増野鼓雪教理考その4

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「増野鼓雪教理考その4」をものしておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【増野鼓雪教理4-1、神の守護
 「神の守護」と題して次のように述べている。
 神の守護(一)
 人はよく誠と云うことを申しますが、本当の誠はそういう口で云う様に容易に現れるものではありません。本当の誠は一番苦しい時に現れるものであります。一切を捨てて難儀苦労をする中に誠が現れるのであって、難儀苦労をすると云うことは、誠を知る為に必要であります。凡てのものを捨てることは、それ以上の物にありつくことであります。例へばこの手の中に、或る一つの物を持っている時に、他の一つのものを掴みたいと思へば、現在持っているものを捨てなければなりません。私らは財産を捨てることによってもっと大きいものを掴むのであります。世の中のもので、目に見えるものよりも目に見えぬものに尊いものがあるのであります。私らは見える貴いものよりも、見えない大きいものを掴むことが必要であります。大きいものを掴むと云うことは、神様の思召しを知ることであります。この神様の思召しの分かることが一番尊いのであります。子が親を信じる様に、神様を信じて通れば、神様の思召しが分り一切が明らかになるのであります。

 然し神を真に信じて通っている人は少ないのであります。世の中には自分の親を疑っている人があります。私らはどこで誰に生んで貰ったかと云うことは、親の言うことを信じなければ分からないのであります。親の言葉を信じて始めて総てを知ることができるのであります。ですから私らは親の言葉を信じるより外にないのであります。この意味から云って教祖は私らの親であります。この世のことは親である教祖が現れて下さって、凡てを知ることができたのであります。それで私らは教祖の御言葉を信じることが一番大切であります。
 神の守護(二)
 信仰の経路から申しますと、最初は「貸物借物の理」を聞かして貰うのでありますが、貸物借物の理に次いで「心一つが我がの理」であると云うことを聞かして貰うのであります。そしてこれが悟れたら因縁を自覚させて頂くことができるのであります。自分と云うものを本当に悟った人は、仏教でもこれを現世成仏と云いますが、本当に自分自身を知るには、自分の真の姿を見出さなければなりません。自分の真の姿を見出した人が、本当に自分が悟れた人であります。

 自分と云うものを本当に悟ったならば、自分は神の子であると分かって来るのであります。神様と人間とが親子であることが分かった時が、自分と云うものが本当に悟れた時であります。神様と人間は親子であるから、私らは自分の心から神様の御心を悟らなければなりません。神様の思召しが分れば、自分の心に神様が入り込んで下され、又神様の心になることができるのであります。これが道であります。神様は、人間に神の子供であることを悟らせてやりたいと喜んで居られるのであります。

 私らは、自分と云うものは霊魂一つであることが分ればよいのであります。私らは何を見るのも何を聞くのも、魂によって見聞きしているのであることが分ればよいのであります。霊魂の意識と云うことがありますが、今では魂のことはあまり説かれてありません。しかし教祖を深く考えて見ますと、御教祖は所々に説いて居られるのであります。実際にこの教えでは霊魂の自覚に入らなければ本当ではありません。

 今の人は餘り魂のことを考へないが、昔の先生は魂の事を深く考えておられたのであります。私が小さい時に父に向って「別席の話ほどつまらないものはない。眠いだけで何も分からない、眠らん様に話し貰いたい」と云ったことがあります。ところが父は「お前の云うことが間違っている。眠くなるので良いのである。神の話によって、人間の悪気立った心が静まるから眠くなるので良いのである」と答えられたのでありますが、人間は寝ている時が一番助かっているのであります。病気した時でも、寝られるのは病気が軽いからで、重かったらともても眠れないのであります。話を聞いて眠くなるのが本当であります。

 この様に先生方が話をされるのは、魂に徳をつけてやろうと云う精神であったのであります。この魂に徳をつけると云うことは大きいことであります。例えばこゝにありますコップにしても、アルミ製の極く粗末なものでありますが、これは御教祖のお使いになったものだと云えばどうでせう。コップに徳がついて、こんな粗末なコップが相当の価値のあるものとなるのであります。凡てお道は、このように魂に徳をつけて行かねばならぬ道であります。昔の人はこの魂と云うことをよく考へられたが、今の人はこのことを餘り考えなのであります。今の人は後から突かれなければ、動かないと云う人が多いのであります。要するに神様の思召しは、魂に徳をつけてやりたいと云うことにあるのであります。

【増野鼓雪教理4-2-1、一つの理一
 「ひとつの理」と題して次のように述べている。
 ひとつの理一(一)
 この道は天の理を取り次ぐのでありますから、話を聞けば、皆さんは成程と思われるのでありますが、さて物に当り、事に触れて実行する段になると、なかなか話通りに行えないものであります。この世には、神様がいつもお働き下れているのであります。その理が教祖の精神に宿って、この道が開かれたのであります。ですから天理は昔から限りなく続いていますが、その天の理が人間の言葉に訳されて人間に伝へれられたのは、今度が始めてであります。

 英語と云うものは、昔から英国にあったものでありますが、日本人が英語を読める様になったのは、誰か始めに英国人の話すをの聞いて、それを悟ったところから次第に弘まって、今では少し学問でもした人は、大抵英語が読めるようになっています。それと同じことで、天の理はこの天地が開けてから、流れる水の絶えない様に続いているのでありますが、その理を人間の言葉で伝へたものは教祖であります。

 ですからこの道を信仰すると云うことは、天の理を信ずるのであります。又その言葉を信仰するのであります。それで、たとへ、その言葉に無理だと思うことがあっても、それを飽くまでも信じ通して行くのが信仰であります。何故ならば、その言葉を神、即ち絶対から現れた理の言語化されたものでありますから、その言葉を信ずるのが、やがて絶対、即ち神を信仰することになるのであります。これを一言に云へば、絶対なる神に、絶対なる信仰をする云うことであります。
 一つの理一(二)
 そうすると、絶対とはどういうことあるかと云へば、これを平たく申せば是が非でもこうならなけばならいのが絶対で、これを早くわかる様に云へば、比べるものがない無二の唯一が絶対であります。この唯一無二の一点に心を置いて、如何なることが起こっても、心を動かないのが信仰であります。この一つの理を云ふことは、御本席の御言葉に時々現れているので、古いお道の人は、皆なこの一つの理を堅く守って、誰がなんといおうが、それを信じ通したのであります。

 昔の人の信仰が強く堅かったのは、今の人に比べて、昔の人々は、理屈も議論もなしに神様の御言葉といへば、絶対に信じ切ったのであります。然るに今日の人々には、それができないのであります。神様の御言葉を聞いても、直ちにもっともです、如何なることがあってもそれを実行しますと云へないのであります。それはそうですけれども、と打ち消してしまうのであります。これでは神様の受取って頂くことはできないのであります。よし無理であっても、それを信じて行うところに信仰があるのであります。自己の立場から考へたり、一家の事情から思案したりして見ると、神様の御言葉は実際に無理だと思える事が沢山あります。けれどもこれを無理と思わずに、その無理を押し通して行ったならば、必ず神様の御守護を受けることができるのであります。何故ならば、神様は万づ助けの精神から仰せ下れる言葉でありますから、その言葉を真実として行って行けば、理として神様がお働き下さらねばならなくなるからであります。

 多くの信者の中には、お道は結構だけれども、そうは御言葉通りに行へないという人がある。これではまだ腹の底から神様を信仰している人とは云われないのであります。如何なるものを以て迫害されようが、それがために心を動かされぬところに、信仰があるのであって、自己の利害や、一家の事情にために、神様の言葉を無理と見るのは、信仰が未だ徹底していないからであります。


【増野鼓雪教理4-2-2、一つの理二
 「一つの理二」と題して次のように述べている。
 一つの理二(一)
 一体この世の中は、神様が御支配下されるのであって、神様は人間に決して嘘を仰せられる様なことはないのですが、人間の心に真実がないから、神様の御言葉が嘘に聞こえたり、お働きが見分けられないのであります。心に真実が宿ってくれたならば、神の働きも、神の真実も見えて来るのであります。御言葉にも「ないと云へばない、あると云へばある、願う心より見えて来る利益が神の姿や」と仰せられています。

