加戸守行考その1、ジャスラック理事長退任までの履歴

 更新日/2017(平成29).7.24日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、JASRACの利権集団化の功績者としての「加戸守行考その1、ジャスラック理事長退任までの履歴」について確認しておく。

 2017(平成29).7.24日 れんだいこ拝


【加戸守行履歴考】
 加戸 守行(かと もりゆき、1934年9月18日 - )は日本の政治家。愛媛県知事(第14~16代)、文部官僚、「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」実行委員長。同県八幡浜市出身。
 概要は「ウィキペディア加戸守行」その他で確認するとして、ジャスラック関連の下りを検証する。
 「http://www.sankei.com/politics/news/170616/plt1706160004-n1.html
 1934.9.18日、旧満州の関東州大連市に生まれる。愛媛県立八幡浜高等学校を経て東京大学入学。
 1957年、東京大学法学部卒業後、旧文部省(現文部科学省)に入省。
 1970.7月から1974.6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を制定、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。
 1983.6月、文化庁文化部長。1983.10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。現行の著作権法の草稿執筆者としても知られ、著作権に関しての著作「著作権法逐条講義」は著作権法を学ぶ者にとって必読の書となっている
 1988年、同省の大臣官房長に就任。
 「文化庁の事務方トップだったころには横浜市の上行寺東遺跡を保護せず破壊させてマンション建てさせたヤツ」との評あり。
 1989.4.12日、リクルート事件に連座して、西岡武夫文部大臣の下、阿部充夫事務次官を残して、省内主流の加戸文科省官房長、吉村澄一初等中等教育局長、斎藤諦淳生涯学習局長らが辞職。

 加戸守行は、リクルートからゴルフ接待その他の接待をうけたことが発覚し、文部大臣から辞職を迫られ、官房長で退職した。(「加戸は戦後最大の贈収賄汚職のリクルート事件の中心人物だった」の記述がある。文部省内では高石邦男元文部事務次官が収賄側として起訴され懲役刑を受けるが、同様の「接待まみれ高級官僚」として歴史に刻まれている。
 辞職後、公立学校共済組合理事長に「天下り」。「更迭されたのではなかったのか」と批判を浴びた。
 その後、文科省が監督官庁である日本芸術文化振興会理事長に「天下り」。
 1995(平成7).11月、文科省が監督官庁である日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長に「天下り」。JASRAC理事長の年収は、日本道路公団総裁(2614万円)や日本中央競馬会理事長(3000万円)を凌ぐ3565万円でほかの公益法人に比べるとベラボウに高い。1998.11月で退任。「在任3年で退職金含め1億円以上の報酬」を得ている。この頃の次の評がある。
 「私が、仄聞しましたことですが、加戸氏が音楽著作権協会在籍の折り、小豆相場に手を出して大損して、同協会に莫大な損害を与え、使途不明金が6億円あるとのことです。共謀した某氏が、加戸氏の罪を全部被り、刑務所に這入り最近出所したのに何の「厚誼も示さない」ので全貌を暴露すると語ったそうです。これは、人間として加戸氏が最低だ、というどころか、犯罪者であったという風聞ですが、某氏の言うことが証明されたら面白いことになりそうですよね。 リクルート贈収賄事件に連座した加戸氏なら事実かもですよね」(「愛媛県知事加戸守行【疑惑】」)。
 四電原子力本部を愛媛県へ移転

 2011.6.29日、四電原子力本部を愛媛県へ移転させた。2010年の時点で、四国電力の原子力本部は香川県高松市の本店内に所在し、この伊方原発の管理・運転計画の中枢となっていた。四国唯一の原発を擁する愛媛県では、当時の加戸守行知事が2005年と2006年にそれぞれ四国電力に対して原子力部門の県内移転を要請している。しかし、原子力部門に限るといえども、ある程度の権限を持った本部を移転するということは、本社との二重構造を引き起こす可能性があるなど、四国電力にとって経営の根幹に関わる問題であることから、要請には消極的であった。ところが、2011年3月の福島第一原子力発電所事故がきっかけとなり、愛媛県知事の中村時広が改めて四国電力へ要請をしたところ、四国電力側は本店にある原子力本部を2011年6月を目処に愛媛県松山市に移転することを決定した。 移転後はすでに松山市にある愛媛原子力対策室と統合され、取締役副社長である原子力本部長以下総勢25人程度のスタッフにより業務を行う予定とされた。そして2011年6月29日をもって、原子力本部が高松市の本店から松山市へ移転した。スタッフは、原子力本部長(取締役副社長)以下30名の体制である。ただし、松山(原子力本部・愛媛原子力総合対策室)から伊方原発までは直線距離でも65km離れており、自動車で実際にかかる到達時間も高速道路を利用したとしても松山市内からは1時間30分かかる
 2011年、知事退任後、大阪国際大学客員教授を務める。
 2012年、秋の叙勲において旭日重光章を受章。
 2013.1月、教育再生実行会議の委員を務める。
 日本会議のメンバーで日本会議愛媛県本部の相談役。日本会議は、1997.5月、当時の「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が合併する形で発足した組織である。2016年時点で会員は約3万8千人。日本会議に呼応する日本会議国会議員懇談会に名を連ねる衆参両院議員は約280人を数え、組織の役職などには著名文化人、学者、財界人らが就任している。今治市長の菅良二も日本会議メンバーである。
 「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」の実行委員長。
 日本会議の主張を反映した育鵬社教科書の支援団体「教科書改善の会」の賛同者である。
 2013.10.11日、「教育再生実行会議」の場で、加戸県知事が、獣医学部新設について次のように述べている。「三十数年間固定されておりますけれども、総理の言葉を借りまして、固い岩盤も愛媛県という小さいドリルであかないので、実行会議の大きなドリルで穴をあけていただければ」。
 2014.9.12日、日本会議愛媛県八幡浜支部の設立総会が八幡浜市北浜の商工会館で開かれ、前愛媛県知事の加戸守行氏が「日本の魂(こころ)」と題して記念講演を行い、日本人の感性を育んだ道徳の役割などについて話した。「日本は戦後69年間で経済は発展したが、精神構造は劣化している」などと指摘していたことが明らかにされている。同支部は県内6番目で、会員数約150人。事務局は同市の八幡神社に置く。設立総会には約60人が出席。設立の趣旨や活動方針が報告され、支部長に八幡浜商工会議所会頭の鈴木欽次郎氏(80)を選任。続いて県本部会長の中山紘治郎・愛媛銀会長が「憲法改正を目指して支部を津々浦々に増やし、国民運動を展開していこう」とあいさつした。
2015年11月30日、 愛媛新聞対談求める愛媛の形 熱く 国論二分の諸問題 加戸兄弟語る」。
 兄 加戸 弘二氏 (かと・ひろじ=医療法人弘友会会長、加戸守行前知事の兄)(医師・環境保護団体代表)
 33年生まれ。八幡浜高、京都大医学部卒。医療法人弘友会会長。環境保護団体グリーンコンシューマーおおず(GCO)代表。GCO は9月、大洲市議会に四国電力伊方原発再稼働に反対する請願を提出し、不採択となった。大洲市在住。2017年2月18日午前0時37分、大洲市東大洲の自宅で死去、84歳。八幡浜市出身。

