判決考旧版 |
判決考 |
「読める判決『百人斬り』Hypertext 東京地裁判決〔8/23〕 」 |
【判決文その1:主文】 |
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。 |
【判決文その2:事実及び理由その1(提訴の概要)】 |
《 凡例 》 以下判決文を読みやすくするために、「文献目録リスト」に従って判決文中の記載、「本件書籍一」を:「中国の旅」に、
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【判決文その3:事実及び理由その2(争点整理と証拠)】 |
事実及び理由
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争点(2)について・・・《本多著書:名誉毀損等であるか》
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【判決文その4:事実及び理由その3(判断と結論)】 |
事実及び理由 第3 争点に対する当裁判所の判断
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以上のとおりであって,原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第6部 |
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地裁判決の報告と解説地裁判決の報告と解説 8月23日に言い渡された一審判決について,以下に報告するとともに,その判断構造を解説します。 名誉毀損とは,公然と事実を摘示して他人の名誉を毀損することを言います。ここで「公然」とは「不特定ないし多数に対し」という意味であり,「事実の摘示」とは「事実を述べること」であって,一定の事実を前提とした評価を述べることである「論評」とは区別される概念です。また,「名誉を毀損する」とは,その人に対する「社会的評価を低下させる」行為であると理解されています。 1) 「事実の摘示」と「論評」 まず第一に,本多さんが「中国の旅」,「南京への道」や「南京大虐殺否定論13のウソ」で記載した「据えもの百人斬り」について,これが「事実の摘示」に該当するのかあるいは「論評」かが問題となります。これがもし「事実の摘示」なら,当該「事実」が社会的評価を低下させる内容かどうかが問題となり,「論評」だとするならそのような論評が「公正な論評」と言えるかどうかが問題となります。 2) 社会的評価の低下 判決は,本件の記述が以上のような「事実の摘示」と「論評」であることを前提に,これらの記述は二人の少尉の「社会的評価を低下させる」ものであることを認めました。 「本件各書籍は,両少尉の死後少なくとも20年以上経過した後に発行されたものであり, 問題とされる本件摘示事実及び本件論評の内容は,既に,日中戦争時における日本兵による 中国人に対する虐殺行為の存否といった歴史的事実に関するものであると評価されるべきものである」 すなわち判決は,本件で争いになっている内容がすでに「歴史的」な問題となっていることをここで特に指摘しているのです。 3) 両少尉自身に対する名誉毀損 判決は,本件の記述によって「両少尉」の社会的評価が低下させられたと認定しました。しかし,死んだ人の社会的評価が低下させられたからと言って,遺族が損害賠償を請求できるものでしょうか。 4) 敬愛追慕の情 それでは,死んだ人の名誉は一切保護されないのかと言えば,もちろんそんなことはありません。 「死者に対する遺族の敬愛追慕の情も,一種の人格的利益であり,一定の場合にこれを保護すべき ものであるから,その侵害行為は不法行為を構成する場合があるものというべきである。もっとも, 一般に,死者に対する遺族の敬愛追慕の情は,死の直後に最も強く,その後,ときの経過とともに 少しずつ軽減していくものであると認め得るところであり,他面,死者に関する事実も,ときの経過と ともにいわば歴史的事実へと移行していくものともいえる。そして,歴史的事実については,その 有無や内容についてしばしば論争の対象とされ,各時代によって様々な評価を与えられ得る性格の ものであるから,たとえ死者の社会的評価の低下にかかわる事柄であっても,相当年月の経過を経て これを歴史的事実として取り上げる場合には,歴史的事実探求の自由あるいは表現の自由への慎重な 配慮が必要となると解される。 