 こうした上から考へて、「誠は天の理」であるから、人の心が誠になったら、天の理が自然に見えて来るのは当然のことであって、神様があるとかないとか議論しているのは、要するに心に誠がないからであります。心に誠がない人は、神様の御慈悲を感ずることができないから、いはば心の盲目な人であって、その心の眼が閉ざされているだけ、神様の姿が写らないのであります。世の諺に「正直の頭に神宿る」と云っています。又キリスト教にも「心の貧しきものは幸いなり、その人は神を見ることを得べければなり」と云ってあります。
 一つの理二(二)
 この御屋敷を、教祖は「八方神の治まる所」と仰せになっています。けれども参拝する人の心が澄んだ誠でなかったならば、神様の結構な理も見せて頂けないのであります。それは唯、表面に顕れている建物や人を見るだけであります。それでありますから、この道は心使いを何よりも大切にするのであって「借物貸物の理、八つの埃の理」を、神様がお説きに下されたのは、要するに、人の心を誠にするがためであります。即ち埃を払うて正味の心になるので、この正味の心は人間に唯一つしないのであります。

 凡そ世の中のことは、何事によらず二つに別れています。善と悪、左と右、後ろ前、美と醜、敵と味方、暑さと寒さ、という風に皆な何れも反対なものから成り立っているのであります。けれどもこれは詮ずるところ、こうした区別がチャンとあるのではありません。唯人間本位の上からできたものであって、真の姿からいへば、何れもなのが本当であります。何故ならば、敵を見ているのものでも、神様の眼から見れば等しく神様の子である。醜い人であっても、又可愛い神様の子であります。又暑い寒いと云っても、その人によって異なって来ると、善い悪いと云っても、場合によっては善が悪となり、悪が善ともなるのであります。

 こう考えて来ますと、世の中は二つのものがあって、さて本当にはないのであります。凡てが一つであります。その一つから様々な差別が現れてくるのであります。人間が正味の心になったなら、その一つの理が自然に見えて来るのであります。そこの理合いをよくわかる様に、神様は「
一つの理、一つの心、一つの道、この三つの一つが欠けても道と云へん」と仰せられています。 この一つの理と云うのは神様であって、一つの心というのは正味な心で、この正味の心と、神様の間に通う一筋の道がこのお道であります。

【増野鼓雪教理4-2-3、一つの理三
 「一つの理三」と題して次のように述べている。
 なおこの理合いをわかり易く云へば、通るべき道は様々でありますが、その中で一番近い道は真実の道であります。一つの点か一つの点に至る最も近道は点と点の間をつなぐ直線であります。お道の教えはこの直線であります。ところがこの道を通りますには、二つ以上の心があっては通れません。それを神様も「心が八方に散って一つの理を失う」と仰せられています。人間が賢く立ち廻ろうとするのは、心が八方に散っているのであって、この道は、馬鹿や阿房と言われてても、又難儀や苦労が出て来ても、一つの道をわき見もせずに通って行くのでなければなりません。

 先日新聞に寺内総理大臣が、自分は天理教徒の様に悪く云われたら云われる程、罵られたら罵られる程、強うなるのだと云う意味のことを言っていましたが、その大臣がどの程度まで天理教を知って居るかは疑問でありますが、兎に角、天理教は迫害されたら迫害されただけ、信仰が向上して強くなるのは事実であります。それに本教の生きた信仰があるのであります。

 故に一度信仰をする以上は、理屈や道理に合うが、合うまいが、又笑われようが誹られようが、教祖の人格を目標として、神の言葉を信じ通らねばならぬのであります。その信仰は迷信だと云うかも知れない、無茶だと云うかも分からない。けれども、迷信でも無茶でも、飽くまでも信じるところに神と同化する道が開かれてくるのであります。

 何故こうまで堅うなって信仰しなれければならなぬかと云いますと、これは理は詰めなければならぬのであるからであります。即ち一日一日信仰によって、天の理が働く様に、理を詰めて行くので、詰め切ったらそこに一つの理が現れて来るのであります。ところが多くの人々は、十のものなら九つまで詰めて来るのであるが、もう一つというところで力が抜けてしまうのであります。そのために九分まで詰めた理が一度に崩れてしまうて、「千仭の功を一簣に欠く」というようなことになるのであります。そこで、この九つの節を通り抜けるには丁度算盤の同じことで、一から九つまで詰めて、後一つ加えた、一桁上へ上がることでができるのであります。こゝに助かる理があります。十分という理が働くのであります。神様の力を見せて頂けるのであります。故にどうしても、信仰を強くして行かねば、この助かる道を見出すことができないのであります。


【増野鼓雪教理4-2-4、一つの理四
 「一つの理四」と題して次のように述べている。
 一つの理四(一)
 こう云って来ますると、お道は大変難しいように思われませうが、難の道でなくして人間の心であります。神様も「成人なかばに、思案という理が出かけてはならん」と仰せられていいます。この思案というのが人間心で、この心が道を通り誤ませるのであります。難しように見えるが、このお道は極く通り易いのであります。何故ならば、神様のお言葉を信じて、唯その言葉をそのまゝ行って行けば、それでもう道になっているからであります。

 こう申しますと、成る程それは分かったが、今は昔と違って、御教祖や御本席のような、直接に神様の御言葉を聞かれた方が少ないのだから、神様の御言葉に従うとしても、その言葉を聞かしてくれる人がないではないか、と思われる方があるかも知れません。これは極く尤もな疑問でありますが、これに答へるには道の初めから云はなければなりません。


 この道は云うまでもなく、御教祖一人から伝えられましので、丁度一本の木のようなものであります。元始りは一つの芽しかなかったが、次第に成長して枝葉ができたのであります。同じ一つの根から出た枝である以上、同じ理が、働いていなければならぬ筈であります。同時に教会の上にこれを考へて見ても教会は枝先であります。これと同じ様に、所長なり教会長たる人は神の代理者であります。これは神様が所長や会長のことを、土地所では親とも呼ばしてある、と仰せられた言葉によっても明らかであります。

 既に所長もしくは会長が、御地場へ運んで親の理を許されています以上、その教会長や所長の言葉を神の言葉として信じて行けば問題はないのであります。けれどもそうすれば、又問題が出てくるのであります。と云うのは、会長や所長も人間である。人間である以上間違いのないと云うことはできない。若し間違いがあったら、信じるものも共に誤った道を通らねばならないがこれは如何なるのかという問題であります。
 一つの理四(二)
 このことについては、私が学校から帰った当時、色々と考えて見ましたが、如何しても分からない。一日父に伺ってこの質問をすると、父は言下に「しんの誤りは神の誤り」と教祖が仰せらたと答えたのであります。その時私は始めて成程と得心をすることができたのであります。

 それを砕いて申しますと、会長や所長は、その人の徳相応の理、即ち教会を頂いているのであって、一旦神様に許された以上はは人間の眼から見てどうあろうが、間違いあるべき筈がないのであります。よし間違っていても、誠の心を以てそれを信じたら、その誠の心に神様が乗ってお働き下さるのでありますから、会長や所長を親として通って行かなければならないのであります。尚この理を教会の運営について云うと、本部は親であって、教会は子である。そこで「
屋敷から打出す言葉は天の言葉である程に、理を恐れずあななことと云へばあんなことになる」と仰せられています。これは教会のみに取るべきではありませんが、兎に角本部で如何なる会議があろうが、相談があろうが、屋敷で決まることは「その決は神がとるのや」と仰せられた通り、凡てが天の理から現れてくるのでありますから、その理を恐れずに、あんなことと心で思う様なことがある時には、やがてその人が、また人からあんな者と云われる様になると、云うことを言われているのであります。

【増野鼓雪教理4-2-5、一つの理五
 「一つの理五」と題して次のように述べている。
 こういう理は、一寸分かりにくい様でありますが、要するに「誠一条の道よりないのであります。術もいらなければ法も要らない。誠一つの理が心に治まったならば、その誠の心に、天の理が映る」のであります。人間から云へば、浮かんでくるのであります。それを人間心で考へた信仰や、知識や、学問で考へ出そうとたとても分かるものではありません。何故ならば、「誠は天の理」であって誠のないものには天の理が見えないからであります。例へば学問をする者は学問をするものと心が合い、道楽するものは道楽するものと心が合い、商売するものは商人と心が合う様に、誠のものは誠のものと心が合うのであります。ここに人と神との心の通う道ができて来るのであります。