 弟 加戸 守行氏 (前知事)
 かと・もりゆき 34年生まれ。八幡浜高、東京大法学部卒。文部省(現文部制科学省)に入省し文化庁次長~同省官房長などを経て99年、知事に初当選。06年、伊方原発3号機のプルサーマル計画に同意。10年11月まで3期務めた。松山市在住。

 ダム、原発、安保―。国論を二分する問題で長年、議論してきた八幡浜市出身の兄弟がいる。兄は医師の加戸弘二(82)、弟は前知事の守行(81)。兄は環境保護団体の代表を務め、三つのテーマ全てに反対の立場。一方の弟は、かつて県政を担い推進や賛成の立場で政治判断を重ねてきた。「守行、それでいいのか」「兄貴はそう言うが」。戦後70年、兄弟対談で思い描く日本や愛媛の形をぶつけ合った。
(敬称略、聞き手・中井有人)

 始まりはダム
 環境マイナス大きい 弘二氏
 洪水阻止のため必要 守行氏
―お互いの性格をどうみていますか。議論の始まりは何でしたか。
弘二 役人出身の弟と、しがらみのない立場の私では違いがありますね。
守行 子どものころは兄貴は口数が少なく、私は多かったですね。私は朝から晩まで遊び回って。兄貴は外で駆け回るタイプじゃなかったですね。
弘二 私は年を取って大学を出てから言うべきところは、はっきり言うようになりました。守行は役人の世界では天衣無縫というか、枠にとらわれないところはあります。
守行 議論の最初は山鳥坂ダム問題かな。山鳥坂ダム建設や鹿野川ダム改造を推進するという意見と、もうダムは要らないという論。私は知事として推進の立場で、なんせ兄貴は環境という点から反対していましたから。会うたびに意見対立だったですかね。
弘二 私はダムに反対で住民投票ヘ署名集めをする中心メンバーでしたね。私は最初、守行は立場上推進の考えなのだろうと思っていました。守行は(1999年に)知事になったばかりの時、「県がお金を出さないかんなるし、どちらかといえば、本当はダムができんほうがええんやけど」と言ってなかったかね。
守行 あの時は過去の材料を集めて詳しく分析したわけでもなくて。材料を集めて勉強して、どうしたらいいかを考えていました。当時は(ダム建設が)松山市の水問題を解決するのに、非常に有力な手段だから松山の水がウエートの高い要素として頭にありました。その後、中予分水案がすっ飛んでから、環境と洪水防止の問題になってきました。そこでダムをやめるかどうかという時に、鹿野川ダムの改造を私が提案したんです。国土交通省がのんでくれるという方向が見えてきたから推進しようとなった。
弘二 私もダム建設予定地を見に行きましたけど、ダムができて自然環境を破壊するというのはプラスマイナスから見ると、しない方がいいと思いましたね。
守行 中山川や矢落川の水量の方がはるかに多いから、そこにダムができるのがいいのだけれど、環境条件から地質調査をやってできないとなり、次善策として(河辺川にある)山鳥坂ダムなんですよ。兄貴が言うのは、ダムが自然環境を破壊するという論理であって、山鳥坂ダムの治水効果が低いといっても、矢落川ならいいんですかといえば反対でしょう。議論がかみ合わないですよね。要するに環境保全を重視するか洪水を阻止するかということで。
弘二 山鳥坂タムが調節するのは肱川の流域面積の5%なんですよ。環境面からいってもやはりマイナスの方が大きい。ダムを造ることにより水没集溶もできる。利益を得る業界や国交省の意向が強くて進められていると私は思う。
原発の是非
最終処分場 適地なし 弘二氏
新設と再稼働 別議論 守行氏
 ―原発に対してどう考えていますか。
弘二 東京電力福島第1原発事故前は漠然と原発反対の気持ちでしたが、事故後、原発自体に強烈に反対するようになりました。再稼働も反対。もし福島と同じ事故が伊方原発で起きたら大洲に住めなくなる。松山も同じ。デメリットがはるかに大きい。
守行 福島原発事故は、地震で起きた予想外の津波で電源が喪失し代替電源が確保されていなかったのが原因で、二重三重の代替電源を確保しさえすれば問題が起きない、というのが私の基本的考えです。兄貴は日本の原発を全て止める考えで再稼働に反対しているが、京都議定書で日本が目指していた二酸化炭素(CO2)排出抑制に逆行する政策。もともと環境保護論者だったのにCO2の問題をどうお考えなんですかと反論したいですね。
弘ニ 津波が原因だと言うが、原因はまだ分からんというのが本当。地震動が原因で配管が破損したかもしれない。原因も分からないのに十分な対策ができたなんてものではない。福島の場合は放射性物質の多くが太平洋に流れたが伊方で事故が起これば瀬戸内海から西日本に広がる。CO2削減は必要だけど、原発への固執は日本経済の再生を遅らせる。一時的に化石燃料に頼らなくてはならないが、なるべく早く脱却するためにも、再生可能エネルギー導入を進めないといけない。
守行 科学技術の粋を駆使し人知の限りを尽くしても事故を100パーセント防げることはあり得ない。飛行機は落ちないといったって落ちる。原発事故はあってはならないが、100パーセントなくせるかといったら神様しか知らない。原子力規制委員会を信じ、状況を判断すべきではないでしょうか。
弘二 規制委は「100パーセント安全」とは言ってないわけですよね。そういう状態で、なぜ原発を動かさなきゃいけないかと。現に使用済み核燃料がたまり、リサイクルする核燃料サイクルは破綻しているわけです。それより未来を見つめ、今でも原発に負けないだけのコスト競争力がある自然エネルギーを使っていけばいい。自然エネはどんどん安くなっていく。
守行 まあコストは専門家じゃないと分からず、誰の意見を信用するかだけども。それで今、再稼働が問題になっているんですよ。原発を新しく造っちゃいかんというは一つの考えだけれども、現在あって福島事故前に順調に動いており止めて様子を見ていたものをなぜ再稼働しちゃいかんのか、これは別の議論として必要だと思う。
