009-2 | 革共同革マル派批判その2 (1973年) |
(最新見直し2013.01.28日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2013.01.28日 れんだいこ拝 |
革共同革マル派批判 中原一 1973年7月
●宗派革マルによる川口君虐殺糾弾! |
6 革マル派の「組織建設」―
「党派闘争」―「のりこえの立場」の 反プロレタリア性 これまでの整理でもわかるように、革マル派は「組織建設」を革命運動上の唯一現実性としてみている宗派である。そういう点では革マル派の運動、組織上の混乱、矛盾はこの中に鋭くあらわれる。革マル派にとつては「組織建設」は「党派闘争」と不可分のものであり(特に革マル的な意味で)、それは「のりこえの立場」において「統一」されている。そしてまた、あらゆる運動、闘争上の矛盾もこの「のりこえの立場」において「解決」されたとしている。したがつて、最後にこの「のりこえの立場」なるものの反プロレタリア性を批判していこう。 この場合、次のような方法をとりたい。まずはじめに、主に学生運動を軸として、現実的な「闘い」の中で革マル派が直面してきている間題を整理する。つまり、革マル的に路線化されていく以前の「直接的な問題意識」をみるのである。しかも、その場合、革マル派がこの間題を比較的なまに出している学生運動の側面から接近する(労働運動面については5の中で必要なかぎりふれてみた)。その上にたつて、トロツキスト同盟以来の加入戦術の問題の組織論分野における革マル派の「発展」の歴史を整理してみよう(主に黒田寛一の著述をめぐって)。展開の都合上、学生運動のそれは70年以後のものを主とする。なぜならば、次にみるように、彼らの組織建設をめぐる矛盾が日韓闘争以後もっとも鋭く出てくるのがこの時期だからである。 (1)革マル派の組織建設をめぐる矛盾と混乱 ―70年以降を軸として― まずはじめに『共産主義者』No25―「マル学同組織建設のために」という田中三郎なる署名論文を素材としてとりあげてみよう。これは、これまでみてきた革マルのジクザクが組織建設においてどのように出ているかの典型だからである。これは、副題が「主体形成主義からの最後的決裂」となっていることからもわかるように、革マル派の一つの原点となつている「小ブル主体性論」が運動上矛盾をおこしており、それを革マル派は消し去ることを通して、「中味」らしきものをますます失い、空虚になつていく過程を表現している。 この論文の構造は次のようになっている。 「1、組織論―その固有の領域と方法」の中で次のようにいう。 梅本の主体性論の中に「ちりばめられている」すぐれた側面つまり「…かくて組織は、現在における唯一のありうべき真実の人間関係の場所となる」等々の把握は、「哲学主義」にとどまり、「組織論」の解明において破綻した。革マル派の中では、反スタ運動の独自性を、その哲学的前提(主体性論等)に還元しようとするような傾向があり、それが組織構成員としての自己の限界と結びつく時、主体形成主義が出てくる。これは「組織論的地平」からはなれた地平で、自分の限界を「一個の人間としてのプロレタリア的主体性(自覚)の未確立にある」とすることが正しいと思い込む形で出てくる。これは誤りであり、「主体性論(人間論)あるいは自覚の論理」と「組織論あるいはプロレタリアート組織化の論理」の区別がどうしても必要であるという。 そして次のように解答を出す。「即自的プロレタリア(としてのこのおのれ)が、いかに階級的自覚をかちとるかの主体的=唯物論的究明が主体性論であるのに対して、すでに自覚した革命的プロレタリアの組織的結集俸としてのコノ党組織が、即自的プロレタリア大衆との対決という実践的立場においていかに彼等を階級として組織化し、しかもこれを媒介として自らを拡大強化するか→ この革命的実践的追求が、組織論に外ならない」。 さらに、誤った路線は次のような特徴をもっているという。
これらは要するに、①行為的現在において大衆運動=同盟組織作りを実現してゆくための場所的立場の喪失、②党組織の組織形態論的、組織実体論的追求の欠如、③<組織戦術の貫徹>という主体的立脚点の欠如、ということの結果に外ならないという。 ここでいっていることは、こういうことなのである。革マル派が自分の一つの原点としている主体性論は、どうにも非組織的な個人主義を生み出してしまい組織活動には役立たない。そのあらわれ方は、結局、消耗する時もまた元気でセクト的な「党派闘争」にハッスルしている時も個人主義でこまるということなのである。消耗の原因を個人的なプロレタリア的主体性の問題にしてしまい、個人的な「勉強」にとじこもつてしまう。ところが、消耗していない時にも、全く同じ形で個人個人がバラバラのまま「戦略の主体化」とか「新社会の夢想」とかいう形で「組織」の問題を欠如した形にしてしまう。これは、大衆が自覚していく過程での「主体性論」と、自覚したプロレタリアの組織的実践とを混同しているからだというのだ。 だが、これほどふざけた話もない。「即自的プロレタリア」が自覚していく過程では個人個人バラバラの論理が主体性論として通用して、いったん自覚すると組織的になるという。これは要するに小ブル個人主義が観念的に組織性を形成することに外ならない。自覚ということは、いわば現象から本質を認識していく過程に外ならぬ(下向)。その過程で個人主義者だつたものがどうして突然組織のことがわかるのだ。これは後でくわしくみるが、革マルの出発点が小ブル的自我(個人主義)で、そのいきつくところが観念的な普遍性であることをもっともよく示している。 百歩ゆずつて、主体性論が自覚に役立ち、自覚したプロレタリアは組織的になるとしても、一体この飛躍はどうして可能なのだ。実はここに革マル派自身の矛盾がある。黒田寛一の「プロレタリア的自覚」(『プロレタリア的人間の論理』をみよ)は、徹底的に小ブル的自我―個人主義にみたされており、階級的共同性など爪のアカほども出てこない。そもそも革マル主義の中味は、この「黒田的プロレタリア性」だったのだ。『プロレタリア的人間の論理』の中では、資本の制約をうけたプロレタリアが「生産と所有の機械的分離」を自覚することが「階級的、革命的自覚」だとされている。だが、「生産と所有の分離」ということのみでは没落した小ブルジョアでも感受できる(つまり個人主義者でも)ものなのだ。 ところがこういう小ブル主体性論の本質はくりかえし非組織性、実践的な主体形成主義(つまり運動と無縁な学習会主義)を生み出し、革マルを危機にたたせた。こうして彼らは自分の「中味」を批判して否定しなければならなくなった。ただし、「中味」を失った形式のみの「組織いじり」として―。第一~第五にわたってあげているものはそのまま革マル主義の本質を示しているのである。そして、この内容と形式の対立(革マル的主体性と運動をやる以上要求される組織性の対立)は、そのまま革マルの現在の矛盾のあり方を示している。 それでは今度は内容を失った形式の面の展開をみてみよう。 「Ⅱ、組織現実論の展開」―ここにおいて次のようにいう。 ≪誰が、誰を、いかに組織化するかという主体的立場、あるいは組織論を組織創造論として追求するものこそ組織現実論である。それは大衆運動作りと組織作りとの対象的関係をふまえて大衆運動と組織建設をやりきるために、つまり大衆運動という特殊場面への<組織戦術>の貫徹の主体的構造の緻密化が問われた。
ここでは革マルのあり方がかなりハッキリ出ている。革マル派の主体が立っている「場所的立場」は、まず既成の大衆運動なのである。これは革マル派の歴史からいうとどういうことを意味しているのかというならば、次の点である。革マル派というイデオロギー集団が全学連をのっとり大衆運動をはじめ、その直後に中核派と分裂する。ここでの分裂の一つの中心的問題は、大衆運動と革命運動の関連であった。中核派は小ブル的大衆運動の直線的「発展」の中に革命をみていこうとした。これに対して革マル派はそれを否定して、「イギオロギー的革命性」を対置した。しかし、中核派と分裂してみるや、全く自分の小ブルイデオロギ―が現実と無関係なものということが暴露されてしまう。そして、革マル派は現実の闘いから全く無縁となりつつ、小ブルイデオロギーの「主体形成主義」=「学習会主義集団」へ再度転落しようとした。 ここで革マル派がおもいついたのは次のことである。つまり、現実の運動は自分たちはやらない。またやるとしても既成の運動と同じでいい。そして、その既成の運動に「寄生虫」としてはりつく。そして、それを推進している党派を解体して、それをのっとるという方針である。それを整理したのが今みた「のりこえの論理」である。 ここで重要なことは、革マル派が主発点としているのは「既成の運動との対決」であって、資本との対決ではないということである。革マル的主体はこうして現実の階級社会の矛盾の中に自らを基礎づけ、そこから出発せず、むしろそれは隠蔽してしまい(したがって自らの小ブル的本質はそのままにしたまま)、他党派解体を運動としていくことになる。ここで革マル派が批判している「主体形成主義」とは、「既成の運動」を前提としている革マルのイデオロギ―集団的本質を忘れ、既成の運動と並存させて自分の小ブル的本質を直接つき出してしまう「正直な革マル主義」への批判なのである。 「Ⅲ主体形成主義的組織建設路線―その構造と問題点―」では次の様にいっている。 60年代の中期において革マル派がとっていた組織路線は、「むき出しの革マル主義」であった。『共産主義者』No10・11の「学生戦線における革マル派建設のために」の中で展開されているのは、大衆運動への参加および理論学習によるプロレタリア的人間の形成としての「組織への形成」であり、戦略の適用と組織的実践を通しての各成員の立脚点の獲得、深化としての「組織の形成」という形になっていた。こういう路線は次のような誤りをもっているという。
さらに次のことが重要であるという。 「わが反スターリン主義の独自性は、別に哲学的主体性論にあるのではない。むしろ戦後主体性論の核心をうけつぐ哲学的苦闘と、これを前提としながらもかのハンガリア革命のうけとめを基礎として、<革命的マルクス主義の立場>を獲得し、反スターリン主義の革命運動をつくり出してゆく、この両者によこたわる断絶を明確につかみとらねばならない。…哲学的主体性論にとどまることなく政治経済を媒介にして革命的実践にふみ込むこと、これこそが問題なのである」 まさに馬脚をあらわしたとはこのことである。彼ら自身主体性論からの「断絶」をいわざるをえなくなっている。自らの「形成過程」は組織的実践とは切断されているというのである。即自的プロレタリアから個人的に革命化していくのが「主体性論的自覚の論理」であり、それが終ると今度はそれと断絶している革命的実践にとび込めという。 しかし、これほどの御都合主義はないのである。そもそも「場所的立場」は主体性論の「黒田的再編」によって生まれているのではないか。そして、すでに指摘したように、『プロレタリア的人間の論理』の中で、黒田はまさに小ブル的自我の「革命化」を説いている。それに忠実な部分が運動上破産すると、それは大衆が左翼になるとき役立つのみであるという。それでは「場所的立場」はどうするのだ。今革マル派が歩んでいるのは、主体性論の中味が破産したのでこれは切りすて、形態論的なものとして「場所的立場」を利用して、組織いじりに集中している訳である。 この間題はさらに『共産主義者』No28―「学生戦線における大衆運動=同盟組織づくりの前進と党派闘争の勝利のために」の中で展開される。これは中央学生組織委負会名で書かれている。直接的には中核派に対する批判という形をとりつつ、革マル派はここで自分たちの「革命化」の構造にふれている。それは、要約すれば次のようになっている。 ≪(a)階級闘争の革命闘争への「主体的発展」は、それ以前の革マル派の組織論と不可分である。不断の階級闘争を通して、階級的組織化をなしとげ、これを実体的基鍵として一定の条件のもとでは闘争を反政府闘争ヘと高め、さらに反権力闘争に発展させる。そのためには、情勢分析を媒介として組織戦術にふまえつつ過渡的要求を提起し、実現を迫る。これは、ブンド式の大衆闘争から革命闘争への連続的発展観を否定し、大衆闘争から革命闘争への連続的発展を場所的現在における運動=組織作りによつて「切断」すると共に、たえざる組織作りを実体的基礎とした階級闘争の革命闘争への永続的発展へ「つなげ」ていく。 ここで革マル派は情勢の深化に対応して、革マル派も「おくれてはならぬ」と思い、何とか自分たちの方法から「革命」を問題にしようとしている。その意味では、69~70年闘争の総括ででてきた問題の「再強化」である。だが、これほどまでに反プロレタリア的、また反マルクス主義的な革命論があるだろうか→ たしかに、大衆闘争(階級闘争)一般と革命闘争は区別されねばならない。だが、その区別性は、ブルジョアジーへの闘争としては成立せず、情勢が煮つまるまでは「組織作り」に収約されてしまうものなのだろうか→ いやそもそも階級的革命的闘争が一滴も存在しないで、どうして革命的情勢下において大衆闘争を革命闘争に転化できる「党組織」が建設できるのだろうか→ 革マル派がそうであるように、小市民的、民同的運動しか展開できない組織は、社民的または小ブル急進主義的組織ではないのか。大衆闘争と区別された革命闘争は、現在的に推進されていなくてはならない(ソヴィエト運動)。もちろんそれは、それが全面化した形での直接的な権力闘争とは異る。だが、現存する小市民的なまたは民同的な大衆運動と共に、それを不断に階級的、革命的に再編して権力ヘ向ってつき出している闘争が存在して、はじめて革命的党が生まれるのだ(現存する運動の中に自然発生的にふくまれているものを目的意識的に結合することを通して)。 闘争として存在しないものが、どうして組織として形成しうるのか→ ここで革マル派は、まさに彼らの組織が現実の階級性革命性と無縁な反プロレタリア的観念集団であることを暴露している(なお彼らの革命論の全面的批判―思想的根拠をふくむ―とわれわれのそれに対する方針は最後にまとめてのべる)。彼らはよく「実体」などということを言うが、実体として存在しないものをどうして組織化しうるのか。それとも、一滴も革命性のないものもたくさん集めて組織にためていけば「革命」へ転化するとでもいうのか→ゼロはいくら集めてもゼロなのである。中味のない現実に存在しないものに「過渡的要求」などくっつけても、どうしてそれが革命性へ転化できるのだろうか→ 革マル派は、中核派型の小ブル運動の単純急進化の延長線上にプロレタリア革命を願望する路線を批判しつつも、それとの区別性を現実的、本質的にたてられない結果、単に観念的に「組織性」をたてるにすぎなくなっている。しかし、そもそもこんな組織は成立するのだろうか→それがまた「成立する」のである。つまり、自分の中は空洞のくせに、また空洞だからこそ、他党派への敵対のみを唯一の党派性にする「党派」である。それを路線化したのが「のりこえの立場」である。これについてはすでに紹介してあり、また後で教祖黒田の展開を紹介するので、このNo28論文の中の「のりこえ」は紹介しない。 さて、以上のような展開の上にこのNo.28の中央学生組織委員会論文は、70年代にはいっても依然としてでてくる、革マルの本質からでてくる「ブレ」についていろいろグチをたれるのである。それは以下のようになっている。 ≪革マル派内部に二つの偏向がある。「左翼的」偏向は大衆闘争論的立場を空無化させ(のりこえの立場を空無化させ)、直接にマル学同の組織活動を自治会内に実現しようとするもの。右翼的偏向としては、運動のゆきづまりを打開するために大衆運動を政治技術主義的に、つまり党派性をうすめて展開するものである。この内「左翼的」偏向(→)が粉砕の対象とされねばならない。それには、次のような根拠が考えられる。第一に、小ブル急進主義者どものハミダシと連動、組織ヘの政治力学主義的対決。第二に、〝闘争委員会としての学生連動″の克服の一面性。第三に理論的にはのりこえの論理や大衆闘争論と運動=組織論の相互闘係の誤った理解。このうち第三のものがもっとも問題である。この第三の問題については次のようなことが原因となっている。 第一に、これは<のりこえの立場>あるいは<のりこえの論理>が全く見失われており、〝大衆運動への組織戦術の貫徹″の問題に一面化されている。〝大衆闘争論的立場なき組織戦術の貫徹主義″は、「運動上」「理論上」「組織上」の三つの「のりこえ」または大衆運動を組織化していくうえでの過程的な構造が破壊されている。それは自分たちの方針プラス組織戦術といつたような問題に一面化されている。第二に、P1(既成の運動)―E(理論闘争)→P2(新たなる運動)というサイクルを無視している。組織戦術の貫徹という観点を自立化させている時には、E2(既成の理論に対抗する革マルの理論)→P2(革マルが既成の運動をのりこえつつ「作った」運動)をE2→O→P2としてしまう。第三に、「同盟員としての組合員の独特な活動」(1)、「組合員としての同盟員の活動―フラクション活動」(2)、「同盟員としての同盟員の活動―革マル派の活動」(3)のうち(1)を技術としてきりつめ(2)~(3)のみを行ない、組織戦術の貫徹さえできない。第四に、情勢分析や闘争組織戦術から「闘争戦術に規定された組織戦術」だけを「裏がわ主義」的に自立させてしまう。(153~159頁)≫ ここでいっていることは、客観情勢の深化に規定されてさすがの革マル派の活動家も「左翼化」してしまい小ブル急進派のマネを少しばかりしたがって革マル指導部を困らせているのを嘆いているのである。その場合「政治力学主義」や自治会大衆運動を忘れた「闘争委員会としての学生運動」があるが、もっとも革マル的なのは「既成大衆運動をいかにのりこえるか」を忘れて革マル派の「組織戦術の貫徹」のみを直接追求するものであるといっているのである。 革マル派の活動家は極めて混乱する。