加戸守行考その1、ジャスラック理事長退任までの履歴 |
更新日/2017(平成29).7.24日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、JASRACの利権集団化の功績者としての「加戸守行考その1、ジャスラック理事長退任までの履歴」について確認しておく。 2017(平成29).7.24日 れんだいこ拝 |
【加戸守行履歴考】 |
加戸 守行(かと もりゆき、1934年9月18日 - )は日本の政治家。愛媛県知事(第14~16代)、文部官僚、「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」実行委員長。同県八幡浜市出身。 |
概要は「ウィキペディア加戸守行」その他で確認するとして、ジャスラック関連の下りを検証する。 「http://www.sankei.com/politics/news/170616/plt1706160004-n1.html」 |
1934.9.18日、旧満州の関東州大連市に生まれる。愛媛県立八幡浜高等学校を経て東京大学入学。 |
1957年、東京大学法学部卒業後、旧文部省(現文部科学省)に入省。 |
1970.7月から1974.6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を制定、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。 |
1983.6月、文化庁文化部長。1983.10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。現行の著作権法の草稿執筆者としても知られ、著作権に関しての著作「著作権法逐条講義」は著作権法を学ぶ者にとって必読の書となっている。 |
1988年、同省の大臣官房長に就任。 |
「文化庁の事務方トップだったころには横浜市の上行寺東遺跡を保護せず破壊させてマンション建てさせたヤツ」との評あり。 |
1989.4.12日、リクルート事件に連座して、西岡武夫文部大臣の下、阿部充夫事務次官を残して、省内主流の加戸文科省官房長、吉村澄一初等中等教育局長、斎藤諦淳生涯学習局長らが辞職。 加戸守行は、リクルートからゴルフ接待その他の接待をうけたことが発覚し、文部大臣から辞職を迫られ、官房長で退職した。(「加戸は戦後最大の贈収賄汚職のリクルート事件の中心人物だった」の記述がある。文部省内では高石邦男元文部事務次官が収賄側として起訴され懲役刑を受けるが、同様の「接待まみれ高級官僚」として歴史に刻まれている。 |
辞職後、公立学校共済組合理事長に「天下り」。「更迭されたのではなかったのか」と批判を浴びた。 |
その後、文科省が監督官庁である日本芸術文化振興会理事長に「天下り」。 |
【日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長に「天下り」】 | |
1995(平成7).11月、文科省が監督官庁である日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長に「天下り」。JASRAC理事長の年収は、日本道路公団総裁(2614万円)や日本中央競馬会理事長(3000万円)を凌ぐ3565万円でほかの公益法人に比べるとベラボウに高い。1998.11月で退任。「在任3年で退職金含め1億円以上の報酬」を得ている。この頃の次の評がある。 |
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(私論.私見)