中曽根康弘醜聞&売国奴プロファイル考 |
更新日/2017(平成29).9.30日
(れんだいこのショートメッセージ) |
中曽根康弘ほど名宰相、大勲位として持ちあげられる他方で醜聞に事欠かない御仁はいない。中曽根に纏わる胡散臭さは次の通りである。馬鹿馬鹿しいので敢えて記さないとしていたが、政治史上の重要性に鑑み確認しておくことにする。他にも順次収集していく予定である。「中曽根醜聞」は掃いて捨ててもまだまだ掃ききれないほど盛りだくさん過ぎる。 2004.8.9日、2012.1.3日再編集 れんだいこ拝 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その1、従軍慰安婦施設開設】 | |
「したたかと言われて久し/中曽根康弘 」。
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その1、従軍慰安婦施設開設】 | ||
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その2、広島のきのこ雲を見て原子力の時代直感】 | |||
1945.8.6日、中曽根康弘は高松で広島のきのこ雲を遠望した。この時次のように思ったと云う(中曽根康弘「天地有情-50年の戦後政治を語る」(文藝春秋、1996年)の166~1722頁の「原子力推進の原点になった原爆雲遠望」の項参照。中曽根については「中曽根康弘」で確認する)。
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その3、CIAの影、闇の世界のパシリ】 | |||||
中曽根には終始「CIAの影」がちらつく。
「オウム事件の本番」に注目すべき中曽根記事が掲載されている。これを転載しておく。
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その4、原発導入請負師】 |
中曽根の我が国への原発導入請負師ぶりについては「日本に於ける原子力政策史その1」に記す。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その5、軍事利権師】 |
中曽根の軍事利権師ぶりについては「自衛隊考」に記す。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考飛び入り、浅香光代の隠し子の父親騒動】 | |||
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「浅香光代vs野村沙知代の「サッチー騒動」をおさらい!内縁の夫や隠し子、愛人だった政治家とは? 」。出典:https://matome.naver.jp
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その6、九頭竜ダム補償問題事件】 |
中曽根は「九頭竜ダム補償問題事件」(1964年)に顔を出している。1964.12月初旬、九頭竜ダム建設で水没することになった鉱山経営者・緒方克行は補償交渉の調停人として児玉の元を訪ねる。この時、児玉は、「内容も理解できたので、何とか調停して差し上げましょう。既にこの問題に携わるメンバーも決めてあります。中曽根さんを中心として読売政治部の渡辺恒雄君、同じ経済部の氏家斉一郎君に働いてもらいます。ま、暫くは成り行きを見ていてください」。12.27日、緒方は児玉邸で読売新聞記者の渡辺と氏家に引き合わせられる。この時、事前運動費として1千万円(当時の金額を今換算すれば1億円相当)を児玉に差し出している。ここに児玉、中曽根、ナベツネ、氏家が顔を揃えている。1965.2.12日、中林恭夫(池田前首相秘書官事務取扱・当時、大蔵省証券局課長補佐)が自宅官舎屋上から転落死する。2.25日、田中彰治代議士、衆院決算委員会席上で九頭竜川ダムの入札疑惑を追及。3.4日、倉地武雄・言論時代社社長、藤井・電発前総裁を衆院決算委員会で参考人質疑。倉地は「記事内容に間違いない」と断言、藤井は発言内容を全面否定し、両者の意見が食い違う。4.9日、倉地武雄が同三男に絞殺される。児玉、中曽根、ナベツネ、氏家の働きかけは成功せず、後日1965.7.25日、運動費も返還されている。妙な事件である。石川達三の「金環蝕」の題材ともなり、同名で映画化までされた一大スキャンダルである。多くの疑獄関係書に詳しい経過が記されている。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その7、三島事件】 |
中曽根の三島事件との関わりについては「三島最後のドキュメント考」に記す。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その8、殖産住宅創設経営者・東郷民安氏を喰い物にする】 |
