増野鼓雪教理考その2

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.12.12日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「増野鼓雪教理考その2」をものしておく。「増野鼓雪と天啓」その他参照。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【増野鼓雪教理2-1、人間の掃除】
 「人間の掃除」と題して次のように述べている。
 神様は人間の様に言葉がありませんから、世界の人間の心の掃除をなさるにも、言葉で云う事はできません。そこで事実を以て御知らせ下さるので、それが人間にとっては病気となり災難となり、事情になって現れるのであります。故に左様(そう)した事が身に現れると、直ちに懺悔したらば助かるのであって、即ち神様の思召しがそれで適うた事になるのであります。故に神様の方から云うたら、人間の病気や事情や災難は、心通りの守護をされている事になるのでありまして、人間の方から云えば、心通りの理が現れて出ている事になるであります。それで神様は、「口で云うよりもよう分かる様に身上に現してある。なれど悟りなきが残念」と仰せられてあります。即ち人間は耳で聞く言葉は分かって居ますが、事実を語る言葉を聞く事ができませんから、それで悟れないのであります。斯様(かよう)に神様は身上や天災などによって、世界の掃除をなさるのでありますが、その掃除ついては、「内も世界も隔てない」と仰せられるのであります。その内と云うのは、そのお地場の事でありますが、今日ではむしろ廣い意味にとって道の内と云う方が適当であろうと思うのであります。

 世界と云うのは世界並と云う意味でありまして、即ちこの道を信仰しない人々を云うのであります。そこでこの掃除については、道の内と云う方が適当であろうと思うのであります。世界と云うのは世界並と云う意味でありまして、即ちこの道を信仰しない人々を云うのであります。そこでこの掃除については、道の内の者も外の者も一様に掃除をするのであって、内だから責めない外だから責めるのと云う様な事はないのであります。悪い事をしたらば同じ様に神様は掃除をなさるので、それを「反対する者も可愛い我が子、念ずる者は同じ事、念ずる者でも神の胸の云う事を聞かねば反対同様のもの」と仰せになって居ります。これを考へても「理に隔てはない」筈であります。

 然らば道を信じて居ても、信ぜぬ者も同じであるかといへばそうではない。それは悪い事をした時は同じであるが、神様の為に働く者と、我が身の為に働く者とは相違があるのであります。例へば官史は政府の為に働くから、政府から保証をされて居ります。然し法律に反した事をすれば、同じく罪人にならねばなりません。それと同じで、神様の為に働く者は、日常神様から特別の理を頂いて居るのであります。と云ってそれだから悪い事をしてもかまはぬと云う訳には行かぬのであります。それと同じ様に神様の掃除にかゝって懺悔をして行かねばならんのであります。

【増野鼓雪教理2-2、天地は実親】
 「天地は実親」と題して次のように述べている。
 人間の親と云えば両親よりない筈であるが、しかしこの両親は単に生みおろし育ててくれた親であるから、神様は「仮親」と云われたのであります。何故ならもし親が自分の子供を自分の力で造ったのならば、親に孝行な好い子を造るべき筈であるが、事実は中々そうは行かない。又子供が病気にでもなって死なねばならぬ時に、親が自由になるものなれば、生命を子供に与へたらよかりそうなものであるが、それもできない。(そうもならず)子を早く死なせて泣いて居る親が世界には沢山あるのであります。かように人間の生命を、親の力で如何ともする事ができないとしてみれば、親は唯衣食を与えて育てているに過ぎないのであります。すると生命を与えたものは誰であるかと云へば、それは神様より外にないのでります。何故なら人間が死なねばならぬ時に、即ち人間から考えて助かりそうもない時に、神様に願えばその生命を与えて貰えるからであります。それで人間両親の事を仮親と仰せられて、神様の事を「実の神実の親」と仰せられて居るのであります。これは人間一列の生命の親であると云う意味であります。

 ところが世の中の人は、両親のある事は知って居ますが、この実の親の在るのを知らぬのは、捨て子か里子にやられた子の様なものであります。然し成人して生の親のあるのを知ったら、慕しく思う様に、実の親のあるのを知ったら皆な楽しく思うのは当然であります。然るにそれ以上に神様は、日々身上を貸し与へ、身の内に入り込んで、御守護下されて居るのでありますから、神様の恩は大変であります。それを人間は知らぬから、神様は、「小恩知って大恩知らぬ」と仰せられたのであります。

 それで人間は小恩を報ずるよりも、大恩を報じて行かなければならぬのであります。基督が我は子をしてその親を逆かしめ、妻をしてその夫に逆かしめんが為に来たと云うたのは、このところの事であります。教祖は「どうせこうせとは、人間可愛から云わぬ」と仰せられたが、雛形の道を示して居られるのであります。それによりますと、教祖の通られた道は、人間の道理からいえば、大変に間違って居る様に見えるのであります。しかしこれが真の宗教的意味のあるところで、又その後の教祖の道筋も、常に神様に従い人には通じて居られるのであります。故に教祖は大恩に報じられたのであって、それが為に中山家一家は、現在の如き徳を与えて貰うて居られるのでありますから、道を通る者は、この大恩を知って、それに報じる心がなければならぬのであります。

 それでは人間が大恩を受けて居る、実の親とは如何なものであるかと云えば、それは天と地であります。これは単に人間ばかりではなく、凡て生物はこの天地の間に生れて、その間に住んで居るので、それは丁度父母の形造って居る家庭に、子供が生れて成長して行く様なものであります。そこでその天地の和合如何によって、生物が枯れたり栄えたりするのであって、一軒の家で云えば父母の心使い如何が子に影響する様なものであります。そこで子供が苦しい時に、父母に頼る様に、人間も困った時や辛い時には、この天地を頼りにして通って行かねばならんのであります。そこでこの天地は、神様の理が表はれて居るのでありますから、人間はこの天地に仕へて行かなければなりません。

【増野鼓雪教理2-3、人類の親】
 「人類の親」と題して次のように述べている。
 ご教祖の最初の思召しから伺うと、御在世中に甘露台を建てて、その台によって世界一列を澄す思召しであったのであります。然るに後に模様がかわって、世界を澄してから甘露台を建設せられる事になりました。そこで食物(じきもつ)というのは、如何いうものであるかと申しますると、甘露台ができたらば、その上へ平鉢をのせ、その中へこの食物と云うのを入れて置くのであります。それは麦粉の様なものだと云う事であります。そして本勤めにかけて祈念せられると、天から甘露が降って来て、その平鉢の中のじきもつが丁度飴の様になるのであります。それが寿命薬と云うのでありまして、それを頂いたら、百十五才の定命が頂けると云う事になって居るのであります。然しそれは心の澄んだ者でなければ頂かれないので、誰彼なしに頂く訳には行かないのであります。

