クラブキャッツアイ訴訟事件

 (最新見直し2008.3.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「クラブ・キャッツアイのカラオケ訴訟」を確認しておく。

 2008.3.3日 れんだいこ拝


【「クラブ・キャッツアイ事件」】

 クラブ・キャッツアイのカラオケ訴訟で、民事訴訟「1988(昭和63).3.15音楽著作権侵害差止等クラブキャッツアイ事件、最高裁第三小法廷判決」が出ている。これを検証する。本件は、最高裁判決で、カラオケスナック等におけるカラオケ演奏を伴奏とする客の歌唱も、スナック経営者による歌唱と同視しうるものであるとして、演奏権の侵害になると判示している。

 不正商品対策コンサルタント。八木正夫氏の知的財産権問題の現今(5)に「カラオケボックス/使用料不払いは著作権を侵害/東京地裁判決」なる見出しの概要次の記事があったのでこれを転載する。

 「カラオケスナック」に関して演奏権侵害か否かが争われた「クラブ・キャッツアイ事件」(最高裁小法廷判決、昭和63.3.15)では、客やホステスの歌唱が公衆たる他の客に直接聞かせることを目的していることは明らかで、客はスナック側と無関係ではなく、店側の歌唱の勧誘、備え付けられたカラオケテープの範囲内での選曲、カラオケ装置の従業員による操作等を通じて歌唱されている以上、著作権法上は、スナック側による歌唱と同視し得るとして、権利者の許諾なくカラオケ演奏を実施することは演奏権侵害を構成するとした。

 しかし、この論理から言うと、「カラオケボックス」の場合は、親密な仲間の中での歌唱であり、カラオケ装置の操作も店側によるものではなく、店側は単にスペースと機器を提供しているに過ぎないとの反論も構成し易い。この記事を読む限りでは本判決においてこの辺についての理論構成がどのように為されているのかつまびらかでない。

 96年12月以来各地の地裁で仮処分決定が出されているが、97年12月の大阪地裁の仮処分決定書によれば、「客は経営者の管理下で歌唱し、経営者は客が歌唱する場とカラオケ関連機器を提供することによりカラオケスナックなどにくらべ、より直接的に営業上の利益を得ており、著作権法上の規律の観点から、経営者自身が歌唱により音楽著作物を使用しているのと同視すべきであり、カラオケ歌唱室でのカラオケ利用について経営者が著作物使用許諾手続きをとらなくてはならない」としている。

 なお、「カラオケボックス」に関しては、本年「全日本音楽著作権料値下げ交渉聯盟」加盟のカラオケボックス事業者28名が、JASRACを相手取り著作物使用料支払い債務不存在確認請求を東京地裁に提起、これに対しJASRACは3月30日同地裁に反訴を提起している。

【「クラブ・キャッツアイ事件最高裁判決文」】

 「クラブ・キャッツアイ 事件(最判昭和63.3.15日)」を転載しておく。

 主    文

 原判決中カラオケ演奏を伴奏とする歌唱による演奏権侵害を理由とする被上告人の損害賠償請求にかかる部分に関する本件上告を棄却する。その余の本件上告を却下する。訴訟費用は上告人らの負担とする。
         

 理    由

 上告代理人安部千春の上告理由について

 原審の適法に確定したところによれば、上告人らは、上告人らの共同経営にかかる原判示のスナツク等において、カラオケ装置と、被上告人が著作権者から著作権ないしその支分権たる演奏権等の信託的譲渡を受けて管理する音楽著作物たる楽曲が録音されたカラオケテープとを備え置き、ホステス等従業員においてカラオケ装置を操作し、客に曲目の索引リストとマイクを渡して歌唱を勧め、客の選択した曲目のカラオケテープの再生による演奏を伴奏として他の客の面前で歌唱させ、また、しばしばホステス等にも客とともにあるいは単独で歌唱させ、もつて店の雰囲気作りをし、客の来集を図つて利益をあげることを意図していたというのであり、かかる事実関係のもとにおいては、ホステス等が歌唱する場合はもちろん、客が歌唱する場合を含めて、演奏(歌唱)という形態による当該音楽著作物の利用主体は上告人らであり、かつ、その演奏は営利を目的として公にされたものであるというべきである。

 けだし、客やホステス等の歌唱が公衆たる他の客に直接聞かせることを目的とするものであること(著作権法二二条参照)は明らかであり、客のみが歌唱する場合でも、客は、上告人らと無関係に歌唱しているわけではなく、上告人らの従業員による歌唱の勧誘、上告人らの備え置いたカラオケテープの範囲内での選曲、上告人らの設置したカラオケ装置の従業員による操作を通じて、上告人らの管理のもとに歌唱しているものと解され、他方、上告人らは、客の歌唱をも店の営業政策の一環として取り入れ、これを利用していわゆるカラオケスナツクとしての雰囲気を醸成し、かかる雰囲気を好む客の来集を図つて営業上の利益を増大させることを意図していたというべきであつて、前記のような客による歌唱も、著作権法上の規律の観点からは上告人らによる歌唱と同視しうるものであるからである。


