第10期その2 | 戦後学生運動の考察/90年代の学生運動 |
(最新見直し2007.6.18日)
これより前は、「第9期その3、戦後学生運動の考察/80年代の学生運動」に記す。
第52部 | 90年当時 |
第53部 | 91年当時 |
第54部 | 92年当時 |
第55部 | 93年当時 |
第56部 | 94年当時 |
第57部 | 95年当時 |
第58部 | 96年当時 |
第59部 | 97年当時 |
第60部 | 98年当時 |
第61部 | 99年当時 |
(1990年の動き)
90.6月現在、70年の海老原事件以来のゲバによる死者計83名。70−1、71−5、72−2、73−2、74−11、75−20、476−3、77−10、78−7、79−8、80−8、81−2、82−1、83−0、84−0、85−0、86−2、87−0、88−1、89−3。党派別の死者は中核派による革マル派殺害46名、解放派による革マル派殺害23名、革マル派による両派殺害15名、その他2名。但し、重傷負傷者数も調査されねばならない。
1990.赤軍派(プロ革)消滅(?)。
(1991年の動き)
1.17日湾岸戦争勃発
4.26日海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾へ
(1992年の動き)
6.15日国連平和維持活動(pko)協力法成立
読売憲法問題調査会が第一次提言
11.23日社会主義労働者党から、新しい労働者党をめざす全国協議会(ワーカーズ)分裂。
野坂失脚。ソ連共産党の保管文書から、野坂が戦前、同志を密告し、銃殺に至らしめたとされる手紙が見つかった。除名された。翌93.11月に101歳で亡くなった。
(1993年の動き)
衆院選挙前、自民党の羽田.小沢派の43名が離脱、新生党を結成。竹村正義ら10名も自民党を離党して新党さきがけを旗揚げ。
8月細川連立政権成立
(1994年の動き)
6月村山内閣成立
7.20日村山首相、衆院本会議で自衛隊は合憲と答弁
11.3日読売新聞が憲法改正試案発表
(1995年の動き)
1月阪神大震災
1995.11.30 よど号赤軍、田宮高麿死亡
12 建党協議会より建党同盟分裂
◆96年5月14日、横浜市青葉区で革労協(挟間派)の十数人が、革マル派の国学院大生ら数人を鉄パイプで殴り、1人を殺害、6人に重傷を負わせた。
(1996年の動き)
(1997年の動き)
5.23日超党派の憲法調査委員会設置推進議員連盟(憲法議運)発足
9.23日日米両政府が新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)を決定
11月山一證券破綻
(1998年の動き)
(1999年の動き)
5.24日ガイドライン関連法成立
6.6日建党協議会、ワーカーズ、『国際主義』編集会議などとともに「共産主義協議会・未来」を発足。
6月赫旗派、日共ML派と統合。労働者共産党結成。
7.29日衆参両院に憲法調査会を設置する改正国会法成立
10月自自公連立
(2000年の動き)
1.20日衆参両院の憲法調査会が発足
4月自公保連立
これより後は、「第9期その5、戦後学生運動の考察/00年代の学生運動」に記す。
(私論.私見)
※陶山健一・・・・父親は名古屋商工会議所会頭を長年務めた。小学校の時、母方の実家に養子縁組された。左翼運動に走ったのは東大農学部入学後。卒業後は農林水産省に入ったが、懲戒免職処分となった。「岸本健一」の名で論文を機関紙に発表。。また海老原事件の後、革マル派との調停に動いたとされている。97年1月14日、京都市内の病院で死去。