れんだいこ史観その2

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).11.15日

 れんだいこのカンテラ時評№1130 れんだいこ/2013年 4月16日
 れんだいこ史観と鹿島史観、八切史観、大田龍史観との相似と差異考その1

 2013年4月頃、ふと八切止夫氏の「日本原住民論」を読みたくなり古書店より取り寄せ読了した。「日本原住民論」としての史論を述べていることを期待して読み進めたが、「日本原住民」の歴史的生態叙述に終始しており、やや物足りなかった。結果的に、内容よりも「日本原住民論」と題したタイトルの方に意味と意義を感じている。「日本原住民論」の法灯を受け継ぎ、これを史論として滔々と述べる書物が欲しい。そう感じている。

 それはともかくこの際、「れんだいこ史観と八切史観、鹿島史観、大田龍史観との相似と差異考」をものしておきたくなった。八切史観、鹿島史観、大田龍史観について片言隻句ほどにしか確認していないのだが敢えて冒険的に比較対照して見ることにする。

 はじめに述べておきたいことは次のことである。れんだいこ史観はれんだいこが勝手にそう述べているだけのものであるが八切史観、鹿島史観、大田龍史観は既に歴史的に認知されている。こういう場合、手前味噌的な口上より歴史的に認知されているものの方が値打ちがあると見なされるのが普通だろう。れんだいこは、その程度の弁えは持っている。しかし、れんだいこ自身は、世上の評価と値打ちは別物であると考えており何の遜色も感じていない。むしろ識者の眼力が優れていればいるほど、れんだいこ史観の好評が高まると自負している。目下、れんだいこ史観に関心が生まれつつあることは正当であり当然と自負している。

 れんだいこ史観と八切史観、鹿島史観、大田龍史観の差異はどういうところにあるのだろうか。結論から述べると、大和王朝史以前の上古代日本史の読みとりに於いて、大和王朝に滅亡させられた先行王朝としての出雲王朝論、邪馬台国論を確立したれんだいこ史観の方がより核心を衝いていると自負している。八切史観、鹿島史観、大田龍史観の致命的な欠点は、日本史の通説批判なり皇国史観批判の観点から為されている点に意義が認められるものの、上古代日本史の秘密である出雲王朝、邪馬台国、狗奴国の立論に失敗しており、それが為に日本史の原点たる上古代史及び大和王朝創建史絡みの言説があらぬ方向に飛んでいると見なしている。アンチ皇国史観の言説が却って足元を掬われる結果になっているとみなしている。これを仮に「皇国史観ジレンマ」と命名しておく。これを論証すれば紙数を増すので、この結論で止めたい。

 れんだいこ史観と八切史観、鹿島史観、大田龍史観の差異は究極のところ古代日本史の読みとりの差に帰着する。この観点の差が、その後の歴史の見立てに様々に影響している。日本史は大和王朝以前の「原日本」と大和王朝以降の「新日本」を厳格に識別しなければ何も見えてこない。大和王朝以降の日本史は「原日本的なるもの」と「新日本的なるもの」の両者の協調と抗争、暗闘と云う「歴史の縦の線」を踏まえないと読み取り損ないすることになる。こう見立てるのがれんだいこ史観であるが、そのれんだいこ史観から見ると、「原日本対新日本論」を持たない八切史観、鹿島史観、大田龍史観はいずれも未だ不十分と評されることになる。

 八切史観、鹿島史観の古代日本史論は個別的に白眉なものも数々あるが、「歴史の縦の線」を読み損ない、その代わりに際もの的な立論に向かっていることが価値を落とし込めていると見立てている。しかしながら、古代日本史の読みとりの差の影響を無視することができる事案もあり、そういう面での個々の論考に於いてはむしろ学ばせていただくことが多い。全体として八切史観、鹿島史観、大田龍史観は共に日本史上の事件事象の通説に対し多岐に亘って裏史観的なものを詳論し、いずれも説得力のある論考をものしている。八切史観、鹿島史観、大田龍史観には独特の味わいがあり光芒を放っていると見立てている。