殖産住宅事件では旧制静岡中学時代からの東郷民安氏を裏切った、と云うか食い物にした。これについては「中曽根の性癖考」に記す。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その9、政界風見鶏】 | |
中曽根の政界風見鶏ぶりについて次のように記されている。
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その10、ロッキード事件】 |
中曽根とロッキード事件の関わりについては「ロッキード事件の見方その3ーれんだいこかく語りきー」に記す。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その11、児玉誉士夫葬儀に顔ださず】 | |
中曽根が懇意にしてきた児玉誉士夫葬儀に顔さえ出さなかったことが明らかにされている。
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その12、田中角栄愚弄】 | |
中曽根がポスト鈴木の総裁選で角栄と交わした密約を如何に反故にしたかは「金丸信の中曽根嫌い考」に記す。次のような伝もある。
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【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その13、ダグラス・グラマン事件】 |
中曽根とダグラス・グラマン事件の関わりについては「ダグラス・グラマン事件考」に記す。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その14、日本航空123便墜落事故事件】 |
中曽根と1985.8.12日の日本航空123便墜落事故事件の関わりについては「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件考」に記す。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その15、国営事業の民営化】 |
中曽根政権時の日本専売公社、日本国有鉄道および日本電信電話公社の三公社の解体民営化、長年半官半民であった日本航空の完全民営化を推進させた。臨時行政調査会の提言による「民間活力導入」による公的部門の民営化も悪事である。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その16、バブルの蓋を開ける】 |
中曽根政権時の1985年バブル経済突入も悪事である。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その17、リクルート事件】 |
中曽根とリクルート事件の関わりについては「リクルート事件考」に記す。 1990(平成2).7.19日、証券取引法違反(株価操作)容疑で東京地検特捜部に逮捕された仕手集団・光進の小谷光浩は、中曽根の有力な政治団体である山王経済研究所のメンバーであった。この小谷という男はもともと不動産業畑の人間で、飛島建設や三井不動産の先兵となって、地上げや底地買いを手がけ、荒稼ぎしてのし上がった。国際航業乗っ取り事件にからむ小谷容疑者との関係では中曾根氏の金庫番・山王経済研究所の会計責任者)・太田英子女史がつっかえ棒役を果たした。小谷は太田英子女史との間で同社株10万株の相対取引をして、1億2千万の差益を得さ せていることが明らかにされている。 リクルート事件では藤波孝生元官房長官が泥をかぶった(太田英子女史も)。丸高グループ転換社債をめぐる脱税等の疑惑では本来、大蔵事務次官経験者のポストである公正取引委員長に国税庁長官を起用することでウヤムヤにした。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その18、大勲位菊花大綬章を受章】 |
1997(平成9).4.29日、大勲位菊花大綬章を受章。これも臭い話しである。ちなみに日本国憲法施行後、皇族・外国人以外で大勲位菊花大綬章を生前受勲したのは吉田茂、佐藤栄作に次いで3人目である。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その19、その他】 |
富士銀行不正融資事件(羅臼疑惑)。最上興産疑惑。 |
1990年のイトマン事件に関与した亀井静香も、中曾根側近。 |
1993年の東京協和・安全信組事件の山口敏夫元労相は、中曾根側近。 |
200年の贈収賄事件で逮捕された中尾栄一元建設相も、中曾根側近。 |
2001年のKSD事件の村上正邦元労相も、元中曽根側近。 |
【中曽根康弘の醜聞プロファイル考その20、その他】 |
「JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者ではないのか」。 中曽根式民営化の真の目的は利権と外資への日本資産の献上だった。2000年9月現在、日本フリーメイソン「東京メソニック協会」は東京のシンボルのひとつである東京タワーと同じ区画にある第38森ビルに入居している。戦後GHQは、日本軍の隠した貴金属を次々と発見していくが、発見されたものは米国政府の命令で米国本土に送り、米国の財産としなければならなかった。しかし、日本軍部が自己所有として記録に残した貴金属と、実際に米国本土に送還された貴金属の量には圧倒的な「差」があった。日本軍の隠した貴金属摘発を担当したのは、GHQのマッカート少将であったが、実際に実務を仕切ったのは冶金課長のジョージ・パーディであった。日本から奪われ米国政府にも渡されなかった膨大な貴金属は、パーディの手によって東京メソニック協会と言う得体の知れない財団法人に移され隠された。この東京メソニック協会は、フリーメーソン日本支部代表(グランドロッジ)であった。パーディはフリーメーソン日本支部の支部長であった。そして事実上米国を欺いてイスラエルに奪われた貴金属は、この2つの「森ビル」を拠点に次々と現金に姿を変え、東京港区を中心とした日本の優良不動産の買収に使われ、不動産に姿を変えて行った。その土地買収と買収した土地への高層ビル建設を担ったイスラエルのフロント企業が森ビル。日本を代表するビル会社、森ビルの正体はフリーメーソン日本支部であり、イスラエルのフロント企業であり、その資金源は日本軍部とGHQから略奪した貴金属であった。イスラエル=森ビルは港区全体の大地主と言われるようになる。 中曽根は総理大臣時代、高層ビルの高さ規制撤廃を行い、森ビルの事業を大々的にバックアップした。そして中曽根は国鉄分割民営化等で出てきた国鉄の土地、政府所有の国有地を破格でイスラエル=森ビルに投げ売りした。イスラエルは日本政府とGHQから略奪した資金で、中曽根が投げ売りする東京都内、日本全国の優良不動産を買収して行った。原発建設、森ビルのための高層ビルの高さ規制撤廃等、中曽根の政策は常にイスラエルのために行われて来た。こうして中曽根の政策により、日本の国土の最重要地を入手したイスラエルは、宗教法人創価学会の名義で不動産を登記する事で、脱税を大々的に行う(宗教法人に課税はされない)。 中曽根の子分で、大蔵省の官僚時代から夫婦で東京タワーに隣接するイスラエルのメソニック森ビルに「無料」で住んで来た国会議員浜田卓二郎は、公明党創価学会の強力なバックアップで国会議員を続けながら、イスラエルの取得した優良不動産を創価学会名義で登記するパイプ役となって来た。浜田と中曽根の尽力で無税の恩恵を受けたイスラエルは、見返りとしてその不動産を担保に、新生銀行(日債銀、興銀、長銀等の旧・政府系金融機関が、こうした不正融資のブラック・ボックスになって来たが、現在その機能を引き継いだのが新生銀行である。)から資金の融資を受け、浜田と公明党創価学会の選挙資金とし、中曽根自民党の選挙資金として献金して来た。元々、戦後自民党が結成される際に、その結党資金を提供したのはイスラエル、パーディのメソニック協会であった。 森ビルの社運をかけた事業の六本木ヒルズで悲惨な事故が発生した。2004年3月26日、小学校入学直前の6歳の男児が電動回転ドアに挟まれて死亡した。痛ましい死亡事故が発生したのち、2003年4月から2004年2月までに、同ビルの回転ドアで32件の事故が発生したことが明らかになった。森ビルの責任が問われた。しかし、六本木ヒルズの「運営本部長」を兼ねていた森ビルの森稔社長(70)については事故を予見できなかったとして立件が見送られた。森ビルの森社長は小泉前首相と密接な関係を築いたようだ。森ビルが社運をかけて取り組んだ事業が「六本木ヒルズ」だ。ライブドア、村上ファンド、楽天などの企業が六本本ヒルズにオフィスを構えた。「ヒルズ族」という新語が生まれた。 2003年4月22日の六本木ヒルズのオープニングーセレモニー。小泉首相は「この東京の新たな街づくりに極めて刺激的、魅力的な六本木ヒルズが誕生したという、この誕生に立ち会うことができたのは幸運だと思います」と祝賀挨拶した。また、「こんなに賑わっていてどこが不況か」と述べたことも伝えられた。森氏は私に「小泉政権を批判しないように」と語った。森氏が小泉首相を支援していることがよく分かった。このセレモニーの最中、私は六本木ヒルズ内に個人事務所棟があり、小泉政権や米国政府と親密な学者や元官僚などがオフィスを有していることを聞いた」。テレビ朝日も森ビルのテナントのひとつである。森ビルと清和政策研究会との間には抜き差しならないものがあるのだと考えられる。自民党清和政策研究会は検察を支配し、森ビル関係者は逮捕もされずに事件処理を終えた。 |
(私論.私見)