1870(明治3).3.15日、秀司の娘子のお秀が18才にして出直しした。母親の名前はおやそ。これより以前、教祖が、お秀に「これは、つとめのどうしんやで、何も心配すること要らんで」と度々お聞かせ下されていた。お迎え取り後にまた仰せられるには、「身代わり同様やで/\。周婆の命(しゅうばあのみこと)と名づけておく」とお聞かせ下されている。寺の方の戒名は「光誉明照禅定尼」とあるが、中山家では「周婆の命」と諡(おく)り祀っている。(「昭和22年6月25日発行、諸井政一集前篇(のちの正文遺韻抄)、道すがら外篇一、御秀様死去」参照、牛馬論孝@)