【冬は陽気を漏らさない】(619)
冬は、天地の陽気とぢかくれ、人の血気おさまる時也。心気を閑(しずか)にし、おさめて保つべし。あたゝめ過して陽気を発し、泄(もら)すべからず。上気せしむべからず。衣服をあぶるに、少(すこし)あたゝめてよし。熱きをいむ。衣を多くかさね、または火気を以て身をあたゝめ過すべからず。熱湯(あつゆ)に浴すべからず。労力して汗を発し、陽気を泄(もら)すべからず。
【冬至には労働や房事を避ける】(620)
冬至には、一陽初て生ず。陽気の微少なるを静養すべし。労動すべからず。この日、公事にあらずんば、外に出(いず)べからず。冬至の前五日、後十日、房事を忌む。また、灸すべからず。『続漢書』に曰く、「夏至水を改め、冬至に火を改むるは、瘟疫(おんえき)を去なり」。
【冬に針灸や按摩をしない】(621)
冬月は、急病にあらずんば、針灸すべからず。尤(もっとも)十二月を忌む。また、冬月按摩をいむ。自身しづかに導引するは害なし。あらくすべからず。
【大晦日には寝ないで新年を迎える】(622)
除日(じょにち)には、父祖の神前を掃除し、家内、殊に臥室のちりをはらひ、夕は燈(ともしび)をともして、明朝にいたり、家内光明ならしめ、香を所々にたき、かまどにて爆竹し、火をたきて、陽気を助くべし。家族と炉をかこみ、和気津々として、人とあらそはず、家人を、いかりのゝしるべからず。父母、尊重を拝祝し、家内、大小上下椒(しょう)酒をのんで歓び楽しみ、終夜いねずして旧(ふる)き歳をおくり、新き年をむかへて、朝にいたる。これを歳を守ると云(いう)。
【熱食いの汗】(623)
熱食して汗いでば、風に当るべからず。
【打撲傷の注意】(624)
凡そ人の身、高き処よりおち、木石におされなどして、損傷したる処に、灸をすることなかれ。灸をすれば、くすりを服してもしるしなし。また、兵器にやぶられて、血おほく出たる者は、必ずのんどかはくもの也。水をあたふべからず。甚あしゝ。また、粥をのましむべからず。粥をのめば、血わき出で、必ず死ぬ。これ等のこと、かねてしらずんばあるべからず。また、金瘡折傷、口開きたる瘡、風にあたるべからず。扇にてもあふぐべからず。、*症(ししよう)となり、或(あるいは)破傷風となる。
【冬に出かけるときは酒で暖まるのもよい】(625)
冬、朝(あした)に出て遠くゆかば、酒をのんで寒をふせぐべし。空腹にして寒にあたるべからず。酒をのまざる人は、粥を食ふべし。生薑をも食ふべし。陰霧の中、遠く行べからず。やむ事を得ずして、遠くゆかば、酒食を以て防ぐべし。
【冷えた身体を急に温めてはいけない】(626)
雪中に跣(はだし)にて行て、甚寒(ひ)えたるに、熱湯(あつきゆ)にて足を洗ふべからず。火に早くあたるべからず。大寒にあたりて、即熱(あつき)物を食飲すべからず。
【頓死のパターン】(627)
頓死の症多し。卒中風(そっちゅうぷ)、中気、中悪、中毒、中暑、凍死、湯火、食傷、乾霍乱(かんかくらん)、破傷風、喉痺、痰厥(たんけつ)失血、打撲、小児の馬脾風等の症、皆卒死す。この外、また、五絶とて、五種の頓死あり。一には自(みずから)くびる。二にはおしにうたる。三には水におぼる。四には夜押厭はる。五には婦人難産。これ皆、暴死する症なり。常の時、方書を考へ、また、その治法を、良医にたつねてしり置(おく)べし。かねて用意なくして、俄に所置を失ふべからず。
【おかしなことにも錯覚や精神病がある】(628)
神怪、奇異なること、たとひ目前に見るとも、必ず鬼神の所為とは云がたし。人に心病あり。眼病あり。この病あれば、実になき物、目に見ゆること多し。信じてまよふべからず。
択医
【医者を選びなさい】(629)
保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、また、医をよくゑらぶべし。天下にもかへがたき父母の身、わが身を以て庸医の手にゆだぬるはあやうし。医の良拙をしらずして、父母子孫病する時に、庸医にゆだぬるは、不孝不慈に比す。「おやにつかふる者も、また医をしらずんばあるべからず」といへる程子の言、むべなり。医をゑらぶには、わが身医療に達せずとも、医術の大意をしれらば、医の好否(よしあし)をしるべし。たとへば書画を能(よく)せざる人も、筆法をならひしれば、書画の巧拙をしるが如し。
【医は仁術、医は三世をよしとする】(630)
医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以て、志とすべし。わが身の利養を専に志すべからず。天地のうみそだて給へる人を、すくひたすけ、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云、きはめて大事の職分なり。他術はつたなしといへども、人の生命には害なし。医術の良拙は人の命の生死にかゝれり。人を助くる術を以て、人をそこなふべからず。学問にさとき才性ある人をゑらんで医とすべし。
医を学ぶ者、もし生れ付鈍にして、その才なくんば、みづからしりて、早くやめて、医となるべからず。不才なれば、医道に通せずして、天のあはれみ給ふ人を、おほくあやまりそこなふこと、つみかふし。天道おそるべし。他の生業多ければ、何ぞ得手なるわざあるべし。それを、つとめならふべし。医生、その術にをろそかなれば、天道にそむき、人をそこなふのみならず、我が身の福(さいわい)なく、人にいやしめらる。
その術にくらくして、しらざれば、いつはりをいひ、みづからわが術をてらひ、他医をそしり、人のあはれみをもとめ、へつらへるは、いやしむべし。医は三世をよしとすること、礼記に見えたり。医の子孫、相つゞきてその才を生れ付たらば、世世家業をつぎたるがよかるべし。この如くなるはまれなり。三世とは、父子孫にかゝはらず、師、弟子相伝へて三世なれば、その業くはし。この説、然るべし。もしその才なくば、医の子なりとも、医とすべからず。他の業を習はしむべし。不得手なるわざを以て、家業とすべからず。
【医者は儒書を読み、文義に通ず】(631)
凡そ医となる者は、先ず儒書をよみ、文義に通ずべし。文義通ぜざれば、医書をよむちからなくして、医学なりがたし。また、経伝の義理に通ずれば、医術の義理を知りやすし。故に孫思ばく(ばく)曰く、「凡そ大医と為るには、先ず儒書に通ずべし」と。また曰く、「易を知らざれば以て医と為る可からず」。この言、信ずべし。諸芸をまなぶに、皆文学を本とすべし。文学なければ、わざ熟しても理にくらく、術ひきし。ひが事多けれど、無学にしては、わがあやまりをしらず。
医を学ぶに、殊に文学を基とすべし。文学なければ、医書をよみがたし。医道は、陰陽五行の理なる故、儒学のちから、易の理を以て、医道を明らむべし。しからざれば、医書をよむちからなくして、医道をしりがたし。
【良医・俗医・福医(時医)】(632)
文学ありて、医学にくはしく、医術に心をふかく用ひ、多く病になれて、その変をしれるは良医也。医となりて、医学をこのまず、医道に志なく、また、医書を多くよまず、多くよんでも、精思の工夫なくして、理に通ぜず、或(あるいは)医書をよんでも、旧説になづみて、時の変をしらざるは、賤工也。俗医、利口にして、医学と療治とは別のことにて、学問は、病を治するに用なしと云て、わが無学をかざり、人情になれ、世事に熟し、権貴の家にへつらひちかづき、虚名を得て、幸にして世に用ひらるゝ者多し。
これを名づけて福医と云、また、時医と云。これ医道にはうとけれど、時の幸ありて、禄位ある人を、一両人療して、偶中すれば、その故に名を得て、世に用らるゝことあり。才徳なき人の、時にあひ、富貴になるに同じ。およそ医の世に用らるゝと、用られざるとは、良医のゑらんで定むる所為(しわざ)にはあらず。医道をしらざる白徒(しろうと)のすることなれば、幸にして時にあひて、はやり行はるるとて、良医とすべからず。その術を信じがたし。
【医は意なり】(633)
古人、「医也者は意也」といへり。云意(こころ)は、意(こころ)精(くわ)しければ、医道をしりてよく病を治す。医書多くよんでも、医道に志なく、意(こころ)粗く工夫くはしからざれば、医道をしらず。病を治するに拙きは、医学せざるに同じ。医の良拙は、医術の精(くわ)しきと、あらきとによれり。されども、医書をひろく見ざれば、医道をくはしくしるべきやうなし。
【君子医・小人医】(634)
医とならば、君子医となるべし、小人医となるべからず。君子医は人のためにす。人を救ふに、志専一なる也。小人医はわが為にす。わが身の利養のみ志し、人をすくふに志専ならず。医は仁術也。人を救ふを以て志とすべし。これ人のためにする君子医也。人を救ふ志なくして、只、身の利養を以て志とするは、これわがためにする小人医なり。医は病者を救はんための術なれば、病家の貴賤貧富の隔なく、心を尽して病を治すべし。
病家よりまねかば、貴賤をわかたず、はやく行べし。遅々すべからず。人の命は至りておもし、病人をおろそかにすべからず。これ医となれる職分をつとむる也。小人医は、医術流行すれば我身にほこりたかぶりて、貧賤なる病家をあなどる。これ医の本意を失へり。
【ある人の意見】(635)
或人の曰く、君子医となり、人を救はんが為にするは、まことに然るべし。もし医となりて仲景(ちゅうけい)、東垣(とうえん)などの如き富貴の人ならば、利養のためにせずしても、貧窮のうれひなからん。貧家の子、わが利養の為にせずして、只人を救ふに専一ならば、飢寒のうれひまぬがれがたかるべし。答て曰く、わが利養の為に医となること、たとへば貧賤なる者、禄のため君につかふるが如し。まことに利禄のためにすといへども、一たび君につかへては、わが身をわすれて、ひとへに君のためにすべし。
節義にあたりては、恩禄の多少によらず、一命をもすつべし。これ人の臣たる道なり。よく君につかふれば、君恩によりて、禄は求めずしてその内にあり。一たび医となりては、ひとへに人の病をいやし、命を助くるに心専一なるべきこと、君につかへてわが身をわすれ、専一に忠義をつとむるが如くなるべし。わが身の利養をはかるべからず。然れば、よく病をいやし、人をすくはゞ、利養を得ることは、求めずしてその内にあるべし。只専一に医術をつとめて、利養をば、むさぼるべからず。
【医者は趣味などあるべからず】(636)
医となる者、家にある時は、つねに医書を見てその理をあきらめ、病人を見ては、また、その病をしるせる方書をかんがへ合せ、精(くわ)しく心を用ひて薬方を定むべし。病人を引うけては、他事に心を用ひずして、只、医書を考へ、思慮を精(くわ)しくすべし。凡そ医は、医道に専一なるべし。他の玩好あるべからず。専一ならざれば業精(くわ)しからず。
【良い医者に委ねるのがよい】(637)
医師にあらざれども、薬をしれば、身をやしなひ、人をすくふに益あり。されども、医療に妙を得ることは、医生にあらざれば、道に専一ならずして成がたし。みづから医薬を用ひんより、良医をゑらんでゆだぬべし。医生にあらず、術あらくして、みだりにみづから薬を用ゆべからず。
只、略(ほぼ)医術に通じて、医の良拙をわきまへ、本草をかんがへ、薬性と食物の良毒をしり、方書をよんで、日用急切の薬を調和し、医の来らざる時、急病を治し、医のなき里に居(おり)、或(あるいは)旅行して小疾をいやすは、身をやしなひ、人をすくふの益あれば、いとまある人は、すこし心を用ゆべし。医術をしらずしては、医の良賤をもわきまへず、只、世に用ひらるゝを良工とし、用ひられざるを賤工とする故に、『医説』に、「明医は時医にしかず」といへり。
