上田ナライト押し込め事情考その2 | |
上田嘉治郎、上田ナライト |
更新日/2018(平成30).4.16日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「上田ナライト押し込め事情考」をしておく。 2018(平成30).4.16日 れんだいこ拝 |
明治三十九年一月十五日 、上田ナライト四十三才身上願い。
押して、教長へ申し上げ、本部員一同相談致しまして、もう一応御願い申しましたら宜しう御座りますか、と願い。
しばらくして、
|
(39.5.1)明治三十九年五月一日、上田ナライト身上に付先般おさしづ頂き、その中に『今日は気分悪いと言う、今日一日代わろうという日を待ち兼ねて居る。日々に運び足らんから尋ねにゃならん日になりたる』という御言葉御座りますが、如何の事でありますか願い。
押して、一同相談して教長へ申し上げて、もう一度御願い申し上げます。
|
(39.5.20) 明治三十九年五月二十日 夜九時頃 、前お指図を本部員集会の上協議三日なし、上田ナライトの住居飯降裏手に些少なる建物新築を教長へ御願をなし、当分新築せざる事を内務主務局長へ書面を出したるにより建築は出来ぬ、色々協議をなし、中南元に教祖初め本席の御住居遊ばされし所へ教長の承諾下され、その旨本席へ申し上げし処、神様御出まし御話しあり。
押して、中南の方へ御許し願います。
押して、上田ナライトの運びの事でありますか。
押して、中南方で御許し願い。
|
(39.5.21)明治三十九年五月二十一日
、上田ナライト中南にて仮住居取り決め度くにつき願い。
押しての願に、しばらくの処をそういう事にして御許し下され度し、と申し上げ、
又押しての願、二名と仰せ下され私も共に運びますから、上田ナライトの処御許し下され度く御願い。
|
(39.5.26) 明治三十九年五月二十六日
、先日の御言葉に二名という処、飯降政甚の件に付、二箇年間品行を見定める事につき願い。
押して、本部員は十分注意致しますと願い。
上田ナライト中南にて御許し願い。
身上の願差し止めをお解き下され度く御願い。
押して、身上の願の処御許し下され度く御願い。
|
(30.6.22)明治三十九年六月二十二日、上田ナライト中南の方へ移住に付誰か付き添いの処願い。
しばらくして、
押して、上田ナライトに申し上げますと、
|
(40.3.13) 明治四十年三月十三日(陰暦正月二十九日)午前八時三十分、平野楢蔵とお話しありし時、俄かに刻限の話し。
御運び後十一時頃上原佐助、飯降政甚と話し合い居る時俄かに、
明治四十年三月上田奈良糸様の普請が問題となっている時、本部は目下会計状態が年に一万二千円程の支出超過になっている旨を報告し、この話を具して、平野楢蔵先生が御本席様に申上げられると、俄に刻限があって、『一万二千たらんときいた、そんな事で此道どうなるぞ、これでははたらけるかはたらけんか、さあしっかりせい、教祖に此道ゆづりてもろたのに、なんぎささうといふてゆづりてもらうたのやない、いふてゐた日もあるのになにとぼけている』。随分厳しい御言葉である。勿論神一条の信念に生きてはいたが、収入の将来は全く予想が不可能な処から此の様なことがあったのだろうと思う。(註・増野正兵衛先生は、本部の会計を担当されていた) 上田ナライト様について(その十四)② |
【上田ナライト押し込め事情考】 | |||||||
「上田ナライト様について(その十五)①」、「」。
|
(40.3.22)明治四十年三月二十二日(陰暦二月九日)
、上田ナライト建物の屋敷どの辺という処願い。
押して願い。
何間の建物でありますか、押して願い。
材木一本教長より買い入れあと三本五本は席が買うと仰せ下されましたのが、どういう木でありますか願い。
教長より一本買う事情願い。
つなぎの処、青年なり外々にありますか願い。
しばらくしての御言葉。
|
「上田ナライト様について(その十六)① 」、「上田ナライト様について(その十六)② 」。 教祖様二十年祭前後、本部の会計もなか/\御用が多く、その窮状が眼に見えるようであるが、その中を、きびしくぢばの理、ふしんの理をお説き聞かせになっているあたり現在七十年祭後のおぢばの様子とも、地方の教会の事情にも照し合せて、考えさせて頂く時、力強く鞭打たれる思いがすると同時に、何とたのもしい思いのすることであろう。 ナライト様の建物は、決して個人の建物でないことを明らかにお説きになりつつ、このおさしづの続きに三十年祭への心がまえを、とくとお説き下されている。この後にも次々とナライト様の御普請のおさしづが度々ある。 |
||||||
