党史3、北小路敏逝去以降 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.5.2日
これより以前は、「党史3、本多虐殺から「五月テーゼ」まで」で確認する。
(れんだいこのショートメッセージ) |
中核派と云うのはなかなか味のある党派であるように思われるので、ここで履歴検証しておく。「ウィキペディア中核派」その他を参照する。 2007.10.20日 れんだいこ拝 |
1991(平成3)年 |
9月、外務省審議官実父宅放火殺人事件。 他、同時ゲリラ事件。 |
【革マル派関連】 |
10月、革マル派の最高指導者・黒田寛一が、労対4人組(森、土門、朝倉、西条?)を批判、元全逓労働者土井(DI)を抜擢する。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連】 |
1991年、革労協反帝学評(青解派)の関西の全逓組合員らが西原学を中心に西原グループとして分裂した。 |
労働運動の分野では自治体、郵政、教育、JRを「四大産別」として、労組への影響力拡大を図ることになった。毎年11月頃に「全国労働者総決起集会」を東京で開催しており、その動員数は年々増加傾向にある。2005年の「11.6全国労働者総決起集会」では過去最高の2700名を動員した(平成17年の警備情勢を顧みてより)。 |
1991年、ソ連邦が崩壊し、ブルジョア評論家やマスコミは、「マルクス主義は終わった」と一斉に宣伝した。レーニンの石造が倒され、資本主義が勝利したかのような映像が世界を駆け巡った。 |
1992(平成4)年 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
3月、革マル派が、沖縄教労高橋利雄拉致、後殺害。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
*月、革マル派の沖縄党トップ山里章,全駐労党トップ仲原忠義が脱退。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
7月、革マル派を脱退した沖縄党トップ山里章が拉致される。 |
1993(平成5)年 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
7月、拡大全国委員会で黒田議長が、賃プロ主義者DIを「粛清」。 |
【革労協反帝学評(青解派)が革マル派テロ】 |
8.27日、JR貨物革マル中村辰夫を完全打倒。そのつれあいであり民間産別指導部・「虚点」エーザイ革マル中村シズエを重せん滅。「この決定的打撃は、沖縄革マル創始者山里以下の沖縄産別革マルの全面逃亡に端的な革マル組織分裂と崩壊を強制していったのである」。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
1993年、高島が査問中投身自殺?。 |
1994(平成6)年 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害、山里章の脱落・逃亡により、沖縄県で大きな勢力を誇った革マル派組織は壊滅的状況に陥る。 |
【マルクス主義基本文献学習シリーズの刊行開始】 |
1994.6月、マルクス主義基本文献学習シリーズの刊行開始。 |
1995(平成7)年 |
【革マル派関連】 |
革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害される。山里章が拉致されたことにより沖縄県の革マル派組織は壊滅的状況に陥る。 |
【革マル派関連】 |
10月-12月、JR労組幹部(鉄道友愛会議長)宅に電話盗聴。 |
【革マル派関連/内部抗争】 |
12月、革マル派を脱退し拉致されていた沖縄党トップ山里章が脱出生還する。 |
1995年、第19回全国委員会総会(19全総)を買い指し、「先制的内戦戦略フェーズⅠ・フェーズⅡおよび5月テーゼ」のもとでの闘いを総括する。ソ連スターリン主義崩壊後の現代世界認識と情勢分析、沖縄奪還綱領の再構築と第三次安保・沖縄闘争論、憲法闘争論、7・7路線の革命的貫徹などについて討議・決定した。 |
1997.12月末、20全総。革共同の新指導体制が確立され、議長に清水丈夫、副議長・中野洋(安田)、書記長に天田三紀夫を選出。北小路敏が副議長に就任(清水丈夫議長―天田三紀夫書記長の最高指導体制)。但し、清水議長の指導、中野洋による労働運動重視(実際は動労千葉至上主義)の指導方針について党内で次第に対立が生じていくことになる。 |
1996(平成8)年 |
【革マル派関連】 |
2月、JR内部で活動する革マル派の実態を告発した「JRの妖怪」の著者である小林峻一の自宅から取材メモやフロッピーディスクなどを盗み出し、その情報をもとに、取材に応じた関係者に対して脅迫や嫌がらせを行う。これに対し、警察は革マル派非公然アジト「大和アジト」を家宅捜索。 |
【革労協反帝学評(青解派)が革マル派テロ】 |
5.14日午後9時頃、革労協(挟間派)の十数人が、横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス付近の路上で、革マル派の国学院大生ら7名を鉄パイプで殴り、「SOB」として派遣されていた早大革マル五十嵐修(元早稲田大学社会科学部自治会委員長)を殺害、6人に重傷を負わせた。 |
【革マル派関連】 |
8月、国鉄労働組合(国労)本部書記長(当時の企画部長)宅に不法侵入する事件を起こす。 |
【革マル派関連】 |
8月~10月、早稲田大学学生部長宅盗聴事件。 |
【革マル派関連】 |
9月、神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す。 |
【革マル派関連】 |
10月、議長・黒田が辞任し、後任議長に植田琢磨が就任。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連】 |
1996年、革労協反帝学評(青解派)の神奈川のグループが集団脱走し、狭間派の内部崩壊がエスカレートしている。 |
1997(平成9)年 |
【中核派関連/陶山健一逝去】 |
1.14日、中核派最高幹部の一人である陶山 健一(すやま けんいち)氏が、内臓疾患で病死した(享年)。革マル派の幹部森茂(鈴木啓一)は陶山の実兄である。東京大学農学部入学後の1955年、日本共産党に入党。1958年に党を除名された後は社会主義学生同盟委員長として名を馳せた。卒業後は、農林水産省の食糧庁に入庁するものの、60年安保闘争に飛び込み、過激な左翼運動を理由に懲戒免職されている。以後、中核派の専従活動家となる。1974年、革マル派との内ゲバ事件で重傷を負って入院後、病院を脱走して消息不明となる。1987年、養父の法要が行われていた自宅に姿を現し逮捕された。その後は岸本健一の筆名で執筆活動を行っていた。陶山の葬儀に森茂(鈴木啓一)の姿はなかった。 |
【革マル派関連】 |
6月以降、神戸連続児童殺傷事件は冤罪だとする闘争に乗り出す(米国のCIAによる「謀略的権力犯罪」であると主張)。 |
【革マル派関連】 |
8月-10月、早稲田大学学生部長宅盗聴事件。これに対し、警察は革マル派活動家10人を指名手配。 |
【革マル派関連】 |
9月、神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す。また、盗聴器を仕掛けるため被疑少年の両親宅にも忍び込む。 |
【中核派の新指導体制として議長/清水、副議長/中野(安田)、書記長/天田が確立】 |
