ウェブサイトのリンクについて

 (最新見直し2006.10.31日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 時代の流れだろうか、今日では、「インターネット・サイトのリンクについて」について「要通知、要承諾」派は少なくなってきた。結構なことである。そんなもんで一々メール貰ったら、消すのに忙しくなるばかりでないか。手違いで大事なメールまで消してしまうでないか。れんだいこサイトは構わん、どんどんリンク、転載、引用してくれ。有り難いこっちゃ。難しいことイワンこっちゃ。

 2005.12.21日 れんだいこ拝

【インターネット・サイトのリンク考】
 インターネット・サイトのリンクについて、1・フリーなのか、2・事前許可制なのか、3・事後承認を要するのか、4・如何なる意味でもリンクお断りは罷り通るのか、の4手法に於いて是非議論が分かれている。

 れんだいこは、法文上はフリーと解するのが相当と理解している。実際にその趣旨を生かして、次のように明記している。
 リンク、引用・転載むしろ歓迎フリーサイト。同道人求む

 より簡潔に次のように記しているところもある。
 「リンクフリー・連絡不要」。

 あるいは次のようなスタンスのサイトもある。
 「このページはリンクフリーです。あなたのページにどうか張ってやって下さい。但し、張るのはこのトップページにお願いします。リンクを張る際に連絡する必要は特にありません。また、相互リンクしたい方はメールや掲示板等で連絡下さい。こちらからも張らせてもらいます。その時に下のバナーもよろしかったら使って下さい」(「幕末維新館」)。
 「掲示板,MLを含むこのサイトすべての一切の引用、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。引用もとを表示することを強制いたしません」(「阿修羅」)

 その他特段の明記の無い場合、リンクフリーを望んでいるとみなしてよいと思われる。

 しかし他方で、「法以前の問題」だとする気難しい系論理で私物的許可制、拒否制を導入しようとしている向きも見受けられる。次のように記している。
 「リンクは連絡なければ許可しません」
 「リンクにつき連絡ください」

 その他様々多様に表現されている。しかし、どういう基準でこれを諾否するのか明示されたものに出会ったことが無い。つまりは、「オラの所有物だからオラの勝手だ。相手先次第で許可したり拒否する」とでも云うのだろう。これを仮に「気難し屋型リンク許可制論」と命名する。

 そろそろこの問題も公理を確立する必要があろう。れんだいこが思うに、リンクフリー制度にして、リンクされた方が望まない場合に限り申し出制にして、リンクした方がその申し出を諾否する、というのがより自由・自主・自律精神的では無かろうか。つまり、「出口規制論」ということになるのかも知れない。否、それさえ不要とも思う。

 してみれば、現行許可制論者の「入り口規制論」は近代法以前の権力的統制主義に道を拓いているというか、復古しているのでは無かろうか。残念ながら、サヨ族にこういう手合が多い。連中の口先に拘わらず本質的な政治的ポジションがこういうところにも透けて見えて来るとしたもんだ。

 2002.11.27日 れんだいこ拝


Re:リンクフリーについて れんだいこ 2003/01/25
 今は名を秘すさん皆さんちわぁ。

> ちなみに、私が話題にしていた「追い出せ!強のトリ」のサイトはこれ。
> http://comcom.jca.apc.org/gounotori/
> 「追い出せ!強のトリ」の掲示板はこれ。
> http://bbs2.otd.co.jp/29472/bbs_plain

 少し覗きましたが、リンクフリー、著作権主張しないところが良いですね。れんだいこは今も考慮中ですが、サイトのリンクフリーは当たり前と思っております。それが出来ないような連中は、インターネット利用しないか、しても会員制パスワード方式のエンターキー制度にすれば良いのさ。晒すだけ晒して、許可しないとか、了解を要するとか、もったいぶるとかナンセンスだわ。だって、れんだいこサイトをリンクしていただいた場合光栄であって、それ以外に考慮の余地が無い、怒ることでは無いと思うからさ。

 でも、世の中には気難しいのがいるわな、了解も取らずに何をさらすか、訴訟も辞さぬという手合がいる。恐れ入りましたの鬼子母神で対応するけど、何考えているんだか。表見的に左派的な連中からこれやられたら、たまらんっす。

 掲示板に著作権を付与し、設置者に投稿文の著作権が委譲されるなどという主張は噴飯ものだと考えております。しかし、こういう傾向にあるようですね。そういう連中がリベラルだの左派だの自認しているのが滑稽で、精神構造を勘ぐりたくなります。

 れんだいこに云わせれば、要するに、そうやって互いに世間を狭くすることはないんだ。歌で気付いたけど、歌詩とかメロディーには著作権が認められているけど、曲名には著作権が及んでいないみたいやね。だって同じ題名のものがたくさんありますから。これは何を意味するかというと、著作権を限定的にしようということであって、なんでもかんでも著作権領域を増やせば良いものではないという嗜みだと思うんだな。

 その精神からすれば、掲示板の中に登場した文言などには著作権適用すべきではないんだ。それよりみんなもっと活用すれば良いんだわ。注意すべきは、引用とか転載とかには引用元の明記と内容を変更、歪曲しないというマナーが要るということで、これは何も権利侵害ではなくてマナー問題として捉えるべきだと云うことか。

 もう一つ、引用元とか題名が長過ぎる場合、あるいはリンク綱渡りで最終の題名に辿り着いている場合、これを要領よく纏めるのは可であり、その際は引用者の纏め能力が問われているということかな。実際、じゅげむじゅげむ云々の名の人士や長大題名が付いていた場合、これをそのまま引用明記するというのは却って面倒くさいというか不合理な訳だ。

 それでも何やら、一言一句変えたらあかんてな正義標榜人士がいたけど、連中って真面目に考察しているのだろうか。なぜだか昔の遣り取りを思い出してしまいました。

【検索エンジンのサイト紹介考】
 リンク規制論者は、検索エンジン各社による自動サイト紹介システムについても異議を唱え、諾否許可制を主張して無断リンクの非を咎めるつもりだろうか。それなら結構だ、首尾一貫してるわ。れんだいこの場合、グーグルやヤフーの検索エンジンで紹介されるのは光栄だと思ってきたので、そういう風に考えることが無かったが、著作権考しながらふと疑問が沸いた。

 リンク規制論者が仮に、検索エンジンのサイト紹介についてなら無条件了承するのなら、その法理を明らかにして欲しい。「サイト間のリンクは規制されるが、検索エンジンについては無規制で良い」とすることの解明であるが、れんだいこには解けないからどういう論理展開になるのか説明して欲しい。

 結論から述べると、気難しい系の者がせんでも良い規制を正義ぶってどんどん広げ深めようとするから、どんどんややこしいことになりつつある、それだけのことではないのか。恐らく、規制論者はその論法の赴くところ、サイト間のリンク規制の次には検索エンジンの規制に向かうであろう。断り無しに我がサイト紹介するのはケシカランとでも言い出すのだろう。何せ、法文は多ければ多いほど良い、箸の上げ下ろしにまでマニュアルつくらねば気が済まないとする連中であるからして始末が悪い。

 「世の中万事、極力の範囲を、非権力的大衆的に「自由・自主・自律的基準づくり」でやるのが一番良い」というのがれんだいこ見解だ。いくら少数派だとはいえ、人が住むのにそれほどややこしい仕掛けにはなっていないと思うから、この観点を変える気は無い。

 2003.5.9日 れんだいこ拝

【ウェブページのリンクおよびその他の利用について】
 後藤 斉氏は、ウェブページのリンクおよびその他の利用についてで、インターネットサイト間のリンクについて「リンクは自由である!、印刷媒体での言及も自由である! 、引用は公正な慣行に従って!、無断複製は違法である!」という観点から考察している。後者見解はともかくとして、リンクに就いてはこの観点が基本として踏まえられるべきではなかろうか。

