斎藤茂吉の万葉秀歌考巻11、12、13

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.6.8日

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 2015.09.07日 れんだいこ拝


斎藤茂吉の万葉秀歌考巻11

巻第十一


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新室にひむろしづ手玉ただまらすもたまごとりたるきみうちへとまをせ 〔巻十一・二三五二〕 柿本人麿歌集
 旋頭歌せどうかで、人麿歌集所出である。一首の意は、新しく家を造るために、その地堅め地鎮の祭を行うので、大勢の少女おとめ等が運動に連れて手飾てかざりの玉を鳴らして居るのが聞こえる。あの玉のように立派な男の方をば、この新しい家の中へおはいりになるように御案内申せ、というのである。この歌は大勢の若い女の心持が全体を領しているのであるが、そこに一人の美しい男を点出して、その男を中心として大勢の女の体も心も運動循環じゅんかんする趣である。一首の形式は、旋頭歌だから、「手玉鳴らすも」で休止となる。短歌なら第三句で序詞になるところであろうが、旋頭歌では第四句からあらたに起す特色がある。民謡風な労働につれてうたう労働歌というようなもので、重々しい調べのうちに甘いうるおいもあり珍しいものだが、明かに人麿作と記されている歌に旋頭歌は一つもないのに、人麿歌集にはまとまって旋頭歌がって居り、相当におもしろいものばかりであるのを見れば、或は人麿自身が何かの機縁にこういう旋頭歌を作り試みたものであったのかも知れない。

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長谷はつせ五百槻ゆつきもとかくせるつまあかねさしれる月夜つくよひとてむかも 〔巻十一・二三五三〕 柿本人麿歌集
 旋頭歌。人麿歌集出。長谷はつせは今の磯城郡初瀬はせ町を中心とする地、泊瀬はつせ五百槻ゆつき五百槻いおつきのことで、沢山の枝あるけやきのことである。そこで、一首の意は、長谷はつせ(泊瀬)の、槻の木の茂った下に隠して置いた妻。月の光のあかるい晩に誰かほかの男に見つかったかも知れんというので、上と下と意味が関聯している。併し旋頭歌だから、下から読んでも意味が通じるのである。この歌も民謡的だが、素朴そぼくでいかにも当時の風俗が分かっておもしろい。旋頭歌の調子は短歌の調子と違ってもっと大きく流動的にすることが出来る。内容もまた複雑にすることが出来るが、それをするといけない事を意識して、かえって単純にするために繰返しを用いている。

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うつくしといもはやねやもけりともわれるべしとひとはなくに 〔巻十一・二三五五〕 柿本人麿歌集
 旋頭歌。人麿歌集出。一首の意。可哀かあいくおもう自分のあの女は、いっそのこと死んでしまわないか、死ぬ方がいい。たとい生きていようとも、自分になびき寄る見込が無いから、というので、これも旋頭歌だからどちらから読んでもいい。強く愛している女を独占しようとする気持の歌で、今読んでも相当におもしろいものである。「うつくし」は愛することで、「妻子めこみればめぐしうつくし」(巻五・八〇〇)の例がある。「死ねやも」は、「雷神なるかみの少しとよみてさしくもり雨も降れやも」(巻十一・二五一三)と同じである。併しこの訓には異説もある。この愛するあまり、「死んでしまえ」と思う感情の歌は後世のものにもあれば、俗謡にもいろいろな言い方になってひろがって居る。

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朝戸出あさとできみ足結あゆひらす露原つゆはらはやでつつわれ裳裾もすそらさな 〔巻十一・二三五七〕 柿本人麿歌集
 同前。朝早くお帰りになるあなたの足結あゆいらす露原よ。私も早く起きてその露原で御一しょにすそらしましょう、というのである。わかれを惜しむ気持でもあり、愛着する気持でもあって、女の心のこまやかにまつわるいいところが出て居る。「吾妹子が赤裳あかもの裾の湿ぢむ今日の小雨こさめに吾さへれな」(巻七・一〇九〇)は男の歌だが同じような内容である。

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垂乳根たらちねはは手放てはなくばかりすべなきことはいまだなくに 〔巻十一・二三六八〕 柿本人麿歌集
 人麿歌集出。正述心緒ただにおもいをのぶという歌群の中の一つである。一首の意は、物ごころがつき、年ごろになって、母の哺育ほいくの手から放れて以来、こんなに切ないことをしたことはない、というので、恋の遣瀬無やるせないことを歌ったものである。これは、男の歌か女の歌か字面だけでは分からぬが、女の歌とする方が感に乗ってくるようである。すべなき事というのは、どうしていいか為方しかたの分からぬ気持で、「すべなきものは」、「すべの知らなく」、「すべなきまでに」等の例があり、共に心のせっぱつまった場合を云っている。下の句の切実なのは読んでいるうち分かるが、上の句にもやはりその特色があるので、此上の句のためにも一首が切実になったのである。憶良おくら熊凝くまこりを悲しんだものに、「たらちしや母が手離れ」(巻五・八八六)といったのは、此歌を学んだものであろう。なお、「黒髪に白髪しろかみまじり老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに」(巻四・五六三)という類想の歌もある。第二句、「母之手放」は、ハハノテソキテ、ハハガテカレテ等の訓もあるが、今契沖けいちゅう訓に従った。

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ひと味宿うまいずてしきやしきみすらをりてなげくも 〔巻十一・二三六九〕 柿本人麿歌集
 同上、人暦歌集出。一首の意は、このごろはいろいろと思い乱れて、世の人のするように安眠が出来ず、恋しいあなたの眼をばなお見たいと思って歎いて居ります、というので、これも女の歌の趣である。「目すら」は「目でもなお」の意で、目を強めている。今の口語になれば、「目でさえも」ぐらいに訳してもいい。「言問こととはぬ木すらいもありとふをただひとにあるが苦しさ」(巻六・一〇〇七)がある。一首は、取りたててそう優れているという程ではないが、感情がとおって居り、「目すらを」と云って、「目」に集注したいい方に注意したのであった。こういういい方は、憶良の、「たらちしの母が目見ずて」(巻五・八八七)はじめ、他にも例があり、なお、「人の寝る味眠うまいは寝ずて」(巻十三・三二七四)等の用例を参考とすることが出来る。

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朝影あさかげはなりぬたま耀かぎるほのかにえてにしゆゑに 〔巻十一・二三九四〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。「朝影」というのは、朝はやく、日出後間もない日の光にうつる影が、細長くてあたかも恋に痩せた者のようだから、そのまま取って、「朝影になる」という云い方をしたのである。その頃の者は朝早く女のもとから帰るので、こういう実際を幾たびも経験してこういう語を造るようになったのは興味ふかいことである。「玉かぎる」は玉の光のほのかな状態によって、「ほのか」にかかる枕詞とした。一首は、これまでまだ沁々しみじみと逢ったこともない女に偶然逢って、その後逢わない女に対する恋の切ないことを歌ったものである。「玉かぎるほのかにだにも見えぬおもへば」(巻二・二一〇)、「玉かぎるほのかに見えて別れなば」(巻八・一五二六)等の例がある。この歌は男の心持になって歌っている。

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けどけどはぬいもゆゑひさかたのあめ露霜つゆじもれにけるかも 〔巻十一・二三九五〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。行きつつ幾ら行っても逢うあてのない恋しい女のために、こうして天の露霜に濡れた、というのである。苦しい調子でぽつりぽつりと切れるのでなく、連続調子でのびのびと云いあらわしている。それはいわゆる人麿調ともいい得るが、それよりもむしろ、この歌は民謡的の歌だからと解釈することも出来るのである。併し、この種類の歌にあっては目立つものだから、その一代表のつもりで選んで置いた。「ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露やましたつゆれにけるかも」(巻七・一二四一)などと較べると、やはり此歌の方が旨い。