小市民的運動を右翼的にやれば自治会主義だと叱られる。「組織戦術の貫徹」のみをやれば「左翼的」だと叱られる。もともと革マル派にとつては、小市民右派的大衆運動(自治会主義)か「小ブル急進派」をまねた運動しかないのである。すでにみてきたように既成の運動に対決する中味がなく、なにがなんでもただ「既成の運動に対決すること」のみが問題なのであり、「それをこえる運動は現実にはありえず、現在の革命闘争は組織作りだ」などといっておいて、―そうである以上大衆闘争へのかかわりは「技術主義」か全くの「小市民右派の運動」以外ありえない―この双方のブレを批判しているのである。全くいい気なものである。迷惑なのは下部活動家である。 (2)「のりこえの立場」の反プロレタリア的構造 まずはじめに、『日本の反スターリン主義運動 2』からの引用を行なう。 「すなわちまず、既成指導部、とくに社共両党によって歪曲されている今日の労働運動、ソコ存在する既成の大衆運動(P1)を左翼的あるいは革命的にのりこえていく(P1→P2)という実践的=場所的立場(=『のりこえの立場』)において、それ(1<運動上ののりこえ>)を実現していくためには、まずもつて既成の運動(P1)をささえ規定している理論(他党派の戦術やイデロオギーとしてのE0)をわれわれがとらえ(E1―これはE0と媒介的に合致する)、かつそれヘの批判を通じてわれわれの独特な(あるいは独自な)闘争=組織戦術(E2)を提起し(P1…→E1→E2)、そしてこれ(2<理論上ののりこえ>)を物質化する(E2 P2)ために組織的にたたかう(E2…→O―・―・→P2)とともに、これらの闘いを通じて既成の大衆運動を実体的にささえている諸組織、直接的には社共両党(O0)を革命的に解体する(O0…→O)ための党派闘争(3<組織上ののりこえ>)をかちぬく。―こうした<のりこえの論理>、イデオロギー的および組織的闘いを基礎とした大衆運動の展開の構造を、理論的に明らかにするのが、大衆闘争論であること、そしてこれらの構成部分は、(1)われわれの情勢分析、(2)他党派の情勢分析および運動方針に対する批判に媒介された、われわれの闘争=組織戦術、および(3)かかる闘争=組織戦術を物質化するための実体的構造の解明(つまり運動=組織論的解明)の三つであること、などが明らかにされた。 ところで、他党派の戦術やイデオロギーを批判し(2<理論上ののりこえ>)、他党派を革命的に解体するための組織活動を展開する(3<組織上ののりこえ>)ことを通じて、<運動上ののりこえ>(1)を実現するということは、他面からすれば、われわれの組織戦術を、たえず大衆運動の場面へ(O―・―・→M)、また直接に他党派にたいして(O…→O0)貫徹する闘いが成功裡になされていることをいみする。この<組織上ののりこえ>をめざしてたたかっているわが同盟組織(O)が、他党派の組織(O0)にたいして、またそれが展開している大衆運動(P1)やその戦術およびイデオロギー(EあるいはE1)にたいして決定的に対決している(O→→P1・E)がゆえに、<理論上ののりこえ>(E1→E2)を媒介として<運動上ののりこえ>(P1 P2)が現実的に可能となるのである。このようなわが同盟(員)の組織戦術の貫徹を基軸(4)としつつ、<理論上ののりこえ>(6)と<運動上ののりこえ>(7)とを実現していく闘い、その実体的構造〔これは他面では同時に他党派の解体として、<組織上ののりこえ>(5)として現象する〕を解明するのが、ほかならぬ運動=組織論なのである。 運動=組織論とは、大衆運動の左翼的あるいは革命的のりこえを、その裏側から、つまり<組織上ののりこえ>(3あるいは5)のがわから、その実体的構造を明らかにすることを、その課題とするといってよい。いいかえれば、われわれがうちだした闘争―組織戦術(これには、すでに解明された運動=組織論が現実的に適用されているのであるが)を物質化するための組織的闘い(E2…→O―・―・→P2=M)、その実体的構造そのもの(O―・―・→M)を、つまりわが同盟(員)が大衆運動を組織化し種々の組織形態(フラクションやわが同盟組織その他)を組織化するという構造を、われわれの戦術(E2)との関係において、解明するのが運動=組織論なのである。 ところで、われわれの組織戦術の貫徹による運動=組織づくり、その前提となり、かつそれを媒介として拡大・強化されるわが同盟組織そのもの(O)、これを形態的にも実体的にも確立していくための組織内闘争・組織建設(O→O´)の構造(Ⅹ面)を明らかにするのが同盟(党)建設論にほかならない。 要するに、大衆闘争論と運動圧迫織論とは、大衆連動・労働運動の前提となり、かつこれを媒介として強化・拡大される同盟(党)組織が、大衆運動づくりと種々の組織づくりを展開する場面(Y面)を、一方は<運動上ののりこえ>のがわから、他方は<組織上ののりこえ>のがわから、それぞれ理論的に明らかにすることをその課題とするのであり、そしてこの運動=組織づくり(Y面)を媒介とした同盟(党)組織の組織的確立(Ⅹ面)の問題を明らかにするのが同盟(党)建設論なのである。このようなものとして、これらの三つは組織現実論の核心的な構成部分をかたちづくる」(281~287頁) この革マル派の「のりこえの論理」を次のような順序でみていきたい。第一は、なぜ革マル派は「のりこえの論理」を生み出さざるをえなかったか→―第二は、「のりこえの論理」はどういう有効性を革マル派に与えたのか→第三に、この「のりこえの論理」の本質的反プロレタリア性である。 <第一に>なぜ革マル派が「のりこえの論理」を「生み」出さざるをえなかったのか→それは次の点にある。革共同全国委は、文字通りのイデオロギー集団として生まれていった。それは『プロレタリア的人間の論理』(黒田寛一著)を読めば明白なように、小ブルジョアジーがブルジョア社会においてブルジョアジ―に圧迫される危機感=「生産と所有の分離」を「根源的分割」としている。しかもその「生産と所有の分離」が分業(私的所有)の共同体論的把握からではなく、小ブル的な個人主義の次元でつかまれている。そして、その小ブルジョアジーが危機感をテコとしてこの「分離を自覚し、統一に向ってつき進む」ことが革命だとされている。生産と所有の統一というかぎりでは小所有者(農民・都市「旧」中間層等)もそうなのである。つまりプロレタリアの社会矛盾とそれヘの政治社会的闘争の中から生まれたものではない。 それは彼らの「反スタ」においても同じである。彼らの「反スタ」はプロレタリア的な反スターリン主義ではなく、スタ―リン主義がもっている個人に対する抑圧的側面に対抗して小ブル的な個人の主体性をたてていったのである。むしろこの「反スタ」の問題が革共同全国委の形成の原点になつている。 第四インター等の革共同との決定的な差異はここにある。第四インター等の革共同には、この「近代的小市民の自我」―「小ブル主体性」が欠落している。 こうして生まれていった革共同全国委は、60年安保闘争後のブントの崩壊に際してこれに介入し、ついでに全学連を宮廷革命によってのっとつた。ここではじめて革共同全国委は大衆運動に直面していく。だが、すでにみてきたように中核派と革マル派に分裂してしまい、革マル派は再びもとの学習会的イデオロギー集団ヘの転落の危機にたつ。ここから「のりこえの立場」が生まれてくる。つまり、組合運動にしろ学生運動にしろ現存する大衆運動とイデオロギー集団としての革マルの「スレチガイ」を何とか突破するために、彼らは「そこに存在する大衆運動にイデオロギー的にかかわる」という方針を確定していく。こうすれば現実の闘いと無関係になってしまうことはさけられるし、同時にまた革マル派的イデオロギー闘争も生かされていく。彼ら自身がいっているように、彼らの「大衆闘争諭」とは決して自治会活動や組合運動のことではない。「既成の運動に介入する」ことなのだ。しかも、彼らは現実の闘いを大衆闘争としても革命闘争としても展開する力などありはしないし、方針はもともともっていない。やれることは市民的、民同的大衆運動の「チミツ化」のみである。だから、くりかえし彼らの中から「大衆運動主義」や「政治技術主義」がでてくるのだ。そういう意味では、革マルは本質的にイデオロギー集団なのだ。運動論=組織論=闘争論は、その意味では単なるイデオロギー闘争の変形でしかない。 <第二に>それでは、革マル派の「のりこえの論理」が、どういう有効性を革マル派に与えたのか。 ①現下の階級闘争が社共のヘゲモニー下にあり、したがって「革命派」は多かれ少なかれこの既成の運動との関連を整理しなくてはならない。②さらには、情勢が深化しているとはいえ革命派は極めて苦しい状況にあり、したがって闘争は苦しい敗北局面を多かれ少なかれくぐらねばならない。③既成の政治組織や大衆組織がますます右翼化しており、プロレタリア人民は孤独と絶望の中にたたき込まれており、したがってたとえ疎外された形であれ反社民反日共の「組織」の力を必要としていた。 これら三つの条件の中で革マル派の「のりこえの論理」は、①とにかく、どういう形ではあれ、既成組織にかかわるという方針であること、②権力との闘争から逃亡しても「理屈」をつけて居直ることができること、つまり「観念的革命性」の世界に生きていられること、③反スタ・スターリニストの組織として極限的に疎外されていようとも、反社民反日共の「組織性」を強調したこと、という形で一定の対応力をもっていつたことである。 <第三に>それでは、革マル派の「のりこえの論理」はどのような意味で本質的に反プロレタリア的なのか? 第一に、革マル派の路線としては、現下において既成の闘争と質的に異る闘争は「ハミダシ」であり誤りだとしている。彼らは大衆闘争―革命運動―革命闘争をわけて、現在の運動は「大衆闘争」であり、直接権力を問題にするのが「革命闘争」、そして現下の大衆闘争にかかわり「のりこえつつ」革マル派の組織を作ることが「革命運動」ということになつている。あえて彼らのこの用語にしたがっていえば、大衆闘争の中に革命闘争の中味が一滴もはいっていなくて、どうして革命運動になるのか。その組織作りは結局存在しない「革命性」の上に成立していることになる。ということは、彼らがかかわる闘争の「左翼性」ということは、結局既成の市民的、民同的運動の質を少しも変えずに、単にそれをつきあげているにすぎないことになる。そして「ハネ」る時には中核派と全く同じことを少し「みじめに」やれるだけである。ということは、観念界の「小ブル的革命性」を理由に市民的、民同的な闘争を固定化する役割を果しているということである。 第二に、彼らはプロレタリア人民の敗北を待ちうけている存在である。要するに、あらゆる突出する闘争の挫折を利用して伸長しようとするという点で、日共=民青と全く同じである。そして、それに「理屈」をつけることによってプロレタリア人民を現実的意味での「後退的」な感性へひきとめ、闘争の「足かせ」となっている。 第三に、第一~第二のことと関連して、「のりこえの論理」からすれば、他党派解体の党派闘争を行なうことが革マルの現在の革命運動ということになり、まさに闘争の破壊にのみ情熱をあげるという全く世界に前例のない疎外されきった存在となっている。これは党派のみならず、自分たちの闘争に支配しきれない集団、個人は皆そういう対象となり、闘争の圧殺、破壊の上に革マル派の支配を定立しようとすることになる。川口君虐殺は、そういう「のりこえの論理」の必然的結果なのだ。 こういう反プロレタリア性をもった「のりこえの論理」を少し具体的に要約してみよう。この特徴は、すでにみてきたように、対決しているのはこのブルジョア社会ではなく既成の運動であり、「運動」―「理論」―「組織」上の三つの「のりこえ」という形で定式化されている。したがって、「大衆闘争論」とはブルジョアジーに対していかに闘うかということではなくて、「既成の運動」にどのように介入し、寄生するかということなのである。これは革マル派が直接大衆運動を行なう場合も同じである。ということは、ブルジョアジーといかに闘うかということは後に退いており、そういう既成の運動の質を前提とし(いかにプロレタリア運動を推進するかではなく)、それとの関係でそれをいかに破壊するかという点から「理論」がたてられる。そして、その上にたって、他党派解体の「組織戦術」(スパイ、加入戦術等)がたてられる。こうして革マル派がまず全面的に対決しているのは、ブルジョアジーではなくて他潮流の「闘争―組織」なのである(反帝・反スタ戦略の根本的誤り)。 そういう意味で「のりこえの論理」は革マルが唯一現実にかかわれる方策なのである。 (3)宗派革マルの「革命運動」 今までの引用や展開で明白になったように、革マル派にとっては他党派解体の党派闘争こそ「革命運動」なのである。もちろん、われわれも他党派の解体、止揚を目指して闘う。しかし革マルという党派は本質的に統一戦線(われわれのいう共同戦線)を組みえない宗派なのだ。それは日本プロレタリア運動にかかわっている総ての潮流がみとめている。それは単に革マルが党派闘争に熱中するということによるものではない。階級闘争は党派闘争を不可欠なものとしているし、しかも情勢が激化すればするほどそうである。そういう点ではわれわれも党派闘争を全力で闘いぬくことにやぶさかではない。問題は「解体―止揚」なのであって、単純な破壊ではない。ところが革マル派の党派闘争は、自分の中に階級闘争を前に進める力の中で行なうのではなく、むしろその力を否定して行なうところに特徴がある。したがって、革マルがある運動に加わってきて他党派批判を行なう時、その闘争がかかえている困難局面をどう打開するかという方向性をもって行なうのではなく、まさに他党派解体のためにのみ行なうのだから、その闘争としては革マルが参加したことによってブラスになることなど一つもありはしないことになる。 こうして政治組織のみならず大衆全体が革マルに対する嫌悪と憎悪をもつていくのである。『革命的マルクス主義とは何か?』の中で、黒田寛一は「加入戦術と統一戦線」を強調しているが、革マル派と統一戦線を組もうなどという潮流は日本中どこをさがしてもありはしない。このこと自体、実は革マル派の「革命的プロレタリア派」としての致命的破産なのである。しかも、それは誰かがデマゴギーを流してそうしたのではない。革マル派自身が自分でそうしたのである。そして、その路線的確立こそ「のりこえの論理」に外ならない。 その「のりこえの論理」にもとづく「党派闘争」の方針を次に批判していこう。素材としては『共産主義者』No28―「大衆運動=同盟組織づくりの前進と党派闘争の勝利のために」―中央学生組織委員会、『同』No29―「ベトナム反戦闘争の教訓と党派闘争の飛躍的強化のために」―中央学生組織委員会、この二つの論文を扱う。 <1、党派闘争推進の本質的構造> 「他党派―社会民主主義やスターリン主義、およびその変種を支柱とした一切の党派―を組織的に解体し、唯一の前衛党を創造するということは、あらゆる実践においてふまえられておかなければならない一般的本質的な目的である。この一般的本質的な目的を直接の目的とし、ある特定の党派に直接に対決する、これが党派闘争推進の出発点である。」(161頁) 「いうまでもなく、反スタ運動の出発時においては、イデオロギー闘争を主要の形態にして(組織的たたかいとしては加入戦術)エセ『前衛党』の解体をめざしてきたのであった。さらに、第二段階としては、いうまでもなく拡大された組織的力量を基礎として大衆運動にとりくみ、その組織化と展開の過程と結果における党派的なイデオロギー的組織的たたかいによつて、つまりは大衆運動を通じて他党派の解体・止揚をめざしてきたのである。あくまでも当面の戦術的目的の実現を直接の目的とし、党派的なイデオロギー的組織的たたかいを通じて大衆運動を組織する、このことによって他党派解体の土壌をつくりだすとともに、さらにこの成果にのっとって独自的組織的なたたかいをくりひろげ、他党派の解体という組織的課題を完遂する、このようなたたかいにとりくんできたのである。」(162頁) 「第一に、運動上ののりこえに従属した組織的のりこえ、第二に、運動上ののりこえと組織上ののりこえとの同時的実現、第三に、組織的のりこえとしての組織的のりこえのたたかい―党派闘争―。第一が、他党派の媒介的解体であるのに対し、第三は直接的解体といえる。あるいは前者が即自的な党派闘争としての意義をもつ党派的イデオロギー的組織的たたかいを基礎とした大衆運動の組織化であるのに対して、後者は向自的な党派闘争にほかならない。 「このことは、理論の次元で、党派闘争論に関してもいえる。党派闘争論は〝のりこえの論理を裏がわから、組織的のりこえを基軸として分析したもの″ではないのである。<のりこえの論理>(大衆闘争論)では、<組織的のりこえ>は従属的な一契機・実体的契機として位置づけられ、これをそれ自体としてとりあげて理論化したのが運動=組織論である。しかし、これらはともに、既成の運動への対決(P1←O)という具体的な出発点に規定されているのである。ということは、運動=組織論が課題とするものが、直接的な他党派の解体・止揚論ではなく、あくまでも既成の運動に対決しこれを運動上のりこえていくことを通じてかつ媒介にしてその背後にある諸組織を解体していく、その実体的構造を明らかにするものであることを意味する。それは運動=組織論が、運動づくりと組織づくりの弁証法、その実体的構造の解明を課題とするものであることからしても明らかである。 <2、党派闘争の二つのパターン> 「ある特定の党派の解体という目的を実現するための手段としては、二つの型が考えられる。第一には、右の目的に規定されたイデオロギー闘争を主要な手段としたもの。その場合、従属的にはその党派を解体するための特殊的な運動づくりを行ない、また解体すべき党派の内部や彼らがとり結んでいる他の諸党派との関係に特殊な組織戦術を貫徹していく(こうした型を、さしあたりαパターンと規定しよう)。