【リンクはフリー見解その1】
 CRICマルチメディアと著作権でリンク問題がズバリ解説されている。手引きとして分かりやすく書かれているので、以下これを学習することにする。【無断でリンクを張ることは著作権侵害となるでしょうかについて】のQアンドAで、次のように回答されている。(重要論点箇所に付き、れんだいこがゴシックにした)
 リンクとはホームページをほかのホームページに結び付ける機能をいい、ホームページに飛び先を書き込んで、それをクリックするだけで目指すホームページにジャンプできるようにすることを「リンクを張る」という言い方をします。リンクを張ることにより、他人のホームページにある著作物に容易にアクセスすることができるだけに著作権侵害とはならないかが問題となります。

 結論を先にいえば、リンクを張ることは、単に別のホームページに行けること、そしてそのホームページの中にある情報にたどり着けることを指示するに止まり、その情報をみずから複製したり送信したりするわけではないので、著作権侵害とはならないというべきでしょう。

 「リンクを張る際には当方に申し出てください」とか、「リンクを張るには当方の許諾が必要です」などの文言が付されている場合がありますが、このような文言は法律的には意味のないものと考えて差し支えありません。ホームページに情報を載せるということは、その情報がネットワークによって世界中に伝達されることを意味しており、そのことはホームページの作成者自身覚悟しているとみるべきだからです。

 リンクを張られて困るような情報ははじめからホームページには載せるべきではなく、また載せる場合であっても、ある特定の人に対してのみ知らせようと考えているときは、ロック装置を施してパスワードを入力しなければ見れないようにしておけばよいだけのことではないでしょうか。

(私論.私見)

 小気味良く説明している。


【リンクはフリー見解その2】
 潟rークライン著作権Q&A(4)出版権についてでもリンク問題がズバリ解説されている。手引きとして分かりやすく書かれているので、以下これを学習することにする。【他のサイトにリンク設定することは、著作権法では、どの様に取り扱われるのでしょうか?】のQアンドAで、次のように回答されている。(重要論点箇所に付き、れんだいこがゴシックにした)
 著作権法での規定、現段階での(日本での)判例はありませんので、様々な見解が存在する現状です。なお、全てのホームページ、各ページが著作権法上の「著作物」とは限りませんが、一応著作物との前提でこの「Q」を記載します。

 基本的には、リンクという行為は他サイトのURLをHTMLデータに記載し、他サイトの情報を参照或いは他サイトの情報を利用する形にしたものです。URL自体は著作物とは言えませんので、URLという「事実」を記載することだけについては著作権法上の問題はないと言えます。また、リンクをして他サイトの情報を見ることを「複製」と解するには無理があります。

 問題は、他サイトの情報の「見せ方」です。自サイトのホームページの中で、他サイトの情報を「参照」することで、自サイトの情報の補強をする意味では「引用」に近いとも考えられます(従来の著作権法上の「引用」とは異なります)が、問題になるのは、引用、補強、参照といった概念を超える、利用の仕方、見せ方です。

 見せ方について、現にアメリカで、97年2月次の様な訴訟が発生しています。内容は、トータルニュースという会社が、新聞社などのWWWページのリンク集を作り、そのページに広告料をとって運営しているが、同社の「自サイトのフレームの中で他サイトの情報を表示」している=あたかも同社自身の情報であるかの様な錯覚を利用者に与えている点が問題となっている訳です。今の日本でも類似のホームページが存在することもご承知の通りで、この訴訟の行方は関係者の注目を集めています。

 さて、前記の訴訟の行方はともかく、フレームの中に他サイトの情報を表示することをどう解釈するかですが、ここで見解が様々に分かれてきます。著作権法での規定や判例という一定の基準がありませんので、「見解」になってしまうのです。

 以下は、当研究所の見解です。現在の著作権法で、前記のフレーム内表示を「複製」と解するには困難があります。他サイトの情報を自サイトのサーバ、HTMLデータにとりこむ訳ではないからです。一方、リンク先のページの著作者には、人格権があり、著作物について意図に反する利用に許諾を与えたり拒絶する権利があります。もっとも、この権利が「リンク」についてどの様に規定できるかとなると、微妙な点があることも事実です。

 つまり、リンクされる側では、各ページの制作意図にそって利用してもらいたい訳ですが、意に反する利用をされた場合、例えば、純愛を描いたページが猥褻なページにリンクされるとすれば、著作者の意図に反する場合がある訳で、この場合は人格権をベースに異議を申立ることになると考えます。

 しかし、ホームページは、リンクを通じて情報の共有を図るもので、著作物またその権利は、人類の財産として文化発展に寄与するために一定のルール下で利用ということからすれば、余りリンクに規制をかけることにも問題があります。

 従って、情報を公開する者は、自身のホームページに関し、どの様に取扱うか、取扱ってもらいたいかをページ上に明記し、逸脱する利用があれば異議を申立る、またリンクする側は明記された(=許諾されている)範囲の中で利用(=リンク)し、万一逸脱する場合は個別に許諾を得る形が望ましいと考えられます。


 ちなみに、当サイトでのリンクの取り扱いは、こちらのページに記載しています。
(私論.私見)

 前述「CRICのマルチメディアと著作権QアンドA」に比べればトーンダウンしているが、「臨機規制抑制論」を述べている。

「盗聴法について考える」Link Free
 次のような見解も参考になる。(重要論点箇所に付き、れんだいこがゴシックにした。読み易くするため、趣旨不改変の原則に従いれんだいこ責任で編集替えした)
 Link Freeこのページはリンクフリーです。

 こんな馬鹿げた事は無い。いや、リンクをしてはいけないというのではない、逆である。私が言いたいのは、リンクとは元々自由なものであるという事である。 リンクは、著作権法でいう「引用」に当たる。同法の条文を引用する。

(引用)
第32条(1)  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。
第32条(2)  国又は地方公共団体の機関が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りではない。

 ここで問題になるのは第32条の1項である。そう、リンクは勝手に行って良いのだ。無断のリンクを著作権侵害という人がいるが、とんでもない誤りである。

 確かに、引用にも限度がある。引用は元となる文や絵、音声などが「従」、それに対する評論などが「主」、つまり引用元より分量が多くなる必要がある。ネット上で簡単に見られるからといって、元となる文などを丸写しするようでは、確かに著作権侵害のそしりを免れない。

 しかし、リンクはむしろ逆である。何故ならば、それはあくまで出典の場所を示しただけで、それを丸写しした物では無いからだ。どこにリンクしているのか訳の分からないリンクを張るのは問題になるが、そうで無ければ全く問題は無い。引用する際には出典を明らかにする必要があるが、ネット上の文献を引用したい場合、文章をわざわざ写して出典を表示するよりも、原典のあるページにリンクした方が出典を明らかにするという著作権法の趣旨に合っている。また、引用した文献を直接確認出来るから利用者にとっても紙媒体に比べ、遙かに便利だし、手間取らない。リンクを張らずにこっそり悪意のある評論を書くページより、よほど良心的なのである。

 気に食わないページからリンクを張られるのは嫌だいうのは論外である。相手が悪戯や犯罪目的でリンクを張ったのなら別だが、そうで無ければ何処の誰であろうが文句を言ってはいけないのである。 そもそも“Link Free"とは何か。こんな熟語は英米には無い。和製英語なのである。「リンクとは許可を得るもの」という狭い認識と、何でも英語を使いたがる悪い癖が組み合わさって、こんな奇妙な熟語が出来上がったのである。わざわざ「リンクは自由ですよ」と告知する。冗談では無い、リンクは初めから自由なのだ。にも関わらず、こう告知して何やら恩恵を施しているような気分になるのは、全く愚かな事と云うしか無い。

●というわけでリンクについて

 と、いきなり喧嘩腰になってしまいました。とは言え、リンクに一々許可が要るという風潮に疑問を持っている事は事実です。本来リンクは自由なのですから、「Link Free」などと書く必要はありません。ただ、何も書かないと「自由なリンクを認めていないんじゃないか」と残念ながら思われてしまうおそれがあります。そこで、このような形で説明したのです。

 本ホームページの場合、リンクをして戴けるのであれば、当然許可も何も要りません。犯罪目的でない限り、大歓迎です。ただし、もしどこからリンクしたかを知らせて戴ければ、その方のページにお邪魔させて戴き、内容によっては相互リンクをさせて戴く事もありますので、余裕があればいつでもメールを下されれば幸いです(メールアドレスは一番下参照)。