 したがつて、上告人らが、被上告人の許諾を得ないで、ホステス等従業員や客にカラオケ伴奏により被上告人の管理にかかる音楽著作物たる楽曲を歌唱させることは、当該音楽著作物についての著作権の一支分権たる演奏権を侵害するものというべきであり、当該演奏の主体として演奏権侵害の不法行為責任を免れない。

 カラオケテープの製作に当たり、著作権者に対して使用料が支払われているとしても、それは、音楽著作物の複製(録音)の許諾のための使用料であり、それゆえ、カラオケテープの再生自体は、適法に録音された音楽著作物の演奏の再生として自由になしうるからといつて(著作権法(昭和六一年法律第六四号による改正前のもの)附則一四条、著作権法施行令附則三条参照)、右カラオケテープの再生とは別の音楽著作物の利用形態であるカラオケ伴奏による客等の歌唱についてまで、本来歌唱に対して付随的役割を有するにすぎないカラオケ伴奏とともにするという理由のみによつて、著作権者の許諾なく自由になしうるものと解することはできない。

 右と同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、これと異なる見解に立つて原判決を論難するものであって、採用することができない。

 なお、上告人らは、原判決中カラオケ演奏を伴奏とする歌唱による演奏権侵害を理由とする被上告人の損害賠償請求を除くその余の請求にかかる部分については、上告理由を記載した書面を提出しない。

 よつて、民訴法四〇一条、三九九条、三九九条ノ三、九五条、八九条、九三条に従い、上告理由に対する判断につき裁判官伊藤正己の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 裁判官伊藤正己の意見は、次のとおりである。

 私は、原審の確定した事実関係のもとにおけるカラオケ演奏に関して、上告人らは演奏権侵害の不法行為責任を負うものであるとして、右不法行為に基づく被上告人の損害賠償請求を認容した原判決は是認することができるとした多数意見の結論には賛成するが、その結論に至る理由づけには同調することができない。その理由は、以下のとおりである。


 多数意見は、上告人らがその共同経営にかかるスナツク等において、カラオケ装置とカラオケテープとを備え置き、ホステス等従業員においてカラオケ装置を操作し、客に曲目の索引リストとマイクを渡して歌唱を勧め、客の選択した曲目のカラオケテープの再生による演奏を伴奏として他の客の面前で歌唱させ、また、しばしばホステス等にも客とともにあるいは単独で歌唱させ、もつて店の雰囲気作りをし、客の来集を図つて利益をあげることを意図していたという原判示の事実関係のもとにおいて、ホステス等が歌唱する場合だけでなく、客のみが歌唱する場合についても、その演奏(歌唱)という形態による音楽著作物の利用主体は営業主たる上告人らであると捉え、その演奏は営利を目的として公にされたものであるから、右演奏につき被上告人の許諾を得ていない上告人らは、当該演奏の主体として演奏権侵害の不法行為責任を免れない、とするものである。

 私見においても、カラオケ伴奏によりホステス等従業員が歌唱する場合に、営業主たる上告人らをもつて、その演奏(歌唱)という形態による音楽著作物の利用主体と捉えることには異論はなく、また、ホステス等が客とともに歌唱する場合も、ホステス等と客の歌唱を一体的に捉えて利用主体は営業主たる上告人らであると解することができるであろう。

 しかしながら、客のみが歌唱する場合についてまで、営業主たる上告人らをもつて音楽著作物の利用主体と捉えることは、いささか不自然であり、無理な解釈ではないかと考える。多数意見は、客のみが歌唱する場合でも、前記のような店の従業員による歌唱の勧誘、上告人らの備え置いたカラオケテープの範囲内での選曲、上告人らの設置したカラオケ装置の従業員による操作を通じて、上告人らの管理のもとに歌唱しているものと解され、他方、上告人らは、客の歌唱をも店の営業政策の一環として取り入れるなど営利を目的としているとして、客による歌唱も著作権法上の規律の観点からは上告人らによる歌唱と同視しうるというのであるが、店の従業員による歌唱の勧誘等、多数意見の挙げる右の各事実を考慮しても、客は、上告人らとの間の雇用や請負等の契約に基づき、あるいは上告人らに対する何らかの義務として歌唱しているわけではなく、歌唱するかしないかは全く客の自由に任されているのであり、その自由意思によつて音楽著作物の利用が行われているのであるから、営業主たる上告人らが主体的に音楽著作物の利用にかかわつているということはできず、したがつて、客による歌唱は、音楽著作物の利用について、ホステス等従業員による歌唱とは区別して考えるべきであり、これを上告人らによる歌唱と同視するのは、擬制的にすぎて相当でないといわざるをえない。