医の良賤をしらずして、庸医に、父母の命をゆだね、わが身をまかせて、医にあやまられて、死したるためし世に多し。おそるべし。
【素養をもっている子弟を医者に育てる】(638)
士庶人の子弟いとけなき者、医となるべき才あらば、早く儒書をよみ、その力を以て、医書に通じ、明師にしたがひ、十年の功を用て、『内経』、『本草』以下、歴代の明医の書をよみ学問し、やうやく医道に通じ、また、十年の功を用ひて、病者に対して、病症を久しく歴見して習熟し、近代の日本の先輩の名医の療術をも考しり、病人に久しくなれて、時変を知り、日本の風土にかなひ、その術ますます精(くわ)しくなり、医学と病功と、前後凡そ二十年の久きをつみなば、必ず良医となり、病を治すること、験ありて、人をすくふこと多からん。
然らば、をのづから名もたかくなりて、高家、大人(たいじん)の招請あり、士庶人の敬信もあつくば、財禄を得ること多くして、一生の受用ゆたかなるべし。この如く実によくつとめて、わが身に学功そなはらば、名利を得んこと、たとへば俯して地にあるあくたを、ひろふが如く、たやすかるべし。これ士庶の子弟、貧賎なる者の名利を得る好(よき)計(はかりごと)なるべし。この如くなる良工は、これ国土の宝なり。公侯は、早くかゝる良医をしたて給ふべし。
医となる人、もし庸医のしわざをまなび、、愚俗の言を信じ、医学をせずして、俗師にしたがひ、もろこしの医書をよまず、病源と脈とをしらず、本草に通ぜず、薬性をしらず、医術にくらくして、只近世の日本の医の作れる国字の医書を、二三巻考へ、薬方の功能を少覚え、よききぬきて、我が身のかたちふるまひをかざり、辯説(べんぜつ)を巧にし、人のもてなしをつくろひ、富貴の家に、へつらひしたしみ、時の幸(さいわい)を求めて、福医のしわざを、うらやみならはゞ、身をおはるまで草医なるべし。
かゝる草医は、医学すれば、かへつて療治に拙し、と云まはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道の子としてあはれみ給ふ万民の、至りておもき生命をうけとり、世間きはまりなき病を治せんとして、この如くなる卑狭(ひきょう)なる術を行ふは云かひなし。
【俗医は学問を嫌う】(639)
俗医は、医学をきらひてせず。近代名医の作れる和字の医書を見て、薬方を四五十つかひ覚ゆれば、医道をば、しらざれども、病人に馴て、尋常(よのつね)の病を治すること、医書をよんで病になれざる者にまされり。たとへば、*稗(ていはい)の熟したるは、五穀の熟せざるにまされるが如し。されど、医学なき草医は、やゝもすれば、虚実寒熱を取ちがへ、実々虚々のあやまり、目に見えぬわざはひ多し。
寒に似たる熱症あり。熱に似たる寒症あり。虚に似たる実症あり。実に似たる虚症あり。内傷、外感、甚相似たり。この如きまぎらはしき病多し。根ふかく、見知りがたきむづかしき病、また、つねならざるめづらしき病あり。かやうの病を治することは、ことさらなりがたし。
【まず志を立てる】(640)
医となる人は、まづ、志を立て、ひろく人をすくひ助くるに、まことの心をむねとし、病人の貴賎によらず、治をほどこすべし。これ医となる人の本意也。その道明らかに、術くはしくなれば、われより、しゐて人にてらひ、世に求めざれども、おのづから人にかしづき用られて、さいはいを得ること、かぎりなかるべし。もし只、わが利養を求るがためのみにて、人をすくふ志なくば、仁術の本意をうしなひて、天道、神明の冥加あるべからず。
【貧民と愚民の死に方】(641)
貧民は、医なき故に死し、愚民は庸医にあやまられて、死ぬる者多しと、古人いへり。あはれむべし。
【医術は博く精しく学ぶ】(642)
医術は、ひろく書を考へざれば、事をしらず。精しく理をきはめざれば、道を明らめがたし。博(ひろき)と精(くわしき)とは医を学ぶの要なり。医を学ぶ人は、初より大に志ざし、博くしてまた精しかるべし。二ながら備はらずんばあるべからず。志小きに、心あらくすべからず。
【日本の医は中華の医に及ばない】(643)
日本の医の中華に及ばざるは、まづ学問のつとめ、中華の人に及ばざれば也。ことに近世は国字(かな)の方書多く世に刊行せり。古学を好まざる医生は、からの書はむづかしければ、きらひてよまず。かな書の書をよんで、医の道これにてこと足りぬと思ひ、古の道をまなばず。これ日本の医の医道にくらくして、つたなきゆへなり。むかしの伊路波(いろは)の国字(かな)いできて、世俗すべて文盲になれるが如し。
【学ばなければ話にならない】(644)
歌をよむに、「ひろく歌書をよんで、歌学ありても歌の下手はあるもの也。歌学なくして上手は有まじきなり」と心敬法師いへり。医術もまたかくの如し。医書を多くよんでも、つたなき医はあり。それは医道に心を用ずして、くはしならざればなり。医書をよまずして、上手はあるまじき也。から・やまとに博学多識にして、道しらぬ儒士は多し。博く学ばずして、道しれる人はなきが如し。
【仁をもって行い、利を求むべからず】(645)
医は、仁心を以て行ふべし。名利を求むべからず。病おもくして、薬にて救ひがたしといへども、病家より薬を求むる事切ならば、多く薬をあたへて、その心ををなぐさむべし。わがよく病を見付て、生死をしる名を得んとて、病人に薬をあたへずして、すてころすは情けなし。医の薬をあたへざれば、病人いよいよちからをおとす。理なり。あはれむべし。
【医の温故知新】(646)
医を学ぶに、ふるき法をたづねて、ひろく学び、古方を多く考ふべし。また、今世の時運を考へ、人の強弱をはかり、日本の土宜(どぎ)と民俗の風気を知り、近古わが国先輩の名医の治せし迹(あと)をも考へて、治療を行ふべし。いにしへに本づき、今に宜しくば、あやまりすくなかるべし。古法をしらずして、今の宜に合せんとするを鑿(うがつ)と云。古法にかゝはりて、今の宜に合ざるを泥(なずむ)と云。そのあやまり同じ。
古に「くらく、今に通ぜずしては、医道行はるべからず。聖人も、故を温ね新を知以て師とすべし」と、のたまへり。医師も、またかくの如くなるべし。
【適中と偶中】(647)
薬の病に応ずるに適中あり、偶中あり。適中は良医の薬必ず応ずる也。偶中は庸医の薬不慮(はからざるに)相応ずるなり。これその人に幸ある故に、術はつたなけれども、幸にして病に応じたる也。もとより庸医なれば、相応ぜざること多し。良医の適中の薬を用ふべし。庸医は、たのもしげなし。偶中の薬はあやふし。適中は能(よく)射る者の的にあたるが如し。偶中は拙き者の不慮に、的に射あつるが如し。
【庸医の多くなる理由】(648)
医となる者、時の幸を得て、富貴の家に用いらるゝ福医をうらやみて、医学をつとめず、只、権門につねに出入し、へつらひ求めて、名利を得る者多し。医術のすたりて拙くなり、庸医の多くなるはこの故なり。
【無益な諸芸が多い中で、医術は有用】(649)
諸芸には、日用のため無益なること多し。只、医術は有用のこと也。医生にあらずとも少学ぶべし。凡そ儒者は天下のこと皆しるべし。故に、古人、医も儒者の一事といへり。ことに医術はわが身をやしなひ、父母につかへ、人を救ふに益あれば、もろもろの雑芸よりも最(もっとも)益多し。しらずんばあるべからず。然ども医生に非ず、療術に習はずして、妄(みだり)に薬を用ゆべからず。
【医学生の読むべき書】(650)
医書は、『内経』(ないけい)『本草』(ほんぞう)を本とす。『内経』を考へざれば、医術の理、病の本源をしりがたし。『本草』に通ぜざれば、薬性をしらずして方を立がたし。且(かつ)、食性をしらずして宜禁(ぎきん)を定がたく、また、食治の法をしらず。この二書を以て医学の基(もとい)とす。
二書の後、秦越人(しんえつじん)が『難経』、張仲景が『金匱要略』(きんきようりゃく)、皇甫謐(こうほひつ)が『甲乙経』、巣元方が『病源候論』、孫思*(そんしばく)が『千金方』、王とう(6500)が『外台秘要』、羅謙甫(らけんほ)が『衛生宝鑑』、陳無択が『三因方』、宋の恵民局の『和剤局方証類』、『本草序例』、銭仲陽が書、劉河間が書、朱丹溪が書、李東垣が書、楊しゅん(6501)が『丹溪心法』、劉宗厚が『医経小学』、『玉機微義』、熊宗立が『医書大全』、周憲王の『袖珍方』、周良采が『医方選要』、薛立斎(せつりゅうさい)が『医案』、王璽(おうじ)が『医林集要』、楼英が『医学綱目』、虞天民が『医学正伝』、李挺が『医学入門』、江篁南(こうこうなん)が『名医類案』、呉崑が『名医方考』、きょう(6502)挺賢が書数種、汪石山が『医学原理』、高武が『鍼灸聚英』、李中梓(りちゅうし)が『医宗必読』、『頤生微論』、『薬性解』、『内経知要』あり。また薛立斎が十六種あり。医統正脈は四十三種あり。歴代名医の書をあつめて一部とせり。
これ皆、医生のよむべき書也。年わかき時、先儒書を記誦し、その力を以て右の医書をよんで能記すべし。
【中国の歴代名医】(651)
張仲景は、百世の医祖也。その後、歴代の明医すくなからず。各発明する処多しといへ共、各その説に偏僻の失あり。取捨すべし。孫思(ばく)は、また、養生の祖なり。『千金方』をあらはす。養生の術も医方も、皆、宗とすべし。老、荘、を好んで異術の人なれど、長ずる所多し。医生にすゝむるに、儒書に通じ、易を知るを以てす。盧照鄰に答へし数語、皆、至理あり。この人、後世に益あり。医術に功あること、皇甫謐、葛洪、陶弘景等の諸子に越たり。寿(いのち)百余歳なりしは、よく保養の術に長ぜし効(しるし)なるべし。
【『千金方』について】(652)
むかし、日本に方書の来りし初は、『千金方』なり。近世、医書板行せし初は、医書大全なり。この書は明の正統十一年に熊宗立編む。日本に大永の初来りて、同八年和泉の国の医、阿佐井野宗瑞、刊行す。活板也。正徳元年まで百八十四年也。その後、活字の医書、やうやく板行す。寛永六年巳後、扁板鏤刻(るこく)の医書漸く多し。
【いろいろな意見を勘案して、……】(653)
凡そ諸医の方書偏説多し。専一人を宗とし、一書を用ひては治を為しがたし。学者、多く方書をあつめ、ひろく異同を考へ、その長ずるを取てその短なるをすて、医療をなすべし。この後、才識ある人、世を助くるに志あらば、ひろく方書ゑらび、その重複をけづり、その繁雑なるを除き、その粋美なるをあつめて、一書と成さば、純正なる全書となりて、大なる世宝なるべし。この事は、その人を待て行はるべし。凡そ近代の方書、医論、脈法、薬方同じきこと、甚多し。
殊(ことに)*挺賢(きょうていけん)が方書部数、同じ事多くして、重出しげく煩はし。無用の雑言また多し。凡そ病にのぞんでは、多く方書を検すること、煩労なり。急病に対し、にはかに広く考へて、その相応ぜる良方をゑらびがたし。同事多く、相似たる書を多くあつめ考るも、いたづがはし。才学ある人は、無益の事をなして暇をつひやさんより、かゝる有益の事をなして、世を助け給ふべし。世にその才ある人、豈なかるべきや。
【医学書もさまざま】(654)