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あからひくはだれずてたれどもこころしくはなくに 〔巻十一・二三九九〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。一首の意は、今夜は美しいお前のはだにも触れずに独寝ひとりねしたが、それでも決して心がわりをするようなことはないのだ、今夜は故障があってついお前の処に行かれず独りで寝てしまったが、私の心に別にかわりがない、というのであろう。「心を異しく」は、心がわりするというほどの意で、集中、「逢はねどもしき心をわが思はなくに」(巻十四・三四八二)、「然れどもしき心をあがおもはなくに」(巻十五・三五八八)等の例がある。女の美しい膚のことをいい、覚官的に身体的に云っているのが、ただの平凡な民謡にしてしまわなかった原因であろう。アカラヒク・ハダに就き、代匠記初稿本に、「それは紅顔のにほひをいひ、今ははだへの雪のごとくなるに、すこし紅のにほひあるをいへり」といい、精撰本に、「朱引秦アカヲヒクハダトハ、紅顔ニ応ジテ肌モニホフナリ」と云ったのは、契沖の文も覚官的でうまい。

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なばひもねとや我妹子わぎもこ吾家わぎへかどぎてくらむ 〔巻十一・二四〇一〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。一首の意は、恋死こいじにをするなら、勝手にせよというつもりで、あの恋しい女はおれの家の門を素通りして行くのだろう、というのである。こういうのも恋の一心情で、それを自然に誰の心にも這入はいって行けるように歌うのが民謡の一特徴であるが、鋭敏に心の働いたところがあるので、共鳴する可能性も多いのである。「恋ひ死なば恋も死ねとや玉桙たまぼこの道ゆく人にことも告げなく」(巻十一・二三七〇)、「恋ひ死なば恋も死ねとや霍公鳥ほととぎすものふ時に来鳴きとよむる」(巻十五・三七八〇)等のあるのは、やはり模倣だとおもうが、こう比較してみると、人麿歌集のこの歌の方が旨い。

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ふることなぐさめかねてけばやまかはをもらずにけり 〔巻十一・二四一四〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。一首の意は、この恋の切ない思を慰めかね、りかねて出でて来たから、山をも川をも夢中で来てしまった、というのである。「いで行けば」といったり、「来にけり」と云ったりして、調和しないようだが、そういう巧緻こうちでないようなところがあっても、真率しんそつな心があらわれ、自分の心をかえりみるような態度で、「来にけり」と詠歎したのに棄てがたい響がある。第二句、「こころりかね」とも訓んでいる。これは、「おもふどち許己呂也良武等ココロヤラムト」(巻十七・三九九一)等の例にったものであるが、「恋しげみ奈具左米可禰※(「低のつくり」、第3水準1-86-47)ナグサメカネテ」(巻十五・三六二〇)の例もあるから、いずれとも訓み得るのである。今旧訓に従って置いた。それから、「ゆく」も「くる」も、主客の差で、根本の相違でないことがこの例でも分かるし、前出の、「大和には鳴きてか来らむ呼子鳥」(巻一・七〇)の歌を想起し得る。石上いそのかみ卿の、「ここにして家やもいづく白雲の棚引く山を越えて来にけり」(巻三・二八七)の例がある。

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山科やましな木幡こはたやまうまはあれどかちおもひかね 〔巻十一・二四二五〕 柿本人麿歌集
 寄物陳思という部類の歌に入れてある。人麿歌集出。「山科の木幡の山」は、山城宇治郡、現在宇治村木幡で、桃山御陵の東方になっている。前の歌に、強田こはだとあったのと同じである。一首の意は、山科の木幡の山道をば徒歩でやって来た。おれは馬を持っているが、お前を思う思いに堪えかねて徒歩で来たのであるぞ、というのである。旧訓ヤマシナノ・コハダノヤマニ。考ヤマシナノ・コハダノヤマヲ。つまり、「木幡の山を歩み吾が来し」となるので、なぜ、「馬はあれど」と云ったかというに、馬の用意をする暇もまどろしくて、取るものもとりあえず、というのであろう。本来馬で来れば到着が早いのであるが、それは理論で、まどろしく思う情の方は直接なのである。詩歌では情の直接性を先にするわけになるから、こういう表現となったものである。女にむかっていう語として、親しみがあっていい。

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大船おほふね香取かとりうみいかりおろし如何いかなるひとものおもはざらむ 〔巻十一・二四三六〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。「大船の香取の海に碇おろし」までは、「いかり」から「いかなる」に続けた序詞であるから、一首の内容は、「いかなる人か物念はざらむ」、即ち、おれはこんなに恋に苦しんで居るが、世の中のどんな人でも恋に苦しまないものはあるまい、というだけの歌である。序詞は意味よりも声調にあるので、何か重々しいような声調で心持を暗指するぐらいに解釈すればいい。「香取の海」は、近江にも下総にもあるが、「高島の香取の浦ゆ榜ぎでくる舟」(巻七・一一七二)とある近江湖中の香取の浦としていいだろう。なおこの巻(二七三八)に、「大船のたゆたふ海にいかりおろし如何にせばかも吾が恋ひ止まむ」とあるのと類似して居り、この二七三八の方は異伝であろう。

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ぬばたまの黒髪山くろかみやま山菅やますげ小雨こさめりしきしくしくおもほゆ 〔巻十一・二四五六〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。この歌の内容は、ただ、「しくしく思ほゆ」だけで、そのうえは序詞である。ただ黒髪山の山菅やますげに小雨の降るありさまと相通ずる、そういううら悲しいようなせつなおもいを以て序詞としたものであろう。山菅は山に生えるスゲのたぐい、或はヤブラン、リュウノヒゲ一類、どちらでも解釈が出来、古人はそういうものを一つ草とおもっていたものと見えるから、今の本草学の分類などで律しようとすると解釈が出来なくなって来るのである。この歌も取りわけ秀歌という程のものでないが、ただ結句だけで内容とする歌も珍しいので選んで置いた。

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我背子わがせこれば屋戸やどくささへおもひうらがれにけり 〔巻十一・二四六五〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。一首の意は、私の夫を待遠しく恋しがって居ると、家の庭の草さえも思い悩んで枯れてしまいました、というので女の歌である。「吾が恋ひ居れば吾が屋戸の」という具合に、「わが」を繰返しているのは、意識的らしく、少しく軽く聞こえるが、「草さへ思ひうらがれにけり」という息の長い、伸々した調しらべによって落着おちつきを得ているのは注意すべきである。特にこの下の句は伸びているうちに、悲哀の感動を含めたものだから、上の句のやや小きざみになったのは自然の調べなのか、よく分らないが、「我が」を三つも繰返したのは感心しない。そこに行くと、「君待つと吾が恋ひ居ればわが屋戸やどすだれうごかし秋の風吹く」(巻四・四八八)の方がうまい。似ているが初句の「君待つと」でしまっている。結句は、近時橋本氏によって、ウラブレニケリの訓が唱えられた。

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山萵苣やまちさ白露しらつゆおもみうらぶるるこころふかまず 〔巻十一・二四六九〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。山萵苣やまちさは食用にする萵苣ちさで、山に生えるのを山萵苣といったものであろう。エゴの木だという説もあるが、白露おくという草に寄せた歌だから、大体食用の萵苣と解釈していいようである。露のために花のしなっているように心のしなえる心持で序詞とした。この歌も取りたてていう程のものでないが、「心を深みわが恋ひ止まず」の句が棄てがたいから選んで置いたし、萵苣は食用菜で、日常生活によって見ているものを持って来たのがおもしろいと思ったのである。

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垂乳根たらちねはは繭隠まよごもりこもれるいもむよしもがも 〔巻十一・二四九五〕 柿本人麿歌集
 同上、人麿歌集出。第三句迄は序詞で、母の飼っているかいこまゆの中にこもるように、家に隠って外に出ない恋しい娘を見たいものだ、というので、この繭のことを云うのも日常生活の経験を持って来ている。蚕に寄する恋といっても、題詠ではなく、ういう歌が先ず出来てそれから寄物恋と分類したものである。この歌は序詞のおもしろみというよりも、全体が実生活を離れず、特に都会生活でない農民生活を示すところがおもしろいのである。巻十二(二九九一)に、「垂乳根の母が繭隠まよごもりいぶせくもあるか妹にあはずて」というのがあり、巻十三(三二五八)の長歌に、「たらちねの母が養ふ蚕の、繭隠り気衝いきづきわたり」というのがあるが、やはり此歌の方が旨い。「いぶせく」では続きが突如としても居り、不自然で妙味がないようである。

