れんだいこの「党派間ゲバルト理論」考 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.8.9日
(れんだいこのショートメッセージ) |
出典不明なるも、「抽象的なことを以って具体的なことに代えるのは主要な罪悪、革命における最も危険な罪悪に属する」(長谷川浩「2.1ゼネストと日本共産党」)という言葉があるようである。この含意は恐らく次のようなものであろう。仮に、「党派間ゲバルト」問題を論じ、具体的に何をどうすれば良いのかという実践的な内容の吟味をしている際に、何やら抽象的に愛一般、俺は善人論を振りまき、それを滔滔と述べまくり煙に巻くような話をするのは罪悪であり、有害である、ということではなかろうか。しかしながら、「党派間ゲバルト」問題についてもその他全般も含めてこの種の話法が流行っている気がしてならない。少し云いたい放題ではあるが、れんだいこの意とするところお汲み頂ければ幸いである。本稿で、「れんだいこの「党派間ゲバルト理論」考」を開陳しておく。 2003.9.26日 れんだいこ拝 |
【「党派間ゲバルト」と「内ゲバ」の識別について】 |
「党派間ゲバルト」は、通常「内ゲバ」と云われてきた。これを少し考察してみたい。まず、「ゲバルトとは何か」について言及する。いいだもも氏の指摘を意訳すれば、ドイツ語の「ゲバルト」は、英語の「パワー」と「バイオレンス」のような意味の使い分けをしていないと云う。英語では、対権力に対する人民の権力行使は「パワー」であり、支配者による強権的政治支配は「バイオレンス」と区別して用いられているが、ドイツ語にはそのような識別がなくいずれも「ゲバルト」で事足れりとしているということのようである。従って、本来であれば、「ゲバルト」も、「対権力に対する人民の権力行使」用の「人民ゲバルト」と「支配者による強権的政治支配」のような「権力ゲバルト」の識別が為されねばならない。丁度「テロル」の識別と同じように。 その代わりにと云っても代わりにはならないのだが、よく考察されているのが「内ゲバ」と「外ゲバ」の違いについてである。「外ゲバ」とは、「人民ゲバルト」が支配階級国家権力に向けられるものであり、「内ゲバ」とは、一定のイデオロギーを共有する党派間で、或る党派が他の党派に向ける「党派ゲバルト」のことを云う。「内ゲバ」と「外ゲバ」は、「ゲバルト」の主たる担い手とそれが向けられる相手方の質が明らかに違うことで区別されるということになる。 「内ゲバ」とは「内部ゲバルト」の略語であろうが、この「内ゲバ」という言葉が、何時、誰によって使われ始めたかは定かでない。その意味するところをもう少し深めると次のように云える。「内ゲバとは、一定のイデオロギーを共有する例えば左派あるいは右派の陣営間で、その中の或る党派ないしグループが、他の党派ないしグループに向けるゲバルトであり、部外者から見れば身内ないし同志間のゲバルト」ということにあるのだろう。つまり、「内ゲバとは、本来仲間内と見える党派ないしは同志間の暴力=ゲバルトの行使」という意味になろう。 しかしながら、れんだいこが解析するのにかような「内ゲバ」観は多義的過ぎる。そこで、次のように概念の使い分けをして正鵠を期したいと思う。その一つは、「党派間ゲバルト」である。この「内ゲバ」は、中核派対革マル派、青解派対革マル派において典型的に現出してきた。「党派間ゲバルト」を「左派同志のいわば身内間のゲバルト」とみなすならまさに「内ゲバ」であるが、互いを権力の内通派呼ばわりし、片方があるいは相互に左派とは認めず権力内通派と規定して「白色テロル対赤色テロル」の構図で取り組むゲバルトに対してまで「内ゲバ」と呼び得るか。が、通常このゲバルトが「内ゲバ」と云われてきた通史がある。正確には「党派間ゲバルト」と云いかえるべきであろう。そして、この「党派間ゲバルト」には、いわゆる「左派戦線上の党派間ゲバルト」と「白色テロル対赤色テロル型党派間ゲバルト」があると云うべきだろう。 次に、「同一党派内ゲバルト」がある。この場合こそ「いわば身内間の党内闘争=分派闘争ゲバルト」であるからして「内ゲバ」と呼ばれるのが相応しい。しかし、前述の「党派間ゲバルト」を「内ゲバ」と呼ぶ慣わしから、この「同一党派内ゲバルト」が「内々ゲバ」と云われることになる。ややこしいこと限りがないが、一般的には両者を併せて「内ゲバ」と称している。この「内ゲバ」は、主としてブント系諸派、後に社青同解放派(革労協)内に立ち現われ、連合赤軍派の内部的同志粛清事件が典型となる。 