第10部−4 | 戦前日共史(補足)戦前日共の綱領及びテーゼの変遷考 |
(最新見直し2006.12.25日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
れんだいこは卒論というのを書いた事が無い。そういう卒業システムになっていなかったという訳だ。ゼミにも入っていなかったので、その時は楽でいいやという思いで遣り過ごしたが、今になってあの頃夢中になって取り組んだものを作っておきたかったと思う。今55歳になって、遣り損ねた卒論をものしてみたい。題して「戦前日共の綱領及びテーゼの変遷考」。 ネット検索してみるのに、本格的にこれに取り組んだものが見当たらない。仮にあったとしても、これから書き上げるれんだいこの一文の考察の方ができがよいであろう。関心の有る者達に捧ぐ。2005新春のお年玉と洒落る次第。今は書き始めですが気が付けば玉手箱のようなものになっているはず。 2005.1.3日 れんだいこ拝 |
ここに「戦前党綱領の変遷考」サイトを設け、@・党創立時の綱領討議の状況、A・「22年テーゼ」、B・「26.2月指針」、C・福本テーゼ、D・「27年テーゼ」、E・「28年無指針」、F・「31年テーゼ草案」、G・「32年テーゼ」につきそれぞれの特徴と、重要な認識、方針部分の変遷個所を確認しつつその検討をしてみたいと思う。更に、それらのテーゼの起草者の主体を明確にさせ、コミンテルンの一方的な押し付けであったのか日ソ両共産党の共同起草であったのかの見極めもして見たいと思う。この辺りの考察は自ずと「テーゼに纏わる日本左派運動の限界性」を浮き彫りにするであろう。 付言すれば、日本左派運動の自前の党綱領作成は、戦後になっての徳球系党中央の「51年綱領」まで待つことになる。徳球系運動批判の大合唱の中でこの意義が確認されていない。そういう訳で、この「51年綱領」の意義まで考察を及ぼして見たいと思う。 もうひとつ付言する。今日においても、戦前党綱領(テーゼを含む)の原文が開示されていない。よって、評者の評を評すことによってしか整理できない。しかしながら、「評者の評」ほど当てにならないものは無い。原文開示さえあれば、れんだいこ流の解析が出来るが、無いので、当てにならない「評者の評」より汲み上げるしかない。残念なことである。 2003.5.17日、2004.12.21日再編集 れんだいこ拝 |
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31年テーゼ草案 | |
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