【はじめに(「物語り戦後学生運動論」上宰事由)】

 更新日/2025(平成31.5.1栄和改元/栄和7)年4.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 本サイトで、筆者が青春時代に関わった学生運動の今日的総括をしてみたい。難事ではあるが誰かがやらねばならないだろう。誰もやらないなら私がやる。そうしてでき上がったのが本サイトである。ご意見、批判、評価等々聞かせてたもれ。

 2008.8月現在、学生運動ないしは学生運動論という項目でネット検索してみても、できの良いのはれんだいこのそれが出て来るぐらいで、後は散発的なものでしかなく、通史として読み取れるものはない。これは至って貧困な現象ではなかろうか。筆者のそれは、あくまで試論としてのそれであるが、意欲的に新たな観点を提示している。これに立ち向かってくる他の試論がないのはどうしたことだろう。それでいて各自も党派も千年一日的な政治的立場を保守している。こういう閉塞現象をこそ打破すべきが左派精神ではないのか。と云っても馬の面に念仏かも知れない。

 ならば、願う事は、左派圏諸君は、どうせその程度の知力、実践力しかないのなら、万ずに於いて小難しく語ってくれるな。筆者はその仕掛けに随分悩まされてきた。今はっきり断言できることは、それは皆なペテンの小道具でしかないと云う思いである。小難しく語る者を警戒せよ、これを、後に続く者への餞(はなむけ)の言葉としたい。

 2007.10.20日、2008.11.25日再編集 れんだいこ拝

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2008年現在、学生運動の灯はほぼ潰えている。仄聞するところ、中核派系の学生による法政大での闘争が聞こえる程度である。何でこのようなことになってしまったのだろうか。政治運動のみならず、政治評論さえ消えている。まともな言及に出会ったためしがない。この状況を打開する為に何をすれば良いのか、筆者はこういう関心から戦後学生運動史論を纏めることにした。

 れんだいこの学生運動論は、去る日の1999.12.1日より2000.2.5日にわたっての「さざなみ通信」投稿文の「戦後学生運動1、60年安保闘争まで」、「戦後学生運動2、60年安保闘争以降」、「戦後学生運動3、余話」で始まった。これは、「新日和見主義事件」解析の前提としての作業であった。その後、学生運動そのものを更に検証する為に「詳論戦後学生運動史論」を書き上げた。それが余りに長大資料的になり過ぎたので「概論戦後学生運動史論」を書き上げた。どちらも時系列的に検証している。

 これで良しとしたかったのだが、時期を相前後させてでもその時代の枢要な動きを纏め、学生運動に関わる範囲の政治運動全体の流れと純粋学生運動の動きに分けてコメントする方法も有益ではないかと気づいた。この観点から三部作目として「物語り戦後学生運動史」を書き上げることにした。その際、事件性よりも思想性を重視して流れを掴むように心掛けた。こうして、筆者の戦後学生運動史論三部作が完了した。

 でき上がってみると、「物語り戦後学生運動史」で一般的知識を深め、次に「概論戦後学生運動史論」、更に「詳論戦後学生運動史論」へと読み進めばより詳しくなろう。特徴として、戦後左派運動に於ける徳球系と宮顕系の根深い対立、新左翼の有能性と限界について留意して書き上げている。これにより左派運動の再生方途を処方箋したつもりである。後は、読者の反響を期待するばかりである。

 2008.9.17日 れんだいこ拝


 (筆者の上宰メッセージ)
 2008.8.10日、筆者は再び学生運動論に戻ってきた。ここで何をしようとしているのか、それを自己確認したい。ノスタルジアとして書くのはもう終わっているので、再度こうして学生運動論に戻ってきた訳を見つめたい。こたび出版までする運びとなった。その意味を確認したい。