それゆえ,そのような歴史的事実に関する表現行為については,当該表現行為時において,死者が 生前に有していた社会的評価の低下にかかわる摘示事実又は論評若しくはその基礎事実の重要な部分に ついて,一見して明白に虚偽であるにもかかわらず,あえてこれを摘示した場合であって,なおかつ, 被侵害利益の内容,問題となっている表現の内容や性格,それを巡る論争の推移など諸般の事情を 総合的に考慮した上,当該表現行為によって遺族の敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害したものと 認められる場合に初めて,当該表現行為を違法と評価すべきである。」 やや難しいですが,要するに死者に対する記述が遺族に対して不法行為を構成するためには,以下の要件が必要になるとしたのです。
言うまでもなく,この2点についての立証責任を負うのは不法行為の成立を主張する原告側となります。 判決がこのような基準を定立したのは,要するに憲法21条が規定する「表現の自由」と「遺族の死者に対する敬愛追慕の情」の保護とのバランスです。 しかしながら,このような気持ちはその人が死んだ直後がもっとも強いものであり,通常は時間の経過とともにこうした気持ちも薄れていきます。一方で,人が死んだ後のことはむしろ「歴史的事実」となっていくものであり,このような「歴史的事実」については,むしろ自由な言論と事実の探求が優先されなくてはなりません。 5) 死者に対する名誉毀損と刑法の規定 以上のような裁判所の判断の枠組みは,名誉毀損に関する実定法の規定にも合致するものです。 「刑法第230条1項 公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損した者は,その事実の有無に かかわらず,三年以下の懲役若しくは禁固または五十万円以下の罰金に処する」 「刑法第230条2項 死者の名誉を毀損した者は,虚偽の事実を摘示することによってした 場合でなければ,罰しない」 1項が通常の名誉毀損であり,2項が死者の名誉毀損です。 一部右翼の側の反論で,この判決が「一見して明白に虚偽であること」という基準を確立しているのが不当だとの意見がありました。虚偽であることを原告に立証させるのでは負担が重すぎるというのです。 6) 本件における事実判断の枠組み 判決は前述のように,「一見して明白に虚偽であるにもかかわらず,あえてこれを摘示した場合」という点を,不法行為成立の大きな要件としました。したがって,本多さんの記述が不法行為を構成して原告らの請求が認められるかどうかは,すべてこの「一見して明白に虚偽であるにもかかわらず,あえてこれを摘示した場合」に該当するかどうかに従って判断すればいいことになります。 重要なのは,このような裁判所の判断の枠組みです。一部では,「一見して明白に虚偽であるとまでは認めるに足りない」と判示した判決の文言を捉えて,《限りなく虚偽に近いけれども『一見して明白に虚偽』とまでは言えない》と裁判所が認定したかのように主張する言説が見られました。しかし,これは完全なる間違いです。この争点についてどちらの主張を採用するかを決めるためには,「一見して明白に虚偽」であるかどうかだけを判断すればいいのですから,裁判所は必要な限りにおいて判断したというだけに過ぎません。この判示は,「一見して明白に虚偽」という要件を原告の主張がクリアしていないことを指摘しただけのものであって,それ以上に《限りなく虚偽に近いけれども》などといった含意など存在していないのです。「据えもの百人斬り」の事実が怪しいものであるかのように裁判所が認定したものではありません。この点を誤解しないようにして下さい。 もっとも,裁判を離れた歴史論争としては,まさに本件の論争については「据えもの百人斬り」の事実の有無が争点になってきたわけで,裁判所もそのことはよくわかっていたはずです。そして本件では,あの望月五三郎氏の手記のような決定的な目撃証言まで今回の訴訟によって発掘されました。その意味では,裁判所は「据えもの百人斬り」の事実があったものと認定することは十分可能だったはずでした。 7) 本件における事実認定 以上のように,本件で裁判所は,「百人斬り競争」に関する一連の論争について,それが「一見して明白に虚偽」と言えるかどうかに絞って判断を行いました。その判断に関しては,3点ほどのポイントが指摘ができると思います。 