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新室を踏み鎮む子し手玉鳴らすも玉の如照りたる君を内へと白せ 〔巻十一・二三五二〕 柿本人麿歌集
旋頭歌で、人麿歌集所出である。一首の意は、新しく家を造るために、その地堅め地鎮の祭を行うので、大勢の少女等が運動に連れて手飾の玉を鳴らして居るのが聞こえる。あの玉のように立派な男の方をば、この新しい家の中へおはいりになるように御案内申せ、というのである。この歌は大勢の若い女の心持が全体を領しているのであるが、そこに一人の美しい男を点出して、その男を中心として大勢の女の体も心も運動循環する趣である。一首の形式は、旋頭歌だから、「手玉鳴らすも」で休止となる。短歌なら第三句で序詞になるところであろうが、旋頭歌では第四句から新に起す特色がある。民謡風な労働につれてうたう労働歌というようなもので、重々しい調べのうちに甘い潤いもあり珍しいものだが、明かに人麿作と記されている歌に旋頭歌は一つもないのに、人麿歌集には纏まって旋頭歌が載って居り、相当におもしろいものばかりであるのを見れば、或は人麿自身が何かの機縁にこういう旋頭歌を作り試みたものであったのかも知れない。
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長谷の五百槻が下に吾が隠せる妻茜さし照れる月夜に人見てむかも 〔巻十一・二三五三〕 柿本人麿歌集
旋頭歌。人麿歌集出。長谷は今の磯城郡初瀬町を中心とする地、泊瀬。五百槻は五百槻のことで、沢山の枝ある槻のことである。そこで、一首の意は、長谷(泊瀬)の、槻の木の茂った下に隠して置いた妻。月の光のあかるい晩に誰かほかの男に見つかったかも知れんというので、上と下と意味が関聯している。併し旋頭歌だから、下から読んでも意味が通じるのである。この歌も民謡的だが、素朴でいかにも当時の風俗が分かっておもしろい。旋頭歌の調子は短歌の調子と違ってもっと大きく流動的にすることが出来る。内容もまた複雑にすることが出来るが、それをするといけない事を意識して、却って単純にするために繰返しを用いている。
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愛しと吾が念ふ妹は早も死ねやも生けりとも吾に依るべしと人の言はなくに 〔巻十一・二三五五〕 柿本人麿歌集
旋頭歌。人麿歌集出。一首の意。可哀くおもう自分のあの女は、いっそのこと死んでしまわないか、死ぬ方がいい。縦い生きていようとも、自分に靡き寄る見込が無いから、というので、これも旋頭歌だからどちらから読んでもいい。強く愛している女を独占しようとする気持の歌で、今読んでも相当におもしろいものである。「うつくし」は愛することで、「妻子みればめぐしうつくし」(巻五・八〇〇)の例がある。「死ねやも」は、「雷神の少し動みてさしくもり雨も降れやも」(巻十一・二五一三)と同じである。併しこの訓には異説もある。この愛するあまり、「死んでしまえ」と思う感情の歌は後世のものにもあれば、俗謡にもいろいろな言い方になってひろがって居る。
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朝戸出の君が足結を潤らす露原早く起き出でつつ吾も裳裾潤らさな 〔巻十一・二三五七〕 柿本人麿歌集
同前。朝早くお帰りになるあなたの足結を潤らす露原よ。私も早く起きてその露原で御一しょに裳の裾を潤らしましょう、というのである。別を惜しむ気持でもあり、愛着する気持でもあって、女の心の濃やかにまつわるいいところが出て居る。「吾妹子が赤裳の裾の染め湿ぢむ今日の小雨に吾さへ沾れな」(巻七・一〇九〇)は男の歌だが同じような内容である。
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垂乳根の母が手放れ斯くばかり術なき事はいまだ為なくに 〔巻十一・二三六八〕 柿本人麿歌集
人麿歌集出。正述心緒という歌群の中の一つである。一首の意は、物ごころがつき、年ごろになって、母の哺育の手から放れて以来、こんなに切ないことをしたことはない、というので、恋の遣瀬無いことを歌ったものである。これは、男の歌か女の歌か字面だけでは分からぬが、女の歌とする方が感に乗ってくるようである。術なき事というのは、どうしていいか為方の分からぬ気持で、「術なきものは」、「術の知らなく」、「術なきまでに」等の例があり、共に心のせっぱつまった場合を云っている。下の句の切実なのは読んでいるうち分かるが、上の句にもやはりその特色があるので、此上の句のためにも一首が切実になったのである。憶良が熊凝を悲しんだものに、「たらちしや母が手離れ」(巻五・八八六)といったのは、此歌を学んだものであろう。なお、「黒髪に白髪まじり老ゆるまで斯る恋にはいまだ逢はなくに」(巻四・五六三)という類想の歌もある。第二句、「母之手放」は、ハハノテソキテ、ハハガテカレテ等の訓もあるが、今契沖訓に従った。
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人の寐る味宿は寐ずて愛しきやし君が目すらを欲りて歎くも 〔巻十一・二三六九〕 柿本人麿歌集
同上、人暦歌集出。一首の意は、このごろはいろいろと思い乱れて、世の人のするように安眠が出来ず、恋しいあなたの眼をばなお見たいと思って歎いて居ります、というので、これも女の歌の趣である。「目すら」は「目でもなお」の意で、目を強めている。今の口語になれば、「目でさえも」ぐらいに訳してもいい。「言問はぬ木すら妹と背ありとふをただ独り子にあるが苦しさ」(巻六・一〇〇七)がある。一首は、取りたててそう優れているという程ではないが、感情がとおって居り、「目すらを」と云って、「目」に集注したいい方に注意したのであった。こういういい方は、憶良の、「たらちしの母が目見ずて」(巻五・八八七)はじめ、他にも例があり、なお、「人の寝る味眠は寝ずて」(巻十三・三二七四)等の用例を参考とすることが出来る。