 その理由は、現下の余りにも恐ろしいほどのお粗末な政治貧困に対する怒りではなかろうか。筆者の怒りは、政府当局者の政治貧困に向かうのみならず、それを批判する側の左派戦線にも向かっている。時代は革命を欲しているにも拘らず、革命側がそれを拒否している。それもその筈で、連中の処方箋は児戯的なものでしかなく、連中の云う社会を誘えば、全体に無責任の極みであるからして今より悪くはなっても良くはならない。主として旧社共系に対して物言っているのだが新左翼も本質的に変わらない。

 そういう連中は内心で能力と責任不足を知っているのだろうか、平素より情勢逆流に向けて棹差すことで延命しようとしているように見える。本質的に反共な癖に自らを左派圏に位置づけ生息し、革命情勢が近づけば逃げ出すのならまだしもこれに棹差し、真正左派の登場阻止に汗を掻いている。こういう按配の戦後60年を続けた結果、今や「無内容饒舌、失語症時代」とも云うべき現象が生まれている。

 日本左派運動のこういう作法は筆者の性に合わない。革命やる気がないなら端から左派気取りせねば良かろうに。そもそも近寄らねば良かろうに。やる気があっても創造する社会に自信がないなら、自信の持てる青写真を生み出せば良かろうに。その中間に位置したいなら左派ポストを明け渡せば良かろうに。筆者は断然革命派として自己形成し、革命の青写真をたぐり寄せ、社会の処方箋作りに情熱を捧げたい。更に、左派運動が蓄積型になり世代継承して行けるものにしたい。能く学び能く実践し日々を得心できるものにしたい。その為の前提として学生運動論から入ろうとしているのではないのか。うん、そう思う。この気合いなくしてはできるものではなかろう。 

 ところで、現下の左派運動全般、学生運動も然りなのだが、真紅の革命精神を持ち続ける側の元気のない現下の本質は何に由来しているのだろうか、それなりの原因があると考えている。当然一つの理由ではなく複合的な諸理由により今日あるべくあると思われるが、最大の要因として理論の貧困が今日の惨状をもたらしていると考えるべきではなかろうか。筆者はそう考えており、学生運動史を検証しながら、どこで歪んだのかを見つけ、在るべきレールに乗り換えさせ、新たなる流れを見てみたいと思っている。その為に学生運動論を上宰せんとしている。筆者の学生運動論は、失くした宝物を思い起こして取りに行くような気持ちで始まっている。なぜ、こんな事になってしまったのか。胸に手を当てたり足を組み替えたりしながら考えてみたい。

 現下の政治は、筆者の青年期のそれよりも甚だしく腐敗しており狂っている。私が年取ったから昔日を懐旧しているのではなく、客観的に世の中が悪くなっていると思っている。第一、社会がせせこましくなった。第二に、未来に明るさが見えない時代になった。こんな時代に相応しいかのように、青年が目先のことしか考えない、金儲けのことしか頭にない自己中な者が増え過ぎている。そういう社会には明日はなかろう。これは、歴史の教える経験則である。ならばどこをどう変えるのか、改良するのか、闘うのか、これが肝腎だ。目指すものは人様々であって良かろう。良くないのは、何かしようと云う気持ち自体がないことだ。世の中を良くしようと云う気持ちのない人間は往々にして姑息な小悪事に耽る癖がある。今こういう小悪事屋が増えつつある気がしてならない。上が結構な手本見せるから、下がそうなるのだろう。筆者は、この風潮に棹差したい。

 もう一つ、筆者は歴史の摂理を信じる。仮にこれを歴史神と云おう。この神は、悪事屋には加勢しない。むしろ、悪事屋に負かされても痛めつけられても、健気に頑張る者に手を差し伸べる。だから世の中辻褄が合っている。三日や三年では分からないが、十年となると神の加勢があるのとないの差は目に見えて分かるようになる。そう考えている。故に、もっと神の加勢を得ながら、世の変革に立ち向かいたい。但しだ。当人がそう思っていても、理論と実践が間違っていたら神は加勢してくれないだろう。むしろ、意見したり手入れされるのがオチだろう。だから、意見されたり手入れされた時、過ぎ越しこの方を考え、呼吸を整えながら戦列を組み直す機会としたい。そうやって、何度も何度も蟷螂の斧を振り下ろしたい。

