、ついに気が狂ったり、病が出たりする事も、しばしばあることでございます。これは、惜しいという凡人の心のために、我がと我が身を殺すものと言わなければなりません。また、身惜しみ、骨惜しみという事も同じことで、例えば、どのような勤めをしているとしても、心で満足せず、つらい、うたてい(方言?)と思って嫌々した分には、天のお受け取りはございません。即ち、労して功なしで、やはり恩を被るような理になります。そういう心遣いである者は、人のいる前では働くような振りをして、人のいない所ではなまくらをするに違いありません。そんなものが、人のためになる事ができそうな事はありません。いささかな骨折りで人の喜ぶことや、または、物が粗末になる事があっても、誰かがするだろうと思って放っておく。ちょっと一足そこへ出て、捨てて来れば片付く事でも、不精にして、放っておいて、誰かしてくれるだろうと思っている。互いにそういう心では横着の勉強をしているようなものです。人間というものは、心も体も動かさずにはおられないものです。働いて楽しむようにできています。それなのに、心が不精になり、身が横着になりますと、神様のご守護も不精になり、横着になります。一時によい働きをしようと言ったとしてもできそうなはずはございません。一生『使いにくい人や、頼みにくい人や』と言われて、のらりくらりして果ててしまって、この次の世に持ち越す理は、恩をきた理ばかりでございます。横着の心というものは出易いものですから、よくよく注意をしなければなりません」。
 逸話篇「178、身上がもとや」。
 命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人(ぬすと)が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆な出してやりますやろ。悩むところも同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を助からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのも厭(いと)わず金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて身を捨てる。これ心通りやろ。そこで、二の切りをもって身の難助かったら、これが大難小難という理やで。よう聞き分けよ」。

【第三埃り/可愛い】
 第三埃りは「可愛い」。次のような教理になる。
 第三の埃りは「可愛い」です。「可愛い」の埃りと申しますは、我が子を甘やかし、食べ物、着物の好き嫌いを言わせ、仕込むべきことも仕込まず、間違ったことも注意しないで、気ままにさせておく等々、万(よろ)づ「身びいきや身勝手から利己的に人を隔て偏愛する心遣い、可愛いに溺れる心遣い」を云います。「可愛い」の埃りと「憎み」の埃りが裏表です。我が身が可愛から人が憎い、人が憎いから我が身が可愛という関係になっております。

 「可愛い」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、可愛いの心も人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 可愛(かわい)
という愛情のない者は居りません。と云うより、可愛い気持ちは大事で、なければならんものであります。なれど、我が子は可愛いが人の子は憎いという様な「可愛の隔て」を致しますと、これは「可愛い」の埃りであり、これを積み過ぎると偏愛になります。我が子が大切なると同じように人の子も大切と、同じ眼を以って 「博愛衆に及ぼし」、分け隔てのなき心に成人せねばなりません。人の難儀ハ構わん、人の不自由ハ構わん、道ハ倒れても構わん、我が身さえ良けりや良い、内さえ良けりや良い、と思う身勝手な性分を切り替えねばなりません。日頃より「公平」を心がけて通るのが「可愛い埃り払い」の秘訣です。可愛いの埃りは、我が身可愛さの保身が隠ぺいを誘発し、後にそれは甚大な被害と混乱を招きます。
 みかぐらうた、お筆先の教理は次の通り。
 月日には 皆な一列は 我が子なり
 可愛い一杯 思うていれども
十六号31
 「正文遺韻抄」の「可愛い諭し」は次の通り。
 「可愛い、というほこりは、可愛いという愛情のないものはない。しかし、その愛情に引かされたり、おぼれたりする愛着心と、今一つだれ彼の隔てをして、その者に限り別段に可愛いという偏愛心とがほこりでございます。例えば、我が子の愛情におぼれて、身の仕込みも十分せず、心のしつけも厳しくせず、気まま勝手に育てて、成人した後に後悔するような事もしばしばあることでございましょう。また、我が子のあやまちを人の子に塗り付けたり、人の子の手柄を我が子に横取りしたりするような、目のくらんだ親も無いとはいえません。また、我が子の愛情に引かされて、自分のつとめを怠ったり、身分不相応なものを求め与えて、罪を作ったり、はなはだしい事には、我が子可愛いために、人の物に手をかけたり、悪い了見をおこしたりする者もしばしばありましょう。また、この愛情は、子供の上ばかりではありません。女の愛におぼれて、大事なことも打ち捨てて、家をつぶし、身を反故にするものも、しばしばございましょう。大きく申せば国家のために忠義をつくす人でも、一夜の間にも、女の愛にほだされて、不忠不義の人となったためしも少なくはないでしょう。これらは、ただ我が身を反故にするのみではありません。家をつぶせば、家内の者を困難の淵に沈めるのであります。国家のためにあやまれば、国の人びとに災いを及ぼすのであります。どれだけ大きい罪とも知れません。また、この可愛いという凡人の心のために、前申しましたような行いは致さなくとも、可愛い可愛いの心から我が心を苦しめ、先あんじや、嘆き、口説きを重ねて、自ら我が心や身上を病む親も沢山ございます。こういう凡人の心が、お話しの理によって自らのいんねん、事情を聞き分けて、神様にもたれるという安心を定めて、発散しなければなりません。また偏愛というのは、例えば大勢の子供を預かっても、皆同じように心をかけずに、その中の一人二人を別段に愛すると言うような事や、または、我が子のある中へ人の子を預かって育てたり、まま子を育てる事があった時に、我が子のみを可愛がり、我が子にはよいものを与えて楽をさせ、預かり子やまま子には悪いものを与えて、辛い事をさせるというような、へだてて可愛がるのがほこりでございます。そういうふうに致しますと、皆な心がひがみ、心がいがんで、絶えず争い事が生じて、互いにむつまじく通ることは出来ません。そこで多くの人間を悪く仕込むことになってしまいます。それはどれだけの罪とも知れないでしょう。第一に、こういう隔ての心は、天の理にかないませんので、偏った愛情は心にもたず、一列同様の愛情をもって、愛着心を生じないよう通らせてもらわなければなりません」。

【第四埃り/憎い】
 第四埃りは「憎い」。次のような教理になります。
 第四の埃りは「憎い」です。「憎い」の埃りと申しますは、相手にばかり責任を被せて己の責任を問わず、己の気ままな心のままに我が気に入らん又は虫が好かんとて人を憎み、相手が粗相(そそう)をしたり過(あやま)ちがあったからとて憎み、我に無礼をしたとて憎み、人の助言や忠告をかえって悪く取ってその人を憎み、邪険の心で罪を憎み人を憎み、恩人に仇なす憎み、嫁を憎み、姑を憎み、養子を憎み、身内同士で憎み、人の嫌う事を言って憎まれ、人の嫌う事をして憎まれ等々の、万(よろ)づ「不適切に人を悪し様に思う心遣い」を云います。人の陰口を言ってそしり、笑い、あるいは罪を憎まず人を憎むという心も然りです。