れんだいこは、以上の観点から、一般的な意味では「内ゲバ」という言葉を使っても、識別を要する場合には「党派間ゲバルト=党派ゲバ」と「同一党派内ゲバルト=内ゲバ」と云う風に使い分けしようと思う。認識上識別を要するのであれば識別せねばなるまい。ゲバルト問題についてはここから論を起したい。 このゲバルト問題について、そろそろ我々は理論化せねばならない頃ではなかろうか、というのが昨今の動きになりつつあるのは好ましいことである。関って来た世代の我々が調書化しておくことは責務であろう。遅きに失した感があるが、これをいつまでも為さないのは更に愚昧であろう。 2003.8.1日再編集 れんだいこ拝 |
【「党派間ゲバルト抑止の為の左派憲章」について】 | ||||||||||||||||||||||||
いきなり結論から入りたい。れんだいこは、「同一党派内ゲバルト=内ゲバ」は良くない論ではなく、起こさせてはならない論づくりに向かうことに意義を持たせている。「内ゲバ」の場合は、組織論で解決し得ることであり、それは規約に結晶させるべきだと考えている。「党派間ゲバルト問題」の場合は、これを「党派闘争」の環の中に位置付け、左派憲章的に獲得すべき課題であると観る。せめてここまで漕ぎ着けることが残された者達の責任であり、犠牲者達への供養であろう。 では、「党派間ゲバルト抑止の為の左派憲章」をどのように文言すべきか。以下、率先してれんだいこの方から簡潔平明な処方箋を示したい。なぜなら、難しく長たらしいのは困るから。どちらが先か分からないが、警察の暴走運転取締り標語「しない、させない、許さない」論で使われているので、少し笑った。れんだいこのそれは、「しない、許さない、させない、弔(とむ)らえ、助け合え、伝えよ」論となる。
2003.8.2日再編集 れんだいこ拝 |
【平時における実質民主主義論を構築せよ】 | ||
この公理の確立を何故急ぐか。直接的には、我が左派運動から有能な人士が次々と戦線離脱させられていくのが忍びないからである。一刻も早く、この不毛の悪循環から解き放ち、活動家としての本来の有能な働きをさせたい、互いに僅かばかりの人生をこんなところで費消させたくないと思うからである。 次に、この「党派間ゲバルト」に我関せず的に立ち回る「俗流民主主義論」の非を明らかにしたい為である。そういう連中の論の俗流無益振りを露わにすることにより、「党派間ゲバルト」の解決に向かわせたい為である。 「俗流民主主義論者の論」に思うことは、民主主義」内容が極めて曖昧模糊に語られ過ぎていないかと云うことである。それを護ると云っても、内容が明らかでないものをどうやって護るというのだろう。れんだいこ観によれば、民主主義とは、1・政治理念としてのそれと、2・具体的に制度化したそれと、3・その際の手続き的なそれという風に三項分類できるように思われる。見落とされがちなのは、「3・手続き的な民主主義」の項であり、これまでの左派運動はここの弁えに対してからきし貧困であるように思える。 民主主義の内容を整理するのに仮に、「人の生活地場において個々人の自由・自主・自律を重んじて極力統制を控える観点(仮に、「自律民主主義」と云う)からのそれと、統制と対照的に相互に自由・自主・自律を最大限に保障し合う為に必要な合理的規制(仮に、「規制民主主義」と云う)とを集合する、理念であり、制度であり、手続きでもある一連の政治的経済的文化的システム」と定義すれば、我々がこのシステムを却下することは有り得て良い訳がない。 ブルジョア民主主義と云い為そうがプロレタリア民主主義と云い為そうが、競ってでも可能な限り社会全域にこの作風を広め、制度を更に精査し、より実質的に担保されるよう獲得せしめたいところのものであることは自明であろう。更に云えば、このことを無視するような左派運動が為されるのならそんなものは全く意味がない。俗に、クソ喰らえと云う。 これに似たような話しとして、戦後間もなくの頃の徳田球一と宮本顕治との間で批判合戦された「社交ダンス論争」がある。徳球書記長が、第2回全国協議会報告で、「社交ダンス活用論」を次のように述べた。
これに対し、宮顕は、アカハタに「文化運動の前進」論文を発表した。次のように反論している。