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朝影に吾が身はなりぬ玉耀るほのかに見えて去にし子故に 〔巻十一・二三九四〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。「朝影」というのは、朝はやく、日出後間もない日の光にうつる影が、細長くて恰も恋に痩せた者のようだから、そのまま取って、「朝影になる」という云い方をしたのである。その頃の者は朝早く女の許から帰るので、こういう実際を幾たびも経験してこういう語を造るようになったのは興味ふかいことである。「玉かぎる」は玉の光のほのかな状態によって、「ほのか」にかかる枕詞とした。一首は、これまでまだ沁々と逢ったこともない女に偶然逢って、その後逢わない女に対する恋の切ないことを歌ったものである。「玉かぎるほのかにだにも見えぬおもへば」(巻二・二一〇)、「玉かぎるほのかに見えて別れなば」(巻八・一五二六)等の例がある。この歌は男の心持になって歌っている。
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行けど行けど逢はぬ妹ゆゑひさかたの天の露霜に濡れにけるかも 〔巻十一・二三九五〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。行きつつ幾ら行っても逢う当のない恋しい女のために、こうして天の露霜に濡れた、というのである。苦しい調子でぽつりぽつりと切れるのでなく、連続調子でのびのびと云いあらわしている。それは謂ゆる人麿調ともいい得るが、それよりも寧ろ、この歌は民謡的の歌だからと解釈することも出来るのである。併し、この種類の歌にあっては目立つものだから、その一代表のつもりで選んで置いた。「ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に沾れにけるかも」(巻七・一二四一)などと較べると、やはり此歌の方が旨い。
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朱らひく膚に触れずて寝たれども心を異しく我が念はなくに 〔巻十一・二三九九〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。一首の意は、今夜は美しいお前の膚にも触れずに独寝したが、それでも決して心がわりをするようなことはないのだ、今夜は故障があってついお前の処に行かれず独りで寝てしまったが、私の心に別にかわりがない、というのであろう。「心を異しく」は、心がわりするというほどの意で、集中、「逢はねども異しき心をわが思はなくに」(巻十四・三四八二)、「然れども異しき心をあがおもはなくに」(巻十五・三五八八)等の例がある。女の美しい膚のことをいい、覚官的に身体的に云っているのが、ただの平凡な民謡にしてしまわなかった原因であろう。アカラヒク・ハダに就き、代匠記初稿本に、「それは紅顔のにほひをいひ、今は肌の雪のごとくなるに、すこし紅のにほひあるをいへり」といい、精撰本に、「朱引秦トハ、紅顔ニ応ジテ肌モニホフナリ」と云ったのは、契沖の文も覚官的で旨い。
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恋ひ死なば恋ひも死ねとや我妹子が吾家の門を過ぎて行くらむ 〔巻十一・二四〇一〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。一首の意は、恋死をするなら、勝手にせよというつもりで、あの恋しい女はおれの家の門を素通りして行くのだろう、というのである。こういうのも恋の一心情で、それを自然に誰の心にも這入って行けるように歌うのが民謡の一特徴であるが、鋭敏に心の働いたところがあるので、共鳴する可能性も多いのである。「恋ひ死なば恋も死ねとや玉桙の道ゆく人にことも告げなく」(巻十一・二三七〇)、「恋ひ死なば恋も死ねとや霍公鳥もの念ふ時に来鳴き響むる」(巻十五・三七八〇)等のあるのは、やはり模倣だとおもうが、こう比較してみると、人麿歌集のこの歌の方が旨い。
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恋ふること慰めかねて出で行けば山も川をも知らず来にけり 〔巻十一・二四一四〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。一首の意は、この恋の切ない思を慰めかね、遣りかねて出でて来たから、山をも川をも夢中で来てしまった、というのである。「いで行けば」といったり、「来にけり」と云ったりして、調和しないようだが、そういう巧緻でないようなところがあっても、真率な心があらわれ、自分の心をかえりみるような態度で、「来にけり」と詠歎したのに棄てがたい響がある。第二句、「こころ遣りかね」とも訓んでいる。これは、「おもふどち許己呂也良武等」(巻十七・三九九一)等の例に拠ったものであるが、「恋しげみ奈具左米可禰 」(巻十五・三六二〇)の例もあるから、いずれとも訓み得るのである。今旧訓に従って置いた。それから、「ゆく」も「くる」も、主客の差で、根本の相違でないことがこの例でも分かるし、前出の、「大和には鳴きてか来らむ呼子鳥」(巻一・七〇)の歌を想起し得る。石上卿の、「ここにして家やもいづく白雲の棚引く山を越えて来にけり」(巻三・二八七)の例がある。
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山科の木幡の山を馬はあれど歩ゆ吾が来し汝を念ひかね 〔巻十一・二四二五〕 柿本人麿歌集