 その尊い食物は如何してできるのでるかと申しますると、月日の神様から教祖に下されるのであります。これは丁度例へて申しましたら、一家に子供が沢山あっても、その親が貰うて子に分けてやる様に、教祖は人間の親でありますから、月日の神様から御教祖に御渡しになって、それを世界一列の子供がお裾分けして頂くのであります。すれば何故教祖が人間の親であるかと申しましたら、御教祖の御魂は伊邪那美命様であるからであります。美様は人間を始めてお造りになる時、苗代になって下された神様でありますから元の親様であります。又この御道を始め下されたので、これはその因縁によるのでありますから、人類全体の親であります。その親に神様から御渡しになって、それによって人間の心を一日も早く澄ましたいと思召したのであります。然るに後に二段までできましたが、石屋が石をかいたり、警察が来て石を持って帰ったりした為に、神様が立腹して、この世を澄ましてから御建てになる事になったのであります。

【増野鼓雪教理2-4、病気は手入れ】
 「病気は手入れ」と題して次のように述べている。
 信仰する者でも、その心に立ち入って見たらば千差万別であります。その表面は真実らしく見えても心の汚ない者もあれば、心は真実でも表は無骨な者もあります。従って心を見通しなる神様から見られたらば、色々違って見えるから、「手入するものあればその儘こかす木もある」と仰せになったのであります。然し若木の時は手入れをすることができませんが、「相当年限がたったら手入にかゝる」とのことであります。これを云い換えれば、その時までは未だ行く先、立派な木になるのや否や不明であったから、捨てて置いたのが、この木ならば先で立派な木になるのであろうと云う、見込みが付いて来たら、手入れをするのであります。それを神様が「身に障りを付けて手入をする」と仰せられるのであります。即ち神様が身上の上からお仕込みになるのであります。

 そこで云うて置かなければならぬ事は、同じ病気と云うてもお道の上からは三つに分かれると云うことであります。それは障りと病気と因縁病と云う事であります。第一障りと云うのは、心使いの間違いから、自分の心と人の心と、障り合うところから起るのでありまして、或るいは意見の衝突だとか、考えの違うところから出るのでありますから、一時的のものであって、捨てて置いても日が経てば癒るのであります。次に病気と云うのは思想から来るのでありまして、障りより見れば無論時間的に長いのは云うまでもありませんが、特にその思想が変わらない以上病気が癒らないのであります。最後に因縁の病気と云うものは、要するに前生からの持ち越しでありまして、その性格から生じて来るのであります。即ち如何に懴悔しても、その性格が生まれ変わった様に変わって来なければ、その病気は癒らぬのであります。かように病気と云いましても、区別があるのでありますから、人を助けるに之を見分けて行かねばならぬであります。

 そこで神様が見込みのある者は、特にその人を仕込む為に、身に障りを付けて育てられるであります。故に御道から申すと、病気が現れて来る程、結構になって居るのでありまして、熱心になればなるほど、神様の手入れが甚だしくなって来ますから、それを喜んで通られねばならぬのであります。ところが多くの信徒の中では、自分は信仰してから、少しも病気にならんと云うて居る人がありますが、これは神様の或る意味に於いて、見捨てられて居るのであります。私の父が信仰以来廿年間程、今日はやれ/\と思う日がなかったので神様に伺いましたら、「一生懸命で来たから神も一生懸命で仕込んだ」と仰せになりました。それで父は常に、人から見て不仕合せな人やと云はれるのは、神の眼から上行きになるのや、と申して居たのであります。こう云う訳でありますから、この道は進んで行く程、苦しみが出て、窮屈になって行くのであります。然しこれは人間から考えたら、非常に面白くない事でありますが、そのかわりに世界並の人では、見る事のできない事が見られるようになるのであります。神様はそれを知らせたさに身に障りを付けられるので、我が身に懸かった事はたとへとげがはいっていても、一生懸命になるから、その理が自然に悟れ、又忘れぬところから、身の所々に理を現してお仕込み下さるのであります。 

【増野鼓雪教理2-5、根の力】
 「根の力」と題して次のように述べている。
 根の力(一)
 外国と日本とを、一本の木に例えて、「外国は枝先であって日本は根の国である」と教祖は仰せられたのは、皆な知って居る通りであります。その木の根を栄え現すと仰せられるのは、「日本は世界の根の国であると云うことを、次第に世界へ現す」と仰せられるので、即ち日本が世界の凡ての力である事を、世界に知らしめると仰せられるのであります。然らばどうして神様が、それをなさるのであるかと申しますと、それには「月日が元へ立ち帰られる」と云うのであります。元と云うのは人間始め、世界を造られた元の屋敷の事でありまして、即ちお地場へ帰られるのであります。すれば帰られると云う以上は、それまで他に行って居られたのであるかと云へば、正しく他へ行って居られたのであります。それはどうして分かると申しますとこう云う事によって分るのであります。神様が人間を造られて以来、人間の成人に応じて、様々なものを与えて陰から守護をせられた。仏教も基督教もその他の教えも、皆な神様がその当時に応じて人間の悪気を圧える為に付けられたものであります。故にこうした教えを開かれるには、神様は屋敷を離れて他へ行って居られたことを現して居るのであります。
 そこで一寸申してえをきますが、釈迦は仏と云って世に現れた事であります。仏とは印度では覚者と云う意味であって、神様の御心を悟って教えを開いたのであります。従ってそこには人間の努力が、多分に含まれて居るのであります。然るに基督は我は神の愛子なりと云うて、教えを説いたのであります。この点から見ますると、基督教の方が神に近いと云う事できるのであります。
(私論.私見)
 ナンセンス。教祖が、「(仏教と比較して)基督教の方が神に近い」とは言わんでせう。
 ところが教祖はこれに反して、「この度は神が表へ現れて」と仰せになって、我は神なりと云う自覚の下に、教えを立てられたのであります。これを一軒の家で云へば、奉公人が主人の心を悟って来たのと、子供が親の代理で来たのと、親自ら出懸けて来たのとの相違があるのであります。そこで親が現れた以上、もうそれ以上のものが出て来る筈がないのでありますから、この道を特に「世界だめの教え」と云うので、年代の上からだめの教えと云うのではありません。 
 根の力(二)
 しかしこれは余事でありますが、とにかく神様は随時随時に現れて、子を守って居られた事は明らかであります。ところが約束の年限が来たので、この道を始める為に、神様が何れも元の屋敷にお帰りなったのであります。そして「これからは木の根、即ち日本の国の価値を世界へ現して行く」と仰せられるのであります。それには第一に先ず、元の屋敷の理からして現して行かなければなりません。それで日本の国のことと、道の上のこととは、両々相俟って行くので、それを「合図立合い」と仰せられたのであります。