これに対して、徳球は真っ赤になって宮顕見解に反論した。「社交ダンスに階級性などない、プロレタリア的な社交ダンスがあるなら宮本自身が踊ってみせろ」と怒ったと伝えられている。徳球理論は、当時の宮顕−栗原ラインによる「万事タガ嵌め式文化政策」に対する党中央からの批判でもあった。興味深い事に、当時の学生運動内の活動家の先鋭部分は、宮顕のこの頃におけるウルトラ左派言辞にぞっこんで、宮顕を支持していくことになる。しかし、れんだいこは、徳球の「プロレタリア的な社交ダンスがあるなら宮本自身が踊ってみせろ」を支持する。実に徳球という人は本質を鋭く見抜き、ツボを得た批判をする。日本左派運動に立ち現れた、同じ事象に対しても取り組む姿勢のこの違い。戦後日共運動の指導者のこの鮮やかな対比。れんだいこは、こういうところを万事において切開していかなければならないと考える。ちなみに、蔵原、宮顕的プロレタリア文学運動はその実プロレタリア文学を型に嵌め過ぎてしまいには窒息させてしまった、と見ている。それは党運動でもそうで、長い時間を掛けてじんわりと今日あるような似て似つかぬものにしてしまった、と考えている。 当時の全学連中央が宮顕の言葉尻だけの左派性に惚れたのは、生活体験の未熟性によるもので、要するに「既成のダンスをプロレタリア的なものにしなければならない」などという言葉に酔わされただけのことと拝察する。言葉の真価が試されるのは、その言辞通りに実践してみて以前よりも事が首尾よく行く場合においてである。例えば支持者や図書頒布の広がり、機関への影響力の拡大、集金力の強化、アジト・会館設置等々物質的基盤の獲得などで試されよう。この基準に照らせば、プロレタリア的ダンス論を説く宮顕論法の空疎性が知れよう。それに騙される手合いは二日酔いのようなもので、二日酔いでは運動が守備能く進展するわけがなかろう。 もとへ。ところで、歴史的に見て、民主主義は闘い取られるものであり、維持するのにもエネルギーを費やさねばいつでも形骸化させられてしまう。そういう弱さがあるが、振り子のように常にここに立ち戻るという強さもある、そういうものではなかろうか。民主主義がそのようなものであることを忘れて、これを一面的にその意義を軽視してみたり、闘い取る地平で初めて維持されることを見ないのはどちらもオカシイ。付言すれば、当節及び腰な姿勢のままに当り障り聞こえの良い「民主主義一般を形式的に論議する風潮」はつまらない。 云えることは、個々の運動体が民主主義のかような原理を弁え掌中にしてこそ「実体としての民主主義」を生み出しえるのではなかろうか、ということである。民主主義にはそれを培養する土壌が不可欠である。その土壌作りを放棄して何の民主主義論ぞと問いたい訳である。民主主義を護るも進むも攻めるも、運動圏にあっては誰が友であり破壊者であるか識別し、友とは共同し破壊者達に対してはこれまた共同して排斥する能力をまずもって獲得するところからしか道は拓けない。その際御身安泰主義は処世方便としては許されても、「党派間ゲバルト」に我関せずを吹聴して得意がるとか、常に巣篭もりしたまま一般論を云うのは駄弁家でしかなかろう。 「党派間ゲバルト」に関する左派綱領を創り、これを破るものには共同で立ち向かうしかない。れんだいこは、このことを強く主張したい。補足すれば、友の内部での異論、見解・運動手法の相違、反対派活動それらは最大限認められ、というか不可避であると認識した上で共同すべきだろう。異端、分派の発生は当然認められるべきで、かといってそれによって互いが排斥しあうことではなかろう。ここが分からないようでは、狭量主義に陥っていることになるだろう。具体的に生起した事件の中から教訓的な手引きを生み出し、不断にこれに準拠していくという作法が望まれているであろう。 2003.5.1日再編集 れんだいこ拝 |
【「平時の論理と戦時の論理」を構築せよ】 |
このことを踏まえた上で、「平時の論理と戦時の論理」を構築することが望まれている。「戦時の論理」は期限付きの特殊と見なした上で(あるいは逆に戦時が通常で平時が特殊なのかも知れないが)、これを受け入れていく以外に闘いは勝利しない。人類はこの不条理から抜け出せる叡智を未だ獲得し得ていない。このことが分からない者は饒舌家でしかない。してみれば、戦前戦中戦後今日までの左派運動の歴史には、こうしたところの理論的解明が立ち遅れたままの実践運動で推移してきているという負の遺産の只中にあるのではなかろうか。 そうはいっても、世に完璧な理論を創出することは困難であろう。こうした際に肝要な事はひとえに、手探りでも味方と敵を峻別しつつ運動を担っていくことだろう。運動圏における「赤い心」と「白い心」の共同なぞありはしない、この観点の確立こそが最初に望まれているのではなかろうか。 |
【党派は、「何を為してきたのかその『歩み』を刻々記せ」、そして認識を共有せよ】 |