 リンクは盗聴法関連はもちろん、個人的趣味(歴史・漫画・ゲームなど)などについても大募集中です。ただし、Tripodの規定により、18禁のサイトにリンクを張ってはいけないので、その場合はアドレス紹介のみとなります、あらかじめ御了承下さい。
●著作物の利用について

 本ページは特に断りがない限り、すべて私K・MURASAMEの著作物です。著作権法上の例外(先に挙げた引用や事実の報道目的での転載など)を除き、転載には著作権者の私の許可が必要です。また、本ページに収録された第三者の著作物を孫引きする場合、引用に該当するかどうか、原著作物にさかのぼってご確認下さい。

 余談ですが、ホームページの内容を論評される事を嫌がる方がいます。しかし、インターネットは誰からも見られる事を前提としており、「公表された著作物」である以上、法律の範囲内である限り引用や論評そのものを止める事は出来ません。 第三者にあれこれつつかれたく無い内容は、閲覧にパスワードでの制限を付けた上で論評しない事を条件にパスワードを発行する(つまり不特定多数に見られない様にして「公表された著作物」で無くしてしまう)等の防衛策を取るべきでしょう。単に注意書きを入れるだけでは法的効力は有りませんし、サーチエンジンを通して見に来た場合、注意書きのあるページを飛ばしてしまう恐れもあるからです。 (これについては岡村久道著『インターネット訴訟2000』ソフトバンクパブリッシング、税抜き2400円、ISBN4-7973-1323-4も参照)

●絵の引用について

 なお、合法な引用は文字に限られ、絵の引用は認めないとする風潮が漫画・アニメ業界などでは古くからあります。 しかし、著作権法三二条を見ましても、絵だけ特別扱いしている基準はどこにもありません。この事については、実際に裁判になっています。上杉聰氏が、著書『脱・ゴーマニズム宣言』の中で、小林よしのり氏の漫画『新・ゴーマニズム宣言』シリーズ(小学館他)のコマを引用しつつ批判を加えました。

 小林氏はこれに対し、
 被告書籍(引用者注:『脱ゴー宣』のこと)には、原告書籍の漫画のカットが採録されているが、原告書籍の漫画のカットを無断で採録したことは、著作権者の複製権を侵害するものである。
 採録した漫画のカットの一部に、漫画に描かれている人物の目に黒線を入れるなどの変更が加えられているが、この変更は、著作者の同一性保持権を侵害するものである。
 被告書籍の題名は「脱ゴーマニズム宣言」であって、副題にも原告のペンネームである「小林よしのり」という文字が入っているが、題名や副題に、周知かつ著名な原告の漫画の題名や原告のペンネームを利用したことは不正競争行為であって、不正競争防止法に違反する、などと主張して、被告書籍の著者、発行者、発行所を相手として、出版や販売などの差止めと損害賠償を請求しているものである。

 つまり、1,無許可のでのコマの引用は違法であり、2,コマが改竄されており、3,『脱ゴーマニズム宣言』という題は『ゴーマニズム宣言』の類似品である、という理由で、東京地方裁判所に 1,損害賠償2620万円の要求、2,「脱ゴー宣」の出版差し止めを求めて訴訟を起こしました。

 1999年8月31日に出された地裁判決では、小林氏の全面敗訴。つまり、絵の引用は合法であるとの判断が出ました。小林氏は控訴し(『脱ゴー宣』が類似品であるとの主張は取り下げ、代わりに「主従関係を問題にするならば、絵を批評した分量に対して絵の面積が大きいのが問題」という主張などを追加))、東京高裁では2000年4月25日、小林氏の主張を一部認める判決を下しました。すなわち、主文の内容はこうです。

原判決主文第一項を次のとおりに変更する。
被控訴人らは、原判決別紙採録状況(三〇)に示される漫画のカットを含む原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。
被控訴人らは、控訴人に対し、各自金二〇万円及びこれに対する平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二五〇分し、その一を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。

  また結論ではこうです。

 以上によれば、控訴人の本訴請求は、同一性保持権侵害を理由とするカット37を含む被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め(なお、被控訴人らは、カット(ハ)の著作者である控訴人から、本訴を提起されているのであるから、カット37が控訴人の同一性保持権を侵害する行為によって作成されたものであることを知っていることは明らかである。)、並びに、右同一性保持権侵害に基づく慰謝料二〇万円及びこれに対する侵害日である平成九年一一月一日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がない。これと異なる原判決は異なる限度で不当であり、控訴人の本件控訴は右の限度で理由があるから、以上の趣旨に従い原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法六一条、六四条、六五条、六七条を適用し、仮執行宣言は必要ないものと認めて、主文のとおり判決する。

 「原カット(ハ)」というのは『新・ゴーマニズム宣言』3巻30章80頁の1〜2コマを指し、「カット37」というのは上杉氏がそれを引用した部分(『脱ゴー宣』64頁)を指します。何の事だか分からない方は、「引用と著作権の問題を考えるページ」(poli_wag氏)を御覧になるか、面倒でも原文に目を通して下さい。要するに、上杉氏がこのコマを引用したのに対し、レイアウトが改変されているから違法だという判決を下したのです。しかし、ここからが重要なのですが、ここで違法とした部分以外は合法、つまり絵の引用自体はやはり合法とされた事です。

 よって、

引用元の絵を従、引用先の絵または文字を主とする。(この条件を満たせば、著作物のすべてを引用する事も可能)
引用の必然性がある。
引用の出典を明記する。
引用元のレイアウトを崩さず、やむを得ない場合はその旨掲示する(上杉氏の著書にはこれが無かった)
文意を正確に引用する(トリミングなどで絵の意味が変わってしまっては駄目。ただし、引用の目的に添うもの、例えば人物の絵を引用する際、背景を略すのは、その旨断りがあれば合法。無いと上杉氏と同じ目に遭う)

 以上の条件を満たせば、絵の引用は合法です。

 なお、小林氏は、高裁判決を受けた『SAPIO』2000年6月14日号でこう描いています。(引用者注:高裁判決は)「意見主張漫画だから引用されてもやむを得ない」という論法で「普通の漫画」と『ゴー宣』を明らかに区別して考えようとする立場が見てとれるのだ。従ってこの判決は普通の漫画には適用できない(新119章62頁3コマ、太字は原文ママ)。


 大嘘です。小林氏がこの主張の論拠とした高裁判決文の部分を引用します。

 一方、甲第二ないし第一五号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人書籍は、控訴人自身「意見主張漫画」であると自認するものであり、その意見は各話ごとに主張・表明されていることが認められる。そして、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、被控訴人書籍の前記主題に係る批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められない。以上の点からすれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係があるということができるのである。

 この文は、要するに「被控訴人(上杉氏)論説が、控訴人カット(の意見主張)がという関係があるということができる」事を言いたかっただけです。断じて「意見主張漫画だから例外として引用が認められた」という事ではありません。あるいは「他の漫画の絵まで引用されてたまるか」という小学館(ひいては漫画・アニメ業界)の意向かも知れませんが、いずれにしても小林氏の記述はでたらめです。

 そもそも著作権法では、「著作物」の定義について、こう定めています。

 第二条(1) この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するものをいう。
(以下略)

 「思想又は感情を創作的に表現したもの」がすなわち著作物である、とはっきり書いています。『新・ゴー宣』が意見主張漫画だから例外、という理屈はそもそも成り立ちません。何らかの意見を主張するのは、著作物の要件そのものだからです。

 むしろ小林氏で問題なのは、「出版差し止め」と「慰謝料」が認められたから勝訴だ、と描いているところです(新119章59頁3コマ)。しかも、読者に本屋に押し掛けて上杉氏の本を返本もしくは焚書するよう書店に訴えよとまでけしかけています。(「新119章67頁7コマ〜69頁4コマ) 判決には「仮執行宣言は必要ない」つまり判決が確定するまで処分(賠償金と出版差し止め)を実行出来ないとあるのにこんな事を書いているのですから小林氏はもはや犯罪。 さらに言えば、小林氏は絵の引用が著作権侵害とこれまでさんざん言いながら、新119章でこう主張しています。