弘二 新設なんて国民的合意は得られないだろう。伊方の再稼働に関しても愛媛新聞の調査で69%が否定的だ。堂々と(再稼働の是非をめぐる)公開討論会を開き、専門家に話してもらうべきだ。事故を起こしたら後世に責められますよ。取り返しがつきませんよ。世界で核廃棄物の最終処分場建設が進んでいるのはフィンランドしかない。(地震国の)日本に適地はないです。使用済み燃料はもう原発に保管し続けるしかしょうがないのではないかと。
守行 人間はいろんな知恵を出してものごとを解決しているので、必ず道は見つかると思いますよ。窮すれば通ずです。
弘二 中間貯蔵を10万年続けるしかなくなるのではないでレょうか。そんな使用済み燃料をこれから増やしてもいいのか。
守行  いやいや、放射性廃棄物が増えるというけど今までの放射性廃棄物が存在するわけだから五十歩百歩の話であって。これまでの50もこれからの50も解決していきましょうというのが人間じゃないですか。
弘二 やはり国民や大洲市民のためを考えたら、原発は目先の利益だと思います。原発がなくなると経済的に因る人もいると思いますが、廃炉ビジネスもあるわけだから。
守行 ベストチョイスは当分の聞は原発で将来は核融合というのが文部省時代からの感覚ですよね。原発は圧倒的にコストが安い。再生エネといっても非現実的。極論すれば、私は代替電源が見つからなければ原発を新しく造ってもいいと思っています。
弘二 大うそですよね。安全というのも、安いというのも。
安保と世界観

外交努力で緊張解消を 弘二氏
国守れぬ憲法おかしい 守行氏
ー知事時代、記者会見で県内市町から応募があれば核廃棄物の最終処分場の候補地調査を受け入れるのかという質問に「頭からノーと、かかっていく事柄ではない」と答えました。
守行 私が仮に今、知事で「愛媛に最終処分場を」と言われたら、積極的に取り組みますね。愛媛が嫌と言ったら徳島、高知、香川が引き受けてくれるんですか。少なくとも四国でとなれば愛媛が受けるべきでしょう。どっかで誰かが引き受けなきゃならない。その覚悟を持って、私は知事になりましたね。
弘二 国民投票や住民投票により、反対する住民が多ければ行政は考えなければならないと思います。イタリアは国民投票で脱原発を決めまレたよね。
守行 住民投票をやれというなら伊方町長選で原発推進、反対を公約に町長を選ぶべきですよ。私は沖縄県知事に賛成じゃないけれど、彼は少なくとも米軍基地の辺野古移設反対で当選しているから住民投票しなくても「世論、われにあり」と言える。
 安保法にしても、昨年、安倍内閣は(集団的自衛権の行使容認を)閣議決定しているじゃないですか。昨年の衆院選で自民党は声高に叫ばなかったけれども公約に安保を入れてますよ。今ごろ反対の声があるけれど、首相や政党がどんな公約をしようと、何かあればその都度、住民投票で決めるんですか。じゃあ選挙って何ですかとなる。
弘二 安保法には反対です。今まで70年間、戦争をせずに済んでいることを支持する国民も多い。戦争放棄は簡単じゃないが、世界が目指すべき理念だと思う。政権与党は民意に沿ったことをするべきだと思う。衆院選の自民の公約は、アベノミクスがでかでかと載っており安保は数行だけ。選挙結果と民意は必ずしもイコールではない。
守行 自民の候補が「安保やります」って演説で大きく言わなかったから悪いの? メディアはその前に閣議決定を大きく扱ったよね。国民はそれを知っているわけだ。安保をやるのは見え見えでしょう。
弘二 でも結果的に多くの民意を踏みにじっているよね。今でも世論調査で多くの人が反対するわけで。
―憲法への見解は。
弘二  今の憲法を守るべきだと思いますね。条文には戦力は保持しないとあり(自衛隊の存在は)実質的にそれに反していると思いますが。国際的な緊張が高まっていると首相は言うけれど、外交努力によりそういう緊張がないようにすることが大切です。
守行 よそ(米国)から頂いた憲法を金斜玉条にしているのは日本だけ。自前の憲法を持つべきだというのが第一。第二は戦力放棄というけれども、9条を解釈すると武力行使できないから反撃できないはずで、国を守れない条文そのものがおかしい。
―なぜ意見が異なるのでしょうか。
守行 私は国家公務員も知事もやり、行政感覚で最大多数の最大幸福を考え、欠点もあるがこれでいいだろろと、原発もダムも判断してきました。文部省では日教組対策をやってきましたが、反対運動は全てとは言わないが誰かが扇動し、みんなが乗っている。しかしよく見てみると中身を考えていない。戦争反対、徴兵制反対とあおられれば国民がそっちヘ流れるというのを、身に染みて見てきました。その延長線上に原発問題もあるんじゃないかというのが気持ちの底にあるのは事実ですよね。人々の気持ちが、ある方向にわあっと行くのに警戒感があるんです。
弘二  弟は役人の道を歩んできたわけですよね。エリート社会の中で、自分たちがこれがいいと思ったらそれが最高だと思っているのか。私は権力に従わなくちゃいけない世界に住んでいないので、自由にものが言えるというのはあるかもしれません。
 2016.5.3日、松山市コミュニティセンターキャメリアホールにて、美しい日本の憲法をつくる愛媛県の会と、日本会議愛媛県本部が共催で「憲法フォーラム イン 愛媛」が開催された。参加者は1000名。東京から生中継で、櫻井よしこの憲法改正提言と、安倍総理のビデオメッセージが拝聴された。加戸守行元愛媛県知事(美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会実行委員長)、山本順三参議院議員が挨拶し、現在の憲法の欠陥をわかりやすく話した。百田尚樹氏総指揮による憲法改正映画も好評。
 2017.5.3日、日本会議の「第19回憲法フォーラム」に合わせた全国行事の一環として、美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会が「憲法施行70年 国会は憲法改正原案の提出を!」というテーマでフォーラムを行っている。加戸前知事は実行委員長として名前がクレジットされている。