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垂乳根たらちねははさはらばいたづらにいましわれことるべしや 〔巻十一・二五一七〕 作者不詳
 正述心緒。作者不明。一首の意は、母に遠慮して気兼してぐずぐずしているなら、お前も私もこの恋を遂げることが出来んではないかというので、男が女を促す趣の歌である。男が気を急いで女に向ってくまで強いことをいうのもある場合の自然であり、娘の方で母のことをいろいろ気をむことも背景にあって、なかなかおもしろい歌である。やはりこの巻(二五五七)に、「垂乳根の母に申さば君も我も逢ふとはなしに年ぞ経ぬべき」というのもあるが、これも母に話して承諾を得る趣で、これも娘心であるが、「母にさはらば」という方が直截ちょくせつでいい。
 この「障らば」をば、母の機嫌きげんそこなうならばと解する説がある。これは「さはり」の用例に本づく説であるが、「さはりあらめやも」、「さはり多み」、「さはることなく」等だけにるとそうなるかも知れないが、「いそかみふるとも雨にさはらめや妹に逢はむと云ひてしものを」(巻四・六六四)。「他言ひとごとはまことこちたくなりぬともそこにさはらむ吾ならなくに」(巻十二・二八八六)。「あしひきの山野さはらず」(巻十七・三九七三)等は、巻四の例に「関」の字を当てた如く、「それに拘わることなく、関係することなく」の意があるので、「山野さはらず」の如くに、そのためにさまたげらるることなくというのは第二に導かれる意味になるのであるから、この歌はやはり、「母にかかわることなく、拘泥こうでいすることなく」と解釈していいと思う。また歌もそう解釈する方がおもしろい。

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苅薦かりごも一重ひとへきてされどもきみとしればさむけくもなし 〔巻十一・二五二〇〕 作者不詳
 作者不明。薦蓆こもむしろをただ一枚敷いて寝ても、あなたと御一しょですから、ちっともお寒くはありません、「君とし」とあるから大体女の歌として解していいであろう。第四句原文が、「君共宿者」であるから、キミガムタ。キミトモ。等の訓があるが、「伎美止之不在者キミトシアラネバ」(巻十八・四〇七四)などを参考して、平凡にキミトシヌレバと訓むのに従った。これも民謡風に率直に覚官的にいいあらわしている。「蒸被むしぶすまなごやがしたせれども妹とし宿ねば肌し寒しも」(巻四・五二四)というのは、同じような気持を反対に云ったものだが、この歌の方が、むしろ実際的でそこに強みがあるのである。

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振分ふりわけかみみじか春草はるくさかみくらむいもをしぞおもふ 〔巻十一・二五四〇〕 作者不詳
 振分髪というのは、髪を肩のあたりまで垂らして切るので、まだ髪を結ぶまでに至らない童女、また童男の髪の風を云う。「く」は加行下二段の動詞で、髪をたばねあげることである。一首の意は、あの児は短い振分髪で、まだ髪を結えないので、春草を足して髪に束ねてでもいるだろうか、可哀かあいいあどけないあの児のことがおもいだされる、というくらいの意とおもう。童女のことを歌っているのが珍しいのであるが、あの時代には随分小さくて男女の関係を結んだこともあったと見做みなしてこの歌を解釈することも出来る。真間の手児名なども、ようやくおとめになったかならぬころではなかっただろうか。いずれにしても珍しい歌である。第三句流布本るふぼん青草ワカクサ」であったのを古義で「春草」としたが、古鈔本中(温・京)に「春」とあるし、契沖既に注意している。

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おもはぬにいたらばいもうれしみとまむ眉引まよびきおもほゆるかも 〔巻十一・二五四六〕 作者不詳
 作者不明。一首の意。突然に女のところに行ったら、うれしいと云ってにこにこする様子が想像せられて云いようなく楽しい、というので、昔も今もかわりない人情の機微が出て居る歌である。ただ現代語と違って古語だから、軽薄に聞こえずに濃厚に聞こえるのである。おもいがけず、突然に、というのを「念はぬに」という。「念はぬに時雨の雨は降りたれど」(巻十・二二二七)。「念はぬに妹がゑまひを夢に見て」(巻四・七一八)等の例がある。「うれしみと」の「と」の使いざまは、「うれしみと紐の緒解きて」(巻九・一七五三)とある如く、「と云って」の意である。にこにことにおうような顔容をば、「笑まむ眉引」というのも、実に旨いので、古語の優れている点である。やはり此巻(二五二六)に、「待つらむに到らば妹がうれしみとまむすがたを行きて早見む」というのがあり、おおいに似ているが、この方は常識的で、従って感味が浅い。なお、巻十二(三一三八)に、「年も経ず帰りなむと朝影に待つらむ妹が面影に見ゆ」というのもある。

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斯くばかり恋ひむものぞとおもはねばいもたもとかぬ夜もありき 〔巻十一・二五四七〕 作者不詳
 作者不明。こんなに恋しいものだとは思わなかったから、妹といっしょに寝ない晩もあったのだが、こうして離れてしまうと堪えがたく恋しい。容易たやすく逢われた頃になぜ毎晩通わなかったのか、と歎く気持の歌である。当時の男女相逢う状態を知ってこの歌を味うとまことに感の深いものがある。ただこのあたりの歌は作者不明で皆民謡的なものだから、そのつもりで味うこともまた必要である。巻十二(二九二四)に、「世のなかに恋しげけむと思はねば君がたもとかぬ夜もありき」というのがあり、どちらかが異伝だろうが、巻十一の此歌の方がやや素直すなおである。

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あひてはおもかくさるるものからにぎてまくのしききみかも 〔巻十一・二五五四〕 作者不詳
 作者不明。お目にかかれば、お恥かしくて顔を隠したくなるのですけれど、それなのに、度々あなたにお目にかかりたいのです、という女の歌である。つつましい女が、身をもっせまるような甘美なところもあり、なかなか以て棄てがたい歌である。「面隠さるる」は面隠おもがくしをするように自然になるという意。「玉勝間たまかつま逢はむといふは誰なるか逢へる時さへ面隠おもがくしする」(巻十二・二九一六)の例がある。「ものからに」は、「ものながらに」、「ものであるのに」の意。「みち遠み来じとは知れるものからにかぞ待つらむ君が目をり」(巻四・七六六)の「ものからに」も同様で、おいでにならないとは承知していますのに、それでも私はあなたをお待ちしていますという歌である。白楽天の琵琶行に、猶抱琵琶半遮面の句がある。

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ひとりにしさとにあるひとめぐくやきみこひなする 〔巻十一・二五六〇〕 作者不詳
 作者不明であるが、旧都にでもなったところに残り住んでいる女から、京にいる男にでも遣った歌のように受取れる。もう寂しくなって人も余り居らないこの旧都に残って居ります私に、可哀かあいそうにも恋死をさせるおつもりですか、とでもいうのであろう。「めぐし」は、「妻子めこ見ればめぐしうつくし」(巻五・八〇〇)、「妻子めこ見ればかなしくめぐし」(巻十八・四一〇六)等の「めぐし」は愛情の切なことをあらわしているが、「今日のみはめぐしもな見そ言も咎むな」(巻九・一七五九)、「こころぐしめぐしもなしに」(巻十七・三九七八)の「めぐし」は、むごくも可哀想にもの意で前と意味が違う、その意味は此処でも使っている。語原的にはこの方が本義で、心ぐし、目ぐしの「ぐし」も皆同じく、「目ぐし」は、目に苦しいまでに附くことから来たものであろうか。結句従来シナセムであったのを、新考でシナスルと訓んだ。