上杉は「引用」は 認められているので 負けじゃないと 懸命の強がりで マスコミ対策を 開始したが。これは もともと 著作権裁判であって
著作権侵害の非常識な本があるから差し止めてくれというのが こちらの望みである 望み通りの 勝訴である!
(60頁3コマ、太字は原文ママ)

 小林氏が最も争点としていたはずの「引用」が認められても負けじゃないと。「出版差し止め」が認められたから勝訴なのだと、はっきり言っています。
 ここから見ても、その目的は上杉氏の本の出版差し止めであり、気に食わない言論を弾圧するのが目的だった事は明らかです。「何度でも言うぞ!「著作権裁判」逆転勝訴だァ!」(新119章70頁欄外)と書いた『SAPIO』編集部ともどもその行為はきわめて悪質であり、絶対に許せません。なお、この問題につきましては、中立的なものとしましては

Yahoo!掲示板の「続・「ゴー宣」著作権問題の判決について」(前のトピックは削除されています)、
上杉氏側のものとしましては
「脱ゴー宣裁判を楽しむ会」
上杉氏の主張を支持するものとしましては 「引用と著作権の問題を考えるページ」
「アンチ「ゴー宣」」(長田幸久氏)
「「新ゴーマニズム宣言」103章の虚偽を糾す」(Jim Phelps氏他)などが参考になります。
 小林氏のホームページはありませんが、小林氏の主張を支持する意見が中心なのは
「日本ちゃちゃちゃクラブ」(THQ氏他)の「未来思考BOARD」があります。
また、地裁および高裁の判決文は、
「引用と著作権の問題を考えるページ」
に収録されています。
 なお、判決文は、地裁・高裁とも、最高裁判所ホームページ知的財産権裁判例集でも読めます。判決のデータベースになっていて重宝します。
 また、米沢嘉博監修『マンガと著作権』(コミケット発行、青林工藝舎発売、税抜き1000円。ISBN4-88379-089-4)収録のシンポジウムでも触れられています。

 少し話がそれました。よって、絵についても文字同様、無許可で引用しても構いません。逆に、「引用」に相当すると判断すれば、許可を得ずに(あるいは引用したという知らせだけを出して)他者の絵を引用します。あらかじめ御了承下さい。

●絵の引用補足:コンピュータゲームについて

 私はコンピュータゲームのページ(Sa・Gaや五月倶楽部など)を作って行く予定ですが、版権人物のイラストなどは当然著作権者であるメーカーの意向に従います。とはいえ作品の論評など、「引用」に相当する場合は、当然無断で利用出来ます。

 ただゲームの場合、ほとんどは自分で内容を解く必要がある為、他の著作物とは異なり、その内容を簡単に見る事は出来ません。「引用」の要件である「公表された著作物」の定義から外れる可能性が出て来るのです。

 『ハイスコア』誌がエニックスの『ドラゴンクエスト2』の画面から勝手に「いなづまのけん」の画像を掲載していたとして訴えられた件では、1987[昭和62]年2月25日、東京地裁判決で、エニックス側が勝訴しました。これはゲームの特質が認められた為と思われます。その為、ゲームの画像を利用する場合は、他に比べて制限が厳しくなるでしょう。差し当たり、雑誌等に掲載されている画像は大丈夫でしょうが、雑誌に取り上げられない無名の作品ですとその基準も使えないわけで、議論の余地が多そうです。

 これについては「ゲームサイトと著作権 〜「引用」の可能性と法〜」(HIKA氏)でも論じられています。「社団法人 日本著作権センター」の「著作権テレホンガイド」に問い合わせた際のやり取りなど、参考になります。

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【日弁連のリンク方針転換考】
 「日弁連がリンクの方針を転換 ネット掲示板での反発に」を参照する。それによると次のようなことになる。

 2002.6.17日、日本弁護士連合会(日弁連、東京都千代田区)は、1996.9月、ウェブサイトを開設した。その際、同会のウェブサイトへのリンク許可条件として次のような制限を課していた。
 リンク元サイトのURL、管理者の住所、氏名、電話番号、メールアドレスを日弁連に事前に報告すること。
 リンク元サイトに対する第三者からの損害賠償、苦情その他いかなる請求についても、日本弁護士連合会は責任を負わない。
 公序良俗に反するもの、法律などに違反か違反するおそれがある内容を含むもの、その他日弁連が不適切と判断したものについてはリンクを断る。

 
これに対し、スラッシュドット・ジャパンや2ちゃんねるなどのネット掲示板を中心に、「無断リンクの禁止は表現の自由の侵害」、「ホームページ管理者の実名を要求するのは行き過ぎではないか」、「日弁連が不適切と判断してリンクを断るのは、言論の封殺」といった批判が起きていた。

 この許可条件を修正し、リンクを原則自由とする方針を明らかにし、次のように改めた。
 「当HPへのリンクは、原則として自由です。但し、リンク元サイトのコンテンツや運営が以下のいずれかに該当するもののリンクはお断りします。(1)公序良俗に反するもの(2) 法律、法令等に違反し又は違反するおそれがある内容を含むもの」。

 次のようなコメントを付している。
 サイトには「原則自由であるリンクについて、当ホームページのリンク条件の記載はリンクを厳しく制限しているような表現になっていました。また多くの方々からリンクを禁止する趣旨とも受け取られる表記であるとのご指摘も頂戴しました。そこで、リンクについて原則自由であることを明確にし、誤解を招かないように、6月13日付で表現を改めさせていただきました。

 「インターネット上のリンクの自由」問題への影響が注目される。

 
日弁連がリンクの方針を転換 ネット掲示板での反発に」は次のようにコメントしている。

 「リンクの自由」は、古くて新しい問題だ。他のサイトからリンクを張ることはいわゆる「参照」の範囲内で、著作権侵害には当たらないと考える専門家は多い。リンクをたどる場合はユーザーが直接リンク先へのアクセスをたどっているのであり、コピーされたコンテンツを見ているわけではないからだ。またリンク先のウェブサイトはもともと公開されているもので、「リンクを張られることを快く思わないのであれば、そもそもWWW上にコンテンツを公開すべきではない」と指摘する専門家もいる。日弁連傘下の弁護士の中にもこうした意見を発表している人は多く、日弁連の方針との食い違いがかねてから指摘されてきた。

 その一方で、公的機関や企業、あるいは個人のウェブサイトでも「無断リンクはお断りします」と記しているところは少なくない。無断リンクは法的には問題がなくとも、「礼儀としてリンクの許可を求めるのが当然ではないか」という声も多い。また、リンク先のコンテンツをフレーム内に表示し、あたかも自分のウェブサイト内のコンテンツであるかのように見せる手法に関しては、著作権侵害に当たるケースもあり、さまざまな議論が続いている。


 続いて、リンクの問題に詳しい東北大学の後藤斉助教授の見解「修正は不十分なものにとどまっている」を紹介している。

 日弁連が厳しいリンク許可条件を求めていたことについて、

 「今回の問題を精いっぱい好意的にとらえれば、おそらく日弁連はウェブのリンクについてあまり深く考えずにこのような条件を設けていたのであろう。権利に敏感であるがゆえに、自分の権利のみを守ろうとしての勇み足であると信じたい。しかし、リンクは表現の自由の一環であり、もっと真剣に考えるべきことがらである。

 リンクとは何だろうか。あるウェブページの中で、テキストのある部分にあるマークアップを施すことにほかならない。リンクを張ったからといって、サイト間に特別の連携関係があることを示すものではないし、リンク先サイトがすでに公開のものなら、その権利を侵害することにもならない。したがって、文章や画像などページ全体の構成要素がそうであるように、リンクはそのページの作者の表現の自由に属する。リンクを張る際にリンク先の許諾を得なければならないという主張には、技術的にも法的にも根拠がない。『無断リンク』などという言葉もあるが、リンクはそもそも自由なのである」

