「それ人間と云う身の内というは神の貸し物借り物、心一つが我がの理。心の理というは日々という常という。日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆な受け取る。受け取る中に唯一ツ自由用という一ツの理。自由用という理はどこに有るとは思うなよ、只銘々精神一ツの理に有る。日々という、常という、日々常に誠一ツという。誠と云えば一寸には弱いように皆な思うなれど、誠より堅き永きものはない。誠一ツが天の理。天の理なれば直ぐと受け取る、直ぐと返やすが一ツの理。よく聞分け。又、自由用の理は結構と思いながら自由用の理が分らん。又、身上有って楽しみ身上有っての道である。これ一ツ聞分けてくれ」。
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「罪口説(つみくぜつ)言うは ほこり」。(明治20.4月、補遺)
註、「罪口説(つみくぜつ)」は、悪口・陰口、言いがかり、イヤミを言うなどの、悪意ある もの言い全般。
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「さあさぁ罪々聞かすやない。心いずむ。神が乗らん。‥神が踏ん張る處(ところ) 、罪という罪すっきり聞かさんよう。一つの心という、神じゃない、心
人間心に映してある。罪聞かして どうなるとも計り難(がた)ない。思やん (思案)してみよ。僅(わず)かいんねん(因縁)、僅か治まり、雑言(ぞうごん)悪を馳(は)すと言う。一度は許そ。後一つ心許さん」。
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「人間というものは、身の内借り物、八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる」(明治21年7月4日)。 |
「多くの中に世界の道理、今一時 人を毀(こぼ)つでほこりが立つのやで。世上の道が狭く成る。人さえ毀(こぼ)たねば 人の事を悪く言う事はない。人を毀(こぼ)つで、あちらから こちらから眺める。あの者この者が
何でも実々(じつじつ)の道を通るに、悪く言うたら 善き道とも、たすけ道とも言うまい。日々の道を通ろうと思うては、人を毀(こぼ)ったり 悪く言うてはどうもならん。人を毀(こぼ)って、何ぼ(なんぼ)道を神が付けても、毀(こぼ)つから
道を無いようにするのやで。急く事情は要らん。偉い者に成ろうと思うたら どうもならん。皆たけ/\(丈々)の人間。偉い者に成ろうとて一時に成らん。人間一生と言うても、人間の一生の事は急いては いかせん。末代の道やもの。急いては いかせん。天然自然の道に基(もとづ)いて、心治めてくれるよう」。(明治23.2.6日) |
「あちらから妬む。こちらから妬む。身が悩む、治まらん。‥あちらから妬む、こちらから妬むという理、治まり成らん」。(明治23.3.17日) |
「心一つの理を以て、互い/\の心を持って、あちらでぼそ/\(ぼそぼそ)、そちらであらこら言えば 直ぐの道を通られやせん。心を皆な純粋に治めてくれ。陰で言うより前で言え。いかん事はいかんと
陰で見て 陰で言わんと直ぐに言え。陰で言うたら 重罪の罪と言わうがな(言おうがな)」。(明治 23.11.22日) |
「少しぐらい こんな事ぐらいという理は むさくろしい(むさ苦しい)。妬み合いという理が見て居られん。これで掃除は仕舞(しまい)。これだけ見分けんならん。見分けるには遠慮は要らん。遠慮するのは分からんからや。陰で言うは
十代罪と言う。陰で言うなら その者 直ぐに言うてやれ。身のためや。来る者に去ね(いね/帰れ)とは言わん、来ん者に来いとは言うやない。心で尽す者と、現場で尽す者と
よう見分け。陰隔(かげへだ)ての理のなきよう」。(明治24.1.29日) |