 「憎い」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、憎いの心も人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 
物事には原因がありますので憎みが分からないでもありません。不正を憎むのは大事なことです。そういう意味で致し方ない面もありますが、往々にして「狭い心」から生まれております。憎しみが憎しみで止まるのは良くありません。その解決手法も求めて精進せねばなりません。これをしないまま、我が身を省みて内省することなく、あるいは深く洞察することなく、あるいは「狭い心」を直すことなく、「憎い」の心遣いをする性分を切り替えねばなりません。日頃より「反省」を心がけて足納して通るのが「憎い埃り払い」の秘訣です。
 みかぐらうた、お筆先の教理は次の通り。
 「正文遺韻抄」の「憎い諭し」は次の通り。
 「憎い、というほこりは、我の気に入らん、またはむしがすかんと言って、罪なき者を憎いと思い、粗相をしたり、過ちがあったからと言って憎いと思い、我に無礼だとか、失礼だとか言って憎いと思い、すべて、おのれの気ままな心、邪険の心から人を憎いと思うがほこりであります。例えば、姑が嫁を憎いと思うことは、まま親がまま子をいじめるようなものでございまして、これは邪険と申せましょう。この邪険の心、勝手、気ままの心が憎いというほこりを助けて、われの憎いと思う者へは荒くあたり、きつくあたり、無理を言い、与えるべきものも与えず、他の者は喜ばせながら、その者には泣かせるようなことをする。あるいは、良いことがあっても、それはおくびにも出さず、少しでも悪いことがあれば、針ほどの事でも棒ほどにして、その者の事を悪く言います。あるいは、大勢の中で恥をかかすような事も致します。他人の目から見ても、むごい人や、非道な人やと言われるようになる。こういう邪険なわがままの人に限って、一寸した事に憎いという心をわかす代わりに、また一寸した事に可愛いという隔ても致すのでございます。一列兄弟、皆可愛いという心を持って、例え過ちがあろうとも、自分に失敬な事をされようとも、悪いところは改めさせるようにして、人を憎いと思う心は沸かさないようにしなければなりません」。
 「皆な憎い者はない/\。皆な可愛いから言うのや。これ万事(ばんじ)聞き分けにゃならん」(明治34.12.21日)。
 「今に(いまだに)乳呑児(ちのみご)同様の心で居(い)るから、どうもならん。皆な憎い者はない。心間違うから、親の心 皆な変わる。皆な違う心から 心が変わるから、見難(みに)くうなる。生涯のところよく聞き分けにゃならん。聞き分けば身の苦しみ止まる。皆な勝手/\の思惑どうもならん。これ一つ定めにゃならん」(明治39.5.28日)。

【第五埃り/恨み】
 第五埃りは「恨み」。次のような教理になります。
 第五の埃りは「恨み」です。「恨み」の埃りと申しますは、「憎み」ほど攻撃ではありませんが、の思惑やしたかったことを邪魔せられた、体面を傷つけられた、望みを妨げられた、どう言った、不親切だというて恨み、人の親切を却って仇(あだ)にとって恨み、人の粗相も意地からしたように思うて恨む等々の、万(よろ)づ「他人の幸福をねたむ内気的な裏見の心遣い」を云います。己(おのれ)の悪しきを省みず、人を恨むは勿論、すべては因縁の理からなるという理を悟らずに、ただ人を悪しく思うて恨むが「恨み」の埃りです。

 「恨み」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、恨みの心も人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 
人を恨まず我が身我が心の至らぬところを恨むのはよろしいなれど、自分の境遇に愚痴を云うだけで改善に向かわないのは良くありません。人を羨むだけでは何の解決にもなりません。この気持ちが陰口を生みます。この性分を切り替えねばなりません。日頃より「有難さ」を心がけて通るのが「恨み埃払い」の秘訣です。
 み神楽歌、お筆先の教理は次の通り。
 難儀(なんぎ)するのも 心から
 我が身恨みで あるほどに
十下り目七ッ
 真実に 人を助ける 心なら
 神の口説(くど)きは 何もないぞや
三号32
 どのような 事も恨みに 思うなよ
  みな銘々の 身恨(うら)みである
六号95
 この先は どの様(よ)な道が あるとても
 人を恨みな 我が身恨みや
十三号103
 どのような ことがありても 恨みなよ
 皆な銘々に することやでな
十六号30
 どのような ことがありても 恨みなよ
 皆な銘々に しておいたのや
十七号60
 「正文遺韻抄」の「恨み諭し」は次の通り。
 「恨み、という埃りは、おのれの思惑を邪魔されたと言って恨み、人を不親切だと言って恨み、人の親切もかえってあだにとって恨み、人の粗相も意地でしたようにとって恨み、すべておのれの悪い事を顧みず、人を恨むはもちろん、因縁の理からなるという理を悟らずに、ただ人を悪く思って恨むのが埃りとなります。例えば、自分が出世出来そうになったところを、他の人が登用されたために出世できないようになると、あの奴が邪魔しやがったと思って恨む。そうではありません。自分よりもその人の方が仕事が出来るからです。また、たとえ自分の方が仕事ができ、登用されるべき順序にあったとしても、因縁という理を心に治めたならば、たんのうして、ますます慎み、行いを改めなければならないはずであります。ところが、あいつがいたために、あいつが邪魔したためにと誤解して、その者を恨む、これは大きな間違いでございます。また、自分が心をかけた女を、人が取ったとか、または、女が他の男に心を寄せたとか言って、その女も男も共に恨み、自分が心得違いをしておったのだと、改心するところへ気がつかず、人を恨んで、その結果がケンカ、口論となり、はなはだしいことには、殴りつけたり、刃物で刺したりして、ついには殺害するに至る。恨みの刃を振りかざす例は、古今東西絶える事のないありさまで、誠になげかわしい至りでございます。また、小さい事で申したなら、「あの人がこう言ってくれればよいのに」、「言いようが悪いために、私は人に悪く思われる、不親切な人だ、憎らしい人だ」と心を沸かす。また、人が自分の過ちを親切に忠告してくれても、悪く取って、「あいつがいまいましい事を言いやがる。今度奴の穴を探して仕返ししてやらなければならん」などと思って、心中大いに恨んでいる。あるいは、人が粗相で自分の器具などを傷つけても、「あいつが粗相をするなんて、これは意地からしたに違いない、ひどい奴だ」と胸に持つ。こういうような取り違いをして、日々ささいな恨み心を起こす事が数々あるのでございます。これは、心ばかりのことで、目にも見えませんが、これが埃りと聞かせられますので、積もり積もって身上に迫るようになります」。
 お指図は次の通り。
 「天然自然、面々(銘々)に誠さい定め、実(じつ)さい定め。身の處(ところ)心なくしてならんなれども、面々きょうだい(兄弟姉妹)。これはこうじゃ、神の指図、神を恨(うら)む事は少しもない」。(明治20.3月)
 「さあさぁどんな者もこんな者もいる。妬(ねた)む/\。どんな事を言うて来ても、じっと静まりておれば独(ひと)り静まる。何程(何ほど)の邪険(じゃけん)出しても悪を出しても、悪は続かんと心を治め」。(明治21.1.15日)
 「多くの中に世界の道理、今一時 人を毀(こぼ)つでほこりが立つのやで。世上の道が狭く成る。人さえ毀(こぼ)たねば 人の事を悪く言う事はない。人を毀(こぼ)つで、あちらから こちらから眺める。あの者この者が 何でも実々(じつじつ)の道を通るに、悪く言うたら 善き道とも、たすけ道とも言うまい。日々の道を通ろうと思うては、人を毀(こぼ)ったり 悪く言うてはどうもならん。人を毀(こぼ)って、何ぼ(なんぼ)道を神が付けても、毀(こぼ)つから 道を無いようにするのやで。急く事情は要らん。偉い者に成ろうと思うたら どうもならん。皆たけ/\(丈々)の人間。偉い者に成ろうとて一時に成らん。人間一生と言うても、人間の一生の事は急いては いかせん。末代の道やもの。急いては いかせん。天然自然の道に基(もとづ)いて、心治めてくれるよう」。(明治23.2.6日)