第二には、その特定の党派を解体していくための、そうした目的に規定された特殊的な運動づくりの展開を主要な手段としていくもの。この場合にも、従属的には先のイデオロギー闘争および特殊的組織戦術が展開されていく(こうした型を、さしあたりβパターンと規定しよう)。」(164頁) <3、党派闘争の大衆的実現について> 「まずもって、この特殊な運動づくりはあくまでも、ある特定の党派の解体を直接の目的として推進されていくものであり、当面の戦術的課題を実現するために、大衆闘争論的立場にのっとって大衆運動を組織化し、これを通じて一定の党派のおいつめを実現していくたたかいとは厳然と区別される。このことはすでにのべたように、たえざる大衆運動の組織化と党派闘争の推進とは前提的に措定さるべき実践的立場においてまったくことなること、したがってβパターンにおける運動の組織化は既成の運動の運動上ののりこえと区別される、ということから明らかである。 a 原則的なイデオロギー的組織的たたかいを基礎とした連動の組織化。あるいは従属的に組織的のりこえのたたかいを展開し、既成の運動を現実的にのりこえていく。 <補章、学生自治会運動論について> 「最後に、自治会運動論の理論としての性格についてふれておきたい。 このNo28における方針は、No29においてさらに具体化していく。直接には、革マル派はここで中核派との党派闘争の中でこの「党派闘争論」を展開している訳だが、疎外された宗派同士の争いの中に革マルの本質があらわれている。彼らの党派闘争論はすでに引用で示したように、「のりこえの立場」=大衆闘争論(=運動―組織論)とは<断絶>があるという。しかも最後の引用でもわかるように、その「のりこえの立場」=「大衆闘争論および運動=組織論」は、自治会運動や組合運動とは<断絶>しているのだという。思想的には主体性論と組織論とを<断絶>させたり、最近この党派はよく<断絶>するようである。 これによって明白なことは、大衆運動と革マル派の革命運動(のりこえ)は断絶しており、しかもその「革命運動」と党派闘争のもっとも深刻な事態(=党派闘争としての党派闘争)は断絶しているというのである。一体この「党派闘争」とは何なのか? 大衆運動とも革命運動とも<断絶>した「党派闘争」とは一体何なのか? 要するに、革共同両派の宗派戦争はプロレタリア革命運動と無線なものだと自ら告白しているのだ。一方は「反革命カクマルセンメツ」といい、他方は「大衆運動とも革命連動とも断絶した党派闘争としての党派闘争」をいう。中核派は結局戦略が「反帝・反スタ・反カクマル」になつており、革マル派は「革命運動とも大衆運動とも断絶した党派闘争」をやつている。 実はこれは「反帝・反スタ」という革共同全国委の戦略の根本的誤りに規定されているのだ。それは後に批判するとして、実は革マル派の党派闘争の究極の姿がここに示されている。しかも、それが革マルの本質なのだ。革マル派はすでにみてきたように「他党派解体の闘争」が革命運動だとしている組織である。しかも「反帝・反スタ」の戦略的誤り(それは今までみてきたように自分が戦略的に対決しているのが帝国主義ではなく既成の運動であるということを戦略的に表現している)の結果、他党派を解体―止揚できず(階級的本質―内容をもちえない結果)、直接自分が規定力をもちえない運動の破壊を革命運動だとしてきている。そのことが、同じ「反帝・反スタ」戦略をもつ中核派との党派闘争を規定しているのだ。 だから「党派闘争論的立場」なるものは、革マルの活動の部分的側面ではなく、革マルの本質がムキだしに出たものに外ならない。 「一般的本質的目的を特殊な党派関係のもとで直接の目的としてこれを突破する」(No28、163頁)という意味はそれを示している。これは、もともと革マルの思想や「革命論」が、プロレタリアの大衆運動や革命運動と無縁な「小ブル絶対精神の自覚運動」=「プロレタリアに対する小ブルの支配、物理力化運動」だつたことを自己暴露しているものに外ならない。まさにこのような宗派は、プロレタリア大衆運動とその階級的革命的突撃の力で粉砕しつくしていかねばならないのである。 彼らは『革命的暴力とは何か』という全く没思想的な本の中で「中核がやつたから革マルもやったのだ」「革マルはキリストではないから政治的対応をする」とかいう意味のことをいっている。彼らは暴力それ自身の中味を問題にしえないので―なぜならば現在的には市民的、民同的運動しかないといっているのだから―<政治を止揚する革命的階級的政治>、または<ブルジョア的暴力、小ブルジョア的暴力を止揚する階級的革命的暴力>の意味もわからない。彼らにとって「暴力」は技術であり、自分の破産を隠蔽する手段になっているのだ(11・8川口君虐殺ヘの居直りをみよ!)。全く現実の破産の数々を隠蔽しとりつくろうためにのみ存在している革マル派の理論をみよ! その「理論」なるもののいいかげんさを証明するものこそ、都合がわるくなるとすぐ「断絶」していく便宜主義的「理論展開」なのだ。 大衆運動の<発展>としての革命運動であり、あくまでも両者に区別はあるにしても<断絶>などありはしない。そしてまた、党派闘争は大衆運動の階級的革命的発展のために闘われるのである。逆にいえば、大衆運動が階級性、革命性を明確にしていくや否や、小ブルジョアジーがそれにおそれをなし、プロレタリア人民の闘いを再び自分の物理力にせんとする活動が全面化する。したがってプロレタリア人民の闘争の階級化、革命化は必然的に小ブルジョア的宗派とプロレタリア的党派の党派闘争を激化させるのだ。したがってプロレタリアの革命運動は小ブル的宗派との党派闘争を必然のものとしてふくむ。それなくして革命は勝利しえない。それはプロレタリア革命ヘ向けてその小ブル党派の存立基礎を解体、止揚していくプロレタリアのソヴィエト運動の一環として闘われるのであり、小ブル運動が中味においても解体、止揚されていく中で、それを居直り逆に暴力的に敵対してくることに対して実力闘争が闘われるのだ。 革マルのように相手を止揚する中味をもたず、逆にもたないがゆえに闘争に寄生し、他党派解体のみを革命運動だとする宗派戦争とは全く異る。寄生虫の宗派的敵対を粉砕せよ! いうまでもなく、一定の党派との闘争が極めて緊張したものとなった場合、その党派との「直接対決」もありうる。しかし、その党派の解体、止揚の方針が、プロレタリアの革命運動と無縁だなどということはありえない。むしろプロレタリア革命運動の貫徹として、その特定の党派の特定の「解体―止揚」方針がたてられるのだ。したがつて、革マル派がいっているような特定の党派を解体するための大衆闘争(階級運動とは異る)などというのはまさに疎外の極なのである。 「すなわち、党派関係の変動という現実的諸条件の推移に規定されて、われわれのたたかいの構造もつぎの<①→②→③>というように移行していくといえるであろう(逆もいいうる)。 ①運動上ののりこえに従属した組織的のりこえを追求する場合。 ここでの①は即自的党派闘争といえるが、③はもちろん向自的党派闘争であり、②は前者から後者ヘの転換点をなす。ところで、こうした移行の過程は主体的にはわれわれの実践的立場の規定性のつぎのような転換に規定されている。一般的な党派関係のもとでは、われわれの実践的立場はソコ存在する運動と対決しそれをのりこえる(P←O)、つまりのりこえの立場=闘争論的立場というように規定されている。しかしながら、党派関係が異常に変動したというような場合、それに規定されてわれわれは、自己の実践的立場の規定性をば、のりこえの立場=闘争諭的立場(P1←O)から、一定の党派(O1)に直接的に対決してそれを解体する(O1←O)という党派闘争論的立場へと転換していくのである。いいかえるならば、われわれの実践的立場がのりこえの立場(P1←O)というように規定されている前者においては、あくまでも既成の運動をのりこえる(P1→P2)というこの直接的な目的に従属したものとして一定の党派(O0と規定される点に注意)を組織的にのりこえる(O0→O)という結果をもたらすことができる―したがってそのことはわれわれの媒介的な目的をなす―のである。この一定の党派を組織的にのりこえる(O0→O)という媒介的な目的を、党派関係の異常な変動のもとで、直接的な目的としていく、したがってわれわれの実践的立場の規定性も党派闘争論的立場(O1←O)というように規定されていく、これが後者の場合なのである。 これはNo28の中味のくりかえしなのであるが、最後にみる革マルの反マルクス主義―反プロレタリア的路線および理論を極めて端的に示しているので引用した。 すでに何度も批判してきたように革マルの「反帝・反スタ」という誤った戦略はブルジョア社会の全般的制約者を誤って規定している。反帝国主義が戦略であり、反帝国主義の闘争の発展という根本的構造が発展する過程で様々な小ブル諸党派との党派闘争も深まる。ところが革マルにとっては帝国主義も他潮流も並列にならんでしまう。 革マルの「のりこえの論理」の中に疎外された党派闘争はふくまれており、その結果なのであるが、一応「のりこえの論理」の中では「党派闘争としての党派闘争」ということは背後にある。つまり、「運動上ののりこえ」との関係で「組織上ののりこえ」がでている。ところが「党派闘争が異常になった段階では」「党派闘争としての党派闘争」が「普遍的な形態」となるという。 これをマルクス主義的にとらえかえせば、革マルの党派闘争は革命運動の発展と別にむしろそれを「抑圧した形で」または「断絶」して普遍的形態となるということなのだ。マルクス主義の弁証法にこんなデタラメはありはしない。根本矛盾(普遍的矛盾)―この社会ではブルジョアとプロレタリアの矛盾―との関連で総ての特殊的個別的矛盾が存在しているのであり、したがってプロレタリアの帝国主義打倒の革命運動(根本的闘い)と断絶した形で特殊的、個別的なものが発展するなどということはまさに「疎外」以外の何物でもない。マルクスにとって普遍―特殊―個別(または個別―特殊―普遍)の発展過程は弁証法的な区別(否定)を通して成立していくが、それぞれが「断絶」したりなどしないのである。 われわれが指摘してきた通り、革マル派は本質(論)なき形態論者または現象論者である(その根拠は最後にみる)。マルクスの引用も全く手前勝手な解釈をしているが、引用されている中味もそういうものなのである。革マル派の原点が資本主義の根本矛盾にふれえていないからこういうデタラメができる訳なのだ。そして「革命運動」=「のりこえの論理」に根本原因があることはすでにみてきた通りである。 こうして宗派革マルは、文字通り大衆全体を敵にまわし、大衆運動の階級化革命化に敵対し、暴力的破壊活動をくりかえすことによってしか自らその存命を陳てなくなってきている。「拠点」早大の革マルの位置をみよ。彼らの悪アガキは、彼ら自身を「アリ地獄」の中にたたき込んでいる。こうして革マル派の本質がますます明白になる中で、階級的党派闘争を深化させ、彼らの粉砕放逐を実現する闘争をやりぬくのだ。しかも注目すべき点は、権力と当局はこの革マルの本質を利用しつくし、人民の分断、支配を貫徹しつつある。革マルは文字通り権力の手の内におどらされているのである。 (4)革マル派「組織論」の反プロレタリア的構造 革マル派の一つの重要な柱は、組織論であることはいうまでもない。これまでの整理の上にたつて、組織論それ自体としてどういう経過をたどっていて、どういうところへきているのか、そしてそれがどういう問題をかかえてきているのかについて、のべていこう。 ①革マル派の初期の組織論 現在の革マルは革命論、あるいは党派の根幹をなす思想性としても極めて重大な危機にたっている。それは、自分たちの出発点的な中味が現実の闘いに直面することによって破産し、それに対して様様な手直しをやっているにもかかわらず、内容については形骸化し、空洞化の一途をたどっている。こうしてむしろ初期の革マル理論に忠実な部分が批判されつつ、脱落していつているというのが実情である。それをもっとも思想的に示しているのが組織論をめぐる革マル派の歴史である。それについて、まず『革命的マルクス主義とは何か?』『組織論序説』によって初期の構造をみていこう。 『革命的マルクス主義とは何か?』の中では、新たなる革命的プロレタリア党建設については直接「新しい共産党」を作ってこの周辺に活動家を結集していく「雪ダルマ式戦術」を否定し、イデオロギー闘争や政治闘争の司令部は外部におき、その司令部のうち出す方針を大衆運動に適用しつつスターリン主義や社会民主主義の内部にもち込んでいくことによりそれを全体として変質させる「ナダレ込み戦術」を肯定しつつ、同時にその不充分性を突破するものとして「加入戦術と統一戦線の結合」を提起している。 この方針は、結局様々な曲折をとりながら革マルの現在を規定している。加入戦術ということは、結局、スターリン主義や社会民主主義の運動をこえていく現実的闘争を展開しえず、スターリン主義や社民への批判が本質的には同一次元のものでしかない観念的批判にとどまつている結果失敗する。既成の「労働者党」の制約を突破せんとしていくプロレタリアの矛盾とその闘争の中味がわからず展開ができない結果、一方では<プロレタリア運動の外>にイデオロギー的な前衛集団を作り、大衆運動は社民、スターリニストの運動と同じものを技術的に(統一戦線等を通して)行なうという形になってしまう。これは、この前衛の思想が結局プロレタリアとは無縁なものでしかないことの証明なのである。それがいろいろの形をとりながら暴露されていくのである。 『組織論序説』においては次のような構造を提起している。 第一に、前衛党建設のために必要なことは、プロレタリア的主体性の確立、一切のブルジョア的汚物から訣別している共産主義的人間としての主体性の確立である(226頁)。そしてその共産主義的人間としての主体性の確立のためには『プロレタリア的人間の論理』(黒田著)をみよという。 これらの中味をもつ前衛組織は、「共産主義的人間への自己変革をなしとげたプロレタリア的人間を構成体とする強固な<共同体>(これは革命的人間への変革の場であると共に実現されるべき将来社会の萌芽形態であり共産主義的人間にとっては〝永遠の今″としての意義をもつ)」(136頁)とされる。 この共産主義的主体性の中味とされている『プロレタリア的人間の論理』はどういうことが書いてあるかというと、次のようになっている。 「…これらは、そもそも生産と所有との根源的分割に歴史的根拠をもった、その必然的な帰結にほかならないことを、プロレタリアは自覚する。生産と所有との機械的分裂の資本制的形態が、生産諸手段の資本家的所有と労働の社会化との矛盾・作業場内分業の計画性と社会的生産の無政相性との矛盾・ブルジョアジーとプロレタリアートとの階級闘争・『物の人格化と生産諸関係の物化』という資本制社会の転倒性等々の本質であることが把握される。賃労働者の労働は、人間労働の根源的=本質的な形態との関係において、その資本制的に疎外された労働の現実形態として自覚される。使用価値としての労働生産物を結果するかぎりでの合目的的な生産的労働(労働の本質形態)と、『価値を創造する活動』としての生産的労働(労働の資本制的疎外形態)との矛盾を、したがって人間的本性と人間性の完全なる喪失=自己分割=奴隷化との矛盾を、だから根源的な『種族生活』とその資本制的自己疎外形態との矛盾を、賃労働者は自覚する。それは、社会的生産・人間労働―人間的本性をその資本制的形態ヘと疎外せしめている事態(すなわち資本制的現実)の本質の概念的把握にもとづく階級的自覚である。」(『プロレタリア的人間の論理』127~128頁) 「こうしてプロレタリアは、いまや、自己に敵対的に対立した資本を暴力的に収奪し、自己否定的に迫ってくる資本家の私有財産をば社会の歴史的必然性における自己発展を物質的根拠としつつ積極的に止揚せんと決意する。それは、自己の非人間化された奴隷状態を克服し、失われている普遍的人間性と技術性を完全に全面的に回復せんとする主体的な決断である。『人間生活の永遠的な自然条件』を奪回せんとするプロレタリア的な価値判断の成立である。これは、生産と所有との根源的な分裂(階級的所有関係の成立にもとづく社会経済的な疎外の発生)を本質的な根拠とした社会的生産の歴史的発展がもたらした革命的自覚であって、かかる分裂そのものを根底から徹底的に変革せんとするプロレタリアの階級的自覚である。それは、社会的生産力の無限なる自己実現を、社会的生産過程の歴史的必然性における自己運動を、存在論的根拠とし、主体的原理としたプロレタリアの歴史的自覚である。いな、物質の宇宙的必然性における自己実現の主体的契機であることの物質的自覚の獲得である。」 まさに観念論者革マルにふさわしく非マルクス主義的用語がならんでいるので理解がめんどうに思えるが、要するにいつていることは、≪人間の活動は本来生産と所有が統一されていたのに対してそれが機械的に分離してしまい階級社会が生まれた。これを主体的に自覚して、統一を回復せんとする闘いヘ決起していく≫ことが主体性だといっているのだ。 人間の歴史の中での生産と所有の構造は、共同体の問題と不可分である。つまり「統一されていた」のは共同体に個人がとけ込んでいる原始共同体においてである。こういう問題を欠如して「分離」だの「回復」だのといっても、それは自己の描くユートピアでしかない。これは決してこの引用の箇所のみではなく黒田の著作全体の特徴なのであるが、黒田には歴史と社会の科学的解明が欠如している。プロレタリアがなぜ革命的なのかは、決して「生産と所有の分離」のみによって説明されるものではない。これはすでに労働運動諭の中でみてきたように、「合理化の把握―反合闘争論」についてもっとも鋭く出てくる。つまり現実的、本質的把握がなく、その上に「主体性」だの「共産主義」だの「革命」だのがつく。つまり、それは黒田のユートピア(小ブル的)をおしつけているにすぎない。 「共産主義者の共同体」などといっても、資本主義の本質的把握やプロレタリアの革命性の本質的把握が欠如していてどんな「共同体」を夢想しているのだろうか? 