 八切史観、鹿島史観、大田龍史観との相似と差異を確認するのも一興であるが、これを為すにはそれぞれに通暁(つうぎょう)していなければならず、れんだいこの読了能力に於いてもはやほぼ不可能であるので差し控えることにする。感覚的な結論のみ述べれば、八切史観は「原日本的なるもの」に大いなる関心を払っているのが特徴である。鹿島史観は「原日本的なるもの」に対する関心よりは皇国史観の根底を撃つ史論の方に傾注しているのが特徴である。但し、両者とも近現代史を彩るいわゆる国際ユダ邪に対する言及は見られない。大田龍史観のみが国際ユダ邪論即ちれんだいこ史観で云うところの金融資本帝国主義ネオシオニズム論を持っており、その点が異色と云うことになる。大田龍史観は、いわゆる国際ユダ邪の発生史と展開史を歴史的に系統立てて論述し、現代政治解析の座標軸的視座を提供している点で白眉となっている。

 「れんだいこ史観とは、れんだいこの認識変遷史メモ」
ronpyo/tetugakunote/rendaicoshikanco.htm
  jinsei/

 れんだいこのカンテラ時評№1131 
 れんだいこ/2013年 4月16日
 れんだいこ史観と鹿島史観、八切史観、大田龍史観との相似と差異考その2

 当然、れんだいこ史観は八切史観、鹿島史観、大田龍史観の成るほどと思う観点を吸収している。その上で新たな史観として創出している。その基本的な論考はホームページ「左往来人生学院」の「れんだいこの特選論文集100選」にサイトアップしている。百選と銘打ちながら百選を超えているのは愛嬌である。
jinsei/tokusenronbunsyu.htm

 れんだいこ史観と鹿島史観、八切史観、大田龍史観との相似と差異考を総まとめしておく。

 八切氏は1914(大正3)生れ、鹿島氏は1926(昭和2)年生れであり丁度一回りの年齢差であるが、八切史観と鹿島史観がほぼ同時期に競合しながら歴史の裏真実を読み取り、八切氏の場合には歴史小説風に、鹿島氏の場合には弁護士的立論で、それぞれ数多くの論考を発表している。それらの影響を受けながら且つ両者に欠けていたところ、萌芽的であったところを1930(昭和5)年生れの太田氏が打ち出したのが大田龍史観であり、国際ユダ邪論の見地を加えて更に精緻にさせている。

 この三者の相互関係をそのように受け取り、大田龍史観が追認した八切史観、鹿島史観をも学びながら、大田龍史観の後継史観として1950(昭和25)年生れのれんだいこが確立したのがれんだいこ史観である。れんだいこ史観はそういう重畳関係にある。そうは云うものの、れんだいこは鹿島史観、八切史観についての論考をそれほど読んでいないので、これから追々に学ばせて貰おうとしている。その成果を採り入れて、れんだいこ史観の精度を上げたいと思う。

 但し、れんだいこ史観にはれんだいこ独自の論考も多い。その代表作として宮顕リンチ事件、天理教教祖中山みき論、戦後学生運動論、幕末維新論等が挙げられる。独自の論考ではないが、従来の諸見解の歪みを正し、かく理解すべきであるとして方向を指針させたものとして日共論、田中角栄論、大正天皇論、出雲王朝論、邪馬台国論等が挙げられる。これらを細かく数え上げればキリがないほど、れんだいこの論考も充分な質量を提供している。

 いずれも通説を退け八切史観、鹿島史観、大田龍史観に引けを取らない説得力ある新説を打ち出している。れんだいこが、れんだいこ史観と打ち出すだけの理由と根拠を示している。未だ歴史的に認知されていない点だけ憾みが残るが、これはれんだいこにはどうしようもできないので歴史の俎板(まないた)に乗っている。他にも1954(昭和29)年生れの井沢元彦氏の史観、1959(昭和34)年生れの関裕二氏の史観との絡みも述べることができるがはしょることにする。

