思案論その2 八つの埃り教理

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.1.6日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「八つの埃り教理」を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


「埃り」の話

 お道教義では、「人間は皆々神の子」にして、「身体は借り物、心一つが我がの理」(明治22.6.1のお指図)、「自由自在は何処にあると思うな。銘々の心、常々に誠あるのが自由自在という」(明治21.12.7)とお諭しされている。これを解釈すれば、「人の本当の自由は心のみ」ということになるだろうか。つまり、人間は親神の御心により身体が創造されたものの、心遣いに自由、自主、自律性が与えられており、その心の遣い方ぶりに味わいがあり、その成人ぶりこそ神の楽しみとされているということになる。この教えも又白眉なところであり、これを学問的に哲学的に考究するならば汲めども尽きぬ深いものがある。

 教祖は次のようにお諭しされている。

 「それ人間と云う身の内と云うは神の貸し物借り物。心一ツが我がの理。心の理と云うは日々と云う常という。日々常にどう云う事情、どう云う理、幾重事情どんな理。どんな理でも日々に皆な受け取る。受け取る中に唯一ツ自由用と云う一ツの理がある。自由用と云う理はどこにあるとは思うなよ。ただ銘々の精神一ツの理にある。日々と云う常と云う日々、常に誠一ツと云う。誠の心と云えば一寸には弱いようにみな思うなれど、誠より堅き長きものはない。誠一つが天の理。天の理なれば直ぐと受け取る、直ぐと返すが一ツの理。よく聞分け」。

 この了解の下で、人が陥り易い心遣いの間違いの諭し話として「八つの埃(ほこ)り論」がある。「八つの埃り」とは、「欲しい、惜しい、可愛い、憎い、恨み、腹立ち、欲、高慢、」を云う。これに「嘘」、「追従」が加わり「十の埃り」となる。「その他の埃り」もある。これを総称して「八つの埃り」と云う。これをどの順番で得心すべきか。 お筆先三号96に「惜しい欲しいと 可愛いと 欲と高慢」とある。但し、教祖の別のお諭しでは「欲しい、惜しい、可愛い、憎い、恨み、腹立ち、欲、高慢」とある。してみれば、「惜しい」、「欲しい」がトップ1、2で、その順番はどちらが1でも良いようである。れんだいこ教理は、1に「欲しい」、2に「惜しい」とする。3は「可愛い」、続いて4「憎い」、5「恨み」、6「腹立ち」となり、最後を7「欲」、8「高慢」とする。これに「嘘と追従これあかん」のみ言葉を加えて、埃りその他1「嘘」、埃りその他2「追従」とする。これを「最後の二つの埃り」と云う。この順序が正式と悟らせていただく。「欲しい、惜しい、可愛い、欲、高慢」を「五つの埃り」と云い、第一次的に最も良くない心遣いとされている。これらは、いわば自主的な心遣いの埃りである。これに「憎い、恨み、腹立ち」が加わる。これらは、相手の言動に対する受け取りようの埃りである。但し、本部教理では、「惜しい、欲しい、憎い、可愛い、恨み、腹立ち、欲、高慢。そして、嘘と追従これ嫌い」と教えている。「」は次の様に説いている。
 「埃りは、この八つの心遣いを根として、二十一の心の枝に分かれている。この悪しき二十一の心遣いを慎むために、おつとめでは第一節を二十一遍唱える」。

 お筆先では次のようにお記しされている。
 よろづよに 世界のところ 見渡せど
 悪しきのものハ さらにないぞや 
一号52
 一列に 悪しきとゆうて ないけれど
 一寸の埃りが ついたゆへなり
一号53
 何にても 神の云うこと しかときけ 
 屋敷の掃除 でけたことなら 
二号18
 もう見える 横目振るま ないほどに 
 夢みたように 埃り散るぞや
二号19
 この埃り すきやか(すっきり) 払うたことならば
 後は万の 助け一条
二号20
 世界じゅう 胸の内より この掃除
 神が箒(ほうき)や しかと見でいよ
三号52
 この道は 惜しい欲しいと 可愛いと
 欲と高慢 これが埃りや
三号96
 埃りさえ すきやか払うた ことならば
 後は珍し 助けするぞや
三号98
 この不思議 何の事やと 思ている
 埃り払うて 掃除仕立てる
三号105
 今の道 埃りだらけで あるからに
 箒を持ちて 掃除を仕立てる
三号145
 どの様な 痛み悩みも 出来物や
 熱もくだり(下痢のこと)も 皆な埃りやで
四号110
 世界中 どこのものとは 云わんでな
 心の埃り 身に障りつく
五号9
 これからは いかな難し 病いでも
 心次第に なおらんでなし
五号13
 真実の 心を神が 受け取れば
 如何な自由よう してみせるでな
五号14
 日々に 澄むし分かりし 胸の内
 成人次第に 見えてくるぞや
六号15
 この先は どの様な埃り 立つとても
 これを病と 更に思うな
六号76
 一列は 皆な銘々の 胸の内
 埃り一杯 積もりあるから
八号61
 この埃り すきやかに掃除 せん事に
 月日いかほど 思うたるとて
八号62
 日々に 神の胸には 段々と
 埃り一杯 積もりあれども
十三号21
 心さえ 真実神が 受け取れば
 どんな埃りも 掃除するなり
十三号23
 心さえ すきやか澄んだ ことならば
 どんなことでも 楽しみばかり
十四号50
 親の目に 叶うた者は 日々に
 段々心 勇むばかりや
十五号66
 この残念 ちょっとの事とは 思うなよ  
 積もり重なり 故の事やで
十五号67
 月日には 世界中は 皆な我が子
 可愛い一杯 思うていれども
十七号68
 それ知らず 皆な一列は めいめいに
 埃りばかりを 思案している
十七号69
 この心 神の残念 思うてくれ
 どうも何とも 云うに云われん
十七号70