年末、第20回拡大全国委員会総会(20全総)。中核派の新指導体制として議長/清水丈夫、副議長/中野洋(安田)、書記長/天田三紀夫を選出した。しかし、清水丈夫による党内の独裁体制、中野洋による労働運動重視(のちの「関西派」は動労千葉至上主義と批判)の指導方針について党内で次第に対立が生じて行った。 |
1998(平成10)年 |
【革マル派関連】 |
1月、革マル派非公然アジト「豊玉アジト」が摘発され、偽造した警察手帳や公安調査官証票などが押収される。 |
1998.2.25日、革命軍が東京都世田谷区桜丘の運輸省(現・国土交通省)元航空局長の新築中の住宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。「「成田空港二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を絶対に粉砕することを明らかにする戦闘宣言」と発表。 |
【革マル派関連】 |
4.9日、革マル派非公然アジト「浦安アジト」が摘発され、警察無線解読機器などが押収される。これにより、革マル派が警察無線の傍受を行っていた事が発覚する。 |
【革労協反帝学評(青解派)が「明大ゴスペル愛好会」闘争】 |
5月、革労協の拠点であった明治大学で「明大ゴスペル愛好会」との闘争が激化した。「明大ゴスペル愛好会」は韓国からの留学生が主体で、キリスト教原理主義の立場に立ち、政治的には反共とシオニズム支持(クリスチャン・シオニズム)であった。革労協は同愛好会を襲撃をするも返り討ちに合い、警察へ突き出されるなどの失態まで出すことになった。そこで明大ゴスペル愛好会への対応をめぐり、闘争をやめて事態の鎮静化を図ろうとする穏健派の山田茂樹ら反主流派(後の赤砦社派)と、徹底抗戦を主張する強硬派の狭間、千木良ら主流派(後の現代社派)が対立。以前から革労協内部でくすぶっていた現代社常任幹部(狭間派)と全学連・寄せ場労働者などのメンバー(赤砦派)の対立が表面化する。 山田茂樹が個人の判断で勝手にゴスペル代表者と手打ちをしたことで、狭間嘉明の怒りを買い杉並区高井戸の「現代社」での反主流派への査問が始まった。 その際山田ら反主流派は革労協内部での劣勢を立て直すため、ひそかに革労協のシンボルである現代社の乗っ取り計画を立てクーデターを画策した。社防隊が手薄となるゴールデンウィークに狙い定め実行するも失敗。反主流派は逆に外部へと放逐される形で追い出され、現在の台東区下谷の賃貸マンションに新拠点の「赤砦社」を置き、山田茂樹をリーダーとして、革労協の分裂が決定的となった。主流派は現代社派・狭間派、反主流派は赤砦社派・山茂派・木元派などとも呼ばれる。 |
【革労協反帝学評(青解派)が「韓国人牧師襲撃事件」】 | |
1998.10.18日、東京都新宿区戸山二丁目、プロテスタント教会牧師の金圭東・氏(49歳)が襲撃され重傷を負う。革労協狭間派の仕業とみられる。 同派機関紙「解放(1998.11.1日付け680号)は、革命軍よりの軍報として「国際反共ファシストの頭目=金圭東に革命的鉄槌―徹底せん滅 ファシスト解体・絶滅戦の歴史的突破口切り開く」なる見出しで次のように声明している。
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【革マル派関連】 |
11月、革マル派非公然アジト「厚木アジト」(神奈川県厚木市)が摘発され、非公然活動家一人が凶器準備集合罪で検挙された。アジトは一戸建てで、「アベ製作所」の看板を出し、板金や塗装を行う製作所を装っていた。アジトには、旋盤機、万力等の大型工作機械が設置されていたほか約150本にものぼる鉄パイプ(伸縮式のものも含む)、約60本の鉄棒入り竹刀、防護用小手、サバイバルナイフ、鉈(なた)、まきびし等の凶器等の凶器が押収された。 |
1999(平成11)年 |
【革マル派関連】 |
1月、革マル派非公然アジト「荒川アジト」が摘発され、指名手配中の1人を含む非公然活動家4人が逮捕される。また、偽造ナンバープレート・鉄パイプ・まきびし・携帯電話電波妨害用機材などが押収される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/滝口弘人病死】 |
3月、1969年の革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の結成時の総務委員にして、1981年の革命的労働者協会分裂に伴い、1985年、「革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会」結成に参画、リーダーとなっていた滝口弘人(本名、佐々木慶明(よしあき))が逝去する。 |
3月、北小路敏が三里塚反対同盟・市東東市さんの逝去を悼み、現地集会で追悼演説を行う。
【革労協反帝学評(青解派)関連/第三次分裂】 | |||||||||||||||
5.6日、革労協反帝学評(青解派)は1980年に主流派の狭間派、反主流派の労対派に組織分裂(第一次分裂)、1988(昭和63).1月、主流派の狭間派、反主流派の永井派に組織分裂(第二次分裂)しているが、主流派の狭間派内で戦術方針をめぐって狭間派が主流派(狭間嘉明を中心とする中執系千木良派)と反主流派(山田茂樹を中心とする明大系山茂派)に分裂する。 挟間派は1989.6.25日の元革労協(挟間派)最高幹部内ゲバ殺人事件以降も、神奈川グループや関西グループの脱退などで分裂を繰り返していた。また最高幹部・挟間嘉明の健康悪化による指導力低下で、山田を中心とする学生グループと古参幹部を中心とする労働者グループで主導権争いが起こった。 5.7日、東京地裁において双方が怒鳴りあうなど表面化していた。以後、主流派を「現代社派」(千木良派)、反主流派を「赤砦社派」(明大系山茂派)と表記する。これにより革労協反帝学評(青解派)は次の三派に分かれることになった。
1999年は3名の活動家が殺害された。両派は,その後,双方が切り崩しや引き戻しをねらった主導権争いを展開する中で、11年中、5件の内ゲバ事件を引き起こし,活動家3人が死亡、1人が重傷を負った。12年に入っても,両派は機関紙等で攻撃主張を強め、12.2月には3件の内ゲバ事件を相次いで引き起こし、活動家2人が死亡、2人が負傷した。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の最高幹部・山田茂樹重傷】 | |
6.4日、現代社派(狭間派)が、東京・北区豊島の日本キリスト教団「王子北教会」礼拝堂で牧師と談話中の赤砦社派の最高幹部・山田茂樹を鉄パイプのようなもので襲撃。山田は、右腕と両足を骨折、全身打撲という大けがを負った。山田はその後、後遺症により単独での歩行に困難をきたしている。 「現代社派」は次のように声明している。
赤砦社派はさらなる襲撃に備えるために明大学内サークル室に搬伸縮式鉄パイプや特殊警棒、金属バット類を搬入した。が、それを理由に警察が家宅捜索に入り、6.8日、中心メンバー17名が凶器準備集合罪で逮捕され、赤砦社派は危機的状況に陥る。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバ】 |