 「むしろ、リンクを張られる側がリンクを禁止したり、制約したりしようとすることこそ、リンクを張ろうとする人の表現の自由を侵す可能性がある。もちろん表現の自由とて無制限ではなく、他の自由との調整を必要とすることもあろう。リンクに伴う文章中の表現が名誉毀損に当たる場合などがそうである。しかし、ウェブ上の名誉毀損はまずウェブ上の対抗言論によって回復を図るべきであって、あらかじめ言論を封じることは社会とインターネットとの共存のあり方として健全ではない」

 「まして日弁連は公的な性格をもった団体であり、広く社会からオープンな批評を受けるべき立場にある。しかも、法律家の専門団体として、『自由』や『人権』に関して社会一般を啓発する責務を期待され、自任しているのではないだろうか。そのような団体の公式サイトが、『原則として自由』といいながら、実はきわめて制約の強いリンク許可条件を課すという自己矛盾を犯していたことは、モラルの上からも大きな問題である。とりわけ、住所氏名電話番号等の個人情報を含めた事前の報告を求めていた点は、極めて不当であって、容認できない。これは『日弁連に関する文章の公表は、個人情報を添えて事前に報告すること。日弁連が不適切と判断した場合は許可しない』という検閲制度を課しているのと同じなのだが、このような不当な規定は無効である。さらに、このような実効性を担保しえない規定を麗々しく掲げていたことは滑稽でさえある」

 「とはいえ、日弁連がこのようなリンク許可条件を掲げていたことは、その社会的な存在の大きさを考えると、悪影響ははかりしれない。残念なことに、これは例外ではない。これまでも日本新聞協会、日本ユニセフ協会など似た立場にある団体が厳しいリンク許可条件を掲げている。一般の企業・団体のサイトや個人サイトでリンクに種々の制約を課しているサイトは多いし、学術サイトや官公庁サイトの一部さえリンクに制約を課すところがある。日弁連のリンク規定はそのような悪弊を拡大再生産しかねない。

 このようなリンク許可条件を見ると、そのサイトがウェブによって社会とどう関わろうとしているかが判断できるかもしれない。まるでウェブを使って一方的なプロパガンダを強圧的に社会に垂れ流そうとしているかのようではないか。個人のサイトならば笑って済ませられるかもしれないが、まっとうな機関・団体・企業のサイトが取るべき態度ではない。これまでのところは単に考えが足りなかっただけだと解釈しておこう。日弁連および同様にリンク許可条件を掲げているウェブサイトには、今回このことが広く話題になったのを機会にリンクの自由についての認識を深め、自サイトのリンク許可条件を再考した上で、撤廃することを強く要望したい」

 「さて、6月13日付で、日弁連のリンク条件は、一部修正された。事前報告制や不当な個人情報の収集を取りやめたことなどは、肯定的に評価できる。なお、これは内容の修正であって、日弁連が言うように単に『表現』や『表記』の問題ではない。

 しかしながら、修正は不十分なものにとどまっている。特に、『原則として自由』といいながら『日本弁護士連合会が判断し、リンクの解除を求めたときには、ただちにこれに応じていただきます』としている点は、依然として不当である。繰り返しになるが、リンクの自由は表現の自由の一部であって、リンクにはリンク先の許諾が必要であるという主張には、技術的にも法的にもモラル的にも根拠がない。日弁連も認める通り、『リンク元サイトのコンテンツ及び同サイト運営の責任は、全てリンク元サイトの管理者等に帰属し、日本弁護士連合会とは無関係』である。この二項目が互いに矛盾していることに気がつかないとは、まったく理解しがたい。

 日弁連は、相手の判断によって容易に取り消すことができるものを『自由』と呼んではばからないのであろうか。日弁連が表現の自由をその程度に軽く考えているのだとすれば、あまりにも悲しい」。



 



(私論.私見)


目次

  1. ウェブページの作成とリンク行為
  2. リンクに関する方針
  3. その他の利用に関する方針
    1. 言及・紹介
    2. 引用
    3. 複製
  4. 参考文献
  5. 参考ページ
  6. 参照条文

ウェブページの作成とリンク行為

ウェブページは著作物の公表の一形態です(著作権法第四条 を参照)。ウェブページの作成は、著作物の作成一般と同じく、作成者の主体的な表現行為であり、その中での他のウェブページへのリンク行為も例外ではありません。したがって、表現行為一般が表現者の自由意志と良識と責任とにおいて行われることであるのと同様に、リンク行為はリンクを張る側の自由意志と良識と責任とにおいて行われるべきことであると、後藤は考えます。

他サイトへのリンクは一般に言及もしくは参照の一種です。リンクをたどる際に読者はリンク先にあるリソース自体をアクセスするのですから、引用ではありません。したがって、リンク行為は一般に著作権法上の問題ではありません。これは公刊された書籍を話題にして会話したり、感想文や書評を書いたり、あるいは参考文献として挙げたりすることが著作権法上の問題ではないのと同様です (参考文献7参考文献10の1997年5月22日参議院文教委員会における政府側答弁参考文献11の Ticketmaster Corp. v. Tickets.com訴訟の判決要旨 を参照)。

なお、「リンク」とはHTML文書中で<a>要素(ないし<link>要素や <area>要素)にhref属性を用いてURLを指定している場合のことです。 <img>要素等にsrc属性によってURLを指定している場合はリンクではありません。そもそも、『HTML 4.01仕様書』において前者は 12 Links (私的日本語訳: 12 リンク) で扱われるのに対して、後者は 13 Objects, Images, and Applets (私的日本語訳: 13 オブジェクト、画像、アプレット) で、つまり別々の章で扱われています。説明によれば、前者はあるHTMLファイル (始点)から別のリソース(終点)へ繋がり(connection)をつけるものであるのに対して、後者はあるHTMLファイルに別のリソースを含める(include)ものです。この違いは重要です。後者の要素を使って、読者の意思の介在を待たずに他サイトのリソースを自サイトのページの中に取り込む形で利用するとすれば、引用ないし転載を構成する可能性があります。また、<frame>要素や<iframe>要素 (仕様書: 16 Frames, 私的日本語訳: 16 フレーム) を用いることも、様態によっては読者に誤解を与える可能性があります。例えば、他サイトの画像を自ページの中に表示させたり、フレーム内に他サイトのページを表示させたりすれば、著作物全体を引用(あるいは転載)していることになっているように思えます。しかし、このような場合と、単に「繋がり」をつけているだけの <a>要素等を用いた通常のリンクとを、考慮にあたって混同すべきではありません。

リンク行為を公衆送信権の代行と見做す考えを取る人もいますが、後藤はこれも当たらないと考えます。リンク元はリンク先のURLを指示しているだけであり、リンクをたどる際にはブラウザ側とリンク先との間に直接の接続が確立されるからです。公衆送信権の代行と言うなら、むしろ技術的にはProxyの機能こそそれに当たるでしょう。しかし、Proxyの利用はすでにWWW(あるいはインターネット)のしくみの一部として認知されており、これに異を唱える声は聞かれません。したがってリンク行為を公衆送信権を根拠として制限しようとするのは、まったく不当です。

もちろん表現行為者の責任の中には、他者の人格権・財産権を侵害しないように努めることも含まれます。しかし、これは表現行為一般についていえることであって、特にリンク行為のみにかかわることではありません。あるウェブページがすでに公開されたものであれば、それに対してリンクを張ることはそのページを一層周知させることにほかならず、この行為自体によっては元のページの著作者の人格を傷つけることにはなりません。被リンク側のページの著作者の人格を傷つけるとすればそれはリンクの周辺の文脈が批判的であるためでしょうが、それはかりにリンクが張っていずにURLが単にテキストとして書かれていたとしても、あるいはURLなしで「××のホームページ」とのみ言及されていたとしても、そしてまた、ネットワーク外の現実世界におけるその人の人格や言動が批評されていたとしても、事情は同じはずです。ここに名誉毀損・侮辱等の違法または不法な行為が関わるとすればその行為自体が非難されるべきであって、それはリンクの有無とは無関係です。