『局方発揮』、出て『局方』すたる。『局方』に古方多し。古を考ふるに用べし。廃(す)つべからず。只、鳥頭附子の燥剤を多くのせたるは、用ゆべからず。近古、日本に『医書大全』を用ゆ。*挺賢(きょうていけん)が方書流布して、東垣が書及『医書大全』、その外の諸方をも諸医用ずして、医術せばくあらくなる。『三因方』、『袖珍方』、『医書大全』、『医方選要』、『医林集要』、『医学正伝』、『医学綱目』、『入門』、『方考』、『原理』、『奇効良方』、『証治準縄』等、その外、方書を多く考へ用ゆべし。
『入門』は、医術の大略備れる好書也。(きょう)廷賢が書のみ偏に用ゆべからず。*(きょう)氏が医療は、明季の風気衰弱の時宜に頗かなひて、その術、世に行はれし也。日本にても、またしかり。しかるべきことは、ゑらんで所々取用ゆべし。悉くは信ずべからず。その故にいかんとなれば、雲林が医術、その見識ひきし。他人の作れる書をうばひてわが作とし、他医の治せし療功を奪てわが功とす。
不経の書を作りて、人に淫ををしえ、紅鉛などを云穢悪の物をくらふことを、人にすゝめて良薬とす。わが医術をみづから衒ひ、自ほむ。これ皆、人の穢行なり。いやしむべし。
【他の医者の治療を誹(そし)ってはいけない】(655)
我よりまへに、その病人に薬を与へし医の治法、たとひあやまるとも、前医をそしるべからず。他医をそしり、わが術にほこるは、小人の癖なり。医の本意にあらず。その心ざまいやし。きく人に思ひ下さるゝも、あさまし。
【本草学にはいろいろな説がある】(656)
本草の内、古人の説まちまちにして、一やうならず。異同多し。その内にて考へ合せ、択(えら)び用ゆべし。また、薬物も食品も、人の性により、病症によりて、宜、不宜あり。一概に好否を定めがたし。
【病論・脈法・薬方】(657)
医術もまた、その道多端なりといへど、その要三あり。一には病論、二には脈法、三には薬方、この三のことをよく知べし。運気、経絡などもしるべしといへども、三要の次也。病論は、内経を本とし、諸名医の説を考ふべし。脈法は、脈書数家を考ふべし。薬方は、本草を本として、ひろく諸方書を見るべし。薬性にくはしからずんば、薬方を立がたくして、病に応ずべからず。また、食物の良否をしらずんば、無病有病共に、保養にあやまり有べし。薬性、食性、皆本草に精からずんば、知がたし。
【病気になっても治らないのは、……】(658)
或曰く、病あつて治せず、常に中医を得る、といへる道理、誠にしかるべし。然らば、病あらば只上医の薬を服すべし。中下の医の薬は服すべからず。今時、上医は有がたし、多くは中、下医なるべし。薬をのまずんば、医は無用の物なるべしと云。答曰く、しからず、病あつて、すべて治せず。薬をのむべからずと云は、寒熱、虚実など、凡そ病の相似て、まぎらはしくうたがはしき、むづかしき病をいへり。
浅薄なる治しやすき症は、下医といへども、よく治す。感冒咳嗽(かんぼうがいそう)に参蘇飲(じんそいん)、風邪を発散するに香蘇散、敗毒散、*香(かくこう)、正気散(しょうきさん)。食滞に平胃散、香砂平胃散、かやうの類は、まぎれなくうたがはしからざる病なれば、下医も治しやすし。薬を服して害なかるべし。右の症も、薬しるしなき、むづかしき病ならば、薬を用ずして可也。
(巻第七)
用薬
【医者に上・中・下】(701)
人身、病なきことあたはず。病あれば、医をまねきて治を求む。医に上中下の三品あり。上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。この三知を以て病を治して十全の功あり。まことに世の宝にして、その功、良相(りょうしょう)につげること、古人の言のごとし。下(か)医は、三知の力なし。妄(みだり)に薬を投じて、人をあやまること多し。
夫(れ)薬は、補瀉・寒熱(ほしゃかんねつ)の良毒の気偏なり。その気(き)の偏(へん)を用(い)て病をせむる故に、参*(じんぎ)の上薬をも妄(みだり)に用ゆべからず。その病に応ずれば良薬とす。必ずそのしるしあり。その病に応ざぜれば毒薬とす。たゞ益なきのみならず、また人に害あり。また、中医あり。病と脈と薬をしること、上医に及ばずといへ共、薬は皆気の偏にして、妄に用ゆべからざることをしる。故にその病に応ぜざる薬を与へず。
前『漢書』に班固(はんこ)が曰く、「病有て治せずば常に中医を得よ」。云意(いうこころ)は、病あれども、もしその病を明らかにわきまへず、その脈を許(つまびらか)に察せず、その薬方を精(くわ)しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。こゝを以て病あれども治せざるは、中品の医なり。下医(かい)の妄に薬を用(い)て人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して身をそこなふべからず。只保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のをのづから癒(いゆ)るを待べし。
この如くすれば、薬毒にあたらずして、はやくいゆる病多し。死病は薬を用ひてもいきず。下医は病と脈と薬をしらざれども、病家の求(もとめ)にまかせて、みだりに薬を用ひて、多く人をそこなふ。人を、たちまちにそこなはざれども、病を助けていゆることおそし。中医は、上医に及ばずといへども、しらざるを知らずとして、病を慎んで、妄(みだり)に治せず。こゝを以て、「病あれども治せざるは中品の医なり」といへるを、古来名言とす。病人もまた、この説を信じ、したがって、応ぜざる薬を服すべからず。
世俗は、病あれば急にいゑんことを求て、医の良賤をゑらばず、庸医の薬をしきりにのんで、かへつて身をそこなふ。これ身を愛すといへども、実は身を害する也。古語に曰く、「病の傷は猶癒(いやす)べし、薬の傷は最も医(くす)し難し」。然らば、薬をのむこと、つゝしみておそるべし。孔子も、季康子が薬を贈れるを、いまだ達せずとて、なめ給はざるは、これ疾をつゝしみ給へばなり。聖人の至教、則(のり)とすべし。今、その病源を審(つまびらか)にせず、脈を精(くわ)しく察せず、病に当否を知らずして、薬を投ず。薬は、偏毒あればおそるべし。
【薬をむやみに飲んではいけない】(702)
孫思ばく曰く、「人、故なくんば薬を餌(くらう)べからず。偏(ひとえ)に助くれば、蔵気不平にして病生ず」。
【薬には偏性がある】(703)
劉仲達(りゅうちゅうたつ)が『鴻書』(こうしょ)に、「疾(やまい)あつて、もし名医なくば薬をのまず、只病のいゆるを、しづかにまつべし。身を愛し過し、医の良否をゑらばずして、みだりに早く、薬を用ることなかれ。古人、病あれども治せざるは中医を得る」と云、この言、至論也といへり。庸医の薬は、病に応ずることは少なく、応ぜざること多し。薬は皆、偏性(へんしょう)ある物なれば、その病に応ぜざれば、必ず毒となる。
この故に、一切の病に、みだりに薬を服すべからず。病の災(わざわい)より薬の災多し。薬を用ずして、養生を慎みてよくせば、薬の害なくして癒(いえ)やすかるべし。
【臨機応変の処置ができる良医】(704)
良医の薬を用るは臨機応変とて、病人の寒熱虚実の機にのぞみ、その時の変に応じて宜に従ふ。必ず一法に拘はらず。たとへば、善く戦ふ良将の、敵に臨んで変に応ずるが如し。かねてより、その法を定めがたし。時にのぞんで宜にしたがふべし。されども、古法をひろくしりて、その力を以て、今の時宜に(じぎ)にしたがひて、変に応ずべし。古(いにしえ)をしらずして、只今の時宜に従はんとせば、本(もと)なくして、時宜に応ずべからず。故(ふるき)を温(たず)ねて新をしるは、良医なり。
【薬ではなく穀物と肉類で身体を養う】(705)
脾胃(ひい)を養ふには、只穀肉を食するに相宜(あいよろ)し。薬は皆気の偏なり。参ぎ、朮甘(じゅつかん)は上薬にて毒なしといへども、病に応ぜざれば胃の気を滞(とどこお)らしめ、かへつて病を生じ、食を妨げて毒となる。いはんや攻撃のあらくつよき薬は、病に応ぜざれば、大に元気をへらす。この故に病なき時は、只穀肉を以て、やしなふべし。穀肉の脾胃をやしなふによろしきこと、参ぎの補にまされり。故に、古人の言に薬補は食補にしかずといへり。老人は殊に食補すべし、薬補は、やむことを得ざる時用ゆべし。
【薬を飲まなくても自然に治る病気が多い】(706)
薬をのまずして、おのづからいゆる病多し。これをしらで、みだりに薬を用て薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑずして、死にいたるもまた多し。薬を用ることつつしむべし。
【発病のとき薬を間違えると、……】(707)
病の初発の時、症(しょう)を明に見付(みつけ)ずんば、みだりに早く薬を用ゆべからず。よく病症を詳(つまびらか)にして後、薬を用ゆべし。諸病の甚しくなるは、多くは初発の時、薬ちがへるによれり。あやまつて、病症にそむける薬を用ゆれば、治しがたし。故に療治の要は、初発にあり。病おこらば、早く良医をまねきて治すべし。症により、おそく治(じ)すれば、病ふかくなりて治しがたし。扁鵲(へんじゃく)が斉候に告げたるが如し。
【養生の道あり、長生の薬なし】(708)
丘処機(きゅうしょき)が、「衛生の道ありて長生の薬なし」といへるは、養生の道はあれど、むまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。養生は、只むまれ付(き)たる天年をたもつ道なり。古(いにしえ)の人も術者にたぶらかされて、長生の薬とて用ひし人、多かりしかど、そのしるしなく、かへつて薬毒にそこなはれし人あり。これ長生の薬なき也。久しく苦労して、長生の薬とて用ゆれども益なし。信ずべからず。
内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつゝしみ、動静を時にせば、生れ付(き)たる天年をたもつべし。これ養生の道あるなり。丘処機が説は、千古の迷(まよい)をやぶれり。この説信ずべし。凡そ、うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは迷をとく道なり。
【良い薬を選ぶ】(709)
薬肆(やくし)の薬に、好否あり、真偽あり。心を用ひてゑらぶべし。性悪しきと、偽薬とを用ゆべからず。偽薬とは、真ならざる似せ薬也。拘橘(くきつ)を枳穀(きこく)とし、鶏腿児(けいたいじ)を柴胡(さいこ)とするの類(たぐい)なり。また、薬の良否に心を用ゆべし。その病に宜しき良方といへども、薬性あしければ功なし。また、薬の製法に心を用ゆべし。薬性よけれ共、修(こしらえ)、治方に背(そむ)けば能なし。
たとへば、食物もその土地により、時節につきて、味のよしあしあり。また、よき品物も、料理あしければ、味なくして、くはれざるが如し。こゝを以て、その薬性のよきをゑらび用ひ、その製法をくはしくすべし。
【薬の煎じ方】(710)
いかなる珍味も、これを煮る法ちがひてあしければ、味あしゝ。良薬も煎法ちがへば験(しるし)なし。この故、薬を煎ずる法によく心を用ゆべし。文火とは、やはらかなる火也。武火とは、つよき火なり。文武火とは、つよからずやはらかならざる、よきかげんの火なり。風寒を発散し、食滞を消導(しょうどう)する類(るい)の剛剤(ごうざい)を利薬と云(う)。