では、「赤い心」と「白い心」の識別をどこで為すのか。それが肝心だ。この識別に叡智が無ければ、一方的なプロパガンダによるナチス(正確には、ネオシオニズム)ばりの嘘も百万弁繰り返せば真実になる式の暴力的な規定が罷り通ってしまう。 これを阻止する際の基準として、その為に歴史があり、史実の経過というものがある、と云っておきたい。つまり、常に「歩み」を記録し、この記述の観点を廻って喧喧諤諤せよ、ということになる。これは、左派運動を真面目に考える者なら当然依拠すべき観点ではなかろうか。むしろ、この観点が弱すぎるから、史上左翼運動は数少ない建国革命の例を残すばかりで他は殆ど実を結ばなかった、とも云えるのではなかろうか。 従って、「組織の歴史、歩み」を軽視したり隠蔽したり欺瞞的に詐術する者が現われたら、我々はこれを断じて許してはならない。「赤い心」と「白い心」の識別が難しい場合には、常にここへ立ち返れば良い。不正な者は常に極力史実を隠蔽したがる。公明正大な者はいつもこれを学びたがる。という観点に照らすと、今我々の目にどのような党派が史実の叙述に対して懸命賢明に取り組んでいるだろうか。案外とサブいものがあるのではなかろうか。ちなみに、この観点は何も左派分析の際のみならず事象全般に通用する公理である。 |
【宮顕式「排除の理論」、黒寛式「他党派解体論」を疑惑せよ】 |
我が国の左派運動にいつのまにか忍び寄った凡そマルクス主義とは無縁な陰気系「排除の理論」と「他党派解体論」、その論理の典型が戦後日本共産党の徳球執行部の後釜に座った宮顕と革マル派の教祖的指導者・黒寛に見て取ることができる。その様はあたかも、日本マルクス主義運動の右派的潮流を宮顕が御し、左派系潮流を黒寛が御すべく任務が与えられ、忠実に実践しているが如くである。 そういう曰くつきの両理論を俎上に乗せて検証すること、その汚染から抜け出すことこそが「党派間ゲバルト考」の中心的課題であると思われる。が、不思議なことに多くの論者はかく問題を設定せず、この問題に正面から対峙することを避けているように見える。そうした知的インテリゲンチャの「怯惰な知」が信用に値するだろうか。 宮顕論理については別稿「宮顕論」の中で論じているが、いずれ「党派間ゲバルト問題における宮顕論理の特質」とでも銘打った一章を書き上げたいと思う。ここでは、「検証内ゲバ」に記述された言辞からのみ構成するので範囲が狭いが、「黒寛の組織論、党派間ゲバルト論の特質」を見ておこうと思う。 |
【「党派間ゲバルト論」論争の称揚について】 |
立花氏の著作「中核対革マル」につき、資料的価値はあるが、実践的には「どっちもどっち論」で問題の所在を却って曖昧にさせ、何ら有益ではないことは既に指摘した。問題は、立花如きの論を教本化せざるを得ないところに日本左派運動圏の知性の貧困が認められるということであろう。この問題に立ち向かっている左派運動研究家として蔵田計成氏がいる。その他大勢が尻込みしている中で、その精神たるや評価されるべきだろう。これが、れんだいこが蔵田氏を評する第一の視点である。まずこのことを確認しておく。問題は中身にある。 我々が考察すべきは、「党派間ゲバルト」の作法の確立であろう。あるいは全否定でも良い。それならそれで理論を生み出すべきだ。「同一党派間の内ゲバ」については、それがなぜ誤りなのか論を究め尽くすべきである。これはごく自然な発想であり、この発想で何らおかしくない。それを逆に云うとは。しかし、これが世間に名を売る左派系理論家の水準だと思えば、こったら運動が首尾よく行くものかは。もう一つ。左派運動圏には、ある対象の考察に当って、何でも難しくこねまわす芸当がある。でもって何か認識が進歩したという訳でもない。労働者階級の自律的解放理論として生み出されたマルクス主義が、いわゆる人民大衆にかほど難しい理論として語るよう創造されていたのだろうか。原点に照らせば滑稽な作風を気難しそうに語ったり書きつけたりするからせいぜいヒマツブシ、時には害毒にしかならない、と指摘すれば識者からお叱りを受けるでせうか。「党派間ゲバルト」も然りで、「党派間ゲバルト問題」考察の意義」で述べた「左派憲章の確立とその遵守」に向かわせば良いだけのことにように思う。問題は、これに敵対せしめてくる勢力とどう対置し、大衆包囲的闘いを組織するのかにあるのではなかろうか。いつまでたってもテーマの周辺をグルグル廻りして何が面白いのだろう。 2003.1.11日 2009.9.12日再編集 れんだいこ拝 |