寄レ物陳レ思という部類の歌に入れてある。人麿歌集出。「山科の木幡の山」は、山城宇治郡、現在宇治村木幡で、桃山御陵の東方になっている。前の歌に、強田とあったのと同じである。一首の意は、山科の木幡の山道をば徒歩でやって来た。おれは馬を持っているが、お前を思う思いに堪えかねて徒歩で来たのであるぞ、というのである。旧訓ヤマシナノ・コハダノヤマニ。考ヤマシナノ・コハダノヤマヲ。つまり、「木幡の山を歩み吾が来し」となるので、なぜ、「馬はあれど」と云ったかというに、馬の用意をする暇もまどろしくて、取るものも取あえず、というのであろう。本来馬で来れば到着が早いのであるが、それは理論で、まどろしく思う情の方は直接なのである。詩歌では情の直接性を先にするわけになるから、こういう表現となったものである。女にむかっていう語として、親しみがあっていい。
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大船の香取の海に碇おろし如何なる人か物念はざらむ 〔巻十一・二四三六〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。「大船の香取の海に碇おろし」までは、「いかり」から「いかなる」に続けた序詞であるから、一首の内容は、「いかなる人か物念はざらむ」、即ち、おれはこんなに恋に苦しんで居るが、世の中のどんな人でも恋に苦しまないものはあるまい、というだけの歌である。序詞は意味よりも声調にあるので、何か重々しいような声調で心持を暗指するぐらいに解釈すればいい。「香取の海」は、近江にも下総にもあるが、「高島の香取の浦ゆ榜ぎでくる舟」(巻七・一一七二)とある近江湖中の香取の浦としていいだろう。なおこの巻(二七三八)に、「大船のたゆたふ海に碇おろし如何にせばかも吾が恋ひ止まむ」とあるのと類似して居り、この二七三八の方は異伝であろう。
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ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨零りしきしくしく思ほゆ 〔巻十一・二四五六〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。この歌の内容は、ただ、「しくしく思ほゆ」だけで、そのうえは序詞である。ただ黒髪山の山菅に小雨の降るありさまと相通ずる、そういううら悲しいような切なおもいを以て序詞としたものであろう。山菅は山に生えるスゲのたぐい、或はヤブラン、リュウノヒゲ一類、どちらでも解釈が出来、古人はそういうものを一つ草とおもっていたものと見えるから、今の本草学の分類などで律しようとすると解釈が出来なくなって来るのである。この歌も取りわけ秀歌という程のものでないが、ただ結句だけで内容とする歌も珍しいので選んで置いた。
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我背子に吾が恋ひ居れば吾が屋戸の草さへ思ひうらがれにけり 〔巻十一・二四六五〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。一首の意は、私の夫を待遠しく恋しがって居ると、家の庭の草さえも思い悩んで枯れてしまいました、というので女の歌である。「吾が恋ひ居れば吾が屋戸の」という具合に、「わが」を繰返しているのは、意識的らしく、少しく軽く聞こえるが、「草さへ思ひうらがれにけり」という息の長い、伸々した調によって落着を得ているのは注意すべきである。特にこの下の句は伸びているうちに、悲哀の感動を含めたものだから、上の句の稍小きざみになったのは自然の調べなのか、よく分らないが、「我が」を三つも繰返したのは感心しない。そこに行くと、「君待つと吾が恋ひ居ればわが屋戸の簾うごかし秋の風吹く」(巻四・四八八)の方が旨い。似ているが初句の「君待つと」で緊っている。結句は、近時橋本氏によって、ウラブレニケリの訓が唱えられた。
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山萵苣の白露おもみうらぶるる心を深み吾が恋ひ止まず 〔巻十一・二四六九〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。山萵苣は食用にする萵苣で、山に生えるのを山萵苣といったものであろう。エゴの木だという説もあるが、白露おくという草に寄せた歌だから、大体食用の萵苣と解釈していいようである。露のために花のしなっているように心の萎える心持で序詞とした。この歌も取りたてていう程のものでないが、「心を深みわが恋ひ止まず」の句が棄てがたいから選んで置いたし、萵苣は食用菜で、日常生活によって見ているものを持って来たのがおもしろいと思ったのである。
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垂乳根の母が養ふ蚕の繭隠りこもれる妹を見むよしもがも 〔巻十一・二四九五〕 柿本人麿歌集
同上、人麿歌集出。第三句迄は序詞で、母の飼っている蚕が繭の中に隠るように、家に隠って外に出ない恋しい娘を見たいものだ、というので、この繭のことを云うのも日常生活の経験を持って来ている。蚕に寄する恋といっても、題詠ではなく、斯ういう歌が先ず出来てそれから寄レ物恋と分類したものである。この歌は序詞のおもしろみというよりも、全体が実生活を離れず、特に都会生活でない農民生活を示すところがおもしろいのである。巻十二(二九九一)に、「垂乳根の母が養ふ蚕の繭隠りいぶせくもあるか妹にあはずて」というのがあり、巻十三(三二五八)の長歌に、「たらちねの母が養ふ蚕の、繭隠り気衝きわたり」というのがあるが、やはり此歌の方が旨い。「いぶせく」では続きが突如としても居り、不自然で妙味がないようである。