利薬は、武火にてせんじて、はやくにあげ、いまだ熱せざる時、生気のつよきを服すべし。この如くすれば、薬力つよくして、邪気にかちやすし。久しく煎じて熟すれば、薬に生気の力なくして、よわし。邪気にかちがたし。補湯は、やはらかなる文火にて、ゆるやかに久しく煎じつめて、よく熟すべし。この如くならざれば、純補(じゅんぽ)しがたし。こゝを以て、利薬は生に宜しく熟に宜しからず。補薬は熟に宜しくして、生に宜しからず。しるべし、薬を煎ずるにこの二法あり。
【日本では中国の薬療よりも少なめに】(711)
薬剤一服の大小の分量、中夏(ちゅうか)の古法を考がへ、本邦の土宜にかなひて、過不及(かふきゅう)なかるべし。近古、仲井家(なからいけ)には、日本の土地、民俗の風気に宜しとて、薬の重さ八分を一服とす。医家によりて一匁(もんめ)を一服とす。今の世、医の薬剤は、一服の重さ六七分より一匁に至る。一匁より多きは稀(まれ)なり。中夏の薬剤は、医書を考ふるに、一服三匁より十匁に至(る)。東垣(とうえん)は、三匁を用ひて一服とせしことあり。
中夏の人、煎湯の水を用ることは少なく、薬一服は大なれば、煎汁(せんじしる)甚(だ)濃(く)して、薬力つよく、病を冶すること早しと云(う)。然るに日本の薬、この如く小服なるは何ぞや。曰く、日本の医の薬剤小服なる故三あり。一には中華の人は、日本人より生質健(すこやか)に腸胃(ちょうい)つよき故、飲食多く、肉を多く食ふ。日本人は生(うまれ)つき薄弱にして、腸胃よわく食少なく、牛鳥、犬羊の肉を食ふに宜しからず。かろき物をくらふに宜し。この故に、薬剤も昔より、小服に調合すと云(う)。これ一説なり。
されども中夏の人、日本の人、同じくこれ人なり。大小強弱少(し)かはる共、日本人、さほど大(き)におとること、今の医の用る薬剤の大小の如く、三分の一、五分の一には、いたるべからず。然れば日本の薬、小服なること、この如くなるべからずと云(う)人あり。一説に或人の曰く、日本は薬種ともし。わが国になき物多し。はるかなるもろこし、諸蕃国の異舶に、載せ来るを買て、価(あたい)貴とし。大服なれば費(ついえ)多し。こゝを以て、薬剤を大服に合せがたし。ことに貧医は、薬種をおしみて多く用ひず。
然る故、小服にせしを、古来習ひ来りて、富貴の人の薬といへども小服にすと云(う)。これ一説也。また曰く、日本の医は、中華の医に及ばず。故に薬方を用ること、多くはその病に適当せざらんことを畏る。この故に、決定(けつじょう)して一方を大服にして用ひがたし。若(し)大服にして、その病に応ざぜれば、かへつて甚(だ)害をなさんことおそるべければ、小服を用ゆ。薬その病に応ぜざれども、小服なれば大なる害なし。若(し)応ずれば、小服にても、日をかさねて小益は有ぬべし。
こゝを以て古来、小服を用ゆと云(う)。これまた一説也。この三説によりて日本の薬、古来小服なりと云(う)。
【少なめよりも、せめて同量に】(712)
日本人は、中夏の人の健(すこやか)にして、腸胃のつよきに及ばずして、薬を小服にするが宜しくとも、その形体、大小相似たれば、その強弱の分量、などか、中夏の人の半(ば)に及ぶべからざらんや。然らば、薬剤を今少(し)大にするが、宜しかるべし。たとひ、昔よりあやまり来りて、小服なりとも、過(あやま)つては、則(ち)改るにはばかることなかれ。今の時医の薬剤を見るに、一服この如く小にしては、補湯といへども、接養の力なかるべし。
況(や)利湯(とう)を用る病は、外、風寒肌膚(きふ)をやぶり、大熱を生じ、内、飲食腸胃に塞(ふさが)り、積滞(しゃくたい)の重き、欝結(うっけつ)の甚しき、内外の邪気甚(はなはだ)つよき病をや。小なる薬力を以て、大なる病邪にかちがたきこと、たとへば、一盃(ぱい)の水を以て、一車薪の火を救ふべからざるが如し。また、小兵を以て、大敵にかちがたきが如し。薬方、その病によく応ずとも、かくのごとく小服にては、薬に力なくて、効(しるし)あるべからず。
砒毒(ひどく)といへども、人、服すること一匁許(ばかり)に至りて死すと、古人いへり。一匁より少なくしては、砒霜(ひそう)をのんでも死なず、河豚(ふぐ)も多くくらはざれば死なず。つよき大毒すらかくの如し。況(や)ちからよはき小服の薬、いかでか大病にかつべきや。この理を能(く)思ひて、小服の薬、効なきことをしるべし。今時の医の用る薬方、その病に応ずるも多かるべし。しかれども、早く効を得ずして癒(いえ)がたきは、小服にて薬力たらざる故に非ずや。
【利薬の分量について】(713)
今ひそかにおもんぱかるに、利薬は、一服の分量、一匁五分より以上、二匁に至るべし。その間の軽重は、人の大小強弱によりて、増減すべし。
【補薬の分量について】(714)
補薬一服の分量は、一匁より一匁五分に至るべし。補薬つかえやすき人は、一服一匁或(あるいは)一匁二分なるべし。これまた、人の大小強弱によりて増減すべし。また、攻補兼(かね)用(う)る薬方あり、一服一匁二三分より、一匁七八分にいたるべし。
【婦人の薬量は男子より少ない】(715)
婦人の薬は、男子より小服に宜し。利湯は一服一匁二分より一匁八分に至り、補湯は一匁より一匁五分にいたるべし。気体強大ならば、これより大服に宜し。
【子供の場合はさらに少ない】(716)
小児の薬、一服は、五分より一匁に至るべし。これまた、児の大小をはかつて増減すべし。
【薬を煎じる水の分量】(717)
大人の利薬を煎ずるに、水をはかる盞(さかずき)は、一盞(さん)に水を入るゝこと、大抵五十五匁より六十匁に至るべし。これ盞の重さを除きて水の重さなり。一服の大小に従つて水を増減すべし。利薬は、一服に水一盞半入(れ)て、薪をたき、或(あるいは)かたき炭を多くたきて、武火(つよび)を以て一盞にせんじ、一盞を二度にわかち、一度に半盞、服すべし。滓(かす)はすつべし。二度煎ずべからず。病つよくば、一日一夜に二服、猶(なお)その上にいたるべし。
大熱ありて渇する病には、その宜(ぎ)に随つて、多く用ゆべし。補薬を煎ずるには、一盞に水を入(る)ること、盞の重さを除き、水の重さ五十匁より五十五匁に至る。これまた、一服の大小に随(い)て、水を増減すべし。虚人の薬小服なるには、水五十匁入(いる)る盞を用ゆべし。壮人の薬、大服なるには水五十五匁入(る)る盞を用ゆべし。
一服に水二盞入(れ)て、けし炭を用ひ、文火(とろび)にてゆるやかにせんじつめて一盞とし、かすには、水一盞入(れ)て半盞にせんじ、前後合せて一盞半となるを、少(し)づつ、つかへざるやうに、空腹に、三四度に、熱服す。補湯は、一日に一服、若(し)つかえやすき人は、人により、朝夕はのみがたし、昼間二度のむ。短日は、二度はつかえて服しがたき人あり、病人によるべし。つかえざる人には、朝夕昼間一日に一服、猶(なお)その上も服すべし。食滞あらば、補湯のむべからず。食滞めぐりて後、のむべし。
【補薬について】(718)
補薬は、滞塞(たいそく)しやすし。滞塞すれば害あり益なし。利薬を服するより、心を用ゆべし。もし大剤にして気塞(ふさ)がらば、小剤にすべし。或(は)棗(なつめ)を去り生姜(しょうきょう)を増すべし。補中益気湯などのつかえて用(い)がたきには、乾姜(かんきょう)、肉桂(にくけい)を加ふべき由、薜立斉(せつりゅうさい)が『医案』にいへり。
また、症により附子(ぶし)、肉桂(にくけい)を少(し)加へ、升麻(しょうま)、柴胡(さいこ)を用るに二薬ともに火を忌(い)めども、実にて炒(り)用ゆ。これ『正伝惑問』の説也。また、升麻、柴胡(さいこ)を去(り)て桂姜(けいきょう)を加ふることあり。李時珍(りじちん)も、補薬に少(し)附子(ぶし)を加ふれば、その功するどなり、といへり。虚人の熱なき症に、薬力をめぐらさん為ならば、一服に五釐(りん)か一分加ふべし。然れども病症によるべし。壮人には、いむべし。
【小さい人と弱い人、大きくて強い人の薬量】(719)
身体短小にして、腸胃小なる人、虚弱なる人は、薬を服するに、小服に宜し。されども、一匁より小なるべからず。身体長大にして、腸胃ひろき人、つよき人は、薬、大服に宜し。
【子どもの薬の煎じ方】(720)
小児の薬に、水をはかる盞(さかずき)は、一服の大小によりて、これも水五十匁より、五十五匁入(る)ほどなる盞を用ゆ。これまた、盞の重を除きて、水の重さなり。利湯は、一服に水一盞入(り)、七分に煎じ、二三度に用ゆ。かすはすつべし。補湯には、水一盞半を用て、七分に煎じ、度々に熱服す。これまた、かすはすつべし。或(は)かすにも水一盞入(れ)、半盞に煎じつめて用ゆべし。
【中国と日本、喪と薬】(721)
中華の法、父母の喪は必ず三年、これ天下古今の通法なり。日本の人は体気、腸胃、薄弱なり。この故に、古法に、朝廷より期の喪を定め給ふ。三年の喪は二十七月也。期の喪は十二月なり。これ日本の人の、禀賦(ひんぷ)の薄弱なるにより、その宜を考へて、性にしたがへる中道なるべし。然るに近世の儒者、日本の土宜をしらず、古法にかゝはりて、三年の喪を行へる人、多くは病して死せり。喪にたへざるは、古人これを不孝とす。
これによつて思ふに、薬を用るもまた同じ。国土の宜をはかり考へて、中夏の薬剤の半(なかば)を一服と定めば宜しかるべし。然らば、一服は、一匁より二匁に至りて、その内、人の強弱、病の軽重によりて多少あるべし。凡そ時宜をしらず、法にかゝはるは、愚人のすることなり。俗流にしたがひて、道理を忘るゝは小人(しょうじん)のわざなり。
【日本独自の評価を】(722)
右、薬一服の分量の大小、用水の多少を定むること、予、医生にあらずして好事の誚(そしり)、僣率(せんそつ)の罪、のがれたしといへども、今時(こんじ)、本邦の人の禀賦(ひんぷ)をはかるに、おそらくは、かくの如くにして宜しかるべし。願くば有識の人、博く古今を考へ、日本の人の生れ付(つき)に応じ、時宜にかなひて、過不及の差(たがい)なく、軽重大小を定め給ふべし。
【煎薬に加える四味】(723)
煎薬に加ふる四味あり。甘草(かんぞう)は、薬毒をけし、脾胃を補なふ。生姜(しょうきょう)は薬力をめぐらし、胃を開く。棗(なつめ)は元気を補ひ、胃をます。葱白(そうはく)は風寒を発散す。これ『入門』にいへり。また、燈心草(とうしんそう)は、小便を通じ、腫気を消す。
【泡薬の法とは】(724)
今世、医家に泡薬(ひたしやく)の法あり。薬剤を煎ぜずして、沸湯(ふっとう)にひたすなり。世俗に用る振薬(ふりやく)にはあらず。この法、振薬にまされり。その法、薬剤を細(こまか)にきざみ、細なる竹篩(たけふるい)にてふるひ、もれざるをば、また、細にきざみ粗末とすべし。布の薬袋をひろくして薬を入れ、まづ碗を熱湯にてあたゝめ、その湯はすて、やがて薬袋を碗に入(れ)、その上より沸湯を少(し)そゝぎ、薬袋を打返して、また、その上より沸湯を少(し)そゝぐ。
両度に合せて半盞(はんさん)ほど熱湯をそゝぐべし。薬の液(しる)の自然(じねん)に出るに任せて、振出すべからず。早く蓋をして、しばし置べし。久しくふたをしおけば、薬汁(やくじゅう)出過(ぎ)てちからなし。薬汁出で、熱湯の少(し)さめて温(か)になりたるよきかんの時、飲(む)べし。かくの如くして二度泡(ひた)し、二度のみて後、そのかすはすつべし。袋のかすをしぼるべからず。薬汁濁(にごり)てあしし。この法薬力つよし。利薬には、この煎法も宜し。