 このれんだいこ史観に対して既に次のような評をいただいている。「法螺と戯言」氏が、れんだいこの宮顕リンチ事件及び宮顕論に対して、「それはさておき、このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃は、1995年1月の雑誌『マルコポーロ』廃刊事件に匹敵するものでした」云々。K女史より「毎日少しずつ読ませていただいております。非常に為になります」云々。その他にも同様の評をいただいている。世の倣いとして逆の評もあるが、著名人の誰それの言説に反しているから問題だとか、最高裁判決を持ちだして詰(なじ)る式のものばかりで、囲碁に例えれば、れんだいこ6段の技量に対する初段程度の者の当てこすりでしかないので取るに足りない。

 以上、簡単ながら素描しておく。

 「れんだいこ史観とは、れんだいこの認識変遷史メモ」
ronpyo/tetugakunote/rendaicoshikanco.htm
 jinsei/

【沖縄論】
 れんだいこ史観の「原日本新日本論」は予想以上に切れ味が鋭い。且つ含蓄がある。そういうことがますます分かって来つつある。2014年9月、沖縄に2泊3日の小旅行した。JTBの企画で諸所を案内されたが、何とかの森で港川人(みなとがわじん)の説明を受けた。港川人とは凡そ1万7千年前に存在していたとされている人類で、1967年、沖縄県島尻郡具志頭村港川(現在の八重瀬町字長毛)の海岸に近い石切場で骨が発見された。身長は男性で約153-155cm、女性で約144cm。全体的に小柄で腕は細めで胴長なのに対して手は大きく、下半身がしっかりとしていたとされている。また、顎ががっしりしていて硬いものも食べていたとされている。

 その時、れんだいこは思った。港川人は、れんだいこ史観の「原日本新日本論」で云うところの原日本系譜の祖先なのではなかろうかと。「ウィキペディア港川人」によると次のように解説している。
  「かつて港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきたが、最新の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析結果が出ている。港川人は現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い。科博の海部陽介研究主幹は『港川人は本土の縄文人とは異なる集団だったようだ。港川人は5万〜1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来した可能性が高い』と語った。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたと考えられる」。

 しかしながら、この解説が正しいとは限らない。ほぼ完璧な形で港川人の人骨がガンガラーの谷から約1km離れた鍾乳洞の石灰岩採石場で発見されているのであり、日本人の祖先と考えて一向に差し支えないと思われる。港川人と現代人に繋がる体系の日本人祖先と異なるのは混血化によってであり、いわば混血化される前の日本人の貴重な発見として位置づけられるべきではなかろうか。これが素直な読み取りであり、この理解で何の問題もなかろうに、これを下手に学ぶことにより、なんだかいつも変に味気ない方向の理解に連れて行かれてしまう。学問の困った癖であろう。

 港川人以外にも何種類かの日本人の祖先の型が居た筈である。その混血も合わせて原日本人が形成されていたと思われる。この系譜が元々の日本列島生活圏の原住民であり、れんだいこ史観はこれを原日本人と命名している。時間軸としては、大和王朝が登場する直前までの紀元3世紀頃までの日本人を云う。その始まりは人類の発生直後からカウントされねばなるまい。現代考古学的には、ヒト(人類)の祖先がチンパンジー・ボノボの祖先と別れたのは700万年前辺り、現在のホモ・サピエンスの祖先は10万年ほど前にアフリカで誕生して世界中に広がっていったと推定されている。

 この推定が正しいかどうかは別として、港川人が凡そ1万7千年前に存在していたとされているからして日本列島に住み着いた原日本人は凡そ数万年前に遡ることができるようである。この連中が後々に世界史に冠たる日本文明、日本文化を創り、政体としては出雲-大三輪王朝、その最後の王朝として邪馬台国に辿り着き、その日本が解体溶解折衷され、それまでの日本とは別系の日本が始まったと推理するのが「れんだいこ史観」である。時期については大きく脚色しているものの記紀神話の「国譲り譚」がこれを証左していると考えている。神話を神話ゆえに虚構としてはいけない。むしろ古代史の重要史実を神話という形でデフォルメして伝えていると窺うべきではなかろうか。

