強権著作権派の無断転載、複製不許可論考

 (最新見直し2012.08.18日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 強権著作権派が頻りに無断転載禁止論を奏で、有益情報を転載して保存したり広報している者に対して恫喝しまくっている。果たして無断転載禁止論たる法理は成り立つのか、彼らはどのように主張しているのか、これを検証する。

 この連中は、引用転載に対し、使われると車のタイヤと同じでチビルとでも思っているらしい。れんだいこに云わせれば、ここがそもそも怪しい。そうではなくて、使われると次第に磨かれる宝石のようなものだと思えば良いのに。お人よし系はそう理解する。気難しい系はチビルと理解する。話が合わない。

 2009.6.19日、2009.10.23日再編集 れんだいこ拝


【夏水仙氏の偏狭著作権論を嗤う】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評9」の夏水仙氏の2009.6.19日付投稿.「Re:著作権侵害をしているのは、株式日記さん。あなたのほうですよ。」を転載しておく。

(回答先: 出典と範囲を明記した引用や転載は、盗作、翻案、剽窃には当たらない。法を拡大解釈してプロバイダーに記事を削除させるのは違法 投稿者 TORA 日時 2009 年 6 月 15 日 15:47:26)

 >>だからブログにリンクしてコピペしたところで宣伝になって感謝されてもいいくらいだ。ところが田中氏から「法的に申し立てを行います」と言うのは一種の脅迫手段ではないだろうか? 何度も言いますが「引用」は著作権法32条で認められた行為だ。コピペされる事が不愉快なのなら削除依頼だけで十分なはずだ。

 あのーっ、まず基本的な著作権法のルールをご存知でしょうか?裁判所の判例による「引用」「転載」とは、他人の著作物の具体的な部分を「切り取って」引っ張ってくることを「引用」「転載」としており、例えば私が引用した上記のような感じに5行程度の文章を引用転載して、なおかつそれに対する批評を書く場合に限って許されているわけですよ。

 ところが株式日記さんの場合は、具体的な部分の引用転載ではなく、相手方の書いた内容の全文の引用、ていうか丸々コピーであって、裁判所の判例における引用転載の範疇には入りません。もし裁判で争ったら、株式日記さんは100%負けますよ。そういう確信があるからこそ、相手方も法的に申し立てを行いますと言えるわけです。

 それで今回の田中さんからのメールで以下のようにあったとの事ですが、

>>「上記2つのコラムをに丸々コピーをされてペーストされていますが、引用としての使い方を超えていると思います。

 当然のクレームですね。何が問題なのか? それは株式日記さんのは具体的な部分の引用転載ではなくて、丸々コピーだから問題になるのです。出典を明記していれば全文勝手にコピー、転載していいというのではなくて、引用転載にもルールはあるわけですよ。

 ましてやご自分のホームページでやっているのならともかく、阿修羅板にまで同じ内容を書き込んでくるというのは悪質です。下手すると阿修羅板の管理人さんも著作権侵害を助長したとして訴えられてもおかしくないわけですよ。この件で阿修羅板も閉鎖に追い込まれたら、株式日記さんはその損害を補償する意思はおありなのでしょうか?

 >>株式日記はホームページにメールアドレスがあるのですが、GOOのプロバイダーにも連絡をしたそうです。>>もし株式日記が見られなくなった時はプロバイダーが株式日記を削除したと思ってください。
 >>しかしこれは言論弾圧行為であり、こんな事をしていたら政治ブログを書く人はいなくなるだろう。

 これは「言論弾圧」にはあたりません。あなたがやってきたことは著作権侵害という立派な違法行為です。1回や2回程度のみのことでしたらお目こぼしはあるかもしれませんが、何年にも渡って違法行為を繰り返していると判断されたから、今回のクレームがあったわけでしょう。

 もう一度言いますが、私が上記のように具体的な部分を切り取って「引用」し、それに対する批評を書くというスタイルならば「引用」「転載」は許されるというのが裁判所の判例です。でも株式日記さんの書いたものは、相手の書いた内容をただ単にだらだらと丸々コピーしただけで、最後に自分のコメントを書いたとしても、何に対する批評なのかというのは読む人にはさっぱり伝わりません。

 ご自分のホームページの内容が法的手段に訴えられるようなことをされているわけですから、阿修羅板そのものの存続に関わるような丸々コピーの書き込みは今後やめていただけませんか?  

