42884 | 大本営参謀本部 |
参謀本部は、天皇の持つ統帥大権を補佐する陸軍中央統括機関で、陸軍の最高作戦指導機関であった。
(私論.私見)
斉藤氏は、1905年の奉天会戦から1939年のノモンハン事件までの34年の間に大きな変化のあったことを指摘する。
A級戦犯の松井岩根陸軍大将は、処刑される直前、教誨(きょうかい)師にしみじみ語ったという。「私は日露戦争の時大尉として従軍したが、その時は、ロシア人に対してはもちろんだが、中国人に対しても、捕虜の取り扱いその他よくいっていた。今度はそうはいかなかった…武士道とか人道とか言う点では、当時とは全く変わっておった…自分が虐殺を叱るとあとでみなが笑った。ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえ言った」
奉天会戦時には、見事に考え抜かれた総合的な戦略構想があった。錬度の高い海軍との統合的運用、情報重視の戦術発想、機関銃や最高水準の武器へのこだわり、ロシア革命支援活動、開戦当初から終戦を意識した米国大統領への働きかけ、そして、国際市場での戦費調達・・・・。それに対して、ノモンハン事件はどうであったか。リアリズムのない全体戦略に始まり、情報軽視、機械・技術の軽視、白兵主義への過度のこだわり、東京との意志の疎通の悪さ、などの粗雑さを露呈する。
この間にあった変化とは何だったのか。
1,ジェネラリストの指導者を失った
明治の元勲たちの世代の特徴は、政治、経済、社会、教育、科学といった様々な面において責任を有するジェネラリストの統治者であった。
これに対して、新しい世代の軍人指導者層は、軍の高等教育機関で育てられた。欧米軍事先進国に追いつかなければ明日はないと言う焦燥感をもって、目先に役立つ軍事訓練に特化することになった。海軍兵学校長時代の及川古志郎大将はこう語っている。
「いまや日本が米英を敵に回して戦うようになった主因の一つは、陸海軍が戦闘技術ばかりを教育したからに他ならない。将帥をはじめ軍人にとって大事なことは、政治と軍事との関係がいかにあるべきかと言う正しい認識である。ところがこうした教育は全く等閑視された。・・・」
海外に目を転じてみれば、第一次大戦の時、フランスの首相クレマンソーは「戦争という重大なことを軍人に任せておけるか」という言葉を残している。また、イギリスのチャーチルの軍事に関する知識は、生半可な軍人が太刀打ちできないほどのものであり、第二次世界大戦において、陸海軍を統括して指揮し、完全な政治主導を貫いた。
明治の元勲亡き後、日本はジェネラリストの強力な指導者を失い、それを埋め合わせる存在を、軍人としても政治家としても育ててこなかった。
小才を育てたと言われる陸士・陸大の教育と、戦後高等教育の間には、間違いなく、通奏低音として、ある同じ音色が流れている。
2,高い道徳律を失った
イギリスの法学博士ジョン・マクドネル卿は、日露戦争中1904年にに発行された雑誌の中で次のように述べている。
「日本が軍事科学の成果を速やかに吸収したのが注目するべきことあとするなら、もう一つ、やはり注目に値することがある。それは、日本人がヨーロッパの戦争にまつわる最善のしきたり、礼儀、折り目正しさと言ったものを急速かつ完全に吸収していたと言うことである。・・・人間性とか人道とかといった名にかけて西洋が誇っていた圧倒的な威信は、もはやすっかり過去のものとなった。」
日露開戦の5年前に刊行された新渡戸稲造の「武士道」によれば、武士道とは、武士がその職業において、また、日常生活において守るべき道であり、武人階級の身分に伴う義務、すなわち、ノーブレス・オブリージュであった。この武士の道徳的規律は、武士以外の人々にも倫理的感化を与えた。
しかし、日本の工業技術教育の父と称えられる活躍をしたイギリスのヘンリー・ダイアーは、1904年「大日本」という大著を刊行した。彼はその中で、明治維新の後、道徳についての昔の考え方はあらかた消え去ってしまい、それに代わる明確な考え方が形成されていない、と述べる。
「ビルマの竪琴」の作者でもある知識人、竹山道夫は第2時大戦中の不祥事を生んだのは、昔の日本人を支えていた精神的体系が少しずつ崩れていったからであると語る。
終わりに
日本人の判断の問題点について
1,見通しの甘さと希望的観測について
中国は一撃でおとなしくなる。ドイツはイギリスを屈服させる、アメリカとイギリスは分断できる。こういった国家存亡に直結するような重要な判断が、根拠らしい根拠なく行なわれた。1885年に来日し、日本陸軍の参謀教育の基礎を築いたドイツ軍人メッケルは、日本の参謀の欠点の一つとして、現実に立脚しない安易な希望的判断を挙げていた。この参謀教育を受けた人々が、やがて甘い判断に基づいて日本を奈落の底へと導いていったのである。
2,ひとたび権威となった何々主義のようなものを無批判で信じ、大きな情勢変化があっても、根本から見つめ直すという態度が弱い。情勢変化について、無意識のうちに見て見ぬふりをしかねない。海軍の大鑑巨砲主義や陸軍の白兵銃剣主義がその典型である。戦後の選挙がすべてという暗黙の思考停止もその延長線上にある。
3,良識派の人たちの意思が力強い形で表れない。抵抗力が弱い。