『組織論序説』の中でも『プロレタリア的人間の論理』の中でも、黒田の論理の中には共同体とか組織ということを必然化する内容は全くない。いわば「一人一人共産主義的自覚をもつて行く」という構造なのだ。その存在が共同体的存在であり、またその矛盾が共同体的構造をもっている(疎外された形であれ)そういう中ではじめて生み出されるべきものが「新たなる共同体」としての中味をもちうるのだ。ところが黒田には、こういうものが全く存在せず、「個人的自覚としての共産主義的自覚」が急に「共同体」的だとされている。それでも、このころは、精一杯こういう「ユートピア」―「主体性」を夢想しえていた。だが、この「主体性」が現実に直面するや否やまさに小ブルの「ユートピア」―「夢想」 でしかないことが暴露されてしまう。 その運動、闘争上の過程はすでにみてきた。そしてその中で「純粋革マル主義者」は、結局運動と無縁な個人主義者だとして批判されていく(主体形成主義者として)。これは、当然、政治技術主義、大衆運動主義と裏表の関係としてあることになる。なぜならば、運動の主体たる「大衆」の中には「共産主義」の中味は存在せず、それを「あやつる」革マル的人間の側にイデオロギーとしてある以上、運動それ自体は物理力または操作の対象となっていくのである。 ② 現下における革マル組織論の宗派的構造さて、それでは現下の革マルの組織論の問題点を批判していこう。『日本の反スターリン主義運動 2』の「Ⅱ 組織建設路線にかんする問題点」を軸にしながらその反プロレタリア性を暴露していきたいが、ここでのべられている中味はほぼ今までの中でみてきたことなので紹介的なことはできるだけはぶいていきたいが、一応要綱的にのみ叙述をあげておく。 ≪1 分派闘争期における組織問題 2 「主体形成主義的組織づくり」の発生とその克服 3 思想闘争主義的および政治技術主義的な組織づくり路線との訣別 革マル派の革命運動―「のりこえの論理」が、小ブルイデオロギー集団が階級闘争の現実の中にたたき込まれていった時とった「自己保身」であったように、革マル派の60年代中期から「展開」されていく組織論も小ブルイデオロギー(小市民的自我)が労働運動等に直面しつつ、それに「のっかって」生きのころうとした時に生まれていったものであった。くりかえし発生してくる一方における「主体性論」と他方における「技術主義―物理力主撃はその表現に外ならなかった。 それに対して黒田は次のように答えていった。 「共産主義的人間への形成、プロレタリア的自覚の論理は人間論ではあっても、組織論ではない。組織の前提あるいは組織化される以前の人間にかかわる諸問題やそれへのアプローチのしかたまでもが、直境的に組織論の領域にもちこまれるならば、組織論は主体性の問題に一面化されてしまう。」(312頁) ≪政治的国家と市民社会との分裂―私人と全体的社会性ヘの分裂―にブルジョア社会はおち込んでいる。即自的プロレタリアも同じである。これを階級闘争を通して止揚しなくてはならない。労働組合は社民によってゆがんでいるにしても階級的全体性と個別性の即自的統一としてあり、個別と全体の止揚の問題を場所的に実現する―即自的にではあれ―というものをふくんでいる。これを不断に向自的に高めていくべき任務をもった前衛党が、社民的、スターリニスト的に変質しているところに現代の階級闘争の一切の問題がある。階級的全体性とプロレタリア的主体性=個人性の統一された革命的前衛組織として同盟をうちかためねばならぬ。≫(224~315頁) これからもわかるように、黒田の初期の組織論や思想性に強く出ていた「小ブル的自我の自己確立」という側面は、労働組合運動等に直面しつつ一定の「手直し」を迫られていった。だが、またしてもそれは、単に形態上の技術的な「手直し」に終る。ブルジョア的な「私人」と「全体性」の分裂をプロレタリアが止揚可能な根拠は何なのか?そして、その「個別性」と「普遍性」の統一を実現しうるプロレタリアの本質がいかに展開していくのかが「一カケラ」も示されず、ただ「結論的にのみ」マルクスの「口真似」をして「統一」が語られるにすぎない。 こうしておきていくことは、たとえ誤っているにしても初期の革マル派のもっていた中味、内容が否定され、形式化、形骸化された「組織性」が外部から(指導部によって)下部活動家に「附与」され、下部活動家はそれを「体得」させられる(325頁)。 こうして、反スタ・スターリニストの本質が公然と姿をあらわしはじめる。 スターリニストのスターリニストたる理由は、個別的主体の内在的必然性の展開として全体をたてるのではなく(または全体性の展開が個別性を自由に発展させるのではなく)、個別主体の内在性を抑圧していくところに全体性がたつことにある。これはブルジョア社会では、「他者」はそれぞれの「個人」の限界であり「個人の自由」と「公共の福祉」は本質的に対立する構造になっているのと同じである。それこそ分業(私的所有)を突破できないものなのだ。 これに対して、プロレタリア階級の革命運動が生み出す組織がこれを止揚できるというならば、その<根拠>が明白に科学的に示され、そしてそれが展開されていくものとして組織方針がたてられねばならぬ。ところが革マル的主体にとってその「根拠」は、小ブル的なまま形の上でだけプロレタリアの組織性が語られる。これはまさにスターリニスト的な疎外された組織性に外ならない。こうして「人間論」と「組織論」の分離が語られるのだ。百歩ゆずってその相対的区別性がたてられたとしても、その「組織論」の中にプロレタリア的共同性の中味が展開されていなければ、そもそも「共産主義的主体性」などということを問題にする必要は全くないことになる。要するにプロレタリアの革命性、階級性の展開としての組織性ではなく、その中味を失った疎外としての組織性なのだ。プロレタリア革命運動の推進をなしうる組織性ではないことは明白である。 こうして、革マルイデオロギーは、大衆闘争論(のりこえの立場)の極において革命運動と無縁な、いやむしろ敵対する宗派戦争をひき出し、また、プロレタリア革命運動と無縁な、いやむしろそれを抑圧する形骸化した組織を生み出しているのだ。 こうして「加入戦術と統一戦線」としてたてられた初期の革マル派の基本方針は、プロレタリア運動に敵対する組織性とプロレタリア人民から徹底的にきらわれる孤立という破産状況を迎えている。 7 プロレタリア革命なき「革命」戦略
(=現実の矛盾・闘争から逃亡した小ブルの宗教運動) ―革マルの「革命戦略」批判― われわれは今まで、それぞれの分野について革マル派の路線を要約しつつ批判してきた。それらを収約する形で、結局革マル派の革命戦略は何なのかをあばきだし批判しつくさねばならない。今までの過程で明確になったように、革マル派の路線とはプロレタリア革命―現実の権力のプロレタリアの実力による転覆―なき「革命」路線である。これをまとめて要約するのがこの章の目的である。 (1)反帝・反スタ戦略の反プロレタリア性 その第一に、われわれは革マル派の戦略としての「反帝・反スターリン主義」についてその本質構造をアバキ出してみよう。『日本の反スターリン主義運動 2』において、黒田寛一は次のようにいう。 ≪マルクス・エンゲルスの世界革命論は本質的なものとして資本主義の最高発展段階としての帝国主義の時代において、また現代において貫徹されねばならない。また、このマルクス・エンゲルスによって明確にされた革命戦略(普遍的本質論)はレーニンやトロツキーの革命論の批判的摂取を通して世界革命の特殊的段階論として具体化され、それによって革命的実践にそれは適用される。しかし、20世紀後半の現代はロシア革命以後数年とは異なっている。ソ連労働者国家は世界革命の挫折と経済的後進性を物質的基礎として変質し、ソ連邦の政治経済構造は官僚主義的に疎外された。しかもこの変質は「一国社会主義」イデオロギーによって正当化されつつ、国際共産主義運動を大きく規定していった。こうして、帝国主義とスターリニズムによって分割している現代、しかも全世界のスターリニスト党によって各国のプロレタリア階級闘争が種々の形で歪曲されている現実を転覆し変革するための革命的プロレタリアートの世界戦略が<反帝・反スターリニズム>に外ならない。 たしかに、帝国主義的段階におけるプロレタリアートの普遍的課題としての「反帝国主義」という戦略(Ⅱa)にとっては、反スターリニズムは歴史的にも現実的にもプロレタリアートの特殊的課題をなす。なぜなら、直接には帝国主義的段階におけるヨーロッパ革命の永続的完遂が挫折することによつてもたらされた、世界革命ヘの過渡期におけるソ連労働者国家およびその政治経済構造の官僚主義的疎外、これを根拠とした歴史的産物がスターリニズムであるがゆえに、反スターリニズムは歴史的に特殊的な課題として登場したのだからである。そしてまた現実的にも、スターリニスト官僚制国家によって支配されていない現代世界、つまり帝国主義陣営の内部においては、スターリニスト党官僚は権力をにぎっているわけではない。彼らは各国のプロレタリア階級闘争を種々のかたちで現実に歪曲しているのであって、かかる歪曲を暴露し粉砕しのりこえていく革命的共産主義者(党)の闘い、帝国主義諸国における反スターリニズムの闘いは、ブルジョア国家権力を打倒するための闘いにたいしては現実的に特殊的な課題をなすのだからである。 けれども、帝国主義とスターリニズムとに基本的に分割されている現代世界そのものを革命的に変革するための戦略、現段階における世界革命戦略(Ⅱ´a)としての<反帝国主義・反スターリニズム>を構成するその一契機である<反スターリニズム>あるいは、<反帝>と直接的に統一されている<反スタ>は、全世界のプロレタリアート・人民の普遍的課題をなすのであつて、<反帝>と<反スタ>とは論理的に同時的な戦略をなすのである。たしかに、帝国主義的段階において、その論理的解明としての帝国主義論(3´)に基礎づけられた「反帝」戦略(Ⅱa)にとっては反スターリニズムは特殊的ではあるが、<反スタ>と直接的に統一されている<反帝>、あるいは<反帝・反スタ>戦略(Ⅱ´a)の一翼機としての<反帝>は、帝国主義段階におけるプロレタリアートの普遍的課題としての「反帝」そのものではない。あくまでも「社会主義陣営」と称されているスターリニスト・ソ連圏に敵対している帝国主義諸国家権力の打倒を、帝国主義陣営に対立しているスターリニスト官僚制国家群のそれとともに実現することをめざした<反帝>にほかならない。 要するに、<反帝>は<反スタ>と直接的に統一されているそれであり、<反スタ>は<反帝>と直接的に統一されているそれであって、この両者はいずれも現段階におけるプロレタリアートの普遍的課題をなすのであり、現段階の世界革命戦略(Ⅱ´a)を構成するその二契機なのである。このことは、<反帝・反スタ>戦略が帝国主義的段階の世界革命戦略(Ⅱa)としての「反帝」に反スターリニズムを接ぎ木ないし結合したにすぎないものではないことをいみする。スターリニズムによって変質したソ連圏にたいして種々の対立をしめしている帝国主義諸国家権力と、帝国主義陣営にたいして平和共存戦略にもとづいて対応したり反米武力総路線のもとに反撥したりしているスターリニスト官僚制国家群との、物質的対立において、相互に依存しあい相互に敵対しあいながら運動している現代世界(4)―これは、帝国主義論および現代ソ連論にふまえた世界情勢論(4´)として、あるいは帝国主義段階の・世界革命への過渡期における・一つの現実形態論(3´―4´)として、明らかにされるのである―、かかる現代世界そのものをインターナショナリズムにもとづいて根底からくつがえすことを自己の普遍的課題とした革命的プロレタリアートの戦略が、すなわち<反帝・反スターリニズム>だということである。したがって当然にも<反帝・反スタ>とは、「反帝」と「反スタ」とを時間的に同時に実現すべきことを意味するものでもなければ、また「帝国主義陣営においては反帝、ソ連圏においては反スタ」といった機械的な分離=結合をあらわすものでもないし、また「反スタ」は「反帝」を実現するための「方法概念」であるわけでもない。<反帝・反スタ>は、現代世界の腐敗しきった危機的現実を根底から変革するための世界革命戦略であって、具体的には、帝国主義およびスターリニズムの諸国家権力を打倒するための個別的戦略をうちだす場合にも、また革命的共産主義運動やその時々の戦術的闘争課題をめぐって展開される大衆運動のための種々の実践的指針を提起する場合にも、それはつねにかならず現実的に通用されなければならないのである。≫(261~264頁) この中に黒田の思想の反プロレタリア性が実に見事に表現されている。たしかに帝国主義段階におけるプロレタリアートの普遍的課題は「反帝」で、反スタは特殊的課題だという。しかし、次に「反帝・反スタ」の「反帝」は、このプロレタリアートの普遍的課題としての「反帝」ではないという。「反帝・反スタ」は直接的に統一されているのであるという。この根拠らしきものをさがせば、現代は「ロシア革命以後の数年とは異なり帝国主義とスターリニズムが分割支配しているからだ」ということになる。 この「思想家」は、対象を一貫した且つ弁証法的な形でつかむ努力をしているのだろうか。支離滅裂というより、「必死」でマルクス主義をつかもうという形をとりながらも、結局自分の小ブル的世界を突破しえない。マルクスの理論の教科書的な利用の間に突然自分の小ブル的「地」がでてしまい、その二つを結びつけようともしない。 「反帝・反スタ」の「反帝」がプロレタリアートの普遍的課題としての「反帝」ではないとしたら、その普遍的課題としての「反帝」はどこへいってしまつたのか? 「反帝・反スタ」のそれぞれは「現代社会を分割しており」また「相互依存、相互反撥している」二つということになる。しかし、問題は現代社会を分割・支配しているようにみえるこの「帝国主義」と「スターリニズム」の本質的把握が戦略につながるのではないのか? この「思想家」の思考の特徴は、普遍(本質)が「特殊」―「個別」へ進む途中でどこかへ消えてしまうのである。彼らがよく言う帝国主義とスターリニズムの相互依存=相互反撥が、まさに「相互」的なものであるとするならば、つまり現代社会の制約者が帝国主義とスターリニズムの双方であるならば、もはや「反帝国主義」はプロレタリア革命の普遍的戦略ではない。もし「反帝国主義」が普遍的戦略ならば、帝国主義とスタ―リニズムの「相互依存―相互反撥」は「現象」であって(本質的にはそうではないにもかかわらず、小ブルの目にはそううつる)本質ではないということになり、したがって「反スタと直接的に統一された反帝」などありはしないのだ。あくまでも反帝国主義という普遍的闘争の中で、スターリニズムヘの闘争も実現されていくのである。さもなければ、一体スターリこズムを何をもって止揚するのかが全く不明になる。 現代社会の普遍的制約者(全体的制約者)は「帝国主義」であり、スターリニズムは部分的制約者でしかない。だからスターリニズムは総体として帝国主義の分業秩序の中にのみ込まれつつあるのだ。 そもそもスターリニズムはプロレタリア(革命運動)を部分的制約者とし、全体的制約者としてはプロレタリアートの闘いの衝撃をうけた貧農がたっていく形で成立した。その意味ではプロレタリア革命(運動)の貧農主義的収奪として成立していった(旧いアジア的共同体を背景として―)。そして、その、分業(私的所有)を止揚しきれないスターリニト国家における生産力の発達は分業の発達を促進し、大量の「テクノクラート」を生み出し、それが軸となりつつ「社民化」の途をたどつているのだ。その意味ではスターリニスト国家のプロレタリアートにとっても「反帝国主義」は普遍的戦略課題なのである(本質的な意味ではスターリニスト国家をも帝国主義の論理は制約しているのだ)。 したがって「体制間矛盾」として現出したものは全世界プロレタリアートと全世界ブルジョアジーの普遍的本質的矛盾が疎外されて現象した形態である。 革マルの「反帝・反スタ」戦略はまさに現象にとらわれてしまい、並んでみえる「二つの体制」に逆にとらわれてしまい、それを戦略化したものである。だから次にみる戦争の問題についても「侵略戦争」だなどといい、また沖縄を「東西対立の谷間」などというのだ。 この「反帝・反スタ」戦略は現実にはどういう意味をもっているのだろうか? それは実は革マル派の一人ひとりが自分の現代社会における「矛盾」を社会の本質的矛盾の中に位置づけきれていないことを示す(これについては反戦闘争、反合闘争でみてきたが―)。したがって「のりこえの論理」のようなものを生み出す。つまり自分を本質的に制約しているものがわからないために―ということはこの社会を本質的にこえていくものがわからない―かくされた自分の小ブル的エネルギーをプロレタリア的革命性と勝手に思いこむことになる。 プロレタリア人民の様々な矛盾は、それが科学的に資本主義社会の中に位置づけられていかない時には、様々な形でねじまがった方向へいってしまう。創価学会やその他の宗教にプロレタリア人民の多くが組織されていることは周知の事実である。革マル派にとってはそれぞれの矛盾が根本的にどこにつながっているのかがわからないため、資本の様々な制約と社民やスターリニストの官僚主義的抑圧が並んでみえてくる。ちようど、現代社会が帝国主義とスターリこズムに「分割支配」されているようにみえるのと同じである。これを「反帝・反スタ」論が「戦略的」に方向性を与えていく。ここに「のりこえの論疲」が成立する基礎がある。 つまり、プロレタリア運動が社民的、スターリニスト的に歪曲されてきた歴史は、社民やスターリニストのイデオロギーがプロレタリア人民を汚染してきたからだというのは確かに一面では「真理」である。だがそのことをプロレタリア階級の独立という点からとらえかえせば、社民的、スターリニスト的な思想や戦略では収約しきれぬ(つまり小ブルイデオロギーによっては収約しきれぬ)プロレタリア階級の矛盾を明確につかみとり、プロレタリア階級の階級闘争を推進していくことによってその社民やスターリ一ニトの制約を突破していきうるのだ。