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垂乳根の母に障らばいたづらに汝も吾も事成るべしや 〔巻十一・二五一七〕 作者不詳
正述二心緒一。作者不明。一首の意は、母に遠慮して気兼してぐずぐずしているなら、お前も私もこの恋を遂げることが出来んではないかというので、男が女を促す趣の歌である。男が気を急いで女に向って斯くまで強いことをいうのも或場合の自然であり、娘の方で母のことをいろいろ気を揉むことも背景にあって、なかなかおもしろい歌である。やはりこの巻(二五五七)に、「垂乳根の母に申さば君も我も逢ふとはなしに年ぞ経ぬべき」というのもあるが、これも母に話して承諾を得る趣で、これも娘心であるが、「母に障らば」という方が直截でいい。
この「障らば」をば、母の機嫌を害うならばと解する説がある。これは「障」の用例に本づく説であるが、「障りあらめやも」、「障り多み」、「障ることなく」等だけに拠るとそうなるかも知れないが、「石の上ふるとも雨に関らめや妹に逢はむと云ひてしものを」(巻四・六六四)。「他言はまこと煩くなりぬともそこに障らむ吾ならなくに」(巻十二・二八八六)。「あしひきの山野さはらず」(巻十七・三九七三)等は、巻四の例に「関」の字を当てた如く、「それに拘わることなく、関係することなく」の意があるので、「山野さはらず」の如くに、そのために礙げらるることなくというのは第二に導かれる意味になるのであるから、この歌はやはり、「母に関わることなく、拘泥することなく」と解釈していいと思う。また歌もそう解釈する方がおもしろい。
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苅薦の一重を敷きてさ寐れども君とし寝れば寒けくもなし 〔巻十一・二五二〇〕 作者不詳
作者不明。薦蓆をただ一枚敷いて寝ても、あなたと御一しょですから、ちっともお寒くはありません、「君とし」とあるから大体女の歌として解していいであろう。第四句原文が、「君共宿者」であるから、キミガムタ。キミトモ。等の訓があるが、「伎美止之不在者」(巻十八・四〇七四)などを参考して、平凡にキミトシヌレバと訓むのに従った。これも民謡風に率直に覚官的にいいあらわしている。「蒸被なごやが下に臥せれども妹とし宿ねば肌し寒しも」(巻四・五二四)というのは、同じような気持を反対に云ったものだが、この歌の方が、寧ろ実際的でそこに強みがあるのである。
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振分の髪を短み春草を髪に綰くらむ妹をしぞおもふ 〔巻十一・二五四〇〕 作者不詳
振分髪というのは、髪を肩のあたり迄垂らして切るので、まだ髪を結ぶまでに至らない童女、また童男の髪の風を云う。「綰く」は加行下二段の動詞で、髪を束ねあげることである。一首の意は、あの児は短い振分髪で、まだ髪を結えないので、春草を足して髪に束ねてでもいるだろうか、可哀いいあどけないあの児のことがおもいだされる、というくらいの意とおもう。童女のことを歌っているのが珍しいのであるが、あの時代には随分小さくて男女の関係を結んだこともあったと見做してこの歌を解釈することも出来る。真間の手児名なども、ようやくおとめになったかならぬころではなかっただろうか。いずれにしても珍しい歌である。第三句流布本「青草」であったのを古義で「春草」としたが、古鈔本中(温・京)に「春」とあるし、契沖既に注意している。
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念はぬに到らば妹が歓しみと笑まむ眉引おもほゆるかも 〔巻十一・二五四六〕 作者不詳
作者不明。一首の意。突然に女のところに行ったら、嬉しいと云ってにこにこする様子が想像せられて云いようなく楽しい、というので、昔も今もかわりない人情の機微が出て居る歌である。ただ現代語と違って古語だから、軽薄に聞こえずに濃厚に聞こえるのである。おもいがけず、突然に、というのを「念はぬに」という。「念はぬに時雨の雨は降りたれど」(巻十・二二二七)。「念はぬに妹が笑ひを夢に見て」(巻四・七一八)等の例がある。「歓しみと」の「と」の使いざまは、「歓しみと紐の緒解きて」(巻九・一七五三)とある如く、「と云って」の意である。にこにこと匂うような顔容をば、「笑まむ眉引」というのも、実に旨いので、古語の優れている点である。やはり此巻(二五二六)に、「待つらむに到らば妹が歓しみと笑まむすがたを行きて早見む」というのがあり、大に似ているが、この方は常識的で、従って感味が浅い。なお、巻十二(三一三八)に、「年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹が面影に見ゆ」というのもある。
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斯くばかり恋ひむものぞと念はねば妹が袂を纏かぬ夜もありき 〔巻十一・二五四七〕 作者不詳
作者不明。こんなに恋しいものだとは思わなかったから、妹といっしょに寝ない晩もあったのだが、こうして離れてしまうと堪えがたく恋しい。容易く逢われた頃になぜ毎晩通わなかったのか、と歎く気持の歌である。当時の男女相逢う状態を知ってこの歌を味うとまことに感の深いものがある。ただこのあたりの歌は作者不明で皆民謡的なものだから、そのつもりで味うこともまた必要である。巻十二(二九二四)に、「世のなかに恋繁けむと思はねば君が袂を纏かぬ夜もありき」というのがあり、どちらかが異伝だろうが、巻十一の此歌の方が稍素直である。
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相見ては面隠さるるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも 〔巻十一・二五五四〕 作者不詳
