| 年代/講 |
| 1867(慶応3)年頃 |
| 矢部村講中(「御神前名記帳」に記されている) |
| 七条村講中(「御神前名記帳」に記されている) |
| 1875(明治8)年頃 |
天元講(誰が講元ということもなく毎月、日を定めて赤衣を持ち廻って講勤めを始めたという」(稿本
天理教教祖伝逸話篇p43より) |
| 神楽講(河内) |
| 真心講(大阪) |
| 1876(明治10年)頃 |
| 真栄講(大縣) |
| 神徳講(古市) |
| 真栄講(大縣) |
| 神徳講(古市) |
| 天水組(網島) |
| 恵心組(大江) |
| 平真講 |
| 真誠講 |
| 一心講 |
| 永続講 |
| 敬真講 |
| 天徳講 |
| 天心講 |
| 天恵組 |
| 1878(明治11)年頃 |
| 眞明講(講元・中山秀司、芦津) |
| 明心組()⇒船場(せんば) |
| 天地組(北) |
| 1880(明治13)年頃 |
| 伊豆七条村講中→誠心講(治道)。 |
| 積善講(平安) |
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| 永神講(梅谷) |
| 天明講(八木) |
| 日の本講(旭日) |
| 天龍講(郡山) |
| 治心講(中和) |
| 大和講(櫻井) |
| 明元講(田原) |
| 1882(明治15)年頃 |
| 天恵組四番(講元・泉田藤吉) |
天恵組四番の部内に大阪天恵組(講元・大江)、(№70)中津(なかつ)()、(№32)御津(みつ)(初代・小松
駒吉)、豊成(初代・今村千賀子)、網島(初代・寺田半兵衛)、上町(初代・近藤政慶)、(№124)宇佐(初代・
宇都宮右源太)。 |
| 天地組四番の部内に播磨以西各国天地組⇒(№14)北(きた)(初代・茨木基敬) |
| 摂津播磨真明組(講元・端田久吉)⇒摂津播磨 |
| 麹町の部内に(№84)錦江(にしきえ)()、(№86)大森町(おおもりまち)()。 |
| 錦江の部内に錦徳。 |
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| 1884(明治17)年頃 |
| 深谷源次郎が明誠社より脱会⇒斯道会近江国(講元・深谷源次郎) |
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| 1887(明治20)年頃 |
大阪天地組の布教師、中川徳蔵が北海道布教に出かける前に郷里である名張に寄り布教。名張分教会の
始まりである。関係教会24のうち2カ所を除いて全て三重県にある。 |
| 講を基として教会へと発展する。教会は以下の例である。 |
| 1888(明治21)年頃 |
| (大教会№1)郡山(こうりやま)(初代会長・平野楢蔵)⇦郡山天龍講(講元・平野楢蔵) |
郡山の部内に(№20)中和(ちゅうわ)()、(№30)島ヶ原(しまがはら)()、(№72)熊本()、(№77)中央()
、(№79)北陸()、(№104)東肥(とうひ)()、(№108)山陰()、(№138)生駒(いこま)()、(№139)中背
(なかしろ)()、(№147)山陽()。 |
| 東肥の部内にノウスアメリカ。 |
|
| (№2)兵神(へいしん)(神戸兵庫、初代・清水与之助)⇦神戸兵庫真明講(講元・清水与之助) |
兵神の部内に(№27)飾東(しきとう)()、(№42)社(やしろ)()、(№115)神崎()、(№146)夕張()、(№1
55)加古()。 |
| 飾東の部内に(№143)網干(あぼし)()。 |
| 社の部内に(№144)宇仁(うに)()。 |
|