 註、毀つ ー 壊す。削る。この場合は、人権や個人の体面、名誉、精神面などを著しく毀損(きそん)すること。悪口・陰口、讒訴・讒言ほかの言動。 
 「少しぐらい こんな事ぐらいという理は むさくろしい(むさ苦しい)。妬み合いという理が見て居られん。これで掃除は仕舞(しまい)。これだけ見分けんならん。見分けるには遠慮は要らん。遠慮するのは分からんからや。陰で言うは 十代罪と言う。陰で言うなら その者 直ぐに言うてやれ。身のためや。来る者に去ね(いね/帰れ)とは言わん、来ん者に来いとは言うやない。心で尽す者と、現場で尽す者と よう見分け。陰隔(かげへだ)ての理の無きよう」。(明治24.1.29日)
 「怨(うら)み悔(くや)みを持たず、心だけ改め。いかなるもいんねん(因縁)。早く事情定めてくれ」。(明治25.5.2日)
 「要(い)らざらん事、何も心を付けるやない。面々でする事、どうも知ろうまい。是非はあろうまい。面々の怨み、これだけの事を皆(み)んなよう思うてみよ。天然自然という處(ところ)成程(なるほど)と言う。面々承知して居(お)れば、どんな慎(つつし)みもでき。これよう聞き分けておかにゃならん」。(明治26.5.11日)
 「笑うて暮らせば、何にも妬み恨(うら)みは 一つもあらせんで。よう聞き分け」(明治31.5.9日)。
 「さあさぁ尋ねる事情/\、身上という、心得んと言うやろ。身上心得ん。一年改(あらた)め、二年改め、身上から改め。一年改める、二年改める、三年改める。一つ/\心の理改め。道これまで運ぶ處(ところ)、十分受け取ってある/\。長らえて道中、掛かりならん處 運んだ理は、十分受け取る。それから心という理/\、とんと計り難(がた)ない。順序改め掛けた/\。又(また)事情、一年改め二年改め三年改めて、事情働き損やない/\。年々銘々心の理で伸びたもの/\。誰怨みやない/\。一時鮮やかなら、一年二年三年理が、表という一つ理に集めてやろ。理に取り立てる。これ楽しませ/\」(明治32.3.22日)。
 「悪い風に誘われ、取り損(ぞこな)いは どうもならん。これまで指図及んだる。風に誘われたのは、銘々の恨みと諭しおこう」(明治33.5.31日)。
 「何か天然の道理 持たにゃならん。天然は いつになっても、天然で通るだけは、どうでも連れて通る。これ聞き分けたら、怨むやない程に/\。銘々心恨みと諭しおこう」(明治33.5.31日)。
 「人の出世を怨むようでは違うぞ」(明治34.5.26日)。
 「皆の中/\という。一つまあ余程(よほど)結構と思うて、一日楽しんだ理もある。なれど、どうも人という、心見て、銘々身からなれば是非もない。これを恨みるやない。恨んではならん。身上という身から思うような理で、さあ是非もない。順序一つ諭しおこう。人間我が身から出したる。我が身からする事どうもなろうまい。たゞ(ただ)一時 道一つ理 心に一つ理、人々我が身恨みという。これを一つ理台という。さあさぁ相手一つどうしたらよかろう、こうしたらよかろうと結ぶやろう。なれども、元々一つ、これ聞き分けにゃならん。人々の心次第/\」(明治34.11.8日)。
 「一手一つ、これだけ諭しおこう。どれだけ不思議と思う。これだけこうと残らず/\寄り合(お)うてすれば、粗相(そそう)あっても案じる事 怨む事要らん。たゞ隠し合い包み合いする中に錆(さび)ありては、照らす事仕難(しに)くい。どうでもこうでも、一条(ひとすじ)の明るき心持ってくれ。そこで、どんな事 変わりた事あっても、皆(み)んな残らず/\知ってしたら、善うても悪うても、何處(どこ)へ怨む事はないが、明らかな道という。これだけ諭したら、どんな者でも分かるやろう」(明治35.7.23日)。
 「身に一つ 口に言うた處(ところ)が、心に使わん理どうもならん。皆々を騙(だま)し 親を騙す。その心も同じ事や。もうこれだけ言うたら、これだけ言うて心に感じなけねば、銘々の思う通りせい。すれば、誰にも怨むるものは一つもありゃせん」(明治41.4.10日)。

【第六埃り/腹立ち】
 第六埃りは「腹立ち」。次のような教理になります。
 第六の埃りは「腹立(だ)ち」です。「腹立ち」の埃りと申しますは、人が自分の気に入らぬ事を言ったとて腹立ち、間違った事したとて腹ち、自分が思い立ったことでも上手くできないことに腹立ちする等々、万(よろ)づ「自分に向けて立腹する心遣い」を云います。憎みほど攻撃ではなく、ねたみほど内気でもありません。理非を立てるのはよろしいなれど、勝手かんしゃくから腹を立てるのが埃となります。腹立ちは恨みが元で恨みより生じます。恨みでこらえておいたら国狹槌の命様の御意見なれど、恨みがこらえ切れぬゆえ腹立ちとなります。

 「腹立ち」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、腹立ちの心も人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 
物事に腹立ててみても何の解決にもなりません。自分に腹立て、人に腹立てさせるのは下策であり、腹立てをなくす為の努力をせねばなりません。癇気、癇癪(かんしゃく)は我が身の徳を落とし、我が身の生命も損なう事があります。この性分を切り替えねばなりません。「腹立ち」は気短かで、気短かは息を短くさせ、息の短かは命を短くさせます。

 広く大きい心を持たず、堪忍、辛抱をせずして、気短な心から腹立てるが「腹立ち」の埃りですので、日頃より「広く大きな心」を持つように心がけ、いわゆる「成る堪忍は誰もする、成らぬ堪忍するが堪忍」の「堪忍辛抱」を能くするのが「腹立ち埃払い」の秘訣です。
 みかぐらうた、お筆先の教理は次の通り。
 