 誠が神である」と云うことについて乃木大将のことについても明らかであります。乃木大将は、今乃木神社として祀られありますが、これは決してその身体や遺物を祀ってあるのではありません。大将が国家のために尽されたその忠義の精神が、即ち神として祀られているのでありまして、我が教祖を神として信仰するのも、御教祖が人類のために尽された至誠の心に仕へているのであります。故に人間が誠の心になったならば、神様と心も通へば、神様の言葉も聞かれるのであります。故に日々信仰さして頂いているには、日一日歩一歩と、心を清めて真実になって、次第に神様に近寄らして頂き、神様の言葉を何物を通してでも構はないから、聞かしていただける様にならなければなりません。そして段々人間の声が遠ざかり、神様の声のみが鈴の如く心に響く様になれば、神一条の世界が現れて来るのでありまして、その時始めて、この世は正しく神の支配下にあることが分かり、また一つの理が、胸に治まるのであります。

【増野鼓雪教理4-3、断片の話
 「断片の話」と題して次のように述べている。
 断片の話(一)
 お話と云うものは、お互いが道を通るに当って、実地で行うために聞かして頂くのである。百万言のお話も、結局めい/\の心の誠の心を出さんが為である。それだけ沢山の話を覚えたからと云って、それで神様の御守護が特別にあると云う訳のものではない。その人に、話の理によって、誠の心ができなければ駄目である。又話と云うものは、人間の心の理を伝へものであって話そのものが尊いのではなく、その心が貴いのである。心の理が働いてこそ、先方の心に誠が生まれて来るのである。それで話の筋合いや事柄理合いは、何でも構わないのである。真心から湧いて出る心さへあれば、それで充分先方の心を動かすことできるのである。

 どんな詰らない話をしても「全くその通りである」と人が得心してくれるのは、自分が本当に通った道を話すからである。自身に実地の体験と云うものがなかったならば、どれだけ上手に話しても、先方の真実の心を動かすことはできないのである。ですから話と云うものは、その人の体験から来た信仰が、又その人の人格が口を通じて表現されて来たものでなければならないのである。口先の美辞や技巧は、何らその発現に助けとなるものではないのである。故にお話は、その話の筋が通って居ても居なくても、そんなことはどうでも良いのである。一語一句が誠の理の迸りであればよいのである。
 断片の話(二)
 人間がお互いに、自ら積んだ埃のために死なねばならないのは当然のことである。これは当り前のことなのであるけれども、人間は死んでは困るからと云って、神様に無理なお願いをして、この世に置いて頂きたいと頼むのである。私らはこの無理な願いを神様に叶えて貰おうと思へば、私らは又神様の仰せになることが、たとへ無理であっても、それを聞いて通らせて貰うと云うだけの心がなければならないのである。それを「そんな無理なことは聞かれません」と云ってしまへば、神様も亦私らの無理を叶えて下さらないのである。

 普通の道理にないことや、人間の頭で考えて不思議と思われることの現れて来るのも、神様の無理を聞かして貰って行くからである。どんな無理でもそれを押して通ろうとする心の上に、神様が乗りうつって働いて下さるのである。神様が乗って働て下さるから、そこに不思議な働きが表れて来るのである。よく考えて見れば、「神様の思召しに無理と云う様なものはない」のである。それを無理だと思うのは、人間に勝手きまゝな心があるからである。この心があるから、神様のお言葉がまともに受け取れないのである。私らはすなお、強い心となって、どんな無理と思われる様なことでも、喜んで通らせて頂くところに神様の大きな御守護を頂くことができるのである。
 断片の話(三)
 人間は、ただ単に生きると云うことだけが結構ならば、何も信仰をする必要はないのである。太陽がどんな物にも一様の光をかけて下さる様に、神様も誰彼の差別なく絶えず御守護をして下さっているのであり、けれども、神様の命令をすなおに聞き、真面目に道の上に働くものには、神様の特別の御守護を下れるのである。その特別の御守護を生きることが、道のものとしては幸福であり、結構なのである。お道につかして貰って、お道は結構だと云っても、自分は本当に神様から特別の御守護を頂いていることが分からなかったならば、お道の信仰をすることの嬉しさはない筈である。お互いに、人の前で自然と喜びの言葉が出て来る程に、腹の底に結構さが湧いて来なければ、お道の結構さはないのである。お道の結構は即ち我が身の結構である。神様の働きが自分の上に現はれるには、お道が自分のものにならなければならぬ。即ちお道と自分とがぴったり一つになっていなければならないのである。

 神様は、教祖五十年の道すがらを本当の道を仰せらているが、教祖の道そのまゝが、自分のものにならねば嘘である。ところが今の道の人々は、教祖は白因縁の方であるから、悪因縁の我々は教祖の道は到底通れないと云うのである。それはそうかも分らぬ。しかし神様は、親が通って来ただけの道を全部通り返しをせよと仰せられるのではない。「
十のものなら二分三分通ってくれたら、あとは神が足して、十分として受け取ってやろう」と仰せ下されたのである。この二分か三分の間を一生懸命に通ったならば、親神は十分として受け取って下されるのである。親様は子供の為にそこまでの御慈悲を持って下されのであるから、我々はどんな道であっても、そこを喜んで通らして頂き、神様の特別の御守護を頂かねばならぬのである。
 断片の話(四)
 人間の心を汚くするものは、人間心と、物心とである。人間心とは、人を相手にして生活を律しようとするこゝろであって、物心とは、物ばかりに目をつけて暮らし行こうする心である。この人間心と物心とがお互いの心から離れない内は、どうしても教祖の道を通ことはできない。私らは一切の物質から離れ、一切の人から目を閉じて、只神と共に暮らすと云う境涯に入らねば、本当の信仰の妙境に入ったと云うことはできないのである。私らが神の懐に抱かれると云うことは、心を抱いて貰うことである。心が物や人に喰いついている間は、とても神様に近づくことはできないのである。一切の物を手離すことが、既に神様に抱かれていることになるのである。

 ところが今の人々は、神様の抱いて貰へない道を通っているのである。色々のものを持ちたいとか、廣くものを知りたいと云う心は、神様に抱いて貰へない様にする道であって、一方で抱いて貰いたいと願いながら、片手になお刃物を掴んでいる様なものである。これではとても神様に抱いて貰うことはできないのである。

 学問も財産も地位も、あらゆるものを捨てて、唯一筋に神を信じさへすれば、神様は私らをしっかりと抱いて下されるのである。その時には腹の底から何とも云へない喜びの心が湧いて来るのである。その喜びこそ、信仰のすべてを掴んだものであって、生涯の道を照らす光である。私らは総てのものを捨て、唯一条の神を信じ、神様の懐にしっかりと抱かれなければならないのである。
 断片の話(五)
 人間がいづむと云うのは、神様と人間との間に曇りがあるからである。この曇りを取り去らなければ、人間は神様と共に暮らすと云う境涯に入ることはできないのである。この曇りをのぞくには、私らは自分自身のことについては一切考へずに、神様に喜んで頂くと云うことを考へるのが、何よりも肝腎である。

  神様は「我が身我が家から思案する理は何よの事を受取ることできん」と仰せられてある。神様は後まわしにして自分のことを先にするから、神様に受取って貰へないのである。それは丁度食べ残しを人に上げる様なもので、喜んで貰うことはできないのである。我が身のことは一切考へず、先づ神様に喜んで頂くと云うことを考えて通って行くのが、天の理、神の道に添って行くことである。

 しかし、そうして行くのは窮屈であるかも知れない。けれどもその窮屈な道を、歩み通って行くことによって、理をつけて頂くのである。この道を本当に通って行くものには、神様は特別の御守護を下さるのである。

 この道は、窮屈が通から行うと云うものでも、解るから通ると云うものでもない。それでは本当ではないのである。教祖が教へられたから通ると云うのでなければ嘘である。今の人々は、解れば通るが、解らぬことはしないと云う様なことを云うけれども、教祖は時間を超越して、何十年も前や先のことを申し居られるのであるから、それが解りそうな筈はないのである。だから私らは、神様の思召しのまゝに、何も云はずに通って行けば良い。神様の思召しのまゝに添って通って行くと云うことが、本当に道を歩むことなのである。
(私論.私見)
 末尾前の一節「だから私らは、神様の思召のまゝに、何も云はずに通って行けば良い」の「何も云はず」のところが少し違うと思う。お道教理の生命線は「談示合い」にある。「談示合い」経由の納得、得心、心定めこそが他宗派、政党と違う味になっている。ここを踏まえた記述にならねばならないと思う。