 「埃り」について、教祖は次のようにお諭し為されている。
 「おいおいと誠の理が積もり重なれば、天の理として難儀、不自由は出来やせん。やもうと言うてもやまれやせん」。
 前篇道すがら外篇「暴行者多来」の「教祖お言葉」63pより。
 「埃りは避(よ)けて通れよ。埃りに逆(さか)ろうたら、自分もまた埃りを被(かぶ)らにゃならんほどに。決して埃りに逆らうやないで。真実もって この道つとめるなら、いかなるところも怖き危なきはない。神が連れて通るほどに。決して怖(お)めも恐れもするのやないで」。
 「日々通らせてもらう心の使い方、持ち方、よう思案してくれ。心の使い方によっては、徳にもなれば埃りにもなるで。真実や誠やと思って通っていても、その真実誠の中に埃りが混じるのや。それを誠の中の埃りと言うのやで」。
 明治8年11.21日、辻ます/飯降さと/桝井さめ/村田かじの教祖直々の御言葉
 「人に呼ばれたら、すぐに『ハイ』と返事をするのやで。あれやこれや、と受け答えするのやないで。素直にハイ』と返事しなはれや。呼ばれた時、ハイ』と返事をせんで、今、外へ行くところや、なんて返事したらいかんで。人間はなあ、皆んなそんな返事するのや。それで良いと思うている。誠の中の埃(ほこり)やで。神様に対しても同じことが言える、よう考えてみい」。
 「変わらぬのが天の理やで。米を植えたら米、麦を蒔(ま)いたら麦が生える。芥子(ケシ)の種には芥子の実がのる。この理をよう聞き分けておくれ。人間は、人間が産んで、独り大きいなって、偉くなれば、我が力で偉くなったように思うが、それは大きな間違いやで。人はどうでも、我さえ良くば、という心ではいかん。皆々、神様の可愛い子供や。我が身が可愛いように、人さんを可愛がってやっておくれ。我(が)があってはならんで。欲があってはいかんで。世の中に、火難に遭(お)うて裸で泣く者もある。盗難に遭(お) うて、難儀する者もある。何で、このような目に遭(あ)うか。この理を聞き分けておくれ。神は、可愛い子供に苦労さしたくない。皆の心意気が、ころっと違うからやで」。
 「米を植えたら米ができ、麦を蒔いたら麦が生えるように、皆が「当たり前だ」と思っていることを、寸分の狂いもなく、変わらずに与え続けて下さる「神の守護」、「天然自然の道理」に気付いて、よく聞き分けておくれ。人間はただ、自分の親から生まれて、独りでに成長して、立身出世して、皆、自分の力で偉くなったように思っているが、それは大きな間違いである。人間は どうあっても「自分さえよければ良い 」という心ではならない。 世界中の人間は、皆、神様の可愛い子供であるから、自分自身が可愛いように、人様も、それと同様に可愛がってあげて欲しいのや。我(が/人間思案/高慢ほか) があってはならないで。欲の心があってはいかんで。世の中には、火事などに遭遇して、裸で泣く人もある。盗難被害に遭って、苦悩する人もある。 どうして、そのような災難に遭わなければならないのか。この天然自然の道理を、聞き分けておくれ。神は、可愛い子供(人間)  に苦労させたくないのであるが、お前たち子供(人間)の心意気 (心根・性根・心持ち・気概・ものの考え方ほか) が、神意・教えの理である天の理に、まったく適わず、違っているから、災難などに遭うことになるのやで」。
 「陰徳を積む」参照。
 「伊蔵さんえ、この道は陰徳を積みなされや。人の見ている目先で、どのように働いても勉強しても、陰で手を抜いたり、人の悪口を云っていては神様の受け取りはありませんで。何でも人様に礼を受けるようなことでは、それでその徳が勘定済になるのやで。欲しい、惜しい、可愛い、憎い、恨み、腹立ち、欲、高慢。この八つの心は埃りであって、この埃りの心が病の元となりますのやで」。
 諸井政一集後篇、御講話傍聴録六の「ほこりの提灯持ち」より。
 「教祖様(おやさま)に告げ口する人がござりまして、お家のことや、誰それはどう言うている、こう言うている、と様々の事を申し上げた。そこで教祖様仰るには、『神さんな、そんなこと聞くな、聞くなと仰るによってな、そんなこと言うておくれるなら、もう来ておくれなえ』、と仰せられて、それからあとで、側の者に仰るには、『あら、ほこりの提灯持(ちょうちんも)ちやで。他所(よそ)のこと持ち込む者は、また持って出るで。中言(なかごと)、悪告げは、ほこりの提灯持ちと、神さん仰るで』、とお聞かせ下されました」。
 みちのとも昭和2年8月20号、布教要旨十五、春野喜一より。
 「ほこりや ほこりや。以前ある人が、教祖様(おやさま)のところへ行って、あなたのことを陰で、こう言うている人がある、と言われたところが、『聞くやない聞くやない。ほこりやほこりや』と仰る。ある人が陰で、そんなことを言うているのかいなあ、と思うだけでもほこりがかかる。『そんなこと聞くのやない。人の中言、言うのやない』と、こう言われて、他人の中言を一向にお取り上げにならなかったことがある」。
 復元創刊号、梶本楢治郎「教祖の思ひ出」の「教祖のお耳」。
 「教祖のお耳は、人の喜ぶ、ええこと話したら よく聞こえる。埃(ほこり)のこと言うたら、『聞こえぬ』、と仰った。そこで、お傍(かたわ)らに石板(せきばん)と石筆(せきひつ)を置いて、〈書いて〉それをお見せする。時によると、『見えん』、と仰った。〈何か〉言うても、『聞こえん』、と仰ると〈石板に〉書くのであるが、書いても、『見えん』、と仰ることがある。埃(ほこり)のないこと よく聞こえるお耳であるのに、埃(ほこり)のことが雑(まざ)ったると、『聞こえん』、と仰る。『神が入り込んでいる』、と仰るのが、ここや」。
 諸井政一著「正文遺韻抄」(道友社)259p「ごろつきもの」。
 「小さな心でいた分には、小さい働きしかできやせん。大きい心をもって、真実の道を働くように願いたい。教祖様が聞かせられましたが、『世界には、ごろつき者というて、親方/\と云われている者があるやろ。ちょっと聞いたら悪者のようや。けれどもな、あれほど人を助けている者はないで。あるところの物を取りて、難儀な者や困る者にはどんどんやってしまう。それで難渋が助かるやろ。そやって身上もよう肥えて、しっかりしたものやろがな』と仰りました。ほんまに、それに違いございません。あっちからも、親方どうぞ、こっちゃからも、親方どうぞ、と云うてねだりに来る。おうよし/\、と云うて、あるだけはどんどん出してやってしまう。食わずに居たり、着ずに居たりする事は何ぼあるや知れん。それでも頓着しやしません。小さい心で、そんな事ができましょうか。それ、お道の理を聞き分けてつとめる者は、なおさら大きい心持たにゃならん。あすにちを案じているような事では、をしい、ほしいも取れやせん」。
 教祖様御言葉、明治17.4.9日、山田伊八郎 所収「根のある花」。 
 神様より御噺し(お話し)お聞かせ下さる。
一つ、人を腹立ちささず。人を腹立てさし候(そうら)えば、人また我れを腹立てさし
二つ、人を恨みな。人を恨みたら、人また我れを恨みたり。
三つ、人より物を買う時は、代価を値切りな。また人に物を売る時には、掛け値言いな。
四つ、人に損をかけたら、人また我れに損をかけるべし。
五つ、人のことを言わんようにせよ。
 「おやさまのおことば」(目次topへ)。
 「明治8年6月14日、桝井伊三郎が、心が晴ればれしませんので、と申し上げたところ、教祖の次のような御言葉があった。『日々は喜んで通らしてもらうのやで。喜べないような日もあろう、喜びにかえて通らせてもらうのやで。真実の心で通らしてもらえれば喜べるのや、誠の心で通ってくれ。日々通らして貰う心の使い方持ち方、よう思案してくれ。心の使い方によっては徳にもなれば埃にもなるで。真実や誠やと思うていても、その真実誠の中に埃りがまじるのや。それを誠の中の埃りと言うのやで。心の使い方と言うても、我が身思案からの通り方、人に助かって貰う、喜んで貰う通り方があるのや。ちり一つ拾うても誠、大きな木とり片付けても真実といえん場合もあるで、日々よう思案してくれ。誰でも通れることやで。心の持ち方、思い方が大事やで。心の思い方と言うても人間はあざないものであるから、都合のいゝように考え又は思い、我が身に都合の悪いことはそうはでけんと言うてしまう。そんなことでは道がつくはずがない、都合のいゝことも、都合の悪いことも心一つにおさめて通ってくれ。神様がきっとつれて通って下さるで、一つも心配いらんのやで。(行空き)日々通る中にどんな中もあろう。難儀な中、むつかしい中、そのならん中を喜びにかえて通ってくれ。その中に御守護がいたゞけるのや。無理と思うてはいかんで、無理と思うやないで。無理と思えば無理になってしまうで。心通りの御守護下さるのやからさらさらに思うやないで。喜びにかえて通って行く中に、あゝ結構やった有難かったと思える日が必ずあるのやで。その日を楽しみに通ってくれ。今の苦しみは先の楽しみやで。日々を喜んで通らして貰いなはれや』」。
 「おやさまのおことば」(目次topへ)。
 「明治8年11月21日、辻忠作。(願いの筋なし)。教祖の次のような御言葉があった。『神様のお話は守らして貰わにゃいかん、守らんよって御守護が頂けないのや。神様のお話を守らして貰うから身が守られるのやで。心の守りが身の守りになるのやで。神様のお話はむつかしい事ないのやから、すぐにでもさせて貰はにゃいかん。守るから守られるのやで、忘れたらいかんで。守るということは、聞かして貰うたことだけでなく、自分が定めたことも守らして貰わにゃいかん。定めたこと守らんようだったら守って頂けなくなるということは、身上を守ってもらえないことや。人間同士の間でも守るからお互いに守られるのや。約束したら守らにゃいかん。人の真実を無にするような事したらいかん。人を待たせるような事したらほこりやで。待たせると言う事は人をしばると同じやで。人をしばることは物を取るより悪い。なんでもないように思うて居るかも知れないが、人の真実無にしたら自分が守って貰えんようになるで。人をしばることは、人の自由をさまたげるもの、御守護の理をとめることにもなるで。こゝのところよう思案してくれ。どんなことになるやらしれんで。時は大切にしなけりゃいかん、時は守ることによっていかされる、守らない時ならいらないやろ。まもるということは人の真実やで。真実の心で日々通らして貰わにゃいかん、真実やったら神様は必ず守って下さるで。神様に守って貰っておれば日々は安心やで。なんでも守らして貰う心になんなはれや、神様はきっと守って下さるで」。
  「天理時報」昭和30年10.16日号、井筒貞彦「日々埃りを払う道」の「埃を肥にする」より。
 「教祖様が、奈良の監獄をお出ましの時、奈良の人々が、これが庄屋敷の気狂いか、狐つきか、とくそミソに申されました。教祖様はだまってお屋敷にお帰り遊ばされ、お側の方々に、『今日は結構なことやった。沢山の人から肥をかけて頂いて有難かった、結構なことやった』、と埃りを肥にする理、埃りを正味にする理をお教え下された」。
 みちのとも昭和38年4月号、ひながたを求めて座談会 松隈青壺氏談「ちょっとそこまで」より。
 「ある日、教祖が信者を二、三人連れて布留川(ふるがわ)の土手を歩いておられると、村方の若い者が、川で大根を洗っていた。ふと見ると、向こうから教祖が来られるので、一つ悪口を言うてやろう、と待ち構えておったそうです。そして側(そば)を通られた時に、どうちくしょう(こんちくしょうの意)、と怒鳴った。すると教祖はニコッと笑って、『ちょっとそこまで』、と仰ったので、相手は拍子抜けてしまったわけですが、腹の治まらないのは教祖に随(つ)いて行った信者たちです。けしからん、と今にも駆け出そうとすると教祖は、『あんたたちは、今の若い者の言うこと、どう聞いたかえ』。どうちくしょう、と言いました。『そやないで。年寄りが通ると思うて、わざわざ大根洗う手をやすめて丁寧(ていねい)に、どちらへ、と言うてくれたのや』。いや、確かにどうちくしょうと言いました、などと言っているうちに、その信者らにも教祖のお気持ちが伝わって… 本当によいお話を聞かしてもらいました、と喜んだのである」。
 明治16年頃のこと。当時二十代の高井直吉は教祖からお命を頂いて、お屋敷から南三里ほどの所へ、お助けに出させていただいた。身上患いについてお諭しをしていると、先方は、わしはな未だかって悪いことをした覚えはないのや、と剣もほろろに喰ってかかってきた。高井は、私は未だそのことについて教祖に何も聞かせた頂いておりませんので、今すぐ帰って教祖にお伺いしてまいります、と言って三里の道を走って帰って教祖にお伺いをした。すると教祖は次のように仰せられた。それはな、どんな新建ちの家でもな。しかも中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書けるほどの埃が積むのやで。鏡にシミあるやろ。大きな埃やたら目につくよってに掃除するやろ。小さな埃は目につかんよってに放っておくやろ。その小さな埃が沁み込んで鏡にシミが出来るのやで。その話をしておやり』、聞いて行わないのは、その身が嘘になるで』。高井は、有り難うございました、とお礼申し上げ、すぐと三里の道のりを取って返して、先方の人に、ただ今こういうように聞かせていただきました、とお取次ぎした。すると先方は、よくわかりました。悪いこと言ってすまなんだ、と詫びを入れて、それから信心するようになり、身上の患いはすっきりと御守護いただいた」。
 天理教教典66頁は、次のように記している。
 「即ち、身の内の自由がかなうのも、難儀不自由をかこつのも、銘々の心遣い一つによつて定る。それを、心一つが我の理と教えられる。(中略) 心遣いも、銘々に、我の理として許されてはいるが、親神の心に添わぬ時は、埃のように積りかさなり、知らず識らずのうちに、心は曇つて、本来の明るさを失い、遂には手もつけられぬようになる。かかる心遣いをほこりと教えられ、一人のほこりは、累を他にも及ぼして、世の中の平和を乱すことにもなるから、常によく反省して、絶えずほこりを払うようにと諭されている。このほこりの心遣いを反省するよすがとしては、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八種を挙げ、又、「うそとついしよこれきらい」と戒められている。親神は、これらの心遣いをあわれと思召され、身上や事情の上に、しるしを見せて、心のほこりを払う節となし、人々を陽気ぐらしへと導かれる」。