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いつはりつきてぞする何時いつよりかひとふにひとしにせし 〔巻十一・二五七二〕 作者不詳
 一首の意。嘘をおっしゃるのも、いい加減になさいまし、まだ一度もお逢いしたことがないのに、こがれじにするなどとおっしゃるはずはないでしょう。何時の世の中にまだ見ぬ恋に死んだ人が居りますか、というような意味のことを、こういう簡潔な古語でいいあらわしているのは実に驚くべきである。「いつはりも似つきてぞする」は、偽をいうにも幾らか事実に似ているようにすべきだ、余り出鱈目でたらめの偽では困る、というようなことを、斯う簡潔にいうので日本語の好いところが遺憾なく出ているのである。一首全体が、きびきびとした女の語気から成り皮肉のような言葉のうちに男に寄ろうとする親密の心をも含めて、まことに珍しい歌の一つである。結句、古鈔本中、ヒトノシニスルの訓あり、略解りゃくげでヒトノシニセシとんだ。第四句コフルニ(沢潟おもだか)の訓がある。

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はやきて何時いつしかきみあひむとおもひしこころいまぎぬる 〔巻十一・二五七九〕 作者不詳
 いそいで行って、一時もはやくお前に逢いたいとおもっていたのだったが、こうしてお前を見るとやっと心が落着いた、というのだろうが、「君」を男とすると、解釈が少し不自然になるから、やはり此歌は、男が女に向って「君」と呼んだことに解する方が好いだろう。私は、「今ぞ和ぎぬる」という句に非常に感動してこの歌を選んだ。このナギヌルの訓は従来からそうであるが、嘉暦かりゃく本にはイマゾユキヌルと訓んでいる。「あがへるこころぐやと、早く来て見むとおもひて」(巻十五・三六二七)、「相見ては須臾しましく恋はぎむかとおもへど弥々いよよ恋ひまさりけり」(巻四・七五三)、「見る毎にこころ和ぎむと、繁山しげやま谿たにべにふる、山吹を屋戸やどに引植ゑて」(巻十九・四一八五)、「あまざかるひなともしる許多ここだくもしげき恋かもぐる日もなく」(巻十七・四〇一九)等の例に見るごとく、加行上二段に活用する動詞である。

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面形おもがたわするとならばあイづきなくをのこじものやひつつらむ 〔巻十一・二五八〇〕 作者不詳
 あの女の顔貌かおかたちが忘られてしまうものなら、男子たるおれが、こんなに甲斐かいない恋に苦しんで居ることは無いのだが、どうしてもあの顔を忘れることが出来ぬ、というのである。「男じもの」の「じもの」は「何々のごときもの」というので、「鹿ししじもの」は鹿の如きもの、でつまりは、鹿たるものとなるから、「をのこじもの」は、男の如きもの、男らしきもの、男子たるもの、男子として、大丈夫たるもの等の言葉に訳することも出来るのである。結句の「居らむ」は形は未来形だが、疑問があり詠歎に落着く語調である。この歌の真率であわれな点が私の心をいたので選んで置いた。単に民謡的に安易に歌い去っていない個的なところのある歌である。それから、「面形おもがた」云々という用語も注意すべきであるが、これは、「面形おもがたの忘れむしだ大野おほぬろに棚引く雲を見つつしぬばむ」(巻十四・三五二〇)という歌もあり、一しょにして味うことが出来る。

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イづなに枉言たはこといまさら小童言わらはごとする老人おいびとにして 〔巻十一・二五八二〕 作者不詳
 枉言はマガコトとんでいたが、略解で狂言としてタハコトと訓んだ。一首は、何というおろか戯痴たわけたことをおれは云ったものか、この老人が年甲斐としがいもなく、今更小供等のような真似まねをして、というので、それでも、あの女が恋しくて堪えられないという意があるのである。これは女にむかって恋情を打明けたのちに、老体をかえりみた趣の歌だが、初句に、「あぢきなく」とあるから、遂げられない恋の苦痛が一番強く来ていることが分かる。これは老人の恋でまことに珍らしいものである。「あぢきなく」は「あづきなく」ともいい、「なかなかにもだもあらましをあぢきなく相見めても吾は恋ふるか」(巻十二・二八九九)の例がある。実に甲斐のない、まことにつまらないという程の語である。「わらは」は童男童女いずれにもいい、「老人おいびと女童児をみなわらはも、が願ふ心だらひに」(巻十八・四〇九四)の例がある。
 恋愛の歌は若い男女のあいだの独占で、それゆえ寒山詩にも、老翁娶少婦、髪白婦不耐、老婆嫁少夫、面黄夫不愛、老翁娶老婆、一一無棄背、少婦嫁少夫、両両相憐態、とあるのだが、万葉にはまれにこういう老人の恋の歌もあるのは、人間の実際を虚偽なく詠歎したのが残っているので、賀茂真淵かものまぶちが、「いにしへの世の歌は人の真心なり」云々うんぬんというのは、こういうところにも触れているのである。なお万葉には、竹取たかとりの翁と娘子等の問答(巻十六)のほかに、石川女郎いしかわのいらつめの、「古りにしおむなにしてや斯くばかり恋にしづまむ手童たわらはごと」(巻二・一二九)があり、「いそのかみ布留ふる神杉かむすぎかむさびて恋をも我は更にするかも」(巻十一・二四一七)、「うつつにもいめにも吾ははざりきりたる君に此処にはむとは」(同・二六〇一)等があり、老人の恋でおもしろい。

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奥山おくやま真木まき板戸いたどおとはやいもがあたりのしも宿ぬ 〔巻十一・二六一六〕 作者不詳
「音速み」は、音がひどいのでの意で、今なら音響の鋭敏などというところを、「音速み」と云っているのは旨いものである。「奥山の真木の」までは序詞。一首の意は、折角女の家まで行って板戸をたたいたが、その音が余り大きく響くので、家人に気づかれるのを怖れて、近くの霜の上に寝た、というので、民謡風のものだが、そう簡単に片付けてしまわれぬものがある。「霜の上に寝ぬ」は民謡的に誇張があり文学的ないい方である。けれどもそれをただの誇張として素通り出来ぬものを感ずるのはどういうわけであろうか。「妹ガねやノ板戸ヲ開ムトスレバ、音ノ高クテ人ノ聞付ム事ヲ恐レ、サリトテ帰リモエヤラデ其アタリノ霜ノ上ニ一夜寝タルトナリ」(代匠記)の解は簡潔でよいから記して置く。新考で、「音速」を、「押し難み」だろうといったが、それは古今集ばり常識である。

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月夜つくよよみ妹に逢はむと直道ただぢから吾は来つれど夜ぞふけにける 〔巻十一・二六一八〕 作者不詳
「直道」は、真直な道、まわり道しない道のこと、近道。「から」は「より」と同じで、「之乎路しをぢから直越ただこえ来れば羽咋はぐひの海朝なぎしたり船楫ふねかぢもがも」(巻十七・四〇二五)、「ただに行かず巨勢路こせぢから石瀬いはせ踏みめぞ吾が来し恋ひてすべなみ」(巻十三・三三二〇)、「ほととぎす鳴きて過ぎにし岡傍をかびから秋風吹きぬよしもあらなくに」(巻十七・三九四六)などの「から」は皆「より」の意味だから、只今私等の使う「から」は既にこの頃からあったのである。この歌は、急いでまわり道もせずに来たが、それでも夜がけたという、そこに感慨があるのである。直接に女にうったえていない客観的ないい方だけれども民謡的な特徴が其処そこに存じている。

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ともしびのかげに耀かがよふうつせみのいもゑまひしおもかげに見ゆ 〔巻十一・二六四二〕 作者不詳
 寄物述思の中に分類せられている。自分の恋しい女が燈火のもとにいて、嬉しそうににこにこしていた時の、何ともいえぬ美しく耀かがやくような現身うつせみ即ちからだそのものの女が、今おもかげに立って来ている、というのである。この歌は嬉しい心持で女身を讃美しているのだから、幾分誇張があって、美麗過ぎる感があるけれども、本人は骨折っているのだからそれに同情して味う方がいい。「年も経ず帰りなむと朝影に待つらむ妹が面影に見ゆ」(巻十二・三一三八)などと較べると、「燈のかげに」の方は覚官的に直接に云っている。