 2008.8.16日 れんだいこ拝

【上宰事由1、若松監督「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」に続け】
 2007.8月、若松孝二監督が最新作として「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を制作し、それなりに各地で上映されていると云う。筆者は、2008.6.4日、観る機会を得た。

 どの程度実録であるのか議論されているようだが、若松監督のこの営為が称えられるべきではなかろうか。むしろ、これを契機に、かっての学生運動の名場面を採掘する動きを奨励したい。特に採り上げるシーンは、戦後直後の勃興期の学生運動、1951.5.1日の血のメーデー、その直後からの山岳武装闘争、60年安保闘争、60年代後半の新左翼各派の運動、60年末の全共闘運動であろう。これらのフィルムを編集して貰いたい。筆者は永らく待望している。風邪を引いたときのカンフル剤、気が滅入った時の元気剤として重用したいと思っている。

 しかし、これをどう描くかが肝腎であろう。筆者は、無条件的讃美も批判も相応しくないと思っている。願うらくは、過去そういう運動があったと云う実存的史実の確認と、今日時点でこれをどう評するべきかで生産的な議論を呼ぶような構成にして貰いたい。

 追伸。2008.11月現在、かっての学生運動家の今日時点に於ける闘いとして結節している「9条改憲阻止の会」を通して、かっての闘いを、藤山顕一郎監督が「We命尽きるまで」に編集し、大阪市淀川区の第7芸術劇場で上映されていると云う。こういう動きが加速されねばならぬだろう。

 2008.2.25日、2008.11.10日再編集 れんだいこ拝

【上宰事由2、日本左派運動内のもつれた糸を紐解く為に】
 筆者がこたび、戦後学生運動史論を書き上げるに至ったのは、手前味噌ながら「れんだいこ史観」に則り学生運動史を見直したいと思ったからである。「れんだいこ史観」によると、既成の解説本は役に立たない。史実検証的なところは取り込むなどして学ばせていただくことができるが、著者の評価的なくだりはバッサリ切り捨てるしかない。「れんだいこ史観」と市井の評者のそれはそれほど隔たっている。そういう新たな視点に基づく学生運動論を提起したいと思う。

 その前の確認作業として学生運動史を綴り続けてきた。そういう折の2008年元旦、社会批評社の小西さんとネットメールで年賀挨拶を交わした。この時、「対話物語り学生運動史」の上宰を着想し、お盆の頃までに書き上げる旨表明した。さて、どう纏めるかである。こう書きながら今も思案している。筆者は既にネット上に「戦後学生運動考」をサイトアップしている。これを資料として、要点整理のような形で纏めることもできる。これなら割合早くできる。しかし、そういう風に、既に書き上げたものを単にブック化するより、今までの書き付けを踏まえての新たな学生運動論を書き上げてみたいと思う。こうなると、お盆の頃までにやっとできるかどうかになろう。しかしやるなら、そういう形でもう一汗掻いてみたい。

 学生運動論になぜ拘るのか。それは、筆者の青春時代、僅かな期間といえども、掛け値なしの感性で自身が没頭した生命が宿され今も息づいているからである。あの時、マルクス主義的な観点を得た。これは貴重であった。他方逆に、そのステンドグラス的メガネを掛けたことにより却って曇った面、失った面もあるような気がしている。マルクス主義的観点を受容したことにより社会に妙な拘りを持ち、保守的ながらも日本社会が伝統的に愛育してきている善良なしきたりに盲目となり、それがその後の筆者の人生を妙に屈折ないしは半身構えにさせたかも知れない。