【増野鼓雪教理4-4、感想
 「感想」と題して次のように述べている。
 感想(一)
 人間と人間とが相接触する機会は、社会が開花されて行く程複雑になって来る。従ってその接触の仕方が昔とは次第に異なって来る。昔は一村乃至は近郷の人々と接触するに過ぎなかったから、接触の範囲は狭かったが、その接触には深味があった。然るに近頃は接触の範囲が拡大されて来たが、接触の深味がなくなっている。同じ一村内に居住していても、顔を合わすばかりで、話し合ったことがないと云う風になって来た。

 澄心の一路は本教の骨髄である。四十年祭は教祖の霊に対する報恩としては意義があるけれども、年祭は教会が中心となって行われただけ、澄心の一義から見れば、甚だ邪路に踏み入った感がある。即ち祭典が大規模であるだけ、それよりも、主としてその心を澄ます、即ち霊心を浄化するために努力せなければならぬ。これを云い換へれば、大きな仕事をした為に、それだけの汗や土で身体が汚れたんであるから、仕事が済んだ後では、風呂に入って身体を洗はなければならぬのと同断である。これが反省の道である。
 感想(二)
 近代の人は伝統を悪く見たがる傾向がある。然し伝統そのものは決して悪いものではない。寧ろそれが伝統化されているだけ、その当時に於ては価値のあったものと見なければならない。ところが後世になると、その内容が失はれて形式だけば伝統化して来る。従って少し真面目にその真相を掴まんとするものには大なる失意を感せしめる。即ち裏切られた感じがする。これが変じて伝統破壊を伴うだけの内容、即ち生命を与へることである。宗教に於ては、伝統が生まれた時と同じだけの霊的力を持続する為に、努力するの外はないのである。これができなければ宜しく伝統を破壊すべきである。

 他人の心は自分の鏡である。もし自分の心が悪く曲がっていたならば、他人の心の鏡に悪く曲がって写るのである。然し、その悪く曲がった心が正しく真実な心にかへったならば、又正しい真実の心が写るのである。他人の如何に身体を評しているかを聞いて、もし悪評であったならば、その悪評する人を憎まずに、自ら反省して行かなければならぬ。かくして止まなかったならば、何時しか真実の人になることができるのであって、その真実の心を他人の写して多くの人を助け得らるゝのである。然らずして悪評を憎んだり、反対に悪く云うが如きことあれば、それは自己が不幸になるのみならず、更に多くの人を誤らしめるものである。一つの円には中心は唯一つよりない。人間の上にも中心は唯一つよりない。その中心を心と云うのである。人間はこの中心より働いて来るものである。その心にも中心がある。それを真実と云うのである。この真実を拡大して行くのが信仰である。これが深まれば遂にはその真実の中に自分が住むに至る。これ即ち陽気ぐらしである。

【増野鼓雪教理4-5、年限の理
 「年限の理」と題して次のように述べている。
 年限の理(一)
 信仰と云うのは、一口に申しますと、神様を渇仰し信頼することでありますが、神様は形のないものでありますから、五官に触れて覚ることはできません。その分からぬ神を信仰すると云うことは、普通の考えでは会得できないことであります。ですから昔から信仰は比喩で云われてありますが、最もよく似ているのは男女の恋であります。恋は来るには不思議なれば、去るもの不思議であって普通の判断では解りません。一寸考えたら、男は美しい女に惚れるべき筈でありますが、これは万人が万人そうであると云う訳のものではありません。美学上の判断に照らして、その女が美しいからと云って、凡ての男がその女に恋するとは限らないのであります。ある機会に触れると、あばたもえくぼに見えて、醜い女にでも惚れることがあるのであります。第三者から見ると、どうしてあんな女に惚れたかと思う様な女に惚れることがあります。然し当人になって見れば、その女が絶対で天使の様に見えるのであります。それは何故であるか、それはどんな学者にも解らないのであります。

 信仰も丁度その通りでありまして、他の人が信ずるからと云って、信ずる訳にも行かず、又他の人からお止めなさいと云はれても止められるものではないのであります。もし止められるとするならば、それは今までの信仰が、まだ本当の信仰ではなかったのであります。故に信仰は、理解や会得以上に、さらに深い処がなければならぬので、それは感ずるより外に方法はないのであります。感ずると云うことは電気に触れるようなものであります。触れている所は極く僅かな電線でありますが、それが全身に感じて、しかもその人は命がけであります。信仰も丁度それではなければならないので、単に話を聞いて記憶したと云うだけでは駄目であります。
 年限の理(二)
 それでは、そんな信仰はどうして得られえるか云へば、人々が或る苦痛を感じている時は、多く得られるものであります。苦痛には肉体的苦痛と、精神的の苦痛がありますが、要するに一身の苦悶の時とか、一家の不和な時とかにホッと感ずるものであります。あるものは研究によって信仰に入ると云いますが、それは本当ではありません。苦痛がなくては、真に信仰に入ることができません。しかもその苦痛が多ければ多い程、その感じ方が大きいのであります。しかし苦痛を感じて信仰に入ることは、宗教に救われる第一歩でありますが、決してその宗教の全体ではありません。多くの教会の中では、お助けをすればそれで良いと定め込んでいるところがありますが、それは大きな間違いでありまして、お助けはまだ宗教の初歩であります。丁度門を開けて入ったばかりの様なものであって、それから次第に信仰の経路を辿るのであります。

 故に信仰と云うものは、決して固定したものではなく、常に変化するものであります。これを教祖は「道すがら」と仰せられてあります。又「年限」とも仰せられています。これを教祖について云へば、教祖が神懸りあらせらえた時が、私らの御話しを聞いてホッと感じた時に当るのであって、教祖はこれから信仰的な生涯をお通りなさったのであります。この道すがらをよく解るように書き残されたのが、御神楽歌の一下り目であります。その中に教祖は色々のことを、お説きになって居られますが、お道の者はどこまでも忍耐して、途中で倒れない様にしなければ駄目であります。終りの決勝点まで足納せなければ何にもなりません。

 教組はこのことを、例へ話をもってお説きになっておらえれます。初めてこの道へ入って信仰するのは、例へて云へば、百間もある金の延金で造った橋を渡る様なものである。この橋はよい橋だ、渡って見ようと思って渡りかけると、金であるからシナ/\して途中で皆な落ちてしまいます。だがこの時に心定めをする、心が定まれば身体が定まる。身体が定まれば向うが見える。向こうが見えて始めてこの橋を渡り越すことができるのであります。その橋を渡ると、その先に赤土の嶮しい山があります。その山に登らなければならない。しかし赤土ではあるし、非常に嶮しいため登りにくいのであります。この時神様は上からジット、その登って来る人の心を御覧になっているのであります。そして登りにくい山を登らねばならんと一生懸命になっているものには、神様は上からお助けの綱をさげて下されるのであります。この綱にすがって引き上げて貰うと、その山の上には千石の倉があります。こゝで来たならばもう大丈夫である、「難儀しとうても難儀はできない様になる」と仰せらてあります。これが信仰の経路であります。

 年限の理(三)
 しかしこれは教祖の主観的な見方でありますが、外部の迫害を受けて、その中を通り越して行く経路も亦お説きにっています。これは「山坂やいばらぐらう等の八つの道すがら」でありますが、これは教祖の通られた道であると同時に私らの当然通らなければならぬ道であります。

 この山坂道を云うのは、信仰の入った時であります。「いばらぐろうの道」とは、茨があって思う様に通れない道であって、こんな信仰は止めてしまへと、家中の者から反対されて、家庭の上に起こって来る色々の事情のことを云うのであります。これだけの経路は、宗教家として是非通らねばならぬのであります。又通る覚悟がなくてはなりません。

