教育論、愚民化教育批判論 |
(最新見直し2013.01.31日)
教育の重要性は知られている。これを今更れんだいこが繰り返す必要はなかろうが一応確認しておく。 次のように云えるのではなかろうか。
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ところが、その教育及び教育制度に対して、いつの頃からか逆行的な教育が施されるようになった。逆行的とは、敢えてわざわざ愚民化させる教育を云うのであるが、それは時の政府の体制維持的観点から導入されたことが判明している。ブント全学連が活躍した60年安保闘争以来、政府文部省は、青年の社会意識の高さを危険視し始め、「意図的な愚民化教育政策」に転換させた。「寺脇研元審議官を筆頭とする旧文部省の役人の“世紀の愚策”」と指摘されている。 この時、ある文部官僚はこう嘯いたという(「愚民化政策」はここまで進んでいた!!」)。
かくて、「愚民化教育」が始まった。「ゆとり教育」の名の下に教育内容が削減され、体制側には望ましくないとされた分野の場合には、文系理系問わず必要な基礎的知識を故意に教えず、そういうことにより読解力も思考力も低下し、いわゆる「学力低下」が促されてきた。これは、偶然ではなく意図的な「愚民化政策」という政策導入によりそうされてきた。その結果、子供達が自分の頭脳で考え試行錯誤しつつ弁証法的に成長するという学びのサイクルが壊され、その結果「生きる力そのもの」が衰えてきたのではないのか。 「35年で義務教育の学習内容は半減した」は次のように述べている。
仮に、社会情勢の変化により学校教育の役目が減じたとしても、国家が逆行的教育政策を敷くのはあまりにも横暴ではなかろうか。体制側の御身保全策が国家の民族の悠久の歴史を冒涜しているのなら、それはあまりにも大きな犠牲ではなかろうか。 2005.9.23日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)