この「仲田様御逝去についての全文」が削除されている。本部のお道教理は、とかく議論の余地の多い下りを自己規制する傾向にあり、本件もその一例である。これは「逆復元」の流れであり叱責されるべきであろう。
なお、「静かなる炎の人/梅谷四郎兵衛」の冒頭、解説一で、高野友治氏は次のように記している。
「明治19年(1886年)、56才で出直したが、そのとき教祖は『にしきのきれと、みたてたものやけど…』と仰せられたという。『にしきのきれ』とは「錦の布」と思われる。織り物で「錦」が最上等である。おさしづの中で「錦」というお言葉が数回出てくるが、教祖の代理の本席(飯降伊蔵)を指している。教祖はこの仲田儀三郎を大変嘱望されていたと思う。仲田の書き遺した教義書は遺っていない」。 |