【その7、ハト派対タカ派の死闘時代考】 |
(最新見直し2006.9.22日)
この前は、【その6、ハト派の主流派時代考】
【三木政権】 |
田中内閣退陣後椎名裁定により1974.12.9日、三木政権が登場する。三木政権を商業メディアはハト派と評しつつその政治姿勢を提灯していくが、三木政権の本質はややハト派では断じてない。もっとも、ハト派、タカ派の識別を護憲か改憲かに求めず他の観点を導入するのなら分からないにしても。 三木首相には確固とした政治哲学は無い。あるとすれば議会制民主主義に対する弁えぐらいなもので、時代に常に流されつつ遊泳する能力が長けているのみである。現代世界が米英ユ連合に支配されていることを思えば、三木は当然のことながらだけで世界の最高支配権力の意向を受けて立ち回ることになる。そういう意味でタカ派系に位置している。そう評するべきだろう。従って、商業メディアによる三木政権論は噴飯ものである。戦後政治史を観る場合、この観点が欲しい。 2004.7.10日 れんだいこ拝 |
【ロッキード事件勃発、ハト派にミサイル弾が打ち込まれる】 |
【福田政権】 |
【大平政権】 |
【鈴木政権】 |
この後は、【その8、タカ派主流派時代の幕開け考】
(私論.私見)