6.12日、現代社派が赤砦社派の手薄に乗じ、明大駿河台の学生部隊(赤砦社派)に向け私服部隊で武装潜入をかけ、明大学生会館内の赤砦社派に握られていた革労協拠点の奪還を図るが未遂に終わる。 6.13日、赤砦社派は、一連の現代社派の攻勢に対して「無制限・無制約の革命的テロ」を宣言し、現代社派との「全面戦争」に向った。山田は幹部/土肥、小沢(従来彼らは革労協の軍事部門の担当だったキャリア?)らと、巻き返しのための革命軍を早速強化し、さっそく全国で「無制限・無制約の革命的テロ」を実行にうつすこととなった。最大の学生拠点である明治大学が両派攻防の主戦場となった。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派の長田佳比古殺害】 |
7.2日、「明大生協理事殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、出勤途中だった現代社派の明大生協理事・長田佳比古(50、荻野)が松戸市で出勤中のバイクを倒し、側頭部のみにハンマーで連打を浴びせ虐殺する。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバ】 |
1999.7.7日、東京都中央区茅場町の地下鉄日比谷線茅場町駅のホームで男女がもめ、男の1人が止めにはいった駅助役(58)の顔を殴った。駅員らが男を取り押さえ、警視庁中央署が逮捕した。逮捕されたのは、過激派「革労協狭間派」非公然活動家、秋山祐一郎容疑者(45)。警視庁は内ゲバ事件とみて捜査している。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/赤砦社派の相川一郎(中山)殺害】 |
7.21日、「明大生協職員殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。現代社派が、7.2の報復として赤砦社派の神奈川大出身の相川一郎(中山)明治大学生協職員を襲い、相川氏は翌日死亡。狭間派はこの人物を「木元派をつくれと山田をそそのかした正体不明の撹乱分子」と呼んだ。 7.22日、現代社派は、明大生田キャンパスに再度、全国動員公然ゲバ部隊を差し向け、構内の山田派を「投擲用の鉄片、青竹」で白昼襲撃せんとする。赤砦派は直対応せず、学生部の出した「退去命令」にしたがい構外に出たところ、入れ違いに突入してきた機動隊によって現代社派37名全員が凶器準備集合罪と建造物侵入で検挙・起訴された。現代社派はこの大量逮捕がたたり、拠点の明治をはじめ山谷や福岡、九州大など「同派のシンボル」から一掃され、山田派一色に塗り替えられることになった。 |
【革マル派関連】 |
10.23日、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で、革マル派非公然アジト「札幌豊平アジト」が摘発され、携帯電話・カセットテープ・文書類などが押収される。また、アジトにいた革マル派非公然活動家の荒井政則が、免状不実記載の疑いで逮捕される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派幹部の安部利昭殺害】 |
11.14日、「福岡県委員会議長殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、福岡市城南区で現代社派幹部・佐賀大出身で全学連書記長を務めた安部利昭(当時50)を襲撃し虐殺する。これを契機に九州大や福岡の寄せ場に登場、革労協の拠点は三里塚現闘以外、赤砦社派一色に塗り替えらることになった。 |
1999.11月、新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社)次長の自宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。
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1999.11月、闘う労働運動の新しい潮流の形成へ3労組呼びかけの11月労働者集会始まる。 |
1999年、春の新安保ガイドライン決戦、夏の組織的犯罪対策法と「日の丸・君が代」法制化阻止闘争を闘いぬき、闘う労働運動の新しい潮流の形成をかかげて11月労働者集会の成功をかちとる。 |
2000(平成12)年 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の片岡知和殺害】 |
2.8日、現代社派が、福岡県内の赤砦社を襲撃し、駐車場で現地に派遣されて常駐していた片岡知和(25、福井大生)を虐殺。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派の柿沼忠殺害】 |
2.8-9日、「真鶴駅学生活動家殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。赤砦社派が、神奈川県のJR真鶴駅上りホームで、現代社派襲撃部隊のキャップ柿沼忠(48歳)を襲撃し虐殺、サブの女性後藤あざみが3人組の男に襲われ、停車していた伊東発東京行きの普通電車に逃げ込む。2人は小田原駅で降ろされ病院に運ばれたが、男が右胸を刺され死亡、女の方も背中や腹を刺されて重傷を負った。5、60歳代と見られる逃げた3人組は真鶴駅の改札口を抜け、海の方向へ逃げて行った。3人とも大きなマスクをしていた。 |
2000.6.5日、公式ホームページを開設。
8.26日 運輸省(現・国土交通省)幹部の車両に時限式発火装置を仕掛け、放火。革命軍が「農民の営農破壊、生活破壊のためだけに暫定滑走路工事を強行してきた張本人」「強烈無比の爆破戦闘は、乗用車を大破し、家屋をも徹底的に破壊した」と軍報。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の片山美恵子殺害】 |
8.30日、「鶯谷駅明大生協組合幹部殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。現代社派が、JR鶯谷駅で赤砦社派の明治大学生協組合書記長・片山美恵子(48)を小型出刃包丁等で襲撃し刺殺虐殺。襲撃したメンバーはワゴン車で逃走した。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代社派の仲野茂樹殺害】 |
12.10日、「革労協総務委員殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、東京・清瀬市の路上で、現代社派の革労協総務委員・タクシー運転手の仲野茂樹(52)を襲撃虐殺。革労協狭間派の主流派と反主流派抗争で既に6人が死亡しており7人目の犠牲となった。 |
2000年頃、小西誠(いわゆる「反戦自衛官」)が、「清水による独裁体制」を批判して脱党。現在、「中核派vs反戦自衛官」、「検証 内ゲバ」などの著書で中核派を批判し続けている。
2001(平成13)年 |
【革労協反帝学評(青解派)関連】 |
2.16日、朝の出勤時間、相模原にある赤砦社派活動家宅を公安私服部隊が徹夜で監視していた目の前で、現代社派の襲撃部隊を載せたバンが現れ、乗っていた4名全員が凶器車輛もろとも一網打尽に遭う。この未然逮捕は警察が前年の『片山殺害への報復』として起きた現代社派古参現役労組構成員への殺害(12月10日)を受けて現代社派が必ず等価報復に出ると予測し、山田派労組幹部部分への隠密裏監視を行なっていたため成功した。この逮捕により赤砦社派優勢が決定的となる。 |
【第6回大会開催、「黒田哲学」徹底批判】 |
2001年前半頃、第6回大会を開催した。 大会では黒田寛一の主張する哲学(いわゆる「黒田哲学」)の徹底批判を行い、対カクマル戦の勝利を宣言し、新指導路線模索に向かった。また、中核派批判を行なっていた白井朗元政治局員への「粉砕」宣言がなされた(白井朗は翌年の2002年12月、何者かによって襲撃される)。革共同再建協は、白井朗への組織的なテロを謝罪する声明を発表した。 |
