別章【組織論検証】
組織論において決定的に遅れているという認識での再生 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.8.20日
(れんだいこのショートメッセージ) | ||
日本左派運動にいつしか染み付いた陰気性は左派運動の本来のものではない。まずここを確認せねばならない。六全協以来、宮顕が性懲りもなく党中央を壟断することによって、真相隠蔽、お茶濁し、詭弁、歪曲、すり替え、偽造、警察的管理統制がそれこそ左派的有り方として影響を行使し始めた。事情の分からない者は、小難しく理屈をこねる技術に習熟することこそ左派的成長の指標と勘違いしてきた。 れんだいこはここに、「一切ウソだい」と指弾しておく。左派運動は人と人とのより合理的協同を目指すものであり、この運動に参画する者にとって生活的に貧であれ当面富であれ、まずもって楽しいものでなければならない。類的協同性によって必ずそうなる。その逆現象が起るということは、指導者が左派運動と無縁のものだからである。かく認識せねばならない。なかなか理解されないが。 志賀義雄氏の「日本革命運動の群像」に次のような興味深い記述があったのでこれを掲げる。
フルシチョフその人をどう評価するのかは別として、フルシチョフのこの指摘の正しさ、それを強調する志賀義雄氏の観点の正しさを見なければならない。ちなみにこの反対のことばかししてきたのが宮顕である。同じく志賀が次のように指摘している。「六全協」の翌年1957.3.14日における党本部での講演である。
宮顕を意識した批判であることが一目瞭然である。しかし、歴史の歩みは、こういう言辞を為していた志賀の方が党を追われ、根っからの背教者宮顕の方が確固不動の地位を得て今日まで党中央グループを形成している。今や、その後継者不破が党中央の高みから公然と反共宣伝に精出すのが最後のご奉公とばかりに云いたい放題の胡座(あぐら)をかいており、党内も又相応しくというべきか白け調の満場一致を繰り返している。 れんだいこが思うに、この党中央は批判されるにすら値しないのではなかろうか。むしろ我々自身が新運動を創出すべきではなかろうか。その為に、反面教師として日共組織論を他山の石化させた新組織論の構築から始めるべきではなかろうか。日共をしたり顔で批判して事足れリ的な運動は、そのこと自体が日共に依存した運動であることを物語っており、我々は最早一刻を争ってそういうレベルを超さねばならないのではなかろうか。この観点から、以下組織論の見直しに入ることにする。 2006.6.21日 れんだいこ拝 |
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研究著作本 |
(私論.私見)
「スターリン主義者が、分派活動を蛇蠍の如く罪悪死すること、カトリック教徒が姦通や堕胎を罪悪死するにもひとしい」(田川和夫「日本共産党史」)