 「埃り」について、次のように諭されている。

 「人の世の災難や病は、八つの埃りと最後の二つの埃りを加えた十の埃りによる心得違いが元で引き起こされる。これらの心の埃りが身に障りつく、と教えられる。その心得違いを懺悔して、なお且つ人を助ける心と入れ替えることにより、親神がその心と働きを受け取り、よろづの助けをしてくれる」。
 「神の心(宇宙の真理)に叶えば、如何ほどでも心次第に徳は備わる。知恵や力は神の貸し物、人間身の内が借り物、日々使う心一つが我がの理である。その心は八つに働く。『惜しい、欲しい、可愛い、欲、高慢、続いて憎い、恨み、腹立ち』。これを『八つの埃』と云う。これに『嘘と追従』が加わる。この心の働きには裏と表がある。使い様、使い場所、使い道を間違えると埃りになる。水も火も風も、大切と云うても、時に洪水となり、火難、暴風となる。大切なものが難になる。同じように、八つの埃りも、本来はなくてはならん心であるが、心次第で埃りになる。これを思えば、心がいかんのやない、使い道がいかん、使い道が分からんからいかん、ことになる」。
 「病になれば医者、薬、拝み、祈祷をするが、病の元は心からである。欲しい、惜しい、恨み、腹立ち、可愛い、憎い、欲、高慢の八つの心得違いが病の元となる。この心得違いは、それぞれ身の内の埃り種なり。よって、この埃りを払い清め給うことが肝心である。これが本当の病直しの道である」。

 「男の心にて積む埃は大きく、女の心にて積む埃は細かい。男の埃は欲しい、腹立ち、憎い、高慢の四つありて、男神が戒め給う。女の埃は惜しい、恨み、可愛い、欲の四つありて、女神が戒め給う。互いに、男は荒き埃、女は細かき埃を払いて、胸の内を掃除するなり」。 

 八方の八柱の神様 誠と埃
 「人間身の内は借し物、心一つが我がの理。心一つ一つで心と云う。また、一つの心は八つに働く。欲しい、惜しい、恨み、腹立ち、可愛い、憎い、欲、高慢、これが心の働きと云う。その働きには裏と表がある。使いよう、使い場所、使い道が間違えば埃りとなる。

 冬は子に入る、欲しいの欲。春は恵む、恨み、隔ての欲。夏は繁る、燃える、惜しむ欲。秋は稔る、高慢、取り込みの欲。誠は冬の理。知恵は夏の理。金銭は春の理。力は秋の理。誠が表に現れて知恵は裏なり。知恵が金銭を使い、金銭が力を使う。

 欲しい、惜しいの根を切るは誠。分け隔てなくして心を繋ぎ、恨み、嫉み、りんき、妬みの心を起こさざるが良い。悪口、中ごと、笑い、謗りの心を使わざるが良い。知恵、自慢、我慢、高慢の心を捨てて人を立てる心を、力と云う。欲しいと云う心の埃りを去れば、心に誠と云うものが出る。惜しみの埃り、出し惜しみ、負け惜しみなどの心と人を憎む心を去れば、知恵が涌く。即ち、理を悟るとは知恵なり。諭す、考えるは知恵。高慢、我慢などの埃り、人を立てず我が身だけ立て、我が意を突っ張ると云う心を去るから、力ができる。即ち、これが心の力なり。人を助ける、教える道の力なり。最も身体の力は、その内にあり。以上神の心、宇宙の真理に叶えば、いか程でも心次第に徳は備わり、神より授かる。知恵も、力も神の貸し物。日々常に使う心、その使う心一つが我がの理。心の理によって、その理が与わるなり」。