 尚これを今日迄の歴史の上から考へて見ますと、本教の創立当時、即ち天保9年頃から維新の論が喧しくなり、この道が伝わりかけると維新になったのであります。そして明治20年、本教組織せられると時に憲法が発布せられて日本がその国体を変じて立憲国になったのであります。それから明治27年の日清戦役当時に、本教には安堵事件なるものが起こったのであります。そして37、8年頃には、日清戦争が起こると共に本教取消の問題が議会に提出せられたのであります。そしてそれが済んで日本が世界の於ける一等国に列せられると共に本教は独立して一教派をなすに至ったのであります。そして日独戦争が起こった時に、本教には前館長公の帰幽、その他の節が現れて来たのであります。かように道の進んで行くのと、日本の国の発展して行くのとは同じ歩調で進んで行くのであります。そこで日本の将来にそうした事が現れるとしたならば、本教の将来の上にも又大事変が起こって来なければならぬと云う事を覚悟して居なければならぬと云う事であります。又これを宗教発達の歴史の上から考へましても、天理教の将来には、大なる困難が起って来なければ、世界的に広まると云う事はできないのであります。何故なら各教の信徒は、大なる迫害の下に布教をしたのであって、それに比べると本教の迫害の如きは、まだ足らぬからであります。故に本教を信ずる者は、今後本教の上に現れて来る困難な道を予想して、今より大なる覚悟をしておかなければならぬのであります。

【増野鼓雪教理2-6、根を掘れ
 「根を掘れ」と題して次のように述べている。
 根を掘れ(一)
 一本の樹木に致しましても、人間の眼に見える所は僅かに幹から上で、その根は地下に埋もれて居て見えないものであります。然し木の養分の大部分は、この根から吸収せられて、その枝葉が繁茂して行くのでありますから、草木にとっては根は何より大切ものであります。然し多くの人は、その根に注意しないで枝葉のみ栄えさそうと思うから間違い生じるのであります。植木屋はこの理合をよく知って居りますから、木が弱って来たら、直ちにその枝葉を刈り込むのであります。そうすると枝葉に行くべき力が根の方にまはるから、根に力が出て来るのであります。そしてその翌年芽を吹かすと、今度は勢いの好い新芽が出て来るのであります。御道の手入れ仕込みというのもやはりこれと同じで、その根である心を強く張らす為に外ならないのであります。それを神様は、「根差しの好いものは芽出しが好い」と仰せられたのであります。 これは樹に例へての話でありますが、人間に取って根となるべきものは心であります。その心が弱かったら、その根が枝葉の栄えるのを受け止める事ができない様に、心が弱ってしまうのであります。故に何よりこの心、即ち根をしっかりさせて行かねばならぬのであります。

 ところが世界の人は、心が人間の為す事一切の根である事に、気がつかんのであります。だから何事をするにも、この心と云うものを等閑にしてをくから間違いが生ずるのであります。例へば商売を始めるに致しましても、是だけの資本があれば是だけの利益があるという様に、算盤の上のみで考へるので、この心というものを算用の中へ入れないのであります。ところが事実に当って見ると、資本を運用して行くのは人間でありますから、その運用者である人間に心が怠慢であったら、利益を得るどころか却って失敗して損をしなければなりません。ところが我が心がその仕事の上に、何処までの精神を持ってするか、その根本を定めて置かずに、資本があれば独り商売ができる様に思うてやり始めるから思う通りの結果を見る事ができないのであります。
 根を掘れ(二)
 是は一例に過ぎませんが、世の中にこうした事は沢山あるのであります。これは要するに自分の根というものに気づかずに、徒らに枝葉末端の事のみに心を注いで居るからであります。そこで神様は「心静めて根を掘れ。そして根が如何なって居るかという事を何よりも先に調べよ」と仰せられたのであります。そこで根を調べるには、一枚の葉一つの小枝からでも、その元へ/\と辿って行ったら終いには根に行く様に、人間の心に一寸湧いた心からでも、探して行ったならば、必ずその根に思い至るのであります。

 例へば赤い色を見た時に、自分の心の如何いう心が湧いたかという事を先づ調べて、赤いダリヤの花を思い出したとしたならば、今度は何故赤いダリヤを思い出したのであるかと更に尋ねる。ところがある時ダリヤを庭で作ったからであると云う事が分かれば、今度はまた何故ダリヤを庭で作ったかと尋ねて行くのである。かように次第々々に奥深く問い質して行ったならば、必ずその奥から真の理が、即ち根の理が現れて来るのであります。この根を掘る事が早くなれば、病気になって時には、病の根である心使いが直ちに分かって来るのであります。単に自分の病気の場合に於いてのみではなく、人の病気についても、その根を見出すのは早くなって来るのであります。そして共に根が腐って居るのか、悪い虫が付いて居るのか見分けがついて来ます。 故に如何しても我が心の根は、お道を通る上には、是非掘ってをかなければならんのでありまして、御教祖も御在世中に、「根を掘れ/\」と、常に仰せられて居たとの事であります。

  更にこれを御道の理の上から申しましたら、現在御道には四千近くの教会が所々にあって信徒はその教会に属して居るのでありますから、一寸枝に付いて居る葉の様なものであります。ところがその葉というのは直接付いて居る教会があって、できたのでありますが、その教会は更に上級教会があってできたので、その上級教会は又本部があってできたのであります。ところがその本部も御教祖が神様の御霊を持っておいでになったからであります。かように次第々々に進んで行ったならば、この世はじまりの時から考えて行かなければなりません。然しそれはお道の根でありますから、道の理を聞かして貰う以上は、そこまで突き留めて行かなければなりません。これが道の根を掘るというのであります。

【増野鼓雪教理2-7、神人の和合】
 「神人の和合」と題して次のように述べている。
 神様が人間をお造りになったのは、云う迄もなく「人間が陽気に暮らすのを見て神も共に楽しみたい」と云うお心からであります。故に人間が心を陽気に持って暮らすのが、何より神様の御心に適うのであります。ところが人間は日々陽気の心で暮らす事ができない。「見ては不足、聞いて不足、思うては不足」と云う様に、日々心をいづまして通って居るのであります。これが神様としては非常に残念なのであります。そこで元々陽気な心で暮らさせたいと云うお心から、この道をつけられたのであります。故に人間は人間心を捨てて、陽気な心になる様にして行かねばならんのであります。故に懴悔をする様な場合にも、あれが悪いの、これが悪いのと云う様に、事柄について懴悔する様な事なく、自分の心から喜びの心が湧いて来るところまで、懴悔して行かねばなりません。何故かと申しますると、神様への懴悔が届いたら、必ずその証拠として、心の内から云い知れぬ喜びが、湧いて来るものだからであります。この喜びの心が湧かないのは、未だに懴悔が足らぬのであります。