明治四十年四月二日(陰暦二月二十日)午前一時半
、上田ナライトの普請南の方へと仰せ下されましたが、いずれの処へと申し上げ、
押して、地所の処、
どの所にてと、
押して、地所空いてある増野の南の方。
押して、明日奥村呼びて絵図面を作り本席へ申し上げます。
同午前八時、上田ナライトの普請の事につき、お指図読み上げての後にて刻限。
|
「上田ナライト様について(その十七)」。 その後本席様の御身上おせまりあり、刻限はなしを次々となされた。教長様、本部員、教会長集りて重大な練り合いが続いた。 明治四十年六月五日(旧四月二十五日)午後十時二十分、御本席様身上苦痛又々激しく相成り教会長始め本部員一同出席の後教長様へ問答。
本席様の御身上にてお運びのない日が続いていることを御心配になって、明日は早天に一席だす、とのお言葉に、教長様より、それはありがとうございます、とおっしゃっている。 明治四十年六月五日(陰暦四月二十五日)午後十時二十分、本席身上苦痛又々激しく相成り、教長初め本部員一同出席の後教長と受け答え。
教長より、皆一つ心に成りて居りますと答。
教長より、皆々へ伝える事に成って居りますと答。
しばらくしての御諭し。
教長より、それは有り難う御座ります、と御受けあり(4727) 。 |
明けて六日午前四時半、本席様御苦痛きびしいので教長様、本部員一同おそばにつききりでおいでになる。初代真柱様はこの時、***いくらせつなみを受けましても宜敷御座りますからおじいのせつなみの処お助け下されませ亦寿命縮めましても宜敷御座りますから一先御ふみとめ被下ませと必死のお願いをかけておられる。息ずまるようなこの時の御様子が、お指図を拝読している者に切々と迫って来る。 本席様は初代真柱様の御手をお握りになり、厚く御礼申上げておられる。暫らく御問答あって、
教長様より奈良糸さんに勤めさせるのであります哉。 (おうなづき遊ばさる) 教長様より一席運ばせるのでありますかとお尋ねになれば、 (指三本御出し被下る) 教長様より三人でありますかと申下されば、 (おうなづき遊ばされ) 教長様より奈良糸およびよせませうかと申下されば、
教長様より只今より運ばせるのでありますかとお尋ね被下ば、
|
(40.6.6)明治四十年六月六日(陰暦四月二十六日)午前四時半 、本席苦痛激しくにつき、教長始め一同出席す。
同じく五時頃教長より何か御知らせ下さる事ありますや、皆々揃うて居りますから、と御願い申し上げらる。
(本席御手にて百日と字をお書きになり、)教長より、皆々心配致して居りますから、何かおさしづ下されます事御座りますなら御聴かせ下されませ。 (本席御手にて胸を撫で) 教長より、切なみ御座りますなあ、と申し上げらる、 教長よりの御願、真之亮がいくら切なみを受けましても宜しう御座りますから、お爺いの切なみの処御救け下されませ、又寿命縮めましても宜しう御座りますから、一先ず御踏み留め下されませと御願い。
教長より本席の御身を御撫で下され、
同午前六時頃、
教長と飯降政甚との御手を御握り遊ばし、
(本席より教長へ御挨拶遊ばされ、この挨拶本席の御言葉、有り難う/\、十分満足してます。それに対して教長より御挨拶遊ばされました。本席手を合わせ下され、いろ/\仕方遊ばさる) 教長より、子供の処私引き受けて居りますから、御安心下されませと申し上ぐ (本席は御うなずき遊ばされたり)
教長より、ナライトに勤めさせるのでありますや。 (御うなずき遊ばさる。) 教長より、一席運ばせるのでありますか、と御尋ねになれば、 (指三本御出し下さる。) 長より、三人でありますか、と申し下されば、 (御うなずき遊ばされ) 教長より、ナライト呼び寄せましょうか、と申し上げ下されば、
教長より、只今より運ばせるのでありますか、と御尋ね下されば、
教長より、二十六日と御答え下さる。
(本席御手にて丸く仕方を遊ばされ、その内の中点三つ打たれたり。) 教長より、三軒の事で御座りますかと、 (御うなずき遊ばされ)
(教長初め一同へ御挨拶下され、目を見詰め御うなずき) 教長初め一同引き取り後又出席の上
|
明治四十年六月六日(旧四月二十六日)午後十時、御本席御身上激しくに付教長様始め本部員一同出席之上教長様より御苦しう御座いますかと申上被下御本席より御苦労で御座りますと申されて後、(御本席より御苦労で御座りますと申されて後)
教長初め一同手を打ち下さる (本席よりやすんで貰うてくれと仰せらる。) |
|
「上田ナライト様について(その十九) 」。 |
「上田ナライト様について(その二十)① 」、「上田ナライト様について(その二十)② 」。
|
(私論.私見)