(私論.私見) れんだいこの埃(ほこり)教理考】
 着目されるべきは、「埃り教理」の由来であろう。教祖は、古神道的「祓い清め」思想から「埃り教理」を生みだしているのではなかろうかと思われる。これによれば、「人の自己責任的自由は心のみ」による心遣いの間違いが「埃り」になるのであって、それが積み重なって悪因縁となる。但し、それを、仏教説話的な「業」とか「因縁」、あるいはユダヤ―キリスト教的な「罪」とか「罰」として捉えるものではないとしていることになる。

 それらはあくまで「埃り」であり、ともすれば積もりやすく、油断をすれば積もり重なり取り除きにくくなるものであるが、拭えば洗われものという程度において捉えるものであり、決して「業」とか「因縁」とか「罰」とか「罪」とか「悪」として決定論的に捉えるものではないという戒めで諭されようとしている。お道教義のこういう古神道以来の教理の明るさ、拘りのない軽みの面が踏まえられる必要がある。


 「難儀さそう、不自由させようと云う神ははないで」とも述べられている。付言すれば、イエス教義の「悔い改めよ」は「埃論」に通底しているように思われる。

お指図の埃諭し
 「埃り」について、お指図は次の通り。

 「それ人間と云う身の内というは神の貸し物借り物、心一つが我がの理。心の理というは日々という常という。日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆な受け取る。受け取る中に唯一ツ自由用という一ツの理。自由用という理はどこに有るとは思うなよ、只銘々精神一ツの理に有る。日々という、常という、日々常に誠一ツという。誠と云えば一寸には弱いように皆な思うなれど、誠より堅き永きものはない。誠一ツが天の理。天の理なれば直ぐと受け取る、直ぐと返やすが一ツの理。よく聞分け。又、自由用の理は結構と思いながら自由用の理が分らん。又、身上有って楽しみ身上有っての道である。これ一ツ聞分けてくれ」。

 「罪口説(つみくぜつ)言うは ほこり」。(明治20.4月、補遺)
 註、「罪口説(つみくぜつ)」は、悪口・陰口、言いがかり、イヤミを言うなどの、悪意ある もの言い全般。
 「さあさぁ罪々聞かすやない。心いずむ。神が乗らん。‥神が踏ん張る處(ところ) 、罪という罪すっきり聞かさんよう。一つの心という、神じゃない、心 人間心に映してある。罪聞かして どうなるとも計り難(がた)ない。思やん (思案)してみよ。僅(わず)かいんねん(因縁)、僅か治まり、雑言(ぞうごん)悪を馳(は)すと言う。一度は許そ。後一つ心許さん」。
 「人間というものは、身の内借り物、八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる」(明治21年7月4日)。
 「多くの中に世界の道理、今一時 人を毀(こぼ)つでほこりが立つのやで。世上の道が狭く成る。人さえ毀(こぼ)たねば 人の事を悪く言う事はない。人を毀(こぼ)つで、あちらから こちらから眺める。あの者この者が 何でも実々(じつじつ)の道を通るに、悪く言うたら 善き道とも、たすけ道とも言うまい。日々の道を通ろうと思うては、人を毀(こぼ)ったり 悪く言うてはどうもならん。人を毀(こぼ)って、何ぼ(なんぼ)道を神が付けても、毀(こぼ)つから 道を無いようにするのやで。急く事情は要らん。偉い者に成ろうと思うたら どうもならん。皆たけ/\(丈々)の人間。偉い者に成ろうとて一時に成らん。人間一生と言うても、人間の一生の事は急いては いかせん。末代の道やもの。急いては いかせん。天然自然の道に基(もとづ)いて、心治めてくれるよう」。(明治23.2.6日)
 「あちらから妬む。こちらから妬む。身が悩む、治まらん。‥あちらから妬む、こちらから妬むという理、治まり成らん」。(明治23.3.17日)
 「心一つの理を以て、互い/\の心を持って、あちらでぼそ/\(ぼそぼそ)、そちらであらこら言えば 直ぐの道を通られやせん。心を皆な純粋に治めてくれ。陰で言うより前で言え。いかん事はいかんと 陰で見て 陰で言わんと直ぐに言え。陰で言うたら 重罪の罪と言わうがな(言おうがな)」。(明治 23.11.22日)
 「少しぐらい こんな事ぐらいという理は むさくろしい(むさ苦しい)。妬み合いという理が見て居られん。これで掃除は仕舞(しまい)。これだけ見分けんならん。見分けるには遠慮は要らん。遠慮するのは分からんからや。陰で言うは 十代罪と言う。陰で言うなら その者 直ぐに言うてやれ。身のためや。来る者に去ね(いね/帰れ)とは言わん、来ん者に来いとは言うやない。心で尽す者と、現場で尽す者と よう見分け。陰隔(かげへだ)ての理のなきよう」。(明治24.1.29日)
 「万事(ばんじ)互い/\よう聞いて/\居るやろ。聞いたら道を違わんよう、違わさんよう。違わしては何にもならん。心に違う理がすっきり嫌い。‥罪はならんで。取り扱いの處(ところ)治まりてないから罪出来る。心に罪ないよう諭してくれ。毎夜/\のように諭してある。なれど、面々理を拵(こしら)え、裏と表との事情がどうもならん。善き事も悪き事も裏表、取りよう聞きようによりて理が戦う。こそ/\話はすっきり要らんで。直ぐと/\大きい声で話し、陰々の話は要らん。‥ 兄弟の中/\と言うても、中に兄弟の理がある。ぼそ/\話はすっきり要らん。世上の理、世界の理は心に治めて話もせにゃならん。内々気に済まにゃ済まぬよう明らか話もせにゃならん。中に跨(またが)り要らん。心変わる理あろうまい。なれど、日々理を拵える。皆んな揃うた中で話して置くからぼそ/\話は要らん。ぼそ/\話はろく(碌)な事やないと思え。誰彼言うやない。そのまゝ(まま)直ぐに諭してくれ。こそ/\話は 罪を拵える台とも諭しおこう」。(明治26.12.6日)
 「小さい心はやめてくれ。疑ぐり/\の心はやめてくれ。ほしい(欲しい)、をしい(惜しい)、うらみ(怨み、恨み)、そねみ(嫉み)の心はやめてくれ」。(明治28.10.7日)
 「皆千切れ/\である。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋がれん。春風のようなそよ/\風の間は何も言う事はない。神も勇んで守護する。なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり、泥ぼこり立ち切ってある。黒ほこり泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又、守護した処が世界へどう見えるか」。(明治30.2.1日)
 「笑うて暮らせば、何にも妬み恨(うら)みは 一つもあらせんで。よう聞き分け」。(明治31.5.9日)
 「第一妬む妬まれる、嫉(そね)む嫉まれる。この理ほど恐ろしい理はない/\。‥妬み合い/\、嫉み合い/\、これが見苦して、見苦してならん」。(明治31.5.12日)
 神は ほこりは嫌い。すっきり澄み切らにゃならん』〔おさしづ 明治31.6.12〕
 「これまで人が出世すれば 妬む者はそら無い。なれど心に理を思わねば、妬むも同じ事。人の出世、楽しんでくれにゃならん。ほんに これでこそ道の理かと、楽しんでくれてこそ道であろ。人の出世、怨み嫉みは道でない」。(明治32.2.2日)
 「さあさぁ尋ねる事情/\、身上という、心得んと言うやろ。身上心得ん。一年改(あらた)め、二年改め、身上から改め。一年改める、二年改める、三年改める。一つ/\心の理改め。道これまで運ぶところ、十分受け取ってある/\。長らえて道中、掛かりならんところ、運んだ理は十分受け取る。それから心という理/\、とんと計り難(がた)ない。順序改め掛けた/\。又事情、一年改め二年改め三年改めて、事情働き損やない/\。年々面々心の理で伸びたもの/\。誰怨みやない/\。一時鮮やかなら、一年二年三年理が、表という一つ理に集めてやろ。理に取り立てる。これ楽しませ/\」。(明治32.3.22日)
 「日々八つの埃を諭して居る。八つの諭すだけでは襖に描いた絵のようなもの。何遍見ても美し描いたるなぁと云うだけではならん。めんめん聞き分けて、心に理を治めにゃならん。この教えと云うは、どうでもこうでも心に理が治まらにゃならん」(32.7.13日)。
 「難儀さそう不自由さそう親無き理。そこに身上掛かるはどう、又(また)重なる事情に掛かるは、どうと言うは日々であろ。なれど、心取り替え/\。身上一時どうとは言わん。一寸(ちょっと)大層。成っても成らいでもと、心尽(つく)した理は末代。理 末代の理。これ将来に聞き分けば、怨みる處(ところ)無い。よう聞き分け。一代と思うによって、心どうもならん。難儀不自由めん/\思うから、めん/\理に掛かる。これよう聞き分け」。(明治32.12.21日)
 「あちらから妬み、こちらから妬み、ほこりの元。元は障りという」。(明治33.5.17日)
 「悪い風に誘われ、取り損(ぞこな)いは どうもならん。これまで指図及んだる。風に誘われたのは、銘々の恨みと諭しおこう」。(明治33.5.31日)
 「何か天然の道理 持たにゃならん。天然は いつになっても、天然で通るだけは、どうでも連れて通る。これ聞き分けたら、怨むやない程に/\。銘々 心恨みと諭しおこう」。(明治33.5.31日)
 「何ぼ(なんぼ)言うて聞かしたてならん。我(わ)が身仕舞(じま)いではならん。それでは灯火(ともしび)消えて、今一時点(つ)けようと言うたて行きやせん。暗闇と言う。聞き分け。今日のさしづ(おさしづ)は容易ならんさしづである程に。心に含んで言わんと居るは、真実は ほんの上面(うわっつら)だけ。今日の一つさしづ下(く)だすは、憎うて下(く)だすやない程に。可愛一条( かわいいちじょう)で下(く)だすのやで」。(明治33.10.14日)
 「めん/\子を持って一つの道理を見よ。皆な親子供(みな/おや/こども)憎い可愛(かわい)、隔てあるか。成るという成らんという、この一つの理聞き分け」。(明治33.11.2日)
 「人の出世を怨むようでは違うぞ」。(明治34.5.26日)
 「皆の中/\という。一つまあ余程(よほど)結構と思うて、一日楽しんだ理もある。なれど、どうも人という、心見て、めん/\身からなれば是非も無い。これを恨みるやない。恨んではならん。身上という身から思うような理で、さあ是非も無い。順序一つ諭しおこう。人間我が身から出したる。我が身からする事どうもなろうまい。たゞ(ただ)一時 道一つ理 心に一つ理、人々我が身恨みという。これを一つ理台という。さあ/\相手一つ どうしたらよかろう、こうしたらよかろうと結ぶやろう。なれども、元々一つ、これ聞き分けにゃならん。人々の心次第/\、‥」。(明治34.11.8日)
 「皆な憎い者はない/\。皆な可愛(かわい)から言うのや。これ万事聞き分けにゃならん」。(明治34.12.21日)
 「心、妬み合いするは、煩(わずろ)うているも同じ事」。(明治35.3.14日)
 「一手一つ、これだけ諭し置こう。どれだけ不思議と思う。これだけこうと残らず/\寄り合(お)うてすれば、粗相(そそう)あっても案じる事 怨む事要らん。たゞ隠し合い包み合いする中に錆(さび)ありては、照らす事仕難(しに)くい。どうでもこうでも、一条(ひとすじ)の明るき心持ってくれ。そこで、どんな事 変わりた事あっても、皆(み)んな残らず/\知ってしたら、善うても悪うても、何處(どこ)へ怨む事は無いが、明らかな道という。これだけ諭したら、どんな者でも分かるやろう」。(明治35.7.23)
 「今に(いまだに)乳呑児(ちのみご)同様の心で居(い)るから、どうもならん。皆(みな)憎い者は無い。心間違うから、親の心 皆変わる。皆違う心から 心が変わるから、見難(みに)くうなる。生涯の處(ところ)よく聞き分けにゃならん。聞き分けば、身の苦しみ止まる。皆勝手々々の思わく(思惑)どうもならん。これ一つ定めにゃならん」。(明治39.5.28日)
 「身に一つ、口に言うた處(ところ)が、心に使わん理どうもならん。皆々を騙(だま)し 親を騙す。その心も同じ事や。もうこれだけ言うたら、これだけ言うて心に感じ無けねば、めん/\の思う通りせい。すれば、誰にも怨むるものは一つもありゃせん」。(明治40.4.10日)
 「教祖子供中に、よく聞き分け、聞き分けのできん者あったやろう。‥その中に理の治まらん者は、ほこりの屋形(館)と残し置いたる」。(明治40.4.10日午後5時半)

