JASRAC訴訟に於ける官僚癒着、司法癒着考

 (最新見直し2009.1.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこのジャスラック批判は遂に官僚癒着、司法癒着を指摘するところまで辿り着いた。ジャスラックが何ゆえ使用料徴収に暴力金融さえ驚き羨望し得るような強権発動し得るのか、訴訟でほぼ99.99%勝訴し得るのか、その秘密を暴きたい。これをサイトアップし、世に問おうと思う。

 最新の気づきとして、99.99%ジャスラック勝訴のもう一つの秘密として、司法当局が著作権を正しく理解せず、裁判所判事が右顧左眄する形で最高裁判決、その他判例に盲従していることが判明した。これにより、判決が判で押したように同一文言なっている。しかしながら奇妙なことに著作権法の何条に基くという例示がないまま裁定されている。つまり、法廷で法律に基かぬ裁判が為されているという奇態が現出していることになる。これを痴態狂態と云わずしてどう云うべきか。

 2008.5.22日 2009.1.26日再編修 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評403 れんだいこ 2008/05/22
 【JASRAC訴訟に於ける官僚癒着、司法癒着考】

 ジャスラックは、「週刊ダイヤモンド2005.9.17日特大号」の「企業レポート、日本音楽著作権協会(ジャスラック)/使用料1000億円の巨大利権 音楽を食い物にする呆れた実態その1」、「企業レポートその2」が暴いたように旧文部省の有力な天下り先である。

 週刊ダイヤモンド誌は、単にそのことを指摘しただけだが、これが告訴され、賠償金を払わされるという憂き目に遭わされるところとなった。れんだいこに云わせれば、週刊ダイヤモンド誌は、「何をいうか。実態はこうだぞ」と続々編で対抗するべきだった。あっさり兜を脱いだようなので、れんだいこが代行する。

 「旧文部省のジャスラック天下り」には、他の省官庁のそれに比して許されざる秘密がある。実際には、他の省官庁の天下りも同様なのかも知れないが、れんだいこは、格別悪質とみなしている。それはどういうことか、以下解析する。

 ジャスラックは現在、カラオケや生演奏を代表とする歌唱、演奏に関して音楽著作権侵犯だとして使用対価料を徴収している。1970年代まではこのような権利金は要らなかったので、中小零細店舗は、「そんな馬鹿な、そんなものが要る訳が無い」と応じず反発したのは無理も無い。ここからがジャスラックのらしさであるが、ならばと一曲90円制をふっかけ、開店以来に遡り徴収するという芸当で心胆寒からしめるという挙に出た。

 暴力金融さえ驚く高額なものに跳ねているのに驚いた経営者は震え上がり、次々と否応無く屈服させられ、和解を余儀なくされた。他方で、大型ホテル、旅館、観光バス等々のカラオケは見過ごされているように思われる。なぜなら巨額になるから、取り立てようにも取り立てる側が卒倒することになるから。

 ジャスラックのこの悪徳権利商法、権利暴力に「旧文部省のジャスラック天下り」が関係している。つまり、旧文部省の役人は単に関係先としてのジャスラックに天下りしたのではなく、天下り前にジャスラックに優遇されて天下りできるよう特殊利権を開発創設し、その功績を手土産にジャスラック入りし、高給、高退職金の稼ぎ場にしていると云う腐敗があるということである。

 この場合、問題は、そういう天下り利権だけにあるのではない。その利権が憲法に照らして、著作権法に照らして違法不当なものであるところにもある。どう違法不当なのかと云うと、著作権法、音楽著作権法には、末端のエンドユーザーレベルに対する使用料課金制なぞ規定されていないのに、後の天下り官僚が著作権局の現役官僚の時に職権で「取れるように工作」したというところにある。

 これが使用料規定なるものであり、れんだいこもまだ十分には解明できていないが、「1987(昭和62).4.1日より使用料規定に基づき使用料徴収業務を開始」とあるので、1987年前直近の著作権部局の官僚が胡散臭い事になる。そういう目で探してみると、彼一人の仕業ではあるまいが、現愛媛県知事・加戸守行の素行が怪しい事になる。

 加戸は、1983.6月に文化庁文化部長になり、1983.10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させている。現行著作権法の草稿執筆者としても知られ、著作権に関しての著作もある。これらの功績によってと思われるが、1988年、同省の大臣官房長に就任。よりによって中曽根政権時代の悪事である。興味深いことに、この中曽根時代と小泉時代にこぞって著作権の強権化が大いに進んでいる。これに、社共が反対した形跡が無い。