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難波人なにはびと葦火あしびしてあれどおのが妻こそとこめづらしき 〔巻十一・二六五一〕 作者不詳
 寄物述思の一首。難波の人が葦火あしびを焚くので家がすすけるが、おれの妻もそのようにもう古び煤けた。けれどもおれの妻はいつまでっても見飽きない、おれの妻はやはりいつまでも一番いい、というので、若い者の甘い恋愛ともちがって落着いたうちに無限の愛情をたたえている。軽い諧謔かいぎゃくを含めているのも親しみがあってかえって好いし、万葉の歌は万事写生であるから、たとい平凡のようでも人間の実際が出ているのである。「青山のみねの白雲朝にけに常に見れどもめづらし吾君」(巻三・三七七)、「住吉の里行きしかば春花のいやめづらしき君にあへるかも」(巻十・一八八六)等の例がある。結句ツネメヅラシキと訓んで居り、いずれでも好い。

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うまのとどともすれば松蔭まつかげでてぞつるけだし君かと 〔巻十一・二六五三〕 作者不詳
 結句、原文「若君香跡」で、旧訓モシハ・キミカト、考モシモ・キミカトであったのを古義でケダシ・キミカトと訓んだ。「若雲ケダシクモ」(巻十二・二九二九)、「若人見而ケダシヒトミテ」(巻十六・三八六八)の例がある。なお額田王の「いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥ほととぎすけだしや鳴きし吾が恋ふるごと」(巻二・一一二)があること既にいった。一首は女が男を待つ心で何の奇もろうしない、つつましいい歌である。そしていろいろと具体的に云っているので、読者にもまたありありと浮んで来るものがあっていい。なおこの歌の次に、「君に恋ひねぬ朝明あさけが乗れる馬の足音あのとぞ吾に聞かする」(巻十一・二六五四)、「味酒うまさけ三諸みもろの山に立つ月のし君が馬のおとぞする」(同・二五一二)の例がある。

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まどごしにつきおしりてあしひきのあらしきみをしぞおもふ 〔巻十一・二六七九〕 作者不詳
 第二句原文「月臨照而」で、旧訓ツキサシイリテであったのを、契沖がツキオシテリテと訓んだ。窓から月が部屋へやまでさし込んで、嵐の吹いてくる今晩は、身に沁みてあなたが恋しゅうございます、というので、月の光と山の風とが特に恋人をおもう情を切実にすることを云っている。私はこの歌で、「窓ごしに月おし照りて」の句に心をかれている。普通「窓越しに月照る」というと、窓外の庭あたりに月の照る趣のように解するが、「おし照る」が作用をあらわしたから、月光が窓から部屋までさし込んでくることとなり、まことにうまい云いかたである。月光を機縁とした恋の歌に、「吾背子がふりけ見つつ嘆くらむ清き月夜に雲な棚引き」(巻十一・二六六九)、「真袖もち床うち払ひ君待つと居りしあひだに月かたぶきぬ」(同・二六六七)等がある。

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彼方をちかた赤土はにふ小屋をやこさめとこさへれぬ身に我妹わぎも 〔巻十一・二六八三〕 作者不詳
 これは寄雨歌だから、こういう云い方をするようになったもので、「赤土の小屋」即ち、土のうえに建ててある粗末な家に小雨が降って来て床までも沾れた趣である。そこで結句が導かれるわけで、つまりは、「身に副へ我妹」が一首の主眼となるのである。上の句などは大体の意味を心中に浮べて居れば好いので、小説風に種々解釈する必要はなかろうとおもう。民謡的で、労働に携わりながらうたうことも出来る歌である。

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しほてば水沫みなわうか細砂まなごにもわれけるかひはなずて 〔巻十一・二七三四〕 作者不詳
 海の潮が満ちて来ると、みずあわに浮んでいるこまかい砂の如くに、恋死こいじにもせずに果敢はかなくも生きているのか、というので、物に寄せた歌だから細砂のことなどを持って来たものだろうとおもうが、この点はひどく私の心をひいている。近代の象徴詩などというといえども、かくの如くに自然に行かぬものが多い。「細砂まなごにも」をば、細砂まなごにも自分の命を托して果敢無はかなくも生きていると解するともっと近代的になる。真淵は「みナワの如く浮ぶまさごといひて、我イキもやらず死もはてず、浮きてたゞよふこゝろをたとへたり」(考)といっている。
 この第四句は、原文「吾者生鹿」で、旧訓ワレハナリシカ、代匠記ワレハナレルカ。略解りゃくげワレハイケルカである。この句を旧訓に従って、ナリシカと訓み、解釈を「細砂になりたいものだ」とする説もある(新考)。いずれにしても、細砂の中に自分の命を托する意味で同一に帰着する。「解衣ときぎぬの恋ひ乱れつつ浮沙うきまなご浮きても吾はありわたるかも」(巻十一・二五〇四)、「白細砂しらまなご三津の黄土はにふの色にいでて云はなくのみぞ我が恋ふらくは」(同・二七二五)等の中には、「浮沙」、「白細砂」とあって、やはり砂のことを云っているし、なお、「八百日やほかゆく浜のまなごも吾が恋にあにまさらじかおきつ島守」(巻四・五九六)、「玉津島磯の浦廻うらみ真砂まなごにもにほひて行かな妹がりけむ」(巻九・一七九九)、「相模路さがむぢ淘綾よろぎの浜の真砂まなごなす児等こらかなしく思はるるかも」(巻十四・三三七二)等の例がある。皆相当によいもので、万葉歌人の写生力・観入態度の雋敏しゅんびんに驚かざることを得ない。

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朝柏あさがしはうる八河辺はかはべ小竹しぬのしぬびて宿ればいめに見えけり 〔巻十一・二七五四〕 作者不詳
 此歌は「しぬびて宿ればいめに見えけり」だけが意味内容で、その上は序詞である。やはり此巻に、「秋柏潤和川辺うるわかはべのしぬのめの人にしぬべば君にへなく」(巻十一・二四七八)というのがある。この「君に堪へなく」という句はなかなか佳句であるから、二つとも書いて置く。このあたりの歌は、序詞を顧慮しつつ味う性質のもので、取りたてて秀歌というほどのものではない。

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あしひきの山沢やまさは回具ゑぐみに行かむ日だにも逢はむ母は責むとも 〔巻十一・二七六〇〕 作者不詳
 山沢にえている回具えぐみにゆく日なりと都合してあなたにお逢いしましょう。母にしかられても、というので、当時も母が娘をいろいろ監視していたことが分かる。結句の、「母は責むとも」は、前にあった、「母に障らば」などと同じ気持である。新考で、「逢はせ」と訓み、新訓でそれに従ったが、そうすると、男の方で女にむかっていうことになる。「逢ってください」となるが、少し智的になるだろう。新考のアハセ説は、第四句の「相将」が、古鈔本中(嘉・類)に、「相為」になっているためであった。

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蘆垣あしがきなか似児草にこぐさ莞爾にこよかわれましてひとらゆな 〔巻十一・二七六二〕 作者不詳
似児草にこぐさ」は箱根草、箱根歯朶しだという説が有力である。「に」の音で「にこよか」(莞爾)に続けて序詞とした。「我と笑まして」は吾と顔合せてにこにこして、吾と共ににこにこしての意。一首の意は、わたしと御一しょにこうしてにこにこしておいでになるところを、人に知られたくないのです、というので、身体的に直接な珍らしい歌である。此は民謡風な読人不知よみびとしらずの歌だが、後に大伴坂上郎女おおとものさかのうえのいらつめが此歌を模倣して、「青山を横ぎる雲のいちじろく吾とまして人に知らゆな」(巻四・六八八)という歌を作った。これも面白いが、巻十一の歌ほど身体的で無いところに差違があるから、どちらがよいか鑑別せねばならない。

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道のべのいつしばはらのいつもいつも人の許さむことをしたむ 〔巻十一・二七七〇〕 作者不詳
 この歌は、「人のゆるさむことをし待たむ」というのが好いので選んだ。男が女の許すのを待つ、気長に待つ気持の歌で、こういう心情もまた女に対する恋の一表現である。この巻の、「梓弓あづさゆみ引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを」(巻十一・二五〇五)は、女の歌で、やはり身を寄せたことを「許す」と云っている。なお、巻十二(三一八二)に、「白妙の袖のわかれは惜しけども思ひ乱れてゆるしつるかも」というのがある。この、「赦す」はややおもむきが違うが、つまりは同じことに帰着するのである。