【れんだいこ流教理「八つの埃り」考】
 (「八つの埃」、「八つのほこり(信者の栞)」その他参照)
 教祖は、神様の思召おぼしめしに添わない心づかいを「埃り」に例えておさとしして下さっております。埃りは罪や罰のように消えない又は消えにくいものではない。むしろ吹けば飛ぶような軽く、元々は些細ささいなものです。が、油断をしているといつの間にか積もり重なり、遂にはちょっとやそっとでは拭えない、きれいにならないのが埃りです。人は銘々に心遣いしており、“我がの理”として許されてはいますが、親神様の思召に適(かな)わない自分中心の勝手な心を使っていますと、やがて心が曇り濁(にご)、親神様の思召を悟れなくなり、十分なご守護も頂けなくなってしまう。これが、「身上(みじょう)障(さわ)り」、「事情のもつれ」となって現れてきます。

 教祖は、埃りの心遣いの主なものとして「八つの埃り」(欲しい、惜しい、可愛い、欲、高慢、憎い、恨み、腹立ち)を諭されています。さらに「嘘と追従(ついしょ)これきらい」と「嘘、追従」を添えています。仔細にみるとさらに「ねたみ、そねみ」その他にも言及しています。そこで、れんだいこ教理では「八つの埃り/二つの埃り/その他の埃り」と合点しております。「八つのほこり」は順番も大事で、「欲しい、惜しい、憎い、可愛い、恨み、腹立ち、欲、高慢」の順に了解しております。

  この「八つの埃り」の心というは、
日々に知らず/\の間(あいだ)に使うもので、積もり重なり易きもの故に「埃りとお聞かせ下されています。 教えの理を聞き分け、心の定規(じょうぎ)として心づかいを改めるならば、心はすきやかとなり、身も鮮やかに治まとして、これ故に「神が箒(ほうき)」と仰せられております。

 埃りの道は幾重にもある。埃りの心や、埃りの行いは、幾千筋あるともわからない。さればその幾千筋とも限られぬ埃りの心、行いを一々申し述べるはできません。とはいえ、埃りでない事を埃りと思い違えたり、埃りのことを埃りでないと考え違えてはいけませんので、その角目(かどめ)を確認しておきます。

 「八つの埃り」を主とする色々様々の心の濁(にご)り、心得違いが、
日々身の行いに表れることになりますので、元々は結構な楽しい世界が、ねたみ合いや、そねみ合い、喧嘩や口論、罪つくり、おもしろくない世となってしまいます。又その心得違いが積もり重なり、銘々の天の理に迫って、身上の煩いや、憂い、災難となって、苦しむことになります。ってお互いに、このお道の理を聞かして頂いて、信心さして頂く上は、すべての心得違いを改め、心の濁りを澄まして終(しま)い、あざやか、誠の心を、日々に働かしていくならば、「おいおいと誠の理が積もり重なれば、天の理として難儀、不自由は出来やせん。やもうと言うてもやまれやせん」と聞かせられております。これによってなんでも誠一つを日々に行わして頂かねばなりません。