 「正文遺韻抄」の「腹立ち諭し」は次の通り。
 「腹立ちという埃りは、人が自分の気に入らぬ事を言ったと言って腹立ち、間違った事をしたと言って腹立ち、粗相をしたと言って腹立ち、自分の気が面白くないために、ささいな事にもむやみに腹立ち、すべて、広く大きい心を持たずに、堪忍(かんにん)辛抱をせずに気短な心から腹を立てるのがほこりでございます。例えて申しますならば、親が着物を用意してくれましても、自分は気に入らないと言って、むやみに腹を立て、むきになって、じだんだ踏んで怒るような子供もございましょう。また、従業員や、家内や子供が、自分の気に入るようにしないと言って腹を立て、怒り散らして、「どうしてよいやら」と従業員や家内、子供がうろうろしなければならんような主人もございましょう。また、目下の者が粗相でもすると、非常に立腹して、いたたまれないように怒り散らす人もありましょう。粗相は時の表裏(失敗と思っていたことが良いことになることもある)で、神様のなさる事と思えば、腹は立ちません。もし、自分が粗相をしたならどうでしょうか。黙って放っておくに違いないでしょう。また、自分がなんとなく気が面白くないという時には、むやみに怒り散らしたり、ものに当たったり、道具を壊したりするような事もあります。あるいは、子供が言うことを聞かないと言って頭をたたいたり、小便をした、いたずらをしたと言って、ひどいめに合わせたり、子供は親の心通りのご守護という事を知らずに、むやみに腹を立ててしかる親もあります。これはすべて腹立ちのほこりであります」。
 「奥野道三郎氏の話(その五)、人が悪口を言うたら」の「腹立ち」諭しは次の通り。
 「あるとき、教祖は、山本利三郎におっしゃいました。『人が悪口を言ったら、そのものの後姿をおがんで通るのやで。そうしたら、その者が、こちらの因縁を取って行って下さる恩人になるのやで』。山本利三郎は、どんなことがあっても腹を立てず、その人の後姿を拝んで通っていたのであります。山本には”しま”という女房がいました。二人の間には、可愛い男の子がいました。それだのに、どうした気の迷いでございましたか、”しま"は他の男と割りない仲となったのであります。いつもの山本なら、どうなったか分りませんが、このときには、教祖から、どんなことがあっても腹を立ててはならん、と教えられていたのであります。それで、山本は、女房の”しま”に、どうしてもその男を忘れられんというなら、その男のところへ嫁に行け、子供は私が引きとり、立派に育てる、何の心配もいらん。また心配ごとができたら相談に来てくれ、神の子供、兄妹として助け合おうではないか、といって別れたのであります。”しま”は、その後も山本のところへ、事情があると相談に来ていたそうです。その後、山本は、教祖のお世話によって、勝山小松と結婚いたしました。この人は若くて、きれいな人でした。それで河内の人々は、山本は糟糠の妻を捨てて若い嫁をもらったと悪口を言っていました。本当の事情が伝わっていなかったのです。明治22年、山本が会長になり、中河分教会設立認可を大阪府へ申請したとき、この悪口を投書したものがあって、なかなかお聞きとどけいただけなかったのだと聞かしてもらっています。それでも山本は、教祖の教えのままに通っていたのであります」。
 増井りん「誠真実(まこと)の道」99-103p「はらだちとは」より。(女性である増井りん先生の、とくに女性に対してのお諭しです) 
 「腹立ちということについて、しばらく、ほんのかど目だけご相談致します。一口に腹立ちと申しますが、これを小分けしてみますれば色々数がございます。短気というのもその一つ、機嫌の悪いというのもその一つ、また立腹というのもその一つでございます。短気と申すのは、ちょっと障子を開けようとしても、思うようにすぐに開かないので、癇癪(かんしゃく)を起こしてガタピシャと、障子の折れるのもお構いなしに開けようとしたり、また、子供の返事の仕方が悪いと言って、すぐに頭を張ったりするのを言うのです。また機嫌の悪いと申すのは、俗にお天気が悪いなどとも申しまして、べつに乱暴な行(おこな)いをするような事はありませんが、腹の中で何かクシクシ思って、人がものを言っても碌々(ろくろく)返事もせず、いつも仏頂面(ぶっちょうづら)をしているようなのを申すのであります。それから立腹と言うのは、何か気に食わぬ事があったからと、喧々(けんけん)と大声を上げて怒鳴り散らすという種類のもの。こういう風に色々の腹立ち方がございますが、そんなら腹を立てると、どういう得があるかと申しますと、短気は損気と言う通り、腹を立てて得(徳)になる事は一つもございません。まず第一に、顔貌(かおかたち)が悪くなります。赤い顔になる人もあれば、青い顔になる人もございます。目の玉ばっかりがイヤに光り、口先は尖(とが)らかすのが普通です。息遣いが荒くなりますから、声が大きくなって、怒鳴り声、震え声という嫌な声を出すようになります。そうしてその口から出る言葉はどうかと申しますと、腹を立てた時に丁寧な言葉を使う人はございません。馬鹿とかあほうとか、常に丁寧な言葉を使っていた人でも、そういう時には汚い、卑(いや)しい言葉を使うものです。また、甚(はなは)だしいのになりますと、その場にありあわせた茶碗でも土瓶でも、何でもかでもお構いなく放(ほう)りつけるという事もありまして、壊さなくてよいものを壊すことも、たびたび起こってくるのです。腹が立ちますれば、自分でも決して気持ちの良いものではありません。非常に気持ちが悪く、なおその上に、悪口を言わなくてもよいのに、悪口を言ったり致して、大変な損害を被(こうむ)ります。その上に、世間の人々からはあの人はよく怒る人だと言われたり、茹蛸(ゆでだこ)のようになったなどと言われたり致します。それで、腹を立てては こういうように不利益がございます上に、身体のためにも大層悪いのですから、頭痛が致したり、逆上(のぼ)せたり、目が眩(くら)んだり、乳が出なくなったり。 こういう風に考えてみますと腹立ちには何一つとして、よい結果はついて来ないのです。それですから、我が教え(我らの教え)の教祖様(おやさま)も八つのほこりの中へ、ちゃんとこの腹立ちをお加えになって、『これを懺悔(さんげ)しなければならぬ』と教えられておるのでございます。腹立ちは、男の方にとりましても決して見よいものではありません。ことに慎(つつし)み堅(かた)くなければならぬ女が腹を立てるということは大変見苦しいことですから、このこと(腹立ち)には特別に気をつけなければならぬと存じます。心は、自(おの)ずから静まって(鎮まって)いくのです。教祖様は、実にそのよいお手本をお示し下されました。教祖様は、この世の人間を救うためにご苦労下されたのですが、世の中の人は、これとはよく存じませんので、監獄へお入れもうしたりしました。それでも教祖様は少しも腹立てあそばされず、『何も知らぬ子供であるから』と仰せられていたのでございます。こういう教祖様の、広い大きい御心(みこころ)の、千分の一でも見習わせて頂いたならば、日々生活していく上について、決して腹を立てるようなことはないであろうと存じます。たとえ、また腹を立てることがありましても、教祖様の御事(おんこと)を考えさせて頂いたならば、どんなことがあっても腹の立ちそうな筈(はず)はございません。それですから我々婦人は、ことに増してご教理を拝聴し、教祖様をお慕い申して腹立ちの心の起こらないように勤めさせて頂かなければならぬと存じます」。
 桝井孝四郎「教祖様の御言葉」の「腹というものはな」(昭和26年6月、青年会求道者講習会「天理青年教程」第3号119-120頁。みちのだい第33号「教祖特集号」26頁。
 「埃りの中の腹立ちということについて申し上げます。私(桝井孝四郎)の知っている限りにおいては、私のお父さん(桝井伊三郎)は、大変優しい親切な方としか私には感じがないのです。ところが母親は、『お父さんにも実はこんな事があったのやで』と教えてくれたのです。と申しますのは、ある日のこと、伊三郎父と、おさめ母が、教祖のお仲人で結婚をさせていただかれまして、それからのことでございます。父伊三郎が、教祖の御前に出られました時、教祖様がこう仰った。『伊三郎さん、おまはんは 外では本当に優しい人付き合いのいい人やが、これだけはいかん事やから、今日限りやめときなはれや。我が家へ帰って女房の顔を見て、ガミガミ腹を立てる事、これが一番いかん事やからして、もう今日限り、すっかりやめときなさいや』、と仰ったのであります。そう致します、と言うと、そのうら(そのそば)からお父さんが、あっ、また自分のいない時に、あのおさめが俺の悪口を言うてきたな、と思うて腹を立てた。(笑声) お母さんが滅多に教祖様にそんな事言うはずもありません。見抜き見透しの教祖様は、はっきり分かっておられるのです。そこで初めて、あ、ほんに これがいかんのや。あ、誠に申し訳ない。ほんに成程(なるほど)これがいかんのや。これを教祖がお仕込み下されているのやと気づいて、今後は決して腹立ちは致しません、とその時その場で教祖を前に『はい』と素直に心定めをしました。それから我が家へ帰って女房の顔を見ても、ちょっとも腹が立たん。顔はやはり同じ顔なんですが。(笑声) ところが女房の顔を見ても、腹が立つようなことが自分に映ってこないのです。腹立ちの因縁切ってもらわれて、それからというものは、それはそれは優しいお父さんになられたのや、という話を聞かせて頂きました。