| (№3)山名(やまな)(遠江、初代・諸井国三郎)⇦遠江真明組(講元・諸井国三郎)。 |
| 12.5日、天理教教会本部の最初の直轄教会として設立を許された。 |
| 山名の部内に(№19)名京(めいきょう)()、(№92)磐城平(いわきだいら)()、(№128)城山(きやま)()。 |
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| 1889(明治22)年頃
|
| (№4)船場(せんば)(大阪、初代・梅谷四郎兵衛⇦大阪明心組(講元・梅谷四郎兵衛) |
| (№5)河原町(かわらまち)(初代・深谷源次郎) ⇦斯道会近江国(講元・深谷源次郎) |
斯道会の部内に(№15)湖東()、(№16)甲賀()、(№17)水口(みなぐち)()、(№23)越乃國(こしのくに)
()、(№40)西陣()、(№59)大原()、(№120)山國(やまぐに)()、(№136)大垣()、(№158)亀岡()、(崇
文)。 |
| 筑紫の部内に(№54)朝倉()、(№93)西海(さいかい)()、(№97)名古屋()、(№123)北洋()。 |
| 西海の部内に(№137)鎮西(ちんぜい)()。 |
日光の部内に(№62)都賀(つが)()、(№73)那美岐(なみき)()、(№95)中根()、(№52)蒲生(がもう)()
、(№53)日野()、(№69)秩父(ちちぶ)()、(№71)岐美(ぎみ)()、(№74)中野。 |
| 中野の部内に(№80)東濃(とうのう)()。 |
| 嶽東の部内に(№55)佐野原()、(№142)沼津()、(№151)網走(あばしり)()。 |
| 佐野原の部内に(№75)秦野(はたの)()、(№132)小南部(こなんぶ)()。 |
| 越乃國の部内に(№36)本島()、(№109)鹿島()、(№121)京城(けいじょう)()。 |
| 京城の部内に(№127)東中央()。 |
|
| (№6)撫養(むや)(初代・土佐卯之助)⇦阿波国信心組(講元・土佐卯之助) |
撫養の部内に(№24)名東(めいとう)()、(№65)南阿(なんあ)()、(№66)香川(かがわ)()、(№87)防府
(ほうふ)()。 |
| 名東の部内に(№64)周東(しゅうとう)()、(№149)国名(くにな)()。 |
| 南阿の部内に(№90)阿羽(あわ)()。 |
| 香川の部内に(№140)高松()。 |
|
| (№7)東(あづま)(初代・上原佐助)⇦東京真明組(講元・上原佐助) |
東の部内に(№9)日本橋(初代・)、(№37)牛込(うしごめ)()、(№38)深川(ふかがわ)()、(№39)浅草()
。 |
| 日本橋の部内に(№51)坂東(ばんどう)()。 |
| 浅草の部内に(№76)立野堀(たてのほり)()。 |
|
| (№8)敷島(しきしま)(初代・上村吉三郎)⇦ 心勇講(講元・上村吉三郎) |
敷島の部内に(№46)明和()、(№47)明城(めいじょう)()、(№81)岡(おか)()、(№112)東海()、(№13
5)紀陽(きよう)()、(№152)松坂()、(№156)秋津()。 |
| 岡の部内に(№122)東神田()。 |
|
| (№9)日本橋(初代・)⇦ 東(あづま) |
|
| (№10)高安(たかやす)(初代・松村吉太郎)⇦河内国講社(講元・松村吉太郎) |
高安の部内に(№28)東本(とうほん)()、(№41)大縣(おおがた)()、(№83)洲本(すもと)()、(№105)
都(みやこ)()、(№106)西成(にしなり)()、(№107)南()、(№113)大鳥(おおとり)()、(№114)古市()。 |