 その汚れを落としながら、必要なものは継承しつつ新たな観点を模索し続けているのが現在の筆者である。今もその途上にある。そういう風に形成されつつある「れんだいこ史観、れんだいこ思想」を更に練る為には、その原基とも云うべきかの時の学生運動の当否の確認作業を為さずには問題が明確にならない。これが、こたびの学生運動論執筆の理由となっている。その結果として、端的に2008年現在の日本左派運動の余りにもな逼塞情況に打開の道筋を生み出したい。筆者が見立てるところ、日本左派運動はもつれにもつれた糸で身動きできなくされており、筆者以外には誰も解けない気がする。これが、筆者の学生運動論執筆の理由となっている。大言壮語かどうか、それを読んでみてからのお楽しみにして欲しい。

 2008.2.25日、2008.7.2日再編集 れんだいこ拝

【上宰事由3、大獄秀夫氏の「新左翼の遺産」を踏まえて】
 2008.8月、大獄秀夫氏の「新左翼の遺産」(東京大学出版会、2007.3.5日初版)を手に入れ読了した。筆者の学生運動論に取り入れられていない新たな情報、資料があり、これを挿入した。50年、60年次代の学生運動の西欧のそれとの比較検証は斬新で為になった。そういう意味で功績が有り良書であるとは思う。

 但し、大獄氏の分析観点は既にステロタイプなもので、筆者の学生運動論がネット上にサイトアップされ世に出ている以上は、これを塗り替えるものでなくては意義が減じよう。大獄氏はこれを知らないように思われるので、今度は逆に筆者が「対話物語り戦後学生運動論」を市場投入することにより大獄氏の批評を請いたいと思う。これを契機に関心者が共同テーブルに就くことを願う。

 2008.9.3日 れんだいこ拝

【れんだいこ見解】
 ネット検索で「歴史としての60・70年代 今井公雄 (作家) '93年6月」を見つけ、期待して読んだが、期待以上のものではなかった。依然としてことの周辺を撫でているに過ぎない、そういう感想を持つ。れんだいこは、佐々の履歴と人品骨柄を全く信用しないのだが、佐々の指摘する「左派運動内に於ける過去の左派運動の内部的総括ができていないのではないか」の指摘を正当と受け止めている。佐々が待ち望んでいると云うのなら、れんだいこが応えてやろうという気概がある。それは、佐々の履歴と人品骨柄を痛打することになるだろう。

 それはともかく、日本左派運動が戦後左派運動の総括をしないのは、しないのではなくできないという情況を確認せねばならないだろう。なぜできないのか。それは、余りにももつれており、未だ自縄自縛のうちにあり自力では紐解けない故と見立てる。れんだいこは、それを解く為に格闘している。ほぼ解き得たと自認している。

 この観点から、2009.2.25日、「検証 学生運動 戦後史のなかの学生反乱 (上巻)」(社会批評社)を上宰した。追って下巻を発刊するつもりである。評判が気に掛かるが、その前に読まれねばならない。どの程度読まれるのか、関心を持っている。今はそういう状況にある。読めば分かるが、れんだいこは、日本左派運動の自縄自縛のもつれを様々な角度から指摘している。指摘するだけでなく、下巻では処方箋をも提起しようと思っている。従来の学生運動論、左派運動論の歩幅を大きく広げているが、問題は、この試論が議論されるのかされないかにある。かなり多岐にわたって論点を打ち出しているのだが、これらが議論されないとしたら、病膏肓に入っていると見るべきではなかろうか。

 2009.3.3日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評353 れんだいこ 2008/01/09
 【戦後学生運動論再考】

 今、戦後学生運動論を著したとしていかほどの価値があるのか分からない。一つはノスタルジアとして検証してみたい。一つは、現下政治の貧困の根源を探りに、学生運動史の経験から突き当たってみたい。一つは、戦後左派運動の捩れを解きほぐし、本来こうあるべきものへと転換させる契機としてみたい。

 既に、戦後直後から1970年安保闘争までを「戦後学生運動論」
(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/top.htm)
としてサイトアップしている。細かい点での詰めができていないが、運動質の時期に応じた分類の上資料集として書き込んでいる。ただし膨大になっているので、コンパクトにして簡潔にして要領を得たものを別に書き上げてみたいと思い、「戦後学生運動略論」を新たに作った。