作者不明。お目にかかれば、お恥かしくて顔を隠したくなるのですけれど、それなのに、度々あなたにお目にかかりたいのです、という女の歌である。つつましい女が、身を以て迫るような甘美なところもあり、なかなか以て棄てがたい歌である。「面隠さるる」は面隠をするように自然になるという意。「玉勝間逢はむといふは誰なるか逢へる時さへ面隠する」(巻十二・二九一六)の例がある。「ものからに」は、「ものながらに」、「ものであるのに」の意。「路遠み来じとは知れるものからに然かぞ待つらむ君が目を欲り」(巻四・七六六)の「ものからに」も同様で、おいでにならないとは承知していますのに、それでも私はあなたをお待ちしていますという歌である。白楽天の琵琶行に、猶抱二琵琶一半遮レ面の句がある。
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人も無き古りにし郷にある人を愍くや君が恋に死なする 〔巻十一・二五六〇〕 作者不詳
作者不明であるが、旧都にでもなったところに残り住んでいる女から、京にいる男にでも遣った歌のように受取れる。もう寂しくなって人も余り居らないこの旧都に残って居ります私に、可哀そうにも恋死をさせるおつもりですか、とでもいうのであろう。「めぐし」は、「妻子見ればめぐし愛し」(巻五・八〇〇)、「妻子見ればかなしくめぐし」(巻十八・四一〇六)等の「めぐし」は愛情の切なことをあらわしているが、「今日のみはめぐしもな見そ言も咎むな」(巻九・一七五九)、「こころぐしめぐしもなしに」(巻十七・三九七八)の「めぐし」は、むごくも可哀想にもの意で前と意味が違う、その意味は此処でも使っている。語原的にはこの方が本義で、心ぐし、目ぐしの「ぐし」も皆同じく、「目ぐし」は、目に苦しいまでに附くことから来たものであろうか。結句従来シナセムであったのを、新考でシナスルと訓んだ。
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偽も似つきてぞする何時よりか見ぬ人恋ふに人の死せし 〔巻十一・二五七二〕 作者不詳
一首の意。嘘をおっしゃるのも、いい加減になさいまし、まだ一度もお逢いしたことがないのに、こがれ死するなどとおっしゃる筈はないでしょう。何時の世の中にまだ見ぬ恋に死んだ人が居りますか、というような意味のことを、こういう簡潔な古語でいいあらわしているのは実に驚くべきである。「偽も似つきてぞする」は、偽をいうにも幾らか事実に似ているようにすべきだ、余り出鱈目の偽では困る、というようなことを、斯う簡潔にいうので日本語の好いところが遺憾なく出ているのである。一首全体が、きびきびとした女の語気から成り皮肉のような言葉のうちに男に寄ろうとする親密の心をも含めて、まことに珍しい歌の一つである。結句、古鈔本中、ヒトノシニスルの訓あり、略解でヒトノシニセシと訓んだ。第四句コフルニ(沢潟)の訓がある。
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早行きて何時しか君を相見むと念ひし情今ぞ和ぎぬる 〔巻十一・二五七九〕 作者不詳
いそいで行って、一時もはやくお前に逢いたいとおもっていたのだったが、こうしてお前を見るとやっと心が落着いた、というのだろうが、「君」を男とすると、解釈が少し不自然になるから、やはり此歌は、男が女に向って「君」と呼んだことに解する方が好いだろう。私は、「今ぞ和ぎぬる」という句に非常に感動してこの歌を選んだ。このナギヌルの訓は従来からそうであるが、嘉暦本にはイマゾユキヌルと訓んでいる。「あが念へる情和ぐやと、早く来て見むとおもひて」(巻十五・三六二七)、「相見ては須臾しく恋は和ぎむかとおもへど弥々恋ひまさりけり」(巻四・七五三)、「見る毎に情和ぎむと、繁山の谿べに生ふる、山吹を屋戸に引植ゑて」(巻十九・四一八五)、「天ざかる鄙とも著く許多くもしげき恋かも和ぐる日もなく」(巻十七・四〇一九)等の例に見るごとく、加行上二段に活用する動詞である。
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面形の忘るとならばあぢきなく男じものや恋ひつつ居らむ 〔巻十一・二五八〇〕 作者不詳
あの女の顔貌が忘られてしまうものなら、男子たるおれが、こんなに甲斐ない恋に苦しんで居ることは無いのだが、どうしてもあの顔を忘れることが出来ぬ、というのである。「男じもの」の「じもの」は「何々の如きもの」というので、「鹿じもの」は鹿の如きもの、でつまりは、鹿たるものとなるから、「男じもの」は、男の如きもの、男らしきもの、男子たるもの、男子として、大丈夫たるもの等の言葉に訳することも出来るのである。結句の「居らむ」は形は未来形だが、疑問があり詠歎に落着く語調である。この歌の真率であわれな点が私の心を牽いたので選んで置いた。単に民謡的に安易に歌い去っていない個的なところのある歌である。それから、「面形」云々という用語も注意すべきであるが、これは、「面形の忘れむ時は大野ろに棚引く雲を見つつ偲ばむ」(巻十四・三五二〇)という歌もあり、一しょにして味うことが出来る。
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あぢき無く何の枉言いま更に小童言する老人にして 〔巻十一・二五八二〕 作者不詳