そういう社民やスターリニストの限界を突破する方策をたてずに、社民やスターリ一ニトのイデオロギー批判によってそれが突破できる訳ではない。そもそも何によってそれを突破するのかというイデオロギーの内実がないことになるからである。 こうして、社民やスターリニストをこえていく内実を失ったまま社民やスターリニストを「のりこえ」ようとするということは、すでにみてきたように現実の運動としては社民的、スターリニスト的運動を行なっておいて、「限界」を指摘する形のイデオロギー闘争により組織解体攻撃をしかけ、結局社民、スターリニストと同質の運動に革マルがのっかるということが「革命運動」だという全く奇妙なことになるのである。これは社共批判という名の下に、プロレタリア階級を再度小ブルの下に包摂し、革命を抑圧することに外ならない。 (2)トロツキー型永続革命論の観念的歪曲および ロシア革命の過程において、トロツキーとレーニンの革命論が対立していく時期があった。また実際に対立していたのである。レーニンは『民主主義革命における二つの戦術』でみられるように当時のロシア革命を「ブルジョア民主主義革命の徹底化」という形で考えた。この「ブルジョア民主主義革命」という点からいえばレーニンの革命戦略はメンシェビキのそれと変らなかった。メンシェビキとの相違は、ロシア革命を「ブルジョア民主主義革命」と規定することから、この革命の役割をロシアのブルジョアジーにゆだね、プロレタリアートの役割を低く評価したメンシェビキに対して、レーニンとボルシェビキは、ロシアブルジョアジーはそういうブルジョア民主主義革命をやる力はない、ロシアプロレタリアートと農民の同盟のみがブルジョア民主主義革命の徹底化に利害を見出すのだといい、この「労農同盟」の積極的役割を強調した。 これに対してトロツキーは、1905年革命の総括である『結果と展望』の中で、永続革命を提起した。それはロシアにおける革命の主力はプロレタリア―トであることが1905年革命の中で明白になったとした。それはプロレタリアートの組織性、密集力によって実現されたのであり、このことから判断して来たるべき革命はプロレタリアートがヘゲモニーをもったプロレタリア革命ヘ発展していくとしたのである。この点、トロツキーの方がプロレタリアートのつかみ方においてレーニンよりすぐれていたことは明白であり、しかも結果はトロツキーのいうとおりになった。 しかし、トロツキーは革命の組織化(党建設)という点ではレーニンに決定的に劣っていた。たしかにレーニンは1917年の革命勃発まで「民主主義革命論」をとっていたが、革命勃発後鋭い直観により「プロレタリア革命」としてつかみとり『四月テーゼ』によりボルシェビキを変革しつつ1917年10月の革命ヘ導いた。トロツキーはプロレタリア革命のつかみ方が力学主義であり、プロレタリア階級の矛盾の構造の解明とか、闘争方針、組織方針をひきだすとかいうことは何もしなかった。したがって力学的な政治的ダイナミズムの把握以外は革命運動としては極めて不充分であった。これに対してレーニンは戦略は誤っていたにしても、頑強な組織作りに集中し、ボルシェビキを革命の組織へと作っていった。 だが、レーニンはやはり『四月テーゼ』まで「民主主義革命」の推進力であったのであり、この点は十月大革命に決定的限界を与えていった。つまりロシア革命は権力奪取の直前まで目的意識的なプロレタリア革命運動は存在していなかった。つまりプロレタリア革命運動は自然発生的にしか存在しなかったのだ。 こうして1917年の十月革命でプロレタリアの階級化、革命化は頂点に達し権力を奪取する(ソヴィエト権力の樹立)。だが、このプロレタリアの決起によつて一歩ずつプロレタリア的路線に変化していったボルシェビキも、内戦―内戦終結の過起でプロレタリア革命への抑圧的側面を出してくる。プロレタリア革命運動(ソヴィエト運動)が目的意識的に推進されてこなかったということの中で、ソヴィエトをめぐってボルシェビキ自身も様々なブレを経験していく。 「ソヴィエト独裁」は否定され「党独裁」への通がクロンシュタットの叛乱以降しかれていく。また、こういう状況の中で「労働組合とソヴィエトの対立」―「組合主義の勝利」が進む。すでにレーニンの生きている内にスターリン主義ヘの道はしかれつつあったのだ。それはレーニンの「外部注入論」に思想的背景をもっていた。もちろんレーニンは鋭い現実的直観の中で様々な「留保」をつけつつ一歩一歩手さぐりをするという態度をとっていった。したがって現実のプロレタリア運動の可能性をひきだす力をもっていた。しかし、レーニン死後、スターリンの勝利の中で、ボルシェビキの中にふくまれていた最も反プロレタリア的側面が極限的に拡大されていくのである。 こういうロシア革命の革命論上の問題点は、黒田寛一によると実に反労働者的な形で小ブル的に歪曲されていく。彼らはトロツキーの永続革命論を「過程論」―「連続発展論」として批判する。つまり民主主義革命から連続発展としてプロレタリア革命へ発展する「永続革命論」は誤りであるという。革命闘争は国家権力の本質的転換としてとらえ、つまり階級闘争と革命闘争を区別するという。この問題に対する解答は「場所的現在における党づくり」であり、これを基礎としてプロレタリア革命を永続的に完遂していくという。つまりトロツキーヘの批判をレーニンの「組織建設」という観点から批判する訳である。レーニンの「前衛党建設論」を革マル的に歪曲して作りかえる。 つまり「ボルシェビキは戦略上まちがつていても強力な組織をもっていたので革命をやりぬけた」ということで、レーニンの党建設論をひきつごうとする。それをトロツキーの永続革命論の「批判的継承」なるものと「結合」している訳である。 こうした革マル派によるトロツキー、レーニンの小ブル的歪曲は次の点として要約することができる。 第一に、たしかにレーニンは強力な党建設に全力を注いだ。しかし、それは革マル派がいうような形でのものとは全く異る。ボルシェビキは誤った戦略をもっていたとしてもプロレタリア人民の革命運動を組織作りにすりかえるようなことはしたことがない。権力に対する強力な革命運動の推進の中で党作りをやっていったのである。この点「革命性は観念の中」にのみというまさに日和見主義者とは根底から異る。 第二に、革マル派はトロツキーの永続革命論を「民主主義革命からプロレタリア革命への連続的発展」として批判しているが、革マル派自身がトロツキーよりもっとずっとくだらない「民主主義革命」主義者でしかない。すでにみてきたように「平和運動としての反戦闘争」「組合主義的反合闘争」以外は「党派闘争」―「イデオロギー闘争」―「組織作り」だというのだから、現実には小ブル的運動をやって、客観情勢が深化してくるとそれが「どういうわけかわからないが」プロレタリア革命闘争に転化するというのである。小ブル運動しかやっていなくて、どうして「大衆闘争を革命闘争に転化する」プロレタリア革命党ができるのだろうか? 第三に、スターリン主義はボルシェビキの「民主主義革命から連続して進むプロレタリア革命」という「二段階革命論」と不可分である。なぜならば、プロレタリアートは戦略としては階級運動、革命運動を展開してはならないということになっているのであり、そういう戦略の下にできる党は非プロレタリア的、または反プロレタリア的党でしかないはずである。つまりソヴィエト運動の推進を否定してできる党は非プロレタリア的、または反プロレタリア的党でしかないのであり、したがってそれはスターリン主義ヘ直結していくのである。 要するに「一切はあるがプロレタリア革命は絶対にない」というのが革マル派の戦略である。 (3)プロレタリア革命運動(ソヴィエト運動)なき 戦略が根本から誤っており、しかも現実的闘争としては「民主主義―平和―組合主義」を展開し、その上にたって「組織作り」を行なうということは一体どういうことなのか?それは一言でいえばプロレタリア革命(運動)なき小ブルの自己満足運動ということである。彼らの革命戦略を定式化すれば次のようになる。 第1―「ソコに存在する既成の運動」(平和と民主主義運動、民同型運動)―自分たちの組合運動、自治会運動は大衆運動としてはこれと同じものを行なう。 これはまさにソヴィエト(運動)の否定の上に成立する小ブル運動ということになる。プロレタリア革命理論―マルクス主義理論からの「修正」とは、結局ソヴィエト(コミューン)の否定にかかっている。日本共産党の議会主義は結局この点をめぐって成立してきている。革マルはこれに対してソヴィエトを時々いうし、キューバに対しても「ソヴィエトが存在するか否か」ということを評価の規準においている。ところがそれはまたしても言葉の上のことだけであって現実的な展開はソヴィエト運動の否定の上に成立している。 彼らは大衆闘争、革命運動、革命闘争と分離して、「革命運動」は「のりこえ」運動、革命闘争は「直接的な権力闘争」であるという。ところが「のりかえの論理」それ自体はソヴィエト運動とは全く無縁である。これはすでにみてきたように「反帝・反スタ戦略」の結果である。 ソヴィエト運動とは反帝共同闘争の推進を通してその中に展開される目的意識的な統一戦線の闘いとして推進される(革命運動)。現下の政治闘争、経済闘争が非ソヴィエト的、または反ソヴィエト的なものとして存在する以上、そしてプロレタリア人民の矛盾がその枠をこえて噴出している以上、帝国主義に実力で対決する「ソヴィエト運動」が現在的に展開されなければならない。このことは、ロシア革命がスターリニストに収奪されていったことに対する根本的総括にかかわることでもある。 彼らは一定の情勢の変化の中では「ソヴィエト作り」にはいるというが、これは全くプロレタリアソヴィエト運動と無縁な「反ソヴィエト組織」であることは早大の例をみればわかるだろう。彼らになぜソヴィエト運動が本質的に不可能であるかといえば、彼らの情勢分析が、つまり資本主義社会の矛盾のつかみ方が、新たなる共同体を必然化するという形にはなっていないことに大きな原因がある。組織論批判の中でみてきたように、「共同体」という言葉を使うにしても、それがいかなる意味で必然なのかは全く不明なのである。 これらのことはさらに次の点につながっていく。つまり「権力の打倒」が不可欠なものとして出てこないのである。日本共産党は議会主義的に権力の打倒が必然化する。ところが革マル派にとってはプロレタリア人民の現実的矛盾への闘争とその新たなる共同体ヘの欲求はいかなる意味でも出てこない。結局エネルギーは現実の矛盾から逃亡したところで成立する疎外された組織作りであるから、政治権力をなぜ打倒しなくてはならぬのかは不明確なままである。エネルギー(革命運動として位置づけられている)は不断に既成組織の解体であり、権力ではない。革マル的にいえば権力との革命闘争は一切の組織を組織的に解体して「唯一の前衛党」を作り、その主体的条件の中で行なわれるということなのだから(革命運動=「のりこえ」)革命運動としてみれば「反スタ―反帝」である。 こうして「権力打倒―プロレタリア権力の樹立」の主体はイデオロギー的な党であり(その党自体が帝国主義との革命運動を通していかに階級化、革命化されていくかではなく)、闘争収奪をふくめて一切が保守的な形での「組織作り」に収約される。権力打倒の本源的エネルギーを失ってしまっているのだ。こうして、現在的にもまた未来においてもこの組織がプロレタリア革命を実現する「心配」はブルジョアジーにとっては全くないのである。 資本の政治的、社会的攻撃に対して自らの要求をひっさげて対抗して闘う、その闘いの中で新たなる階級的団結(交通形態)が生まれる。この「闘争」―「組織」の円環構造の中で「対権力闘争」―「権力打倒、プロレタリア権力の樹立」 の力が発達していくのだ。革命的闘争を削りおとして生まれる組織は決して権力闘争ヘは進みえないのだ。 8 黒田寛一の「弁証法」なるものの
反マルクス主義=反プロレタリア性 今まで批判してきた革マルの反プロレタリア的運動構造を前提として、最後にこれを支えている黒田寛一の思想、理論の反プロレタリア性、反マルクス主義性を要約的に批判、暴露していこう。その順序は、まずはじめに要約的に黒田寛一の理論の特徴をあげ、それをヘーゲル弁証法、マルクスの弁証法との関連からとらえかえし本質的批判を行なう形にしたい。 (1)本質(論)なき現象(論)主義者 今までの革マル派の理論構造の中できわだっているのは、本質的把握が全くなく、現象にとらわれてそれをおいもとめている全くの反プロレタリア的、反マルクス主義的な姿である。もっと正確にいえば、黒田なりの「本質論」は存在する訳であるがその本質論がまさに小ブル的なものそのものであるため、現実の階級闘争に直面するや否やもろくも破産してしまう。こうして反労働者的自己保身がはじまっていく。いわば二元論的な処理である。つまり、小ブルイデオロギーは空中高くまいあがりながら必死で維持され、他方でプロレタリア運動からくる様々な問題についてはこれを何とかとり込もうとしていくが、本質は前者なので後者は形骸化された形で「深化」される。 例えば「主体性論」(=人間論)と「組織論」の関係でみてきたように、自覚の論理は一人ひとりのプロレタリアが自覚していく過程の論理であり、「組織論」は自覚したプロレタリアートの論理であるという。ここにはニつのゴマカシがある。「主体性論」の中で黒田が強調してきたのは「プロレタリア的人間の論理」だったはずである。プロレタリア人民が自覚していく時はバラバラで、自覚したとたん「共同性が出てくる」などということはありえない。また、「人間論」が「組織論」の中でどのように貫徹されているかについては全く語られない(これはすでにみた)。そして「主体性論」と「組織論」には「断絶」があるなどという。「自覚していく論理」が主体性論だとすれば、それはいわば「下向の論理」(マルクスのいう)であり、したがって到達した本質が展開されていく形で組織論がたてられねばならないはずである。ところが、それどころか「断絶」してしまうのだそうである。 また「反帝・反スタ」戦略についても同様である。反帝は本質だといっておきながら、「反帝・反スタ」は直接的に統一されておりしかも<反帝・反スタ>の「反帝」は、普遍(本質)としての反帝ではないという。それでは普遍(本質)としての「反帝」はどこへいってしまうのか? 「のりこえの論理」についてもそうである。マルクスは共産主義を「現状を廃絶せんとする活動」として規定している。この社会を規定している本質(普遍)が帝国主義であるとするならば、「帝国主義と対決しつつ現状を廃絶せんとする活動」が存在しなくてはならぬ。現実に全く存在しないものをイデオロギーで生み出すことはできない。「意識とは意識された存在である」というのは、最も有名な『ドイツ・イデオロギー』の規定である。ところが革マルにとって現状の闘争は小ブル平和主義、民同的運動であり、革命運動とは「のりこえの論理」だという。つまり自らは帝国主義と闘う革命運動を展開せず、既成の運動の「のりこえ」でそれが生み出されるという。全くデタラメもいいところである。こういう「反帝・反スタ」は一体何なのだろうか。 こういう問題が非常に「見事」に表現されるのが黒田の「認識論」である。マルクスの認識論の整理を利用して彼も「認識論の整理」を行なう訳だが、それが全くの機械的なものなのである。マルクスは認識論を「下向―上向」の論理構造として展開しているが、最も重要なことは階級社会における諸個人の直接的な認識がどうして現象的認識になってしまうのか、そもそもどうして「下向―上向」が不可欠なのかということである。ところが、黒田はそのことを少しも解明しようとしない。その上で、まるで「子供の模型」をいろいろいじくりまわすように「論理性と歴史性」だの「本質と現象」だのと説明する訳である。まさに主観主義と客観主義のゴチャマゼの典型である。 これは「技術論」とか「場所的立場」とかにおいても同様である。 (2)黒田寛一の反スタ思想の出発点 革マルは、自己の思想的原点と現実との矛盾の中で、政治技術主義と主体性論の分離の中で混乱におち込んでいる。これを黒田に直接体現されている革マルイデオロギーの出発からの展開として要点的にみてみよう。 黒田の「思想的」出発点がスターリン主義による「人間性の抹殺」に対する小ブル的な主体性論だったことはまちがいない。戦前戦後を通して日本左翼運動を支配してきたスターリン主義は、疎外された組織性のもとに「人間性」を圧殺してきた。そういうことを背景に、「スターリン批判」―「ハンガリー革命」という50年代後半の階級情勢の中で黒田的反スタは生まれていった。黒田のこうした小ブル主体性論は次の要素からなっていた。第一は、主体性論。これは梅本克己の影響を強くうけつつも、その底には西田―田辺の観念論が存在していた。これは「場所的立場」として整理されていく。第二は、「唯物論の客観主義化」として存在したスターリン哲学に対して、主体性論的に唯物論を「再編」するテコとして武谷三男の技術論の黒田的利用。第三は、極めて観念的色彩をもった梯明秀の唯物論である。 黒田の反スターリン主義は思想的にはスターリン主義哲学の「客観主義」批判におかれた。それは「自然弁証法の論理的主導説」への批判、あるいは認識論上の「存在論と認識論の混同」―「裏がえしのヘーゲル主義」―「たんなる過程的弁証法」批判としてなされていった。 「自然弁証法の論理的主導説」というのは、マルクス主義(弁証法的唯物論)においては自然科学的な対象領域での「自然弁証法」がまず主導的に確立されて、その基礎の上に社会―歴史を対象とする史的唯物論が成立するというものである。これはスターリン主義特有の「タダモノ論」になる。自然科学の発展を条件としつつも、問題はその対象(自然)をみる人間(社会)が問題なのであるということを明らかにしたのがマルクスであった。