 「加戸守行 前知事に聞く シリーズ①(聞き手 立花慶三)
 「民自公で消費税増税を」
 平成22年11月まで愛媛県知事を3期務めた加戸守行さん=写真。知事就任を前後して、極めて異例な愛媛県政の権威主義、形式主義というすさまじさに驚かされた。決して褒められることのない悪弊とどう向かい合い、公平で簡略な県政改革へ取り組んだのか。その一端をこのシリーズで赤裸々に語っていただくが、まずは発足したばかりの野田内閣へ何を期待しているか伺った。
 野田総理にいかがな感想をお持ちでしょう
 「とりあえず(彼が選ばれて)よかったと思いますよ。野田さんに期待するのは消費税の増税です。去年の参議院選挙のとき菅さんが突然、狂ったかのように自民党の10%に乗っかったでしょ。やっとこれで民主党も変わるな、打開の道ができたなと思ったら参院選で惨敗したために引っ込めちゃった。野田さんが自民党と組んだ救国内閣、また大連立でなくてもいいから自民党と民主党が握手して消費税アップをやらなければ日本はギリシャやスイス、スペインと同じような状況になるのが目の前の話じゃないかと思う
 デフレスパイラルのなか消費税増税への異論は根強い 
 「それは消費税アップの議論が出るたびに以前から言われています。どの内閣でも消費税の増税をやろうとしながら景気に悪影響が出ると言って先送りをしてきた。その結果が現在の長期債務900兆円、短期債務を入れると1100兆円でしょう。この数字は増え続けています」
 どこかで消費税増税に踏み切らないといけないと。一方、地方で税金をとれるシステムを作ってほしいと確か、加戸さんがおっしゃっていましたよね 
 「今愛媛県がやっているのは森林環境税と資源循環促進税。しかし両方を合わせても60億円ですからね。毎年、何十億円も増える社会保障の経費には焼け石に水です。所得税、法人税の税収は景気の影響で大きく変動しますが唯一、コンスタントな税収を見込めるのが消費税。増え続ける社会保障費には安定的な財源が必要です。私は知事会における立場としては、このままだと地方は潰れてしまう、夕張市に続いていく自治体が続出すると。だから早く税制改革をやってくれというのが私の意見でした
 地方はどうやりくりすればいいのか
 「地方がどうやって耐えているのか。国は地方で借金をしてくれと言う。しかしその手段がない。そこで臨時財政対策債で足りない金は県や市町村が債権を発行して借金しなさい、というわけです。借金の返済は将来、地方交付税で国が面倒を見るからと。愛媛県の予算でも今、6割はその借金ですよ。国は金をよこせないから、代わりにあんた借金してくださいと。将来の元利償還は国が交付税で面倒を見るからとね」
 でも国も金がない
 「そう、返す時になったら国に金があるわけがない。要するに国は借金をしては地方に送るしかないでしょう。実質、元利償還のときには国が仕送りすると約束しているわけだから国の借金と同じですよね。それを入れると国、地方を合わせた債務の894兆円という中身は、地方の借金がどんどん増えているということになります」
 当面、消費税はどの程度上げればいいとお考えに?
 「私は福田内閣のときに社会保障国民会議の委員として議論をしましたが、20%に上げなければ持ちません。スウェーデン、ノルウェー、デンマークが25%ですからね、本当は25%でもいいぐらいです
 それらの国の消費税率は高いかも知れませんが、教育などそれなりに社会保障に手厚い。その辺を一様に消費税率の多少だけで比較していかがなものかという気がしますが
 「だから税の一体改革ということをやっていますよね。現在の社会保障をキープした場合に消費税がいくら必要か、という議論がされています。野田さんは消費税問題を自公民3党の合意で一気呵成にやるしか打開の道はない」
 野田さんの任期中に消費税の増税をやれる?
 多分、小沢さんグループは反対でしょう。だからできないかもしれませんが指針だけは示しておかないと。だって900兆が950兆円になったら、1000兆円になったらといってだれも何も感じない。もう不感症にさえなっていますからね」
 みんなの党だったか、消費税を上げなくても100兆円からの基金のようなものがあるじゃないか、と言っていましたがあれはどういうものですか
 「これはですね、例えば年金のファンド。言うなれば運用している年金を崩すことがメインだろうと私は見ています。つまり毎年払う年金の金はありますが、今の人が10年先に払うときの原資というのは積み立てて置くわけですからそれに手をつけてしまえばまた借金と同じじゃあないですか」
 それに手をつけろというわけですか
 「そうです。要は借金をしようと思えばいくらでもできるわけです。例えば埋蔵金と言われているのが何かといえば、為替変動基金みたいに一変に円高、円安にガッと振れたりすると大きな差損が出るからそのための金を持っている。それを使うことはできるけど、そんなことをやったら為替の大変動が本当にあったときにはたちまちパンクしてしまいますよ」