【「キャンパス内の正義と不正義」について】 |
筆者が二十歳代の頃、「党派間ゲバルト」が発生していた。70−75年辺りの一キャンパスに於いてであるが、時に当事者になり、時に目の当たりに見てきた。それは不幸な事象であった。但し、その時の経験から云える思いは、「中立的な党派間ゲバルト論」に与しようという気持ちにはならない。僅か一キャンパス内にも正義と不正義はあり、不正義は掣肘されなくてはならないと思う。「正義と不正義」という分別は、広く深くたぐれば曖昧な概念ではあるが狭い範囲でははっきりと指摘できる。例えば、一党派が他党派のキャンパス内立ち入りさえ拒否するというパトロール支配を行っている場合に、判断は容易で「どっちもどっち」という訳には行かない。ここが同意できない御仁とは、何を話しても恐らく一生共通見識が生まれないだろう。仮に、排除された党派が立場を逆転させた場合にも同様なことが起こるというのなら、「どっちもどっち」かも知れない。しかし、現実にかの党派以外にそのような暴力支配を得手とする党派が居るだろうか。その後の動きを見るにつけても最悪質な党派ではなかろうか。不幸なことに、そして今なお憤然とすることに、筆者が居たキャンパスには、かの党派がそのように居た。この現象は1969年以来のものであり、この感覚は、50年代の活動家、60年代の活動家には分からないし理解不能だろう。関西系のキャンパスしか知らない者にも理解不能だろう。 かのキャンパスの左派的低迷はそれ以来のことではないのか。このキャンパスだけで一体何名、何十名、何百名が時に虐殺され時に自殺し時に不具者にさせられ時に退学を余儀なくさせられて行ったか、実際には知られているよりはもっと多い相当数にのぼることだろう。悪質護民官を絵に描いたようなその下手人がその後のうのうと市民生活しているとしたら、なしてそれを許せようか。今も思うに反省すべきことは、その暴力に抗する大衆包囲的な暴力能力形成の能力欠如ではなかったのか。それ以外に饒舌に語る必要はないと考えている。 話を戻して。不正義側が暴力を行使してきた時に、これを咎める他に有効な手法があるというのなら別だが、筆者は知らない。一定の法秩序の枠組みの中でという留保つきになるだろうが、「力には力をもって抗する」以外に他の方法があると云うのなら教えて欲しい。「それはうちの党派に入ることだ」などという見え透いた話に頷くほどウブではない。あれから三十年、最近になって大学当局が、そういうキャンパス内の意気消沈ぶりのフィードバックにより全体の活力低下を生み出しており、そこに建学以来の危機を見るという風に総括したのであろう、漸く態度を反転せしめだしたようである。自業自得の失われた三十年間であったような気がするが、これを延ばしても延ばしてもいつもここに立ち戻るだろう。 2008.9.12日再編集 れんだいこ拝 |
【「キャンパス内の党派闘争」について】 |
それはそれとして、筆者は次のように考える。仮にあの頃に戻り、キャンパス内で同意の士を得て、かの暴力支配に抗する為には、どのように理論武装し、戦略戦術を立てていけば闘いは勝利するのか。考えてみれば、学生というのは僅か4、5年間在籍するだけの身であり、そうは簡単には闘争主体にはなり得ない。それでも見事、自治権力を獲得した場合、その機関と各党派はどのように関わりあうべきか。以降、キャンパス内での党派闘争はどのようにあるべきなのか。そこで創られたキャンパス内の在り方がもっと広く社会全般の労働戦線、政治戦線にもモデルとして通用するようなものを構築して見たい。それが長年の筆者の夢であり、今日に至るもそこで時計の針が止まっている。という観点から、以下、「党派闘争論」、「党派間ゲバルト論」を書き上げていきたい。 |
【「大学自治と政治活動のあり方」について】 |
まず、「大学自治」の相対的自由度が確認されねばならない。21世紀の今日の状況は分からないが、70年代においては「大学自治」は辛うじて保たれていたと思われる。それは社会の他の領域に比して稀有な自治度であった。その自由な磁場はもっと大事に育まれなければならないものであったが、急進主義派により偏狭に「ポツダム自治会」視されたことは不幸なことであった。それはいわゆる小ブル思考であり、歴史を観る眼力の不足に起因していると思われる。 「歴史を観る眼力」とは何か。日本的な和合政治の伝統を尊ぶのも良かろう。しかし、これを語ることは難しい。もう一つの視点として、西欧的ルネサンス精神の涵養と謳歌を育成する観点も良かろう。