【革マル派関連】 |
4.7日、神奈川県横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス構内で午後0時頃、同大学の学生自治会を事実上支配している革マル派の活動家ら数人が、サークルの勧誘をしていた同大学の男子学生を取り囲んで集団で暴行を加え、約10日間の軽傷を負わせた上、「なぶり殺しにしてやる」、「家に火をつけてやる」などと脅迫。これに対し、神奈川県警察は被疑者を指名手配して捜索を行う。 2001.12.23日~2002.3.21日、國學院大學たまプラーザキャンパス構内で発生した集団暴行事件の被疑者として、革マル派活動家の早水潤二・北條純・福本満および岡田貴行が、傷害と脅迫の疑いで相次いで神奈川県警察に逮捕される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで現代派社幹部・矢野義孝殺害】 |
5.16日、赤砦社派の4名が、千葉県八街市の飲食店駐車場で、現代派社の幹部・矢野義孝(49)を乗用車内から引きずり出し、ハンマーで頭などを殴打襲撃虐殺(革労協総務委員殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派))。8人目の死者となった。 |
【革マル派関連】 |
6月、革マル派非公然アジト「玉川アジト」が摘発され、非公然活動家2人が逮捕される。翌月、同アジトの名義人だった小学校教諭が犯人蔵匿罪で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
11月、革マル派非公然アジト「名古屋西アジト」が摘発され、活動家1人が有印私文書偽造・同行使罪等で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
12.26日、警視庁と北海道警が、革マル派非公然アジトの札幌市中央区のマンションなど北海道内11ヶ所を捜索。神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで指名手配されていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら3人の逃亡犯が、アジトに潜伏していたところを発見され、逮捕される。また、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で指名手配されていた広田雅明も逮捕され、さらに現場にいた革マル派活動家・住井秀行が犯人蔵匿の現行犯で逮捕される。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/狭間嘉明最高幹部病死】 |
12.8日、狭間嘉明最高幹部が病死(享年55歳)。 |
2002(平成14)年 |
2002.3月、北小路敏が革共同政治集会で、党を代表して長期獄中同志奪還への決意を述べる。
2002.4.22日、千葉県職員宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。 |
5.27日、鉄建公団訴訟をおこした国労闘争団員に対し、国労本部は除名を含めた統制処分をかけようとして国労臨時大会を開催した。 10.7日、中核派幹部や活動家、国労組合員が、会場前でビラまき中に国労幹部に殴る、蹴る、首を絞めるなどの暴行をしたとして、警視庁公安部は、国労闘争団員2名を含む国労組合員5名と中核派3名を逮捕した。検察は勾留満期の10.28日、8名のうち6名すなわち国労組合員5名全員と中核派1名を起訴。中核派2名は釈放された。その翌日の10.29日、警視庁公安部は国労組合員2名をさらに逮捕した。11.18日、2名とも起訴された。中核派はこの事件を「国労5.27臨大闘争弾圧」として徹底抗戦。一審で暴処法の適用と共謀の存在はいずれも退けられ、中核派1名は無罪確定。国労組合員は最高裁で罰金刑確定。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社派の片山美恵子殺害】 |
8.30日、現代社派が、JRうぐいす各駅南口で、赤砦社派の片山美恵子を襲撃し虐殺(享年48歳)。 |
【中核派元幹部で除名(「中核派民主派宣言」著者)が襲われ重傷】 |
12.18日、中核派元幹部で除名(「中核派民主派宣言」著者)が襲われ重傷を負う。 |
【中核派関連/56歳の活動家の転落変死】 |
2002.12月、56歳の活動家が広島市南区宇品西1丁目2-36の前進社中国支社(革共同中四国地方委員会)のビルの階段から転落死している。 |
2003(平成15)年 |
2003.年、前進新年号が、「イラク反戦闘争・杉並区議選・国鉄決戦」の「三大決戦論」を打ち出す。(新指導路線) |
【革マル派関連】 |
1.17日、革マル派非公然アジト「貫井アジト」が摘発され、フロッピーディスクなどが押収される。 |
【革マル派関連】 |
3.16日、「革マル派結成40周年・『共産党宣言』155周年記念革共同政治集会」を開催。議長・植田琢磨が「わが党組織建設の新たな段階を切りひらけ!革マル派結成40周年記念集会に際して」と題する記念講演を行う。 |
【革マル派関連】 |
4.24日、革マル派非公然アジト「弥生アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、ビデオテープなどが押収される。 |
【革マル派関連】 |
6.20日、革マル派非公然アジト「福岡城南アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。 |
【革マル派関連】 |
7.6日、「弥生アジト」に在室していた活動家2人のうちの1人が、詐欺罪及び有印私文書偽造・同行使罪で逮捕される。 |
【元中核派非公然活動家、上口孝夫被告逮捕される】 |
2003.7.8日、警視庁公安部が、威力業務妨害などの罪に問われ公判中に逃亡した元中核派非公然活動家、上口孝夫被告(53)を東京地検の収監指揮書に基づ き、29年ぶりに神奈川県横須賀市内の自宅で身柄確保、公安部から東京地検に引き渡され、東京拘置所に収監した。公安部によると、上口被告は1970.6月に「反安保統一行動」で東京・新宿駅で騒いだ威力業務妨害罪で、71年にも沖縄返還闘争デモに参加した際の凶器準備集合罪、公務執行妨害罪などで起訴された。その後、保釈され東京地裁で公判中だったが、74年1月、横浜国立大の内ゲバ事件で殺人容疑で神奈川県警に指名手配され、同年3月に予定されていた公判には出廷せず、逃亡した。東京地検は上口被告の保釈を取り消し、収監指揮書を出して行方を追っていた。その後、大阪府内の実家や東京都江東区内に住民票を置いていたが、上口被告は今年2月、横須賀市汐入町3丁目の一戸建ての家に住民登録したため逃亡先が発覚した。中核派の活動はやめ、渋谷区内のレストランでアルバイトをしていたという。 |
8.26日、千葉県警幹部と同姓同名の男性が住む民家に爆発物を仕掛け、放火(県警幹部と誤認した可能性が指摘されている)。 |
【中核派関連/飯田憲・氏の転落変死】 |
