2021週刊文春-五輪組織委員会の著作権バトル考 |
(最新見直し2010.02.04日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2010.5.10日 れんだいこ拝 |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK280」の「
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1969年には、週刊現代元編集長と記者たちを引き抜いて週刊ポスト(小学館)が創刊された。当時はすでに新聞社系の週刊誌、週刊朝日、週刊読売、サンデー毎日などは、出版社系週刊誌の競争相手ではなかった。 文春は文藝春秋の弟分。ポストは一番遅れて創刊されたため、話題をつくり知名度を上げていかなければと考えたのだろう。文字通り湯水のごとくカネを使って、スクープをものにしていた。当時吹き荒れていた「プロ野球の黒い霧」スキャンダルではキーマンの永易将之(西鉄ライオンズ=当時)の手記を取るために、彼を九州から東京までタクシーに乗せて連れてきたという話も業界の大きな話題になった。 女優が自らのSEX遍歴を赤裸々に語る「衝撃の告白」も大きな話題を呼んだ。当時の部数でいえば、現代とポストが上位争いをして、次に新潮、文春という順ではなかったか。 新潮は、沖縄返還時の日米間の密約公電を報じた毎日新聞・西山太吉記者と“情を通じ”て、当該の機密文書を渡した外務省女性事務官との不倫をスクープしたり、共産党の宮本顕治委員長を批判したナンバー2袴田里見副委員長の手記を掲載したりと、超ド級のスクープを放ち、同業者の度肝を抜いた。 現代とポストがスクープを日々競い合っていた。 新潮と文春は、フリーの記者は抱えずに(フリーの記者も社員化していた)、編集部員が取材からまとめまでをやっていた。 現代、ポストは、編集部員のほかに多くの専属記者を抱えていた。多いときは80人ぐらいいたのではないか。その多くは、学生運動や安保闘争にのめり込み、大学を退学、中退した者たちであった。 編集者と記者数人が班となり、編集者が取材テーマを記者に投げ、彼らが取材先に飛んで、それをデータ原稿にまとめる。データを読み込んだ編集者がレジメをつくり、アンカーマンというまとめ屋に頼むというシステムである。編集者が原稿を書くことはほとんどなかった。 「噂の真相」(以後「噂真」)という月刊誌を岡留安則が編集長となって創刊したのは1979年。初めは出版界などマスコミの噂話を載せていた業界誌だったが、そのうち、大手週刊誌ではやれないさまざまな情報が「噂真」に流れ始めた。 1999年、当時の東京高検検事長で将来の検事総長間違いないといわれていた則定衛の女性スキャンダルをものにし、朝日新聞が、「噂真」によればと一面で報じた。則定は辞任するが、歴史は繰り返す、今回の黒川弘務のケースとよく似ている。 岡留は、2004年、「噂真」が絶頂の時に休刊を決断する。 名編集者といわれた新潮社の斎藤十一が写真週刊誌FOCUSを創刊したのは1981年。続いてFRIDAYが講談社から出され、文春からEmma、小学館からTOUCHが出て、写真 週刊誌ブームが起きる。特にFRIDAYは芸能人たちのスキャンダルを得意とし、いくつもの張り込み班を組織して、カネも人も大量につぎ込み、毎週のように隠し撮り写真を掲載して部数を伸ばした。FOCUSも負けじと隠し撮りに力を入れFF戦争といわれた。だが、ビートたけし軍団がFRIDAYの編集部を襲い、副編集長にケガを負わせる障害事件が起き、写真週刊誌の取材に対する批判が巻き起こった。 それを機に、写真誌は急激に部数を落とし、当時500万部といわれていた写真誌も次々に休刊してしまった。現在、FRIDAYとFLASHだけが残っているが、両誌合わせても約14万部である。 1989年、リクルート事件の責任をとって竹下登首相が辞任した後を受けて、宇野宗佑が首相に就任した。