外邪、食傷(しょくしょう)、腹痛、霍乱(かくらん)などの病には、煎湯よりもこの法の功するどなり、用ゆべし。振薬(ふりやく)は用ゆべからず。この法、薬汁早く出(で)て薬力つよし。たとへば、茶を沸湯に浸して、そのにえばなをのめば、その気つよく味もよし。久しく煎じ過せば、茶の味も気もあしくなるが如し。
【振薬とは】(725)
世俗には、振薬(ふりやく)とて、薬を袋に入て熱湯につけて、箸にてはさみ、しきりにふりうごかし、薬汁を出して服す。これは、自然に薬汁出(いず)るにあらず。しきりにふり出す故、薬湯にごり、薬力滞(とどこおり)やすし。補薬は、常の煎法の如く、煎じ熟すべし。泡薬に宜からず。凡そ煎薬を入る袋は、あらき布はあしゝ。薬末もりて薬汁にごれば、滞りやすし。もろこしの書にて、泡薬の事いまだ見ずといへども、今の時宜によりて、用るも可也。古法にあらずしても、時宜よくかなはゞ用ゆべし。
【補湯と利薬】(726)
『頤生微論』(いせいびろん)に曰く、「大抵散利の剤は生に宜(し)。補養の剤は熱に宜(し)」。『入門』に曰く、「補湯は熟を用須。利薬は生を嫌はず」。この法、薬を煎ずる要訣(けつ)なり。補湯は、久しく煎じて熟すれば、やはらかにして能(よく)補ふ。利薬は、生気のつよきを用て、はげしく病邪をうつべし。
【補湯の飲み方】(727)
補湯は、煎湯熱き時、少づゝのめばつかえず。ゆるやかに験(げん)を得べし。一時に多く服すべからず。補湯を服する間、殊(に)酒食を過(すご)さず、一切の停滞する物くらふべからず。酒食滞塞(たいそく)し、或(あるいは)薬を服し過し、薬力めぐらざれば、気をふさぎ、服中滞り、食を妨げて病をます。しるしなくして害あり。故に補薬を用ること、その節制むづかし。良医は、用(い)やう能(よく)してなづまず。庸医は用やうあしくして滞る。
古人は、補薬を用るその間に、邪をさる薬を兼(ね)用(もち)ゆ。邪気されば、補薬にちからあり。補に専一なれば、なづみて益なく、かへつて害あり。これ古人の説なり。
【利薬の方法】(728)
利薬は、大服にして、武火(つよび)にて早く煎じ、多くのみて、速に効(しるし)をとるべし。然らざれば、邪去がたし。『局方』に曰く、「補薬は水を多くして煎じ、熱服して効をとる」。
【丸薬とは】(729)
凡そ丸薬は、性尤(も)やはらかに、その功、にぶくしてするどならず。下部(げぶ)に達する薬、また、腸胃の積滞(しゃくたい)をやぶるによし。散薬は、細末せる粉薬也。丸薬よりするどなり。経絡にはめぐりがたし。上部の病、また、腸胃の間の病によし。煎湯は散薬よりその功するどなり。上中下、腸胃、経絡にめぐる。泡(ひたし)薬は煎湯より猶(なお)するどなり。外邪、霍乱、食傷、腹痛に用(う)べし。その功早し。
【薬と食事】(730)
『入門』にいへるは、薬を服するに、病、上部にあるには、食後に少づゝ服す。一時に多くのむべからず。病、中部に在(る)には、食遠に服す。病、下部にあるには、空心にしきりに多く服して下に達すべし。病、四肢、血脈にあるには、食にうゑて日中に宜し。病、骨髄に在には食後夜に宜し。吐逆(とぎゃく)して薬を納(め)がたきには、只一すくひ、少づゝ、しづかにのむべし。急に多くのむべからず。これ薬を飲法也。しらずんば有(る)べからず。
【砂かんについて】(731)
また曰く、「薬を煎ずるに砂かん(しゃかん)を用ゆべし」。やきものなべ也。また曰く、「人をゑらぶべし」。云意(いうこころ)は、心謹信なる人に煎じさせてよしと也。粗率(そそつ)なる者に任すべからず。
【湯と散と丸薬】(732)
薬を服するに、五臓四肢に達するには湯(とう)を用ゆ。胃中にとゞめんとせば、散を用ゆ。下部の病には丸(がん)に宜し。急速の病ならば、湯を用ゆ。緩々なるには散を用ゆ。甚(だ)緩(ゆる)き症には、丸薬に宜し。食傷、腹痛などの急病には煎湯を用ゆ。散薬も可也。丸薬はにぶし。もし用ひば、こまかにかみくだきて用ゆべし。
【いろいろな薬】(733)
中華の書に、薬剤の量数をしるせるを見るに、八解散など、毎服二匁、水一盞(さん)、生薑(しょうきょう)三片、棗(なつめ)一枚煎じて七分にいたる。これは一日夜に二三服も用ゆべし。或は方によりて、毎服三匁、水一盞(さん)半、生薑(しょうきょう)五片、棗一枚、一盞に煎じて滓(かす)を去る。香蘇散(こうそさん)などは、日に三服といへり。まれには滓(かす)を一服として煎ずと云。多くは滓(かす)を去(さる)といへり。
人参養胃湯(にんじんよういとう)などは、毎服四匁、水一盞半、薑(きょう)七片、烏梅(うばい)一箇、煎じて七分にいたり、滓を去。参蘇飲(じんそいん)は毎服四匁、水一盞、生薑七片、棗一箇、六分に煎ず。霍香生気散(かつこうしょうきさん)、敗毒散(はいどくさん)は、毎服二匁、水一盞、生薑(しょうが)三片、棗一枚、七分に煎ず。寒多きは熱服し、熱多きは温服(おんぷく)すといへり。これ皆、薬剤一服の分量は多く、水を用ることすくなし。然れば、煎湯甚(だ)濃(く)なるべし。
日本の煎法の、小服にして水多きに甚(だ)異(かわ)れり。『局方』に、「小児には半餞を用ゆも児の大小をはかつて加減す」といへり。また、小児の薬方、「毎服一匁、水八分、煎じて六分にいたる」といへるもあり。『医書大全』、四君子湯方(ほう)後(のちに)曰く、「右*(きざむこと)、麻豆の大(の)如し。毎服一匁、水三盞、生薑五片、煎じて一盞に至る」。これ一服を十匁に合せたる也。水は甚(だ)少し。
【煎法は中国も朝鮮も同じ】(734)
中夏の煎法(せんぽう)右の如し。朝鮮人に尋ねしにも、中夏の煎法と同じと云。
【煮散とは】(735)
宋の沈存中(しんぞんちゅう)が『筆談』と云書に曰く、「近世は湯を用ずして煮散を用ゆ」といへり。然れば、中夏には、この法を用るなるべし。煮散のこと、『筆談』にその法詳(つまびらか)ならず。煮散は薬を麁末(そまつ)とし、細布の薬袋のひろきに入(れ)、熱湯の沸上(わきあが)る時、薬袋を入、しばらく煮て、薬汁出たる時、早く取り上げ用(い)るなるべし。麁末の散薬を煎ずる故、煮散と名づけしにや。薬汁早く出(で)、早く取上げ、にゑばなを服する故、薬力つよし。
煎じ過せば、薬力よはく成てしるしなり。この法、利湯を煎じて、薬力つよかるべし。補薬にはこの法用いがたし。煮散の法、他書においてはいまだ見ず。
【甘草について】(736)
甘草(かんぞう)をも、今の俗医、中夏の十分一用ゆるは、あまり小にして、他薬の助(たすけ)となりがたかるべし。せめて方書に用たる分量の五分一用べしと云人あり。この言、むべなるかな。人の禀賦(ひんぷ)をはかり、病症を考へて、加へ用ゆべし。日本の人は、中華の人より体気薄弱にして、純補(じゅんぽ)をうけがたし。甘草、棗など斟酌(しんしゃく)すべし。
李中梓(りちゅうし)が曰く、「甘草性緩なり。多く用ゆべからず。一は、甘きは、よく脹(ちょう)をなすをおそる。一は、薬餌(やくじ)功なきをおそる」。これ甘草多ければ、一は気をふさぎて、つかえやすく、一は、薬力よはくなる故なり。
【生薑の用い方】(737)
生薑(しょうきょう)は薬一服に一片、若し風寒発散の剤、或(は)痰を去る薬には、二片を用ゆべし。皮を去べからず。かわきたるとほしたるは用るべからず。或曰く、「生薑(しょうきょう)補湯には二分、利湯には三分、嘔吐の症には四分加ふべし」と云。これ生(なま)なる分量なり。
【棗について】(738)
棗は、大なるをゑらび用ひてたねを去(り)、一服に半分入用ゆべし。つかえやすき症には去べし。利湯には、棗を用べからず。中華の書には、利湯にも、方によりて棗を用ゆ。日本の人には泥(なず)みやすし、加ふべからず。加ふれば、薬力ぬるくなる。中満、食滞の症及(び)薬のつかえやすき人には、棗を加ふべからず。龍眼肉も、つかえやすき症には去べし。
【中国の料理は脂っこい】(739)
中夏の書、『居家必用』(きょかひつよう)、『居家必備』(きょかひつび)、『斉民要術』(せいみんようじゅつ)、『農政全書』、『月令広義』(がつりょうこうぎ)等に、料理の法を多くのせたり。そのする所、日本の料理に大いにかはり、皆、肥濃膏腴(ひのうこうゆ)、油膩(ゆに)の具、甘美の饌(せん)なり。その食味甚(だ)おもし。中土の人は、腸胃厚く、禀賦(ひんぷ)つよき故に、かゝる重味を食しても滞塞せず。今世、長崎に来る中夏人も、またこの如きと云。
日本の人は壮盛(そうせい)にても、かたうの饌食をくらはば飽満し、滞塞して病おこるべし。日本の人の饌食は、淡くしてかろきをよしとす。肥濃甘美の味を多く用ず。庖人の術も、味かろきをよしとし、良工とす。これ、からやまと風気の大に異る処なり。然れば、補薬を小服にし、甘草を減じ、棗を少、用ることむべなり。
【薬を煎じる水】(740)
凡そ薬を煎ずるに、水をゑらぶべし。清くして味よきを用ゆ。新に汲む水を用ゆべし。早天に汲む水を井華水と云。薬を煎ずべし。また、茶と羹(あつもの)をにるべし。新汲水は、平旦ならでも、新に汲んでいまだ器に入ざるを云。これまた用ゆべし。汲で器に入、久しくなるは用ゆべからず。
【利湯の滓は捨てるべし】(741)
今世の俗は、利湯をも、煎じたるかすに、水一盞入て半分に煎じ、別にせんじたると合せ服す。利湯は、かくの如く、かすまで熟し過しては、薬力よはくして、病をせむるにちからなし。一度煎じて、そのかすはすつべし。
【生薑の片について】(742)
生薑(しょうきょう)を片とするは、生薑根(こん)には肢(また)多し。その内一肢(また)をたてに長くわるに、大小にしたがひて、三片或(は)四片とすべし。たてにわるべし。或(は)問、生薑(しょうきょう)、医書にそのおもさ幾分と云ずして、幾片と云は何ぞや。答曰く、新にほり出せるは、生にしておもく、ほり出して日をいたるは、かはきてかろければ、その重さ幾分と定(さだめ)がたし。故に幾分と云ずして幾片と云。
【棗の取り方と加工法】(743)
棗は、樹頭に在(り)てよく熟し、色の青きが白くなり、少(し)紅まじる時とるべし。青きはいまだ熟せず、皆、紅なるは熟し過て、肉たゞれてあしゝ。色少あかくなり、熟し過ざる時とり、日に久しくほし、よくかはきたる時、むしてほすべし。生にてむすべからず。なまびもあしゝ。薬舗(くすりや)及(び)市廛(てん)にうるは、未熟なるをほしてうる故に性あしゝ。用ゆべからず。或(は)樹上にて熟し過るもたゞれてあしゝ。用ゆべからず。棗樹は、わが宅に必ず植べし。熟してよきころの時とるべし。
【薬を飲んだ後は、……】(744)
凡そ薬を服して後、久しく飲食すべからず。また、薬力のいまだめぐらざる内に、酒食をいむ。また、薬をのんでねむり臥すべからず。ねむれば薬力めぐらず、滞(とどこお)りて害となる。必ず戒むべし。
【薬と一緒に飲食してはいけないもの】(745)
凡そ薬を服する時は、朝夕の食、常よりも殊につゝしみゑらぶべし。あぶら多き魚、鳥、獣、なます、さしみ、すし、肉(しし)ひしほ、なし物、なまぐさき物、ねばき物、かたき物、一切の生冷の物、生菜の熟せざる物、ふるくけがらはしき物、色あしく臭(か)あしく味変じたる物、生なる菓(このみ)、つくりたる菓子、あめ、砂糖、もち、だんご、気をふさぐ物、消化しがたき物、くらふべからず。また、薬をのむ日は、酒を多くのむべからず。のまざるは尤(もっとも)よし。