 或る時私が或る教会へ行って、ふとこの教会には神様がお出にならんと云うたのであります。そして更にこの教会は、移転をせねばならんと話しのであります。ところが教会の役員等は、この教会は神様の御許しを得て建てたのであるから、どうしても移転ができないと主張するのであります。そこで私は教会に神様が御出でになるなら、心にもっと勇んだ理が出て居らねばならぬ、然るに心がいづんでいるのは、即ち神様が居られん証拠である。教会を移転する心定めたら、心から喜びが出て来るから、神様の御心に適うて居るのだと申しのであります。その後種々の道行があって、終に移転する事に決まったのであります。すると皆の心が非常に勇んで来たのであります。その結果案じるよりも安く、神様の御守護を得て、移転する事ができ、それから追々教会も発展する様になって来ました。これなども喜ぶところまで心の切りかへができたからであります。

 かような訳でありますから、何人でも道は喜びの理の出るところまで、やって行かなければなりません。こうして喜び勇んで居る時には、人間的な階級も取り去られる如く、神様と人間とも同じ事になって来るのであります。何故かと申しますると、喜ぶ心から湧いて来る理は、何れも神様の御心に適うからであります。それで「心が勇んだら、月日も人間も同じ事や」と仰せられてたのであります。故にお道の者は心を勇まして、何でも月日と交りをさせて貰える様にならなければならんのであります。 

【増野鼓雪教理2-8、真実と守護】
 「真実と守護」と題して次のように述べている。
 神様があるとかないとか思う人がありますが、これは要するに真実がないからであります。神様の御言葉に、「ないと云へばない、あると云へばある、願う誠の心より見えて来る利益が神の姿や」と仰せられたことがあります。 即ち神そのものは無形のものでありますから見る事はできないが、誠の心から願ったその心に見せて下さる利益が神の働きであって、それが神の姿の同じ事となるのであります。故に心に誠のない者には、神様はついにその姿を御現はしにならないのであります。従って「神様の働きは、真実を出したら見える」と云うのであります。そこでその真実と云う事でありますが、一口に真実と云ってしまへば、何でもない事でありますが、その真実にも段々があるのであります。神様の御言葉によりますと、「聞いて真実、見て真実、まこと真実、本真実」と仰せになって居るのであります。かように真実を云うても、段々あるのでありますから、口には云へないのであります。

  聞いて真実と云うのは、どう云うのであるかと云へば、人の話を聞いたり、又は人の真実な行をした話を聞いたところから、真の心になって通らねばならぬと思いゆいて真実の心になって通ることを云うのであります。

  次に見て真実と云うのは、聞いて真実より今一歩進んで居るのでありまして、人の誠の行をして居るのを、実際に自分が見た上から、自分も誠の心になって通ろうと云う心になったのを、神様は見て真実と仰せられたのであります。

 次に誠真実と云うのは、見たり聞いたりした真実より更に深いのでありまして、即ち見たり聞いたりした上から、更に又世界の上から考へまして、人間がこの世を通って行くのには、真実の心を持って通るより尊い事はないと云う事を自覚して、真実になって来るのを云うのであります。これを少し批評的に申しますと、論理的の真実と云う事ができるのであります。然しこれだけでは、未だ真の真実とは云う事ができないのであります。何故なら道理の上から考えついた真実は又道理によって崩されるからであります。

 最後に本真実と云う事でありますが、これは自己の因縁を自覚した上から、その因縁を切って行くには、他人が何と云はうと、道理がどうあろうと、自分として真実の心になって通るより外に、自分の因縁を切る道がないと云うことを見出したなった上から、真実の心になって来るのを云うのであります。 この真実が本当に心に治まりましたら、必ず神様は自由の御働きを見せて下さるのであります。故に本真実が我が胸から出る様に、自ら努めなければなりません。 

【増野鼓雪教理2-9、神は支配者】
 「神は支配者」と題して次のように述べている。
 この世界が神様の御支配によってできて居るという事は、今更改めていう迄もない事であります。しかし人間の世界は、この神様の御力ではなく、人間の力によって支配されて行くものだと思うて居る人が沢山あるのであります。現に学者は、自然を人間が征服して行くのだと云うて居ります。即ち人間が文明の利器を発明して、それによって自然界を次第に征服して行くのだと豪語して居るのであります。然し更に深く考えて見ますると、人間が文明の利器と称するものを発明するという、そこに神の仕込みがあるのであります。何故ならば思いつくという事、或るいは心に浮ぶという事、それが即ち神の教示でありますから、やはり文明の利器も、神によって人間が導かれて作ったのであります。

 例へば一本の木に美しい花が咲いたと致します。木自身からいうたならば、木が成長して美しい花を咲かせたのに相違ありませんが、同時に又春という気候に出合はなかったら、花を咲かす事はできなかったのであります。して見れば又一面から、春が花を咲かせてたのであるという事もいえるのであります。これと同じ道理でありまして、成る程人間が発明したのに相違なくとも、然かせしむるに至らしめたものがなくてはならんので、それが即ち神様なのであります。

 尚これを実際の例について申しましても、学術上で最も大なる発見者として讃えられて居る、ダーウィンが進化の理法を発明した時と、その時代を同じうして佛国の或る学者もこれと同じ研究をして居たのであります。又近頃でいへば、飛行機が発明せられる時でも、英国でも佛国でも米国でも同じ様に研究されて居たのであります。かように同時代に於て同じ事が研究されると云うのは、そこに神の不言の教示があるという事に思い至らねばならんのであります。然し学者はそうはいわずに、これは時代の然らしめたのであるというのでありますが、これは木に花を咲かせたのは神でなくして春であるいうのと同じで、一応道理のある事であります。すれば今一歩進めて然らば、春という気候もしくはそうした時代を造ったのは誰であるかといへば、それは最早不明である。それは神様であるというより外はないのであります。

 こう考えて来ますると、人間が自分の手によって造って居ると思うて居るこの人間世界も、その後には眼に見えない神様の御守護があって、始めて完全に行われて行くのであります。すれば自然界が神様の直接の支配である事はいう迄もなく、人間の生活も凡て神様の支配であるということができるのであります。それを人間のみの世界と思うから、大きい間違いが生じて来るのであります。故に凡てが月日に照される如く神様の支配の下にあるのであります。 
(私論.私見)
 ナンセンス。「支配」なる用語はユダヤ教-キリスト教圏のものであり、天理教では使わない。使うのは「ご守護」である。よしんば使うにしても、ユダヤ教-キリスト教圏的な「対立的な関係での支配」の意味を持たせていない。ここに言及しないままの「支配」なる用語使いは増野鼓雪教理の不十分なところと思う。

【増野鼓雪教理2-10、親の心】
 「親の心」と題して次のように述べている。
 人間が神様の御心を直ちに知らして頂くという事はできないのでありますから、神様は神の心は丁度親が我が子を思う時の心が、神その儘の心なのであります。ところが人間というものは、我が身我が勝手の事ばかり考えて居りますから、親の心を知る事ができません。そして親が死んでから、始めてその有難味が分かるような始末であります。そこで早く親の心になって思案して、神様の心を悟らして頂かねばならぬのであります。