(私論.私見)
 典型的な強権著作権派の転載禁止論のロジックを開陳しているので、れんだいこがこれを批判しておく。

 夏水仙氏は、TORA氏の無断転載可論に対し、「裁判所の判例」で説教しているところがお笑いである。普通は、この場合は著作権法第何条の規定により云々とすべきなところ、これに替えて「裁判所の判例」を持ち出して権威づけしている。それにより、「例えば私が引用した上記のような感じに5行程度の文章を引用転載して、なおかつそれに対する批評を書く場合に限って許されているわけですよ」と説教している。「具体的な部分を切り取って『引用』し、それに対する批評を書くというスタイルならば『引用』『転載』」は許されるというのが裁判所の判例です」とも述べている。   

 「裁判所の判例」がそのように説いていたとしたら、その凡例を開示せねばなるまい。我々は、「裁判所の判例」が著作権法に照らして順法なのかどうか判断すれば良い。「裁判所の判例のイカガワシサ」は周知の通りであるから、「裁判所の判例」で説教されるには及ばぬ。夏水仙氏がせねばならぬことは、著作権法第何条の規定と「裁判所の判例」の整合性の論証であり、「裁判所の判例」だけを持ち出しての説教はいただけない。こういうことを分らないようでは、「もし裁判で争ったら、株式日記さんは100%負けますよ。そういう確信があるからこそ、相手方も法的に申し立てを行いますと言えるわけです」などと大口を叩くのではない。

 夏水仙氏は、TORA氏の転載を含む評論活動に対し、「自分のホームページでやっているのならともかく、阿修羅板にまで同じ内容を書き込んでくるというのは悪質です」なる論を開陳している。如何に悪質なのかの論証のないまま、個人的な見解を開陳している。れんだいこには、この作法こそ悪質と思う。

 次に、「下手すると阿修羅板の管理人さんも著作権侵害を助長したとして訴えられてもおかしくないわけですよ。この件で阿修羅板も閉鎖に追い込まれたら、株式日記さんはその損害を補償する意思はおありなのでしょうか?」と恫喝している。末尾でも、「ご自分のホームページの内容が法的手段に訴えられるようなことをされているわけですから、阿修羅板そのものの存続に関わるような丸々コピーの書き込みは今後やめていただけませんか?」と述べている。一見阿修羅板を擁護しているようで、何ら面白くも可笑しくもない無益無臭の阿修羅板へ骨抜きしようとしている。この観点こそ臭いというべきではなかろうか。

 夏水仙氏は、プロバイダーによるTORA氏のホームページ「株式日記」アクセス禁止措置に対し、「これは『言論弾圧』にはあたりません」と云う。しかし、その論証もない。論証の代わりに「 あなたがやってきたことは著作権侵害という立派な違法行為です。1回や2回程度のみのことでしたらお目こぼしはあるかもしれませんが、何年にも渡って違法行為を繰り返していると判断されたから、今回のクレームがあったわけでしょう」なる言辞で糊塗している。

 こうしてみれば、夏水仙氏が硬軟両様の言辞で転載禁止論を説いていることが判明する。その意図を詮索せねばなるまいが、単に著作権小児病者なのか、情報の人民大衆的共有に対する意図的故意の絞殺者なのかまでは分らない。この手合いの説教者が増えているのは事実である。何とかせねばなるまい。

 2009.6.19日 れんだいこ拝

【山口由美氏の偏狭著作権論を嗤う】
 2010.1.29日、東京地裁は、ノンフィクション作家の山口由美氏が、松沢成文神奈川県知事の著作に於いて自著と類似の表現があり、著作権を侵害されたとして知事と出版元の講談社に印刷や販売の禁止などを求めた訴訟に対して判決し、請求の一部を認め、著作権侵害に当たる二行分を削除しない限り印刷や販売をしてはならないと命じた。12万円の損害賠償も認めた。知事と講談社は即日控訴した。

 争点は、知事が、神奈川・箱根の開発に尽力した人物を紹介した「破天荒力 箱根に命を吹き込んだ『奇妙人』たち」が、山口氏の「箱根富士屋ホテル物語(新装版)」の記述を複製しているかどうかにあった。大鷹一郎裁判長は、知事記述の「彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない」との記述が、山口氏記述の「正造が結婚したのは、最初から孝子と云うより富士屋ホテルだったのかもしれない」の複製に当たると指摘し、著作権侵害を認めた。山口さんが同様指摘した他の部分の記述については請求を退けた。(2010.1.30日付け日経新聞「神奈川県知事 著書の2行、著作権侵害 地裁命令 削除なければ販売禁止」参照)。
 