「万事(ばんじ)互い/\よう聞いて/\居るやろ。聞いたら道を違わんよう、違わさんよう。違わしては何にもならん。心に違う理がすっきり嫌い。‥罪はならんで。取り扱いの處(ところ)治まりてないから罪出来る。心に罪ないよう諭してくれ。毎夜/\のように諭してある。なれど、面々理を拵(こしら)え、裏と表との事情がどうもならん。善き事も悪き事も裏表、取りよう聞きようによりて理が戦う。こそ/\話はすっきり要らんで。直ぐと/\大きい声で話し、陰々の話は要らん。‥
兄弟の中/\と言うても、中に兄弟の理がある。ぼそ/\話はすっきり要らん。世上の理、世界の理は心に治めて話もせにゃならん。内々気に済まにゃ済まぬよう明らか話もせにゃならん。中に跨(またが)り要らん。心変わる理あろうまい。なれど、日々理を拵える。皆んな揃うた中で話して置くからぼそ/\話は要らん。ぼそ/\話はろく(碌)な事やないと思え。誰彼言うやない。そのまゝ(まま)直ぐに諭してくれ。こそ/\話は
罪を拵える台とも諭しおこう」。(明治26.12.6日) |
「小さい心はやめてくれ。疑ぐり/\の心はやめてくれ。ほしい(欲しい)、をしい(惜しい)、うらみ(怨み、恨み)、そねみ(嫉み)の心はやめてくれ」。(明治28.10.7日) |
「皆千切れ/\である。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋がれん。春風のようなそよ/\風の間は何も言う事はない。神も勇んで守護する。なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり、泥ぼこり立ち切ってある。黒ほこり泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又、守護した処が世界へどう見えるか」。(明治30.2.1日) |
「笑うて暮らせば、何にも妬み恨(うら)みは 一つもあらせんで。よう聞き分け」。(明治31.5.9日) |
「第一妬む妬まれる、嫉(そね)む嫉まれる。この理ほど恐ろしい理はない/\。‥妬み合い/\、嫉み合い/\、これが見苦して、見苦してならん」。(明治31.5.12日) |
『神は ほこりは嫌い。すっきり澄み切らにゃならん』〔おさしづ 明治31.6.12〕 |
「これまで人が出世すれば 妬む者はそら無い。なれど心に理を思わねば、妬むも同じ事。人の出世、楽しんでくれにゃならん。ほんに これでこそ道の理かと、楽しんでくれてこそ道であろ。人の出世、怨み嫉みは道でない」。(明治32.2.2日) |
「さあさぁ尋ねる事情/\、身上という、心得んと言うやろ。身上心得ん。一年改(あらた)め、二年改め、身上から改め。一年改める、二年改める、三年改める。一つ/\心の理改め。道これまで運ぶところ、十分受け取ってある/\。長らえて道中、掛かりならんところ、運んだ理は十分受け取る。それから心という理/\、とんと計り難(がた)ない。順序改め掛けた/\。又事情、一年改め二年改め三年改めて、事情働き損やない/\。年々面々心の理で伸びたもの/\。誰怨みやない/\。一時鮮やかなら、一年二年三年理が、表という一つ理に集めてやろ。理に取り立てる。これ楽しませ/\」。(明治32.3.22日) |
「日々八つの埃を諭して居る。八つの諭すだけでは襖に描いた絵のようなもの。何遍見ても美し描いたるなぁと云うだけではならん。めんめん聞き分けて、心に理を治めにゃならん。この教えと云うは、どうでもこうでも心に理が治まらにゃならん」(32.7.13日)。 |
「難儀さそう不自由さそう親無き理。そこに身上掛かるはどう、又(また)重なる事情に掛かるは、どうと言うは日々であろ。なれど、心取り替え/\。身上一時どうとは言わん。一寸(ちょっと)大層。成っても成らいでもと、心尽(つく)した理は末代。理
末代の理。これ将来に聞き分けば、怨みる處(ところ)無い。よう聞き分け。一代と思うによって、心どうもならん。難儀不自由めん/\思うから、めん/\理に掛かる。これよう聞き分け」。(明治32.12.21日) |