 二代真柱様のよくなさるお話に、黒い眼鏡をかけると黒く見える、からというて、これは『黒い』と思うたら間違いなのです。自分の顔に墨が付いていて、いくら映っている鏡を拭いたって、墨を退(の)かん(拭き取らん)限り、なんぼ鏡を拭いても取れんのです。これがほこりなのです。

  これはまた別の場合でありますが、 おきくのおばあさんが教祖様(おやさま)から、かようにお聞かせ頂いた。『なあ、おきくさん、腹(はら)というものはな、腸(はらわた)と言うて、柔い(やわらかい)ものを神様が貸して下さってあるのやで。腹が立つ、立たんはめんめん(銘々)心の理が立つのやで』、と仰った。誠にこの通りではないですか。腸(はらわた)、うまいことを教祖様(おやさま)は仰います。ところが なんぼ柔らかい袋でも、中に棒を入れたら立つのです。(笑声) 立てるのはこちらにあるのです。だからして埃りというものは、銘々の我が心にあるのです。『我が心の掃除』、『心の入れ替え』を為(な)し、そして喜びの世界を見せて頂くのです。すなわち、救けて頂くことができるのです。教祖のお話というものは、ちょっとも無駄にはできない正味のお話やで。これをしっかりそのまま心に守って通らせてもろうたら、わが身結構に、わが身の因縁も切って頂いて、救けて頂くこともできる、ありがたいお話やで、と母が聞かせてくれました」。
 みちのだい教話第1集「おやの思い」99-104頁「神さんめどうだっせ」(梅谷忠雄「活かす道」より)。
 「話しは明治16年の昔に遡(さかのぼ)りますが、教祖の御休息所を建築させて頂くことになり、ご本席様が建築の責任をとられ、私の祖父(梅谷四郎兵衛)は、この建物の壁を塗らせて頂く事になったのであります。そこで、ご本席様と打ち合わせて『いついつかに来るから』と固く約束して、その日に祖父は大阪から十余里もある十三峠を道具箱を肩に、はるばるお屋敷へやって来ましたところが、まだ建築の方が進んでおりません。そこで再度お屋敷へ参りましたところ、やっぱりでき上がっておりませんので、やむなく再度、登参の日を約束して空しく大阪へ戻り、後日三度目にやっと左官仕事に取りかかれたのであります。そのあいだ祖父は、一言半句の不足不満さえ申さなかったのでありますが、仕事のためにお屋敷帰在中のある時、ある人が、梅谷さんは大阪で職にあぶれているのや。あぶれているからこそ大和三界まで飯を食いに来ているのや、と本人を前にして露骨に申されたのですから、元来腹立ちの祖父は、とうとう辛うじて抑えられていた癇癪玉(かんしゃくだま)を破裂させたのであります。だがあいにく夕食時の事で、茶漬け飯をかき込もうしている最中だったものですから、何くそっ、と言おうとした声を、お茶漬けと共に飲み込んでしまったのです。ポロポロとあふれ落ちる涙さえも、そのご飯と一緒に喉の奥深く飲み込んでしまったのであります。よっしゃ、そんなにまで言われてここに居れるかい。もうこんな所へ二度と来るかい。祖父は憤りの心を抑えようもなく、その夜早速、帰阪の準備を急ぎました。

  祖父のことを私から申し上げるのは恐縮でありますが、祖父は左官は左官でも普通の左官ではなく、十四代も続いて、多くの内弟子まで抱えていた棟梁(とうりょう)なのであります。小さい時から御茶、御花、謡曲なども仕込まれてきております。私の宅にも祖父の用いていました謡曲本の『猩々(しょうじょう/オランウータン)』や『狸』など残っておりますが、なぜそんな、おおよそ左官らしくもない習い事をしたかと申しますと、大家(たいか/資産家)へ出入りしていた関係上、常に大家の人達の相談にのらねばならない。この床にはどんな塗りを、この床にはどんな軸を、というような事まで知っていねばなりません。したがって華道の方も奥伝までとっております。こういう風でありますので、ありふれた左官同様の扱いどころか、聞くに耐えぬ罵言を露骨に聞かされたものですから、立ててはならぬ腹を立てるのも無理ならぬ事であったろうと思われます。