(私論.私見)

 我々は、この訴訟と判決から何を窺うべきだろうか。れんだいこは次のように思う。目下の司法は、著作権法の趣意から離れて、著作権強権化をどんどん後押ししており判例を積み重ねている。しかしてそれは、極めて危険な知育規制と云うべき流れにあるのではなかろうか。他方、著作権に名を借りた権利乱用が甚だしく、著作権者に猛反省を促しているとも受け取るべきではなかろうか。

 れんだいこは、山口由美氏を知らない。その云い分も、この記事に書かれているものしか知らないが、これから窺うのに、自著の主張、ものの見方、表現と似た記述を見出すのに悦びではなく、権利侵害として興奮しているらしい。しかし、それは、文芸の本質に対する冒涜1千万と云うべきではなかろうか。山口氏的主張が罷り通るなら、今後に於ける文章は1行たりとも既存文章の精査なくしては書けないことになろう。似た表現は五万とあろう。

 そこで目クジラするのではなく、自身の表現が他の著者と有無通じたことを誉れとすべきではなかろうか。仮に意図的故意に借用されたとしても、著者名、著書名、出版社名、初版日が紹介されていたとしたら良しとすべきではなかろうか。これがなかったとしても、著作権侵害で訴えるほどのことであろうか。

 山口氏は、ノンフィクション作家の立場から抗議しているようであるが、思想レベルの立場からすれば、逆に思想は同調を求めるのであるからナンセンス甚だしい。フィクションであろうがノンフィクションであろうが基本的には同じではなかろうか。むしろ恐いのは、この種の主張を認め始めたら際限がないことである。これを如何せんか。

 2010.1.30日 れんだいこ拝

【「ライン2」氏によるれんだいこ式著作権論批判の批判】
 「最終防衛ライン2」(以下、仮に「ライン2」氏と命名しておく)の「スクラックブックは個人的に作りましょう」が、れんだいこの開放系著作権論に対し強権著作権論の立場から説教してくれているので返歌しておく。「無断転載ダメ絶対」と題して次のように述べている。

 先ず、著作権上の引用転載の違い。転載 - Wikipedia 引用 - Wikipedia

 転載は他社の著作物を複製し「公開」するので私的複製の範疇に入らない。よって許可を得ないで転載してはいけないし、転載する場合も出典を明らかにするのが基本。ただし、著作者が出典を明記しなくてもよいですよという場合はその限りではない。ただ、再転載は望ましくないので明記した方がよいだろう。また、転載する場合、著作者の許しがない限り改変してはいけない。引用する場合、著作者に承諾は必要ありませんが、一般に引用の要件が存在する。特に引用する必然があるか否かが問われ、引用元を明記し、引用した部分を本文と区別できるようにしなければならない。

(私論.私見) 「ライン2」氏の引用、転載論考

 引用、転載につき、「ライン2」氏は、私的複製の範疇なら構わないが、公開するような複製は全て「要事前通知、要事前承諾」なる論を唱えている。著作権法の定める「出典、出所元、著者名明記」でもなお不満のようである。れんだいこが思うに、このような御仁は、このような作法の著作権空間を作れば良い。れんだいこのような著作物通交往来フリー派は、そういう者たちの著作権空間を作れば良い。そういう二元世界を作ればめでたしめでたしで解決するのではなかろうか。よって今後は、強権著作権論は著作物の冒頭にA、著作物通交往来フリー派はBと銘しておけば良いのではなかろうか。そう思うのだが、問題は、強権著作権派が、著作物通交往来フリー派の著作権空間を認めないとしていることに問題があるのではなかろうか。強権著作権派が著作物通交往来フリー派の著作権空間を認めるのであれば、れんだいこは強権著作権論を批判しない。勝手にどうぞだから。これが、れんだいこが辿り着いた処方箋である。今後は文章の前にAB識別しようや。