 確かに為替の変動というのはだれも予測がつかない
 「原資をどこからひねり出すか。赤字国債を発行するのも結果は同じです。民主党がやろうとして失敗したけれど、為替特別会計や財政投融資特別会計から吸い上げて使った金は本来、余って余分になっていれば毎年国債の償還に充てるべきもの。それを借金返済に充てないで政府予算で使った。無茶苦茶をやっているのは今年の税収が38兆円ですよね、赤字国債は38兆円、建設国債が66兆円。つまり税収38兆円に対して44兆円って言っているけど埋蔵金から9兆円ぐらいを使い込んでいる。しかも借金返済に充てるものを返済しないで。だから純粋にみたらバランス上は税収38兆円に対して50何兆円の借金をしているわけですよ。まったく無茶苦茶な財政運営なんです」
 地方はとうていそんな無茶なことはできない
 「国だから借金してもいいのかって。地方で困るのは、増加する社会保障の経費に何から充てるか。地方は国のように埋蔵金はありません、借金の手段がありません。となると金額は限られてきますよね。地方が頭にきているのはこれだけ給与カットをやったりして色々とやりくりをしているのに国は給与カットはやらない、定数削減をやらない、議員定数も減らさない。地方から国に対して、がんがん不平不満が出ているわけです」
 公務員の給与カットは民間にも反映してくるから他人事でなく厳しい
 「だけどおよそ世界中で38兆円しか収入がないのに国債と埋蔵金とで53兆円も借金をする国なんて全世界にありませんよ。国家財政だけでとまっているならいいけど。頭にくるのは地方を見捨てているじゃあないかと。自分たちで必要な借金はしまくっていて、地方が足りないというとお前らも借金せよって、それはないでしょ」
 消費税を20%に上げたとしてもまた「子ども手当」などのばら撒き政策など、政局運営のために使われると何のための値上げなのか分からない 
 「そりゃ、消費税を上げるときには当然、徹底的に切りましたという形を見せない限り国民は到底、納得はしませんよ」
 野田さん個人をどう評価していますか?
 「『A級戦犯は戦争犯罪人ではない』と明言しました。彼が総理として靖国神社に参拝するかどうかは分かりませんが、少なくともそういう考え方の持ち主であり、一国の総理がそれだけの見識を持っていることは評価できます。あれだけはっきり言った人は自民党の総理でも安倍さん以外にはいなかったんじゃないですか、小泉さんだって言ってない」
 「加戸守行 前知事に聞く シリーズ②」(聞き手、立花慶三)。
 「加戸流が変えた権威・形式主義」
 出馬を固辞されながら最終的に応じられたのは?
 「知事選にまだ関係のないときですが大洲の兄貴から呼び出しがあり、八幡浜のロータリークラブの記念式典の講演を頼まれました。テーマは『惻隠の心』。その講演のテープが県内にばらまかれて。そして兄貴に言われたことが、『お前も愛媛で育ててもらった恩義がある。こんなに愛媛が困っているときに見捨てるのか。それでは守行の信条の〝惻隠の心〟に反するじゃないか』って。その言葉でギャフンとなりました」
 あくまで固辞されようとした真意は?
 「正直、お金もかかりますし。さらには、今こうしていい人生の終わりを迎えようとしているところに、何でそんなドロドロとしたところに身を置かなければならないのかという思いがあった」
 確かに当時は強権力やら何やらが複雑に絡み合っていた。さて、そうしたなかに足を踏み入れて、いかがでしたか。
 「まず、選挙戦がひどかった。言葉は悪いですけど当時の体制というのはまさにかつてのカダフィー大佐、精神的にはそれに近い状況でした」
 あの権威主義って何でしょう、白石(春樹)さんが始まり?
 「これは私の感覚ですが、久松知事がお殿様であり君主的存在だった。そういった精神的に権威的な土壌を背景に白石さんが最高実力者として全てを仕切られた。お殿様から白石天皇〟へと引き継がれ、そして伊賀貞雪さんでしょ。いうなれば〝県庁50年の王様〟という3代続いてのフォーミュラっていうか形式が確立された。『天皇は神聖にして冒すべからず』という大日本国憲法ではないけれど、愛媛県憲法、愛媛県知事は神聖にして冒すべからずという状況だったですよね(笑)」
 国会議員がひれ伏すほど、すさまじいばかりの権威が構築された。
 「ホントに帰ってきてびっくりしたのは、選挙戦を終わって私が愛南町に行ったときのこと。知事がお見えになると、当時の近隣の市町村長がぞろぞろやってきて。秘書課の職員はというと宿泊する旅館の玄関から廊下の長さ、部屋までをメジャーで測って、座布団の厚さ、テーブルの厚さまでチェック。お茶は宇治の何とかという銘柄を指定し、しかもその温度は何十何度と。さらには職員が当日の食事を作って出せといってそれを試食し、これなら結構だって(笑)」