酒力、薬にかてばしるしなし。醴(あまざけ)ものむべからず。日長き時も、昼の間、菓子点心(てんじん)などくらふべからず。薬力のめぐる間は、食をいむべし。点心をくらへば、気をふさぎて、昼の間、薬力めぐらず。また、死人、産婦など、けがれいむべき物を見れば、気をふさぐ故、薬力めぐりがたく、滞やすくして、薬のしるしなし。いましめてみるべからず。
【薬を煎じるときの炭】(746)
補薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などのつよき火を用ゆべからず。かれたる蘆(あし)の火、枯竹、桑柴(くわしば)の火、或(は)けし炭(ずみ)など、一切のやはらかなる火よし。はげしくもゆる火を用ゆれば、薬力を損ず。利薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などの、さかんなるつよき火を用ゆべし。これ薬力をたすくるなり。
【薬一服の量を調整】(747)
薬一服の大小、軽重は、病症により、人の大小強弱によつて、増減すべし。補湯は、小剤にして少づゝ服し、おそく効(しるし)をとるべし。多く用ひ過せば、滞りふさがる。発散、瀉下(しゃげ)、疎通の利湯は、大剤にしてつよきに宜し、早く効(しるし)をとるべし。
【薬を煎じる器】(748)
薬を煎ずるは、磁器よし、陶(やきもの)器也。また、砂罐(しゃかん)と云。銅をいまざる薬は、ふるき銅器もよし。新しきは銅(あかがね)気多くしてあしゝ。世俗に薬鍋(やくか)と云は、銅厚くして銅(あかがね)気多し。薬罐(やかん)と云は、銅うすくして銅(あかがね)気すくなし。形小なるがよし。
【煎じ詰めてはダメ】(749)
利薬を久しく煎じつめては、消導(しょうどう)発散すべき生気の力なし。煎じつめずして、*(にん)を失はざる生気あるを服して、病をせむべし。たとへば、茶をせんじ、生魚を煮、豆腐を煮るが如し。生熟の間、よき程の*(にえばな)を失はざれば、味よくしてつかえず。*(にえばな)を失へば、味あしくして、つかえやすきが如し。
【毒消しの薬には冷水】(750)
毒にあたりて、薬を用るに、必ず熱湯を用ゆべからず。熱湯を用ゆれば毒弥(いよいよ)甚し。冷水を用ゆべし。これ事林広記(じりんこうき)の説なり。しらずんばあるべからず。
【毒にあたって、毒消しがなかったら冷水】(751)
食物の毒、一切の毒にあたりたるに、黒豆、甘草(かんぞう)をこく煎じ、冷になりたる時、しきりにのむべし。温熱なるをのむべからず。はちく竹の葉を、加ふるもよし。もし毒をけす薬なくば、冷水を多く飲べし。多く吐瀉(としゃ)すればよし。これ古人急に備ふる法なり。知(しる)べし。
【煎湯に酒を加えるとき】(752)
酒を煎湯に加ふるには、薬を煎じて後、あげんとする時加ふべし。早く加ふるあしゝ。
【腎臓は他の臓器と関係?】(753)
腎は、水を主(つかさ)どる。五臓六腑の精をうけてをさむ故、五臓盛(さかん)なれば、腎水盛なり。腎の臓ひとつに、精あるに非ず。然れば、腎を補はんとて専(もっぱら)腎薬を用ゆべからず。腎は下部にあつて五臓六腑の根とす。腎気、虚すれば一身の根本衰ろふ。故に、養生の道は、腎気をよく保つべし。腎気亡びては生命を保ちがたし。精気をおしまずして、薬治と食治とを以て、腎を補はんとするは末なり。しるしなかるべし。
【上焦・中焦・下焦】(754)
東垣が曰く、細末の薬は経絡にめぐらず。只、胃中臓腑の積(しゃく)を去る。下部の病には、大丸を用ゆ。中焦(ちゅうしょう)の病は之に次ぐ。上焦を治するには極めて小丸にす。うすき糊(のり)にて丸(がん)ずるは、化しやすきに取る。こき糊にて丸ずるは、おそく化して、中下焦に至る。
【丸薬の大きさ】(755)
丸薬、上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の薬は小丸(しょうがん)にして堅かるべし。下焦の薬は大丸にして堅きがよし。これ、『頤生微論』(いせいびろん)の説也。また、湯は久き病に用ゆ。散は急なる病に用ゆ。丸(がん)はゆるやかなる病に用ること、東垣(とうえん)が『珍珠嚢』(ちんしゅのう)に見えたり。
【秤について】(756)
中夏の秤(はかり)も、日本の秤と同じ。薬を合(あわ)するには、かねて一服の分量を定め、各品の分釐(ぶんり)をきはめ、釐等(りんだめ)を用ひてかけ合すべし。薬により軽重甚(だ)かはれり、多少を以て分量を定めがたし。
【さまざまな香】(757)
諸香(こう)の鼻を養ふこと、五味の口を養ふがごとし。諸香は、これをかげば生気をたすけ、邪気をはらひ、悪臭をけし、けがれをさり、神明に通ず。いとまありて、静室に坐して、香をたきて黙坐するは、雅趣をたすけて心を養ふべし。これまた、養生の一端なり。香に四品あり。たき香あり、掛香あり、食香あり、貼(つけ)香あり。たき香とは、あはせたきものゝこと也。からの書に百和香(ひやつかこう)と云。
日本にも、『古今和歌集』の物の名に百和香をよめり。かけ香とは、かほり袋、にほひの玉などを云。貼香とは、花の露、兵部卿など云類の、身につくる香也。食香とは、食して香よき物、透頂香(とうちんこう)、香茶餅(こうさべい)、団茶(だんさ)など云物のこと也。
【悪気をさるに、蒼朮をたく】(758)
悪気をさるに、蒼朮(そうじゅつ)をたくべし。胡*(こずい)の実をたけば、邪気をはらふ。また、痘瘡のけがれをさる。蘿*(らも)の葉をほしてたけば、糞小便の悪気をはらふ。手のけがれたるにも蘿*(らも)の生葉をもんでぬるべし。腥(なまぐさ)き臭(におい)悪しき物を、食したるに、胡*(こずい)をくらへば悪臭さる。蘿*(らも)のわか葉を煮て食すれば、味よく性よし。
【便秘のとき】(759)
大便、瀉(しや)しやすきは大いにあしし。少(し)秘するはよし。老人の秘結するは寿(ながいき)のしるし也。尤(も)よし。然(れ)共、甚秘結するはあしし。およそ人の脾胃につかえ、食滞り、或(は)腹痛し、不食し、気塞(ふさが)る病する人、世に多し。これ多くは、大便通じがたくして、滞る故しかり。つかゆるは、大便つかゆる也。大便滞らざるやうに治(じ)すべし。麻仁(まにん)、杏仁(きょうにん)、胡麻などつねに食すれば、腸胃うるほひて便結せず。
【早く消化をする丸薬】(760)
上中部の丸薬は早く消化するをよしとす。故に、小丸を用ゆ。早く消化する故也。今、新なる一法あり。用ゆべし。末薬をのりに和(か)してつねの如くに丸せず、線香の如く、長さ七八寸に、手にてもみて、引のべ、線香より少(し)大にして、日にほし、なまびの時、長さ一分余に、みじかく切て丸せず、そのまゝ日にほすべし。これ一づゝ丸したるより消化しやすし。上中部を治するに、この法宜し。下部に達する丸薬には、この法宜しからず。この法、一粒づゝ丸ずるより、はか行きて早く成る。
(巻第八)
養老
【親を養う】(801)
人の子となりては、そのおやを養ふ道をしらずんばあるべからず。その心を楽しましめ、その心にそむかず、いからしめず、うれへしめず。その時の寒暑にしたがひ、その居室とその祢所(そのねどころ)をやすくし、その飲食を味よくして、まことを以て養ふべし。
【老人は子どものように】(802)
老人は、体気おとろへ、胃腸よはし。つねに小児を養ふごとく、心を用ゆべし。飲食のこのみ、きらひをたづね、その寒温の宜きをこゝろみ、居室をいさぎよくし、風雨をふせぎ、冬あたゝかに、夏涼しくし、風・寒・暑・湿の邪気をよく防ぎて、おかさしめず、つねに心を安楽ならしむべし。盗賊・水火の不意なる変災あらば、先ず両親を驚かしめず、早く介保(かいほう)し出(いだ)すべし。変にあひて、病おこらざるやうに、心づかひ有べし。老人は、驚けば病おこる。おそるべし。
【老いては心静かに】(803)
老の身は、余命久しからざることを思ひ、心を用ることわかき時にかはるべし。心しづかに、事少なくて、人に交はることもまれならんこそ、あひ似あひてよろしかるべけれ。これもまた、老人の気を養ふ道なり。
【老後は楽しむべし】(804)
老後は、わかき時より月日の早きこと、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに、日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし。心しづかに、従容(しょうよう)として余日を楽み、いかりなく、慾少なくして、残躯をやしなふべし。老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日、千金にあたるべし。人の子たる者、これを心にかけて思はざるべんけや。
【老いて多欲を慎む】(805)
今の世、老て子に養はるゝ人、わかき時より、かへつていかり多く、慾ふかくなりて、子をせめ、人をとがめて、晩節をもたず、心をみだす人多し。つゝしみて、いかりと慾とをこらえ、晩節をたもち、物ごとに堪忍ふかく、子の不孝をせめず、つねに楽しみて残年をおくるべし。これ老後の境界(きょうがい)に相応じてよし。孔子、年老血気衰へては得るを戒しめ給ふ。聖人の言おそるべし。世俗、わかき時は頗(すこぶる)つゝしむ人あり。
老後はかへつて、多慾にして、いかりうらみ多く、晩節をうしなうふ人多し。つゝしむべし。子としてはこれを思ひ、父母のいかりおこらざるやうに、かねて思ひはかり、おそれつゝしむべし。父母をいからしむるは、子の大不孝也。また子として、わが身の不孝なるを、おやにとがめられ、かへつておやの老耄(ろうもう)したる由を、人につぐ。これ大不孝也。不孝にして父母をうらむるは、悪人のならひ也。
【老人養生の道】(806)
老人の保養は、常に元気をおしみて、へらすべからず。気息を静にして、あらくすべからず。言語(げんぎょ)をゆるやかにして、早くせず。言(ことば)少なくし、起居行歩をも、しづかにすべし。言語あらゝかに、口ばやく声高く、*言(ようげん)すべからず。怒なく、うれひなく、過ぎ去たる人の過を、とがむべからず。我が過を、しきりに悔ゆべからず。人の無礼なる横逆を、いかりうらむべからず。これ皆、老人養生の道なり。また、老人の徳行のつゝしみなり。
【老いても気を減らさない】(807)
老ては気すくなし。気をへらすことをいむべし。第一、いかるべからず。うれひ、かなしみ、なき、なげくべからず。喪葬のことにあづからしむべからず。死をとぶらふべからず。思ひを過すべからず。尤多言をいむ。口、はやく物云べからず。高く物いひ、高くわらひ、高くうたふべからず。道を遠く行くべからず。重き物をあぐべからず。これ皆、気をへらさずして、気をおしむなり。
【老人を養う】(808)
老人は体気よはし。これを養ふは大事なり。子たる者、つゝしんで心を用ひ、おろそかにすべからず。第一、心にそむかず、心を楽しましむべし。これ志を養ふ也。また、口腹の養におろそかなるべからず。酒食精(くわ)しく味よき物をすゝむべし。食の精(くわ)しからざる、あらき物、味悪しき物、性悪しき物をすゝむべからず。老人は、胃腸よはし、あらき物にやぶられやすし。
【老衰の人の夏と冬】(809)
衰老の人は、脾胃よはし。夏月は、尤慎んで保養すべし。暑熱によつて、生冷の物をくらへば泄瀉(せつしゃ)しやすし。瘧痢(ぎゃくり)もおそるべし。一たび病すれば、大(い)にやぶれて元気へる。残暑の時、殊におそるべし。また、寒月は、老人は陽気少なくして寒邪にやぶられやすし。心を用てふせぐべし。