 2012.8.18日 れんだいこ拝

 続いて、次のように述べている。

 というわけで、植草ブログ閉鎖事件考 のれんだいこさんの転載OKという考えには賛同できません。以下、れんだいこさんの考えを引用する。

 「
世の中には好んで気難しく捉える連中がいる。普通の感性では、引用、転載され、それが検索で出てくることは慶びです。例え批判的に取り上げられていても正確に引用、転載されていたなら仕方がないというべきです。嫌ならサイトアップしなければよいのです。それを、検索で見つけて、「俺に黙って引用、転載しやがった。けしからん」と云う人は変人です。(中略)具体的に述べますと、リンクフリーは当たり前。引用、転載も出所を明らかにしておればフリーでなければおかしい。「無通知無承諾批判」はナンセンス。但し、引用、転載時の字句の間違いの訂正、段落変えまでは許されるが、趣旨の改ざんはご法度ということになりますか。ウェブサイトの著作権について 「Re:Re:5002著作権について」より

 「植草氏は無罪である。なぜなら、推測するのに植草ブログの原文は、1・自身の主たる文章に対する従たる引用転載にして、2・出所、出典を明らかにし、3・何らの改竄、歪曲加工もしていないからである。著作権法上許容されている時事評論の引用転載要件を全て満たしており、これが著作権法違反とされるには及ばない。これを正式の受け止め方とすべきです。植草ブログ閉鎖事件考 最下段「Re::れんだいこのカンテラ時評484」より」。

 れんだいこさんは、WWW原理主義者とでも言うのでしょうか。確かに、WWW創生時には転載あたりまえみたいな雰囲気もあったと聞きますが、これは転送量などの問題もあったように思われます。インターネットではないえですが、パソコン通信時ではあるBBSに公開されているフリーソフトを他のBBSへコピーしていたようですし。

 れんだいこさんの言うように転載したほうが、世の中に広まるのは確かです。2ちゃんねるのコピペなんて転載されまくりだからこそ世に広まります。その代わりに、オリジナルが誰かは分からなくなります。れんだいこさんは、転載時に出典を明らかにすれば良いといいますが、それならばリンクだけでも要を成します。昨今のインターネット検索ではリンクされればされるほど検索しやすくなってるわけですから。また、新聞社の多くはわざわざサイトに「記事・写真・図表など無断転載を禁止します」と明記してありますし。今回の植草氏が毎日新聞の記事を転載しちゃった件に関しては、著作権が毎日新聞社に帰属する以上、れんだいこさんの主張する「転載したほうが記事が広まる」という主張も無効なわけで。

(私論.私見) 「ライン2」氏のれんだいこの引用、転載論批判考
 「ライン2」氏はどうも根本のところを理解したがらないようである。引用、転載を法律で縛るのなら、憲法とでも云うべき著作権法ではどのように規定しているのか、まずはここを踏まえねばならない。れんだいこは、1・自身の主たる文章に対する従たる引用転載にして、2・出所、出典を明らかにし、3・何らの改竄、歪曲加工もしていなければ引用転載可としていると読んでいる。この理解が間違っているのなら、どう間違っているのか説明するのが良い。単に、俺は「無断転載ダメ絶対」と思うから人様にも強制させるのだと云うのは悪ガキ以下のレベルだろう。「それならばリンクだけでも要を成します」と云うが、リンク先が消えると云うことはよくある。それと対抗言論の場合、相手の発言をリンクでしか紹介できないとなれば不自由極まるではないか。

 「ライン2」氏はどうも己の頭脳を買い被っているようである。相手の言説を同時的に視認読み取りしなくても、リンク先で読めば理解できる質の方らしい。しかしなぁそういう能力を持つ者は極めて限られていようし、決まりをそういう超能力者基準にする必要はないと思うんだな。もっと普通に我々が互いに情報を交換し合って切磋琢磨して知育して行けば良いんだ。そうやっても賢くなるかどうか分からんと云うレベルなのに、転載は「要事前通知、要事前承諾」、読みたければリンク先で読めつうのは、云う方が賢過ぎるから云えるんだな。

 新聞社が「記事・写真・図表など無断転載を禁止します」と明記しているのは民営会社故にいわば勝手だが、そうは云っても著作権法の規制を受けるのは当たり前である。れんだいこが読みとるのに、新聞社の記事は極力著作権法で囲うべからずと書いてある。これを逆に極力囲うべしとしているのが昨今の新聞社だが、それも1980年代の中曽根政権の登場、それに伴うナベツネの法王化以来の変質によってそうなっている訳で、苦々しく思うのが普通の感性だわな。新聞社の云うことはその通り的恭順では歴史が拓けんわな。

 2012.8.18日 れんだいこ拝



 



(私論.私見)