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神南備かむなび浅小竹原あさしぬはらのうるはしみきみこゑしるけく 〔巻十一・二七七四〕 作者不詳
 一首の、「神南備の浅小竹原あさしぬはらのうるはしみ」は下の「うるはしみ」に続いて序詞となった。しかし現今も飛鳥あすか雷岳いかずちのおかあたり、飛鳥川沿岸に小竹林があるが、そのころも小竹林はしげって立派であったに相違ない。当時の人(この歌の作者は女性の趣)はそれを観察していて、「うるはし」に続けたのは、詩的力量として観察しても驚くべく鋭敏で、特に「浅小竹原」と云ったのもこまかい観察である。もっとも、この語は古事記にも、「阿佐士怒波良アサジヌハラ」とある。併しそれよりも感心するのは、一首の中味である、「が思ふ君が声のしるけく」という句である。自分の恋しくおもう男、即ちおっとの声が人なかにあってもはっきり聞こえてなつかしいというので、何でもないようだが短歌のような短い抒情詩の中に、こう自由にこの気持を詠み込むということはむつかしい事なのに、万葉では平然として成し遂げている。

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かにばたれとも宿めどおきなびきしきみことわれを 〔巻十一・二七八二〕 作者不詳
 おれと一しょにねるというのなら、おれは誰とでも寝よう。併し一旦いったんおれになびき寄ったお前のことだから、お前の決心を待っていよう、もう一度思案して、おれと一しょに寝ないかというので、男が女にむかっていうように解釈した。そうすれば「君」は女のことで、今の口語なら、「お前」ぐらいになる。この歌もなかなか複雑している内容だが、それを事も無げにおおせているのは、大体そのころの男女の会話に近いものであったためでもあろうが、それにしても吾等にはこうは自由に詠みこなすことが出来ないのである。初句、「さ寝かにば」は、「さ寝兼ねば」で、寝ることが出来ないならばである。結句の「吾を」の「を」は「よ」に通う詠歎の助詞である。

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山吹やまぶきのにほへるいも唐棣花色はねずいろ赤裳あかものすがたいめに見えつつ 〔巻十一・二七八六〕 作者不詳
 この歌は、一首の中に山吹と唐棣はねず即ち庭梅にわうめとを入れてそれの色彩を以て組立てている歌だが、少しく単純化が足りないようである。それにもかかわらず此歌を選んだのは、夢に見た恋人が、唐棣はねず色の赤裳を着けていたという、そういう色までも詠み込んでいるのが珍しいからである。万葉集の歌は夢をうたうにしても、かく具体的で写象が鮮明であるのを注意すべきである。

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こもりづのさはたづみなる石根いはねゆもとほしておもふきみはまくは 〔巻十一・二七九四〕 作者不詳
 この歌も、谿間たにまの水の具合をよく観ていて、それを序詞としたのに感心すべく、隠れた水、沢にこもり湧く水が、石根をも通し流れるごとくに、一徹におもっております、あなたに逢うまでは、というので山の歌らしくおもえる。この巻に、「こもりどの沢泉さはいづみなる石根をも通してぞおもふ吾が恋ふらくは」(巻十一・二四四三)というのがあるが、二四四三の方が原歌で、二七九四の方は分かり易く変化したものであろう。そうして見れば、「石根ゆも」は「石根をも」と類似の意味か。

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人言ひとごとしげみときみうづらひと古家ふるへかたらひてりつ 〔巻十一・二七九九〕 作者不詳
 人のうわさがうるさいので、鶉鳴く古い空家のようなところに連れて行って、そこでいろいろとお話をして帰したというので、「君」をば男と解釈していいだろう。この歌で、「語らひて遣りつ」の句は、まことに働きのあるものである。訓は大体こう略解りゃくげに従った。

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あしひきの山鳥やまどりしだなが長夜ながよ一人ひとりかも宿む 〔巻十一・二八〇二〕 作者不詳
 この歌は、「おもへども念ひもかねつあしひきの山鳥の尾の永きこの夜を」(巻十一・二八〇二)の別伝としてっているが、拾遺集恋に人麿作として載り小倉百人一首にも選ばれたから、此処に選んで置いた。内容は、「長き長夜をひとりかも寝む」だけでその上は序詞であるが、この序詞は口調もよく気持よき聯想をともなうので、二八〇二の歌にも同様に用いられた。なお、「あしひきの山鳥の尾の一峰ひとを越え一目ひとめ見し児に恋ふべきものか」(同・二六九四)の如き一首ともなっている。「一峰ひとを」と続き山を越えて来た趣になっている。この「あしひきの山鳥の尾の」の歌は序詞があるため却って有名になったが、この程度の序詞ならば万葉に可なり多い。

斎藤茂吉の万葉秀歌考巻12

巻第十二


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わが背子があさけのすがたずて今日けふあひだらすかも 〔巻十二・二八四一〕 柿本人麿歌集
 私の夫が朝早くお帰りになる時の姿をよく見ずにしまって、一日じゅう物足りなく心寂しく、恋しく暮しております、というのである。「朝明あさけすがた」という語は、朝別れる時の夫の事をいうのだが、簡潔に斯ういったのは古語の好い点である。「今日のあひだ」という語も好い語で、「梅の花折りてかざせる諸人もろびとは今日のあひだは楽しくあるべし」(巻五・八三二)、「真袖もち床うち払ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ」(巻十一・二六六七)、「行方ゆくへ無みこもれる小沼をぬ下思したもひに吾ぞもの思ふ此の頃の間」(巻十二・三〇二二)等の例がある。なお、「朝戸出あさとでの君が光儀すがたをよく見ずて長き春日を恋ひや暮らさむ」(巻十・一九二五)があって、外形は似ているが此歌に及ばないのは、此歌はいまだ個的なところが失せないからであろうか。

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うつくしみいもひとみなのごとめやかずして 〔巻十二・二八四三〕 柿本人麿歌集
 おれの恋しくおもう女が、今彼方かなたを歩いているが、それをば普通並の女と一しょにして平然と見て居られようか、手にも纏くことなしに、というのである。あの女を手にも纏かずに居るのはいかにもつらいが、人目が多いので致し方が無いということが含まっている。これだけの意味だが、こう一首に為上しあげられて見ると、まことに感に乗って来て棄てがたいものである。「人皆の行くごと見めや」の句は強くて情味をたたえ、情熱があってもそれをおさえて、傍観しているような趣が、この歌をして平板から脱却せしめている。無論民謡風ではあるが、未だ語気が求心的である。

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山河やまがは水陰みづかげふる山草やますげまずもいもがおもほゆるかも 〔巻十二・二八六二〕 柿本人麿歌集
 上句は序詞で、中味は、「やまずも妹がおもほゆるかも」だけの歌で別に珍らしいものではない。また、「山菅のやまずて君を」、「山菅のやまずや恋ひむ」等の如く、「山菅の・やまず」と続けたのも別して珍らしくはない。ただ、山中を流れている水陰みずかげにながくなびくようにして群生しているすげという実際の光景、特に、「水陰」という語に心をかれて私はこの歌を選んだ。この時代の人は、幽玄などとは高調しなかったけれども、こういう幽かにして奥深いものに観入していて、それの写生をおろそかにしてはいないのである。此歌は人麿歌集出だから人麿或時期の作かも知れない。「あまのがは水陰みづかげ草の」(巻十・二〇一三)とあるのも、こういう草の趣であろうか。

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あさきてゆふべますきみゆゑにゆゆしくもなげきつるかも 〔巻十二・二八九三〕 作者不詳
「君ゆゑに」は、しばしば出てくる如く、「君によって恋うる」、即ち「君に恋うる」となるのだが、もとは、「君があるゆえにその君に恋うる」という意であったのであろうか。一首の意は、朝はお帰りになっても夕方になるとまたおいでになるあなたであるのに、我ながら忌々いまいましくおもう程に、あなたが恋しいのです、待ちきれないのです、という程の歌で、此処の「ゆゆし」は忌々いまいまし、いとわしぐらいの意。「ことにいでて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心をせかへたるかも」(巻十一・二四三二)の如き例がある。この巻十一の歌の結句訓は、「せきあへてけり」(略解)、「せきあへにたり」(新訓)、「せきあへてあり」(総釈)等がある。「ゆゆし」は、つつしみなく、はばからずという意もあって、結局同一に帰するのだから、此歌の場合も、「慎しみもなく」とほんしてもいいが、忌々しいの方がもっと直接的に響くようである。