 だがしかし、加戸はよほど利権が好きなのかリクルート事件に連座して1989.4月、辞職を余儀なくされている。その後、日本芸術文化振興会理事長、日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長などに就任している。更にその後、1999年、愛媛県知事選に出馬、現職の伊賀貞雪を破って初当選を果たした。2003年、2007年と再選され、現在3期目となっている。

 余算ながら、加戸知事は、2001年、2002年の県立中学(中高一貫校)、県立学校の教科書採択に際し、注目された歴史教科書について、賛否両論があるなか、「扶桑社版がベスト」と発言し、愛媛県教育委員会が扶桑社版(いわゆる「つくる会」教科書)を採用する水路を創ったことで知られている。

 これについては、当時の県教育長も知事の意向を汲んだとの発言をしており、知事の教育への介入ではないかと議論を呼んだ。2005年夏の愛媛県下の市町村教育委員会による採択では、扶桑社版を採用する市町村は結果的に一つもなかった。この結果について、加戸知事は1990年の旧・文部省の通知を引き合いに出し、現場教員に対するアンケートや採択委員会での順位付けを重視するのではなく、教育委員会が主体性をもって決すべきとの立場から、疑問を呈する発言を行った、とある。

 もとへ。現在、ジャスラックをして著作権使用対価料徴収の蛮勇を振るわせている発端が、現愛媛県知事・加戸が文部省著作権局の総責任者であった時に作成された使用料規定なるものに始まるとすれば、その作成責任者がこれを手柄土産にジャスラックに天下りし理事長に納まり高給高退職金に舌鼓を打つなぞモラルハザードの極みと云うべきではなかろうか。余りにもな出来レースではなかろうか。

 こうしてひとたび強権化されたジャスラック式著作権論はその後定向進化し続け、加戸時代には幾分か配慮されていた抑制機能が次々と剥がされ、今やノンストップで暴走し始めている。これに歴代の天下り役人が絡んでおり、加戸に倣えとばかりに忠勤に励んではジャスラック入りし続けている。

 週刊ダイヤモンド誌は、こういう風に取材を続けるべきだった。ところが、2005.11.11日、ジャスラックに提訴され、2008.2.13日、東京地裁(加藤謙一裁判長)により550万円の支払いを命じられ、ギブアップしている模様である。商業新聞にこれ以上求めるのは酷かも知れないので、れんだいこは、ジャスラック批判記事を他社他誌に先駆けて掲載した意義の方を高く評価している。

 問題は、この「ジャスラックの対週刊ダイヤモンド誌訴訟」に於いてもジャスラック側に翼賛し、ジャスラック式著作権の正義を讃美し続ける一群のエセ左派即ちサヨ族の醜態にある。この連中がこういう役割を果たし続ける限り世の中は良くはなるまい。この手合いはよほどオツムが凡庸なのか字面に酔う癖が有る。民主化とか民主集中制と記されておればそれで満足し、実態に関係なく諸手を挙げ満場一致する一枚岩体質がある。

 この連中は同じ感覚で、文明化だとか先進的だとか知的所有権だとか聞かせられると忽ち反応し、俺は野蛮人ではないゾ後進的でもないゾ非知的とは見られたくないゾとしてか逸早く万歳斉唱し旗振り役を買って出る癖がある。現在、道路特定財源の一般財源化を良しとして弁論を逞しゅうしている。歴史はまもなくそれらの犯罪性を明らかにし、彼らはイチジクの葉で隠し回ることになろう。見飽きた光景ではあるが。

 ここでとりあえず一服する。評判が良ければ次に、ジャスラックの裁判勝訴99.99%の秘密を解き明かすことにする。

 2008.5.22日 れんだいこ拝

 【JASRAC訴訟99.99%勝訴の秘密考】
 ジャスラックは、NHKが受信料不払いの会まで包摂しながら粘り強い集金活動に徹して、いわばおおらかな取り立てをしているのに比して、対照的に裁判攻勢で締め上げる事に特徴がある。この時、比較的小額の面積割課金制から「カラオケ導入時に遡る、一曲90円課金制」に切り替え、天文学的請求額を押し付けると云う荒業に転じている。多くの抵抗者がその金額に卒倒し、そういう莫大な金額は払えないとして減額依頼する。こうして軍門に下る。