【老人の食べ物】(810)
老人はことに生冷、こはき物、あぶらけねばく、滞りやすき物、こがれてかはける物、ふるき物、くさき物をいむ。五味偏なる物、味よしとても、多く食ふべからず。夜食を、殊に心を用てつゝしむべし。
【老いたら寂しいのを嫌う】(811)
年老ては、さびしきをきらふ。子たる者、時々侍べり、古今のこと、しずかに物がたりして、親の心をなぐさむべし。もし朋友妻子には和順にして、久しく対談することをよろこび、父母に対することをむづかしく思ひて、たえだえにしてうとくするは、これその親を愛せずして他人を愛する也。悖徳(はいとく)と云べし。不孝の至也。おろかなるかな。
【暖かい日には、……】(812)
天気和暖(かだん)の日は、園圃(えんぼ)に出、高き所に上り、心をひろく遊ばしめ、欝滞(うつたい)を開くべし。時時草木を愛し、遊賞せしめて、その意(こころ)を快くすべし。されども、老人みづからは、園囿(えんゆう)、花木に心を用ひ過して、心を労すべからず。
【老人は用心深くすべし】(813)
老人は気よはし。万(よろず)の事、用心ふかくすべし。すでにその事にのぞみても、わが身をかへりみて、気力の及びがたきことは、なすべからず。
【行く先短い人に対して子は?】(814)
とし下寿(かじゅ)をこゑ、七そぢにいたりては、一とせをこゆるも、いとかたきことになん。このころにいたりては、一とせの間にも、気体のおとろへ、時々に変りゆくこと、わかき時、数年を過るよりも、猶はなはだけぢめあらはなり。かくおとろへゆく老の身なれば、よくやしなはずんば、よはひを久しくたもちがたかるべし。また、このとしごろにいたりては、一とせをふること、わかき時、一二月を過るよりもはやし。
おほからぬ余命をもちて、かく年月早くたちぬれば、この後のよはひ、いく程もなからんことを思ふべし。人の子たらん者、この時、心を用ひずして孝をつくさず、むなしく過なんこと、おろかなるかな。
【老いては日を惜しめ】(815)
老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡人なれば、さこそあらめ、と思ひて、わが子弟をはじめ、人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。いかり、うらむべからず。また、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならひ、かくこそあらめ、と思いひ、天命をやすんじて、うれふべからず。つねに楽しみて日を送るべし。
人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。たとひ家まどしく、幸(さいわい)なくしても、うへて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過すべし。貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。
【老いたらなす事を少なく】(816)
年老ては、やうやく事をはぶきて、少なくすべし。事をこのみて、おほくすべからず。このむ事しげゝれば、事多し。事多ければ、心気つかれて楽(たのしみ)をうしなふ。
【朱子の教え……肉を少なく】(817)
朱子六十八歳、その子に与ふる書に、衰病の人、多くは飲食過度によりて、くはゝる。殊に肉多く食するは害あり。朝夕、肉は只一種、少食すべし。多くは食ふべからず。あつものに肉あらば、*(さい)に肉なきがよし。晩食には、肉なきが尤(も)よし。肉の数、多く重ぬるは滞りて害あり。肉を少なくするは、一には胃を寛くして、気を養ひ、一には用を節にして、財を養ふといへり。朱子のこの言、養生にせつなり。わかき人もこの如くすべし。
【大風雨・大寒暑・大陰霧のときは家にいる】(818)
老人は、大風雨、大寒暑、大陰霧の時に外に出(いず)べからず。かゝる時は、内に居て、外邪をさけて静養すべし。
【食を過ごさないように】(819)
老ては、脾胃の気衰へよはくなる。食すくなきに宜し。多食するは危し。老人の頓死するは、十に九は皆食傷なり。わかくして、脾胃つよき時にならひて、食過れば、消化しがたく、元気ふさがり、病おこりて死す。つゝしみて、食を過すべからず。ねばき飯(いい)、こはき飯、もち、だんご、(めん)類、糯(もち)の飯、獣の肉、凡そ消化しがたき物を多くくらふべからず。
【老人の食事】(820)
「衰老の人、あらき物、多くくらふべからず。精(くわ)しき物を少なくらふべし」と、元の許衡(きょこう)いへり。脾胃よはき故也。老人の食、この如くなるべし。
【病気になったら、まず食事療法】(821)
老人病あらば、先ず食治(しょくち)すべし。食治応ぜずして後、薬治を用ゆべし。これ古人の説也。人参、黄*(おうぎ)は上薬也。虚損の病ある時は用ゆべし。病なき時は、穀肉の養(やしない)の益あること、参*(じんぎ)の補に甚(はなはだ)まされり。故に、老人はつねに味美(よ)く、性よき食物を少づゝ用て補養すべし。病なきに、偏なる薬をもちゆべからず。かへつて害あり。
【間食を慎む】(822)
朝夕の飯、常の如く食して、その上にまた、*餌(こうじ)、*類(めんるい)など、わかき時の如く、多くくらふべからず。やぶられやすし。只、朝夕二時の食、味よくして進むべし。昼間、夜中、不時の食、このむべからず。やぶられやすし。殊(ことに)薬をのむ時、不時に食すべからず。
【年をとったら自分で楽しむ】(823)
年老ては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心にさしはさむべからず。時にしたがひ、自楽しむべし。自楽むは世俗の楽に非(あら)ず。只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一事のわづらひなく、天地四時、山川の好景、草木の欣栄(きんえい)、これまた、楽しむべし。
【老後は心と身体を養う】(824)
老後、官職なき人は、つねに、只わが心と身を養ふ工夫を専(もっぱら)にすべし。老境に無益のつとめのわざと、芸術に、心を労し、気力をついやすべからず。
【老後は静かに過ごす】(825)
朝は、静室に安坐し、香をたきて、聖経(せいきょう)を少(し)読誦(どくじゅ)し、心をいさぎよくし、俗慮をやむべし。道かはき、風なくば、庭圃(ていほ)に出て、従容(しょうよう)として緩歩(かんぽ)し、草木を愛玩し、時景を感賞すべし。室に帰りても、閑人を以て薬事をなすべし。よりより几案硯中(きあんけんちゅう)のほこりをはらひ、席上階下の塵を掃除すべし。しばしば兀坐して、睡臥すべからず。また、世俗に広く交るべからず。老人に宜しからず。
【常に静養をしなさい】(826)
つねに静養すべし。あらき所作をなくすべからず。老人は、少の労動により、少の、やぶれ、つかれ、うれひによりて、たちまち大病おこり、死にいたることあり。つねに心を用ゆべし。
【あぐらで背もたれを】(827)
老人は、つねに盤坐(ばんざ)して、凭几(しょうぎ)をうしろにおきて、よりかゝり坐すべし。平臥を好むべからず。
育幼
【三分の飢えと寒さ】(828)
「小児をそだつるは、三分の飢と寒とを存すべし」と、古人いへり。いふ意(こころ)は、小児はすこし、うやし(飢)、少(し)ひやすべしとなり。小児にかぎらず、大人もまたかくの如くすべし。小児に、味よき食に、あかしめ(飽)、きぬ多くきせて、あたゝめ過すは、大にわざはひとなる。俗人と婦人は、理にくらくして、子を養ふ道をしらず、只、あくまでうまき物をくはせ、きぬあつくきせ、あたゝめ過すゆへ、必ず病多く、或(あるいは)命短し。貧家の子は、衣食ともしき故、無病にしていのち長し。
【小児は熱を逃がすように】(829)
小児は、脾胃もろくしてせばし。故に食にやぶられやすし。つねに病人をたもつごとくにすべし。小児は、陽さかんにして熱多し。つねに熱をおそれて、熱をもらすべし。あたため過せば筋骨よはし。天気よき時は、外に出して、風日にあたらしむべし。この如くすれば、身堅固にして病なし。はだにきする服は、ふるき布を用ゆ。新しききぬ、新しきわたは、あたゝめ過してあしゝ。用ゆべからず。
【参考図書】(830)
小児を保養する法は、香月牛山医士のあらはせる『育草』(やしないぐさ)に詳(つまびらか)に記せり。考みるべし。故に今こゝに略せり。
鍼
【鍼の効用と注意】(831)
鍼をさすことはいかん。曰く、鍼をさすは、血気の滞をめぐらし、腹中の積(しゃく)をちらし、手足の頑痺(がんひ)をのぞく。外に気をもらし、内に気をめぐらし、上下左右に気を導く。積滞(しゃくたい)、腹痛などの急症に用て、消導(しょうどう)すること、薬と灸より速(か)なり。積滞なきにさせば、元気をへらす。故に『正伝或問』に、「鍼に瀉(しゃ)あつて補なし」といへり。然れども、鍼をさして滞を瀉し、気めぐりて塞らざれば、そのあとは、食補も薬補もなしやすし。
『内経』(ないけい)に、「*々(かくかく)の熱を刺すことなかれ。渾々の脈を刺(す)ことなかれ。鹿々(ろくろく)の汗を刺ことなかれ。大労の人を刺ことなかれ。大飢の人をさすことなかれ。大渇の人、新に飽る人、大驚の人を刺ことなかれ」といへり。また曰く、形気不足、病気不足の人を刺ことなかれ、これ、『内経』の戒(いましめ)なり。「これ皆、瀉有て、補無きを謂也」と『正伝』にいへり。
また、浴(ゆあみ)して後、即時に鍼すべからず。酒に酔へる人に鍼すべからず。食に飽て即時に鍼さすべからず。針医も、病人も、右、『内経』の禁をしりて守るべし。鍼を用て、利あることも、害することも、薬と灸より速なり。よくその利害をえらぶべし。つよく刺て痛み甚しきはあしゝ。また、右にいへる禁戒を犯せば、気へり、気のぼり、気うごく、はやく病を去んとして、かへつて病くはゝる。これよくせんとして、あしくなる也。つゝしむべし。
【年寄りの治療は緩やかに】(832)
衰老の人は、薬治、鍼灸、導引、按摩を行ふにも、にはかにいやさんとして、あらくすべからず。あらくするは、これ即効を求むる也。たちまち禍となることあり。若(もし)当時快しとても後の害となる。
灸法
【灸の効用】(833)
人の身に灸をするは、いかなる故ぞや。曰く、人の身のいけるは、天地の元気をうけて本(もと)とす。元気は陽気なり。陽気はあたゝかにして火に属す。陽気は、よく万物を生ず。陰血も、また元気より生ず。元気不足し、欝滞してめぐらざれば、気へりて病生ず。血もまたへる。然る故、火気をかりて、陽をたすけ、元気を補へば、陽気発生してつよくなり、脾胃調ひ、食すゝみ、気血めぐり、飲食滞塞せずして、陰邪の気さる。これ灸のちからにて、陽をたすけ、気血をさかんにして、病をいやすの理なるべし。
【艾草の製法と用法】(834)
艾草(もぐさ)とは、もえくさの略語也。三月三日、五月五日にとる。然共(しかれども)、長きはあし故に、三月三日尤(もっとも)よし。うるはしきをゑらび、一葉づゝつみとりて、ひろき器(うつわもの)に入、一日、日にほして、後ひろくあさき器に入、ひろげ、かげぼしにすべし。数日の後、よくかはきたる時、またしばし日にほして早く取入れ、あたゝかなる内に、臼にてよくつきて、葉のくだけてくずとなれるを、ふるひにてふるひすて、白くなりたるを壷か箱に入、或袋に入おさめ置て用べし。