まず一つは,原告被告双方から提出された主張や証拠について,裁判所がその一つ一つを引用しあるいは要約をしているということです。しかもこれは,引用ないしは要約をしてあるだけで,それ以上に踏み込んだ検討をあまりしていません。そのため,判決書の46頁(「2 争点(2)について」)から107頁(「2(2)」の前まで)まで,ひたすら証拠の引用と要旨の紹介がしてあるだけという,通常の判決書の体裁からするとかなり奇異な構成となっています。 第二のポイントは,東京日日新聞の百人斬り報道が記者のでっち上げだとする原告の主張については,これを明確に否定したことです。 「少なくとも,本件日日記事は,両少尉が浅海記者ら新聞記者に『百人斬り競争』の話をしたことが 契機となって連載されたものであり,その報道後,野田少尉が『百人斬り競争』を認める発言を行って いたことも窺われるのであるから,連載記事の行軍経路や殺人競争の具体的内容については,虚偽, 誇張が含まれている可能性が全くないとはいえないものの,両少尉が『百人斬り競争』を行ったこと 自体が,何ら事実に基づかない新聞記者の創作によるものであるとまで認めることは困難である」 控えめな言い方をしていますが,両少尉の発言が「百人斬り競争」記事の契機となったことを認めています。逆に言えば,両少尉が南京軍事法廷で行った《記者によるでっち上げ》という弁明が虚偽であったことを,今回の判決は明確に認定したのです。まあ当然といえば当然ですが,この点は注目されてもよいと思います。 第三に,据えもの百人斬り競争の事実についても,裁判所はその信用性を認めた判断をしたことです。 以上のようにして,結局「据えもの百人斬り競争」との指摘が「一見明白にして虚偽」だとは言えないとして裁判所は原告らの請求を棄却しました。「一見して明白に虚偽」だと言えない以上は,遺族の「敬愛追慕の情」を受忍し難いまでに侵害したかどうかについて認定するまでもなく,原告らの請求には理由がないとしたのです。 8) 本件での「一種のなすり合い」という「論評」に関する判断 本多さんがその著作で指摘した向井少尉と野田少尉との「なすり合い」に関しては,裁判所は以下のように指摘して公正な論評の範囲内だと認定しました。 「両少尉が,前記「百人斬り」競争に関し,その遺書等において,向井少尉が『野田君が,新聞記者に 言ったことが記事になり』と記載しているのに対し,野田少尉が『向井君の冗談から百人斬り競争の 記事が出て』と記載して,互いに相反する事実を述べていることが重要な基礎事実となっているという べきところ,前記認定によれば,その前提事実自体は真実であると認められる。そして,そのような 相反する事実を述べている状態を『一種のなすり合いである』と評価し,そのように論評したとしても, これが正鵠を射たものとまでいえるかどうかはともかくとして,これを直ちに虚偽であるとか,論評の 範囲を逸脱したものとまでいうことはできない」 これもまた,当然の判断です。 9) 佐藤振壽氏について 最後に,右翼のサイトの中には「佐藤振壽氏が百人斬りは虚偽だと証言したのに何故…」という記述が見られましたので,その点について補足しておきます。 ちなみに佐藤カメラマンの証人尋問に際し,実は佐藤氏は「被告側の証人」だということをこのサイトでも指摘しておきました。そこで,現実の判決書(第3・2・(4)・ウ・(ア)・a)を見て下さい。東京日日新聞の百人斬り競争の報道が記者の創作であるという原告らの主張に対し,それを否定する根拠としてこの佐藤振壽氏の証言が援用されています。つまり裁判所は,被告側の主張を認めるために佐藤振壽氏の証言を使ったのです。まさに指摘しておいたとおり,佐藤振壽カメラマンは被告側に有利な証人だったのでした。 10) まとめ 以上が本件に関する裁判所の判断です。 |
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改めて問う、「百人斬り」は真実か 【市民記者新聞JANJAN】 http://www.asyura2.com/0510/war75/msg/240.html 市民記者新聞JANJAN より 柴田忠 氏の投稿を 転載