 ところが、ジャスラックは、そのうちの任意の店に目っこを入れる形で、楯突いた懲罰として一罰百戒式に本訴に持ち込むケースがある。こうした事例に於いて、ジャスラックは99.99%勝訴している。その秘密はなへんにありや、これを問うことにする。

 ところで、ジャスラックだけが何ゆえこの種の課金ができるようになったのか、その情報をネット検索したところ出てこない。妙に隠蔽されているとしか考えられないほど掛からない。よって、手探りで蒐集していく以外に無い。つまり、「ジャスラック式音楽著作権論に基く使用料課金制の出生経緯の秘密」は厚いヴェールに覆われている。既に述べた「ジャスラックの対週刊ダイヤモンド誌訴訟」の判決文さえ入手する事が容易でない。誰かがサイトアップしておいても良いのに誰もしていないのだろう、検索で出て来ない。

 それはさておき、「ジャスラック99.99%勝訴の秘密」を解いておく。これは、法曹界全体が、従来の著作権法と現代最新の強権著作権論との絡みを解析し得ず、つまり現代最新の強権著作権論の法哲学的解析を為し得ぬまま、いわば外圧に押し切られる形で受容しており、為に裁判官が没理論的に超法規的に且つ時流迎合的に採用していると云う痴態に起因している。そういう事情であるからして法曹界全体が相互に右顧左眄せざるを得ず、こうした折に出されたと思われる最高裁判決を範例として右倣えしているところに起因していると考えられる。

 その大本の最高裁判決がどのような事案を廻ってのどのような内容の判決を下したのかというと、これもはっきりしない。出所不明のまま部分的に引用されているケースが殆どであり、れんだいこもまだ辿り着いていない。そういう最高裁判決の規範力が地裁、高裁の判決に影響を及ぼしている。最高裁判決にはそういう政治的意味がある。

 問題は、最高裁判決に右倣えとする盲目的体質にあるが、それほど強権著作権論の取り扱いが難しいということであろう。本来、邪道として否定されるべきものを無理やりに押し通すので、こういう現象が生まれることになる。

 「ジャスラック99.99%勝訴の秘密」の第二の理由に、地裁、高裁の判事が既にこなし切れないほどの案件に忙殺されており、そもそも得手でもない著作権訴訟のうち更に皆目チンプンカンプンなジャスラック訴訟になぞ落ち着いて構うことができないことにも起因している。この忙しさが、最高裁判決、それに右倣えした各種判例を下敷きにした判決コピーを次から次へと生む要因となっている。

 「ジャスラック99.99%勝訴の秘密」の第三の理由として、ジャスラック式強権著作権論を要請する背後勢力の意思が有ると考えられる。彼らが、陰に陽にジャスラックを利用しており、強権著作権論の時流を作り出している。この背後勢力が何ゆえジャスラックを支援するのか。それは、彼らから見て僅かばかりでしかない著作権利権に目がくらんでではなかろう。彼らは、ジャスラックを先鋒隊として人民大衆の精神生活を規制することを狙っている。これを仮に「強権著作権体制」と命名すれば、「強権著作権体制」の構築により、不都合情報の隠蔽、規制。ご都合情報のプロパガンダ、マインドコントロール、洗脳。人民大衆の愚民化を意図的に画策している形跡が認められる。これについては別稿で考察する。

 問題が更にある。「ジャスラック99.99%勝訴の秘密」の第四の理由として、「下からの支え」がある。ジャスラック的音楽著作権理論、それに基く使用対価制に対し、これに異議を唱える側も叉ジャスラック的音楽著作権理論を没理論的に受容し、それに基く使用対価制による請求金額を認め、但しその減額を求めるという哀願哀訴運動に堕していることが「ジャスラック99.99%勝訴」を助長している。

 闘う側がこういう不細工なピンボケ調子では勝てる戦が勝てないのも道理であろう。戦う側に本来求められているのは、ジャスラック的音楽著作権理論の否定排斥であり、使用対価制の一蹴であり、ジャスラックの損害賠償請求に対してこれに抗する形で、訴えられた側からの逆損害賠償請求を対置し共同戦線運動化すべきではなかろうか。こういう戦いによってのみ勝利が得られるのではなかろうか。現在の戦いは余りにも軟弱であり、個別的であり、これでは勝てない。