 私は、カラオケ演奏については、右のようにカラオケ伴奏による歌唱の面で捉えるのではなく、カラオケ装置に着目し、カラオケ装置によるカラオケテープの再生自体を演奏権の侵害と捉えるのが相当であると考える。著作権法(昭和四五年法律第四八号をいう。但し、昭和六一年法律第六四号による改正前のもの。以下同じ。)附則一四条は、適法に録音された音楽の著作物の演奏の再生については、放送又は有線放送に該当するもの及び営利を目的として音楽の著作物を使用する事業で政令で定めるものにおいて行われるものを除き、当分の間、「音ヲ機械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器ニ著作物ノ適法ニ写調セラレタルモノヲ興業又ハ放送ノ用ニ供スルコト」は「偽作ト看做サス」とする旧著作権法(明治三二年法律第三九号をいう。以下同じ。)三〇条一項第八号の規定は、なおその効力を有する旨規定し、これを受けて著作権法施行令(昭和四五年政令第三三五号をいう。以下同じ。)附則三条一号は、右にいう「政令で定める事業」として、「喫茶店その他客に飲食をさせる営業で、客に音楽を鑑賞させることを営業の内容とする旨を広告し、又は客に音楽を鑑賞させるための特別の設備を設けているもの」を挙げているところ、多数意見は、カラオケ装置の設置は「客に音楽を鑑賞させるための特別の設備を設けているもの」には該当しないとするものと解されるが、カラオケ装置は、カラオケテープを再生することにより客がこれを伴奏として公衆に直接聞かせるべく歌唱するための特別の設備であるから、かかる予定のもとにスナツク等にカラオケ装置を設置することは、右にいう「客に音楽を鑑賞させるための特別の設備を設けているもの」そのものに当たるということはできないとしても、これに準ずるものとして、営利目的のカラオケ装置によるカラオケテープの再生については著作権法附則一四条による旧著作権法三〇条一項第八号の規定は働かないものと解するのが相当である。著作権法制定当時は今日のようなカラオケ装置の普及は予想されていなかつたため、著作権法施行令附則三条は、カラオケ装置を念頭に置いた規定の仕方をしていないが、音楽の提供が直接収益に結びつかない事業に限つて旧著作権法の規定を当分の間適用することとした著作権法附則一四条ないし著作権法施行令附則三条の立法趣旨に照らすと、右のように解することは、むしろ立法趣旨にそつた解釈と考えられるからである。

     最高裁判所第三小法廷

         裁判長裁判官    坂   上   壽   夫
             裁判官    伊   藤   正   己
             裁判官    安   岡   滿   彦
             裁判官    長   島       敦

(私論.私見) 【「クラブ・キャッツアイ事件最高裁判決」考】
 「クラブ・キャッツアイ事件」の詳細は不明であるが、どうやら著作権料を取るなら歌った当人から取れ、店は機械を設置したに過ぎないと主張していたようである。この主張は大いに言い分が有ると云うべきであろう。ところが、裁判所はこの問題を解明せず、客の歌唱は店の歌唱と見なされる云々論で「著作権法上は、スナック側による歌唱と同視し得るとして、権利者の許諾なくカラオケ演奏を実施することは演奏権侵害を構成するとした」ようである。権力に阿る判決しか出ないと云う見本だろう。
 判決に拠れば、最高裁はジャスラック的法理論をそのまま踏襲しており、店舗内でのカラオケ利用につき著作権違反だとしており、その対価請求を店側に負わせるべしとしている。上告人(クラブ・キャッツアイ)は、1、カラオケテープの製作に当たり、著作権者に対して使用料が支払われているので、ジャスラック的対価請求は二重取りである。2、対価請求するなら歌唱者に請求するのが筋で、店側に支払い義務は無い、としたようである。

 裁判官伊藤正己氏が若干の異論を唱えている。上告人らに演奏権侵害の不法行為責任を負わせるべきとする法理論を踏襲するが、店側の関与しない客側の任意歌唱についてまで店側に負担さすべきだろうかと異論を述べている。「しかしながら、客のみが歌唱する場合についてまで、営業主たる上告人らをもつて音楽著作物の利用主体と捉えることは、いささか不自然であり、無理な解釈ではないかと考える」としている。

 多数意見は、客側の単独利用であっても店側の管理下にある以上同視し得るとしているのに対し、「客は、上告人らとの間の雇用や請負等の契約に基づき、あるいは上告人らに対する何らかの義務として歌唱しているわけではなく、歌唱するかしないかは全く客の自由に任されているのであり、その自由意思によつて音楽著作物の利用が行われているのであるから、営業主たる上告人らが主体的に音楽著作物の利用にかかわつているということはできず、したがつて、客による歌唱は、音楽著作物の利用について、ホステス等従業員による歌唱とは区別して考えるべきであり、これを上告人らによる歌唱と同視するのは、擬制的にすぎて相当でないといわざるをえない」としている。

 以上の考察から、歌唱による対価請求論は粗雑であるとして、カラオケ装置の再生即ち演奏権侵害論として理論構築すべしとしている。


 れんだいこは、多数意見も少数意見も狂っていると考える。何とならば、本来の著作権は、著作者の権利を利用して営業物を制作する業者に対して規制するものであり、末端の利用段階にまで押し広げるものではないと考えるからである。流通で云うところの川上と川下の差である。

 判例が、上記川上と川下の質的差を弁えず全域全方位に於いて著作権を適用せしめ始めたところに混乱の原因があるのであり、川下不適用の判決を出さない限り解決しないであろう。とりあえず以上をコメントしておく。

 2008.3.3日 れんだいこ拝



 



(私論.私見)