その記事の動機となったのは、8月24日、産経新聞の「『百人斬り』判決 史実の誤り広げかねない」という社説であり、僕はその中で、自分なりの意見として、 1.この「百人斬り」の話を浅海記者に持ちかけたのは、両少尉ではないだろうか。 2.ただ、その「百人斬り」が真実か否か、という点について見れば、これも佐藤カメラマンが言う通り「嘘っぱちを上手く書いたな」というのが、真相ではないか。 という2点を挙げ、結論として、「今後は、裁判所の形式的な判断ではなく、『百人斬り』の真実が明かされることに期待したい」と書いた。 また、その中で、人民網日文版にあった本多勝一氏の「これを突破口として南京大虐殺を全面的に否認し、さらには日本による中国侵略をも否認しようとするものだ」というコメントに対して、 「常軌を逸した拡大解釈のように見えてならない」 と感想を述べた。 ただ、実は、その段階では、僕は、その裁判の判決文に目を通していた訳ではない。僕自身、裁判の全体像が分かっていないことを、実は大変、気にしていたのだが、先月になって、インターネットのいくつかのサイトで、その時の判決文がネット公開されるに至った。その1つが、読める判決「百人斬り」- Hypertext 東京地裁判決(8/23) http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/file-list.htm だ。 この裁判の詳細については、こうしたサイトに詳しく書かれているので、そちらを参照してもらいたい。ここでは、そのサイトを紹介すると共に、今回、僕が新たに判決文を眺めた上での感想を、簡単に述べたいと思う。 判決文を読んで、改めて思った第1点は、こうした意見は実はネットでも数多く見られるものだが、遺族側が裁判のやり方として、昭和12年当時の東京日日新聞、現毎日新聞が掲載した4回にわたる新聞記事を、いわゆる「虚偽報道」として、それによる「報道被害」という形での裁判を行ったことは、やはり間違いではなかったかと言うことである。 前回の指摘でも、この「百人斬り」の話を浅海記者に持ちかけたのは、両少尉ではないだろうか、と書いたが、判決文を読めば読むほど、2人の少尉の言葉には矛盾が多いし、原告側の出した証拠も否定されている。「報道被害」「冤罪」という裁判の進め方には無理があるように思うのは、僕だけではないだろう。 また、第2点目は、この裁判によって明らかにされた「百人斬り」の実像である。 本多氏は「私のすべての報道は事実に基づいて書かれている」と語り、この「百人斬り」は、白兵戦での「百人斬り」ではなく、「通常、軍刀等を用いて座している者等を斬ることを意味する」「据えもの百人斬り」であるとする。一方、最初の記事である東京日日新聞には、「据えもの百人斬り」とは書かれていない。それを含めると、可能性は3つある。 1つは、この報道自体が「ホラ話」という場合だ。この「ホラ話」の中にも2つあり、1つは、「記者の創作」の場合。そして、もう1つが、「2人が創作したホラ話」の場合である。 2つ目は、この記事の「百人斬り」=「白兵戦での百人斬り」が真実である場合だ。この可能性も捨てることはできない。 最後、3つ目が、この「百人斬り」が「据えもの百人斬り」である場合だが、僕は、この「据えもの百人斬り」にも、少なくとも3つの可能性があると考える。その1は、戦場で戦う意志のない敵兵を斬った場合、その2は、戦場で戦闘終了後の捕虜を文字通り「据えもの百人斬り」をした場合。残りの1つは、戦場で捕虜や近隣の非戦闘員も集めて虐殺的に「据えもの斬り」を行った場合だ。 僕が何故、こうした可能性をわざわざ述べるのかと言えば、この裁判の中には、いくつかの重要証言がある。それらを読むと、いろいろな可能性が考えられる。 例えば、東京日日新聞の鈴木記者。 「本人たちから"向って来るヤツだけ斬った。決して逃げる敵は斬らなかった"という話を直接聞き、信頼して後方に送ったわけですよ」 前述の佐藤カメラマン。 「"あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか"と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているんだ、という話だった」 H氏証言。 「(野田少尉談)あの話は創作ですよ。中国ではこの話を証拠とするでしょうが、私はやっていないことはやっていないと言います。私に責任があれば、その責任は立派に果たします」 六車政次郎証言。 「出合い頭に銃剣を構えた敵兵とぶつかる。中には軍服を脱ぎ捨てて逃げようとする敵兵や、降伏のそぶりをしながら隙をみて反撃してくる敵兵もある。そんな時には頭で考える前に軍刀を振り降ろしていた」 さらに、志々目彰証言。 