  さて祖父はその夜中遅く道具箱を肩に、ぬき足さし足にて教祖のお寝みになっておられる中南の門の脇を通ってくぐり、足を運ばせて行きましたところが突然中から、『ゴホン、ゴホン』、と咳払いの声が二声三声聞こえて参りました。言うまでもなく、これは教祖のお咳払いだったのであります。祖父はこのお咳払いの声を聞くや、そのまま足が釘づけにされてしまいました。ああ申し訳ない。教祖がおいでになる。わしは教祖のおいでになる事を忘れていた。教祖に救けて頂いた御恩を忘れて、腹立ち紛れにこのお屋敷を抜け出すとは何としたことか、と深い反省心が湧いてきたのであります。心を取り直して静かに、祖父は何気ない風で、寝床にお詫びの一夜を明かしたのでございます。翌朝、目を覚まして教祖にお目通り致しましたところ、『四郎兵衛さん。このお道は人(にん)がめどうか、人がめどうか、神さんめどうだっせ』、と教祖がやさしくお諭し下さったのであります。何にもご存知ないと思っていた教祖は、『腹立ての梅谷』を矯(た)め直してやりたさに、このような試練の場を通してお仕込み下さったのであると悟り、かつ私は今も、この教祖のお咳払いがあったればこそ、今日の私の家があり、船場大教会があるのだという事をつくづく考えては、感涙にむせぶのであります。もしあの時、教祖のお咳払いが祖父の耳に入らなかったら、今の私はどうであろう。ほら来た、よし来た、そこ塗れそこ塗れ、という調子で、今ごろ盛んに塗っているかも知れません。あるいは、左官の走り遣いくらいのものかも知れません。『梅谷さん、低いやさしい心になりなされや。人様を救けなされや。自分の癖性分を取りなされや』、と祖父の顔を見ては優しくお諭し下さった、教祖の見抜き見透しの思召に私は常に感じ入っては、今日の幸福を感謝申し上げているのでございます」。
 みちのとも昭和38年4月号「ひながたを求めて座談会 松隈青壺氏談」の「ちょっとそこまで 」より。
 「ある日、教祖が信者を二、三人連れて布留川(ふるがわ)の土手を歩いておられると、村方の若い者が、川で大根を洗っていた。ふと見ると、向こうから教祖が来られるので、一つ悪口を言うてやろう、と待ち構えておったそうです。そして側(そば)を通られた時に、どうちくしょう(こんちくしょうの意)、と怒鳴った。 すると教祖はニコッと笑って、『ちょっとそこまで』、と仰ったので、相手は拍子抜けてしまったわけですが、腹の治まらないのは教祖に随(つ)いて行った信者たちです。けしからん、と今にも駆け出そうとすると教祖は、『あんたたちは、今の若い者の言うこと、どう聞いたかえ』。どうちくしょう、と言いました。 『そやないで。年寄りが通ると思うて、わざわざ大根洗う手をやすめて丁寧(ていねい)に、どちらへ、と言うてくれたのや』。いや、確かに「どうちくしょう、と言いました。などと言っているうちに、その信者らにも教祖のお気持ちが伝わって… 本当によいお話を聞かしてもらいました、と喜んだのである」。
 教祖より聞きし話・高井猶吉、44-46頁「同じいんねん」。り)
 「教祖は、『埃りと埃りと寄る。そして互いに果てる(死ぬこと)』、と仰る。私(高井猶吉)は、これを聞かしてもろうてゾーッとした。これくらい深刻な、また厳粛なことはないと思う。なぜなら日々は、お互いにどんな日もある。互いに、腹立てたり立てさしたり」、恨んだり恨まれたり、口へはそれとは出さないにしても、心で濁っている、と言おうか、世間ではよくある事である。人に腹立てさすのも埃りや。立てるのも埃りや。それが、『互いに果てる』、と仰るのである。というのは神様は、『埃りな者と善人とは決して寄せん。悪因縁と善因縁と寄せたら、善に対して、親(親神)はすまぬ(申し訳ない)と仰る』‥。心を治めた者からたんのう(足納)して、側なる者の心を澄ます、ことが一番肝要である」。
 お指図は次の通り。
 「何を聞いても見ても、一寸も心に掛けるやない。皆な神の働き。よう聞き分けるがよい。 さあさぁ身の内にどんな障りが付いても、これはという事がありても、案じるではない。神が入り込み、皆為すことや」。(明治20.3.4日)
 「さあさぁ放っておけ/\。誰彼(たれかれ)を仇(かたき)と言うのやない。大風/\、大風は何處(どこ)にあるとも知れんもの。大風というものは、どのようの(どのような)大きな物でも、倒(こ)ける潰(つぶ)れる。大風やで。風は神や。風がかりもの無(の)うては、箱に物を入れて蓋(ふた)を閉め切りた如く、腐ろうより仕様の無いもの。風がそよ/\(そよそよ)あるので、半日や一日は送れるで。人の言う事を腹を立てるところでは、腹の立てるのは 心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは、腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教えやで。今までの修理肥(しゅうりこえ)で作り上げた米が、百石貰(ひゃっこくもろ)たら、百石だけある間は喰べて居らるゝ(食べていられる)。今度ない世界を始めたる親に凭(もた)れて居れば、生涯末代の授けやで。これは米に〈たとえて〉諭(さと)して一寸(ちょっと)話しておく」。(明治20.3.22日、刻限御話)
 「さあさぁ所々で一つ/\踏ん張る。誠の精神である。誠の道を通るには、心に一つの曇りありて、暇が要りて、どんならん。積み重ねる處(ところ)、天然自然の道や。世間の事を聞き。強い者は弱い、弱い者は強いで。強い者 弱いと言うのは、可怪(おか)しいようなものや。それ 心の誠を(が)強いのやで。心定め。先も長くの道と思えば、とんと心を定めて、腹を立てゝ(立てて)は どんならん。往還(おうかん)の道と言うても、内の處(うちのところ)身の内障りある。ほんにこれは成程という事を思やん(思案)して」。(明治20.12.4日)
 「さあさぁどんな者も皆な寄り来る。銘々我がものと思うて、花の色匂いを取る心が世界では分からんで。匂い取り兼ねる/\。人間心の色はどうもならん。さあさぁ腹立てさすやない。銘々に これをこうしてくれと言うやない。さあさぁ花の色、皆々銘々に、あの花の色はと言うて、さあさぁさぁ皆々談示(だんじ)に寄り来るで。腹立てささぬよう。さあさぁ無理どんな事言うても、どんな無理言うても何にもならせんで。さあさぁ言えば言う程、言う者は言う通りに成る。腹立てんよう。さあさぁ日々皆々その花の心に成るで」。(明治21.7.17日)
 「さあさぁさぁ一寸(ちょっと)/\長らえて/\、何の事とも分かろまい/\/\。ようこれを聞いてくれ/\/\。細い/\、長い/\/\、さあさぁ段々一つ/\の説いたる話、たった一つ理、深きところの一つの理、浅いところの一つの理、さあさぁ高い所にたった一つの理が分からん。どんな事もたった一つの理、低い所にも一つの理。難しい事は言わん。たった一つ理、難し事は言わん。どんな事も一つの理、どんな者でも一つの理。さあさぁあちらが司(つかさ)や、こちらが司やと言うた處が、たった一つの理。さあさぁ伝えてくれ。深き中の深い中、どれだけの中でも伝え一つの理、さあさぁ世界は腹の立つのも、怒るのも、たった一つの理。さあさぁ聞くなり直ぐに見える、たった一つの理。さあさぁ皆々あちらへも こちらへも 一つの理知らし、これが皆な深い中や/\。一寸(ちょっと)知らしおく」(明治21.12.25日 刻限御話)。
 「どんな事情あるとも 聞くとも、腹立てゝ(立てて)はならんで。何ぼ(なんぼ)どんな事情言うとも、めん/\の身を責めに歩いて居(い)よるのや。どんな所へも、皆な我が身を責めに出て居(お)るのやで。その中尽す、実々の道を通る者は、案じる事は要らんで。皆な善き道へ連れて通る、と諭し置こ」(明治24.1.13日、補遺)。
 「知らん者は 後先分からん。何を言うやら と心に持ちて、腹が立つやない(腹を立てるやない)。順々の道がある。どうなりこうなりの治まり。治まりの事情 先に立あて(立って)、その中に理がある。心に掛けんと しいかり(しっかり)と。それに強(た)あて(強って)どうと言うや、じいと(ジッと)しておくがよい」(明治24.7.1日)。
 「ウ丶丶丶丶、ワ丶丶丶丶、腹が立った/\。気を悠(ゆ)っくりと、ほんに腹が立ったかよう。共に残念なわよう。今日まではのう、身の内入り込んだ 何の甲斐も無いわよう。 ウ丶丶丶丶、ワ丶丶丶丶、長い間のう、よう/\(漸々)の處(ところ)、いつ日が照るぞ、何の日が照るぞ。気を鎮(しず)め。そうであろ/\。思うようにする。気を鎮め/\/\」(明治25.6.27日、刻限)。
 「何程(何ほど)身の障り 幾重々々(いくえ/\)何ぼう(なんぼう)さしづしたとて さしづはその場限り。どうしたらよい こうしたらよいと言えど 皆そのまゝ(まま)。さしづ無くても勝手だけは よう出来る。さしづ通り出来ん。さしづ通り出来たる事もある。出けても不承々々(ふしょうぶしょう/嫌々/渋々) だらけ。あちら腹立て こちら腹立て 一つの理に治まらん。互い/\の心さえ皆(み)んな話し合うなら一時の理に治まる。この道は 俺が/\と言うたて 皆んな神の道、神が働けばこそ 日々の道である。それで難しい事 始め掛ける」(明治28.10.7日、刻限御話)。
 「一時定め處(どころ)、皆(みな)腹の立つ處(ところ)さんげ(懺悔)。腹の立つところ立てんよう さんげ。善い事思わんから腹が立つ。皆さんげという」(明治32.10.2日)。
 「親の言う事は、道の上の心と思わにゃ理やない。道の理やで。これさえ聞き分けたらば、腹立ちゃせん。たゞ(ただ)ぬっと大きなって、子の間はというものは、どういう事も知りゃせん。さあ/\欲というものに切り(限り)は無い/\。いんねん(因縁)が悪かったらどうするか。門に立って一度のものも乞うや。不自由の理 聞き分け。不自由の理 聞き分けたら、何も腹立ちゃせん」(明治35.3.14日、刻限御話)。