8.4日午前5時頃、広島市南区宇品西1丁目2-36の前進社中国支社(革共同中四国地方委員会)のビル前の路上でこの政治結社の構成員が血を流し倒れているのを通りがかりの人が見つけ警察へ通報した。男性は顔を強く打っておりすでに心肺停止状態で病院に運ばれたがまもなく死亡が確認された。死亡したのはこの政治結社の構成員飯田憲さん(60)で、普段からこの政治結社事務所に寝泊りしていた。 襲われた形跡がなくまた飲酒した様子が見られることから警察では飯田さんが寝泊りしている「前進社中国支社」の3階から転落したものとみて自殺と他殺の両面で捜査している。 |
【革マル派関連】 |
9月-12月、早稲田大学法学部教授宅に対する電話盗聴事件などで指名手配されていた革マル派非公然活動家6人が、東京都千代田区で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
9.12日、「福岡城南アジト」の名義人だった小学校教諭が詐欺罪で逮捕される。 |
【革マル派関連】 |
10.31日、革マル派非公然アジト「沖縄アジト」が摘発され、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。 |
11月、日韓米の国際連帯闘争始まる。
12月、新生マルクス主義青年労働者同盟結成。
2004(平成16)年 |
【「前進」第2132号(2004新年号)で、「新指導路線にもとづく党の革命」路線が打ち出す】 |
2004年、「前進」第2132号(2004新年号)で、「新指導路線にもとづく党の革命」路線が打ち出された。昨年夏の「政治集会」を区切りにして千葉労働の指導者・中野洋・氏が台頭し、概要「1・日帝のアジア侵略を内乱へという従来の総路線から資本攻勢との対決を軸とした階級的労働運動の飛躍・国際連帯を基本路線へ転じる。2・党の活動の中心・党建設の基本は労働運動・労働組合運動へのとりくみであり、労働者細胞の建設である、労働運動・労働組合運動に本気で取組み、それを党建設の基本に据える。動労千葉に学び、党の実体的変革を徹底的に進める。3・「非公然指導部、非合法・非公然体制の確立」から転じ、労働運動を基軸とした大衆運動に精力的に取り組む等々の方針を確認した。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社の小山(高山)元全学連書記長と千葉大生の全学連委員長/五十嵐章浩の2名殺害】 |
6.2日、「赤砦社三ノ輪アジト襲撃事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。午前7時15分頃、現代社派が、東京都台東区三ノ輪の路上で、赤砦社派アジトを出てきた赤砦社の小山(高山)元全学連書記長と千葉大生の全学連委員長/五十嵐章浩(31)の2名を襲撃し出血多量などで死亡させた。革労協の内内ゲバではすでに10人が死亡している。赤砦社派は機関紙上で「今度(襲撃に)来たら死人の山となる」と発表し、報復せず事実上の停戦に。 |
【革マル派関連】 |
9月、革マル派の手配の6人逮捕される。 |
2005(平成17)年 |
【新しい歴史教科書をつくる会執筆の教科書採択反対運動に積極的介入】 |
2005.8.4日、歴史教科書問題で、新しい歴史教科書をつくる会が執筆した扶桑社発行の教科書採択反対運動に積極的に介入し、東京都杉並区などで激しい反対運動を起こしている。デモの中で、参加者の中核派活動家の北島邦彦(現杉並区議会議員)が、ビデオ撮影をしていた男性に暴行を加えたとして逮捕される(後に釈放)。 |
11.6日、中核派及び関係労組らが主催する「全国労働者総決起集会」で過去最高の2700人(警察発表)を動員。 |
【革マル派関連】 |
11.30日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の被疑者として指名手配されていた、革マル派非公然活動家幹部・竹内政行が警視庁に出頭し、窃盗と建造物侵入の容疑で逮捕される。 |
12月、警察庁の「治安の回顧と展望」は、中核派について、同派と関係のある市民団体と共闘して、「つくる会」の教科書の採択反対運動に関与していることを強く示唆した。公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」は、「教労(教育労働者)決戦の一環として、教職員組合や市民団体に対し、同派系大衆団体を前面に立てて共同行動を呼びかけた」と指摘。「つくる会」の教科書に対する反対運動に中核派が関与していることを強く示唆した。 |
2006(平成18)年 |
【革マル派関連】 |
1.6日、2005.10.26日に大阪経済大学で教職員に対する暴行したとして、革マル派の活動拠点となっていた大阪経済大学の自治会室や学生会室などを、大阪府警が家宅捜索。活動家8名を逮捕。 |
2006.3.3日、迎賓館や在日米軍の横田飛行場などを狙って迫撃弾を発射し、爆発物取締罰則違反の罪に問われた中核派活動家に対し、東京地方裁判所が懲役12年の実刑判決を言い渡す。被告人側は即日控訴。 |
【「2006.3.14法政大学弾圧事件」】 |
3.14日、中核派系全学連委員長ら29名が、法政大学で、大学敷地内で立て看板の撤去作業に抗議し、建造物侵入と威力業務妨害の容疑で現行犯逮捕される。逮捕時には約200名の公安警察が動員された。中核派はこの事件を「2006.3.14法政大学弾圧事件」と称し強く反発した。3.25日には29名全員が釈放され、そのうち法大生であった5名人には停学や退学処分が下された。その後、処分された者を中心に「3.14法大弾圧を許さない法大生の会」なる団体をつくり、学内外で抗議活動を現在も行っている。大学側は警備員を常駐させるなどして対処している。06,07年中に停学学生に対して無期限停学や退学など追加処分が下され、(大学無関係者含めて)逮捕者は40名を超えている。 |
【関西委員会内で「3・14決起決起」】 |
2006.3.14日、関西を中心とする党員の一部が、「関西委員会指導部の腐敗、堕落」を訴えて決起した(3・14決起)。関西地方委員会の議長であった与田を追放し、指導部に対して自己批判、路線の転換を求めた。党中央は、クーデターであると判断し、組織統制を強化した。これをきっかけに、党組織は、清水議長、中野(安田)副議長を中心とした「動労千葉派」運動を重視する「労働戦線派」(多数派)と、これまでの路線を踏襲し各方面での大衆運動に関わることを重視する関西地方委員会中心の「諸戦線派」(いわゆる「関西派」、「塩川派(塩川一派)」、少数派)の対立が表面化し、各地で「反中央派」の党員に対する処分が相次ぐ。これにより関西や九州などで「諸戦線派」に対する排除あるいは離脱などの内部対立が表面化した。これら両派の対立の背景には急激な路線転換の際に切り捨てられた「革命軍」の兵士たちの処遇をめぐる確執があるものとの推測もある。 |
【革労協反帝学評(青解派)関連/内ゲバで赤砦社の大物・岸本修殺害】 |
3.28日、赤砦社内で大物・岸本修が死亡。赤砦社は死因を心臓麻痺としたが、全身にアザがあった。翌日、傷害致死の容疑で社内に家宅捜索が入る。 |
2006.3月、北小路敏が階級的労働運動路線を断固支持し、革共同の変革と飛躍への新たな挑戦を開始する。 |
2006年、現役杉並区議2名も、議会闘争方針の対立から中核派の政治団体「都政を革新する会」から離脱し「無所属区民派」を結成した。 |
【革マル派関連/黒田寛一病死】 |
6.26日、革マル派最高指導者の元議長・黒田寛一が埼玉県内の病院で死亡(享年78歳)。中核派は「恥多き死を強制した」とコメントしている。 |
秋頃 第22回拡大全国委員会総会(22全総)を開催。関西地方委員会の議長だった与田ら5名に対する除名処分が決議される。 |
【革マル派関連】 |