なお、「このページには自分の他のどのページからもリンクを張っていないから、これは公開してはいない」と考えている人もいるようですが、それも間違いです。そもそも、WWWサーバの所定のディレクトリに所定の形式のファイルをすべての人にread許可を与えたままで置くことは十分に能動的な行為であって、WWWが定義によってworld-wideなwebである以上、当該のファイルが世界中からアクセスされることを受け入れたと、すなわち、それを世界に向けて公開することを宣言していると、解すべきです(著作権法第四条2および第二条九の五を参照)。たとえそのページの URLをだれにも知らせなかったとしても、偶然によってあるいはサーチエンジンのロボットによって知られることになるのは時間の問題です (参考文献8を参照)。なお、当て推量のURLを入力してみることは違法なクラッキング(いわゆる「ハッキング」)ではありません (参考文献5のエピソード、 不正アクセス禁止法を参照)。もしあるページを本当に非公開にしたいのであれば、イントラネット内に置くなり、アクセス制限やパスワード設定をするなりして、そのために必要な技術的手段を講じるべきです。

被リンク側の著作者は、「下位のページに直接リンクを張られては自分の意図と違った順番で読まれることになり、それでは困る」と言うかもしれません。しかし、人は本を必ず1ページ目から読まなければならないものでしょうか。実際、私は「あの本は第3章から読むのがいいよ」と言って人に本を薦めたことがあります。これももしかすると、著者の人格を少し軽んじたことになるのかもしれません。しかし、かりにそうであるにしても、それを上回る自由が読者の側に与えられているというべきではないでしょうか。現に、参考文献をあげる際に特定のページまで指定するのは、ごく普通のことです。つまり、印刷・製本された書籍でさえ、著作者が読者に読む順序を押しつけることはできないのです。まして、Hypertextであるウェブページに一定の読む順序を押しつけようとするのは、 Hypertextの定義に反するのであり、著作者の側のエゴとさえ言えるのではないでしょうか (参考文献4を参照)。

ウェブのユーザビリティの観点からしても、必ずサイトのトップページを経由しなければならないという主張こそ、読者に対してむしろ不親切であり、したがって不合理です。読者はトップページから必要な情報のあるページに簡単にたどり着くことができるとは限りません。必要な情報のある下位のページに直接リンクを張って誘導する方が読者に対して親切であることは明らかです。もし、直接下位のページに誘導された読者が注意書きなどを読み落とす恐れがあって不都合だ、と考えるのであれば、ウェブサイトの著作者は、各ページが当該サイト全体の中でどういう位置づけにあるかを読者に明示すればいいのですし、必要ならば積極的にそうすべきです (参考文献2参考文献9を参照)。

結局、閲覧に制限のないウェブページに対してリンクを張ることを禁止あるいは制限することができるとする主張には、合理的な根拠はありません。すなわち、公開されたウェブページへのリンク行為はリンク先のページの著作者の権利をなんら侵害するものではありませんから、リンクはリンクを張る側の自由意志と良識と責任とにおいて行われるべきことです。あるウェブページにかりに「リンク禁止」という表示があった場合、それはリンクを張ろうとする側にとって自分の良識に基づいて判断するための一つの材料にはなりますが、何ら強制力をもつものではありません。むしろ、「リンク禁止」の表示はそこにリンクを張ろうとする人の表現の自由を侵す可能性があるとさえ言えます (参考文献4参考文献6参考文献7参考文献8を参照)。

このような考えが正しいことは、goo という、ファイル単位で全文検索する強力なサーチエンジンの出現 (1997年3月)によって、確証されたと言うことができます。

リンクに関する方針

自分のウェブページに勝手にリンクを張られることを好まない人はいます。確かに個人が趣味で作るウェブページに対して本人の意思に反して批評を加えることやリンクを張ることは、もしかすると、その場にいない人の噂話をするのと同程度にエチケットに反する行為であるのかもしれません。しかし、著作物を公開する行為は責任を伴うことであって、一般の批評にさらされることもそのうちに含まれると考える方が、むしろ妥当性があります。とりわけ、学術組織あるいはその一員が学術研究を主目的として作る公開のウェブページは、学術情報一般がそうであるのと同様に、明らかに相互の自由な批評の対象となるべきです。また、多少とも公的な性格を持つ団体のページも同様であると思われます。

そのような性格を持つウェブページは、一旦公開した情報に関して一部の人にはリンクを許すが他の人にはリンクを許さないなどということがあるとすれば、むしろそのことこそ道義的に許されない、あるまじき行為であると思います。また、リンクを張る際になんらかの行為を行うようにとの条件をつけることも同様です。(もちろん、非公開情報はその限りでありません。そのようなものは最初からウェブ上に載せるべきでないか、適切なアクセス制限・パスワード設定などの技術的な手段によって、閲覧を制限して保護すべきです。 不正アクセス禁止法を参照)。

それゆえ、後藤は、公開されているウェブページへのリンクは事前に包括的に許諾されているものとし、個別に被リンク側からの許諾や了承が必要だとは考えません。他サイトの画像を自分のページに読み込むことや他サイトのテキストをフレーム内に読み込むことであれば、それは著作物全体の引用にあたり、著作権者の許諾を得る必要があるでしょうが、上述のようにこれはリンクとは別の行為であり、また、後藤はこのような行為は行いません (参考文献3を参照)。

同様に、後藤の各ウェブページに対するリンクも、公開された他の全てのウェブページへのリンクと同様に、リンクを張る側の自由意思と良識と責任とにゆだねられています。なお、リンクを張る際には「東北大学の後藤斉による」と付記して頂ければ幸いです。

ちなみに、後藤のホームページ「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」「国内人文系研究機関WWWページリスト」、その他後藤のウェブページのどれかには、 「リンクの世界―後藤のページにリンクを張っている(らしい)ページ」に挙げた諸ページからリンクが張られているものと思われます。

リンクを張ったことを通知する行為は場合によって推奨されます。ウェブページは相互に有機的に関連を結ぶことによって、単独で存在するときの何倍もの価値をもつものであり、このような有機的な結びつきにつながる行為は大いに望ましいことです。したがって、リンクを張った側がこのようなウェブサイト同士の結びつきを望む場合には、通知すればよいでしょう。しかし、通知は義務ではありませんし、被リンク側がリンク元に要求できる性格のものでもありません。また、リンク行為が表現行為の一種である以上、リンクの維持はリンク側の責任で行うことであって、被リンク側には URLの変更があったとしてもそれを通知する義務はありません。

その他の利用に関する方針

言及・紹介

公開されたウェブページに対する言及・紹介は、口頭であれ、印刷物であれ、ネットワーク上であれ、著作権侵害や名誉毀損、侮辱、プライバシーの侵害等を伴わない限り、言及する側の表現の自由に属することがらであって、言及する側の自由意思と良識と責任とにゆだねられており、言及される側の許可を必要としません (参考文献4参考文献8を参照)。

後藤の各ウェブページに対する印刷媒体その他での言及・紹介も、好意的なものにせよそうでないものにせよ、公開された他の全ての著作物に対する言及と同様に、言及する側の自由意思と良識と責任とにゆだねられています。ただし、できれば「東北大学の後藤斉による」旨の表示をお願いします。印刷媒体の場合は、事後で結構ですので、ご連絡いただければ幸いです。なお、その際、印刷物のコピー(表紙、奥付等出版物の同定に必要な部分を含む)をお送りいただければなおありがたく存じます。

ちなみに、後藤のウェブページ (<URL:http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/>以下のいずれかのページ) はこれまでに「後藤のページへの印刷物での言及・紹介」に挙げた印刷物において言及・紹介されました。

引用

言及・紹介に伴って引用することも、著作権法第三十二条で認められているとおり、引用する側の自由意志と良識と責任とにゆだねられています。ただし、同条の規定により、公正な慣行に従うことが求められます。「公正な慣行」とは、おおむね、(1)必要最小限の量を、(2)全体に対して引用部分が従になるように利用し、(3)出所を明示し(著作権法第四十八条を参照。著作者名の表示を含むことに注意)、(4)引用部分が他の部分とはっきり区別できるようにする、が要件になるでしょう。