【第七埃/欲】
 第七の埃りは「欲」。次のような教理になります。 
 第七の埃りは「欲」です。「欲」の埃りと申しますは、人よりは余計に己(おの)が身につけたい、理にかなわんでも人が許さんでも取り得る限りは取り込みたい、一つかみに無理な儲(もう)け不義な儲けをしたい、あるが上にも何ぼでも我が物としておきたい、盗んででも取り込みたい、人の妻(夫)でも色情に溺れたい等々の、万(よろ)づ「利己的に欲を求める自分勝手な心遣い」を云います。欲と高慢は、欲から高慢、高慢がしたい故欲をする、と云う関係になっております。

 「欲」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、欲の心も人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 欲自体は善でも悪でもありません。なくてはならんものであります。ほどほどのものはむしろ結構で、これを意欲と申します。なれど、この意欲をどのように使うのかが肝心です。強欲(ごうよく)、貪欲(どんよく)などが埃りとなります。欲は世の中との協働の上に立てねばなりません。「我身さえ良くば良き事に思うは欲」とも教えられております。この性分を切り替えねばなりません。日頃より「神様の御用勤め」を心がけて通るのが「欲埃り払い」の秘訣です。足納の理が納まれば欲が切れます。足納によって悪因縁が切れ、心に神の明かりが入り、欲分け隔てなく人を続ぐ続がる慈悲が人を育てることになります。欲の埃りは、安全よりも目先の慾目にとらわれて、利益を優先させたことによる判断の誤りとなります。
 みかぐらうた教理は次の通り。
 見れば世界の 心には
 欲が混じりて あるほどに
三下り目三ッ
 欲があるなら 止めてくれ
 神の受け取り でけんから
三下り目四ッ
 十ドこのたび 胸の内
 澄みきりましたが 有り難い
四下り目十ド
 水と神とは 同じこと
 心の汚れを 洗いきる
五下り目三ツ
 欲のないもの なけれども
 神の前にハ 欲はない
五下り目四ツ
 欲の心を うち忘れ
 とくと心を 定めかけ
八下り目四ツ
 見れば世界の 心には
 欲がまじりて あるほどに
九下り目三ツ
 欲があるなら やめてくれ
 神の受け取り でけんから
九下り目四ツ 
 水の中なる この泥を
 早く出だして もらいたい
十下り目三ッ
 欲にきりない 泥水や
 心澄みきれ 極楽や
十下り目四ッ
 欲を忘れて ひのきしん
 これが第一 肥えとなる
十一下り目4ツ   
 「天理教教祖中山みきの口伝等紹介」の「『をしい』より~」の大正5年9月号みちのとも35p「よく 澤田又太郎 」を転載しておく。
 「(前略)御教祖様は、『この世の中に一番美しい一番奇麗なものは色情と金銭である。この一番奇麗なものに一番むさくるしい埃が溜まるのや』と御諭し下されたと聞かして頂いたことがありますが~(後略)」
 「正文遺韻抄」の「欲諭し」は次の通り。
 「人並よりは余計に我が身に付けたい、理にかなわなくても、人が許さなくても、取れるだけ取りたい、ひとつかみに無理なもうけ、不義な利益を得たい。あるが上にもなんぼでも(どれだけでも)我が物としておきたいというような心。すべて、一般に欲の深い人やといわれるような心と、豪気強欲というような欲がほこりでございます。この欲の心がありますと、人並みに物をもらっても、まだ不足に思い、どれだけあっても結構だと思えません。そこで、不足には不足の理が回ると聞かせられて、常に思うようになりません。思うようになりませんから、なお欲の心を強めるのであります。そして、欲の深い奴だと言われるようになるのでます。そういう汚い心でありますから、人に分けてあげる物も自分は余計に取る。一割の利益が当たり前の商売でも、二割、三割の利益を得る。道に落ちた物は拾って自分の物にするばかりか、升目をかすめたり(量をごまかしたり)、田地(田畑)の境目を勝手に変えたり、勝負をしたり、相場をしたり、人が国のためとか、世のためとか言って、苦しんでいる中でも、自分はその機に投じて、莫大な利益をせしめようとしたり、貧民を苦しめて、絞り取って自分の懐を肥やしたり、そればかりか、色にふけり、酒におぼれて、色欲、食欲の強欲をとげるようになる。これが、豪気強欲でございます」。

【第八埃/高慢】
 第八埃りは「高慢」。次のような教理になります。
 第八の埃りは「高慢」です。「高慢」の埃りと申しますは、知らぬことも知ったかぶり顔で通り、人よりも偉い顔して通り、富や地位をかさに着て人を見下し、自惚れて高ぶり威張り、人の謂いはなるべく打ち消し、自分の言い条(じょう、)を是が非でも通す、自分の非でも理にして通る、人に逆らう等々の、万(よろ)ず「あの人は偉そうにする人やとか、あの人は我が強い人やとか言われるような、思い上がりの高ぶる心と強情の心遣い」を云います。

