別章【高弟によるお道証言考】

 (最新見直し2012.09.01日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 「天理教教祖中山みきの口伝等紹介」が大変な労作をものしている。これを借用させていただく。膨大なので一つずつ咀嚼していくことにする。編者はリ・ラックマン氏のようである。本サイトの場を借りて御礼申し上げる。

 2012.9.1日 れんだいこ拝



 目録
高弟によるお道証言その1、私は百姓をしていました
別章【山田伊八郎文書





(私論.私見)

古老話・口伝等を読むにあたり、我々の心構えとして

※「御存命の頃」(高野友治著・道友社刊)の序文・二代真柱(中山正善)さんのお言葉より紹介

 教祖様御誕生以来、既に百四十年ばかりたっている今日(註‥昭和10年11月)、今年百歳の古老ですら教祖様の四十歳前後に生まれたに過ぎない。八、九十歳の古老であれば、漸くかすかなる己が幼少に映じた明治前後の様を語り得るものである。それ以前の事は論なく古老の父母により語られしものを、一次的中継するものである。又、古老なるものはその長い年月の間に於て後世捏造されたと思うことですら、聞くこと度重なれば、己が経験した見聞であるかの如く思い誤ることがないとはいえない。かかる実例は自分も度々経験した事で、数年前は否定した業績を数年後には己が経験した事実かの如く、同一人より話された事である。而してその矛盾を指摘するとも「そうかいな」と軽く答えて、とりつく島なき思いをした経験をもっている。古老の話とは得てして左様な危険を多分に含んでいるものである。いわんや、年代に於て一、二年前後している位の事は頻出するものと考えざるを得ない。されば高野君の蒐集に於ても、ほんとの見聞談と、古老の父母より聞いた話と、而してその後捏造された流説とが混同されている事であろうから、その話が直ちに歴史的事実と断ずる事は出来なかろうし、又、並列されている古老の話にも相違している所もあろうと思う。併し乍ら昭和年代の古老が話した昔物語りを高野君があつめたのだとの点は、確かであって、この意味に於て後世同志への標準を示したものといえる。(後略)

逸話篇の意義

※「稿本天理教教祖伝逸話篇」(天理教教会本部編)、前の真柱(中山善衛)さんの序文より紹介させて頂きます。

~稿本教祖伝が、理を明らかにするという点に重点が置かれているのに対して、この逸話篇は、”ひながた”の親たる教祖の、親心溢れる一列人間の”をや”としてのお姿を、ありありと目の前に拝することの出来る御逸話を、集めさせて頂いています。
この逸話篇に出て来るお話は、教祖から聞いた話を、当人が書きのこして置いたのを、その子孫の者が出して来たり、あるいは又、書きのこしてはいないけれども、私はこういうお話を聞いたと、子や孫に語り伝えた話もあるわけです。時代が経っておりますので、直接に聞いた人からまた聞いて、書いて出したというものもあります。そういう意味では、その受け方なり見方によっては、気になるような思いのすることも、これは当然あるだろうと思います。
”おふでさき”や”みかぐらうた”と違った、そういう意味での重みに、多少の加減したものは考えられるかも知れません。
しかしながら、この御逸話は、いずれも、教祖から直接お仕込み頂いた人々が、自分の信仰の糧として肝に銘じ、あるいは書き伝え、あるいは語り伝えたものですから、教祖のお心持ちを、直かに生き生きと伝えているものと申してよいでしょう。
これを通して、身近に教祖を拝し、教祖の教え子としての日々の勤め、即ち、”たすけ一条”の使命の達成を、ますます活発に進めさせて頂きたいと念じて、教祖九十年祭の旬に出すことにしたわけです。
     昭和五十一年一月二十六日 中山善衛