 これらの道を通ったら、一体どうなるのであるか、一体どんな所へ行くのであるかと云へば、今はそう云う人はいないが、扇の伺いができる様になるのであります。これは前に教祖から扇を頂くと、天意が判ったのであります。言葉を換えて云へば、神様の御心が解ったのであります。教祖はよく「口で云うよりも身上によく現わしてある」と仰せられていますが、教師が布教中に病人の前に座ると、その家の事情なり、その人の因縁が、よく判ることがあるのであります。教典に神人合一とありますが、神様の働きとが一致した時には、立派に天理が判るのであります。又教祖は「天の理と心の理を合してくれ」と云はれていますが、私らはこゝの所まで到達しなくてはなりません。
 年限の理(四)
 この様に道を辿り行くのには、何かなしに行くのであるかと云いますと、決してそうではありません。そこに何か目標がなければなりません。そしてその目標は必ずしも一様ではありません。時によると変わるのであります。初めて信仰する人は、神様に身上を助けて貰うのが目的であります。普通の信者なれば、身上を助けてもらえれば、それでよいのでありますが、人助けして貰う人はそれではいけません。人を助けるだけの或るものが、自分になければ助けることはできないのであります。教組は「通った道が話の種」とも仰せられています。どうしても最後は経験であります。自分が気楽な経験ばかりしていたのでは、人の苦しみは分らぬのであります。ですから本当に同情が起こらないのです。又苦しみ分らなければ教理も説けず、人の助けもできないのであります。
 年限の理(五)
 知ると云うことと感ずる云うこととは大変意味が違います。教祖の御言葉でも、それを知るのは誰でもすぐ知ることができます。けれども本当に教理を感ずるのには、一つの教理でも十年位はかゝるのであります。そこでこのお道は「年限の道」と仰せられてあります。自分で行って来て、心に悟って始めて分かるのであります。お道でも商売をやめて布教師になった人は、商人の心がよく分って居りますから、信者に商人が多いと云うようなことがになるのであります。この様に信仰と云うのは、年限を重ねてその年限の間に絶えず新しい努力を以て、心を浄化して行きますならば、本当に深い信仰に入ることができるのであります。ですから皆様も、よく神様の御言葉を悟って、たゆまず一つの道に、お進み下さらんことをお願い致します。

【増野鼓雪教理4-6、信仰の向上
 「信仰の向上」と題して次のように述べている。
 信仰の向上(一)
 宗教と云うものは、形の上からどうせよかうせよと、やかましく云う様なことでは、本当のものではありません。黙っていて、それができて来るの本当であります。世の中のこともそうであって、皆な目に見えぬ処からできて来ているのであります。人間もその通りで、元はなにもない処からできて来たのであります。影も形もないところから、ものができてくると云うことは、これは学者に解らないことであります。今こゝにある土瓶にしてましても、始めは影も形もなかったのですが、人の心の中にこれがあったのであります。ですからお道は、できたことをどうこう云うものはありません。できない前のことを見るのであって神様はこの道を「心一つの道」と仰せられています。

 人間が仲よく暮す程、神様の思召しに叶ったことはありません。神様の一番お嫌いなことは、仲悪くいがみ合うことであります。私らにしても、家へ帰って、子供が仲よく遊んで居る程、嬉しいことはありません。今日も機嫌よく遊んだと云うことは、真の親孝行であります。甘いものを持って行くと云うことが孝行ではありません。皆が楽しく暮らして行くと云うことが、神様の思召しに叶うのであります。だから教会へ来て勇んで居ても、我が家の閾(しきい)を跨いで苦い顔をしているようでは本当の信仰ではありません。教会で気が晴れ/\したら家でも矢張りその通りでなくてはなりません。神一条の世界を現はすと云うことは、凡ての人が仲よくすると云うことにあるのであります。地場へ帰る時など、荷物一つ持って盗まれはせぬかと心に掛ります。それが道の人と一緒だったらが気を許せます。こゝに道の尊さがあるのであります。凡ての人がこの心持ちで行けば世界は治まると思います。
 信仰の向上(二)
 人のことを聞いてそれを気にしているより、仲良く暮した方がいくら良いか判りません。疑いや誤解と云うこと程、怖ろしいことはありません。誤解からは色々な間違いができるのであります。それを取去った心が極楽であります。心の底から喜びができるのであります。心の底から喜びが湧いて出るのが神一条の道、神一条の世界であります。神一条の道から云へば、凡てが一つになるのであります。例へば一つの島にしても、海をへだてて見える処から云へば離れていますが、海底から云へば一つの大地に連なっているのであります。一度神の世界へ入ると凡てが同じであります。自分も他人も同じ生命に根ざしているのであります。その心持で、総ての人々に対して、真に同情心に湧かねば本当にお助けはできません。あの人は因縁の悪い人だと思うのでは駄目であります。人の苦しみが、そのまゝ己の苦しみになって、苦しみの感情が己から湧く様になれば、人は幾らでも助かって行くのであります。

 一体教会などは、本当のお道から云へば、なくても良いのであります。教会や教師は世界が許さないので、世界への道として許されたのであります。教導職が人を助けるのではありません。誠の心で助かるのであります。話をしても蓄音機の様な話では何にもなりません。本当を云へば話などしなくてもよいのであります。私が教会を持っていました当時、教会の青年が大熱で苦しんでいましたので、私は「馬鹿」と怒鳴ったのです。するとスット熱が下がったのであります。これは何故助かったのか、その時は判りませんでしたが、後で聞くと馬鹿と言われた時に、しまったと思った。そしてそれから熱が下がって助かったと云って居りました。

 お道の尊さは人を助けることにあるのであります。人間は命よりも大切なものではありません。早く極楽へ行きたいと云っていても、さて殺すと言はれると、一寸待って貰いたいとなるのであります。この間もある英国人の話に、英国も天理教の教理に似た宗教はあるが、お助けだけはどうも判らぬ、お助けだけは天理教の布教に依るより外はないっと云っていました。船場から英国に布教に行った赤木さんが、日本へ帰った時に、くしゃみが出て止まりません。どんな医者に掛かっても駄目だったのです。その時父が行って役員を集めてひどく叱ったらスット治ったと云うことですが、病人に一口も話をせずに、医者にも判らん病気が治ったのであります。こゝが天理教の価値のあるところであります。今後もお道は助け一条で発展するより道はないのであります。基督や釈迦にも奇蹟あったが、他の人にはこれができなったが、天理教ではそれができるのであります。早く云へばこれは天理教の専売特許であります。
 信仰の向上(三)
 ですからお助けをするものは、皆な霊救を得ることを考へなければならないのでありますが、霊救は誰でも受けたいが仲々そうは行きません。神様は汚れた所へは行かんと仰せられますが、人間でも汚い処へ泊るのは厭であります。清くして置けば入り易いのです。神様に入り込んで頂いたら、浮かぶことが皆な助かる理になるのであります。「助けにやならんと云うことは、助からねばならん」と云うことになります。この人だけを助けねばならんと云う理屈はありません。この人が死んだら、教会の工合が悪いなどと云う、そんな助け方は何もなりません。この人と特別に定めて助けねばならん人はない筈であります。神様に入り込んで頂いたら、知らぬ間に人が助かるのであります。

 浮ぶ理が天の理である」、と神様は仰せられています。善悪何れにしても、浮かんで来たものが本当のものであります。それにこの人だけと一生懸命になるのは、理があるには相違ありませが、その裏には善くない考えがあります。私の部下の教会の人で、この人はこう/\云う偉い人であるから是非助けて頂きたいと云って、願いに来ることがありすが、神様にお願いするのに、何歳の男、何歳の女の外は何も云うことは要らないのであります。それに余計なことを言って、俺の心を曇らすのかと言って、叱り付けたこともありますが、私もやっぱり人間でありますから、大臣や知事やと云うと、その位について考えるのであります。しかしこれは、位を助けなければならぬのでなく、助けねばならぬのは、その人の心であります。その人の地位などに拘束されない様になったら、皆な助かって行くのであります。要するに人間は心さへ助かれば、それで総べて助かるのであります。無論神の心と私らの心とは大分に離れては居りますが、人間の心が澄み切りさへすれば、神の心がうつる様になって来るのであります。

 前にこんな話がありました。私が汽車に乗って話をしていると、その話を側で聞いていた人が、私らのしている話によってその人が助かったと云って禮に来たことがあります。今でも私が話をしているのを聴いた皆様が、そうだなあと思われたら、それで助かるのであります。こちらで助けたいと思はなくても助けることになるのであります。私の処へ禮に来られる人に、どんな話を聞いて助かったと尋ねると、これこれの話を聞いたと云はれます。何も私に神様が入り込んで居られる訳ではないが、そうなって来るのであります。話には別に変わりはないが、そこに神様が入り込んで下るのであります。神様に働いて貰へる様な、神様が働かれる様な、話をする様にならなければなりません。ですから今後の本教は、本当の誠の心かではないと、通ることができないのであります。