枉言はマガコトと訓んでいたが、略解で狂言としてタハコトと訓んだ。一首は、何という愚な戯痴たことを俺は云ったものか、この老人が年甲斐もなく、今更小供等のような真似をして、というので、それでも、あの女が恋しくて堪えられないという意があるのである。これは女に対って恋情を打明けたのちに、老体を顧みた趣の歌だが、初句に、「あぢきなく」とあるから、遂げられない恋の苦痛が一番強く来ていることが分かる。これは老人の恋でまことに珍らしいものである。「あぢきなく」は「あづきなく」ともいい、「なかなかに黙もあらましをあぢきなく相見始めても吾は恋ふるか」(巻十二・二八九九)の例がある。実に甲斐のない、まことにつまらないという程の語である。「わらは」は童男童女いずれにもいい、「老人も女童児も、其が願ふ心足ひに」(巻十八・四〇九四)の例がある。
恋愛の歌は若い男女のあいだの独占で、それゆえ寒山詩にも、老翁娶二少婦一、髪白婦不レ耐、老婆嫁二少夫一、面黄夫不レ愛、老翁娶二老婆一、一一無二棄背一、少婦嫁二少夫一、両両相憐態、とあるのだが、万葉には稀にこういう老人の恋の歌もあるのは、人間の実際を虚偽なく詠歎したのが残っているので、賀茂真淵が、「古への世の歌は人の真心なり」云々というのは、こういうところにも触れているのである。なお万葉には、竹取翁と娘子等の問答(巻十六)のほかに、石川女郎の、「古りにし嫗にしてや斯くばかり恋にしづまむ手童の如」(巻二・一二九)があり、「いそのかみ布留の神杉神さびて恋をも我は更にするかも」(巻十一・二四一七)、「現にも夢にも吾は思はざりき旧りたる君に此処に会はむとは」(同・二六〇一)等があり、老人の恋でおもしろい。
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奥山の真木の板戸を音速み妹があたりの霜の上に宿ぬ 〔巻十一・二六一六〕 作者不詳
「音速み」は、音がひどいのでの意で、今なら音響の鋭敏などというところを、「音速み」と云っているのは旨いものである。「奥山の真木の」までは序詞。一首の意は、折角女の家まで行って板戸をたたいたが、その音が余り大きく響くので、家人に気づかれるのを怖れて、近くの霜の上に寝た、というので、民謡風のものだが、そう簡単に片付けてしまわれぬものがある。「霜の上に寝ぬ」は民謡的に誇張があり文学的ないい方である。けれどもそれをただの誇張として素通り出来ぬものを感ずるのはどういうわけであろうか。「妹ガ閨ノ板戸ヲ開ムトスレバ、音ノ高クテ人ノ聞付ム事ヲ恐レ、サリトテ帰リモエヤラデ其アタリノ霜ノ上ニ一夜寝タルトナリ」(代匠記)の解は簡潔でよいから記して置く。新考で、「音速」を、「押し難み」だろうといったが、それは古今集ばり常識である。
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月夜よみ妹に逢はむと直道から吾は来つれど夜ぞふけにける 〔巻十一・二六一八〕 作者不詳
「直道」は、真直な道、まわり道しない道のこと、近道。「から」は「より」と同じで、「之乎路から直越え来れば羽咋の海朝なぎしたり船楫もがも」(巻十七・四〇二五)、「直に行かず此ゆ巨勢路から石瀬踏み求めぞ吾が来し恋ひて術なみ」(巻十三・三三二〇)、「ほととぎす鳴きて過ぎにし岡傍から秋風吹きぬよしもあらなくに」(巻十七・三九四六)などの「から」は皆「より」の意味だから、只今私等の使う「から」は既にこの頃からあったのである。この歌は、急いでまわり道もせずに来たが、それでも夜が更けたという、そこに感慨があるのである。直接に女に愬えていない客観的ないい方だけれども民謡的な特徴が其処に存じている。
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燈のかげに耀ふうつせみの妹が咲しおもかげに見ゆ 〔巻十一・二六四二〕 作者不詳
寄レ物述レ思の中に分類せられている。自分の恋しい女が燈火のもとにいて、嬉しそうににこにこしていた時の、何ともいえぬ美しく耀くような現身即ち体そのものの女が、今おもかげに立って来ている、というのである。この歌は嬉しい心持で女身を讃美しているのだから、幾分誇張があって、美麗過ぎる感があるけれども、本人は骨折っているのだからそれに同情して味う方がいい。「年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹が面影に見ゆ」(巻十二・三一三八)などと較べると、「燈のかげに」の方は覚官的に直接に云っている。
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難波人葦火焚く屋の煤してあれど己が妻こそ常めづらしき 〔巻十一・二六五一〕 作者不詳
寄レ物述レ思の一首。難波の人が葦火を焚くので家が煤けるが、おれの妻もそのようにもう古び煤けた。けれどもおれの妻はいつまで経っても見飽きない、おれの妻はやはりいつまでも一番いい、というので、若い者の甘い恋愛ともちがって落着いたうちに無限の愛情をたたえている。軽い諧謔を含めているのも親しみがあって却って好いし、万葉の歌は万事写生であるから、縦い平凡のようでも人間の実際が出ているのである。「青山の嶺の白雲朝にけに常に見れどもめづらし吾君」(巻三・三七七)、「住吉の里行きしかば春花のいやめづらしき君にあへるかも」(巻十・一八八六)等の例がある。結句ツネメヅラシキと訓んで居り、いずれでも好い。
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馬の音のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つる蓋し君かと 〔巻十一・二六五三〕 作者不詳
結句、原文「若君香跡」で、旧訓モシハ・キミカト、考モシモ・キミカトであったのを古義でケダシ・キミカトと訓んだ。「若雲」(巻十二・二九二九)、「若人見而」(巻十六・三八六八)の例がある。なお額田王の「古に恋ふらむ鳥は霍公鳥蓋しや鳴きし吾が恋ふるごと」(巻二・一一二)があること既にいった。一首は女が男を待つ心で何の奇も弄しない、つつましい佳い歌である。そしていろいろと具体的に云っているので、読者にもまたありありと浮んで来るものがあっていい。なおこの歌の次に、「君に恋ひ寝ねぬ朝明に誰が乗れる馬の足音ぞ吾に聞かする」(巻十一・二六五四)、「味酒の三諸の山に立つ月の見が欲し君が馬の音ぞする」(同・二五一二)の例がある。