 「ジャスラック99.99%勝訴の秘密」は凡そ、以上の四要因に起因していると考えられる。れんだいこは、著作権問題もまた他の分野の闘争と構図が同じと云う風に認識している。正しく闘っていない、口先批判に堕していると考えている。そういう意味で、真性左派を自認する面子に賭けて、著作権問題も叉ないがしろにし得ない。れんだいこが闘う理由がここにある。

 ここでとりあえず一服する。評判が良ければ次に、国際金融資本帝国主義のJASRAC式強権著作権論後押しを考察することにする。

 2008.5.23日 れんだいこ拝

 【国際金融資本帝国主義のJASRAC式強権著作権論後押し考】
 しかして、このような「強権著作権体制」を画策する勢力とは誰か、これをはっきりとさせておく。これは、太田龍史観を介在させれば容易に判明する。日本左派運動の既成理論では敵が見えてこない。イナ、これを隠蔽する役割を果たしている感さえある。太田龍史観をれんだいこ流に翻訳すれば、現代国際金融資本帝国主義、即ちネオ・シオニズム、即ち「シオン長老の議定書」派、即ちロスチャイルド財閥支配体制が黒幕スティルスと云う事になる。表出権力体としては米英ユ同盟となる。日本はその忠実な下僕として一役買っている。

 彼らが、既に紀元前の時代より独特の選良思想により、独特の世界支配体制を構築しようとしてその為の行動計画(アジェンダ)を策定し、見果てぬ夢を追い続けている。これを理解する為には、太田龍史観を学ぶ以外に無い。れんだいこは、裏史実だと思っている。この連中が様々な秘密結社を張り巡らして次第に強力な権勢を築き、現代世界を牛耳っているとみなしている。彼らは、今現在に於いては、大イスラエル構想に基く9.11テロ−アフガン戦争−イラク戦争を仕掛けており、イラン戦争まで予定しつつある。世界の金融、軍事、原子力、各種エネルギー資源、食料、文芸、思想を支配している。

 その有り姿は、かの昔、イエスが危惧し論難した通りの世界となっている。まことにイエスの意義は、これに能く闘い、別の世界の在り方を指針したところにある。しかしながら、イエスの御教えがキリスト教として形成された時既にその精髄エッセンスが捨てられていた。ここに混迷があるような気がする。願わくば、イエスの論難と指針の再検証によりネオ・シオニズム的世界に対置すべきではなかろうか。

 強権著作権論は、彼らのそのアジェンダの搦め手からの戦略戦術として利用されている。強権著作権論は、彼らの不都合情報の隠蔽、規制、ご都合情報の不断のプロパガンダの為に生み出されたものであり、世界の人民大衆を愚民化させ、ゴイムとして等級化され、そのように秩序付けられたゴイムを戦地派遣要員の供給源にさせる為の裏機能を務めている。付言すれば、世界の人民大衆の生活困窮化は意図的に作り出されているものであり、高給の餌により兵士派兵する為の手段のような気がしてならない。

 こういうアジェンダに裏協力している強権著作権論派の素性を探れば、実に見事にネオ・シオニズムの拵えた教本テキストに何の疑問を湧かさず盲信する手合いであることが判明する。彼らが、その病膏肓度に応じて御用イデオロギーの旗振り役を務めていることに驚かされよう。

 「ジャスラック99.99%勝訴の秘密」の真の秘密はここにあるということになる。それ故に、これに立ち向かう者が酷い目に遭わされるのは道理であり、ジャスラックに勝利する事の困難のほどが分かろう。とはいえ、心配するに及ばない。

 現代国際金融資本帝国主義ネオ・シオニズムは、それを支える思想が空疎であるが故に日々堕落する。既に初代ロスチャイルドの時代に「シオン長老の議定書」が策定されたのが1770年代であり、以来200年を経過している。歴史の教えるところ、或る政権が機能するのは300年弱であり、してみればネオ・シオニズムは既に崩壊前夜に入っていることになる。

 ということは、今は苦しくても苦しい側が次第に有利になり、驕れる者が次第に斜陽になっていく。かく俯瞰すれば、闘いようがあろう。

 付言すれば、ネオ・シオニズムの思想、それに基づく行動は自然の理、宇宙の気に反している。それ故に、結束を強める秘儀が必要になる。その秘儀が異常なものであるほど結束が強まる。しかしてそれは狂気とならざるを得ない。しかしながら、狂気は狂気ゆえに自らを破滅させるのではなかろうか。

 2008.5.23日 れんだいこ拝


 



(私論.私見)