 私が始めて神様の御心を悟らして頂いたのは、私の二十歳頃でありました。或る日、鶏に餌をやって居たのであります。鶏というのは三羽で一羽は雄で二羽は雌でありました。ところが雄は雌に食べさす為に、餌を少しも食べません。然るに二羽の雌の中、一羽は優しい鳥で、一羽は乱暴な鳥でありました。私が餌をやめると乱暴の方の雌が皆な拾うてしまって、優しい雌は少しも食べる事ができない。それを見た私は、僅かな餌を遠方に放りなげてやりました。すると乱舞な雌が走って行ってそれを拾うのです。その間に私は優しい雌に沢山の餌をやっていました。然しそれは私が何の考えを持ってして居るのではなく、唯そうして居たのです。その時ふと私は神様の御心もこうゆうものだと分かったのでありあます。

 それ以来私はできるだけ心を優しく持って、人より先に出ようという様な心を取るために努めるようになりました。そして人間は勝って先に出なくとも、必ず神様は天から見て居て下さるのであるから、心配する事はないという事が分かったのであります。即ち親である神様は、人間が困る時には、必ず現れて御守護下さるに相違ないのであります。

 その親である神様が、人間を御覧になると、人間は実に危ない道を通って居るのであります。丁度子供を伴れて道を歩きますと、子供は道の真中を歩かずに、好んで道の縁を歩いて道くさをするのであります。神様と人間ともその通りで、人間は好んで危ない道ばかりを求めて歩いて居るのであります。親から離れて、自分勝手な所へ行って、帰るに帰れん様なことになってしまったならば、親の心配はどれ程のものであるかも分からんのであります。然るに子供は、その親の心を思わずに、勝手な道を歩く様に、世界の人間は皆な我儘勝手な道を歩いているのであります。何故なら一歩間違えば、深い谷のある様に、人間の生きている隣には、死が待って居るのであります。人間が油断をしたら直ちにその暗い世界へ落ちて行かなければならないのであります。然るに人間はそれを思わずに、わがまゝ勝手な道を通っている。即ち危ないところを歩いて居るから、神様がそれを心配して、「
こわきあぶなき道を案じる」と仰せられたのであります。 

【増野鼓雪教理2-11、文句かえたい】
 「文句かえたいと題して次のように述べている。
 人間の心というものは、神様から御覧になれば、殆ど泥水の如きものであります。何故ならば人間の心には慾の心が充満しているからであります。道を信仰して朝夕に自分の心を真実にせなければならぬと思うて居る者にさへ、時には表へ現せない様な、埃の心が出るものでありますから、少しも自分の心改めようと云う考えのない世界並みの人の心は、実に濁り果てた汚い心に見えるものは当然であります。何故ならば人間は殆どその心を全部欲の為に占有せられて居るからであります。然し欲と云っても、何も金銭の慾のみを云うのではありません。物を知りたいという知識慾もあれば、異性を求める色欲もあり、地位や名誉を望む名誉慾もあるのであります。こうした欲心が、四六時中休む間なく、人間の心の中で働いて居るのであります。それが神様が見れば、濁ったものになるのであります。こう云うとそれでは慾心を捨てたら、人間が向上心を失ってしまうと云う人があるかも知れません。けれども向上心があって、人間はどれ程の幸福を増し、生命を増進したかと云へば、少しも向上もせなければ進歩もして居ないのであります。唯悪く変化したに止まるのであります。何故ならばこの慾心即ち欲する心がある以上、この世が苦しい世界になるからであります。この世は苦の世界だ、娑婆だ地獄だというのは、要するに心の内にこの欲する心が多いからであります。 

 もし人間の心から、この欲する心全部取り去ってしもうたならば、この世は実に愉快な世界になるのであります。故に人間は何よりこの慾の心を、離す事を思わねばなりません。何故なら凡ての物を捨てる所に、助かる道があるからであります。もし持って居る物を捨てずして、神様に救うて貰おうとするのは、川に流れて居る者が、神様から御出し下さる助の綱を持たずに、自分の持っている木の片を離さずに居る様なもので、助けて頂く事ができんのであります。されば人間は凡てを捨てて、唯神様の御手にすがらねばならんのであります。


 ところが現在の人間は却ってこの慾心の多いのが、豪い様に思って慾に集まるのであります。都会などは沢山魚の居る池へ麸を投げた様な有様であります。従って人間の心も、小さい表面許り美しう見せる様な、虚偽に満されて居るのでありまして、都会の建築は正にその心理状態を表に現して居るのであります。恐らく今後益々こうした傾向が進んで、人間は次第に早く死ぬに至るであろうと思われる。何故なら主たる生が、従たる商売の奴隷になって居るからであります。そこで神様はこの世の中の有様を一変して、心が主となり日々楽しく暮らす事のできる様な世界にしたいと思召して居られるので、気の毒ながら文句変えたいと仰せられたのであります。それは人間の心から欲心を捨てさせて、生を楽しむ様な穏やか心持ちになって通る様にしたいと思召しされて居るのであります。それが又神様がこの道を御始めくだされた目的なのであります。

【増野鼓雪教理2-12、むつかしい道】
 「むつかしい道」と題して次のように述べている。
 「神様の道は仮名に仮名を付けた様な、やわらかやさしい道である」と聞かして貰うて居るのと、難しい道とは大変な相違の様に思われるのでありますが、これは二つの事を一つにして考えるから、違って来るのであります。何故と申しましたら、神様の御説き下される所は、人間が会得でき、誰にも読める様に、仮名字を以てお書き残し下されてあるのでありますから、柔らか優しい教えに相違ないのであります。又誰にも分からぬと云う様な、難しい教えではありません。

 けれどもその教え通りの道を通ると云う事になると、難しい道になって来るのであります。何故なら世界では今までになかった道であり、且つ教祖の道すがらから考えましても、火の中淵の中と云う様な、恐しい道を通らねばならんのでありますから、中々容易で通れる道ではありません。けれどもその通りの道を通り抜けなければ、自分の因縁を切って頂くこともできなければ、神様に近づかして頂く事もできないのでありますから、教へを聞いた以上、どうしてもその道を進んで行かねばならんでのあります。そこで、この道は難しい道になるのであります。

 そこで難しい道を通るには、それだけの決心をして通って行かなければ、中途にして挫折するに至るのであります。そのかわりに通り抜けたら、神様に近づく事ができるのでありますから、神一条の生活に入る事ができるのであります。それ故にこの道の教は優しいが、実地に通ると云う事になれば、困難な道であると云う事を、合点して通って行かねばなりません。然し又その難しい所を通るから、身に理が添うて来るので、又難しい中に楽しみの理があるのであります。だから難しいからと云うて、それに心を取られずに喜んで通らねばなりません。喜んで通ったら、その難しい道も、通りよい道になって来るのであります。