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玉勝間たまかつまはむといふはたれなるかへるときさへ面隠おもがくしする 〔巻十二・二九一六〕 作者不詳
「玉勝間」は逢うの枕詞で、タマは美称、カツマはカタマ(籠・筐)で、籠にはふたがあって蓋と籠とが合うので、逢うの枕詞とした。一首の意は、一体逢おうといったのは誰でしょう。それなのに折角せっかく逢えば、顔を隠したり何かして、というので、男女間の微妙な会話をまのあたり聞くような気持のする歌である。これは男が女に向っていっているのだが、云われて居る女の甘い行為までが、ありありと眼に見えるような表現である。女の男を回避するような行為がひどく覚官的であるが、それがごう婬靡いんびでないのは簡浄かんじょうな古語のたまものである。前にも、「面隠さるる」というのがあったが、また、「面無おもなみ」というのもあり、実体的でつ微妙な味いのあるいい方である。

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幼婦をとめごおなこころ須臾しましくときむとぞおもふ 〔巻十二・二九二一〕 作者不詳
 この幼婦おとめのわたくしも、あなた同様、しばらくも休むことなく、絶えずあなたにお逢いしたいのです、というのであるが、男から、絶えずお前を見たいと云って来たのに対して、こういうことを云ったものであろう。この歌では、「同じこころに」と云ったのが好い。「しにいきも同じ心と結びてし友やたがはむ我も依りなむ」(巻十六・三七九七)、「紫草むらさきを草とく伏す鹿の野はことにして心は同じ」(巻十二・三〇九九)等が参考になるだろう。なお、この歌で注意すべきは、「幼婦をとめごは」といったので、これは「わたくしは」というのと同じだが、客観的に「幼婦は」というのにかえって親しみがあるようであり、「幼婦をとめご」というから此歌がおもしろいのである。

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いまなむよ我背わがせこひすれば一夜ひとよ一日ひとひやすけくもなし 〔巻十二・二九三六〕 作者不詳
 一首の意は、あなたよ、もう私は死んでしまう方がしです、あなたを恋すれば日は日じゅう夜は夜じゅう心の休まることはありませぬ、というので、女が男にうったえたおもむきの歌である。「死なむよ」は、「死なむ」に詠歎の助詞「よ」の添わったもので、「死にましょう」となるのであるが、この詠歎の助詞は、特別の響を持ち、女が男に愬える言葉としては、甘くて女の声そのままを聞くようなところがある。この歌を選んだのは、そういう直接性が私の心をいたためであるが、後世の恋歌になると、文学的に間接にち却って悪くなった。
 巻四(六八四)、大伴坂上郎女の、「今は吾は死なむよ吾背生けりとも吾にるべしと言ふといはなくに」という歌は、恐らく此歌の模倣だろうから、当時既に古歌として歌を作る仲間に参考せられていたことが分かる。なお集中、「今は吾は死なむよ吾妹わぎも逢はずしておもひわたれば安けくもなし」(巻十二・二八六九)、「よしゑやし死なむよ吾妹わぎも生けりとも斯くのみこそ吾が恋ひ渡りなめ」(巻十三・三二九八)というのがあり、共に類似の歌である。「死なむよ」の語は、前云ったように直接性があって、よく響くので一般化したものであろう。併し、「死なむよ我背」と女のいう方が、「死なむよ我妹」と男のいうよりも自然に聞こえるのは、後代の私の僻眼ひがめからか。ただ他の歌が皆この歌に及ばないところを見ると、「今は吾は死なむよ我背」が原作で、従って、「死なむよ我背」が当時の人にも自然であっただろうとうことが出来る。

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よはひおとろへぬれば白細布しろたへそでれにしきみをしぞおもふ 〔巻十二・二九五二〕 作者不詳
 一首の意は、おれもようやく年をとって体も衰えてしまったが、今しげしげと通わなくとも、長年れ親しんだお前のことが思出されてならない、という程の意で、「君」というのを女にして、男の歌として解釈したのであった。無論民謡的にひろがり得る性質の歌だから、「君」をば男にして女の歌と解釈することも出来るが、やはり老人の述懐的な恋とせば男の歌とする方が適当ではなかろうか。さすれば、女のことを「君」といった一例である。それから、「白細布の袖の」までは「狎れ」に続く序詞であるが、やはり意味の相関聯するものがあり、衣の袖をかわした時の情緒じょうしょがこの序詞にこもっているのである。
 万葉に老人の恋を詠んだ歌のあることは既に前にも云ったが、なお巻十三には、「天橋あまはしも長くもがも、高山も高くもがも、月読つくよみたる変若水をちみづ、い取り来て君にまつりて、変若をち得しむもの」(三二四五)、反歌に、「あめなるや月日の如く吾がへるきみが日にけに老ゆらく惜しも」(三二四六)があり、なお、「沼名河ぬながはの底なる玉、求めて得し玉かも、ひりひて得し玉かも、あたらしき君が、老ゆらく惜しも」(三二四七)というのもある。これは女が未だ若く、男の老いゆく状況の歌であるが、男を玉に比したり、日月に比したりして大切にしている女の心持が出ていて珍しいものである。なお、「悔しくも老いにけるかも我背子が求むる乳母おもに行かましものを」(巻十二・二九二六)というのもある。これは女の歌だが、諧謔かいぎゃくだから、女はいまだ老いてはいないのであろう。略解りゃくげに、「袖のなれにしとは、年経て袖のなれしと、その男の馴来なれこしとをかね言ひて、君も我もよはひのおとろへ行につけて、したしみのことになれるを言へり」とあって、女の作った歌の趣にしているのは契沖以来の説である。

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ひさかたのあまつみそられるせなむこそこひまめ 〔巻十二・三〇〇四〕 作者不詳
 この恋はいつまでも変らぬ、空の太陽が無くなってしまうならば知らぬこと、というのであるが、恋に苦しんでいるために、自然自省的なような気持で、こういう云い方をしているのである。後代の読者には、何か思想的に歌ったようにも感ぜられるけれども、いいかたの動機はそういうのではなく、もっと具体的な気持があるのである。この種のものには、「天地あめつちに少し至らぬ丈夫ますらをと思ひし吾や雄心をごころもなき」(巻十二・二八七五)、「大地おほつちらば尽きめど世の中に尽きせぬものは恋にしありけり」(巻十一・二四四二)、「六月みなつきつちさへけて照る日にも吾が袖めや君に逢はずして」(巻十・一九九五)等は、同じような発想の為方しかたの歌として味うことが出来る。心持がやや間接だが、先ず万葉の歌の一体として珍重ちんちょうしていいだろう。なお、「外目よそめにも君が光儀すがたを見てばこそ吾が恋やまめ命死なずは」(巻十二・二八八三)があり、「わが恋やまめ」という句が入って居る。

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能登のとうみつりする海人あま漁火いさりびひかりにいつきちがてり 〔巻十二・三一六九〕 作者不詳
 まだ月も出ず暗いので、能登の海に釣している海人あま漁火いさりびの光を頼りにして歩いて行く、月の出を待ちながら、というので、やはり相聞そうもんの気持の歌であろう。男が通ってゆく時の或時の逢遭ほうそうんだものと解釈していいだろうが、比較的独詠的な分子がある。「光に」の「に」という助詞は此歌の場合には注意していいもので、「み空ゆく月の光にただ一目あひ見し人し夢にし見ゆる」(巻四・七一〇)、「玉だれの小簾をすすけきに入りかよひね」(巻十一・二三六四)、「清き月夜に見れど飽かぬかも」(巻二十・四四五三)、「夜のいとまに摘めるせりこれ」(同・四四五五)等の「に」と同系統のもので色調の稍ちがうものである。なお、「夕闇は道たづたづし月待ちてかせ吾背子その間にも見む」(巻四・七〇九)と此歌と気持が似て居る。いずれにしても燈火を余り使わずに女のもとに通ったころのことが思出されておもしろいものである。