 まるで行幸といった感じ。
 「いやいや天皇陛下でも、そんなことなさっていませんよ(笑)。とにかく驚くべきものばかりでした」
 それは白石さんの時代以来のことでしょうか。
 「そうですね、白石さん以来でしょうね。私が聞いたのは伊賀さんのときにはすでにこうだったって言うから、もう漫画ですね」
 今となれば漫画かも知れませんが、当時は取材拒否もあり深刻かつ悲壮な実態がありました。
 「権威っていうのはずっと水の中に入れておけば神々しく見えるんです、実像を見せない方が。お偉い方、知事様がいらっしゃいますよって言うだけでね」
 そうした悪弊を突き崩したかった。
 「というか、私にとって楽だったのは文部省時代の課長や局長になっても通した自分のスタイルでやれば変えられるなって思ったから。無理しなくていいんですよ、私の生き方に適合した自然体の知事像を出せばいいやって」
 いざ知事の椅子に座ってみていかがでした?
 「例えば知事室へ部長が来れば直立不動で要旨を述べ、『よかろう』って言ったら『はっ、ありがとうございます』っていう形式だった。知事の前では直立不動という、バカげた話です。ですから私はソファーに座って部長をそばに座らせて話を聞くようにしたんです」
 「加戸守行 前知事に聞く シリーズ③」(聞き手、立花 慶三)。
 <形式で醸成される権威の仮面>
 権威主義、形式主義を象徴する事例とは。
 「例えば県議会の議場の知事の椅子。背もたれが他の椅子の倍ほどもある特別な椅子で、中国の皇帝の玉座のようでした。みんなと同じものにすぐに取り換えるよう指示をしましたが、これも壮大な椅子に座っているだけでみんなが権威を感じるってことでしょうね」。
 権威とは形式から入る?
 「県庁の玄関から三階に上がるじゅうたんは赤だった。国会も赤じゅうたんですから私には抵抗はなかったのですが、愛媛県の場合は赤じゅうたんがあるから県庁の敷居が高い。赤じゅうたんは知事が歩き、県職員はじゅうたんを敷いてない両端を歩くという。これも何とかしなければと、大人しいベージュ色に取り換えました。そして、知事室の荘厳な扉を開けて中に入るというのは気持ちがすくむだろうから最初から開けておきなさい、と」。
 私もドア畏怖派(笑)。その怖さってよく分かります。
 「さらに権威の象徴だったのは知事選の最中でしたが、車で街宣しますよね。まずびっくりしたのがあらゆる工事の看板に『発注者 愛媛県知事○○○○』と書かれていたこと。松山市なども市長名が書かれていて同様です」。
 多くの県民はそれが当たり前と思っていた。
 「建設省管理の国道11号、33号、56号線という二ケタ国道は、四国地方整備局というだけで局長名など入っていません。ところが三ケタの197号線といった国道は県の管理国道だから県道とともにありとあらゆる所、どこへ行っても○○○○…。選挙で一番役に立つ名前を知ってもらえる(笑)」。
 税金を使って。
 「そう、知事個人で金を出しているわけじゃあない。だから愛媛県知事とか愛媛県中予地方局道路建設課、そして連絡先の電話番号と、それだけでいいから知事の名前は全部消せと」。
 権威主義の弊害とは?
 「みんなが奉り過ぎ、怖がってモノが言えなくなることですね。そんな偉い人に反対意見や批判的な意見など言える訳がない。さらには緊張感ばかりが先行して自由闊達に仕事ができず、県民も接しにくい」。
 なるほど。
 「古くから統治の基本理念に『由(よ)らしむべし、知らしむべからず』(論語)とあります。『県がやることにみんなついてこい。理由など分からせなくていいから』。これこそまさに権威があってできることなんですね。県がやろうとしていること、これは知事の意向だ、みな逆らっちゃイカンと。それが具体的に様々に出てくるところが形式であり、格好である訳です」。
 メディアにはどんな印象を。
 「知事に当選して、マスコミにあいさつに行きました。びっくりしたのは例えばテレビ局では社長以下、役員全員が玄関に整列して出迎える」。
 それも、よく分かる心境ですが(笑)。
 「新聞社もそうでした。ですが一国の総理でさえ、例えばテレビ局へ行ったときに役員が玄関に整列してお迎えするなんてありませんよ。だから、なんで愛媛県ではそうなさっているんですかと聞きました。そして、送迎無用です、ってね」。
 愛媛県の常識は非常識?
 「ことほど左様にあらゆることが天皇陛下に準じるというか、それ以上の形式で保護されてきましたよね。それを愛媛の人は当たり前だと思っている。よその県でそんなことはない。だからやっぱり井の中の蛙、愛媛県は古くからそんなもんだとみんな不思議に感じてなかったんですよ」。
 そうした残像がとれるのに時間はかかりましたか。
 「ずいぶんと矢継ぎ早にやりましたから、みんなすぐに慣れたと思いますよ」。