宇野夫妻が笑顔で映るテレビを見て、以前、宇野から「30万円でオレの女になれ」といわれた神楽坂の元芸者が激怒する。「こんな人間が首相なんて許せない」と、新聞社に宇野との愛人関係を暴露したいと電話するのだが、朝日新聞や読売新聞は、彼女の話を聞いてくれなかった。 ようやく毎日新聞が、「それならサンデー毎日がいい」と、編集部に回し、当時の鳥越俊太郎編集長がやると決断した。発売後、外国の新聞が取り上げ、大スキャンダルになり、宇野はわずか69日で辞任に追い込まれてしまった。 文春の名を知らしめた「疑惑の銃弾」(1984年)という連載があった。夫が妻を殺して保険金を受け取ろうとしたのではないかというロス疑惑であった。結局、男は逮捕されたが、妻殺しでは一審有罪、二審で逆転無罪となった。件の男は、その後、報道機関を名誉棄損で訴え、多くのところはカネを払って和解した。 その後もスクープを連発し、、さらに勢いが加速する。現代のベートーベンと絶賛されていた「聴力を失った作曲家」が実は健常者でゴーストライターまでいたことを暴くなど日本中を騒がせる話題を次々と提供。ベッキーの不倫や甘利明元経済再生担当大臣の金銭スキャンダルなどのスクープを放ち、「文春砲」という言葉が定着したのが、題名に掲げられた16年。20年には、森友学園問題で決裁文書の改ざんに関与させられ、自殺した財務省職員の妻の告発でも世間をゆるがせた。 |
文春砲。 3月18日発売3月26日号は、相澤冬樹大阪日日新聞記者(元NHK記者)の「妻は佐川元理 財局長と国を提訴へ 森友自殺<財務省>職員遺書全文公開『すべて佐川局長の指示で す』」を掲載し、森友学園問題は逃げ切ったと思っていた安倍晋三首相と妻・昭恵の心胆を 寒からしめた。 5月21日発売5月28日号では、「現場スクープ撮 黒川弘務検事長は接待賭けマージャン常 習犯 5月1日、産経記者の自宅で“3密”6時間半」を掲載した。発売前日の文春オンラインで 概要の速報を流すと、黒川は発売と同時に即、辞任した。 新型コロナウイルス感染への対策でも、ミスを重ねる安倍政権は、文春のスクープと相ま って、ついに支持率が一時20%台へと急落し、政権存続も危ぶまれる事態に追い込まれた。 1997年をピークに、週刊誌の部数も下がり続け、現代、ポスト、新潮は実売20万部前後、 文春も30万部を切っている。ネットの発達により、週刊誌がスクープした記事も、アッという間 にネット上で拡散してしまうため、スクープ=部数増とはいかなくなった。 2012年4月に週刊文春編集長に就いた新谷学は、「うちはスクープに絞る」と宣言した。以 前、私がエルネオスという月刊誌で、新谷編集長をインタビューしたことがある。そこで彼は こういっている。「文春は少なくともロス疑惑報道の頃からスクープ、スキャンダルがわれわ れの最大の武器であるというところについては、今に至るまで大きく変わっていません。それ が結果的に文春の特徴を際立たせる結果になって、あっと驚くスクープが時には飛び出す 雑誌であるという存在が注目を浴びていると思うんです。どういうターゲットを選ぶかというこ とに関しては、思いついたものをやっているだけですよ。例えば宮崎さん(謙介元衆議院議 員)という人の育休不倫がありましたけど、あの人はもともと女性の噂が多い人ではあった んです。ただ小物ですよね。ところが育休宣言をしたことによって、俄然、脚光を浴びた。 い ったいどんな人間なんだ。この人には女の話がいろいろあったから、もう一回きちんと調べた らおもしろいかもしれないとデスクと話して、取材を始めたら間もなくして現場から、地元の京 都で不倫をしているという話が上がってきました。すぐ張り込めと指示したら、三日で撮れた んです」。 黒川弘務東京高検検事長の「賭け麻雀」スクープは、文春によれば、文春オンラインにあ る情報提供サイト「文春リークス」に、産経新聞の人間が情報を寄せ、それをもとに取材を始 め、現場を特定して写真を撮ったという。 新谷編集長の志を継いで現在の加藤晃彦編集長 もその路線を突っ走っている。 |
(私論.私見)