 「高慢」が埃りとされているところを深く思案せねばなりません。思うに、高慢の心も人間の天性のものであって、元々はなけりやならんものです。よって、これを正しく使い、邪(よこしま)に向かわぬよう心掛けねばなりません。

 知っていることを人に教えるのはよろしいなれど、一人自分が偉いように思い、他の人を蔑(さげす)んだり見下す心が埃となります。これを俗に「お上風」と申します。果ては権力にもの言わせて横槍を通そうと致します。この性分を切り替えねばなりません。「高慢は智恵の行きつまり」とも云われます。日頃より「実るほど頭を下げる稲穂かな」の心になりきり「低い心」で通るのが「高慢埃り払い」の秘訣です。高慢がなくなるに応じて我が身に徳がつきます。人を立てる大切にする心になるに応じて我が身立つようになります。
 みかぐらうた、お筆先の教理は次の通り。
 「正文遺韻抄」の「高慢諭し」は次の通り。
 「高慢、というほこりは、知らぬことも知った顔で通りたい、人よりも偉い顔して通りたい、自分の言い条は理が非でも通したい。人の言い条はなるべく打ち消したい。逆らいたい。人のする事には非を打ちたい。と言うような心、すべて一般からあの人は偉そうにする人やとか、あの人は我が強い人やとか、言われるような高ぶる心や、強情な心が高慢のほこりでございます。この高慢の心がありますために、知らぬことを知っているように言いくるめ、粗相した事も、あやまるのが辛いために隠したり、人がバカにしたとか、頼りないと言ったと言って、腹立てたり、悔しいと思ったりして、さまざまの心を作ります事は、女の方には日々にある事でございます。そうした心の苦しみは発散できなければ身上の苦しみになるのでございます。また、この高慢心がありますから、器量がよいものは器量自慢という心が、知らず知らず胸に出来て、人を目下に見下すようになります。女性、子供の学生などを見ましても、同じ同等の生徒であるのに、器量のよいものは何事にも先に立ち、器量の悪いものはまるでお供のように見える。その言葉の使い方でも、器量がよいものが言う言葉は、女中、身分の低い者に使うような言葉であり、誠に見苦しい事であります。これ、知らず知らずに器量がよいと言って、ほこりを立てたりするのであります。そうして、知らず知らずに心を奪われるのでありますから、よくよく注意をしなければほこりになります。その他、何事も同様で、学生中でも少し出来がよいと、知らず知らず人に立てられるのにのってしまうのであります。また、腕力が強ければ、腕力を持って人に自慢をする。財産のある者は、よいように見せて、よい物を持って、偉そうにします。それが、知らず知らず人を見下すようになって、知らず知らずにほこりを積むことも沢山ございましょう。また、自分の言い出したことは、間違った事でも何でも言い通したい。人の言うことを「なるほど」と言って自分の言い分を曲げる事が、大嫌いな性質の者もございます。また、人が言い出した事は、良くても悪くても、一寸は逆らってみたいという性格の者もいます。また、人の穴を探して、非を打つことの好きな性格の者もございます。また、目下の者と見ると、何を言うにもひどい言葉を使って、情をかけずに「自分のお陰だ」と恩に着せて、踏み付けるような性質もございます。こういう人に限って、上の人に向かうと必ず追従(ついしょう)もします。この性分というものは、なかなか直りにくいものでありますが、お話を聞いて、一つ一つ直すように心掛けなければ、結構に通る事は出来ません。
 「『ウソに追従これ嫌い、欲に、高慢大嫌い』と聞かせられまして、ウソ追従を言わない者はありません。また、欲と高慢のない人はございません。皆だれでも多いか少ないか心にありますから、行いに表れますので、ウソは言わんように、お追従はしないように、欲をかかないように、高慢を出さないように、日々注意することが肝心でございます。人間の凡人の心では、人に悪く言われると気持ちが悪い。よく言われると気持ちがよい。また少しでも人の上に立つとか、人に立てられるとかすれば嬉しいものであります。また、人の下について通らなければならないとか、人にけなされるというと、いまいましく思うものでありまして、これはどうでも離れる事の出来ない、人情でございますので、自分もそうなら、人もそうなのです。ですから、人の事をけなせば、人も我がの事をけなし、人の頭を押さえたならば、人は反抗して我がの頭も押さえようとします。そこで互いに踏み付け合いをする事になります。そうなれば、内々もむつまじく通れないようになるのです。だから、神様が互い立て合いと仰せられるのです。慢心(おごり高ぶる心)を出しては、互いに立て合う事が出来るでしょうか。人が失敗や、つまらないことを言ったり、したりしたならば、けなさずに教えるよう親切をかけ、悪いことを悪いとは言わず、違うことを違うとは言わず、「こうしたらどうでしょう」と言うように優しくして人を立てて、人の足らないところを補ってやるようにするのが、誠であります。そこで神様が、「あの人は足らぬ人や、あほうな人やと言うならば、足りるよう、賢いようにしてやってくれ」と仰せられます。人間は神様からの借り物ということを、聞き分けられたなら、足りぬ人やあほうな人を、笑ったりそしったりは出来ないでしょう。なぜならば、その足りぬとか、あほうだとか分かるのは、自分が神様のご守護を厚く頂いていればこそ分かるので、自分の力ではないのです。自分の力のように思うから、人が足らない事やあほうな事がおかしく見えるのであります。そこで、「足らないものなら、足してやれ」と仰せられるのです。力を添えてあげなければならないのです。「あほうな者は賢くしてやれ」と仰せられるのです。同じように心を添えてやるより、他に道はございません。人間の力であほうを賢い者に出来ましょうか。決して出来る事ではないでしょう。 この理を聞き分けたなら、人を踏み付ける事も、ないがしろにする事も出来ないでしょう。この高慢の心は、積もり積もって、親をも踏み付けにする。主人をも踏み付けにする。そしてついには、理をも踏み付けにして、神様をないもの同様にするようになるのです。そこで、ほこりという八つの中の、一番最後のトメに置いてお戒め下されたのでありまして、高慢は一番出やすくて、一番ほこりが大きいのでありますから、よくよく日々に注意しなければなりません」。
 「初代管長公は常に、『お道が結構になるに従って、ややもすると元の身を忘れて高慢振るという事は人間の陥りやすいところであるが、人間は決して元を忘れてはならぬ』と諭され、また明治21年、東京へ教会設置のために御出張になった時、御神饌に供えた少しばかりの乾物と、一二合の白米で済まされた事を御話しになって、『教会でも元を忘れて贅沢になれば教会を亡ぼす基となる』と御教訓になった」(「初代真柱/中山眞之亮さんのエピソードその1」、昭和三年四月発行「教祖とその高弟逸話集」(天理教赤心社)より。中山眞之亮真柱は当時、「管長公」、「教長公」、「管長閣下」など色々な呼び名で呼ばれています)
(私論.私見)




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