| 東本の部内に(№117)本保(ほんぽ)()、(№118)本愛()、(№119)本芝()。 |
| 本芝の部内に(№148)本荏(ほんえ)()、(№154)本理世(ほんりよ)()。 |
|
山田作治郎らが和歌山県新宮町に南海支教会を設置した。その後、南海大教会となり、和歌山県内に109
カ所、中紀関係に55カ所の教会を持つ。
| (№11)南海(なんかい)(初代・山田作治郎)⇦正明講 |
| 南海の部内に(№35)東愛(とうあい)()、(№67)中紀(ちゅうき)()、(№133)雨龍(うりゅう)()。 |
| 東愛の部内に(№134)愛静(あいせい)()。 |
|
| (№12)芦津(あしつ)(大阪、初代・井筒梅治郎)⇦大阪真明組(講元・井筒梅治郎) |
| 芦津の部内に(№44)笠岡(かさおか)()、(№45)西宮()、(№50)池田()。 |
| 笠岡の部内に(№150)玉島()。 |
| 池田の部内に(№145)双名島(ふたなじま)()。 |
|
| (№13)高知(こうち)()⇦ |
(№56)高岡()、(№63)川之江(かわのえ)、(№85)繁藤(しげとう)()、(№88)愛豫(あいよ)()、(№91)
伊野()、(№153)越知(おち)()。 |
|
| 1890(明治23)年頃 |
| 斯道会第2号(講元・西野清兵衛)⇒宇治田原(初代会長・西野清兵衛) |
| (№14)北(きた)(初代・茨木基敬)⇦天地組四番の部内に播磨以西各国天地組 |
北の部内に(№25)麹町(こうじまち)()、(№34)生野(いくの)()、(№60)豊岡()、(№103)府内()、(№1
25)岡山()、(尾道)、(淀)、(青野原)、(栗田)、(細川)、(鐸姫)、(名張)、(玉江)、(藝備)、(八阪)。 |
|
| (№15)湖東(ことう)(初代・)⇦斯道会 |
| 湖東の部内に(№22)筑紫(ちくし)()。 |
| (№16)甲賀(初代・)⇦斯道会 |
| 甲賀の部内に(大教会№26)日光(にっこう)()。 |
| (№17)水口(みなぐち)(初代・)⇦斯道会 |
| 水口の部内に(№29)嶽東(がくとう)()。 |
| (№18)中河(ちゅうか)(初代・山本利三郎)⇦柏原集談所(講元・山本利三郎) |
| 中河の部内に(№43)神川(かみかわ)()、(№110)此花(このはな)()。 |
|
| (№19)名京(めいきょう)()⇦山名(やまな) |
名京の部内に(№57)愛知(あいち)、(№101)益津(ましづ)()、(№102)小牧()、(№111)仙䑓(せんだ
い)()、(№116)甲府()、(№129)静岡()、(№130)白羽(しろは)()、(№131)伊那()。 |
| 愛知の部内に(№157)幅下(はばした)()。 |
|
| (№20)中和(ちゅうわ)⇦郡山 |
| 中和の部内に(№68)津(つ)()、(№89)津軽()。 |
| (№21)櫻井(さくらい)()⇦ |
|
| 22 |
筑紫大教会 |
チクシ |
| 23 |
越乃國大教会 |
コシノクニ |
| 24 |
名東大教会 |
ミョウドウ |
| 25 |
麴町大教会 |
コウジマチ |
| 26 |
日光大教会 |
ニッコウ |
| 27 |
飾東大教会 |
シキトウ |
| 28 |
東本大教会 |
トウホン |
| 29 |
嶽東大教会 |
ガクトウ |
|
| (№30)島ヶ原(しまがはら)()⇦郡山 |
1886(明治19)年頃、天龍講(後の郡山大教会)の萬田平治郎が三重県の伊賀上野町に布教し講が結ば
れた。これが島ケ原大教会の始まりとなる。伊賀地方を中心に三重県内に17カ所、関東、東北にも伝道線を
伸ばしている。部内に高宮。島ケ原の関係教会は伊賀地方を中心に三重県内に17 カ所あり、関東、東北にも