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あしひきの片山雉かたやまきぎしちゆかむきみにおくれてうつしけめやも 〔巻十二・三二一〇〕 作者不詳
 旅立ってゆく男にむかって女の云った歌の趣である。「片山雉」までは「立つ」につづく序詞である。旅立たれるあなたと離れて私ひとりとり残されて居るなら、もう心もぼんやりしてしまいましょう、というので、「うつしけめやも」、うつつごころに、正気で、しっかりして居ることが出来ようか、それは出来ずに、心が乱れ、茫然ぼうぜんとして正気しょうきを失うようになるだろうという意味に落着くのである。この雉を持って来た序詞は、鑑賞の邪魔をするようでもあるが、私は、意味よりも音調にいいところがあるのでて難かったのである。「いつわりも似つきてぞするうつしくもまこと吾妹子われに恋ひめや」(巻四・七七一)、「高山と海こそは、山ながらかくもうつしく」(巻十三・三三三二)、「大丈夫ますらを現心うつしごころも吾は無し夜昼といはず恋ひしわたれば」(巻十一・二三七六)等が参考となるだろう。なお、「春の日のうらがなしきにおくれゐて君に恋ひつつうつしけめやも」(巻十五・三七五二)という、狭野茅上娘子さぬのちがみのおとめの歌は全くこの歌の模倣である。おもうに当時の歌人等は、家持やかもちなどを中心として、古歌を読み、時にはかく露骨に模倣したことが分かり、模倣心理の昔も今もかわらぬことを示している。「丹波道たにはぢ大江おほえの山の真玉葛またまづら絶えむの心我が思はなくに」(巻十二・三〇七一)というのも序詞の一形式として書いておく。
 以上で巻十二の選は終ったが、従属的にして味ってもいいものが若干首あるからついで書記かきしるしておこう。たいして優れた歌ではない。
死なむ命ここおもはずただにしも妹に逢はざる事をしぞおもふ (巻十二・二九二〇)
各自おのがじしひとしにすらし妹に恋ひせぬ人に知らえず (同・二九二八)
うまさはふ目には飽けどもたづさはり問はれぬことも苦しかりけり (同・二九三四)
思ふにし余りにしかばすべを無み吾はいひてきむべきものを (同二九四七)
現身うつせみの常のことばとおもへどもぎてし聞けば心まどひぬ (同・二九六一)
あしひきの山より出づる月待つと人にはいひて妹待つ吾を (同・三〇〇二)
夕月夜ゆふづくよあかとき闇のおぼほしく見し人ゆゑに恋ひわたるかも (同・三〇〇三)

斎藤茂吉の万葉秀歌考巻13

巻第十三


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相坂あふさかをうちでてれば淡海あふみ白木綿花しらゆふはななみたちわたる 〔巻十三・三二三八〕 作者不詳
 長歌の反歌で、長歌は、「山科やましな石田いはたの森の、皇神すめがみ幣帛ぬさとり向けて、吾は越えゆく、相坂あふさか山を」云々。もう一つのは、「我妹子に淡海あふみうみの、沖つ浪来寄す浜辺を、くれぐれと独ぞ我が来し、妹が目を欲り」云々というので、大和から近江の恋人の処に通う趣の歌である。この短歌の意味は、相坂おうさか(逢坂)山を越えて、淡海おうみの湖水の見えるところに来ると、白木綿しらゆうで作った花のように白い浪が立っている、というので、大きい流動的な調子で歌っている。この調子は、はじめて湖の見え出した時の感じに依るもので、従って恋人に近づいたという情緒じょうちょにも関聯するのである。そこで、「うち出でて見れば」と云って、「浪たちわたる」と結んでいるのである。即ちこの歌では「見れば」が大切だということになり、源実朝みなもとのさねともの、「箱根路をわが越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」との比較の時にも伊藤左千夫がそう云っている。実際、万葉の此歌にくらべると実朝の歌が見劣みおとりのするのは、第一声調がこの歌ほど緊張していないからであった。この歌は、「白木綿花(神に捧げるぬさの代用とした造花)に」などと現代の人の耳に直ぐには合わないような事を云っているが、はじめて見え出した湖に対する感動が極めて自然にあらわれているのが好いのである。第三句は、アフミノミでもアフミノウミでもどちらでも好い。それから、「淡海の海」と、「伊豆の海や」との比較にもなるのであるが、やはり「淡海の海」とした方がまさっているだろう。次にこの歌では、「相坂をうち出でて見れば」と云っているが、これを赤人の、「田児の浦ゆうち出でて見れば」と比較することも出来る。「打出でて見れば」は「打出の浜」という名とは関係なく、しあっても後世の命名であろう。

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敷島しきしま日本やまとくにひと二人ふたりありとしはばなになげかむ 〔巻十三・三二四九〕 作者不詳
 一首の意は、若しもこの日本の国にあなたのような方がお二人おいでになると思うことが出来ますならば、どうしてこんなになげきましょう。恋しいあなたがただお一人のみゆえこんなにも悲しむのです、というので、この歌の「人」は貴方あなたというぐらいの意味である。この歌は女としての心の働き方が特殊で、今までの相聞歌の心の動き方と違うところがあっていい。この歌の長歌は、「敷島の大和の国に、人さはに満ちてあれども、藤波の思ひまつはり、若草の思ひつきにし、君が目に恋ひやあかさむ、長きこの夜を」(三二四八)というので、この反歌と余りき過ぎぬところがうまいものである。この長歌の「人」は人間というぐらいの意だが、やはり男という意味が勝っているであろう。
 略解りゃくげで、「わがおもふ人のふたりと有ものならば、何かなげくべきと也」と云ったのは簡潔でいい。なお、この短歌の、「人二人」云々につき、代匠記で遊仙窟ゆうせんくつの「天上無ナラビ人間ヨノナカニヒトリノミ」という句を引いていたが、この歌の作られた頃に、遊仙窟が渡来したか奈何どうかも定めがたいし、「人二人ありとし念はば」というようないい方は相聞心の発露としてそのころでも云い得たものであろう。明治新派和歌のはじめの頃、服部躬治はっとりもとはる氏は、「天地の間に存在せるはたゞ二人のみ。二人のみと観ぜむは、夫婦それ自身の本能なり。観ぜざるべからざるにあらず、おのづからにして観ずべしとす。夫婦はしかも一体なり。大なる我なり。我を離れて天地あらず、天地の相は我の相なり。既に我の相を自識し、我の存在を自覚せらば、何をもとめて何かなげかむ。我はとこしへに安かるべく、世は時じくに楽しかるべし。けだしこの安心は絶対なり」(恋愛詩評釈)と解釈し、古義の解釈を、「何ぞそれ鑑識のひくきや」等と評したのであったが、やはり従来の解釈(略解・古義等)の方が穏当であった。併し新派和歌当時の万葉鑑賞の有様を参考のために示そうとしてここに引用したのである。

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かはいしふみわたりぬばたまの黒馬くろまつねにあらぬかも 〔巻十三・三三一三〕 作者不詳
 長歌の反歌で、長歌は、「こもりくの泊瀬小国はつせをぐにに、よばひせす吾がすめろぎよ」云々という女の歌である。この短歌は、川瀬の石を踏渡って私のところに黒馬の来る晩はいつでも変らずこうあらぬものか、毎晩御通いになることを御願しております、というので、「常にあらぬかも」は疑問をいって、願望になっているのである。「我が命も常にあらぬか昔見しきさ小河をがはを行きて見むため」(巻三・三三二)の「常にあらぬか」がやはりそうである。巻四(五二五)、坂上郎女さかのうえのいらつめの、「佐保河の小石こいし[#「小石」の左に「さざれ」の注記]踏み渡りぬばたまの黒馬の来る夜は年にもあらぬか」は、恐らくこの歌の模倣だろうと想像すれば、既に古歌として伝誦せられ、作歌の時の手本になったものと見える。「黒馬」といったのは印象的でいい。
 巻十三から選んだ短歌は以上のごとく少いが、巻十三は長歌で特色のあるものが多い。然るにこの選は長歌を止めたから、その結果がかくのごとくになった。




(私論.私見)