いいかえれば、対象の科学的認識は階級性と不可分だということでもある。黒田はこの点をついたのである。ただしその批判の仕方が問題だったのであるが―。 さらに黒田はスターリン型「弁証法」を「存在論の認識論化による認識論の存在論化」(『現代唯物論の探究』黒田寛一)―「裏返しのヘーゲル主義」―「たんなる過程的弁証法」等として批判した。 これはどういうことかというと「自然弁証法の主導説」と不可分なものとして出てくるもので、客観主義的な「物質」や「下部構造」の解明を、人間主体の問題にかかわる認識論的問題にスリカエてしまうものである。またこれは、主観の問題を直接客観化してしまうという逆の問題もふくんでいる。結局これは、ヘーゲル的な観念論をマルクス主義的に突破しえないままマルクス主義の「下部構造が上部構造を規定する」という規定を利用する時おこる。つまりブルジョア社会に生きている以上観念論思想にとらわれている訳だからそれを根底的に突破しえず「物質」をこの中に「おし込む」結果、「論理構造」や「質」は全くかわらず―全くヘーゲル的なまま―ただ言葉だけ「物質」だの「自然」だのが使われることになる(実は黒田寛一がその典型なのだが―)。 しかもこの時、ヘーゲル弁証法の構造としての「過程的弁証法」に強くとらわれる。過程的弁証法というのは次のようなものである。ヘーゲル弁証法では弁証法を展開する主体(絶対精神)が発展していく時、その弁証法の構造が「発展」に比重があり、A→B→Cという形で弁証法的に進んだ時、「C」の中に一切が収約されていき「A」「B」等は結局「C」という発展していった「結論」のたんなる「肥料」のようなものになってしまう。つまり抽象的普遍に一切の比重があり個別的主体は消されていく。これはフォイエルバッハが唯物論的に、またキェルキェゴールが実存主義的に鋭く批判していったものである。スターリン主義哲学が裏返しのヘーゲル主義である以上こうした過程的弁証法のもつ欠陥が鋭く出てくる。つまり疎外された普遍性の下における個別的主体の抹殺である。黒田はこういう点を批判していったのである。 ところがこれらのスターリン型弁証法への批判がまさに小ブル的だったために「反スタ・スターリニスト」イデオロギーが生まれていく。つまりスターリン主義の批判が最も根本的なものとして、また最もプロレタリア的、革命的なものとしてではなく、まさに小ブル的にしか行なわれていなかった結果、実は自分も同じ構造の中にハマリ込んでいってしまったのである。 それでは黒田寛一の反スタ思想の原点はどのようなものとしてあったのか。またそれがどういう構造と展開をとげていくのか? 黒田が戦後主体性論をひきついで「確立」したと称していくのは「場所的立場」である。これはもう少しくわしくいえば、西田―田辺哲学と戦後主体性論の黒田的再編の上に成立する。 西田―田辺哲学はそれとしてキチンと解明し批判しつくさねばならぬが、ここで必要な点のみをあげておけば、西田哲学は日本の「近代的自我」の独特の確立を基礎づけたものである。西田は自分の神体験から「原体験」「純粋経験」のような思想性を確立していく。これはどういうことかといえば、人間が社会生活の中で身につけてしまったいろいろなものから諸対象に対する経験なもっていくことに対して、そういう形で「ワク」づけられない以前の人間の諸対象ヘの「原体験」を明確に定立しょうというものである。これは禅から得られたものである。西田はこういうところから出発して「場」の思想を確立していく。 黒田はこの西田―田辺哲学の上に梅本を軸にして提起されていった主体性論をうけとめていく。こうして「場所的立場」が形成されていく。これはどういうことかというと、先ほどみたようなヘーゲル的な過程的弁証法に対して自分の出発点を不断に明確にしつつ弁証法的展開を行なおうとするものである。つまり革マル的にいえば「コノオノレ」(この自分)と対象の出発点的対立(緊張)を保持しつつ全体の弁証法的展開をとげるということである。これは「疎外された普遍性」の中に個別主体の原点をすべて収奪し抹殺するスターリン型弁証法に対して、人間の主体性(実は小ブル的自我の主体性)を保持しつづけるということになるというのである。 この「場所的立場」―「主体性」から史的唯物論をみていく時、武谷三男の技術論を黒田的につかんでいくことがはじまる。武谷技術論そのものの問題点はここでは省くが、「技術とは生産的実践における客観的法則性の意識的適用である」という規定に黒田は注目する。要するにスターリン型史的唯物論は人間(主体)と自然の関係が静止的にまたは客観主義的になっているのに対して、武谷技術論からみていくと主体的なカンケイとして定立しうるというのである。さらに黒田は自分の史的唯物論の展開を梯明秀を「再編」する形で行なおうとする(ここではくわしくふれないが梯の史的唯物論はまさに「裏返しのヘーゲル主義」である。ヘーゲル弁証法の概念に「物質」という言葉をおし込んだ形になつている)。 (3)西田哲学における「場所的論理」と黒田の「場所的立場」 われわれは今まで黒田寛一の論理における奇妙な構造に再三出会ってきた。彼らが再三用いる「断絶」あるいは個人と共同性の非論理的統一性等々、これは用語的にいえば「矛盾的自己同一」「場所的立場」「自覚の論理」等の形で表現されてきた。これらを要約すれば「矛盾」のあり方、「個別性と普遍性の関係」をめぐっている。黒田寛一の思想におけるこの非論理性は一体どこに基礎をもつのかといえば、黒田自身が『早大新聞』130号においていっているように、西田―田辺哲学である。先ほどみた非マルクス主義的用語自体が西田―田辺哲学の用語なのである。それでは一体この西田―田辺哲学は何をめぐって存在したのか。そしてその影響は黒田にどのようにカブをおとしているのか。この間題は反スタ・スターリニスト黒田の一つの秘密でもある。 ここでわれわれは必要なかぎりで西田哲学の基本問題をあげておこう。西田幾多郎はいうまでもなく明治末期から大正、昭和にかけて生きた思想家であり『善の研究』は広く知られている。西田幾多郎それ自体として厳密な解明と批判が必要であるが、その思想的骨格は次のようになっている。 西田哲学の出発点は『善の研究』でもわかるように「純粋経験」にある。これは西田に大きな影響を与えた「禅」を基礎にもっている。「純粋経験を唯一の実在」とみるこれは、主観と客観の対立以前の直接的なあり方であるとする。つまり認識の出発点として物質とか構神とかいう二者択一ではなく、たんなる物質でもたんなる精神でもない「純粋経験」をたてた。これは「子供の如く清く純一」な心境とされる。しかも、意識も、実在も、思惟も、意志も、自然も「純粋経験」の種々のあり方にすぎないとされる。しかも実在の根本形式は「一でもあると共に多、多なると共に一」であるとされる、いわゆる多と一の「矛盾的自己同一」としてつかまれている。さらにこの「純粋経験」は唯一の実在、つまり「神」でもある。 こういう構造は後になって「場所的論理」(『場所的論理と宗教的世界観』)へと発展していく。これは「場所的論理というのは、一と多の矛盾的自己同一的に場所が場所自身を限定すること」だといわれる。これはさらに「矛盾的自己同一とは矛盾をこえて矛盾を包むものをいうのである。場所的自己同一の意識である」という。相対立するものが同じ場所におかれるからこそ「矛盾」するのであり、この両者を矛盾する闘係に結びつける媒介者は「同じ場所」であるということになる。つまり自己矛盾をふくむ「矛盾的自己同一的な場所」といわれるのである。そして、その矛盾するものは「個と個」および「個と全」であるという。これは「個物は限定の極において無になるのである。死するのである。しかし自ら死することによって個物はよみがえる(死においてただ一回限りのものであることが自覚されるところに個が生まれる)。無にぶつかることによってはねかえるのである」といわれる。個物の限定は「無なる場所」で行なわれるといい、その「無なる場所」は「一と多の」相互の自己否定による交換転化の場所であるという。またこの「場所」は「自己」をつつむ「一般者」として「世界」となるものであり、またこの構造は「自己と世界の矛盾的自己同一」としてあるという。そして「世界」の内にある「自己」が「世界」を自覚するという。これは主観と客観の対立からたてられていく従来の認識論に対して、自己の中に自己を映し出す自覚の論理をたてようとしたことによる。 いうまでもなく自己の中に自己を映すものは一般者(神)である。こういう意味で場所の論理とは自覚の論理でもある。 極めて不充分な形ではあれ、西田哲学の要点と思われるものを要約したのは、西田哲学が問題にした領域をハッキリさせるためであった。西田哲学は様々ななつかまれ方をする。一方では大正デモクラシーのイデオロギーとしてつかまれると思えば、他方でファシズムのイデオロギーとしてもつかまれる。西田哲学の極めて矛盾した構造を示している。これは単なる矛盾ではなく「後進帝国主義」日本の「近代的自我」のあり方を示していると思われる。 西田哲学は「個」を極めて重視した「個人主義」の側面がある。 しかしこの個人はそれに徹しきることはできない個人であった。むしろ個人は、個人を定立し、確立するためにこそ「純粋経験」をたてねばならなかった。そういう形でしか自分の確証がつかめない個人であった。いうまでもなくこの純粋経験は一般者、「神」なのであるから結局それによって自分を支える「個人」なのである。 要するに旧い共同体が完全に破壊されきれず力が強く、資本主義のあり方、ブルジョア社会のあり方にカゲを落している「後進帝国主義」における「近代的自我」の矛盾的構造を示している。しかもその矛盾は思想性、論理構造に鋭く表現されている。つまり「個」と「全」の「矛盾的自己同=として、つまり「個人」と「全体」が「矛盾的自己同一」としてつかまれているのである。これは「自発の論理」においても自己(個)の中にある世界(全体)を映し出すという形でも表現される。逆にいえぱ西田哲学における「一と多」は「場所」をもっていたということになる。要するに「共存」する「場」を前提としているということなのである。しかもそれは「無」とされる。 これはたしかにヘーゲル哲学の矛盾とは根本において異る。ヘーゲル哲学の基礎にある「個」は「一と多」というような形での前提的な「場」をもちえない「孤独の個」である。これは旧い共同体の解体の程度にかかわるものである。そういう意味で西田哲学の奥底には「個と全体」が溶け合っている「アジア的共同体」がかくれていることはまちがいない。これは彼が東洋的思想にこだわった原因でもある。 こうして西田哲学は個人主義をたてながら、そのたて方の中に「個人を減却する共同性」をはらんでいるものとしてあった。だから第二次大戦に結局屈伏し、ファシズムの思想として批判される側面ももっていたのである。 ところで黒田寛一の思想構造は根本的にはこの西田哲学の「矛盾」のワク内にある。それが反スターリニズムが「秘密の地下道をくぐって」スターリニズムにいきつく根拠である。つまり「個」と「全」が対立しつつも、いわば「個」即「全」というような形で没論理的につながる「場所」をもっているのだ。いいかえれば、プロレタリア的共同性ではなく旧い共同性によって個人が結ばれている、その残淳を強く残しているのだ。 黒田の論理構造の中で「個人」の論理がどのように止揚されるのかということをたどっていく時、結局「断絶」とか「いつのまにか」という形で「共同性」が生まれてくる理由はここにある。 革マルは今「主体形成主義」から「疎外された組織主義」へ移行していく時期なのであるが、この「移行」の仕方もまさに「断絶」として、いやもっと正確にいえば、もともと真に存在した「旧い共同性」をひき出す形で行なわれている。したがつてそれはマルクス主義的な止揚ではなく「断絶」という形をとった「のりうつり」―まさに「有即無」―という形になるのだ。 また、『ヘーゲルとマルクス』(黒田著)の中で展開されている「物質的自覚」の構造(428~429頁)は西田の「自覚」の構造そのままである。 すでにみてきたように、黒田の初期の「共産主義」は、個人主義とその中に「映し出される」旧い共同体的なユートピアであった。しかし、現実の運動の中でそれが「主体形成主義」として破産するや、今度はそれはプロレタリア的団結を形のみ利用した「疎外された組織主義」へと変身し、それにより自分の半面である「個人」「主体性」を批判していったのである。まさにスターリニストの構造である。 これをマルクス主義的にいえば次のようになる。たしかにヘーゲル弁証法は過程的弁証法として、普遍は疎外としてしか定立されない。しかしそれに対して「場所的立場」、つまり「場の弁証法」をつけ加えればヘーゲル弁証法を、したがってその裏がえしとしてのスターリン主義「弁証法」をこえられるのかといえば、決してそうではない。革マルのいう「コノオノレ」―われわれからいえば「ソノオマエ」―の場所的立場それ自体の階級性が問われているのだ。 マルクスはこんな形で共同性をたてはしなかった。国家に対決する小ブルジョア共和主義者として出発した彼が、共産主義者に変化していく大きなテコとなったのはプロレタリアートの叛乱だった。要するに小ブル的個人主義はそれ自体としてはいかに「トンボガエリ」をしてみょうとも、「疎外された共同性」―国家―に屈伏するしかない。これを突破するのは個人主義の限界の明確化と共に、それを止揚するプロレタリア革命運動の衝撃力が存在しなければならない。シュレージェンのプロレタリア蜂起によつてマルクスが決定的に転換しつつある姿は「『プロイセン国王と社会改革―1プロイセン人』に対する批判的論評」(大月版マル・エン全集1)に鮮明に示されている。 黒田の思想にはマルクスがくぐったような「転化」がない。結局は自分の小ブル的なワクの中に一切をとじ込めてしまっているのである。しかも、まさにその場所的立場それ自体が問われている時に、それ自体の階級性を根底から洗いなおそうとしない。マルクスにとっては『経・哲草稿』や『ドイツ・イデオロギー』は単に客観主義的な叙述ではない。自分の「立場」それ自体を歴史と社会の中に明確に位置づけとらえかえそうとしている叙述である。ところが黒田においては『へ―ゲルとマルクス』―『社会観の探究』―『プロレタリア的人間の論理』はそれ自体として階級的に検討されることなしに終る。こうして逆に、プロレタリア階級がブルジョア社会でおかれている本質的矛盾構造と自らの出発点が結びつけられず、一切を「自己の立場」に収約してしまうことになる。こうして階級性の欠如した運動、理論が生まれていく。 9 プロレタリア革命の弁証法
―ソヴィエト運動とプロレタリア革命党― (1)ヘーゲル弁証法とマルクスの弁証法 われわれは今まで黒田の「理論」の観念性をみてきたが、この問題をこれ以上本質的な次元につき進むためには、どうしてもヘーゲル弁証法あるいは西田哲学等の観念弁証法と、マルクスの弁証法の根本的差異について明確にしておかねばならぬ。 ①ヘーゲル弁証法の「矛盾」と「止揚」の構造 ヘーゲル弁証法の偉大さは、マルクスが公然と自分はヘーゲルの弟子であるといい放つほどのものである。革命的プロレタリアの理論的武器としてのマルクス主義は、「フランス社会主義」―「イギリス経済学」―「ドイツ観念論」をその構成体としてもつといわれているが、その「方法論」はドイツ観念論、つまりヘーゲル弁証法との格闘によって生まれている。『資本論』等にみられる驚嘆すべき科学性はヘーゲル弁証法なくしては決して生まれることはできなかった。このように『大論理学』に集大成される「ヘーゲル弁証法」のプロレタリア革命に対する偉大なる「貢献」は、しかしマルクスによるヘーゲル弁証法の根底的批判によってのみ可能となっている。いうまでもなくここでヘーゲル弁証法の全体を批判しつくすことはできはしない。それを前提とした上で、今までわれわれがみてきた問題の根本にふれるものをとりあげていこう。それは「矛盾」とその「止揚」をめぐる問題だと思われる。 ヘーゲル弁証法の特徴は「矛盾」を存在そのものの中にみていき、その矛盾をめぐる「展開」として論理がたてられていく点にある。『大論理学』における「有論」―「移行」、「本質論」―「反省」、「概念論」―「発展」という、つまり「移行の論理」―「反省の論理」―「発展の論理」という区別はあるとしてもその原点には「矛盾」(または否定)があり、それが不断に「止揚」されながら進む。そしてこの過程は同時に抽象的な普遍性から「個別=普遍」というヘーゲル的な意味での「個別と普通の対立」が止揚された状態ヘ進むのである(これは逆に個別―特殊―普遍という論理過程でもあるが―)。問題はこの「矛盾」のあり方および「止揚」の構造である。結論的にいえばヘーゲルの「矛盾」は「自己矛盾」であり、そして「止揚」は「意識」次元における対象化なのである。ヘーゲルの「自由」または「無限」の概念は結局「向自化」または意識における「対象化」で終っている。これは「論理学」全体の結論の中に鋭く出てくる。 つまり、「有論」―「本質論」の中味は概念論の中に包まれつつ「止揚」される訳であるが、それは実は「有論」―「本質論」次元のものをふくみつつ、その総体を越えた論理を概念論で展開するという形になる。この場合例えば「有論」の中味は「本質論」では「仮象」ということになる。ヘーゲルの論理学の中では「仮象の論理」は現実にはのこされたまま「その上に」本質論概念論が展開されることになる(有は当然のこる)。 例えば共同体と共同体との間に生まれた商品が生産過程をつかみ、労働力自体が商品化し、社会的生産が「商品」の論理をもって貫かれるようになる。つまり資本が生まれる。それは生産過程、消費過程全体を貫いていき、商品が生まれる前提となっている分業が、分業=競争の論理として展開される。これを通して最後は資本それ自体が商品化する。これをもって資本の論理は完成する。こうして生まれている資本は個別=普遍として、個別(資本)でありながら同時に資本主義全体の論理を体現するものとして存在する。しかもこの個別(資本)の中には資本それ自体が産出されてくる過程が現在的に再生産される。