【加戸守行知事退任あいさつ】
 「加戸守行知事退任あいさつ」。
 日時:平成22年11月30日(火曜日) 11時30分
 場所:県庁第二別館6階 大会議室

 皆さん、こんにちは。本日、皆さんとお別れする瞬間が参りました。12年間にわたる県庁職員の皆様方の懸命な御努力、御支援、御協力に心から感謝申し上げます。

 思い返すと、平成11年1月28日にこの壇上に立ち、皆様方に訴えました。知事や上司といった上にではなく、愛媛県民や県内の市町村に目線を合わせて欲しいと要請しました。この基本的な考え方に基づいて、12年間で素晴らしい愛媛県に転換したことを評価させていただきます。県知事の仕事は、掛け声をかけたり、思いつきを言ったり、そういった傾向は無きにしも非ずですが、県民の社会保障や福祉をはじめとする行政サービスを展開するため、全員一致の協力体制がなくては何事も成し得ません。表面的にはいろんな現象が見えます。しかし、物事が成るまでの間の、下積みや裏方の懸命な汗と涙の結晶が、一つの事象の成果として表れるものです。

 県民の負託に応えるため、今日まで私なりの思いをもって走らせていただきました。その間、例えば用地の買収や県税の徴収、あるいは県民からの何くれとない相談への対応や普及指導員としての農家の方とのさまざまな接触、これらすべてのことが愛媛県の現在、未来をつくってきたわけです。お礼を申し上げたいことの一つは、県民の間に溶け込み、率先垂範して素晴らしい活動を展開していただいたことです。

 平成16年の新居浜、西条地域における豪雨災害・土石流の災害で、復旧支援に駆けつけたボランティアの過半数が県庁職員だったことは、12年間の知事生活の中で最大の誇りと悦びでありました。皆さん方にはずいぶん無理を申しました。国際航空路線であるソウル便、上海便搭乗率の減少など、国際問題があった等々で路線の存続が危ぶまれるたびに、県庁職員に協力を要請しました。中には、3回も4回も利用された方々もおられます。そういった支えがあって、2つの国際路線は今日までキープできているのです。

 また、スポーツの振興という視点で、愛媛FCあるいは愛媛マンダリンパイレーツ県民球団を盛り立てていきたいとの思いから、折目節目に入場者の確保の動員をかけました。時間をさいて、スタジアムや球場に足を運び応援いただいた皆様方にもお礼を申し上げます。なかんずく三位一体改革による地方財政の極度の逼迫の中、あらゆる事務事業の削減や県有財産の売却など、歳入確保のいろんな手当てをした後に、禁じ手とも言える県庁職員の給与カットに踏み切らせていただきました。ちょうど生活において子弟が進学されるなど、家計が苦しい方々にとって給与カットは残酷な措置であったと思います。愚痴を言わずについてきていただき、心から感謝申し上げます。

 この考え方の基本にあったのは、中国の宋時代の政治家、范仲淹(はんちゅうえん)が『岳陽楼記』の中で残している言葉です。「天下の憂いに先だちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」。いわゆる先憂後楽とダイジェストされて日本では使われていますが、県庁職員が率先垂範してこの財政危機に対応し乗り切っていくということがあって、はじめて県民に行政サービスの低下や事業量の減少等について理解を示してもらえると思いました。私が知事の職から去るにあたり、せめてもの償いとして、来月から給与カットの措置を大幅に緩和させていただきますが、今後、国・地方の財政状況は、まだまだ安心できないのではないかと懸念しています。任期を若干残して退任するのも、新しい知事の下、新しい愛媛をつくる基礎づくりのため、来年度の予算編成あるいは組織・機構の見直し等々に期間が必要と考えたからであります。

 私の好きな言葉に「人生意気に感じては成否を誰かあげつらう」があります。愛媛に対する思いを持ち、仕事で意気に感じて取り組んだことが、結果として吉と出るか凶と出るかは、いずれ後世の人々が評価するでしょう。人間は目指す方向への思いを持って仕事をすることに生きがいを感じるものである、このことを自分の信条として今日まで対応して参りました。

 実は、私が知事に就任した3ヵ月後、皇太子殿下、雅子妃殿下の御来県を仰ぎ、しまなみ海道の開通式典が盛大に開催されました。その時、自分自身は県知事として、しまなみ海道開通に関し、何ら寄与、貢献もしていないと感じながらも、県知事であるが故に主役として、晴れがましい舞台に立ちました。思えば、それまで数十年にわたっての、先人のさまざまな取り組み、努力など、多くの方々の貢献が結集してあの式典につながったわけですから、自分自身が企画して成功させ、自分の手で祝おうと考えるべきではないと思いました。

 世の中の評価は、その時代に何があったかということで見ます。その晴れがましい時点で知事のポストにあった人、あるいは部長のポストにあった人、課長のポストにあった人の関わりはいささかであり、多くは先人の努力によるものです。道州制が実現した場合は別にして、明治初期以来の愛媛県の歴史はそういう形でつくられてきたのだろうと思います。仕事をする上での一つの考え方であり、そんな思いで今日まで仕事をして参りました。それまでの間、地道な努力を重ねてきた多くの方々がいる中で、その時期にポストにある人が代表して栄誉を受けているに過ぎない。皆さん方もこのことを肝に銘じて職務に取り組んでいただければ幸いです。

 楽しい思い出もたくさんつくってもらいました。県民ミュージカルに出演したほか、私の願いであった県民オペラは3回開催することができました。この、舞台の公演もたった一日です。そこで展開されたオペラは素晴らしい芸術であると評価されるでしょうが、それに至るまでの長い期間の仕込み、あるいは舞台の裏で努力されている多数の方々の努力の結晶が、わずか短い時間で評価されているのです。