「あちらから妬み、こちらから妬み、ほこりの元。元は障りという」。(明治33.5.17日) |
「悪い風に誘われ、取り損(ぞこな)いは どうもならん。これまで指図及んだる。風に誘われたのは、銘々の恨みと諭しおこう」。(明治33.5.31日) |
「何か天然の道理 持たにゃならん。天然は いつになっても、天然で通るだけは、どうでも連れて通る。これ聞き分けたら、怨むやない程に/\。銘々
心恨みと諭しおこう」。(明治33.5.31日) |
「何ぼ(なんぼ)言うて聞かしたてならん。我(わ)が身仕舞(じま)いではならん。それでは灯火(ともしび)消えて、今一時点(つ)けようと言うたて行きやせん。暗闇と言う。聞き分け。今日のさしづ(おさしづ)は容易ならんさしづである程に。心に含んで言わんと居るは、真実は
ほんの上面(うわっつら)だけ。今日の一つさしづ下(く)だすは、憎うて下(く)だすやない程に。可愛一条( かわいいちじょう)で下(く)だすのやで」。(明治33.10.14日) |
「めん/\子を持って一つの道理を見よ。皆な親子供(みな/おや/こども)憎い可愛(かわい)、隔てあるか。成るという成らんという、この一つの理聞き分け」。(明治33.11.2日) |
「人の出世を怨むようでは違うぞ」。(明治34.5.26日) |
「皆の中/\という。一つまあ余程(よほど)結構と思うて、一日楽しんだ理もある。なれど、どうも人という、心見て、めん/\身からなれば是非も無い。これを恨みるやない。恨んではならん。身上という身から思うような理で、さあ是非も無い。順序一つ諭しおこう。人間我が身から出したる。我が身からする事どうもなろうまい。たゞ(ただ)一時
道一つ理 心に一つ理、人々我が身恨みという。これを一つ理台という。さあ/\相手一つ どうしたらよかろう、こうしたらよかろうと結ぶやろう。なれども、元々一つ、これ聞き分けにゃならん。人々の心次第/\、‥」。(明治34.11.8日)
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「皆な憎い者はない/\。皆な可愛(かわい)から言うのや。これ万事聞き分けにゃならん」。(明治34.12.21日) |
「心、妬み合いするは、煩(わずろ)うているも同じ事」。(明治35.3.14日) |
「一手一つ、これだけ諭し置こう。どれだけ不思議と思う。これだけこうと残らず/\寄り合(お)うてすれば、粗相(そそう)あっても案じる事 怨む事要らん。たゞ隠し合い包み合いする中に錆(さび)ありては、照らす事仕難(しに)くい。どうでもこうでも、一条(ひとすじ)の明るき心持ってくれ。そこで、どんな事
変わりた事あっても、皆(み)んな残らず/\知ってしたら、善うても悪うても、何處(どこ)へ怨む事は無いが、明らかな道という。これだけ諭したら、どんな者でも分かるやろう」。(明治35.7.23) |
「今に(いまだに)乳呑児(ちのみご)同様の心で居(い)るから、どうもならん。皆(みな)憎い者は無い。心間違うから、親の心 皆変わる。皆違う心から 心が変わるから、見難(みに)くうなる。生涯の處(ところ)よく聞き分けにゃならん。聞き分けば、身の苦しみ止まる。皆勝手々々の思わく(思惑)どうもならん。これ一つ定めにゃならん」。(明治39.5.28日) |
「身に一つ、口に言うた處(ところ)が、心に使わん理どうもならん。皆々を騙(だま)し 親を騙す。その心も同じ事や。もうこれだけ言うたら、これだけ言うて心に感じ無けねば、めん/\の思う通りせい。すれば、誰にも怨むるものは一つもありゃせん」。(明治40.4.10日) |
「教祖子供中に、よく聞き分け、聞き分けのできん者あったやろう。‥その中に理の治まらん者は、ほこりの屋形(館)と残し置いたる」。(明治40.4.10日午後5時半)
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