つまり不断にプロレタリアートの産出およびプロレタリアートの資本の下への隷属が日々存在し強められている。 つまり出発点における矛盾は現実的に存在しなくなったのではなくて「仮象」とされつつ現実的には存在しているのだ。出発点に存在する普遍と個別の「矛盾」は「普遍=個別」という形で止揚されたようにみえて実は厳然として存在しつづける。ヘーゲルの弁証法における「矛盾」と「止揚」の論理はまさにこうしたものなのである。これは「自己矛盾」を原点とした「疎外」の論理に外ならない。ヘーゲルはそれを意識の弁証法として展開した。もちろんヘーゲルの弁証法はたんに疎外された意識の論理のみに通用するばかりではなく、疎外された現実の論理としても通用する。マルクスは自らの弁証法(科学)をもってヘーゲル弁証法を突破しつつその現実の疎外の構造を『資本論』として展開した。「疎外の論理」または「疎外の弁証法」は次の点において成立する。つまりその弁証法を展開する存在の矛盾を根底からささえている「本質的矛盾」をつかみきれないことによる。しかもその場合の矛盾は「自己矛盾」としてのみ存在し、止揚はその出発点における存在のあり方それ自体が変革されず、それを「仮象」として残したままの「対象化」として「止揚」が行なわれる。これはまさに「疎外」なのである。 ヘーゲルにおいては弁証法を展開する主体(存在)は絶対精神(意識)である。これは『精神現象学』の中で明確にのべられている。つまりヘーゲルの「矛盾」は<「人間と自然の矛盾」を原点とした人間と自然の関係(社会的生産)、そしてその上で成り立つ人間社会の個別(個人)と普遍(社会、共同性)の「矛盾」>という構造の内<人間と自然の矛盾>を捨象し、<社会的生産>を捨象し、その上で階級社会であるが故に成立する人間社会の矛盾、対立を「意識における自己矛盾」の中にとじ込めてしまったところに成立している。こうしてヘーゲルにおける「絶対精神」(弁証法の最後のいきついたところ)は、出発点における、あるいは過程における矛盾を残したままそれを包摂する「普遍」=「個別」(個別と普遍の矛盾の止揚としての)なのであり、それは矛盾を内包したままの「無限」であり「自由」なのである。マルクスが『ヘーゲル弁証法、及び哲学一般の批判』の中で展開したのはこの問題である(ヘーゲルにおける対象的矛盾の欠如)。 さて、黒田寛一が出発点においたのみならず、依然としてそれに規定されている西田哲学ではこれはどうなっているのだろうか。 西田哲学の極点は「逆対応」と「平常底」という思想に示される。これは場所的論理によって把握された宗教的境地であり、「矛盾的自己同一」の頂点である。つまり「矛盾的自己同一」の内、「矛盾」の面からつかまれた時「逆対応」となり、「自己同一」の面からつかまれると「平常底」となる。これはどういうことかというと、「そこからそこヘ」という無基底な「そこ」が一毫もはなれることができない「全自己の立場」であり、この「そこからそこヘ」は<矛盾であって矛盾でない>という立場に外ならない。仏教の思想を根底にしたものでまさに宗教的境地であるが、要するに<矛盾が矛盾であって矛盾でない>というのは現実的矛盾が存在することを前提としつつも、それを溶かし込み、<矛盾でない>とする立場がその中に定立できるということなのであり、その点でヘーゲルと同質なものをもっている。これは観念論に共通している。西田哲学とヘーゲル哲学の相違は、ヘーゲルの「個別」は「普遍」と対立する形で存在するが、西田哲学においては個別の中に普遍が「映し出される」という形の旧い共同体的中味(個と普遍の溶け合った世界)が濃厚である。 ②マルクスの弁証法の基本構造 マルクスの弁証法はヘーゲル弁証法を徹底的に学びつつも、それをこえた地平に成立している。その理由はマルクスの弁証法が成立する地平が、すでにみてきたように、この社会の本質的矛盾を体現する地平―プロレタリア階級および階級闘争―に成立しているからに外ならない。マルクスにとってシュレージェンのプロレタリア蜂起のもつ意味の決定的重要性はここにある。 それではこれが思想的に整理され確立されていくのはどこにおいてなのか? それは『経・哲草稿』に外ならない。『経・哲草稿』においてマルクスは人間社会にあらわれる矛盾の根底に「人間と自然」の矛盾をおき、そしてその関係を「社会的生産」として定立した。しかもその人間の社会的生産のあり方をめぐって「分業」=「私的所有」を整理し、この全構造の中にフォイエルバッハの「ヘーゲル批判」を止揚していったのである。 ヘーゲル弁証法に対してはいくつかの歴史的な批判がある。キェルキェゴールの批判(実存的批判―市民的自我よりの批判)、フォイエルバッハ的批判等々。マルクスはフォイエルバッハのヘーゲル批判をひきつぎつつ発展させていった。フォイエルバッハの批判は次のような構造になっている。 ①ヘーゲルの普遍性は観念的普遍であり、それは誤りで、個別的存在の総体が現実的普遍である。 しかし、フォイエルバッハはこの人間と自然の矛盾に注目し「対象的存在」をつかみとりつつも、社会的矛盾への闘いを通してこれを行なつていなかったために、自分の「市民的立場」がそのまま「唯物論」に投影されてしまう。こうして「人間と自然の関係」それ自体が「観照的」立場になってしまう。そして人間の中味としては「愛」とか「自由」とかいう抽象論になってしまったのである。 マルクスは「フランス社会主義」「ドイツ観念論」「イギリス経済学」をプロレタリアの叛乱という地平から再編成していったのである。それはどのような方法となっていったのか。マルクスはヘーゲルとは逆に、「人間と自然の矛盾」をフォイエルバッハの「対象的存在」という中味をうけつぎつつ厳然と定立した。ヘーゲルはむしろ先ほどみたような観念論の中で「対象」を消そうとしたのだ。しかもマルクスは、この人問と自然との矛盾、関係を安易に「自己矛盾」としてつかまなかった。たしかに物質の歴史という意味では社会は自然の発展したものに外ならない。したがってその「自然」「物質」という点からみれば、「人間と自然の矛盾」は「自然」それ自体の「自己矛盾」という地平からつかみうる。しかし、それは逆に社会的矛盾の弁証法の構造と自然弁証法の厳然たる区別性の上にたってはじめていいうるのであり、しかもそれはヘーゲル的な自己矛盾(または西田的な自己矛盾)とは根本的に異った地平でたてられねばならない。そういう意味では「人間と自然の矛盾」を自然自体の「自己矛盾」としてつかむこと自体あまり意味はない。むしろそういうつかみ方は、人間社会のしかもイデオロギー的な問題を自然の中におし込むというヘーゲル的な誤りを生み出す(その典型が黒田の『ヘーゲルとマルクス』にみられる)。 マルクスが「宇宙論」とか「自然弁証法」をほとんど展開しなかったのは、「自然」を「自然として」つかみとることでそれは解決されることであることを知っていたからである。自然弁証法と史的唯物論の区別性の上にたった連続性がたてられねばないのだ。 マルクスはこうして人間と自然の矛盾とその関係を「社会的生産」としてつかむことによって、フォイエルバッハの「類的存在」をイギリス経済学の成果としての「分業論」の中に生かすことができた。つまり「類的存在」のブルジョア社会におけるあり方は分業(私的所有)としてあるのである。しかもこの分業論をマルクスは蜂起していくプロレタリアの矛盾からとらえかえしていった。「疎外された労働」の概念の成立である。「人間と自然の矛盾」と「人間社会における矛盾」を明確に区別しつつ、同時にその関係を弁証法的に定立したのが、「労働者の隷属」―「労働それ自体の疎外」の把握だった。 これは『ドイツ・イデオロギー』において「社会―歴史」の整理として叙述される。しかも重要なことは、この過程はマルクス自身の出発点(精神労働としての)それ自体の、プロレタリアの革命性による突破、止揚の整理としてもなされている点である(精神労働と肉体労働の関係の整理)。―黒田のように、それ自体の階級性を問題にできない「場所的立場」などによってゴマカシはしなかった。こうして社会的生産の弁証法―史的唯物論―が成立していく。 だが、マルクスにとって重要なことは、現実の整理ではなく現実の止揚であった。したがって先ほどみたように社会と自然の関係および社会の矛盾をつかみとった以上、この現実を変えていく「プロレタリア革命の弁証法」が成立しなくてはならなかった。それはすでに『経・哲草稿』―『ドイツ・イデオロギー』の中で開始される。つまり<働く階級の労働の隷属の突破>―<新たなる共同体の産出>としてそれは追求される。これは革命論として『共産党宣言』から『哲学の貧困』『中央委員会の告示』『フランスにおける階級闘争』『フランスの内乱』という形で展開される。 それは矛盾の本質を、その本質そのものを、変革するプロレタリア革命の論理であった。つまりブルジョア社会のあらゆる矛盾を「労働の隷属」という「矛盾の始元」ヘかえしながら、「始元」―「原点」における「矛盾」そのものの突破を通して、同時にブルジョア社会のあらゆる矛盾を突破していこうとするものである。こうしてヘーゲルのように出発点における問題をかえって保守的に定立しつつ「疎外」として普遍を確立するのではなく、出発点における矛盾それ自体の突破を通して全体の関係を作りかえようとするものである。またそれは、ヘーゲルのように人間と自然の矛盾(対象的関係)それ自体を消してしまうのではなく、まさに新たなる関係として再定立するものでもある(共産主義的生産活動として)。これは個別と普遍(個人と全体)の矛盾としてみていく時、まさに一人ひとりの生きた個人が現実的に普遍的存在へと発展しつつ相互に結びつく型(団結と自立)としてたてられる。 ③反スタ・スターリニストイデオロギー(黒田観念論)の要約 われわれは今まで非常に要約的な形ではあれ、ヘーゲル弁証法と西田哲学を通して観念論の特徴をみてきた。その上にたって黒田寛一の革マル型インチキ「弁証法」の批判の要約をしておこう。観念論の特徴は結局「矛盾」が根源的なものでなく、この社会の論理として「安定」できるものに外ならない。いいかえれば「個別」=「普遍」という「止揚」の構造が、階級社会の根本的矛盾を変革することなしに可能になるということである。 この問題は黒田の場合次のような形で出てくる。つまり黒田の「思想」の根本は小ブル的観念論であるが、「まがりなりにも」階級闘争にかかわっている以上、現実の階級闘争の衝撃をうける。こうして黒田的本質は隠蔽されるか、または「断絶」をおこすこととなり、階級闘争にかかわる「面」は形骸化された「技術主義」として展開される。革マル派はその意味ではいま決定的な破産ヘの「曲り角」に立っている。西田哲学を下敷にしたマルクス主義の理解のもっている二つの側面、つまり近代的自我ヘの指向をもった「個人的主体性論」の側面と、それがプロレタリア的に止揚されず「矛盾的自己同一」としてその「個人」の裏側にベッタリとくっついている「旧い共同性」の側面、この二つの内前者がしりぞきながら後者が強化されつつある(スターリニスト的本質)。 それは、プロレタリア運動が大きなところで高揚してきているのをうけて、小ブル主体性論では対応できなくなり、何らかの形の組織性を強調せざるをえなくなっているからに外ならない。このことは革マル派内部の様々な形の矛盾としてあらわれ、彼らなりに整理にとり組んでいるが、まさにそれはデタラメきわまりないものである。最近、マル学同革マル派機関誌『スパルタクス』で「組織論」の発展の整理なるものを行なっているが、それが革マル的小ブル的破産の典型を示している。 ≪梅本主体性論は小ブル的個人からプロレタリア的個人への飛躍の論理であり、即自的プロレタリアから向自的プロレタリアヘの飛躍の論理がない≫(8頁) ≪人間の本質はマルクスがいっているように社会関係の総体であるが、その上にたって人間の本質構造を主体性論という形で実践的に追求する。社会を構成する一モメントとして人間をつかみ、これを前提としながら、社会的人間の本質構造、その自覚の論理を追求するのが主体性論である。社会、あるいは共同体を構成する実体が人間であり組織を構成する実体が組織構成員だ≫(33頁) こんなことをいって必死で「主体性論」と「組織論」の調和をはかろうとしているが、まさに気の毒なほどの言い訳である。 そもそも革マル派の混乱は革マル的主体性論の中に一滴も組織が出てこないこと、またその逆になっていることなのだ。黒田の頭の中では西田的にこの二つは「絶対矛盾の自己同一」として「神秘的」に「統一」されているにしても、それがまた革マル派の構成員にはわからないのである。 > もちろん小ブル的個人からプロレタリア的個人への発展の論理はなくてはならない。しかし、これが可能なためにはその小ブル的個人が社会の中で一体いかなる位置をしめており、またプロレタリアはどのような位置をしめているのかということが、まさにブルジョア社会の科学的解明として整理されていなくてはならない。そして帝国主義と闘うブロレタリアの革命的エネルギーの質がまさにブルジョア社会をこえていくものとして鮮明にされており、その力が小ブル的個人の「主体性」や「反権力闘争」をいかに止揚していくのかが路線として明確化されねばならない。これは「即自的ブロレタリアの向自的プロレタリアへの発展」 の場合でも同じである。ところがこんなものは全くないのである。まさに革マル的混乱は百万回の言い訳をしても隠蔽できない。言葉として「組織と人間」とか「主体性」とか「組織性」とかいっても、その中味が資本主義社会の解明を通してなされていないので、まさに「言葉」のみで終っているのである。こうして本質なき形態論と小ブル主体性論ヘの回帰とは不断に出てくるのである。 こうした上にたって観念論的特色、つまり一方で「矛盾」―「闘争」をみとめつつ、結局は体制内的なものを固定化するという構造は「技術主義的運動」と「階級性革命性なき組織の固定化」として現出する。そしてこれをつなぐものが「他党派解体」の宗派闘争(のりこえ)である。これが別の形でハッキリしているのが「技術論」である。 黒田は、武谷三男の技術の規定、つまり「技術とは生産的実践における客観的法則性の意識的適用である」を主体性論の中に組み込もうとする。ここではこれ以上ふれないが、武谷三男の技術論自体が自分の前提としている「生産的実践」のつかみ方が明確になっていない。黒田的な哲学の中にこれをとり込む時、これはさらに倍加されてその欠陥を暴露する。 生産的実践、生産活動とはマルクスがつかみとったように<人間と自然の矛盾>―<人間の共同性>―<認識>―<自然への働きかけ>―<自然の変化―人間化>―<人間の共同性の変化、発展>これらの要素をもつている。つまり「対象からの制約」―「対象認識」―「制約された主体の活動」―「対象の変革」―「主体の発展」が一つのものとして存在する。しかも「主体を制約する対象」と「活動を通しての主体の発展」 は不可分のものである。それはマルクスが『経・哲草稿』の中で人間の本質を「対象的存在」としてつかみとり、<自らを制約してくる対象ヘの働きかけを通して主体が変化してくること>および<人間は自らの本質を自らの外部に対象としてもつこと>を明確にしたことによっても明らかである。 ところが黒田にとっては生産的実践の史的唯物論的把握自体が、自分で勝手に作った「主体性原理」なるものをもった「物質」の「自覚」運動としてしかつかみきれていない。だから『社会観の探究』や『ヘーゲルとマルクス』の中で生産についての把握らしきものを行なうにしても、「人間と自然の矛盾」それ自体が観念的な「主体性原理」の次元からしかつかまれていないため、「自然からの制約」をこえて「生産活動」を行なうことが、現実的に人間の社会関係をいかに変化させていくのかが―階級関係をふくめて―全く不明である。 こうしたことはこの「技術論」なるものが「階級闘争」に利用される時もっともハッキリ出てくる。すでにみてきたようにプロレタリアートを制約している本質(普遍的制約者)が「反帝・反スタ」戦略の中で完全に誤っており、プロレタリアが何であり、根本的に何に制約されているかが不明である以上、それへの活動(闘争)を通して主体がいかに変化、発展するのか(現実的存在として)が全く出てこない。これは逆にいえば、階級性、革命性が現実的なものとしてつかまれていない結果である。階級性、革命性が観念的な小ブル的自覚の次元に切りつめられていて、「客観的法則性」(革マル的な)を「意識的に通用する」以上、それは全くの「技術主義」になるのはあたりまえである。(階級性、革命性なき組織戦術をみよ!) こうして、この「技術論」なるものは「技術主義的」な運動へのかかわり―現実の闘争、矛盾にふれる側面―と、体制内的な「主体の固定化」―小ブルイデオロギーを背後にもつた階級性、革命性なき組織―を革マル的に保存していく一つの柱となっている。 (2)ソヴィエト運動とプロレタリア革命党 プロレタリア階級の死闘の中で、マルクスはその闘争の勝利を目指して理論的整理を行なっていった。それは、ソヴィエト運動と革命的プロレタリア党建設、そしてプロレタリア革命への道の明確化であった。 それは現実にはどのような形となるのか? われわれに可能なことは歴史的なプロレタリア革命運動の総括、さらに日本階級闘争の総括にたってプロレタリア革命運動の路線を整理することである。しかも、それはマルクスがプロレタリア革命―共産主義革命を階級社会の根本的止揚としても整理したその展開としてである。その内容展開はこの小論の目的ではない。それは『解放』紙誌で行なわれている。したがってここでは要点のみにとどめよう。 ①プロレタリア革命運動の「原点」(または「始元」)およびその展開 マルクスがプロレタリアの蜂起の中味を路線化していった構造はすでにみてきたが、それは社会の基底における、「工場」=「職場」における労働者の隷属(疎外された労働)への闘いを階級闘争の「始元」、「原点」におくということに外ならない。『資本論』の中でマルクスは次のようなことをいっている。