 私自身、全国知事会では、どちらかと言えば少数派の知事でした。三位一体改革の時には、3兆円の税源移譲と義務教育費国庫負担金の廃止がテーマとなり、全国知事会で徹底抗戦いたしました。確かに義務教育は市町村で行われる教育ですが、義務教育を課しているのは国ですから、就学義務を課すことの財源は国が100パーセント手当てすべきであり、地方の税収で賄うものではないという信念からでした。残念ながら、何でもいいから地方に金を持ってきたいという流れの中、全国知事会では3分の2の多数決で敗れ、義務教育費国庫負担金の補助率は、2分の1から3分の1にカットされて決着しましたが、私自身は、このことで正論を主張し続けたことに誇りを持っています。

 最近では、国・地方を通じた財政難の中、「地方財政の展望と地方消費税特別委員会」の委員長として、47都道府県知事の中で誰よりも先に、誰よりも強く、地方消費税の引き上げなしに、地方における社会保障を中心とした行政サービスの維持は極めて困難であるという主張を繰り返して参りました。全国知事会の中でも理解は進んできましたが、もっともっと強く声を上げ、あるいは県庁職員全員が、県民に理解を求める努力をしていかなければ、財政破綻への道をひたむきに歩んでいる傾向は変わらないと思っています。

 愛媛県知事になった時、誇らしかったことの一つは愛媛県という県の名前でした。大体4年に1回、県知事は、天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下に県政概要を御説明する機会を得ます。その時に、胸を張って申し上げたのは、1300年前に太安万侶によって編纂された『古事記』の中の国生みの神話です。淡道之穂之狭別島(あわぢのほのさわけのしま)の次に、伊予之二名島(いよのふたなしま)、今の四国が生まれました。「此嶋は身一つにして面四つ有り。伊予国を愛比売(えひめ)と謂い」。

 1300年前の文献で、47都道府県の中、唯一表れている地名が愛比売であり、愛しい媛、愛らしい媛といった、こんな素晴らしい名前の県はないと思っています。今日、名前に関してうれしかったのは、今まで常用漢字に含まれていなかった、愛媛の「媛」、才媛の「媛」の字が、本日付けの内閣の告示で常用漢字に追加されたことであり、胸を張って愛媛という字を書くことができるようになりました。また、愛媛にある「愛」も、私にとって誇りでした。「愛」あるブランドで県産品を宣伝させていただきましたし、坂村真民先生の書による「愛媛産には、愛がある。」は、愛媛のブランドマークであります。明日、知事に就任される中村時広さんに、名刺に「愛媛産には、愛がある。」を使ってくださいとお願いをしました。普通、知事が交代すれば、新しいコンセプトで自分自身の好みの名刺を作られますが、後任に注文をつけてはいけないことは重々承知の上で、愛媛の思いがこもっている「愛媛産には、愛がある。」を使っていただくことにしました。

 愛媛には1200年前からの、衛門三郎以来の遍路文化があり、お接待の心があります。私は、人に対する思いやりの気持ちを「愛と心のネットワーク」というコンセプトで提唱いたしました。サマーボランティアの参加数をはじめ、さまざまな分野で、この花が大輪のごとく咲き誇っていくことを大変うれしく思っています。幸いなことに、中村時広新知事にも「愛と心のネットワーク」の精神は継承・発展させると約束いただいており、全国に誇る愛媛県のこのコンセプトを今後とも大切にしてほしいと願っております。

 私はこれまで、3月末に退職される県職員に、明治の詩人、与謝野晶子が歌集『草の夢』の中で詠んでいる歌をはなむけの歌として呈して参りました。「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」。「劫初」の「劫」というのは未来永劫の劫で、「劫初より」は、愛媛県がスタートした時点から今日に至るまで、「殿堂」は建物のことではなく、愛媛県、愛媛県庁という組織・機構の意味と理解していただければと思います。その殿堂に、自分も黄金の釘を一本は打った、という思いを持って県庁を去っていただきたい、そんな思いから申し上げて参りました。私が今日、県庁を去るにあたり、この歌を自分自身に贈りたいと思います。愛媛県の歴史の中で、皆さんとともに黄金の釘を打つことができた喜びを、この歌に託して感じたいと思っております。

 これからは一県民として、愛媛県の発展を祈って参ります。どうか、街でお会いする機会があったら、「加戸さん元気ですか」と声をかけてください。加戸ちゃんと言われると一番うれしいのですが、これは小中学生に委ねます。皆さんとともに愛媛の発展を願い、一県民として皆さん方の御健闘を祈ります。

 最後に、先ほど触れた坂村真民先生の「あとから来る者のために」という詩を読ませていただきたます。県庁で仕事をするということは、過去の歴史・伝統文化を引き継ぎ、現在の時代に合わせて変化・対応を考え、そして未来から来る者のためにバトンタッチをすることであると思うからです。

 「あとから来る者のために田畑を耕し種を用意しておくのだ
 山を川を海をきれいにしておくのだ
 あああとから来る者のために苦労をし我慢をしみなそれぞれの力を傾けるのだ
 あとからあとから続いてくるあの可愛い者たちのために
 みなそれぞれ自分にできるなにかをしていくのだ」。

 あとから来る、これから産まれてくる子どもや孫たちのために、愛媛県が何をなすべきか、それぞれの立場でお考えいただき、この県庁の中で、自分にできる何かをがんばっていただければ幸いです。

 「愛媛の歌」は県政発足100年を記念して制定されました。藤岡抱玉先生の書による1番の歌詞がそこに飾ってあります。時々は眺めてください。私の大好きな「愛媛の歌」の1番、2番の歌詞に、県庁職員が目指すべき方向性がすべて盛り込まれています。「愛媛の歌」とともに働き、生き、心の支えにされ、新知事の下、再結集して愛媛の未来を築いていかれることを祈ります。ありがとうございました。

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 「加戸守行前知事発言集」。

平成22年度(平成22年11月30日以前)

平成21年度

平成20年度

平成19年度

 

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