複製

WWWの利用に伴い通常必要になると了解されている範囲(cacheなど)を越えて著作権者に無断で複製を作成すること(電子的なファイルのコピー、プリントアウトを含む)は、著作権法第三十条以下の条項で認められた場合を除いては、著作権法第二十一条において著作者に専有が認められている複製権を侵害する違法な行為です。なお、「複製」とは、著作物の一部(正当な引用を逸脱する場合)である場合も含まれます。ウェブページ、特にリンク集の著作権についてはKristina Pfaff-Harris氏による Copyright Issues on the Webもお読みください。


参考文献

  1. 宮下佳之 「ネットワーク時代の知的所有権入門 第19回 ホームページの上での人物写真の利用とリンクについて」 (Internet Magazine 1996.9, pp.286-289)

    リンクを張ったからと言って、リンク先のデータ自体をコピーするわけではないし、リンク先にジャンプした利用者は、リンク先のホームページを見ているだけなのですから、リンクを張ること自体が著作権侵害になるとは考えがたいと言わざるを得ません。

    インターネット上のWWWは、リンクを張り巡らすことによって、世界中の情報を有機的に関連付けようという思想に根ざすものであって、リンクを張ること、張られることは、もともとインターネットの特性として折り込み済みであるように思われます。

  2. Tim Berners-Lee, Style Guide for Online Hypertext <URL:http://www.w3.org/Provider/Style/Overview.html>
    のうちGive links into context
    <URL:http://www.w3.org/Provider/Style/IntoContext.html>

    Linking to context

    A major difference between writing part of a serial text, and an online document, is that your readers may have jumped in from anywhere. Even though you have only made links to it from one place, any other person may want to refer to that particular point, and will so make a link to that particular part of your work from their own. So you can't rely on your reader having followed your path through your work.

    Of course if you are writing a tutorial, it will be important to keep the flow from one document to the next in the order you intended for its primary audience. You may not wish to cater specially for those who jump in out of the blue, but it is wise to leave them with enough clues so as not to be hopelessly lost.

  3. Tim Berners-Lee, Design Issues - Architectural and philosophical points
    <URL:http://www.w3.org/DesignIssues/>
    のうち Links and Law
    <URL:http://www.w3.org/DesignIssues/LinkLaw.html>

    Normal hypertext links do not of themselves imply that the document linked to is part of, is endorsed by, or endorses, or has related ownership or distribution terms as the document linked from. However, embedding material by reference (sometimes called an embedding form of hypertext link) causes the embedded material to become a part of the embedding document.

    The intention in the design of the web was that normal links should simply be references, with no implied meaning.
    Images, embedded objects, and background sounds and images are by default to be considered part of the document.

  4. 明治大学法学部法情報学ゼミ(夏井高人研究室)のオフィシャル・ホームページ
    <URL:http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/>
    のうち Information & Caution
    <URL:http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/Web_info.htm>

    リンク先が当該ホームページのトップ・ページでなければならないというようなルールは、合理性がありません。仮にこのようなルールに合理性があるとすれば、新聞、雑誌、学術論文を含めたすべての媒体上のすべての引用・参照や編集等が不可能となってしまう危険性があります。

    このような意味での編集や参照・引用等がインターネット上でなされる場合、伝統的な紙文化と同様の意味でのテキスト表示の形式をとることもあるでしょうが、インターネット文化に特有のリンクという形式をとることもあるでしょう。しかし、そのいずれもが自由でなければなりません。これは、世界の大半の国で承認されている基本的人権としての自由な言論、報道、著述、編集、評論、学術研究等を守るために、必要不可欠なことです。

  5. 「ウォールストリートジャーナル・インタラクティブ」 (Internet Magazine 1997.7, pp.348-351)

    その部下は、その日バークシャーのサイトに行ってみた。もちろん、土曜日に公開されるとのアナウンスがあるだけで「会長からの手紙」はなかった。しかし、彼はそれで諦めずに、インデックスページを示すURLの末尾を「/annual.html」と変更してリターンキーを押してみた。

    大当たり! 「会長からの手紙」はリンクこそ張っていなかったが、すでにウェブサーバーにアップロードされていたのだ。リッチ副編集長は「まず、これがコンピュータハッキングかどうか自問した」という。

    本紙の編集長も驚くとともに「これはハッキングではないのか」との疑問が出たという。しかし2人はそれぞれ検討し、「公開されたサーバー上にあるデータであり、その入手方法は、ハッキングというにはあまりに幼稚すぎる」ということで一致した。

    また社内の弁護士にも「何かコメントはないか」と連絡を入れた。ところが、法務担当者は「おれにコメントを求める暇があれば、さっさとウェブに載せることだ」と即答してきたという。…

  6. 岡村久道 「インターネットでの情報発信をめぐる法律問題について」平成9年度 第4回インターネット交流会レポート
    <URL:http://www.fukui-iic.or.jp/library/other/internet/report7.html>
    (1998年3月6日、福井県産業情報センター) のうち
    <第2部>グループ討議
    <URL:http://www.fukui-iic.or.jp/library/other/internet/report7.html#11>

    Q1.「リンク禁止」や「引用厳禁」と明記してあるサイトに無断でリンクしたり、引用した場合、何か法的な問題が起こるか。

    A1.セミナーでお話ししましたように、著作権法で引用とか転載が認められるべき要件さえ満たしておれば、「引用禁止」と書いてあっても、それに反してすることができると考えています。

    「リンク禁止」は「引用禁止」とはちょっとタイプの問題が違いまして、リンクを張ることには同意はそもそも要らないわけなので、「禁止」と書いてあろうが、それは勝手にすることができるというのが原則です。

  7. 社団法人著作権情報センター 「マルチメディアと著作権」 (青山学院大学法学部半田正夫著)
    <URL:http://www.cric.or.jp/qa/multimedia/multi.html>
    のうち 「Q15 無断でリンクを張ることは著作権侵害になるでしょうか。」
    <URL:http://www.cric.or.jp/qa/multimedia/multi15_qa.html>

    結論を先にいえば、リンクを張ることは、単に別のホームページに行けること、そしてそのホームページの中にある情報にたどり着けることを指示するに止まり、その情報をみずから複製したり送信したりするわけではないので、著作権侵害とはならないというべきでしょう。

    「リンクを張る際には当方に申し出てください」とか、「リンクを張るには当方の許諾が必要です」などの文言が付されている場合がありますが、このような文言は法律的には意味のないものと考えて差し支えありません。

  8. 大谷卓史「ハイパーリンクの倫理学」
    <URL:http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/tr1/02otani.html>
    「情報倫理の構築(FINE)」プロジェクト 「情報倫理学研究資料集I」所収
    <URL:http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/tr1/>

    第一に、ハイパーリンクは場所の指定以外の何者でもなく、口頭で「どこそこに何がある」と伝えるのと変わりがない。そうすると、ハイパーリンクに倫理的問題があるとするなら、口頭で「どこそこに何がある」と伝えた場合とそれほど変わらないことになるだろう。

    第二に、サーチエンジンの事例から明らかなように、場所の指定さえしなくてもハイパーリンクが自動的に生成されてしまう場合がある。この場合、ハイパーリンク先のHTML文書の内容を知っている者は誰もいない。そのハイパーリンク先の文書そのものがもはや存在しない場合さえある。誰かの責任を問うと言うことはできないだろう。将来的には、相手先のサーバーへの負荷が無視できるほどに一般のサーバー性能があがれば、サーチエンジンのように自動的にハイパーリンクを生成する個人向けのツール類が登場することも考えられる。

    第三に、ハイパーリンクをあるHTML文書に張りたい場合、その管理者に許可を求める必要は必ずしもない。ハイパーリンクは場所の指定にしかすぎないので、ハイパーリンクを張る場合に許可が必要なら、口頭でURLを伝える場合も許可が必要になる。これはいかにも不合理である。また、口頭でURLを伝えることも規制するということは、閲覧者を規制しようとすることであって、適当なアクセス制限を設けないでハイパーリンクを無断で行うことを禁止するのは無理がある。