「(戦後の野田少尉の弁)実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片つばしから斬る……百人斬りと評判になったけれども,本当はこうして斬ったものが殆んどだ」 望月五三郎証言。 「その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。両少尉は涙を流して助けを求める農民を無惨にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を聨隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである」 鵜野晋太郎証言。 「進撃中の作戦地区では正に『斬り捨てご免』で、立ち小便勝手放題にも似た『気儘な殺人』を両少尉が『満喫』したであろうことは容易に首肯ける」 証言によりニュアンスも異なり、これらの証言があいまいであるとか、否定する意見もあるが、この裁判では、こうした証言を元にして、本多氏の著作を「記載のとおりの事実を摘示し、又は論評を表明したものである」と認めた。つまり、本多氏の著作を「一見して明白に虚偽であるとまでは認めるに足りない」と判断したのである。 では、「百人斬り」の真実とは何だったのか。ここからは僕の勝手な想像だが、2人の少尉が百人斬りを目指したことは事実ではないか、と考えるに至った。そして、占領のスピード、さらに当時の中国軍が敗走を続けていたことを考えると、その数の真否は別として、戦場で逃げ遅れた中国兵を次々と殺傷して行ったのが、いわゆる「百人斬り」ではないだろうか。そして、おそらく2人の少尉にとっては、それは純然たる戦闘行為であって、捕虜の虐殺でも、ましてや住民虐殺でもなかっただろう、というのが僕の推測だ。 また注目すべきは、これも判決文で紹介された、南京軍事法廷での2少尉に死刑判決を与えた理由である。 「向井敏明及び野田厳(「即野田穀」と表記されている)は、紫金山麓に於て殺人の多寡を以て娯楽として競争し各々刺刀を以て老幼を問わず人を見れば之を斬殺し、その結果、野田厳は105名、向井敏明は106名を斬殺し勝を制せり」 とあり、何故か、ここでは、その場所が「紫金山麓」に限定されている。また、その証拠は、東京日日新聞の記事と、 「其の時我方の俘虜にされたる軍民にて集団的殺戮及び焚屍滅跡されたるものは19万人に上り彼方此方に於て惨殺され慈善団体に依りて其の屍骸を収容されたるもののみにてもその数は15万人以上に達しありたり」 という、そこにあった屍骸である。 そして南京軍事法廷では、その「百人斬り」の動機を、「花嫁募集」と「殺人競争」であると指摘している。 おそらく、2少尉にとっては、自分の命がけの戦争での体験を、「花嫁募集」と「殺人競争」という理由で評価されたことが、心残りだったに違いない。 仮に「百人斬り」の事実が、純然たる「据えもの百人斬り」であるなら、東京日日新聞の記事は、明らかに虚報だろう。ただ、当時の記者たちが、そこに誇張表現や戦意高揚の気分を認めるにしろ、その後においても、その記事を正しかったと言うのであれば、その時点で、記者が矛盾に感じるような違法行為はなかったのではと思うのは、僕だけだろうか。そして、それが「据えもの百人斬り」だとしても、単純に残虐行為とは断言できない、いろいろな可能性が考えられるのではないだろうか。 19万人にも及ぶ犠牲者の責任を、100数名を惨殺したとされる2人の少尉が、死をもって償った。さらに、彼らは兵士である。純然たる戦闘行為で敵兵を殺すことが、彼らの役目であって、だからこそ、当時の日本は彼らを英雄として扱った。敗戦によって、日本の価値観が変わったにしろ、彼らが日本のために戦場へ行き、成果を上げた、という事実には変わりはない。 僕は、2人の少尉を日本の残虐性の象徴とする捉え方には疑問を感じる。僕には、2人が、戦場で大多数の兵士と同じように戦争に従事したにもかかわらず、戦後、いきなり南京軍事法廷に連れ出され、大いに迷った、悲しい日本人のように見えてならない。そして、中国への責任問題は別として、それが理解できるのは、日本人しかいないのではないだろうか。 戦争の総括を中国のためや他国のためだけに行っても、意味はない。数々の証言をそのまま紹介した今回の判決は、僕らに今一度、日本の戦争の真実を考える機会を提供しようとするものではないかと思う。 (柴田忠) |
(私論.私見)