西欧的ルネサンス精神は、日本的和合精神とも合致しており、その練磨と云う観点から歴史が顧みられねばならないという意味で、近現代史の座標軸のようなものに生り得ているように思われる。 このことを分かろうとするのが学びであり、学んだ結果反ルネサンス派になるというのなら、却ってそういう下手な勉強はしない方が良い。俗に、大学へ行かせると馬鹿になるという警句は、偏狭学問に染まり一番肝要なことを失念してしまうという愚を指摘しているのではなかろうか。人類の歩みを思うとき、僅かなりとは云えこのルネサンス精神の社会への涵養こそが正史であるように思われる。本来、マルクス主義もこの系譜からもたらされており、これに目が行かないようなマルキストは変調マルキストであり己の無知を恥じるべきであろう。 今日専門学校が雨後のたけのこのように創設されているが、恐らく大学自治的なものを持たない即効的な教育施設になっているだろうと推測し得る。しかしながら、大学自治こそ大学生活のエッセンスであり、学生が学ぶ学ばないはその次の問題であるほどに肝要のものであると考える。自立期に「自由、自主、自律」の作風での世渡りを稽古する、自治会活動、サークル活動、ゼミ活動を通じて同年輩前後の者が切磋琢磨的コミュニケーションすることこそ大学生活を有意義にするものであり、学生時代を就職の予備期として功利的に考えるのは本来のものではない。この期間を持つか持たないか、この期間を如何に練り合わせするのか、思われているよりも値打ちがある。我が社会の為政者がこれを顧慮しないのはその精神の貧困であり、近視眼的な狭量政策によってもたらされていると考える。このことはあまり問題にされていないが、大学自治に関する重要性を認識しない左右両勢力しかいない事情によってこういうことが罷り通っていると認識している。 さて、大学自治の機能の実践的なさせ方について考察する。以下、極力分かりやすく云う。まず、大学キャンパスにおいては多様な青春の発露が認められ、自由な空気に染められるのを良しとする。体育会系も文化系も政治系も宗教系も、クラブ系も同好会系も単にサークル系も、あるいは硬派系も軟派系もギャンブル系もというふうに混在し、相互に認め合うべきではなかろうか。何しろ、20歳台の青春がぶつかる場であり、そこにはいろんなライフスタイルの悲喜こもごもがあるべきではなかろうか。多分、人は、気質とか環境に規定されて発露の対象が多様になるようにうまく摂理されているのではなかろうか。この磁場を保障し合うのが第一に肝要なことであり公理とすべしと考える。 次に、政治系の運動についてコメントしてみたい。人は、17歳前後の頃より急激に自身と社会の客観化に向かうようである。その関心を順調に伸ばせば、20歳代には最大の能力的な飛躍発展が認められる多感な頃となる。この時節に宗教的哲学的傾向を帯びることは自然で、政治的関心を強めるのも又自然である。というか必要なことでさえあると考える。ところで、実際には、政治的傾向を帯びていくのは全体の二割前後としたものではなかろうか。問題は、その二割の者達が、政治というものが持つ宿命である意見、見解の衝突が常法の世界に直面することにある。これをどう調御するのか、ここに叡智が必要だろう。運動圏の入り口のところで、この「見解の自由、異論、異端を認めるのか認めないのか」、これが次の公理になると考える。 次に、政治系の場合特にというべきだろう考察対象及びその実践自体が高等であるからして、これを解析する者達の意見、見解が様々に分岐することはむしろ自然にそうなる。なお且つ、対象変革手法を廻っても多様な方法と手段があり、穏和系と急進系によってもアプローチの手法が異なってくる。こうした意見、見解の相違は運動圏内に当然の如く認められ、許容されるべきではなかろうか。互いに擦り合わせしていけばいくほど基本認識さえ異なる場合が判明する。これも認められるべきであろう。というか、本来、思想について誰も掣肘する権限なぞなかろう。運動圏の中にこの「見解の自由、異論、異端を認めるのか認めないのか」、これが次の公理になると考える。 次に、基本認識での一致が可能となった部分はやがて党派前段階化していくのも必然であろう。だが、この党派前段階化においても、基本認識後のレベルの擦り合わせに向かえば、又もや把握の仕方、アプローチの手法、又個々の生活事情に差異があることに直面する。我々は、この差異を認め、如何なる個人も党派もこれを保障し合う作風が必要なのではなかろうか。運動圏の党派前段階化過程において、「見解の自由、異論、異端認めるのか認めないのか」、これが次の公理になると考える。