【増野鼓雪教理2-13、天災と神意】
 「天災と神意」と題して次のように述べている。
 教祖は神様という事を説明するのに、人に応じてする種々に仰せられて居るのであります。御筆先を通読致しましても始めの方では神と仰せられ、神の思惑とか神の支配とかいうて居られますが、中程から月日というて、月日立腹とか月日残念とか仰せられ、最後には親のいう事とか、親の心とかいうて居られるのであります。その他神というのを一つの理とも、理が神とも火水風が一の神とも、種々に仰せられて居るのであります。

 そこで山崩や地震や大風、その他普通いう所の天災地変は、要するに神様の立腹から現はれて来るというのであります。これ丁度一個人についていへば日々の心使いが悪かったら、神様は身上を以て改めさせられるのと同じ様に一軒の家の心が間違った居たら、家が火災に合うとか不事が現はれるのと同じことで、少しも違わぬのであります。すれば如何いうところの間違いを、神様が御現はしになるのであるかと申しますと、それは多くの人の上に現れる心得違いでありまして、これを一口に大きくいへば時代思潮、小さくいへば団体もしくは一地方の人の思想が、神の御心に添わぬ心使いをした時に現れるのであります。故にこの天災なるものと、その天災の現れる時の人間の心を照し合せて考えたら、そこに必ず深い理が存ずるのであります。

 例えば近代的の学問、即ち科学が進歩致しまして、人間の心は非常に疑い深くなって来ました。従って病気も左様した心使いに相応した、肺病の様な悪病が流行するようになりました。また女子の権力が非常に出て来て、時に男子を圧倒する様な気風が現われて来たので今度は子宮病の様なものが流行するという様に、その当時を風靡して居る思想と、流行する病気とには内面的に深い関係があるのであります。これは単に病気について申したのでありますが、その他の天災地変も亦これと同じ様に、時代思想の間違いに対する神の立腹が現われるのであります。今の学問ではこうした事のない様にと研究して居りますが、それは要するに経過を知るのみでありまして、然らしめたところの根本原因は、分からぬものであります。然し教祖は「神の立腹が現われ出たものである」と仰せられたのであります。 

【増野鼓雪教理2-14、一家の人々】
 「一家の人々」と題して次のように述べている。
 人間の心というものは、一名限りのもので、皆な違うのであります。生れ変って来た道筋の違うだけ、その心の違うのは当然であります。従って親子であっても兄弟でも夫婦でも皆な違うのであります。されば一軒の家にも美しい心を持った人もあれば、またその反対に汚い心を持って居る人もあるのであります。殊にこのお地場は、鏡屋敷というて、教祖に因縁ある方が寄って居られるのでありますが、その中には、どんな手本雛形も現してあるのであります。一寸考えたらお地場には、心の澄み切った人のみ居られる様に思われるのでありますが、事実は善悪の雛形があるのであります。善い事をすれば善い理がまわり、悪い事をすれば悪い理の現れる上からいへば、世界に於いてもお地場に於いても同じあります。その間に隔てがあったり違いがあっては正しい屋敷といわれぬのであります。故に同じ一屋敷に暮らして居る者の中にも、神様の様な方もあれば、仏の様な方があると同時に、鬼の様な方もあれば、悪魔の様な方もあるのであります。それを各人が見分けて、善き方は取って自分の習う雛形として、悪い方は自分から習わぬようにして行かねばならんのであります。それならこそ神様は、「聞き分けよりも見分けの方が肝腎や」仰せられたのであります。

 御教祖の御在世中、或る方が非常に勝手な事をせられたので、或る時教祖はその方を「埃の館」と仰せになりました。この方などは因縁から申せば、善い行をなさらねばならぬ御方でありますが、心は一人限りのものであるから如何ともできないのであります。そうかと思へば又御本席の様に、次第に出世して神様の代理さへ勤めになった御方もあるのであります。全く神様の仰せの如く、同じ一つの屋敷の中にも様々な心を持った人が居られたのであります。然しこれは単にお地場ばかりのことではありません。世界を大きい一つの屋敷と見て考えても、又小さく一個人の家について考えても同じ事であります。その中には慈の多い人もあれば、人を困らして喜ぶ者もあるという様に、心は皆な違います。そしてその人の生涯は皆な心通り現れて来るのでありますから、その「世上の理を見て、悪い方へ心の傾かんよう、善い事は取って見習う様にして行かねばならん」のであります。この理が心に分からぬから、家を不足にしたり、地場を不足にする様な心が起こって来るのであります。

【増野鼓雪教理2-15、牛馬の道】
 「牛馬の道」と題して次のように述べている。
 牛馬の道(一)
 人間の身上は皆な神樣からの貸物であり借物でありますが、その借主は霊で、我が物と云うのは心一つの理よりないのであります。そこで我が心に間違いがあれば身に障りの附く様に、人間の心が人間らしくない使い方をすれば、人間でない衣物を借らねばらならぬものであります。例へば小さい子供には、小さい子供に合うた衣物を着せ、大きくなった大人には、大きい衣物を着せるのと同じであります。それを無理に子供の衣物を、大人に着せる事もできなければ、大人の衣物を子供に着せることもできません。故に人間らしい心使いをして居れば、幾度生れ変わって来ても、人間らしく生れ出る事ができるのでありますが、人間をはづれた心を使へば、牛馬に落ちて行かねばならぬのであります。

 牛馬に落ちた者は、鞭を以てしごかれて働き通さねばならんのであります。そして人間として生まれて居た間に、恩になったその恩を報じるのであります。それから尚九度も生れ変りをして、又人間に生れ出さして貰うのでありますが、それも牛馬として好い行いをするからであって、もし牛馬としても悪い行いをする様であったら、それこそ再び人間の世界へは生れ出る事のできん者に落ちて行くのであります。すれば如何云う心を使った者が、牛馬に落ちるのであるかと申しますと、それは恩を重ねたものであります。即ち恩報じと云う事をせずに、人から恩ばかり受けて居るから、その重荷に堪へ兼ねて牛馬に落ち、重い荷を運んで恩を報じるのであります。それ故「恩が重なったら、おんづまり」と云うて、是が人間としての最後であります。
(私論.私見)
 「人間をはづれた心を使へば、牛馬に落ちて行く」なる論は教祖もそのように語っているとすれば、増野鼓雪に責任はないのだけれど、少々違和感がある。第一、こういう諭しでは人間以外の生き物は人間より格落ちということになる。しかし、それは人間世界、自然界創造の際の神の思し召しだっただろうか。
 牛馬の道(二)
 然し多くの人の中には、死んでから牛になろうが馬になろうが、そんな事まで心配しては居られん。この世は太く短く面白く暮らしたら、それで好いのだと云う様な考えを持って居る人があります。こんな人には、未来と云うものに対しては少しも考えぬのでありますが、この牛馬の道と云うのは、未来ばかりにあるのではありません。この世のもちゃんとあります。病気になって歩く事ができない、四つ這いとなって這うて居る人があります。こんな人はこの世から牛馬に落ちる道を見せられて居るので、こう云う人は必ず死んだら、牛馬に落ちて行くのであります。「これこの世から知らしておく身に障り見よ」と仰せられたところであります。又多くの病人の中では、もう死ぬ/\と云うて、この世から牛の様に、もう/\と云うて、日を送って居る者もあります。是なども来世の理を、この世から云い現して居るのであります。