 関心の有る者に参考にしていただけたらと思う。問題は、れんだいこの観点を随所に入れてみたいのだが、これがかなりの難事で、今後もどんどん書き直さねばならない。あるいは付け加えねばならず、そういう訳でいつまで経っても未完成になる。

 しかしながら、未完成であろうが、誰かが、こういう風に叩き台を作らないと議論にならないだろうから、試作として提供しておく事にする。願うらくは、ご意見ご批判賜り、もって思案を深め、客観記述の正確さと主観記述が見事に調和するようにしたいと思う。

 れんだいこの処女出版とする予定であり、練りを入れる為に今から各方面各位のご協力を賜りたいと思う。全くナンセンスと云われれば、その趣意と論旨を咀嚼し、氷解するまでの間暫し腕組みしてみたいと思う。

 以下、内容を晒しておく。

【れんだいこの戦後学生運動区分論】
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/kubunron.htm 
「戦後学生運動1、戦後から60年安保闘争まで概略」
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/1_60anpotosomadegairyaku.htm
「戦後学生運動2、60年安保闘争以降64年まで概略」
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/gairyaku3.htm
「戦後学生運動3、65年から70安保闘争直前69年まで概略」
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/4_70anpotosoikonogairyaku.htm
「戦後学生運動4、70年安保闘争以降概略」
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/4_70anpotosoikonogairyaku.htm
「戦後学生運動5、余話」
 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/3_yowa.htm

 願うところは、貧者の一灯となるようなものにしてみたいということか。最近、こういう書き物が滅法少ないので却って新鮮ではなかろうか。趣旨御意の方、ご遠慮なく叱責賛辞頼みます。

 2008.1.9日 れんだいこ拝

Re:紹介ありがとう。ついでにコメントをば れんだいこ 2008/09/05 01:08
 えこねさんちわぁ。れんだいこでは行き着けない情報有難う。とりあえず御礼をば。

 それはそうと、れんだいこは今まで夢中で学生運動論の見直しをしていました。あんまり膨大だと読み疲れするので、それは資料として使い、別に簡便にして要領を得たものを作ろうと思っております。なぜこれが必要かと云うと、現代日本は、政治がどのように酷いものになろうと闘う技と術を持っていないと痛切に感じるからです。それというのも、学べば学ぶほど自縄自縛でベッドに括りつけられてしまうような規制見解が流行っており、そういう見解が威勢を持つだけ政治貧困を促しつつあると感じるからです。

 どこがオカシイのか、原点から切開しない限り闘えない、そう思うからです。これを為すのは難しいのですが、誰かがこのもつれた糸をほぐさないと闘えないと思っております。闘いに出向いた者が学んで引きこもりさせられるようになるなんて、どこかおかしいのです。犬死も嫌だけれども何もしないのが一番と引きこもりに誘われるのもオカシイのです。

 そんなことを考えて、昔みたいに素直な感情で立ち上がれるような、それが楽しい充実した日々となるような闘いの理論を再構築したいと思っております。あっ何でこんなことを書いたかと云うと、どうもプロレタリアと云う概念による闘争論がうそ臭いと思い始めているからです。あんな理論を媒介させなくても我々は闘えるし、これまで戦いがあったし、闘わなければならないと考えております。というようなことでまた。

 従軍慰安婦については、そういう仕組みとか制度を告発するのは当然です。しかし、戦勝国特権として現地婦女をレイプしたり押し込めたり虐殺するのはもっと悪いのです。そのもっと悪い方への怒りを持ちながら従軍慰安婦問題を告発しないと自然ではない気がします。

 戦勝国特権としてのしたい放題は現に今イスラエルがイスラムにし続けております。連中は、建国以来酷いことばかりしております。人はナチスを批判するけれども、ならば現に今進行している非道を告発しないでどうするぞ、れんだいこにはそういう気分があります。これを告発しない詩人のヒューマニズムを信用いたしません。そういう手合いの満腹コメンテーターが多過ぎます。従軍慰安婦問題から連想するのはそういうことです。こういう考えオカシイですか。