伝道線を伸ばしている。 |
| (№31)堺(さかい)(初代会長・平野辰次郎)⇦朝日組(講元・平野辰次郎) |
| (№32)御津(みつ)(初代・小松駒吉)⇦天恵組四番(講元・泉田藤吉) |
| (№33)城法(しきのり)(前川喜三郎)⇦心実講 |
| 城法の部内に(№100)上之郷(かみのごう)()。 |
|
| 34 |
生野大教会 |
イクノ |
| 35 |
東愛大教会 |
トウアイ |
| 36 |
本島大教会 |
ホンジマ |
| 37 |
牛込大教会 |
ウシゴメ |
| 38 |
深川大教会 |
フカガワ |
| 39 |
淺草大教会 |
アサクサ |
| 40 |
西陣大教会 |
ニシジン |
| 41 |
大縣大教会 |
オオガタ |
| 42 |
社大教会 |
ヤシロ |
| 43 |
神川大教会 |
カミカワ |
| 44 |
笠岡大教会 |
カサオカ |
| 45 |
西宮大教会 |
ニシノミヤ |
| 46 |
明和大教会 |
メイワ |
| 47 |
明城大教会 |
メイジョウ |
| 48 |
大江大教会 |
オオエ |
| 49 |
旭日大教会 |
アサヒ |
| 50 |
池田大教会 |
イケダ |
| 51 |
阪東大教会 |
バンドウ |
| 52 |
蒲生大教会 |
ガモウ |
| 53 |
日野大教会 |
ヒノ |
| 54 |
朝倉大教会 |
アサクラ |
| 55 |
佐野原大教会 |
サノハラ |
| 56 |
髙岡大教会 |
タカオカ |
| 57 |
愛知大教会 |
アイチ |
| 58 |
梅谷大教会 |
ウメタニ |
| 59 |
平安大教会 |
ヘイアン |
| 60 |
豊岡大教会 |
トヨオカ |
|
| (№61)治道(はるみち)(初代会長・喜多治郎吉)⇦誠心講(講元・喜多治郎吉) |
| 治道の部内に(№96)肥長(ひなが)()。 |
|
| 1891(明治24)年頃 |
|
| 1892(明治25)年頃 |
天龍講系の人たちが津支教会を設立した。その後、津大教会となり、三重県内に37カ所の教会を有してい
る。 |
下村謙三郎が、斯道会講元深谷源次郎に匂い掛けされ入信。熊野地方の中心地である本木にて南紀支教
会を設立した。その後、南紀大教会となり、紀伊と志摩を中心に三重県内に51カ所の教会を持つ。 |
前田友千代、藤楠兄弟らが岩出市に紀陽支教会を設立した。その後、紀陽大教会となり、紀ノ川、貴志川流
域に55カ所の教会を持つ。 |
紀陽の発端を作った常極らが名草支教会を設置した。その後、名草分教会となり、41カ所の関係教会を持
つ。そのうち30カ所が和歌山県にある。 |
| 1893(明治26)年頃 |
心勇組に加わり城島(現敷島)分教会に所属していた奈良県笠間村の加見兵四郎が、度会郡滝原村に東海
支教会を設立した。その後、東海大教会となり、三重県内のほとんど中勢、南勢に46カ所の教会を持つ。 |
松阪近辺の敷島系信者を一つにまとめ松阪支教会を設立した。その後、松阪大教会となり、中勢、南勢を中
心に三重県内に42カ所の教会を有している。 |
| (南海)雨竜43 |
| (敷島)北海13 |
| 1894(明治27)年頃 |
石原政治を会長に岐美支教会が設立された。その後、岐美大教会となり、岐阜県岐美は県内に100カ所近
くの教会を持つ。 |
| 熊本支教会を設置。長崎、佐賀、福岡方面への伝道が盛んとなつた。 |
| 東肥支教会設立。その後、東肥大教会。 |
| その後 |
| 49 |
旭日大教会 |
アサヒ |
| 58 |
梅谷大教会 |
ウメタニ |
| 59 |
平安大教会 |
ヘイアン |
| 78 |