【増野鼓雪の埃り教理】
 「天啓に依れば、人間の霊には善悪の区別はないが、心一つの我がの理が働くので善と悪とが現れて来る。教祖は悪や罪やと云えば人が嫌うから埃と説かれた、埃とは、明澄たるべき人間の霊を曇らす心であって、それを八つに説き分けられてある。(中略)埃の心が身の内にあれば、神が入込んで働くことが出来ない。奇麗な仕事は奇麗な所でするものである。埃だらけで神の入込みなく、守護がなかったら借物の身は思う通りに働かぬ、病気や不具と云うのは神の働きが無いからである。故に病気になれば神が心の掃除をせられるのである。(中略)されば人間の病気は神が人間の心の埃を清められる道具である。心澄んだら道具の病気は不用となる。此の理が分かれば世界と世界の病の理も分る、世界の病む理が無くなれば世界が治まるので、神は道具に依って世界一列を澄すと仰せられたのである」。
 「”ほこり”が出ても」。
 お道の話を聞くと、埃(ほこり)を積んではいけない。人間が難儀をしたり病気になるのは埃を積むからである。埃を積んではならぬと教えられてある。しかしこれは、よく考えてみなければならぬ。中には埃を積まぬためというので、心の小さくなってしまう人もある。が、人間が埃を積まぬようにしようとすれば、何もできないようになってくる。いつかも話したように、仕事をしようとすればきっと埃が立つもので、埃を立てずにいようとすれば、懐手をしてジッとしていなければならぬ。そんなことでは何もできぬ。埃を立てるのは、仕事をするものにとっては止むを得ない。貴方たちにしても手にも足にも土をつけずに、土持ちをせよと言われたらどうします。そんなことはできますまい。お道もそれと同じことで、仕事をする上については埃が出ても構わぬ。神様は埃を立てるなと教えられたのではない。埃を払えと教えられたのである。どんな立派なものでも、一日経てば埃はつくものである。それを一日々々払うて行けばそれでよい。どうせ人間のことだから多少の埃は出よう。よけいな働きをすれば、やはりよけいに埃も出る。教祖にも同じように埃はかかったもので、『わしも外へ出たら埃がかかる』と仰せられたこともある。いかに品がよいからとて埃は避けてくれない。良い品にも悪い品にも埃はかかるものである。又、教祖は晩年になられてから、たしか八十七か八十八の年だったと思うが、おぢばに皮癬(ひぜん※)がたいへんに流行ったことがあった。その時教祖もそれにかかられた。が、教祖は『埃にまみれた』と仰せられた。だから、どんな人にしても、埃のかからぬというような人は決してあるものでない。かかるのが天の理である。まして我々お互いは凡夫だもの、埃にかかることはまぬがれない。しかし、日々に通る上において払うて通りさえすればそれでよい。
 (昭和45年10月発行「増野鼓雪選集第一巻・講壇」182-183p、道友社)

【ほこり教理】
 身の内の節と中。人間の心使いに乗って神様が働いてくださる時が「節」。人間が心使わずあるいは寝た間とか身を使わず働かぬ時にして、人間がどうせいでも神様がご守護くださっている間が「中」。例えば、食事をしている時は「節」、食後は「中」、大小便の時は「節」。指でも節のところは「節」、その間は「中」。全身皆な同じ。「中」の際には「埃」(ほこり)はできぬが、「節」の際に関係する。人間は特に身体心の自由用自在の使い方によって「埃」(ほこり)を生んだり積んだりする。

【ほこり教理】
 諸井政一著「正文遺韻抄」(道友社発行)152p)「台所へ出ると埃がつく」。
 「或る人、教祖様に伺い候して恐れ多くも伺いけるは、『あなた様には埃はございますまいね』と申しけるに、『それはな、わしでもな、こうして別間隔てていれば埃はつかせんで。けれども、ちょっと台所へ出ると、やっぱり埃がついてなあ』と仰せられしと云う。実に勿体なき事ならずや。教祖様ですら、なお台所へ目をつければ、埃がつくと仰せられる。まして凡俗の輩においては、掃き掃除、拭き掃除なすとても、なお払い難かるべし。しかるに、ワシは埃がない、ワシは間違いはせぬ、と一人合点なし居る者も、ままある事なり。心得違いと云うべし。されば、何れも注意に注意して、掃除を怠るべからざる事にこそ。註・常住お話しに、『わしは懺悔する事はないと云えば、息はないものやで』と御聞かせ下さりしとぞ」。
 諸井政一著「正文遺韻」171-173p「御はなし草稿 八埃の理」。 
 「『嘘に追従(ついしょう)これ嫌い。欲に高慢大嫌い』と仰せられまして、嘘、追従を言わぬ者はない。また、欲と高慢も無い人はございません。皆誰でも、多いか少ないか心にありますから、行(おこな)いに現れますによって、嘘を言わんよう、お追従せぬよう、欲をかかんよう、高慢を出さぬように、日々注意することが肝要でございます。 人間の凡夫心(ぼんぷしん)では、人に悪く言われると気持ち(気分)が悪い。良く言われると気持ち(気分)が良い。また、少しでも人の上に立つとか、人に立てられるとかすれば嬉しい。人の下に随(つ)いて通らにゃならん。また、人に貶(けな)されると忌々(いまいま)しい。これは、どうでも離れることの出来ぬ人情でござりますによって、自分もそうなら人もそうだ。よって、人のこと貶せば、人もわれのこと貶す。人の頭を押さえれば、人は反抗して、己(おのれ)の頭を押さえんとする。そこで、互いに踏みつけ合いになります。それ、内々も睦(むつ)まじゅうは通れぬようになる。 よって神様が、『互い立て合い』と仰せられる。慢心出しては 立て合えましょうか。人がヘタなことや、つまらぬこと言うたり、したりしたならば、貶さずに、教えるように親切をかけ、悪いことを悪いと言わず、違うことを違うと言わず、「こうしたらどうでしょう」というように優しくして人を立て、人の足らぬところを補ってやるようにするのが誠真実(まこと)であります。そこで神様が、 『「あの人は足らぬ人や、あほうな人や」と言うならば、足りるよう、賢(かしこ)いようにしてやってくれ』と仰せられます。人間は神様の貸しもの、ということを聞き分けたなら、その足らぬ人や、あほうな人のことを笑ったり、謗(そし)ったり出来ますまい。何となれば、その足りぬとか、あほうやとか分かるのは、自分が神様のご守護を、篤(あつ)く戴いているからこそ分かるので〈あって、決して〉自分の力ではない。自分の力のように思うから、人の足らぬのや、あほうなのが可笑(おか)しくなるのであります。 そこで、『足らぬ者なら、足してやれ』と仰る。力を添えてやらねばなりませぬ。『あほうな者は、賢くしてやれ』と仰る。同じく心を添えてやるより、他に道はござりませぬ。人間の力で、あほうを賢い者に出来ましょうか。決して出来ることやござりますまい。

   この理を聞き分けたら、人を踏みつけにも、蔑(ないがし)ろにも出来やしませぬでしょう。この高慢心は、つのり募りて、親をも踏みつけにする。また、主人・妻をも踏みつけにする。ついには理を踏みつけ、神様を無いもの同様にするようにもなります。そこで「ほこり」という、八つの中の第一終(しま)いのとめに置いて、お戒め下されたのであって、「高慢」は、一番出やすくて、一番ほこりが大きいのでありますから、よくよく日々に注意せんければなりません」。
 諸井政一著「正文遺韻抄」(道友社発行)254-255pの「八つの埃をとるのは」。
 「”心に誠あれば、すまくた(隅っこ)にいたかて(居ても)神が引き出すで。また、真ん中へ出て、どん/\やっていても、サアという時に、ほっとく者もあるで”と聞かせられます。教祖様が仰せらるゝに、『八つの埃を取るのは、たやすいものやで。この障子の立てつけが、柱も真っ直ぐなら、障子も真っ直ぐでピタリと沿うやろ。けれども敷居の溝に一粒の豆でもあったら立て付けが沿うまい。そんなものやで。この豆さえ取ったら、よう合うのや。八つの埃をとるのは、この豆を取るようなもので難しい事はないで』と、聞かせられました。