12.4日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら6人の被告人に対し、東京地方裁判所(大島隆明裁判長)が懲役5年~1年10ヶ月の実刑判決を言い渡す。 |
2007(平成19)年 |
2007年始め、北小路敏が闘病生活に入る。
1月、階級的労働運動路線打ち出す。 |
2007.4.27日、退学処分に対する中核派などのデモ中、中核派全学連活動家の学生ら2名が大学職員への暴行容疑で逮捕された。
7月、政治局によって「7月テーゼ」が発表される。 |
夏頃、第23回拡大全国委員会総会(23全総)開催。政治局から発表されていた「7月テーゼ」が全国委員会として正式決定される。党指導部から求められていた自己批判を拒否したとして、政治局員2名を除名。あわせて、「都政を革新する会」のメンバーだった現役杉並区議と前杉並区議の2名に対する除名処分も決議される。 |
秋頃、第24回拡大全国委員会総会(24全総)。「関西派」の中心人物とされる塩川らを除名。 |
12月、「関西党員総会」を開催。中央派と関西派の一連の対立で機能停止状態だった「関西地方委員会」(中央派)の再建が宣言される。 |
2008(平成20)年 |
【部落解放同盟全国連合会(全国連)と関係が悪化】 |
2008年、運動の進め方を労働戦線に集中して、部落解放闘争を労働戦線の付随とするような運動方針をめぐって、これまで共闘関係にあった部落解放同盟全国連合会(全国連)とも関係が悪化し、2008.2月、全国連から「広島差別事件」として糾弾を受ける立場になった。 中核派はこの問題において、糾弾を受けた2月時点では沈黙していたが、4月になって全国連を「塩川一派」と規定して機関紙で公然と批判し始め、公式サイトから全国連サイトへのリンクを削除しているなど、その対立の溝は拡大し始めている。対する全国連側も中核派との「関係断絶」を宣言した。 |
【革マル派関連】 |
2.8ー22日、革マル派活動家の宇田耕一郎が2007年9月24日に偽名でホテルに宿泊していた疑いで、警視庁と神奈川県警察は、有印私文書偽造・同行使などの容疑で、千葉県八千代市八千代台の団地の一室など、計4ヶ所の革マル派非公然アジトを家宅捜索。同派によって収集されていた警察関係者の人事異動記録や顔写真などを押収。同月18日には革マル派の拠点「解放社」の家宅捜索をおこない、22日に宇田を逮捕。 |
5.28日、中核派系全学連委員長ら5名が傷害と公務執行妨害の容疑で逮捕される。
5.29日、法政大学でデモが起こり、中核派学生活動家33名が逮捕される。
【「塩川派」が革命的共産主義者同盟再建協議会を結成】 |
5月、「塩川派(塩川一派)」は、関西前進社を拠点として、中央派に対抗して革共同関西地方委員会は機関紙『革共同通信』、理論誌『展望』を発行し執行部批判などを行っていたが、革命的共産主義者同盟再建協議会を結成した。2009年、機関紙名を『未来』へ改題した。 従来はその主張について中央派批判を中心としていたが、現在では独自の運動方針を積極的に進めるようになっており、関西で活動している他の新左翼グループ、特にブント系の組織などに接近して共闘関係を組むよう模索している。その過程で1984(昭和59)年の第四インターに対するテロルについての「自己批判文書」が発表された。ただし、この自己批判は「内ゲバ」そのものを否定したものではないうえ、政治的思惑の産物とも見られており、旧第四インター各派は反発する姿勢を見せている。 |
6.29日、渋谷で洞爺湖サミット反対デモが起こり、中核派活動家ら8人が、公務執行妨害の容疑で逮捕される。後日、前進社へ家宅捜索。
7.3日、中核派活動家3名が法政大学の敷地内に無断で侵入したとして、建造物侵入容疑で逮捕される。容疑者は、仲間の退学処分に抗議するためキャンパス内に侵入したという。
【革マル派関連】 |
12.17日、居所と運転免許証記載の「住所」が相違する事を奇貨として、2006年10月24日に免状等不実記載で神奈川県警察公安第三課に逮捕された鎌倉市在住の活動家について、横浜地方裁判所(三代川俊一郎裁判長)は「情報収集を目的とした“為にする”逮捕であり違法不要であった」として国家賠償法に基づく賠償を神奈川県に命じる。 |
2009(平成21)年 |
【革マル派関連】 |
1.14日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家幹部の竹内政行ら3人の被告人に対し、東京地方裁判所(戸倉三郎裁判長)が懲役2年6ヶ月の実刑判決を言い渡す。 |
2.23日、中央派が「前進」2380号(2009年2月23日)で、「塩川一派の敵対粉砕を 第四インターに『自己批判』し三里塚闘争の原則解体に走る」という声明を発表した。 |
4.24日、法政大学で、東京地裁による「情宣活動禁止等仮処分命令」、大学側による処分発令などに対する中核派らによる抗議集会とデモが敢行され、中核派全学連活動家の学生ら6名が公務執行妨害などの容疑で逮捕された(集会中に5人、デモ後に警察署前で行われた抗議行動で1人)。 |
【革マル派関連】 |
4.28日、大阪経済大学の革マル派学生活動家退学処分について、大阪地方裁判所が処分を無効とする判決。 |
5.12日、千代田区一番町でデモ行進中、警備に当たっていた警察官に体当たりなどをした中核派全学連委員長織田陽介(28)が公務執行妨害で逮捕される。 |
7月、サンフランシスコ国際労働者会議。
【第25回拡大全国委員会総会(25全総)で「綱領草案」が採択される】 |
9月、第25回拡大全国委員会総会(25全総)において、「綱領草案」が採択される。 綱領草案は、運動目的を「資本主義・帝国主義の完全打倒=プロレタリア世界革命の完遂と階級社会の廃止、真の人間的な共同社会=共産主義社会の建設」とした。現在の帝国主義は、反革命に転落したスターリン主義の裏切りと補完により延命しており、国家独占資本主義政策や新自由主義政策は「最後のあがき」とする。このため労働者階級は暴力革命であるプロレタリア革命と、プロレタリア独裁の国家樹立が必要で、そのためには非合法・非公然でマルクス主義の「世界単一の労働者階級の党」が必要であるとして、日本帝国主義打倒、天皇制粉砕、アメリカ帝国主義打倒、中国スターリン主義打倒、などを主張する。 |
11月、中核派と共闘関係を維持している「西群支部」(大阪)、「杉並支部」(東京)、「品川支部」(同)の3支部に対し、「支部承認の取り消し」などといった「統制処分」を通告するなど、その対立の溝は拡大している。更に杉並では都革新と無所属区民派の間で裁判沙汰となっており、対立が広がっている。 |
2010(平成22)年 |
2010.2.5日、法政大学で、大学側による処分の撤回などを訴えていた中核派学生活動家6人が、威力業務妨害などの容疑で現行犯逮捕される(2.26日に全員釈放)。 |
【中核派の最高幹部の一人/副議長の中野洋が胆管ガンのため病死(享年70歳)】 |
3.4日、副議長の中野洋が胆管ガンのため病死(享年70歳)。 |
3.16日、中核派系全学連副委員長、京大法学部生の原田幸一郎(26歳)が京阪電鉄上り特急電車の中で、女子大学生の太ももを触った疑いで逮捕される。
【革マル派関連】 |
7.3日、他人名義でホテルに宿泊したとして、有印私文書偽造・同行使などの容疑で革マル派活動家1人を警視庁公安部が逮捕。 |
【革マル派関連】 |
7.26日、革マル派活動家に譲渡する目的で預金通帳をだまし取ったとして、詐欺容疑で奈良女子大学4年の革マル派活動家を奈良県警警備部が逮捕。 |
【革マル派関連】 |
