「秀司先生は月よみのみことの魂のいんねんだ」とか「たまへ様はくもよみのみことの魂だ」という話は皆よく聞くと思う。これの話は一体どこから広まっていった話なのだろうか。色んな先人の教話にも見られるが、一番根拠として考えられるものは、こふき話の和歌体に記されてある八人の記述といわれている。以下にその御歌を記そう。
それゆへに神名をつけてだいじんぐ これなる神ハいざなぎのかみ
この神ハどこにいるとなおもうなら とふねん巳の十六才
ぞんめいでをハしますなりこの神ハ 元の屋敷の一の神なり
なハしろにつこふたこれで一の神 いざなみのかみいせてハげゑく
この神ハ人間なるの元の親 この親様ハどこにござると
思うならとふねん巳の八十と 四才にてこそやまべのこふり
くにさつちこの神様ハ親様の たいないこもり抱きしめござる
今年から三十年たちたなら なあハたまひめ元の屋敷へ
連れ帰りそのうゑなるハいつまでも よろづ助けの守護くたさる
つきよみハしやちほこなりこれなるハ 人間骨の守護ふの神
この神ハとふねん巳の六十と いゝ才にてぞあらハれござる
くもよみハうなぎなるなりこの神ハ 人間の食い飲みの守護神
この神ハとふねん巳の五才にて ぞんめいにてぞをハしますなり
かしこねハかれいなるなりこの神ハ 人間息の守護の神
この神ハとふねん巳の八才で ぞんめいにてぞをハしますなり
ていしよくてんのみことハ ふぐなるぞ このものこゝろあじハいをみて
人間の死に生きの時ゑんをきる これハこのよの挟みなる神
この神ハとふねん巳の三十と 二才にてこそをハしますなり
をふとのべじきもつの神これかみハ くろぐつなとて引き出しの神
この神ハとふねん巳の十六 ぞんめいにてぞをハしますなり
(『こふきの研究』所載山澤筆「此世初りの御噺控」より)
これがつまり、以下の方々を記していると考えられるのである。
いざなぎのみこと、当年16歳 → 前川菊太郎
いざなみのみこと、当年84歳 → 教祖
くにさづちのみこと、→ 30年後にたまひめとして生まれる。
月よみのみこと、当年61歳 → 中山秀司
くもよみのみこと、当年5歳 → 中山たまへ
かしこねのみこと、当年8歳 → 飯降政甚
たいしょく天のみこと、当年32歳 → 小東まつゑ
をふとのべのみこと、当年16歳 → 中山眞之亮
ただし、この記述自体、和歌体本が一番まとまっているわけで、他の文書にないわけではない。他のこふき本の中では、木村林蔵の「神之古記」にその記述の一部として以下の記述がみられる。
「則名わ雲読之命なりこの霊をなじ屋敷ゑ生ている
則名わたまゑ当未年の七年にて存命なり」
また、「おふでさき」においても、
このものハとこにあるやとをもうなよ としわ十一二人いるぞや (十二 148)
この人ハ人間はじめかけたると りうけいゝさい守護ふ道具や (十二 149)
と、この御歌が書かれた当時歳が十一歳の中山眞之亮と前川菊太郎の二人について述べられている。つまりは、山澤良助、堀内與蔵による二種類の和歌体本と、木村林蔵の説話体本、そして「おふでさき」の記述から、思ったよりもこの話は神の話としてあったという信憑性は高いといえるのではないか。では、仮にこれが確実に教祖が話されたものだとしたら、この記述には一体どういった意味があるのだろうか。
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