 ”十年の信心を一年でする者もある。又一年の信心を一日一夜でする者もあるで”と神様の仰せでございます。人から見れば、あんな事で助かろうかとか、又は、もうとても、あれでは難しい、というような所でも、思いがけなく御助けを頂く事がある。あれが、まあよう助かったなあ、というようなものや。それ、十年掛かる信心を一年に縮めたか、一年の信心なら一日一夜にしたようなものや。不思議な利益を受けたら、人が見て届かんようでも、心の誠が届いた証拠ですな。

 教祖様御存命中に、御前へ伺いますと、常住おさとし下さいましたが、『今遥々(はるばる)と運ぶのは、苦労の中やろ。難儀の中やろ。なれど、まだまだ火の中も水の中もあるで。火の中や水の中を通るのに、又横合いから針で突かれるような道もあるでなあ。どんな道がありても踏ん張るのやで』と」。
 諸井政一集前篇162p「逸話集」より。
 「助かるものは苦しめるな。金剛山の麓(ふもと)に穴虫(あなむし)という所あり。ここの信者に徳蔵といえる人ありて、信心怠(おこた)りなかりしが、あるとき河内国の人、九名ばかり相謀(あいはか)りて、徳蔵の持山(もちやま)に入りて木を盗み、見つけられければ、大いに謝し(深く謝罪し)、金をもって穏やかに事を済ましてくれよ、と頼みける。しかるに徳蔵氏は、村人のすすめにまかせ、神様の教えの理をよそにして遂に訴訟を起こし、九人とも九十日の懲役に処分せられけり。後、徳蔵氏の父、発狂せしかば、徳蔵大いに憂いて、教祖様(おやさま)に伺い奉(たてまつ)りしに、『たすかる者を救けずに、苦しましたる理である』と仰せられ給いぬ。『一列兄弟』という理、また『互い立て合い、助けあい』という御話しを聞きながら、間違いしたるぞ哀(あわ)れなる(心得違いをされた事が気の毒でならない)。人の罪をば、このむべからざる事になん(人の罪を責め立てたり咎(とが)めたりして更に苦しめてはならないという事である)。 徳蔵氏も大いに恐れ入りて、誠もって懺悔(さんげ)をなし、やがて父の病も治まりしと」。

【ほこり教理】
 「以前或る人が御教祖の処へ行って、『あなたの事を陰でこう言うている人がある』と言われたところが、『聞くやない聞くやない。埃や埃や』と仰る。ある人が陰でそんな事言うているのかいなぁと思うただけでも埃がかかる。『そんな事聞くのやない。人の中事(大和方言で、告げ口のこと)言うのやない』とこう言われて、他人の中事を一向お取り上げにならなかったことがある」。
 (みちのとも、昭和二年八月二十日号、春野喜市「布教要旨(15)」「人の告げ口」)
 「教祖は、ある日飯降伊蔵に、『伊蔵さん、山から木を一本切って来て、真っ直ぐな柱を作ってみて下され』と仰せになった。伊蔵は、早速、山から一本の木を切って来て、真っ直ぐな柱を一本作った。すると教祖は、『伊蔵さん、一度定規にあててみて下され』と仰せられ、更に続いて、『隙がありませんか』と仰せられた。伊蔵が定規にあててみると果たして隙がある。そこで、少し隙がございます、とお答えすると、教祖は、『その通り、世界の人が皆な真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆な狂いがありますのやで』と、お教え下された」。(逸話篇32「天の定規」)
 「これは或る先生から聞いた話で、どこからどう伝わった話か真偽のほどは分かりませんが、或る日、教祖が信者を二、三人連れて布留川の土手を歩いておられると、村方の若い者が川で大根を洗っていた。フト見ると向うから教祖が来られるので、ひとつ悪口を言ってやろうと待ち構えておったそうです。そしてそばを通られたときに、ドウチクショウ(こんちくしょうという意味)と怒鳴った。すると教祖はニコッと笑って『ちょっとそこまで』と仰ったので、相手は拍子抜けしてしまったわけですが、腹の治まらないのは、教祖についていった信者です。けしからんと、今にも駆け出そうとすると、教祖は、『あんたたちは今の若い者の言うこと、どう聞いたかえ』。ドウチクショウと言いました。『そうやないで。年寄りが通ると思って、わざわざ大根を洗う手を休めて丁寧に”ドチラへ”と言ってくれたのや』。いや、確かに”ドウチクショウ”と言いました、と言っているうちに、その信者にも、教祖のお気持ちが伝わってきて、本当にいいお話しを聞かせてもらいましたと喜んだという話なんです。この話しの信憑性はどうか知りませんが、私の印象に強く残っているお話しです」。
 (みちのとも、昭和三十八年四月号、座談会「『ひながた』を求めて」の座談会参加者の松隈青壺さんの御話し「村の若者と教祖」)
 「教祖様のお耳は、人の悦ぶえゝ事話したらよく聞こえる。埃の事言うたら、『聞こえぬ』と仰った。そこでお傍に、石盤と石筆を置いて、それをお見せする。時によると『見えん』と仰った。言うても『聞こえん』と仰ると書くのであるが、書いても『見えん』と仰る事がある。埃のない事よく聞こえるお耳であるのに、埃の事が雑ざったると『聞こえん』と仰る。凡人でない。『神が入込んで居る』と仰るのがこゝや」。
 (「教祖様の耳」、 昭和二十一年四月天理教教義及史料集成部発行「復元」創刊号「教祖様の思ひ出」梶本楢治郎より)
 「御教祖が晩年に『ワシはな、生涯の内にただ一度出過ぎた事をしたのや。それはな、或る時良人が奉公人に暇をやろうよと言われましたから、それならやった方が宜しゅう御座いましょうと、相槌を打った事があったが、これはワシの一代中のキズじゃ』と繰返して御後悔遊ばされたと聞かして頂いた~云々」。
 (「人に暇をやることは」、大正十二年一月五日号みちのとも「主婦としての教祖」滑川廣之より)
 「中山家にはお松どんと云う女中があった。常に人の仲言(なかごと。告げ口)を言い歩いたりしては、そのくせ腹立ちや不足の多い性質で、余り心行きの良くない女中であった。或る日、教祖は、このお松どんを勝手元へ連れてお出でになった。そして一杯入ってある醤油樽を指差して、『それを揺すってごらん』と仰せになった。女中は言われるままに醤油樽を動かしてみたが何らの音もしなかった。教祖はわざわざ醤油樽の醤油を片口に半分ほどもお出しになって、『もう一度これを揺すってごらん』と仰せになった。女中はまた言われるままにその醤油樽を動かしてみたが、今度はタプタプと云う音がした。そこで教祖はお松どんに向かって、『他人から揺すられて音のするような人間は、この醤油樽のように中身が半分しかないのやで』(※3)と言うてお聞かせになった」。
 (「醤油樽の音」、昭和三年四月発行「教祖とその高弟逸話集」(天理教赤心社。代表は天理教大阪教務支庁・平野義太郎)より)

