れんだいこ |
それでは喉を潤したところで早速インタビューに入らせて頂きます。もっともれんだいこはインタビュァにしてはよくしゃべる癖がありますのでご容赦を。田原(総一朗)顔負けの突っ込みも激しく入ります。なんとならば、当り障りの無いこと尋ねても面白うないし、島さんもそういう風なの望んでいないと思われます。そういう訳で、ご堪忍のほどをね。以上あらかじめ述べておきます。
さて、ブント運動は戦後学生運動のエポックを為しておりますが、島さん今日から振り返ってみてどんな感慨でせうか。 |
島 |
そうさなぁ。不思議なことに後悔している者はいないのではないか。そりゃぁ、各自その後の人生に影を落としたことは事実だ。這い上がりよじ登った者も、その重圧を引きずった者もいろいろだろうが、それぞれ皆少なくともあの日あの時あるいは一連のシーンを懐かしむ者は居ても、悔いる者はいない。そう思っている。不思議に妖気に明るいんだわさ。 |
れんだいこ |
それがブント運動の良さだったのでせうね。御一同さん、そういうことで宜しいのでせうか。 |
再来生田 |
今日から見て思うことは有るが、カラッと明るかったのば事実だな。それは何よりトップリーダー島さんのキャラクターに負っていたのではないかな。 |
ト書き |
座の一同首肯。 |
れんだいこ |
ところで、ブント運動の最高指導者を島さんとすることは異存ないところですが、当時のブント運動はそういう最高指導者により組織されていたのではなく、そこが島さんらしいところですよね、最高指導部はトロイカ体制で運営されていたのではないでせうか。この点、島さんはどういう風に認識されていたのでせうか。 |
島 |
うーーん、責任は感じていたが、合議制を重視していた。ブントが日共から分離する際の一つの基準として各員の自律的結社化というのがあったからね。俗に云われている(統制的に捻じ曲げられた)民主集中制的組織論に拘束されない左派運動を目指すというのがブント運動の始発にあった。そういう意味では、指導者の専横的采配は俺も含めて無かったのでは無いかな。 |
れんだいこ |
なるほど。但し、島さんのキャラクターとしてそういう組織論の方が好みでも有ったということでもあるんでせうね。 |
ト書き |
座の一同の中から思わず笑いを漏らす者も出る。 |
れんだいこ |
でも、ここは大事なところですよね。ちなみにれんだいこは、ブント運動を総称して、後にも先にも無い日本左派運動におけるルネサンスを脚本演出したと思っております。加えて、指導者としての島さんの急進主義者ながら繊細にしてノーブルな影響を受けているように思います。目茶素晴らしいですね。まっこの辺りで感動してたらきりが無いので先を急ぎます。 |