つまり働く階級が隷属しまた搾取されているということは階級社会共通の問題である。しかし、その隷属のあり方が社会の差異を決めるとした(例えば「古代奴隷制」「封建的農奴社会」「資本主義社会」)。このことは、労働の隷属の構造が消費生活をふくんだ共同体(社会)のあり方を決定するということなのである。これを革命論的にとらえかえせば、「工場における闘争」=「反合闘争」を原点としつつ、同時にあらゆるプロレタリア人民の社会的隷属ヘの闘争を闘いぬき、その発展として政治権力への闘争が闘われるということに外ならない。 これはもう一歩深くはいってみれば次のようになるだろう。つまり工場における反合闘争とは、生産過程における労働者の隷属ヘの闘争であり、さらにそれは「人間と自然の矛盾」における人間の自然ヘの働きかけとしての「生産活動」のあり方それ自体をめぐる闘争である。そしてこの根源的な矛盾をめぐる闘争を原点としつつ、同時にあらゆる共同体的あり方の革命的再編の闘いが成立していく。それは直接的なあらわれ方としては、一方の闘いが他方の闘いを生み出し発展させるという相互作用となるが、それを内容上規定すれば次のようになるだろう。 単純肉体労働に切りつめられながら、生産物から疎外され、活動において疎外され、類から、したがつて人間から疎外されているプロレタリアートは、このブルジョア社会に根底的に対立する存在である。自らの存在そのものを突破せんとする人間的欲求は、このブルジョア社会のあり方に矛盾するものなのである。したがってその闘争はこの社会に全面的に対立するものとして成熟せざるをえない。それは直接的生産過程そのものに根をもっている。しかし、人間の本質とは社会関係の総体であり、この直接的生産過程における労働者のあり方への闘争は、消費生活をふくんだあらゆる共同体的なあり方(社会関係の総体)への闘争として展開されなければ、人間的にまたは共同体的に実現できない。一方、消費生活をめぐる闘争、あるいは差別をめぐる闘争は社会生活、共同体的な問題として闘われていくが、それがその目的を実現するためには階級的、革命的なものとしてしか不可能なのであり、一つひとつの問題をめぐる階級性、革命性は生産過程における闘争と結びついてはじめてその内容を実現できる。この闘争は、一つひとつ「当面の要求」―「階級的要求」という形で発展しつつ、政治権力打倒闘争として爆発させられねばならぬ。 プロレタリア革命運動とは、現在的に矛盾の根源への闘争を<展開>していくこと―ソヴィエト運動の展開―に外ならない。これは別の表現をとれば、あらゆる共同闘争を推進しつつ、その闘いをソヴィエト運動ヘ再編していくことが現下の革命運動に外ならない。それは革マル的に「組織作り」にすりかえられてはならず、現在的なソヴィエト運動がプロレタリア統一戦線の闘いとして展開されていることを前提とする。 こういう闘争が、「一定の主客の条件の中で」権力奪取の闘いヘと転化していくのである。 ②革命的プロレタリア党「建設」の闘い ソヴィエト運動は自然成長的にも存在するのであり、この目的意識的強化発展が目指されねばならない。革命的プロレタリア党建設の闘い、さらには革命的プロレタリア党の闘いはここをめぐって存在する。プロレタリア統一戦線の闘いが現存する様々な歪曲をうけている既成の運動の中から、その再編として推進されねばならない。つまり既成の闘いの中に自然成長的にふくまれているソヴィエト運動の中味を、目的意識的に結びつけつつ発展させることに外ならない。そしてこの闘いは、政治組織次元では既成の運動を推進している既成の「労働者党」の中からの分派闘争として表現されていく。それが革命的プロレタリア党建設の闘いとなる。 ブルジョア社会に生きている人民は資本制生産様式の中での分業にとらわれている以上、自然発生的な反帝闘争は不断に「対立」「一面化」にはいっていく。こうして、闘いを発展させていくためにこそ「分断と競争」をこえていく力をもった「ソヴィエト運動」が不可欠のものとなる。つまり、ソヴィエト運動は自然成長的な諸闘争の「限界」をこえるものとして成立する。そして、それが階級的、革命的に権力打倒闘争にまで発展するためには、諸闘争、諸組織のブルジョア的、小ブルジョア的限界を階級的革命的、にしていく力をもつた組織が不可欠である。その意味では革命的プロレタリア党は自然成長的なプロレタリア人民の闘いの限界を階級的共同利害によって突破するところに成立する。それは「階級的要求」によって結ばれており、またそれによってソヴィエト運動を目的意識的に推進する「階級として行動する組織」である。またそうだからこそ、その組織のあり方はプロレタリア的原則(団結およびそれを通した自立)に貫かれたものでなくてはならない。それは単にイデオロギー的なものではなく、プロレタリアートの存在からして、つまり分業の中における単純肉体労働の苦しみの中から、全面的に発達した人間ヘの欲求を闘いを通して実現していくものとしてあるからに外ならない。しかも、それは敵に対抗する団結を通して問題を一般化させ、それを条件として諸個人が発展する形で実現されるのである。階級的政治組織は闘いの断固たる推進力となりつつ階級的要求に結ばれた「団結と自立」を体現したものとしてのみ成立する。したがって、反帝国主義の現実的な革命運動(権力闘争の質を現在的に内包した)の中でのみ党は生まれていくのである。 ③プロレタリア革命運動と党派闘争 こうしたプロレタリア革命運動は小ブルジョア諸党派との党派闘争を不可避なものとしてふくまざるをえない。むしろそれに敗北することは、結局革命運動における敗北となる。 すでにみてきたように、現下におけるプロレタリア革命運動(ソヴィエト運動)は、社共に指導され小ブル的に歪曲されたプロレタリア人民の闘争の階級的、革命的再編としてのみ実現される。つまり、現存する諸運動の外に「純粋な」革命運動を直接定立することなど空想である。それは<プロレタリア統一戦線の闘い><闘う共同戦線>を断固としてつき出しつつ、同時に社共―総評次元における内在的闘争の断固たる推進という形で実現される。 現下における革命運動がこうしたものである以上、こうした闘いを推進せんとする部分は不可避的に既成政党の中からの革命的分派闘争を推進することとなる。また、すでにこの分派闘争も「分裂期」(その期間の長短はあるにしても)にはいっている以上、「党派闘争」という性格を帯びてくる。この党派闘争は、こうしてプロレタリア階級の階級的成熟にとって絶対不可欠なものなのである。なぜならば、この政治的中核が破壊されるならばソヴィエト運動は中途で挫折せしめられるのだから。 この問題は単に社共のみではない。社共を批判してあたかも自らが新たなる革命的プロレタリア党であるかのごとくあらわれる小ブル宗派との闘争が、ある面でさらに鋭く闘われねばならぬ。なぜならば、社共をこえて決起するプロレタリアートに、より深い絶望を与えるためにのみこれらの諸宗派はあるからだ。ましてや、革マル派のように他党派解体の闘いを自らの革命運動としている疎外されきった宗派との闘争は、まさにプロレタリア革命運動の一環として闘いぬかれねばならない。これは現下に決起しつつあるプロレタリア人民にとっては、革命運動の推進およびその中核たる革命的プロレタリア党建設にとって総力でやりぬかねばならぬものである。 70年代中期にはいり、すでにブント諸派は決定的混迷にはいり、構改諸派も同様な構造の中にある。一方、革マル派と中核派の宗派闘争はプロレタリア革命運動に全く無縁な地平で「激化」している。すでにみてきたように革マル派は革命運動と「断絶」してこの闘いを行なうという。 議会制ブルジョア独裁の崩壊の「危機」が迫りくる中で、諸階級、諸階層は「権力」問題をめぐつて激烈な対抗の中にはいっている。この時期は逆に、既成政党の反プロレタリア性が鮮明に暴露され、プロレタリア階級の階級的独立が本格的に問題となる。だからこそ、革マル派は社共にかわる「革命的党派」という名称を獲得しようとして、自分たち以外の一切の党派を「解体」するという疎外された策動に夢中になる。だが、階級闘争はこういう反プロレタリア的党派の策動を放っておくほど甘くはない。一人の学生の虐殺を居直ろうとした革マル派に対して全早大の学生は決起し、また全日本プロレタリア人民は注目し連帯した。しかもこの革マル派の川口君の虐殺は、革マル派が自らの反プロレタリア的性格を一層深めんとする「曲り角」において起き、そのため深刻な内部の動揺が生じていった。 革マル派が何者であるかは全日本プロレタリア人民の前に明らかとなり、このプロレタリア階級闘争への敵対物を粉砕して前進することが闘う潮流に要請されていった。革共同革マル派がまさにその「反プロレタリア的宗派路線―体制内的小ブルの自己満足運動」を全面展開せんとしたその矢先に彼らはその本質を全プロレタリア人民に知らせてしまった。 深刻な内部の動揺とプロレタリア人民の反撃、そしてわがプロレタリア統一戦線派の鉄槌は彼らに再三くだされ彼らをおいつめている。 たしかに「議会」をめぐってではあれ「権力問題」が射程にのぼりつつある時代にはいっている。まさにプロレタリア階級闘争の発展、革命的プロレタリア党建設が問われている。今、日本の社民、スターリニスト、反スタ―スターリニストの本質が全人民の前に全面的に暴露され、彼らの階級闘争への敵対を粉砕する闘争が激烈な対権力闘争の只中で闘われている。 この闘いを強力に推進しつつ 「革命なき小ブルの自己満足運動」―宗派革マルの解体、止揚の闘いを現在的に強力に推進するところへきている。 来年の参院選挙をふくんだこの1~2年は、日本階級闘争の運命を決する重大な時期である。それは一口にいって<議会制ブルジョア独裁の崩壊の危機とプロレタリア階級の階級的独立>をめぐっている。そして革マル粉砕の闘争はこの闘争の重大な柱である。なぜならば、社民、スターリニストの反プロレタリア性が全面的に暴露される時代、これをプロレタリア人民がのりこえる時代に、同時に反スタ・スターリニスト―特に革マル―の反プロレタリア性が強められ、また全人民の前に暴露されつつあるからである。 われわれはなすべきことをなし、プロレタリア革命へと前進するであろう。 =補遺=
革マルにおける「国家と革命」の小市民的性格 革マルは、最近、「国家論」をめぐって、また、「ソヴィエト」をめぐって、日共や中核派を批判している。これは、彼らなりに、現在の情勢に対応して「国家と革命」の問題を射程にいれようとしていることの一つの表現だろうが、それ自体極めて体制内的、小市民的性格にみちたものに外ならない。その基本的性格は今迄の叙述によって明らかにされて来てはいるが、この点にしぼって批判を要約しておこう。 革マル派による日共批判は次のようになっている。 ≪日共はレーニンの『国家と革命』を議会主義的に歪曲して現下におけるブルジョア議会制独裁の「議会」を通してプロレタリア革命が実現出来るかのような主張をしている。レーニンがブルジョア議会制度の破壊のためにコミューン型の、あるいは労・兵ソヴィエト共和制のためのプロレタリアの革命的独裁のために主張した中味を議会主義的に歪曲している。これは「民主主義」を超歴史化してしまっている結果である。また、国家論的には構造改革路線型の国家の二重性論にとらわれている結果である。≫一方、同様に『国家と革命』の問題をめぐつて中核派を批判する。中核批判はいろいろな形で行なわれているが、しかし、「革命」をめぐっては唯一この面から中核批判を展開している。 ≪中核の暴力革命論は、暴力の本質を「共同体」―「国家」から切断させた形になつてしまっている。また、国家の本質的把握に失敗しており、レーニンの国家論を暴力という側面から肥大させ、国家の暴力的機能のみから国家をみてしまっている。これはまた、共同体の問題を暴力の問題に一元化させてしまうことでもある。こうして中核派の革命論はソヴィエトの問題を完全に欠落させてしまうことになる。国家やソヴィエトの本質的把握に失敗する結果、プロレタリアートの独裁を官僚主義的に歪曲することになる。≫ ここでは革マル派が日共や中核派をどのように批判しているかが直接の問題ではないので簡単な要約にとどめるが、ここで注目すべきことは次の点である。革マルが日共や中核批判の武器として「共同体の問題」や「ソヴィエト」をもち出して来ている点である。双方の批判の武器として革マルが使っているのは「国家の二重性論批判」「民主主義―議会主義批判」「幻想的共同性という面からの国家論」「ソヴィエト革命」等である。 小ブル急進派批判、及び小ブル右派(議会主義者)批判において革マルが「革命論」として展開せんとしているのが「ソヴィエト」をめぐる問題だというのは、革マルの破産を示している。これは、反合理化闘争において革マルの向坂派批判が結局は自分の理論と実践からではなくわれわれを中心とするプロレタリア革命派のそれの「威を借りて」行なわざるをえず、しかも、それを革マル的に行なっているために極めてみじめな破産におち込んでいるのと同様である。日共や中核の路線が、非プロレタリア的又は反プロレタリア的であることは、マルクス主義のイロハからみても一目でわかる。ただ、自分達のそれへの批判が、プロレタリア革命派の理論と実践の上に立ってなされているのか、それとも実は同じ地平でしかないのかは大ちがいである。 革マルの中核批判や日共批判はまさに後者の典型である。それを要約的に示しておこう。 革マルの日共批判となっているのは構改派型の国家の二重性論批判(これは中核批判でも同様)である。これは本質的には「民主主義」や「議会制ブルジョア独裁」をめぐる問題にもかかわる。構改派の国家の二重性論というのは、国家には「抑圧的側面」と、いつの時代でも存在する「公的側面」と双方があり、その内の公的側面(超歴史的な)をプロレタリア人民が一歩一歩奪取しつつ、「抑圧的側面」をとりのぞいていくというものである。この「理論」がデタラメであるということを言いきるためには、どうしても分業論を通らねばならない。国家の「幻想的共同性」 についても同様である。ところが革マルはここに全くふれずにレーニンやマルクスの部分的引用でもってごまかしてしまう。 国家は支配階級の利害調整と被支配階級への共同利害による抑圧という「公的」役割をもつ。しかも、これは一般的にあるのではなく、分業(私的所有)社会において双方の「公的」役割を担う精神労働者が個別的な又は特殊的な利害を担う支配者の外に定立されることによって可能となる。例えば、治水のような共同体的な仕事にしても、こうした構造に立ってのみ可能なのだ。「抑圧的側面ではない超歴史的な公的役割」のようにみえる仕事自体が、実は分業(私的所有)社会=階級社会の今みた構造によってのみ可能なのだ。つまり、分業(私的所有)の社会では「共同体的な仕事」は今みた構造からいって支配階級の共同利害としてのみ貫徹されるのだ。そしてこの中味が被支配階級に対する敵対として目的意識的に定立されるのが「抑圧的側面」に外ならない。超歴史的な「公的役割」など存在しはしないのだ。だがこのことを言いきれるためには階級社会を分業社会としてつかみとっていくこと、従ってプロレタリア革命運動を闘いを通して分業を粉砕していく新たなる人間的共同性の産出の闘いとしてつかみとっていくことが必要である。これがソヴィエト運動論なのだ。 国家が幻想的共同性としての性格をもつのは、この私的所有(分業)の中に被支配階級(ブルジョア社会ではブロレタリアート)をふくみ、それを支配し搾取しつつ、その上に先ほどみた「支配階級の共同性」が成立しているからに外ならない。こうしてプロレタリアートにとっては、国家はまさに「幻想的共同性」に外ならない。こういう構造だからこそプロレタリア人民の闘いに対して支配階級の共同の利害を守るために暴力装置の発動にはいるのである。しかもこの「国家」が個々のブルジョアジーや小ブルジョアジーの日常的な「物質的利害」を超える観念的共同性として実体化されているのは、ブルジョアジーや小ブルジョアジーは現実的には決して共同の利害を形成して結びつきえず、「万人の万人への闘い」の中に生きている(分業と競争の中にたたき込まれている)からに外ならない(国家を媒介にしてしか結びつけない)。 > ところが革マル派の理論体系の中ではこの分業論が完全に抹殺されてしまっているので、構政派の国家論がおかしいといっているだけで、何故そうなのかについて科学的に証明しえていない。これは工場内分業をめぐって、分業論を欠落しているために合理化の本質が全くつかめないのと同様である。だからそもそも何故プロレタリア独裁がソヴィエト独裁としてしか成立しないのかは全く不明になる。ソヴィエト型国家(コミューン型国家)の必然性が、革マル派が強調している「プロレタリアートの運動」から少しも導き出されないことになる。こうして、またしても「ソヴィエト」は念仏となる。 日共の議会主義や中核の小ブル型の非プロレタリア革命路線を批判し、粉砕していくためにはどうしても「ソヴィエト運動」路線を不可欠とする。こうして、これにとびついてみたものの、またしても「言葉」「用語」のみとなり、現実的な闘いや、理論としては空虚なままである。もし、本格的にこれを問題にしようと思えば「労働運動における木工企業別型運動」「差別と闘わずそれを拡大する運動」「大衆運動と革命運動の切断」「地区を消した悪しき産別主義」等の路線は不可能となり、革マルは組織解散するしかなくなるのである。 更につけ加えておけば、革マル「スターリニズム論」には共同体の史的解明が全く欠落してしまっている。だから「スターリニズムとは一国社会主義イデオロギーである」ということ以外なにも言えない。そもそも「一国社会主義イデオロギー」は、何故、どのような階級によって生み出されるのかが全く不明なのだ。スターリニズムの解明は「アジア的生産様式」の解明をぬきにしては不可能なのだ。その意味では革マルには分業論と共同体論が全く欠落している。そもそもこういう党派が国家や革命の問題をマルクス主義的に展開出来る訳はないのだ。 (1973年) |
【れんだいこ評】 |
(私論.私見)