ここまでのテーマは民主主義論に収斂する。徹底した議論とその公平な採決の保障、暴力的介入の是非と限度等々の問題が理論的に解明されねばならない。 次に、党派段階にいたる。この段階においても、党派内に「見解の自由、異論、異端、分派を認めるのか認めないのか」、これが次の公理になると考える。この時明らかにせねばならぬことは、党執行部の権限論を含めた組織論であろう。党執行部の公正な選出方法、選出された執行部の権限をいかようにどの辺りまでどの年限まで認め合うのか、これに各種機関、組織が如何なる態様で集中し合うべきなのか、その際の「見解の自由、異論、異端、分派の在り方はどう認められ制約されるべきか」、このテーマは党派組織論としての「規約論」に収斂する。これらの課題につき未だ明確には考察されていないように思われる。 次に、党派の実践運動段階にいたる。ここに合理的な機関運営の仕方の創出工夫、これが次の公理になると考える。その一つとして、機関民主主義の問題、二つとして理論部と実践部の分掌統合化の問題、三つとして他党派とのあるいは国際的な共同戦線の在り方の問題、四つとして大衆的団体との関係づけの問題、五つとして革命的党派運動には必ずまつわる大衆的前衛化と職能集団的前衛化の問題、六つとして革命的党派運動には必須の対スパイ対策、七つとして革命的党派運動には不可避の合法部と非合法部の在り方の問題、八つとして革命的党派運動に必ずまといつく白色テロルに対する抗戦戦略、赤色テロル問題、九つとして機関紙活動を含めたプロパガンダの要領等々、思いつくだけでもこれだけの問題があるように思われる。 何と驚くことに、我々の代になってもこれらについての理論的解明が大きく遅れているのではなかろうか。このことは、この間の左派運動が生死を賭けて闘い抜かれた割には、その内実はお粗末であったことを証しているように思われる。もっとも云うは易く行うは難しではあるけれども。 2003.5.1日再編集 れんだいこ拝 |
【「大人の組織論」について】 |
ところで、上記の話は組織論に収斂する。筆者からみて、これまでの左派運動の組織論は、あまりにも子供じみている気がしてならない。つまり、まだ大人のそれになりきれていないという意味である。俗に云う「民主集中制論」なぞはその典型であり、指導者もそれに従う党員もそれを良しとしていること自体、大人になりきれていない、ということを証左しているのではなかろうか。してみれば、「大人の組織論」とはどういうものを云うのか、以下考察して見たい。既に「自由、自主、自律」の作風での世渡りの大事さを述べたが、組織論の基本はこの原理に支えられねばならない。ここが「大人の組織論」かどうかの分水嶺である。この作風に立脚してなお且つ「見解の自由、異論、異端」をどう許容するのかが規約化されねばならない。団体内に「見解の自由、異論、異端の保証」のない団結なぞ本来意味を為さない。それは、言葉尻が違うだけで実質的に見て打倒されねばならない旧権力側の組織論でしかないから。 さて、この土俵の上で「民主集中制」が機能しなければならない。してみれば、「民主」を成り立たせる要件、「集中」を成り立たせる要件を手引き化し、具体的事例を積重ねていかねばならない。驚くことに、日本左派運動にはこのような意味での手引きがない。世界の左派運動にはあるのかどうかは知らないが。この段階のものに権力を取らせてはならない。それは、我々が自分で自分の首を締める愚に似ている。 この観点に立脚した社会の成熟度を「民度」と云うのではあるまいか。これに照らす時、日本の「民度」は決して低くない。と云うか、古代に溯(さかのぼ)り記紀が正統として記す大和王朝以前の出雲王朝御代になればなるほど寧ろかなり高いと云うことが見えてくる。但し、この歴史観は今のところ曙光期にある。通説の歴史観では古代に溯ればのぼるほど未開野蛮と教えられている。我々はこの虚構から逃れ、自前の史観を作り出さねばならないと思う。これは即ち、何を護り育てるのかと云う目的物をはっきりさせる為に必要な作業である。(以下、略) |
【「革命事業」について】 |