革マル派は、警察のデジタル無線を傍受する技術を持っている。しかし、警察のデジタル無線はそのパスワードが定期的に変更されている。警察のデジタル無線を傍受するにはパスワードを知らなければ不可能である。とすれば、革マル派はパスワードを知ることができる立場に位置していることになる。即ち警察内部に革マル派メンバーがいる、又は警察と革マル派間に何らかの意思疎通がある、と云うことになる。 |
【中核派の最高幹部の一人/北小路敏が病死(享年74歳)】 |
2010.11.13日、中核派の最高幹部の一人/北小路敏が病死(享年74歳)。(「(2010.11.13日)北小路敏追悼考」) |
【革マル派関連/松崎明病死】 |
2010.12.9日、松崎 明(まつざき あきら)(革マル派創設時の副議長、鉄道労連(後にJR総連)副委員長、東鉄労(後のJR東労組)委員長、JR東労組会長、顧問のJR東労組のトップ)が、突発性間質性肺炎で病死(享年74歳)。 |
2011(平成23)年 |
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【中核派全学連委員長/斎藤郁真(さいとう・いくま)】 |
2011年、斎藤郁真(さいとう・いくま)氏が選出された。1988年生まれの29歳。2007年、法政大学法学部入学。2010年、退学処分。2017年、衆院選に東京8区(杉並区)から出馬し2931票獲得する。 |
「中核派全学連委員長/斎藤郁真(さいとう・いくま)インタビュー」。 |
2010年代の闘争方針として、中核派政治局は「国鉄闘争」・「改憲阻止・反原発闘争」・「革命的選挙闘争」の三本柱で行うことを機関紙上で表明している。とりわけ杉並区での選挙や東京都知事選挙など、選挙闘争に力を注いでいる。既に東京都杉並区、神奈川県相模原市、静岡県、大阪府東大阪市、泉佐野市、高槻市、沖縄県名護市・読谷村・北中城村の議会には中核派系の議員が現役ないしかって在籍の履歴があり、議会への進出度は日本労働党と並び、日本の新左翼の中では屈指である。東京都知事選で青島幸男、国政選挙で社会民主党(個人では大田昌秀ら)、9条ネットのZAKIを支持、「都政を革新する会」の長谷川英憲を支援した履歴を持つ。 |
2012(平成24)年 |
3.13日、平成12年に運輸省(現・国土交通省)幹部宅の車両を爆破させた事件で、爆発物取締罰則違反容疑の関係先として、東京都立川市などにある中核派の非公然アジトなどが家宅捜索される。また、非公然活動家が公務執行妨害の現行犯で逮捕される。
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7月、新組織「全国水平同盟」を立ち上げた。 |
12.16日、東京都知事選挙で中核派の活動家歴を持つ猪瀬直樹が、自民党や公明党、日本維新の会などの支援を受けて大差で初当選。中核派出身の都知事は史上初めて。 |
2013(平成24)年 |
2013(平成25)年、無所属(生活の党、社民党、緑の党グリーンズジャパン、新社会党支援)の山本太郎の支援を訴え、山本が当選している。 |
NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)を設立。反原発運動を通じて市民や学生をオルグしている。NAZEN代表は元全学連委員長・織田陽介。 |
2014(平成25)年 |
1.14日、東京都知事選挙に立候補表明した鈴木達夫の支持を表明。鈴木は動労千葉の顧問弁護士を務めるなど密接な関係にある。得票数12,684で落選。 |
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2014(平成26)年12月、第47回衆議院議員総選挙に鈴木達夫が東京都第8区から無所属候補として立候補。中核派は機関紙等で鈴木の動向を大きく報じ続け、また、選挙区で大規模な選挙運動を展開したが、得票数16,981で落選した(16人中8位)。 |
12.30日、関西大学の情報施設に無断侵入したとして、中核派系全学連副委員長の男が建造物侵入容疑で逮捕され、その後、罰金10万円を言い渡された。 |
2015(平成27)年
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1月下旬、「革共同第7回全国大会」を開催。 |
【中核派関連/メンバー査問中に逃亡の際の転落死】 |
2015.5.3日夜から5日間、中核派活動家の男2人(28歳、32歳)が、東京都江戸川区の拠点「前進社」で、メンバーの20代男性を前進社内の会議室に監禁し、中核派内の情報を警察やマスコミに漏らした疑いがあるとして査問中、男性が屋上の雨どいを伝って逃げようとした際に足を踏み外して転落。男性は頭などを打ち一時意識不明の重体となっていたが骨盤骨折など3カ月の重傷を負った。その様子を警戒中の警察官が目撃していた。9.29日、警視庁が監禁した男2人逮捕した。警視庁では組織内で「総括」と称した暴行が行われていたとみて調べている。二人は黙秘している。(朝日新聞デジタル等々) |
9月、中核派の活動家2名が、公安警察のスパイであることが発覚したとされる福島大生の活動家を監禁して自己批判を迫り、建物から転落させ重傷を負わせたとして警視庁に逮捕される。のち、全員不起訴釈放。 |
2016(平成28)年 |
1.11日、この日の発行号から、機関紙「前進」が月曜日・木曜日の週2回発行となる。
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2.29日、昨年10月の京都大学での抗議活動の際、バリケードを築き授業を妨害したとして、京都府警察に中核派系全学連委員長の齋藤郁真容疑者ら3名が威力業務妨害容疑で逮捕された。また、翌3.1日、同容疑で、同副委員長の作部羊平容疑者、同書記次長の森幸一郎容疑者、革共同中央学生組織委員会議長の深田力容疑者の幹部3名が新たに逮捕された。のち、全員釈放され、3.31日に全員不起訴となった。 |
3.14日、中核派活動家ら3名の、1986年の東京サミットを妨害するため迎賓館などを狙って迫撃弾5発を射ち込んだ(迎賓館ロケット弾事件)容疑の上告審が行われ、上告が棄却された。須賀武敏被告を懲役11年、十亀弘史と板垣宏の両被告を同8年とした判決が確定した。
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7.10日、第24回参議院議員通常選挙投票日。東京都から出馬した鈴木達夫が16,187票獲得。 |
11.1日、警察庁が渋谷暴動事件に捜査特別報奨金を新たに設定し、大坂正明の逮捕に繋がる情報に300万円の懸賞金がかけられた。また、大坂の逃亡を支援していたグループのリーダー格の男に逮捕状が請求された。 |
2017(平成29)年 |
【警視庁公安部が中核派拠点「前進社」を家宅捜索】 |
2017.4.7日、「中核派拠点「前進社」を家宅捜索」。過激派・中核派の非公然活動家の男が、うその住所で運転免許を更新した事件で、警視庁公安部は、中核派の拠点を家宅捜索した。家宅捜索を受けたのは、東京・江戸川区にある中核派の拠点「前進社」。今回の捜索は、中核派の八木康行容疑者(45)が、実際には住んでいない「前進社」に住んでいると装い、うその住所で運転免許を更新した疑いで、4月3日に逮捕されたのを受けたもの。公安部によると、八木容疑者は、「脈管」と呼ばれる公然活動家と非公然活動家をつなぐ連絡役で、1971年の渋谷暴動事件で、警察官を殺害した容疑で指名手配されている大坂正明容疑者の逃走にも関与した可能性があるということで、公安部が調べを進めている。 |
【大坂正明容疑者が逮捕される】 |