 それ故或る時教祖は、「人間が死後如何なって行くかと云う事は、葬式の後から付いて行ったら、好く分かる」と仰せになりました。成る程葬式の後から行くと、会葬者が必ず死んだ人の風説をするものであります。その風説は当人が死んで居るのでありますから、遠慮気兼なしに云います。中でも惜しい人だった云うて惜しがられる人もあれば、中には早う死んだので皆が助かると云われ人もあり、又甚だしいのになると、死ぬのは当たりだと云われて居る人もあります。惜しまれる人や、褒められる人は、来世必ず好い所へ生れますが、嫌われたり捨てられたりする人は悪い所へ生まれて行くのでりあります。それ故葬式の後から行けば、その死後が分かると仰せれたのでのあります。
 牛馬の道(三)
 こう聞かして貰って考えて見ますと、来世などはないと云うて居る訳には行きません、例へ口で云うて居ても、事実が左様になって来たら、事実が人の心を得心させて行きます。それどころか、我が口から我が事を云う様になるのであります。そのかわりに人間が、その反対に善い行いをして、人を助けておいたら、次第に神樣に近づかして頂けるのであります。世の中には人の為に働いて、我が命を捨てた人が沢山ありますが、その人らは皆な神樣として祀られて居るのであります。又教祖も神の交わりさして貰いたいというて、神に近づく道を教えられたのであります。そう考えてみますと、人間と云うものは、一方に進めば牛馬の道に行き、一方に進めば神様に行く道に、歩いて居る様なものであります。そして神樣に方へ進む様に、人間の身体はできて居るので、その証拠に後へ歩く様に、少しもできて居ないのであります。前へ前へ進んで行けば、人間の道はそれで立つのであります。

 尚この事は、人間が宿し込まれてから理を考えても分かるのであります。人間が宿ってから生れる迄、十ヶ月かゝるのでありますが、その間に人間は、始めて神樣に造って頂いた時から、今の人間になる迄の理を通るのであります。それ故その間には、尾のある時もあれば魚の様にえらのある時もあるのであります。その道を通って人間まで生長できたから、人間として生れ出るので、もしそのところまで生長する事ができない因縁ならば、牛馬の腹に宿らねばならんのであります。この点から考えても、後へ歩けば、牛馬にならねばならぬ事が分かるのであります。

【増野鼓雪教理2-16、神の仕事】
 「神の仕事」と題して次のように述べている。
 神様は親が我が子を思うのと同じで、助けたい一条の御心で居られるのでありますから、人間に難儀や苦労をかけたいと云うお心は少しもないのであります。然るに、人間の世に苦しみが耐えないと云うのは、神様の思召しに適う心使いをせぬところから、我がと我が身に苦しみを作って居るのであります。それを神様はいぢらしう思召して陰から色々と心をつくして、怪我のない様にと、理を見せられているのであります。

 ところが人間は神様から理を見せて頂いても、それが悟れぬから、間違った事を改めずに、我意を通して行くので、大きい苦しみや病気が現れて来るのであります。それは子供が悪い事をするのを親が叱っても尚増長して悪い事を止めんから、終には勘当せられるようなものであります。神様も始めから人を苦しめねばならぬ様な、大きな苦しみを決してお与えになることはないのであります。始めはほんの軽いところで理をお見せになるのでありますが、取り替えへが付かんから次第に重くなって来るのでります。

 例へば始めは一寸勝手を出した為に風邪を引いたのであるが、その勝手の心が取れんところから、人々と自分の心が磨れ合って身体に熱が出て来る、それでも尚心が改まずに、隔ての心が出て来るから咳をする様になり、それでも尚神様の仰せを聞かん所から気管支炎になって来ます。それでも尚勝手の心を使うて、人と自分との間が円満に治まらなければ、心が閉じてしまうところから、心が蒸せて肺に虫が湧くようになるのであります。かように心と病気とは平行して進むのでありますから、始めに一寸風邪にかゝった時にさへ、早く取りかへて行けば神様は「大難は小難に小難は無難に」して連れて通って下さるのであります。

 かような訳でありますから、何でも始めの間に間違いは改めて行かなければならんのですが、それを捨てて置くから、丁度小さい間なら爪でも取れる芽を、末では斧を使はなければ倒せん様になるのであります。故に一寸した事だと思うて軽く見て過ごしはならんのであります。何故なら病気そのものは、日と共によし助かっても、その理を悟って改めない以上、何時迄もその理が残って、やがて自分に帰って来るからであります。そこでこの軽い病気と云うのは、要するに神のお知らせでありますから、その時に改めて行くのは道でありまして、それを捨てて置くから、苦しい事情や身上が出るのであります。その知らせを教祖は、「先よりことわりたうへかかる印しごとや」と仰せになって居るのであります。

 然るに世間の人はこの道理が分かりませんから、少しの事は軽く見て捨て置き重くなって来たら苦しく辛いところから、神様と云うもんは随分な方だと云う様な怨み事を云うのでありますが、是はそう云う者が間違って居るのであります。「助けたいが一条の神様」でありますから、人に苦しみを与えようという心は少しもないのでありますが、人間が神様の云う事を聞かぬから、神様は是非なく表へ現はしになって居るのと同じでありまして、病ましてだけ神様も苦しんでおいでになるのであります。故に人間は早く心を改めて、親に安心して貰える様にしたら、我が身も安心ができ、苦しみも助かるのでありますが、人間はそれを思わぬからいけません。「神様は不意打ちはせん」とも仰せられてあります。  

【増野鼓雪教理2-17、術と真実】
 「術と真実」と題して次のように述べている。
 術や法というのは、仙人や山伏の行うものであって、例へば火遁樹の術とか、真言秘密の法などというのでありますが、この道のできる迄は、この法の随分行われたのであります。ところがこの御道が現れる頃になって、次第にその術や法が行われぬ様になり、今日では殆ど一般の人が、顧ぬ様になりました。この術や法というても、皆な是は神様が教へになったものであるが、最早この道が現われた以上、必要がなくなって来たから、神様が利目のない様にせられたのであります。

 それでその術や法は、如何してできたのであるかと申しますると、それは皆な真実からできたものであります。故に如何程熱心になって、法や術を行ってもその心に真実がなかったら少しも役ににたたないのであります。その点に於いては昔の人は割合に心が素直であったから、中には真実の人もあったが、今の世の中、知識は進んで来ましたが、心の真実は次第になくって来て居るのであります。術や法のきかぬのは、即ち是が為に外ならぬのであります。


