飯田岩次郎
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.11.20日
(れんだいこのショートメッセージ)
ここで、「飯田岩次郎」を確認しておく。
2007.11.30日 れんだいこ拝
【飯田岩次郎】(「
御水屋敷並びに人足社略伝その1
」に記す)
【
飯田岩次郎
】
「
飯田岩次郎氏について
」参照。
安堵の素封家(そほうか、代々続いた大金持ちの家)善六さんの長男で、六才の時腹痛の為危篤となり、教祖様がわざわざその家へおこしになって助けあげられ、后には本部員にもとり立てて頂いて重役になっていた人である。この人のことは余り知らないが、本席様は 「飯田はその井戸に水のおさづけもろとったんや。自分が神様になったような変なことを言いよるので、叱りつけたことがあったが、何ちうこと思うとるのやろなあ」と仰言っていたことがあった。
明治二十九年に「安堵は水屋敷」ととなえて、むほんしてしまった。そして「本部は火の元庄屋敷即ち巳様の天下りになった屋敷で、安堵は月様国常立命の天下られた水屋敷である。火は水かけたらすぐ消えるように、安堵が本家本元である」と、全然教祖様の仰言ったことのない異説を唱え出し、遂におやしきからとり払われ免職されて寂しい生涯を遂げた。なかなかしっかりした人格者であったが惜しいことであった。(「清水由松傳稿本」83ページより)
(私論.私見)