4288 大本営参謀本部の指揮能力考

                                                                              



42881 陸軍考
42882 海軍考
42883
42884 大本営参謀本部
42885 大本営発表の虚実
42886
42887 ゼロ戦、戦艦大和考
42888 人材登用考
42889 毛沢東の指揮能力考




(私論.私見)



陸軍と海軍は別々の国家の軍隊のようなものであり、共同作戦を行う場合にのみ協定を締結して事に当たった。協定が無い戦闘はそれぞれ別個の戦争となった。戦果の発表も「大本営陸軍部発表」とか「大本営海軍部発表」となり、共同作成の場合のみ「大本営陸海軍部発表」とした。


(小室直樹「日本の敗因」)より。

皇軍不敗の神話では、日本軍は絶対に負けてはならない。負けた戦闘では、何とか取り繕って勝ったことにするか、それすら出来ないときには伏せておくことにした。負けたときも不屈の精神で盛り返した、と諭すドイツの教育とは、えらい違いである。皇軍不敗の神話は、「皇軍無謬の神話」と「天皇の絶対性」と、分かち難く結びついていたことに特徴があった。この三つが三位一体となって、戦前戦中の日本社会を支配していた。


 東条英機元首相の略歴を記します。

1884年 東京に生まれる
1905年 陸軍士官学校卒業
1935年 関東軍憲兵司令官就任
1937年 関東軍参謀長就任。日中戦争では拡大論を唱え、内蒙古で中国軍と戦う
1940年 陸軍大臣就任。北部仏印占領
1941年 南部仏印占領。首相就任。太平洋戦争開戦
1944年 サイパン失陥をきっかけに辞職
1948年 東京裁判で絞首刑判決。12月23日、巣鴨拘置所にて執行

 彼の性格については、「勅命を重んずることは、他の軍人に比して格別だった」という木戸幸一元内大臣の発言があります。「カミソリ東条」とも呼ばれました。
 東京裁判(1946年5月3日−1948年11月12日)では、以下の訴因について有罪とされました。

訴因番号
 1   東亜、太平洋、インド洋地域支配についての共同謀議
 27   満州事変及び日中戦争
 29   対米戦争
 31   対英戦争
 32   対蘭戦争
 33   対仏戦争
 54  (主に捕虜に対する)戦争法規違反

 対ソ戦争(35張鼓峰事件、36ノモンハン事件)については無罪とされています。訴因第55の「不作為の罪」については、有罪とも無罪とも判定されませんでした。
 小林哲夫さんの指摘(6447番投稿)の通り、訴因第1の共同謀議については、罪を着せる理由にはならないと考えます。ですが、他の六つの訴因についてはかなりの責任があります。絞首刑も順当でしょう。