南紀大教会 |
ナンキ |
| 82 |
八木大教会 |
ヤギ |
| 94 |
新潟大教会 |
ニイガタ |
| 98 |
奈良大教会 |
ナラ |
| 99 |
西大教会 |
ニシ |
| 126 |
泉大教会 |
イズミ |
| 141 |
五條大教会 |
ゴジョウ |
|
|
| 1895(明治28)年頃 |
| (府内)石狩1 |
| 1896(明治29)年頃 |
| 1897(明治30)年頃 |
| (兵神)夕張42、(郡山)北開21 |
| 1898(明治31)年頃 |
酒井国三郎、川辺村長の勝村伴次郎らが川辺ほかで結ばれた講を統合し、東濃出張所を設立した。現在、
東濃大教会となり、岐阜県内に31カ所の協会を持つ。 |
| 1899(明治32)年頃 |
奈良県治道村出身の橋本梅太郎が中心となり肥長出張所設立した。その後、昭和16年に肥長大教会にな
っている。 |
| (南海)竜昇5、(南海)新十津川6、(洲本)胆振26、(梅谷)花畔4、(兵神)幌向11 |
| 1900(明治33)年頃 |
旧大河内村角打98番地に上富士川布教所を設立。中山太十郎が初代布教所長。1919(大正8)年、旧睦
合村南部の鈴木熊市郎宅に上富士川布教所を移転。同14年5月2日、旧大河内村角打地内に、中山太十郎
が再びその初代所長となって天理教身延宣教所を設けた。(「天理教身延分教会史」) |
(深川)湧光0、(小牧)茅部9、(秦野)上磯1、(敷島)北富士2、(河原町)永山7、(河原町)月浦9、(秦野)上川
42、(敷島)森0、 (芦津)芦勝0 |
| (南海)旭川7、(洲本)本日高1 |
| (南阿)利別0 |
| (南海)北旭1、(秦野)小幌港 |
| (河原町)十勝6、(高知)余市0、(秩父)北八雲2、(那美岐)羽幌37、 (那美岐)北天塩7、(秦野)帯広16 |
| (秦野)北都6、(秦野)北中川2 |
| (洲本)統北10 |
(中紀)北陽2、(神川)北養4、(洲本)室蘭6、(山名)北港2、(芦津)当別7、(秩父)西幣舞7、(敷島)北明14、
(蒲生)紋?14、(蒲生)倶知安4、(秦野)古平3、(秦野)名寄6、(秦野)厚岸0、
(湖東)自豊2、(兵神)空知11、(湖東)嶋国0、(秩父)瀬棚11、(愛知)虻田7、(山国)茂尻矢2、
(敷島)北道8、(豊岡)札幌5、 (豊岡)北石1、(芦津)北勝2、(桜井)士別0、(深川)湧光1、
(阿羽)道北9、(阿羽)富良野1、(阿羽)東旭川10 |
(津軽)北星5、(豊岡)小樽5、(南海)河西2、(名東)袖楽0、(河原町)三笠山7、(岐美)芽室1、
(東海)江別1、(郡山)北央4、 (那美岐)留萌1、(那美岐)苫前2、(那美岐)男能富15、
(那美岐)遠別0、(本島)横太0 |
(阿羽)東養4、(阿羽)郁春1、(兵神)祝梅3、(南阿)長万部2、(小牧)北湧4、(岳東)網走19、
(北陸)高台9、(秩父)舞訓0、(南海)天塩0、(南海)北安0、(兵神)栗山8、(南海)筑志0、
(南海)養竜0、(社)狩太0、(南海)豊平1、(南海)十富1、(南海)十徳0、(仙台)手稲0、
(兵神)北神4、(敷島)琴似1、(秩父)白糖0、(丘神)上富良野2、(豊岡)安平0 |
(社)剣渕2、(南阿)美深0、(秦野)北萌0、(河原町)愛別1、(洲本)厚真0、(甲府)砂川4、
(河原町)神威0、(平安)岩内1、 (兵神)長沼3、(愛知)石上2、(日光)幾春別1、(北洋)藻岩0 |
| 1930(****)年頃 |
依田勢つが、富士身延講社を結成。翌6年9月、講社を布教所に改め、夫富重の名儀に変更。昭和22.7
月、富士身延分教会設立。部属に公認布教所1、集談所3。(「天理教富士身延分教会史」) |
|