以下、革命もまた事業経営であるという観点から、この事業の盛んになる手法を探索していきたい。これまでの革命事業には、あまりにも経営感覚が欠如していたのではなかろうか。マルクス主義を前提にして以下考察して見たい。 マルクス主義によれば、労働者階級は次の時代の開拓人であり、人類が行き着いた階級闘争の最終的支配者となっているブルジョアジーの墓掘り人である。だがしかし、この営為は目的意識的に模索されるべき革命事業であり、「人類本史」の創造に至る道である。してみれば、労働者階級は自己の立脚する労働者階級である故に尊いものではない。即時的な労働者階級にとどまる限りそれは客観的評価の問題でしかない。労働者階級の歴史的使命を自覚し、その革命事業を担う向次的意識の涵養を伴ってはじめて労働者階級足り得る。ここに気づくことがマルクス主義を学ぶことのエッセンスである。 してみれば、マルクス主義的労働者階級意識とは、革命の事業家を自負していなければならない。この場合、事業家とは、仕事を責任を持って引き受け様々な艱難辛苦を乗り越える歴史的主体であることを意味している。従って、この精神を涵養しない左派運動、大衆運動は単なる反対運動であり、よくてせいぜい抵抗運動でしかない。この差には雲泥のものがある。 ここで話をずらすと、興味深いことに次のようなことが云える。世に零細、小、中、大の事業経営者がいる。彼らの精神こそマルクス主義的概念で云う労働者階級の歴史的使命意識により近く、いわゆる労働者階級こそ事業意識を持たず、の歴史的使命責任を担おうとせず、艱難辛苦から逃げ出し、その日暮らしに埋没しようとしているやに見受けられ、マルクス主義的労働者階級意識により遠い面がある。その理由は様々に考えられようが、歴史の皮肉といえば皮肉なところではなかろうか。 2003.9.13日 れんだいこ拝 |
【「人間の命の重さ」について】 |
以下、人間の命の重さについて考察しておく。「人の命は地球より重い」と云われるが、考えてみれば妙言である。人の命をどうやって何によって量るのか難しいところを地球の重さで量っているという奇抜さが面白い。ナンセンスと云えばそれまでであるが、他のどんな言い回しよりも意味が通じる点で秀逸である。なるほど、この言の通り「人の命は地球より重い」と弁え、我々は相互に関わり合うべきではなかろうか。 なぜなら第一に、人が成育するまでにどれほど手数と世話が掛かっているのか、思い起こすべきである。母親の胎内での十月十日の生活を経てこの世に生まれた人間生命は、他のどんな動物よりも自らの力だけでは生きていけない。第一目が見えるようになるまでにさえ数週間かかる。その後も1、2年オムツの世話にならねばならず、ハイハイからタッチへと移行してからも何かと危険から見守ってやらねばならぬ。やがて、保育園、幼稚園、小学校へと進むことになるが、この間家庭と地域と学校の相互協力なしには無事とはならない。やがて思春期を迎え自立期に入る。大学生活はその頂上であり、よほど恵まれたエリートというしかないが、ここまでに費やされた手塩の世話と愛情をどのように表現すれば良いのか。「人の命は地球より重い」、この短い言い回しの方ががよほど的確に射ている。 我々個々がこのことを知り、相互にこのことを認め合い、それでも衝突を余儀なくされる事態に遭って如何に対処すべきか、ここに大人の知恵が必要とされている。基本はあくまでこのように組み立ててみることが肝要ではなかろうか。 2003.9.13日 れんだいこ拝 |
【「十人十色」について】 |
以下、人間の「十人十色的個性」について考察しておく。人の個性が何ゆえ「十人十色」であるのか、科学はこれを未だ明らかにしてない。恐らく永遠に解明されないだろうが。そういう訳の分からないものではあるが、ひとまず「十人十色」を認めてこれを尊重しあう処世法が必要ではなかろうか。個性は互いに反発しつつも案外と補足しあっており、絶対にこの個性でないといけないというものではない。このことを知ることが肝要ではなかろうか。 個性とは「取り柄」でもある。銘々が自分の人格を磨いていくならば、どれ一つとして不要な個性というものはない。むしろ、種として貴重な「取り柄」ばかりではなかろうか。このことを知ることが肝要であるように思われる。政治運動の場合、この「取り柄」が際立ち、ある見解を廻って抜き差しならないことがまま起る。この場合でも、最低限認め合い配慮しあう原則が確立されねばならない。「大人の組織論」に立脚せねばならず、「命の重さ」を知らねばならない。 結局、歴史弁証法を信じる立場からの「自由、自主、自律」精神の不断の涵養と配慮、そこに基盤を持つ協働性、集中制、年限制、公開制、権限制等々の理論と実践を生み出すことが望まれている、ということになる。これに反する理論及び実践を疑惑する能力が望まれている、ということになる。 2003.9.14日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)