 ※天理教同志会発行「教祖のおさと志」(昭和四年四月発行)には、『人間もこれと同じことや。心に一杯理がつんであれば重いが、すきが出来ると音をたてるがな』とあり、”この話は、教祖様がまだ中山家の主婦であらせられた頃、女中や下僕にお優しく教訓なされたといふことであります。”と結んでいる。
 「教祖があるとき言われたそうだ。『この世に、ほこりのない人間は生きておれんのやで』と」。(昭和六十年四月発行、高野友治著「創象28」25p「ほこりのない人間は」)
 「ある時、教祖は高弟たちと僅かばかりの神酒をわけ合うて飲んで居られた。そこへ高弟の山本がやってきた。そこで教祖は、『みんな、お神酒をいたゞいてますのやから、あなたも一ついたゞきなされ』と言われた。すると高弟の山本は、『いや、もう結構です』。『そう言わないで、一ついたゞきなされ』。『いえ、もう結構です』。『まあ、そう言うものやない。みんなもいたゞいているのやから、一つぐらいいたゞきなされ』。こう教祖に言われても、高弟の山本は、『いえ、結講です』と、三度辞退した。そこで、教祖は、『山本さん、遠慮気兼は之れは埃やと神様が仰りますで』(註・この神言はこの時発せられたものである)と諭されてから、『そんなに遠慮ばかりしていると、神様が結構なものを下さる時にも遠慮せにゃなりませんぜ』と言って、奨められた。それでも山本は、『いえ、もう結構です』と言って神酒を受けようとはしなかった」。
 (「遠慮気がねは」、大正十一年十月発行「教祖とその教理」(天理教同志会編)148-149pより)

【ほこり教理】
 「立つ物が立ち、繋がるものが繋がり、引出されるものが引き出される理が神である。この神の御働きがいわゆる御通力である。神の御心に添うからその通力が人にも備わる。これは銘々の心次第である。神も目に見えぬは、人間の心が目に見えぬのと同じである。人間の勝手が過ぎると神が御働きを止める。人間の悪が強いと神の守護ができ難くなり病が生ずる。身の内に病いの生ずるは、御住まい下さる神の御守護が薄くなる故である。神の御守護の御裾分けがて徳分である。この得分が薄くなると病になる。人間は神の御徳で立って居る。神は人体に宿っている。神の御守護は心を芯、心を台として御働き下されている。神は身の内に在る親、人間の身体は子の関係にある。悪しき心を使うては神に済まん、身の為に成らんという心が湧いて、何時も神様御用心が勤まるようになったら神に続がる。段々心が澄んで来て神の力が入ってくる。誠という理の働きは胸三寸、心一つの道である。一刻(二時間)の間、誠の心使えば一昼夜助かる。一昼夜の間、誠の心を使えば一(ひと)月助かる。一月の間、誠の心使い通せば一年助かる。遂には一年中誠の心が使える様になる。この逆に、古い諺に『百日の説法屁へ一ツ』と云う如く、百日の誠が一度の腹立ちで台なしにしてしまうことがある。ところで、八百屋に借りがあれば八百屋から催促する。呉服屋に借りがあれば呉服屋の帳面に記入する如く皆な心の間違いの埃も性質の異なる心の色合いの変る所、受持ち守護の神様の理で色々異なり現れる。八百屋は八百屋の看板が出ていると同じ。諺に看板に偽りなしというが如し。その看板は天理によって読む。御諭しは病気諭しだけで諭せるものではない。世界万物の理を諭し、相手が得心するのが基本である」。
 「病気諭しも、人間は一人ずつ顔の異なる如く心も同じからずによって、その人によっての見分けが肝要である。埃は八埃であるが八埃には千筋ある。一つの病にても、例えば欲しいから起るのもあれば恨みから出るもあり、高慢から出るのもあれば憎みから出るのもある。一つの埃が八ツに分れ、又同じ埃でもその人によりて事情が異なる故に、神の守護身の内の組み立ての根元たる世界万物の理を知りて臺を心に治めて、その人/\の見分けをする必要がある。諭しは枝末なり、銘々の悟りが果実なり。病の元は心、病の性質が分らん様な事では病の根は切れない。人の病の根を切るには、自分がその根を切らん事には難しい。例えば自己が罪人にて入牢の身なれば他の入牢の者を助ける事難しいが如し。人のふり見て我がふり直せの諺通り、助け一條に当ってはまず我が心の錆埃を払い、心を磨き、見るも聞くも同因縁ありとする低く素直な姿勢がなくては通じない。何でも人を助けようという心は誠故、その心なるが故、助ける者の心が成人成育する。我が心が磨けるだけ鏡となり人の心が写る。心を澄まさねば写らぬ。濁り水に物を入れても分らん如し。天理の教師とは天の定規サシガネを以って普請をする大工と同じである。サシガネが一分狂えば家全体が狂う。定規なしに物を削って居る様な事では、道は何年通っても心の普請ができん。即ち心が作れん、大きくならん。心を大きくする道を知らねば神様の普請の役に立たぬ。我が心の磨けぬ者が易や八罫見た様な事を云うて高慢したいのが凡人の常であるから、心の磨けぬ間の人助けは故却って人を迷わし害になる。例えば子供に正宗の名刀を持たせた様なもので却って我が身を傷つけ滅ぼす。名刀を使いこなすだけの腕前ができねば名刀たる切れ味が分らんと同じ。我が心を磨く道を知らざれば徳を貰う事ができぬ。低く素直な姿勢のお助けが基本である」。
 「八つの埃。人間に病と云うて無けれども心違いの道があるゆえ。この道は凡夫心に八つあり、ほしいおしいとかわいにくいと。うらめしとはらだちよくとこうまんとこれが八つの心違いや。この埃つもりかさなるそれゆえに病悩みも愁い災難も。何もかも身の内守護の神様の心直しのいけんりっぷく埃さえ速やかあろうた事なれば病の根は切れてしもうで。これ迄にどんな理も聞かしてあるどんな差図もしてあるよう、思案して見よ神が云う事うそはあるまい、神が云う事うそなら六十二年以前よりのこの道今日迄続きはせまい。今迄云うた事に何違うた事はない。皆な見えてあるよう思案してみようか/\きょろ/\してはいられようまい。早く誠を定めて真実の理を納めてくれにゃならん。もうどうでこうせは云わんで。六十二年前よりの道の事如何なる道も通りたであろう、如何なる理も分りたであろう。なれどたしか分りた者はない思案する者もない。もうどうせいこうせいの指図はせんで。これからは心次第。云うてもあかんで。サァ銘々の心次第や。六十年前より聞かした理、心に誠と云う理の思案があろう、実と云う所の理があろう。心の事情分かりあるのかないのかよく思案して早く心を定めてくれにゃならん。この道は胸次第心次第の道であるから心のとく心できる迄は尋ね返すがよい。心一ツの道であるから理の働きがなうてはどうもならん。誠と云う理の働きさえあれば天の親よりも実が有るで実と云うは分ろうまい。火水風と云うこの恩理が分れば一切の恩理が知れる。これ知れば衣食住の三点は火水風の賜物と云う理が知れる。この理が分れば神の守護と云う理が知れる。この理が治まれば神の誠と云う理が明らか知れる。なれど教えの理を取り違えると云うは、これ迄の心の理が忘れられんから目に見えたものに惜しみをかけて身上の大敵と云う事を知らず欲しい惜しいの心の理が離れられんから真実と云う理が治まらん。早く思案をしてくれ、世上の難はどういう所から身に受けるは八ツのヶ條を何と思うて諭して居る。(中略 )八つの埃は八方八柱の神様の御心から出るなれど人間の心から見ては中々その有無区域が分らん。天理から見ねば分らん。深く心の底に立ち入って見ねば如何なるものが真に我が身可愛いというものであるから高慢というものなるか欲と云うものであるかと云う事が容易に分らん」。(Page Top


【黒住教の御諭し】
 「黒住教の日々家内心得の事御七カ条」は次の通り。
 日々家内心得の事
一、神国の人に生まれ常に信心なき事
一、腹を立て物を苦にする事
一、己が慢心にて人を見下す事
一、人の悪を見て己れに悪心をます事
一、無病の時家業おこたりの事
一、誠の道に入りながら心に誠なき事
一、日々有り難き事を取り外す事
 右の条々常に忘るべからず 
 恐るべし 恐るべし
 立ち向こう 人の心は 鏡なり
 己が姿を 移してやみん
 「よりよく生きるための“五つの誠”」
一、祈りの誠
一、孝養の誠
一、奉仕の誠
一、感謝の誠
一、反省の誠




(私論.私見)