【増野鼓雪教理4-7、立教の意義及び組織
 「立教の意義及び組織(一)」と題して次のように述べている。
 本教のその立教の目的に於て、一つは世の立替を標榜し、一つは地場の理を現す、即ち親里の理を表現しているのである。この二つの目的は、神意の上に於ては同一の性質を有しているものであって、道はこの二つの目的を如実に実現し、完成せんがために開かれたものである。こゝに本教立教の真意義が含まれ示されているのである。

 ところが、翻って遠き本教の過去を顧みれば、教祖在世中は種々なる事情のために布教が不可能になり、ひいては教祖御帰幽と共に本教は神道本局に隷属して教会制度と云うものを形造ったのである。そしてそれは現在にまで及んでいるのであるから、この制度は実に研究すべき重大なる問題であって、現在の教会制度そのものが、果して教祖立教の精神を、社会に実現するために最も当を得たものであや否やと云うことは、吾々の斉しく省察しなければならぬ緊急な問題である。しかし当時を考えて見れば、それ以外には布教を容易ならしむる道はなかったので、この教会制度なるものを採用するになったのである。

 かくの如く本教は神道本局に隷属して、逐次今日の如く発達をして来たのであるが、本教が神道本局より分離する際に、教内の制度はその内容に於て、大体従前の制度をその儘踏襲して今日に及んでいるのである。けれども独立と同時に、新たに政府より本教管長に対して、教内に於ける一切の統治権を委任することになったので、その結果として、従来の教区取締から教会組合の制度に変わっていった。教会管治制度なども多少変更せられて、本部所在地に天理教々庁というものを置かれ、延いて各教会組合のあった所へは教務支庁と云うものを設けられる様になったのである。

 立教の意義及び組織(二)
 けれども信仰の中心制度になるべき教会組織に至っては、以前の元のまゝに制度を踏襲して、大教会、教会、分教会の如き外形的要素には多少の変遷はあったとはいへ、その根本的組織に於ては、全然如如等の変革をも見ず、そのまゝ今日まで推進して来たのであ

 かくの如く、本教の発達と共に、漸次その制度を幾多の変遷を重ねて来たのであるが、翻って考えれば、この制度なるものは、果たして何時まで固定せしめねばならぬものであるか否かは、大いに考うべき問題である。制度と云うものは、丁度人間の着ている衣服の様なものであって、衣服は何時も同じ物ばかり着けて居らねばならぬと云うことはないのである。時に応じて季節に適ったように変へねばならぬ様に、制度そのものを、亦その時代に変化に応じて変えて行かねば、却ってその制度のために、活発な精神の運動を遮られて沈滞を来す虞があるのである。この意味から見て、現在の時代と本教現在の制度とは果たして調和しているのであろうか、これ実に研究を要すべき問題なのである。


 前にも述べた様に、本教現在の制度は内から創造せられ発達して来たのではないのであって、当時の時代に余儀なくされて制定されたものなのである。 ところがその制度に制定さられた明治23年頃の時代と、大正10年の今日の時代とは、社会の情勢に於て大いなる相違がある。第一その当時に於ては、貴族的、封建的、官僚的な思想が充満していたのに対して、今日の時代は民主的、平民的、平和的な思想が横溢していたのである。故に現在本教以外から本教を観る時、それらの人は本教々義乃至信仰に於ては、共鳴する多くのものを見出すであろうが、しかしその制度に対しては、甚だ不愉快な感じを抱くことが、拒むことのできない事実なのである。これによって観れば即ち制度が精神を抑圧している点の少なくなきを感ずるのである。従ってこの際、制度の調査を行うことは本教として緊要なことであるのである。

 しかしながら、制度は常にその精神より表はれねばならぬものである。故に新制度は新精神より表はれ、新しい施設は、新しい信仰から生まれるのである。 従ってこの際、制度の改善改革に先立ちて、まづ吾人の精神を教祖立教の大精神に立返らすべき必要があるのである。第一その一つである地場の理を現すには、各人の心に本部をして尚一段の深義を闡明せしむると共に、また本部に関する一切のことを、より以上に重要視せしむる様に涵養しなければならぬ。第二としては、助け一条の目的を達成せんが為に、受訓をして一層有意義ならしむべく、その方法を講ぜなければならぬのである。かくして、真の信仰が復活し、新時代と新社会に共鳴する様な新精神の上に立って、制度が表現して来るのである。ここに於て始めて本教立教の精神を宇内に宣揚することができるのである。

【増野鼓雪教理4-8、理の光 神意と人心
 「理の光 神意と人心」と題して、次のように述べている。
 理の光 神意と人心(一)
 この道は、神の深い思召しによって成立ったのであるから、なにごとに拘わらず、神が蔭となりひなたとなってお廣め下されているのである。決して人間が人間心を以て、どうしようと思ってもできないのである。それでこの道と神様とは、如何なる場合でも離れることのできない密接な関係があるのである。それに我々はこの深い神の御召しを悟らずに、人間心を以て色々といらぬ心配をするのである。昔教祖が御在世中に高弟の方々が、ちょとしたことができる度に人間思案で種々心配をして神様に御伺いされると、神様はいつも笑っておられたと云うことである。人間と云うものは、この世に生れ出てから死んで行く迄はほんとに僅かの間であって、先づ平均人間がこの世に生存する間を五十年とすれば、吾々人間の思案と云うものは僅か五十年の思案に過ぎないのである。その五十年の思案を以て深い神の思召しを計らうとしても、それは不可能なことである。神様の思召しはこの世が創って以来今日まで、数えることのできない長い年限の間の思召しであって、五十年や百年というような短い年限ではないのである。今度はこの永い間に思召しを、神が表へ現れてお示し下され、世界創造の根源を明らかにして下さったのである。従って神様は、これから将来幾億年先のことまでもお見通しになっているのである。それでお道がどこまで続くかと云うことは、これは人間思案では分からないのである。この道はおそらく永劫滅しない先長い道であろうと思うのである。
 理の光 神意と人心(二)
 神様の思召しと、人間の考へとは兎角違うものである。人間の考えでこれが好かろうと思っていても、神様の御考へではそうでない時がある。このことは教祖が御昇天せられた時のことを思うとよく分かるのである。神様はその時に高弟の方々に対して「扉を開いて世界をろく地に踏みならそうか、扉を閉じて世界をろく地に踏みならそうか」と仰せられたのである。そこで高弟達が協議された結果、何でも開くと云うことは良いが閉じると云うことは思わしくないと云うので、遂に神様に「扉を開いて御守護をお願います」とお答えになったのである。ところが神様は「皆の心は神の心に叶うた。なれど皆の思召しとはころりと違う」と仰せられて御昇天遊ばれたのである。今から考えますと、丁度高弟達が教祖に早く御昇天下さいとお願いした様な具合になっているのである。

 神様が「扉を開いて世界をろく地に踏みならそうか」と仰せられた時に、高弟の方々は早く道を広めたいと思っておられたものであるから、神様が扉を開いてと仰せられたものだから、この道を早く世界に広めようかと仰せになったことと思って「扉を開いて御守護下さい」とお願いされたのである。こゝが神様の思召しと人間の思案と違ったところである。御教祖の身体は、神の社として神様が貰い受けになっているのであるから、その扉を開くと云うことは即ち教祖の御昇天を意味しているのである。それで神様は道を早う広めたいといふ皆の心は神の心に叶っているが、神の思惑と皆の思惑とは違うと仰せられたのは、こゝなのである。

 この様に人間の思召しで神様の深い思召しを悉く知るということは、到底不可能のことである。故にお道に入って居っても、人間思案だけを以て、神様の思召しが悉く分かっているという訳には行かないのである。自分がお道へ入ったのはこうだからと云って自分の身上だけを根底として、道はこうだと独断して終ったならば大きな間違いを生ずるのである。神様は永い思案を以てこの道をお始め下されのであるから、僅かな人間心を以て、道はあゝだからとういう推定は決してできるものではないのである。

 理の光 神意と人心(三)
 神様は、時代々々の人心の傾向に応じて、種々な手段を以てこの道をお広め下さるのである。道は必ず善でなければ広まらんという訳ものものではなので、悪でも道を広めることはできるのである。それは丁度親が可愛い子供の頭を打つ様なものであって、頭を打つと云うことは悪いことには相違ないが、然し打つその手には親の隠れたる慈悲が籠っているのである。これと同じ様に、この道にも色々の苦しいことが起こって来るが、それは皆な神様の手段思召しであって、我々が日々神様をお慕いする心に対する、神様の御慈悲なのである。故に色々の苦難に当面した場合には、これは神様の有難い御慈悲である云うことを悟って、その苦しみによって益々自分と云うものを磨いて行かなければならぬのである。