 2008.9.4日 れんだいこ拝

【学生運動の現代的な意義を問う動き考】
 2019.10.9日朝日新聞記事、大内悟史「全共闘から50年 当時を振り返りつつ、若手研究者の新たな視点も」。
 現代的な意義問う若手研究者も
 アンケート形式で当事者の声をまとめた1994年の『全共闘白書』から四半世紀を機に、現在直面する医療や介護などの質問と回答を加えた『続・全共闘白書』(情況出版、11月刊行予定)の準備が進む。9月に都内で中間報告があった。編集者の前田和男さんによると、8月末時点で約120の大学・高校の闘争体験者から約450通の回答があった。「あの時代に戻れたらもう一度参加するか?」との質問には約3分の2が「また参加する」。25年前の55%より増えたという。憲法堅持の人が大半を占め、日米安保条約や自衛隊の海外派遣には反対――。70代になった体験者たちは政治的立場を変えず、ボランティア活動への参加意欲は世代平均よりも高い。「往時の思いを持ち続けており、老いても意気盛ん」と前田さんはみる。元東大全共闘関係者らの「68・69を記録する会」は東大闘争資料集の増補改訂版を完成させ、ビラや裁判関係の資料など約5400点、1万3千ページをDVDに収める。10月には『東大闘争から五〇年』(花伝社)、『歴史のなかの東大闘争』(本の泉社)と出版も相次ぐ。69年1月の東大安田講堂をめぐる攻防戦を前に、大学当局と主に全共闘以外の学生代表が交わした「確認書」を重視。学内の現実的な改革を訴えた立場から当時の学生運動を振り返る。

 現代的な意義に着目する若手研究者も出てきた。関係者44人の聞き取りをもとに『東大闘争の語り』(新曜社)を昨年出した社会学者の小杉亮子さんら若手3人を編者に今年2月、論集『運動史とは何か 社会運動史研究1』(同)が刊行された。2冊目も年内刊行をめざし準備中だという。当事者の多くは、内ゲバや就職で運動を離れた。沈黙が続く中で歴史社会学者の小熊英二さんが09年に、全共闘を日本社会の激変期における「自分探し」と分析する『1968』を出し、議論が広がった。小杉さんは「11年以降の脱原発や安保法制反対のデモでは、暴力や組織動員に頼った過去の運動との違いが強調された。でも授業阻止や建物の占拠といった今では過激とされる行動も含め、秩序や権威に対する異議申し立ての感覚を、時代を超えて覚えておかなければと感じた」と話す。

 『運動史とは何か』の編者の一人、松井隆志・武蔵大学准教授は、編集後記で「ノスタルジー」ではなく、「未来を築くために過去に潜ること」とつづった。小杉さんは「戦後日本では、自主的で主体的な望ましい市民の姿が理想化されてきたが、市民社会の担い手の姿はもっと多様で豊かなはず。まずは地道な社会運動の記憶を継承する必要があるのでは」と話す。

 東大と日大の全共闘の2万点に及ぶ資料の整理を進めてきた近現代史研究者の荒川章二さんは「半世紀という時間は、歴史学で客観的な研究をするために必要な時間だった」とみる。学生運動は左翼党派の関与が強く研究が難しかったが、全共闘のように党派の縛りが比較的弱い関係者が語り始めているとの見方をとる。「個人の主体性を重視し、平和や学問、人生などについて根源的な問いを噴出させた当時の運動は、その後のアジア諸国の政治的社会運動の先駆でもあった」と指摘し、今後の研究の進展に期待を寄せる。
(私論.私見)
 私の労作に対する言及無視がいつまで続くのか分からないけど、そのような精神では大したことはできまい。余計な指摘だとは思うが一言しておく。




(私論.私見)