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窓ごしに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしぞ念ふ 〔巻十一・二六七九〕 作者不詳
第二句原文「月臨照而」で、旧訓ツキサシイリテであったのを、契沖がツキオシテリテと訓んだ。窓から月が部屋までさし込んで、嵐の吹いてくる今晩は、身に沁みてあなたが恋しゅうございます、というので、月の光と山の風とが特に恋人をおもう情を切実にすることを云っている。私はこの歌で、「窓ごしに月おし照りて」の句に心を牽かれている。普通「窓越しに月照る」というと、窓外の庭あたりに月の照る趣のように解するが、「おし照る」が作用をあらわしたから、月光が窓から部屋までさし込んでくることとなり、まことに旨い云いかたである。月光を機縁とした恋の歌に、「吾背子がふり放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲な棚引き」(巻十一・二六六九)、「真袖もち床うち払ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ」(同・二六六七)等がある。
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彼方の赤土の小屋に霖降り床さへ沾れぬ身に副へ我妹 〔巻十一・二六八三〕 作者不詳
これは寄レ雨歌だから、こういう云い方をするようになったもので、「赤土の小屋」即ち、土のうえに建ててある粗末な家に小雨が降って来て床までも沾れた趣である。そこで結句が導かれるわけで、つまりは、「身に副へ我妹」が一首の主眼となるのである。上の句などは大体の意味を心中に浮べて居れば好いので、小説風に種々解釈する必要はなかろうとおもう。民謡的で、労働に携わりながらうたうことも出来る歌である。
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潮満てば水沫に浮ぶ細砂にも吾は生けるか恋ひは死なずて 〔巻十一・二七三四〕 作者不詳
海の潮が満ちて来ると、水の沫に浮んでいる細かい砂の如くに、恋死もせずに果敢なくも生きているのか、というので、物に寄せた歌だから細砂のことなどを持って来たものだろうとおもうが、この点はひどく私の心をひいている。近代の象徴詩などというと雖、かくの如くに自然に行かぬものが多い。「細砂にも」をば、細砂にも自分の命を托して果敢無くも生きていると解するともっと近代的になる。真淵は「み沫の如く浮ぶまさごといひて、我生もやらず死もはてず、浮きてたゞよふこゝろをたとへたり」(考)といっている。
この第四句は、原文「吾者生鹿」で、旧訓ワレハナリシカ、代匠記ワレハナレルカ。略解ワレハイケルカである。この句を旧訓に従って、ナリシカと訓み、解釈を「細砂になりたいものだ」とする説もある(新考)。いずれにしても、細砂の中に自分の命を托する意味で同一に帰着する。「解衣の恋ひ乱れつつ浮沙浮きても吾はありわたるかも」(巻十一・二五〇四)、「白細砂三津の黄土の色にいでて云はなくのみぞ我が恋ふらくは」(同・二七二五)等の中には、「浮沙」、「白細砂」とあって、やはり砂のことを云っているし、なお、「八百日ゆく浜の沙も吾が恋に豈まさらじか奥つ島守」(巻四・五九六)、「玉津島磯の浦廻の真砂にも染ひて行かな妹が触りけむ」(巻九・一七九九)、「相模路の淘綾の浜の真砂なす児等は愛しく思はるるかも」(巻十四・三三七二)等の例がある。皆相当によいもので、万葉歌人の写生力・観入態度の雋敏に驚かざることを得ない。
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朝柏閏八河辺の小竹の芽のしぬびて宿れば夢に見えけり 〔巻十一・二七五四〕 作者不詳
此歌は「しぬびて宿れば夢に見えけり」だけが意味内容で、その上は序詞である。やはり此巻に、「秋柏潤和川辺のしぬのめの人に偲べば君に堪へなく」(巻十一・二四七八)というのがある。この「君に堪へなく」という句はなかなか佳句であるから、二つとも書いて置く。このあたりの歌は、序詞を顧慮しつつ味う性質のもので、取りたてて秀歌というほどのものではない。
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あしひきの山沢回具を採みに行かむ日だにも逢はむ母は責むとも 〔巻十一・二七六〇〕 作者不詳
山沢に生えている回具を採みにゆく日なりと都合してあなたにお逢いしましょう。母に叱られても、というので、当時も母が娘をいろいろ監視していたことが分かる。結句の、「母は責むとも」は、前にあった、「母に障らば」などと同じ気持である。新考で、「逢はせ」と訓み、新訓で其に従ったが、そうすると、男の方で女にむかっていうことになる。「逢ってください」となるが、少し智的になるだろう。新考のアハセ説は、第四句の「相将」が、古鈔本中(嘉・類)に、「相為」になっているためであった。
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蘆垣の中の似児草莞爾に我と笑まして人に知らゆな 〔巻十一・二七六二〕 作者不詳
「似児草」は箱根草、箱根歯朶という説が有力である。「に」の音で「にこよか」(莞爾)に続けて序詞とした。「我と笑まして」は吾と顔合せてにこにこして、吾と共ににこにこしての意。一首の意は、わたしと御一しょにこうしてにこにこしておいでになるところを、人に知られたくないのです、というので、身体的に直接な珍らしい歌である。此は民謡風な読人不知の歌だが、後に大伴坂上郎女が此歌を模倣して、「青山を横ぎる雲のいちじろく吾と笑まして人に知らゆな」(巻四・六八八)という歌を作った。これも面白いが、巻十一の歌ほど身体的で無いところに差違があるから、どちらがよいか鑑別せねばならない。