【増野鼓雪教理4-9、不弱不死
 「不弱不死」と題して、次のように述べている。
 不弱不死(一)
 「この道は萬づ助けの道」でありますから、何助けられんと云う事は仰せられぬのであります。人間も心次第によっては、どんな珍らし不思議な助けをして下さるのであります。 即ち人間が真実の心になって願へば、真実の心相応の理は見せて下さるのであります。その中でも殊に病人は多く助けて頂けるのでありますから、世界ではこの教えの事を、醫的宗教だなどと云うて居る者もあるのであります。然しこの道は単に病気のみを助ける教えでない事は、「世界治める真実の道」を仰せられたのによっても明らかであります。然し多く病気と云うものを機縁をして、心の立て直しをさせて助けるのでありますから、病気助けと云う事が、この道の重大なものの一つである事は明らかであります。

 そこで病まずと云う事のでありますが、これは人間の心が神様の御手入れによって真実化されて行ったら病気にはならずに済むと云う事は、誰しも考へ及ぶところでありますから、申さずとも分かって居ようと思います。次には「弱りめなき様に」と云う事であります。これは人間の心が真実になったら、老衰せずに通れると云う事でありまして、これは誰しも大体に於いて、理解される事だろうと思います。御教祖の身の上について考へましても、御教祖は御老年になられてからも、近所の酒屋の若い者が酒樽に水を入れて、力比べをして居た時に、御教祖がそれを軽々とお上げになった事や、又年を召してから、子供を二人も負うたり、大人を負うて其所此所をお歩きになった事や、又若い人と共に麦かちをせられ、こうして仕事が出けたら若い者も同じ事やろう、と仰せになった事などを考へ出して来ますると、年を寄っても御教祖の如き心で居たならば、決して弱る様な事はないと云う事が分かるのであります。これを御筆先の中では、「明らかに年をよれども弱るめはなし 」と仰せになって居るのによっても知られるのであります。
 不弱不死(二)
 以上二つは誰しもその可能を、教理的に会得できるとしても、今一つ死なずと云う事は容易に分からん事なのであります。それは世界の心が澄んで、甘露台が置かれたならば、人間の定命が百十五才に定められると云う事は聞いて居ります。又それから先は心次第で、三百九十歳まで置いてやると仰せられた事も聞いて居りますが、よし三百九十歳まで生きて居た所で、最後には死なねばならぬのであります。そうすると死なずと仰せられた事が、分からぬ事になって来るのであります。

 ところが御教祖はこの死なずと云う事については、生き通しの理と云うのをお説きになって居ります。生き通しとは、一人の人が未だ生きて居るのに、その人が他の人の腹から生まれ出るのであります。その場合に先の人は気狂いになってしまうのであります。この生き通りと云うのは、霊魂が移転するのではあるか、又はその他の道があるのであるが、今日では未だ明らかになって居ないのであります。然しその雛形を御教祖は仰せになって居るのであります。「この世の人の心が澄んだら、死ぬ時が分かる」と云う事を御教祖は仰せになりました。この事が実際にできる様になりましたら、この生き通しの理も明らかになろうと思いまするが、今日ではそれが如何云うものであるやら、明らかにならないのであります。然し死なぬ道のあると云う事だけを申してをきます。

【増野鼓雪教理4-10、往還の道
 「往還の道」と題して、次のように述べている。
 往還の道(一)
 御教祖の御在世中に、この道につかれた人々は、教理が理解できたから、この道へついて来られたのではありません。なぜなら教祖の仰せられることは、現在の事もあれば十年廿年もしくは百年後の事もあるのでありますから、それを理解した上でなければ信仰ができないと云うのであるならば、誰一人としてこの道を信仰するに至る事はできなかった筈であります。けれどもその当時の人々は、理解しているのではなく、教祖の仰せられる事には決して間違いがない、と云うことを信じてこの道について来られたのであります。従ってこの道が、将来如何なって行くのであるかなとと云う事については、誰も知って居た者はないのであります。それは丁度子供が、親が色々の事をするのを、同じ家に住んで見て居ても、何をして居るのであるか、少しも分からぬのと同じであります。ところが親になって見ると、それぞれ子供の行先から、家の将来にまで考え及んで居るのであります。それと同じ様に神様も、この道の将来については、種々とお考へになって居たのであります。
 往還の道(二)
 それで或る時には信徒の人々に対しては、奈良初瀬七里の間が都会になる事につて、「妾にはそうなるのが見えて居るが、お前らには見えないか」と仰せになった事があります。かように御教祖には百年以後の事までも、眼の前に在るかの様に見えて居たのであります。然し人間にはそうした事は分かりません。それで誰教祖の仰せられる儘に従って通るより外はなかったのであります。それで神様はその人々に対して、「往還道がもう見えて来た」と云うてお知らせ下されたのであります。と云うのはそれ迄の、教祖のご苦労は云う迄もありません。教祖に従うて来られた方も、非常に難儀な道をばかり通って来られたのであります。ところがこの頃には、教祖には、もう行く先の大体の目安がついて居たのであります。然しそうかと云って、その時にもう苦しい細道を直ちに逃れられたのであるかと云へば、中々そうではなかったのであります。

 それから御教祖が監獄へ御出になったり、種々の苦労をなされたのでありますが、然しそれを通って来られた長らくの道と比べたならば、物の数ではなかったのであります。これは丁度親が子供を伴れて旅をした様なものでありまして、口では云わなくとも子供が疲れ切って居る。その時もう其所まで行けばおしまいで、楽な所へなるのだと云うて聞かしたら子供が元気をつけて歩き出します。そのように神様が人間の心の倒れぬ様にと云う思召しから、こう仰せ下されたのであります。すれば神様の仰せられたのは、人の心を倒さない為の方便に過ぎないのであるかと云へばそうではないのであります。なぜならその時はもう神様に、行く先に往還道、即ち御教祖が御帰幽になってから、この道は燎原に火を放った様な勢いで、四方に廣まったのであります。故にそれを教祖は知って居られて、もうその道が近づいて来たのであるから、それを人々にお知らせ下されたのであります。

【増野鼓雪教理4-11、一夜の間にも道
 「一夜の間にも道」と題して、次のように述べている。
 一夜の間にも道(一)
 多くの御道の人の中には、こう云う心を持って居る人があります。それは自分は今日迄に悪い行いをして来たのであるから、中々好い心にはなれないと思い込んで居る事であります。是は一寸考えたら、その通りであります。即ち因縁の深い者は、その因縁を返さなければ清い心になれないと思うのと同じであります。これを例えて申しましたら、人から借金をして置いたら、その借金を返さない以上、自分は清い者にならないのと同じでありますから、因縁のある者が因縁の返しをせない以上、神様の御助けを頂けないと思うのは尤もであります。

 然し是は今一歩深く考えて見ますと、あまり他人行儀の考えであります。人間と神様はそうした他人行儀で接する様な関係ではないのであります。なぜなら神様は人間の親でありまして、「人間は一列皆な神様の子」であります。故に他人と自分との間に於ける様な、冷やかな関係に於て、人と神との関係を判断する事は、それがすでに間違って居るのであります。先ず親と子との関係について考えて見ますのに、道楽の好きな子供があって、親の金を勝手に持ち出して使い果たしたとする。ところが親がそれを怒って子を罰したとします。そこで子供が今迄の事は非常に悪かったと云う事に気がついて、親に詫びを云って来る。親はその時お前は親の金を持ち出したのだから、元の金を元通りにこしらへて持って来なければ許さぬと云う様な、冷淡な事は決して云わぬのであります。その心が真実好くなった云う事さへ分かったなら親は喜んでそれを許すのであります。
 一夜の間にも道(二)
 人間と神様ともやはりその通りで、その心さへ立てかえて、神様の思召し通りになれば、神様は直ちに御許し下さるのであります。もし人間がして来ただけの事をして返さなければ、神様の御許しが頂けないと云うのであったならば、人間は現世だけでなく、生れ変り死に変りして来た過去の道筋に於て、どれだけ悪い事をして来ているやら分からんのであります。神様も、「神の眼には人間の通った以前からの道は明らかに分かって居る。なれどもそれを説いたら、一人としてこの道に付いて来ぬから、以前の事は何にも云はん」と仰せられました。是から考えましても、人間が造って来た因縁を、自分の一生の間に返すと云う様な事は、到底できる事でないのであります。それならこれを、人間は神様におわびをして御許しを頂き、御助けを蒙ろうと御願いするのであります。