    第四に、間接的なハイパーリンクの内容を確認する義務を課すような法や規制は不合理である。というのは、ハイパーリンク先の内容を常に確認することを文書の管理者に強いることになるし、ハイパーリンクによってインターネット上のリソースを簡単に渡り合えると言うインターネットの利点を否定することになるからだ。インターネットの十分な利用を阻害しかねない。

    もちろん、ハイパーリンク先のHTML文書やリソースによって、閲覧者が不快に感じたり、何らかの被害を受けないよう配慮することは、推奨されるべきことだろう。また、未成年者の閲覧者を配慮することも推奨されるべきことだと考えられる。しかし、こうした配慮を怠ったとしても、すでに見たように、これはせいぜい倫理的非難の対象となるだけであって、法的処罰の対象となると考えるのは不合理な面がある。

    そして、あくまでもハイパーリンクを張ることそのものには、口頭でなにか情報や物の所在を伝える以上の倫理的問題は含まれないし、間接的なハイパーリンクに関してまで何らかの義務を負わせようと言う法律・規則は不合理である。閲覧者に対する配慮を議論する場合にも、この認識が前提となるだろう。

  9. Jacob Nielsen, The Alertbox: Current Issues in Web Usability
    <URL:http://www.useit.com/alertbox/>
    のうち Deep Linking is Good Linking
    <URL:http://www.useit.com/alertbox/20020303.html>

    Links that go directly to a site's interior pages enhance usability because, unlike generic links, they specifically relate to users' goals. Websites should encourage deep linking and follow three guidelines to support its users.

    A website is like a house with a million entrances: the front door is simply one among many ways to get in. A good website will accommodate visitors who choose alternate routes.

    日本語訳: Jakob Nielsen博士のAlertbox
    <URL:http://www.usability.gr.jp/alertbox/index.html>
    のうち 直リンクのすすめ
    <URL:http://www.usability.gr.jp/alertbox/20020303.html>

    サイト内部のページに直接誘導するリンクによって、ユーザビリティは向上する。一般的なリンクと違って、ユーザの目的に特別な関係を持っているからである。ウェブサイトは直リンクを推奨すべきであり、ユーザをサポートする上では 3つのガイドラインに従うべきだ。

    ウェブサイトとは、入り口が100万個ある家のようなものである。表玄関は、たくさんある入り口のひとつに過ぎない。優れたウェブサイトなら、別ルートを選択した訪問客にも対応できるはずだ。

  10. 国会会議録検索システム
    <URL:http://kokkai.ndl.go.jp/>
    のうち第140回国会参議院文教委員会(1997年5月22日)における、林久美子君の質問に対する政府委員(小野元之文化庁次長)の答弁

    それぞれのリンク先のサーバーにおきまして、今回の改正にございますような自動公衆送信し得る状態にあるわけでございます。それはですから、AからBに飛んでいくことについても、Bの方も既にサーバーにアップロードされている情報でございますし、Aの方もアップロードされている情報でございます。逆に、BからAに飛ぶことももちろんできるわけでございます。これはたまたまホームページの表示をするためのデータの中に他のホームページの情報も入れておくということにすぎないわけでございまして、この段階で例えば複製権が働くとか、そういった形での著作権法上の利用行為には該当しないのでございます。

    したがいまして、リンクを張る行為自体は現行の著作権法上も、この改正をもしお認めいただいた新しい著作権法の上におきましても自由に行われるものでございまして、リンク先のホームページ作成者の許諾というのは不要だというふうに私どもは考えておるところでございます。

  11. Intellectual Property and Technology Forum at Boston College Law School
    <URL:http://www.bc.edu/bc_org/avp/law/st_org/iptf/index.html>
    のうち Elijah Cocks, Internet Ruling: Hypertext Linking does not violate Copyright
    <URL:http://www.bc.edu/bc_org/avp/law/st_org/iptf/headlines/content/2000040401.html>

    In his ruling, Hupp concluded "hypertext linking does not itself involve a violation of the Copyright Act.... since no copying is involved."

    Hupp went on to describe the process of hypertext linking: "The customer is automatically transferred to the particular genuine Web page of the original author. There is no deception in what is happening. This is analogous to using a library's card index to get reference to particular items, albeit faster and more efficiently."

    Such hypertext linking, therefore, does not involve the reproduction, distribution or preparation of copies or derivative works. Nor does such linking constitute a "...display [of] the copyrighted work publicly...," as the web page called up by the user is the original web page created by the author.


参考ページ

参考文献に挙げたもののほかに参考になるウェブページ。


不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第一二八号)

(目的)
第一条 この法律は、不正アクセス行為を禁止するとともに、これについての罰則及びその再発防止のための都道府県公安委員会による援助措置等を定めることにより、電気通信回線を通じて行われる電子計算機に係る犯罪の防止及びアクセス制御機能により実現される電気通信に関する秩序の維持を図り、もって高度情報通信社会の健全な発展に寄与することを目的とする。

(定義)
第二条 この法律において「アクセス管理者」とは、電気通信回線に接続している電子計算機(以下「特定電子計算機」という。)の利用(当該電気通信回線を通じて行うものに限る。以下「特定利用」という。)につき当該特定電子計算機の動作を管理する者をいう。
2 この法律において「識別符号」とは、特定電子計算機の特定利用をすることについて当該特定利用に係るアクセス管理者の許諾を得た者(以下「利用権者」という。)及び当該アクセス管理者(以下この項において「利用権者等」という。)に、当該アクセス管理者において当該利用権者等を他の利用権者等と区別して識別することができるように付される符号であって、次のいずれかに該当するもの又は次のいずれかに該当する符号とその他の符号を組み合わせたものをいう。
 一 当該アクセス管理者によってその内容をみだりに第三者に知らせてはならないものとされている符号
 二 当該利用権者等の身体の全部若しくは一部の影像又は音声を用いて当該アクセス管理者が定める方法により作成される符号
 三 当該利用権者等の署名を用いて当該アクセス管理者が定める方法により作成される符号
3 この法律において「アクセス制御機能」とは、特定電子計算機の特定利用を自動的に制御するために当該特定利用に係るアクセス管理者によって当該特定電子計算機又は当該特定電子計算機に電気通信回線を介して接続された他の特定電子計算機に付加されている機能であって、当該特定利用をしようとする者により当該機能を有する特定電子計算機に入力された符号が当該特定利用に係る識別符号(識別符号を用いて当該アクセス管理者の定める方法により作成される符号と当該識別符号の一部を組み合わせた符号を含む。次条第二項第一号及び第二号において同じ。)であることを確認して、当該特定利用の制限の全部又は一部を解除するものをいう。

(不正アクセス行為の禁止)
第三条 何人も、不正アクセス行為をしてはならない。
2 前項に規定する不正アクセス行為とは、次の各号の一に該当する行為をいう。
 一 アクセス制御機能を有する特定電子計算機に電気通信回線を通じて当該アクセス制御機能に係る他人の識別符号を入力して当該特定電子計算機を作動させ、当該アクセス制御機能により制限されている特定利用をし得る状態にさせる行為(当該アクセス制御機能を付加したアクセス管理者がするもの及び当該アクセス管理者又は当該識別符号に係る利用権者の承諾を得てするものを除く。)
 二 アクセス制御機能を有する特定電子計算機に電気通信回線を通じて当該アクセス制御機能による特定利用の制限を免れることができる情報(識別符号であるものを除く。)又は指令を入力して当該特定電子計算機を作動させ、その制限されている特定利用をし得る状態にさせる行為(当該アクセス制御機能を付加したアクセス管理者がするもの及び当該アクセス管理者の承諾を得てするものを除く。次号において同じ。)
 三 電気通信回線を介して接続された他の特定電子計算機が有するアクセス制御機能によりその特定利用を制限されている特定電子計算機に電気通信回線を通じてその制限を免れることができる情報又は指令を入力して当該特定電子計算機を作動させ、その制限されている特定利用をし得る状態にさせる行為


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