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道のべのいつしば原のいつもいつも人の許さむことをし待たむ 〔巻十一・二七七〇〕 作者不詳
この歌は、「人の許さむことをし待たむ」というのが好いので選んだ。男が女の許すのを待つ、気長に待つ気持の歌で、こういう心情もまた女に対する恋の一表現である。この巻の、「梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを」(巻十一・二五〇五)は、女の歌で、やはり身を寄せたことを「許す」と云っている。なお、巻十二(三一八二)に、「白妙の袖の別は惜しけども思ひ乱れて赦しつるかも」というのがある。この、「赦す」は稍趣が違うが、つまりは同じことに帰着するのである。
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神南備の浅小竹原のうるはしみ妾が思ふ君が声の著けく 〔巻十一・二七七四〕 作者不詳
一首の、「神南備の浅小竹原のうるはしみ」は下の「うるはしみ」に続いて序詞となった。併し現今も飛鳥の雷岳あたり、飛鳥川沿岸に小竹林があるが、そのころも小竹林は繁って立派であったに相違ない。当時の人(この歌の作者は女性の趣)はそれを観察していて、「うるはし」に続けたのは、詩的力量として観察しても驚くべく鋭敏で、特に「浅小竹原」と云ったのもこまかい観察である。もっとも、この語は古事記にも、「阿佐士怒波良」とある。併しそれよりも感心するのは、一首の中味である、「妾が思ふ君が声の著けく」という句である。自分の恋しくおもう男、即ち夫の声が人なかにあってもはっきり聞こえてなつかしいというので、何でもないようだが短歌のような短い抒情詩の中に、こう自由にこの気持を詠み込むということはむつかしい事なのに、万葉では平然として成し遂げている。
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さ寝かにば誰とも宿めど沖つ藻の靡きし君が言待つ吾を 〔巻十一・二七八二〕 作者不詳
おれと一しょに寝ね兼ねるというのなら、おれは誰とでも寝よう。併し一旦おれに靡き寄ったお前のことだから、お前の決心を待っていよう、もう一度思案して、おれと一しょに寝ないかというので、男が女にむかっていうように解釈した。そうすれば「君」は女のことで、今の口語なら、「お前」ぐらいになる。この歌もなかなか複雑している内容だが、それを事も無げに詠み了せているのは、大体そのころの男女の会話に近いものであったためでもあろうが、それにしても吾等にはこうは自由に詠みこなすことが出来ないのである。初句、「さ寝かにば」は、「さ寝兼ねば」で、寝ることが出来ないならばである。結句の「吾を」の「を」は「よ」に通う詠歎の助詞である。
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山吹のにほへる妹が唐棣花色の赤裳のすがた夢に見えつつ 〔巻十一・二七八六〕 作者不詳
この歌は、一首の中に山吹と唐棣即ち庭梅とを入れてそれの色彩を以て組立てている歌だが、少しく単純化が足りないようである。それにも拘わらず此歌を選んだのは、夢に見た恋人が、唐棣色の赤裳を着けていたという、そういう色までも詠み込んでいるのが珍しいからである。万葉集の歌は夢をうたうにしても、かく具体的で写象が鮮明であるのを注意すべきである。
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こもりづの沢たづみなる石根ゆも通しておもふ君に逢はまくは 〔巻十一・二七九四〕 作者不詳
この歌も、谿間の水の具合をよく観ていて、それを序詞としたのに感心すべく、隠れた水、沢にこもり湧く水が、石根をも通し流れるごとくに、一徹におもっております、あなたに逢うまでは、というので山の歌らしくおもえる。この巻に、「こもりどの沢泉なる石根をも通してぞおもふ吾が恋ふらくは」(巻十一・二四四三)というのがあるが、二四四三の方が原歌で、二七九四の方は分かり易く変化したものであろう。そうして見れば、「石根ゆも」は「石根をも」と類似の意味か。
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人言を繁みと君を鶉鳴く人の古家に語らひて遣りつ 〔巻十一・二七九九〕 作者不詳
人の噂がうるさいので、鶉鳴く古い空家のようなところに連れて行って、そこでいろいろとお話をして帰したというので、「君」をば男と解釈していいだろう。この歌で、「語らひて遣りつ」の句は、まことに働きのあるものである。訓は大体考・略解に従った。
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あしひきの山鳥の尾の垂り尾の長き長夜を一人かも宿む 〔巻十一・二八〇二〕 作者不詳
この歌は、「念へども念ひもかねつあしひきの山鳥の尾の永きこの夜を」(巻十一・二八〇二)の別伝として載っているが、拾遺集恋に人麿作として載り小倉百人一首にも選ばれたから、此処に選んで置いた。内容は、「長き長夜をひとりかも寝む」だけでその上は序詞であるが、この序詞は口調もよく気持よき聯想を伴うので、二八〇二の歌にも同様に用いられた。なお、「あしひきの山鳥の尾の一峰越え一目見し児に恋ふべきものか」(同・二六九四)の如き一首ともなっている。「尾の一峰」と続き山を越えて来た趣になっている。この「あしひきの山鳥の尾の」の歌は序詞があるため却って有名になったが、この程度の序詞ならば万葉に可なり多い。 |