 だから過ぎ去った事から思案して、我が心を我が心で定めてしまはぬ様にしなければなりません。或る方が古い事を思いつめられて居られて、神様の仰せられる通りにせられなんだ事があった時、「古きのこと思うていたぶんにや何にもできん」と仰せになった事があります。この上から思案してましても、人間は古い事を忘れて、将来の道を考えねばなりません。なぜなら人間の身体にしたところが、前へ進む道具はありますが、後ろに進む道具はないのでありますから、人間の一生についても、過ぎ去った事に心を囚われずに、将来誠になって行くと云う方に心を使うて行かねばならんのであります。

 過去の事を忘れて、自分の心を立て直すとなれば、人間はどんな心でも決める事ができるのであります。即ち今日までの情実を一切振り切り捨てて、改めて今日からこうした心で通ると云う決心さへついたならば、即ち心を入れ替えたならば、神様はその心を受取り、又それを試して見て、心に狂いがなかったならば、どんなお助けもして下さるのであります。

【増野鼓雪教理4-12、神の受取
 「神の受取」と題して、次のように述べている。
 神の受取(一)
 神様は、人間とは違って、たとへ千里隔って居ようとも、理が通っているのありますから、心通り皆な映って居るのであります。人間の方から云へば、例えどんな寒村僻地に居ようとも又如何に人の眼につかない所で心を使うても、それは恰も鏡に物の映る様に、神様の御心に照らし出されてあるのであります。従ってそれは善悪共に映ってある事は、改めて云う迄もなく明らかなることであります。

 人間の心が善悪共に神様の御心に分かるのは、「日々に皆な受取る」と仰せられて居るのによっても、知られるのであります。然るに受取る中に唯一つ、「誠一つが天の理、天の理ならば直ぐと受取りすぐ返す」と云う御言葉があります。この言葉から考えますると、神様には如何なる心使いも、皆な受取って頂くことができるのでありますが、その中で誠一つは天の理でありますから、この誠の心であったならば、直ぐと受取り、又直ぐと御返し下さるのであります。そう考えますると、神様は本当の意味に於いては、誠より御受取り下さらん事になるのであります。

 こういう道理から考えて行きますと、我々の御互いに於いても、物を依頼する時には相手の気に入る様にするのであります。相手の気に入らぬ事をして、物を依頼したとて、それは成功する事はできないのであります。これを子供の上について考えましても、子供に用をさそうと云う時は、子供の好きな物をやるから、この事せいと云ったら、子供は決して用をしてくれないのであります。これが人間の弱点と云へば弱点かも知れませんが、それが自然だから致し方がありません。

 この関係を人間と神の上に移しても同じ事であります。人間が神様に働いて頂かう、充分の御守護を頂かうと思うたならば、神様の最も好きなものを差し上げて、働いて貰うより外はないのであります。然るに神様は人間と違って、人間の好きと思う様なものはお好みになりません。すれば如何云うものを神様がお好みなるのであるかと云えば、只誠一つの心より外にないのでありますから、この誠一つの心を神様に差し上げるより外に、神様を御喜ばせ申す道はないのであります。
 神の受取(二)
 なぜならこの世界にありとあらゆるものは、皆な神様が人間に御貸し下されて居るのでありますから、云いかへれば皆な神様のものであります。それらのものを差し上げたからと云うでも、それは要するに返した迄であって、差し上げたと云うことは云えないのであります。人間の我が物と云うのは、心一つの理より外にないのでありますから、その心を上げない以上、どれだけ物質的に多くの物を差し上げたからとて、それは何らの深い意義がなのであります。

 然るに多くの人の中には、この道理が分からない為に、心を神様にあげる云う事をせず、単に物質のみを神様に差し上げて、それで十分な神様の御守護が頂けると思って居る人があるのであります。それが間違いであると云う事を教える為に神様は、「百万の物を持って来るよりも一厘の心を受取る」と仰せられた事があります。これは要するに神様が真実のみを受取と云う事を明らかに述べられたところであります。

 かように神様は誠一つの理が、御好きであるのでありますが、人間が如何に隔たった所に居ても、誠の心さへ使うたならば、神様は必ず御受取り下されと共に、心相応の御守護を下さるのであります。なぜ心相応と云うのであるかと申しましすると、同じ誠と云うても、その間に段々の区別があるのであります。教祖の様な秀でた誠の心の方もあれば、同じ誠の心でも、それ程に行かん人もあります。従って心を受取って御働き下さる神様の御働きにもだん/\があるのであります。それで、「誠であるならば心次第に皆な受取る」と仰せられたのであります。

【増野鼓雪教理4-13、神の見定め
 神の見定め」と題して、次のように述べている。
 神の見定め(一)
 身上は神様から人間が、貸し与へて頂いて居るものでありますが、「心一つは我がの理」でありますから、自分の思う様に使へるのであります。即ち好い方へ使おうと、悪い方へ使おうと、人間に自由にお与え下されて居るのであります。この自由を神様から人間が頂いて居ればこそ楽しみもあるのであって、同時に苦しむ理も出て来るのであります。従って人間が如何なる心使いをしようとも、神様は如何もなるとことができないのであります。それは人間に於ける親子関係も同じことであります。子は親が生んだには相違ありませんが、それはただ肉体を生んだだけで、心を生んだと云う事はできません。だから子がどんな心を使おうと、それは子の自由でありまして、親だからと云うて、心そのものはどうする事もできません。悪い事をすれば親はその肉体を苦しめて、その心を改心さす事はできますが、それでも本人が改める心にならなければ、親が代りに改める云う訳にはまいりせん。それと同じで一度人間に自由をお与えになった以上、神様もどうする事もできない。それで病気にしたり苦しみを与えて、改心をおさせになるが、それでもその者が神様の思召し通りなれなければ、仕方がないのであります。又その子である人間に於て、神様が如何に思召し居っても、人間が神様の思召し通りにならなければ、それも仕方ないのであります。
 神の見定め(二)
 親が子の将来を思うて、子供が未だ小学校へ通うて居る時から、行く末では大学まで入れてやろうと、その学資を準備して、子供の成人を待ち兼ねて居ても、親の心子知らずで、少しも勉強もしなければ学校へ行っても落第する。悪い友達を作って悪い所へ遊びに行く様な行ばかりして居ては、折角の親の心も水の泡になっていまう道理であります。それも同じ事で神様が我々の行末まで、種々御心配下れて、その成人に応じてこうもし、ああもしと云う様に待ち兼ねて居て下さっても、子である我々が神様の思召しに添わず、勝手な道ばかり通って居たら、神様の思召しも何の役にも立たぬことになるのであります。

 それで子供が悪い事ばかりして、親の心通りにならない様になれば、親が必ず二つの方面について考えるのであります。その一つはもし本人が何かの機会に目を醒まして、今迄の事を改め、好い方へ傾いて来たならば、こうもしてやろうと云うのと、今一つはもしその行いが直らずに、尚悪い方面に進む様な傾向があったら、その時は長男ならば廃すとか、弟なら勘当するとか、悪くなった時の事も考えて、それに処する方法を定めて来るのであります。そう云う場合には、親はあまり叱りもせなければ本人の意思通りにさして、本人がどういう心になって来るかを見て居るのであります。それと丁度同じでありまして、人間が好い方へ行くやら、悪い方に行くやら、未だ定められぬ様に時には、神様も人間のするところを見ておいでになるのであります。
そう云う時には少々悪い事をしても、神様はお叱りならないのであります。又善い事をしても、左程に好い理が見えて来ぬのであります。是は本人の心が定まって来ないからであります。然るに中には自分がそう云う場合に居る事を思わず、悪い事をしても神様がお叱りにならないところから、つい人間に増長して、神様はないものだと何かと勝手な考えを出して、悪い方へ傾き易いのであります。然し悪い方へ傾いたと云う事が決まれば、神様は直ちに理を御現しなるのであります。故に神様がぢっくり見ておいてになる間が、我々に取っては一番大切な時ですから、好く慎んで通らして貰はねばならぬのであります。

【増野鼓雪教理4-14、】

【増野鼓雪教理4-15、】

【増野鼓雪教理4-16、】

【増野鼓雪教理4-17、】

【増野鼓雪教理4-18、】

【増野鼓雪教理4-19、】





(私論.私見)