 こう考えて来ると、術や法より人間の真実の方が遥かに尊いのであります。真実さへあったなら、神様の自由用を頂く事ができるから、如何な珍しき事も現はされるのであります。故に術や法というのは、要するに真実があって始めて後に行はれる事であります。それを知らずに術や法というていたら中身のない物と同じで、直ぐ破れてしまうのであります。真実が内心にあってそれから自然に現れてものでなければ、術や法というても尊い事はないのであります。

 教祖の御在世中に、山伏などが教祖の道の盛んになるのを悪んで、何とかしてこの道を止めさそうというので、教祖の所へ出て来て、白刃を抜いて教祖を取囲んだ事があります。けれども教祖は世の風説の様な、狐憑きでも気違いでもありませんのみか、この世に又とない真実の御方でありますから、如何すること事もできません。教祖を攻めるところが、却って教祖の真実の力に威伏せられて、逃げていんだ事があるのであります。これ即ち教祖の真実の理が、術や法を使う者以上、強い力があったからであります。

 かように真実の心は、尊いものでありますから、如何なる場合も、人間は真実になる事を心懸けねばなりません。真実の心を忘れて日々の通り方に、方法や手段を以てしたならば、一時は好い様でありますが、必ず先では困らねばならぬ日が出て来るのであります。即ち真実の道が現れたら術や法の力がなくなる様に、方法や手段ではやり切れなくなるのであります。故に何日迄も変らず真実の心で通ったならば、その心から自然に術や法と、人からいわれる様な不思議な珍しい事が現われて来るのでありますから、何でも真実の心が強く大きくなるように、自分から勤めて行かねばならぬのであります。即ち言い換へれば、物質以上、法以上、術以上に超越した、真実を心に治めねばならぬのであります。 

【増野鼓雪教理2-18、女松と男松】
 「女松と男松」と題して次のように述べている。
 「女松男松」と教祖がいわれたのは、女性男性を意味して居られるので、本教に於ては普通男女の区別がないとせられて居るのであります。然しこれは決して男性女性そのものの区別がないというのではありません。神様が人間を対せられたる時、そこに区別がないと云うのでありまして、丁度親が我が子を思う時に男の子だから女の子だからと云うので、そこに区別がないのと同じであります。

 然るに単に「女松男松の隔てない」と仰せられたというので、直ちに男女等しきものであるなどと思うのは早計であります。男女という性的区別を、神様が御分けになって居るだけ、その職分にも相違のある事は明らかで、それを一つに見ようとするのは、この性的区別を無視する謬見といはねばなりません。

 それは近来女性が向上して、以前には男子の仕事とのみ思われて居た事を、今日では女子がする様になった事は事実に相違ありませんが、それだからとて男女が同じだとこう事はできません。
教組が男女隔てがないと仰せられたのは、要するに神一条の世界に於ては、区別がないという事を仰せられたのであって、人間一条の上に立って考えたら、厳然として区別があるのであります。

 すれば何故神一条の世界に於いては区別がないと申しますると、男であろうが女であろうが、真実の心になって神様に御受け取り頂き、その神様の御働きを受けるという上からいへば、何の区別もないからであります。故に男女でろうが、老若であろうが、その点に於ては神様としては、少しも分け隔てならないのであります。然るに多くの人は、この神一条に於て男女の区別がないと仰せられるのを思はずに、単に教祖は男女の隔てがないと仰せられたという事のみを聞いて、男女に区別はないと速断する者が多いのであります。これは神一条と人間一条とを混同している誤解であって、その結果は恐るべき事が生じて来るのであります。


 現に世界に於ては、この過ったる思想にかぶれて、男女同権だとか、婦人問題だとか喧しく騒いで、社会の安寧を乱す様な思想を流布して居る者が沢山居るのであります。然し神一条に於ては差別がないのでありますから、神様は男性であるから特に御守護なさるの、女性であるから悪い事でも御許しになるという事はないのであります。何れにしても、皆な神様の思召しから、この道へお付けになったので、道にお付けになる以上、その者には神様の思惑が多少は懸かって居るのであります。即ちこれをいいかへれば、男性として必要な仕事、女性として必要な仕事を、それぞれ神様が見分けをしてお使いになるのでありますから、自分は女だから、自分は男だからという様な事は心に持たずに、働かして貰はねばならぬのであります。

【増野鼓雪教理2-19、出産の理】
 「出産の理」と題して次のように述べている。
 世界では子供の事を神様よりの授かりものという通り、如何に人間が欲しいと思うても、子の産まれない人もあれば、有り過ぎて困る程生まれる人もあります。かように子供が人間の力で如何ともする事ができないというのは、即ち神様の御守護を頂かねばならぬ事を示して居るものであります。

 子が母の胎内に宿って、生れ出る十ヶ月の胎内生活も、又神の守護によらねばならぬので、これ又母の力を以て如何ともする事ができないのであります。それら十ヶ月後に子が生まれ時にも、自分の力で生む事ができないのであります。それ故お道では産というものに対しては、特に帯屋ゆるしというのがあって、教祖はこの「帯屋許しと疱瘡守り万づ道開け」と仰せになったのであります。それで本教が始めて教祖によって伝へられた当時は、世間の人から産(おびや)の神様といわれて居たのであります。それは主として産についての守護が多かったからであります。現に御教祖が道を説かれた初年に道につかれた方は、多くこの産からであります。

 そこでこの産というのは、何故産というのであるかと申しますると、これはお道では帯屋三神の理というのであります。即ち子が生まれる時に、胎内の肉縁を切って下る神様と、子を引き出して下さる神様と、跡をつないで下さる神様と、この三神の御守護によって、始めて産ができるから三というのであります。世界では難産というのは、この三神が揃われないから、肉縁を切って貰っても、引き出しの神様の守護がなかったら子が生まれぬのであります。こういう場合に難産というのであります。又あとのつなぎが悪かったら、それから産後の病気を引き起すに至るのであります。又引き出して下さる神様が、御入り込みになると陣痛が起こって来るのであります。これは普通しきりというのでありますが、このしきりが来たら、俗に青竹を割る程の力が出るという事であります。

 この理を御教理の上に、「しきり根性しきり力しきり知恵」と仰せになって居ります。即ち如何なる事をするにも、しきりをせなければできないので、しきればそれから力も出てくれば、知恵も生まれて来るのであります。それから考へますると、御道の事はこのしきり一つが肝腎であります。兎に角子が宿るのも、生れ出るもの、こうした神様の御守護によって行はれるのでありまして、更に進んでいへば、死ぬる時も又神様の御守護によらねばならんのでありますから、子のない物は神様に頼んで、子を授けて貰う様にしなければなりません。それ故「一子の願いや、一つのこうを見にゃならぬ」と仰せになって居るのであります。




(私論.私見)