5.18日、広島県内の非公然アジトの関係先を捜索した際に、抵抗した活動家の男2人を公務執行妨害などの疑いで逮捕した。なお、その内の一人は渋谷暴動事件の指名手配犯である大坂正明容疑者の可能性があり、DNA型鑑定などでの確認が行われ、鑑定結果などから大坂本人と特定し、6.7日に警視庁公安部が殺人など5つの容疑で再逮捕した。同日、大坂容疑者と共にいた活動家の男を、大阪府警察が犯人蔵匿容疑で再逮捕した。 |
6.28日、東京地方検察庁が、大坂正明を殺人罪や現住建造物等放火罪等で起訴した。6.30日、大坂と共にいた活動家の男を大阪地方検察庁が犯人蔵匿の罪で起訴した。その後こちらの活動家については懲役1年2月の実刑判決が言い渡された。 |
5.30日、オンライン動画共有サービスYouTubeで公式チャンネル「前進チャンネル」を開設。主に、若者向けに機関紙「前進」発行に合わせて紙面の紹介をする動画をアップロードする。 |
10.22日、投開票の第48回衆議院議員総選挙に、元全学連委員長齋藤郁真が東京都第8区に「都政を革新する会」から出馬するも投票数2,931で最下位落選。 |
2018(平成30)年 |
【中核派全学連新委員長/高原恭平インタビュー】 |
小林哲夫(教育ジャーナリスト)「中核派・全学連のトップに現役東大2年生が就任 新委員長の高原恭平氏インタビュー」。 |
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12.31日、 「みどるこあ」というサークル名を名乗りコミックマーケット95に初参加する。前進社の出版物も頒布したが、前進社は法人ではないため、サークルでの頒布に問題はなかった。 |
2019(平成31/令和元)年 |
1月、埼玉県加須市内の民家の倉庫で、中核派が製造したとみられる飛翔弾計8発が押収された。活動家らが発見を免れるために、アジト以外の場所にある倉庫を実質的な武器庫として運用していたとみられる。 |
【木下尊晤(きのした・たかあき、ペンネーム:野島三郎)氏逝去(享年82歳)】 |
2019.2.28日、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の最高幹部の一人にして対革マル戦争の理論的指導者だった野島三郎(本名/木下尊晤(たかよし))が腎不全とガンのため闘病中の病院で逝去した(享年82歳)。木下氏は、故本多延嘉書記長から最も深く信頼され、ともに革共同全国委員会を創設した。以降、政治局員として幾多のたたかいを指導してきた。後半生は病気とのたたかいも始まる中、革命の熱い情熱と使命感を燃やし続けた。著書/「中国革命と毛沢東主義の歴史的破産」(武井健人共著、中国問題研究会、1969年)、「革共同の内戦論――現代の反ファシズム解放戦争」(前進社、1975年)、「現代革命と内戦」(1977年)。 3.1日、都内斎場で、ご家族・ご親族を中心にささやかな葬儀が行われた。斎場の都合で急遽、死去の翌日となっしたが、長年のゆかりの人々が駆けつけた。遺影が掲げられ、「木下尊晤氏略年譜」が配布され、在りし日の木下氏を偲びながら、“革命家・野島三郎“との永遠の別れを惜しんだ。「近年の革共同(中央派)の恥ずべき堕落とあまりの惨状を見るとき、創設者である彼の、言葉に尽くせぬ無念の思いはいかばかりであったでしょうか。その痛恨の思いと革命の意志をしっかりと受け継いでまいりたいと思います」(2019年3月2日)とある。 |
4.21日執行の第19回統一地方選挙の杉並区議会議員選挙で洞口朋子を、第25回参議院議員通常選挙の東京都選挙区に齋藤郁真を擁立することを発表。洞口は「都政を革新する会」から出馬し、得票数3,275票で初当選する。 |
【星野文昭が獄中病死(享年73歳)】 |
5月、齋藤が2018.7月に京都大学構内に出入りしていたことを理由に住居侵入罪で逮捕・起訴されたため、参院選に出馬できなかった。参院選時は全学連を中心に「馴れ合い選挙をぶっ飛ばせ」とデモをし、棄権を呼び掛けた。
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【第26回全国委員会総会】 | ||||||||||||||
2019.10.18日、「破廉恥、あまりにも破廉恥なり‼ 革共同26全総」。
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【天田三紀夫革共同書記長の「謝罪」文】 | |||||||||||
2019.10.31日、「資料:天田三紀夫革共同書記長の「謝罪」文」。
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2020(令和2)年 |
1.15日、大坂正明の潜伏先のマンションの家賃支払口座を不正に開設したとして、大阪府警が広島県安芸太田町議や中核派の活動家ら3人を詐欺容疑で書類送検した。
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9.6日、東京都荒川区のサンパール荒川大ホールで「革共同政治集会」が開催され、清水丈夫議長が演説した。清水は非公然部門の指導者として1970年を最後に姿が確認されていなかった。清水は「7回大会路線と旧政治局の誤り」について自己批判し、新自由主義打倒を主張した。中核派担当者は、清水は今後は「大衆的な労働運動」(公然活動)に関わると説明。警察庁によると1月時点の勢力は4700名。 |
【「中核派」議長、半世紀ぶりに表舞台に 故・西部邁氏とも親友】 | |
2020.9.27日、「「中核派」議長、半世紀ぶりに表舞台に 故・西部邁氏とも親友」。
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同年10.16日、警視庁公安部が拠点である前進社を家宅捜索した際にも建物内にて清水氏の姿が確認されている。 |
2021(令和3)年 |
【清水丈夫氏が東京都内で記者会見】 |
2021(令和3).1.27日、清水丈夫氏が東京都内で記者会見した。1971年(昭和46年)に警察官が殺害された渋谷暴動事件に関する記者の質問に対して、中核派の組織的関与を認めつつも「殺害は許容していない」と強調。他方で、「どうしても必要なね、闘争であったと思います」、「大きな意味を持っていたと思います。否定なんかしません」と言明した。また、一連のゲリラ・テロ事件への関与については、「(指導部にあたる)政治局として指示したかと言えばしたんでしょう。僕が『やれ』と言ったかは答えない」と明言を避けた。 |
【高原氏によるSNSでの委員長解任報告と「辞任届」の公表を徹底弾劾】 | |
2021年3月15日、全日本学生自治会総連合中央執行委員会「」。
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【革共同第27回全国委員会総会】 | ||||
2021.3.22日、週刊『前進』04頁(3187号02面01)「革共同第27回全国委員会総会を開催 階級的労働運動路線の実践に革命勝利の確信と展望つかむ 革命的共産主義者同盟政治局」。
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【革共同前書記長の天田三紀夫同志が逝去】 | |
2022.4.25日、週刊前進04頁(3241号04面04)「天田三紀夫同志を追悼する 革命的共産主義者同盟」。
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(私論.私見)