強権著作権論派に聞かせたい、ちょっと良い話

 更新日/2020(平成31→5.1栄和元年/栄和2).2.1日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 昨日、たまの休暇を利用して、車で1時間ほどで行ける割には値打ちのある湯治場を訪ねた。本命の温泉は駐車場の車から見て客が多そうだったので、引き返して手前の温泉の入り口を潜った。本命の温泉宿と比べて遜色ない、行って良かった温泉だった。帰りしなに売店を伺うと本が2種数冊のみ置いてあった。暇な時に読もうと思って購入した。その時の宿の80歳になろうかと云うお上の弁である。
 「これはねぇ。どちらもねぇ。うちへ寄っていただいたお客様が送ってくれた本なんですよ。(この時、少し口元が緩む) 『採り上げたので記念に贈ります』と云って数冊送ってくれたものです。あなたが買われたので、こっちの方は最後になりました。当舘の温泉は昔のと違って今は岩盤の下まで掘っています。それで熱い湯が出てくる原泉です。又お越してくださいね」。

 れんだいこが、この話を何の為に採り上げるのかお分かりだろうか。お上は、自分の温泉宿が無断で採り上げられたことを全然怒っていない。むしろ名誉と心得て喜んでいる。これが自然且つ摂理に合った受け取りようなのではなかろうか。我々は昔から、こうやって口伝え、伝承を楽しんできた。これで何の問題もない。

 それを、今日びの強権著作権論派に掛かるとどうなるか。よくも黙って当舘を採り上げてくれたな。当方は承知していない。事前通知、承諾違反である。即刻販売停止を求める。著者のみならず出版元も首を洗って待っておけ。追って損害賠償を提訴する云々。

 これって正気だろうか。一考して貰いたい為に書きつけておく。これを仮に子供が云うのなら分かる。いい大人が、しかも著作権法の権威だと自称する自称インテリが云うものだから始末が悪い。元々のバカが学んで余計に気難しいことを云い始めることがあるが、強権著作権論派の論理と云うものはこの種のものである。問題は、彼らを黙らせる良き作法を生みだすことにあるのだろう。これに手がついていない。れんだいこが追々開拓して行こうと思う。

 2010.02.04日 れんだいこ拝



 



(私論.私見)