また、かはきたる葉を袋に入置、用る時、臼にてつくもよし。くきともにあみて、のきにつり置べからず。性よはくなる。用ゆべからず。三年以上、久しきを、用ゆべし。用て灸する時、あぶり、かはかすべし。灸にちからありて、火もゑやすし。しめりたるは功なし。
【艾草の産地】(835)
昔より近江の胆吹山(いぶきやま)下野の標芽(しめじ)が原を艾草の名産とし、今も多く切てうる。古歌にも、この両処のもぐさをよめり。名所の産なりとも、取時過て、のび過たるは用ひがたし。他所の産も、地よくして葉うるはしくば、用ゆべし。
【艾の芯の大小】(836)
艾*(がいしゅ)の大小は、各その人の強弱によるべし。壮(さかん)なる人は、大なるがよし、壮数も、さかんなる人は、多きによろし。虚弱にやせたる人は、小にして、こらへやすくすべし。多少は所によるべし。熱痛をこらゑがたき人は、多くすべからず。大にしてこらへがたきは、気血をへらし、気をのぼせて、甚害あり。やせて虚怯(きょこう)なる人、灸のはじめ、熱痛をこらへがたきには、艾*(がいしゅ)の下に塩水を多く付、或(あるいは)塩のりをつけて五七壮灸し、その後、常の如くすべし。
この如くすれば、こらへやすし。猶もこらへがたきは、初(はじめ)五六壮は、艾を早く去べし。この如くすれば、後の灸こらへやすし。気升(のぼ)る人は一時に多くすべからず。明堂灸経(めいどうきゅうけい)に、頭と四肢とに多く灸すべからずといへり、肌肉うすき故也。また、頭と面上と四肢に灸せば、小きなるに宜し。
【灸に使用する火】(837)
灸に用る火は、水晶を天日にかゞやかし、艾を以下にうけて火を取べし。また、燧(ひうち)を以て白石或水晶を打て、火を出すべし。火を取て後、香油を燈(ともしび)に点じて、艾*(がいしゅ)に、その燈の火をつくべし。或香油にて、紙燭をともして、灸*(きゅうしゅ)を先ず身につけ置て、しそくの火を付くべし。松、栢(かしわ)、枳(きこく)、橘(みかん)、楡(にれ)、棗(なつめ)、桑(くわ)、竹、この八木の火を忌べし。用ゆべからず。
【灸と身体の位置】(838)
坐して点せば、坐して灸す。臥して点せば、臥して灸す。上を先に灸し、下を後に灸す。少を先にし、多きを後にすべし。
【灸をするときの注意】(839)
灸する時、風寒にあたるべからず。大風、大雨、大雪、陰霧、大暑、大寒、雷電、虹*(こうげい)にあはゞ、やめて灸すべからず。天気晴て後、灸すべし。急病はかゝはらず。灸せんとする時、もし大に飽、大に飢、酒に酔、大に怒り、憂ひ、悲み、すべて不祥の時、灸すべからず。房事は灸前三日、灸後七日いむべし。冬至の前五日、後十日、灸すべからず。
【灸の後の注意】(840)
灸後、淡食にして血気和平に流行しやすからしむ。厚味を食(くい)過すべからず。大食すべからず。酒に大に酔べからず。熱(めん)、生冷、冷酒、風を動の物、肉の化しがたき物、くらふべからず。
【灸の大きさの加減】(841)
灸法、古書には、「その大さ、根下三分ならざれば、火気達せず」といへり。今世も、元気つよく、肉厚くして、熱痛をよくこらふる人は、大にして壮数も多かるべし。もし元気虚弱、肌肉浅薄(きにくせんぱく)の人は、艾*(がいしゅ)を小にして、こらへよくすべし。壮数を半減ずべし。甚熱痛して、堪へがたきをこらゆれば、元気へり、気升(のぼ)り、血気錯乱す。その人の気力に応じ、宜に随(したが)ふべし。
灸の数を、幾壮と云は、強壮の人を以て、定めていへる也。然れば、『灸経』にいへる壮数も、人の強弱により、病の軽重によりて、多少を斟酌すべし。古法にかゝはるべからず。虚弱の人は、灸*(きゅうしゅ)小にしてすくなかるべし。虚人は、一日に一穴、二日に一穴、灸するもよし。一時に多くすべからず。
【灸瘡に関する注意】(842)
灸して後、灸瘡(きゅうそう)発せざれば、その病癒がたし。自然にまかせ、そのまゝにては、人により灸瘡発せず。しかる時は、人事をもつくすべし。虚弱の人は灸瘡発しがたし。古人、灸瘡を発する法多し。赤皮の葱(ひともじ)を三五茎(きょう)青き所を去て、糠のあつき灰中(はいのなか)にて*(わい)し、わりて、灸のあとをしばしば熨(うつ)すべし。また、生麻油を、しきりにつけて発するもあり。
また、灸のあとに、一、二壮、灸して発するあり。また、焼鳥、焼魚、熱物を食して発することあり。今、試るに、熱湯を以てしきりに、灸のあとをあたゝむるもよし。
【阿是の穴について】(843)
阿是の穴は、身の中、いずれの処にても、灸穴にかゝはらず、おして見るに、つよく痛む所あり。これその灸すべき穴なり。これを阿是の穴と云。人の居る処の地によりて、深山幽谷の内、山嵐の瘴気、或は、海辺陰湿ふかき処ありて、地気にあてられ、病おこり、もしは死いたる。或疫病、温瘧(おんぎゃく)、流行する時、かねてこの穴を、数壮灸して、寒湿をふせぎ、時気に感ずべからず。灸瘡にたえざる程に、時々少づゝ灸すれば、外邪おかさず、但禁灸の穴をばさくべし。一処に多く灸すべからず。
【多く灸をすればいいとは限らない】(844)
今の世に、天枢脾兪(てんすうひのゆ)など、一時に多く灸すれば、気升(のぼ)りて、痛忍(こら)へがたきとて、一日一二荘灸して、百壮にいたる人あり。また、三里を、毎日一壮づゝ百日づゝけ灸する人あり。これまた、時気をふせぎ、風を退け、上気を下し、衂(はなぢ)をとめ、眼を明にし、胃気をひらき、食をすゝむ。尤益ありと云。医書において、いまだこの法を見ず。されども、試みてその効(しるし)を得たる人多しと云。
【禁灸の日があるが、……】(845)
方術の書に、禁灸の日多し。その日、その穴をいむと云道理分明ならず。『内経』に、鍼灸のことを多くいへども、禁鍼、禁灸の日をあらはさず。『鍼灸聚英』(しんきゅうじゅえい)に、「人神、尻神(きゅうしん)の説、後世、術家の言なり。『素問』(そもん)『難経』(なんけい)にいはざる所、何ぞ信ずるに足らんや」といへり。
また、曰く、「諸の禁忌、たゞ四季の忌む所、『素問』に合ふに似たり。春は左の脇、夏は右の脇、秋は臍(ほそ)、冬は腰、これ也」。『聚英』に言所はかくの如し。まことに禁灸の日多きこと、信じがたし。
今の人、只、血忌日(ちいみび)と、男子は除の日、女子は破の日をいむ。これまた、いまだ信ずべからずといへ共、しばらく旧説と、時俗にしたがふのみ。凡そ術者の言、逐一に信じがたし。
【子どもの灸】(846)
『千金方』に、「小児初生に病なきに、かねて針灸すべからず。もし灸すれば癇をなす」といへり。癇は驚風(きょうふう)なり。小児もし病ありて、身柱(ちりけ)、天枢など灸せば、甚いためる時は除去(のぞきさり)て、また、灸すべし。若(もし)熱痛の甚きを、そのまゝにてこらへしむれば、五臓をうごかして驚癇(きょうかん)をうれふ。熱痛甚きを、こらへしむべからず。小児には、小麦の大さにして灸すべし。
【項の灸はダメ】(847)
項(うなじ)のあたり、上部に灸すべからず。気のぼる。老人気のぼりては、癖になりてやまず。
【内臓の弱い人の灸】(848)
脾胃虚弱にして、食滞りやすく、泄瀉(せつしゃ)しやすき人は、これ陽気不足なり。殊に灸治に宜し。火気を以て土気を補へば、脾胃の陽気発生し、よくめぐりてさかんになり、食滞らず、食すゝみ、元気ます。毎年二八月に、天枢、水分、脾兪(ひのゆ)、腰眼(ようがん)、三里を灸すべし。京門(けいもん)、章門もかはるがはる灸すべし。脾の兪、胃の兪もかはるがはる灸すべし。
天枢は尤しるしあり。脾胃虚し、食滞りやすき人は、毎年二八月、灸すべし。臍中より両旁(りょうぼう)各二寸、また、一寸五分もよし。かはるがはる灸すべし。灸(ちゅう)の多少と大小は、その気力に随ふべし。虚弱の人老衰の人は、灸(ちゅう)小にして、壮数もすくなかるべし。天枢などに灸するに、気虚弱の人は、一日に一穴、二日に一穴、四日に両穴、灸すべし。一時に多くして、熱痛を忍ぶべからず。日数をへて灸してもよし。
【灸はツボにすべし】(849)
灸すべき所をゑらんで、要穴に灸すべし。みだりに処多く灸せば、気血をへらさん。
【生き返るかもしれない?】(850)
一切の頓死、或夜厭(おそはれ)死したるにも、足の大指の爪の甲の内、爪を去こと、韮葉(にらのは)ほど前に、五壮か七壮灸すべし。
【老人の灸には用心】(851)
衰老の人は、下部に気少なく、根本よはくして、気昇りやすし。多く灸すれば、気上りて、下部弥(いよいよ)空虚になり、腰脚よはし。おそるべし。多く灸すべからず。殊に上部と脚に、多く灸すべからず。中部に灸すとも、小にして一日に只一穴、或二穴、一穴に十壮ばかり灸すべし。一たび気のぼりては、老人は下部のひかへよはくして、癖になり、気升ることやみがたし。老人にも、灸にいたまざる人あり。一概に定めがたし。但、かねて用心すべし。
【病人の灸】(852)
病者、気よはくして、つねのひねりたる灸ちゅう(831)を、こらへがたき人あり。切艾(きりもぐさ)を用ゆべし。紙をはゞ一寸八分ばかりに、たてにきりて、もぐさを、おもさ各三分に、秤にかけて長くのべ、右の紙にてまき、そのはしを、のりにてつけ、日にほし、一ちゅう(831)ごとに長さ各三分に切て、一方はすぐに、一方はかたそぎにし、すぐなる方の下に、あつき紙を切てつけ、日にほして灸*(きゅうしゅ)とし、灸する時、塩のりを、その下に付て灸すれば、熱痛甚しからずして、こらへやすし。
灸*(きゅうしゅ)の下にのりを付るに、艾の下にはつけず、まはりの紙の切口に付る。もぐさの下に、のりをつくれば、火下まで、もえず。このきりもぐさは、にはかに熱痛甚しからずして、ひねりもぐさより、こらへやすし。然れ共、ひねり艾より熱すること久しく、きゆることおそし。そこに徹すべし。
【できものに対する灸】(853)
癰疽(ようそ)及諸瘡腫物(しょそうしゅもつ)の初発に、早く灸すれば、腫(はれ)あがらずして消散す。うむといへ共、毒かろくして、早く癒やすし。項(うなじ)より上に発したるには、直に灸すべからず。三里の気海(きかい)に灸すべし。凡そ腫物(しゅもつ)出て後、七日を過ぎば、灸すべからず。この灸法、三因方以下諸方書に出たり。医に問て灸すべし。
【灸は午後に】(854)
『事林広記』に、午後に灸すべしと云へり。
後記
右にしるせる所は、古人の言をやはらげ、古人の意をうけて、おしひろめし也。また、先輩にきける所多し。みづから試み、しるしあることは、憶説といへどもしるし侍りぬ、これ養生の大意なり。その条目の詳なることは、説つくしがたし。保養の道に志あらん人は、多く古人の書をよんでしるべし。大意通しても、条目の詳なることをしらざれば、その道を尽しがたし。愚生、昔わかくして書をよみし時、群書の内、養生の術を説ける古語をあつめて、門客にさづけ、その門類をわかたしむ。
名づけて『頤生輯要』(いせいしゅうよう 天和二年=1682年)と云。養生に志あらん人は、考がへ見給ふべし。ここにしるせしは、その要をとれる也。
八十四翁貝原篤信書
正徳三巳癸年(=1713年)正月吉日
KurodaKouta(2006.01.03/2012.01.13)
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