 ある時のある人との会話で、沖縄と北海道の犬のDNAが近いと力説して、日本列島の最南端と最北端とがその昔には結ばれていた証拠であると説く者が居た。共に元々の日本列島生活圏の原住民であり、沖縄と北海道の間の日本が大きく変貌し、沖縄と北海道が相対的に原住民を強く残していると理解すれば辻褄が合う。この辺りは隠岐の島、伊豆諸島辺りも同じことが云えるかも知れない。かく理解すれば首肯できることが多い。

 れんだいこが何故に「原日本新日本論」に拘るのか。それは、原日本人が創造していた政治、経済、文化、精神その他その他が素晴らしいものであることに気づいている故にである。この観点を保持すると、通説の沖縄の原文化が中国からのものであり、それが日本本土へ輸出された云々式のものの見方考え方のウソに気づくことになる。そういう面があることを否定はしないが主流ではない。主流のものは原日本的に自生的に生まれ、日本列島生活圏の原住民がお国自慢的に披露し、良きものにつき諸国が互いに吸収しあっていたと考えた方が的確なのではなかろうか。

 何でもかんでも大昔はインド、中国、朝鮮経由、戦前は西欧経由、戦後はアメリカ経由と云う按配に常に優れものは外国から輸入して日本文明、日本文化が成り立っていると云う外国被れ史観を卒業せねばならない。まずは自生の日本文明、日本文化を前提とし、諸外国の文明、文化と触れ合って、その良さの面を咀嚼吸収して次なる日本文明、日本文化が形成されてきた、こう考えるべきではなかろうか。 

バルセロナより愛を込めて氏のれんだいこ評
 「HOME > Ψ空耳の丘Ψ38」の「愚民党 日時 2005 年 2 月 19日」投稿「在野精神」。
(回答先: 貴重サイトご紹介、感謝。ある意味で、ショックを受けております。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 18 日 23:02:26)
 バルセロナより愛を込めてさん。ありがとうございました。戦争版ではいつも読ませていただき、感謝をしております。

 れんだいこさんが主宰をしております人生学院にはじめてアクセスしたのは2003年でした。豊饒な論文集におどろきました。ねばり強い思索の方であると感じ入りました。自分はれんだいこさんに批評精神のダイナミックな現在進行形を感じております。在野思想史家です。敗戦後の日本におきましては、「日米安保体制と平和憲法」の絶対論理矛盾下において庶民の自我は制御コントロールされてきたと思っております。「日本では思考ができない、思考することが苦しくなる」とはフランス演劇を媒介に、演劇批評の仕事をしてきた佐伯隆行さんが80年後半に出版しました「最終演劇の誘惑」で書いておりました。たしか1987年頃、自分は読んだのでありますが、その頃の自分は敗北主義ではないのか、などと思ってきました。しかし90年代から現在までを生きてきまして、「日本の批評装置は弱体化している」と思いこみが激しくなってきました。絶対論理矛盾体制こそが現代日本の空気でありまして、その空気に抗して独自的な思考を建設していく作業は困難であると感じております。論理はつねに、絶対矛盾の現実の空域に中毒を起こして、占領軍基地をみたくないといいますか・・・占領軍基地前の道路を歩きたくないといいますか・・・自分は昨年、横浜深谷米軍通信基地そばの工場で働いたのでありますがバスで基地前の道路を通るたび、空域には独自な緊張感がありました。通信基地でありますか、異常なアンテナがいくつも建っております。電磁波のせいか、精神的身体的にも、自分には異常空間でありました。日本で独自的な思考ができないのは、占領軍と下請け自衛隊が日本列島に電磁波のバリヤーでドームを生成しているのかもしないない・・・などと疑っております。日本ドーム、それが敗戦後の大経済主義唯一価値観でありまして、「別に現実の米日安保ガイドラインと日本国憲法が絶対矛盾で体内中毒を起こしていても、よかんべ、おら、知ったことじゃねえよ」と近代法国家の憲法である国是を日々、自己否定している営為こそ現代日本でありますから近代論理といいますか法論理が破産しているわけであります。またまた自分の思いこみなのですが日本で論理が建設できるのは、市場経済生活のみではないかと思ってしまいます。論理が徹底して貫徹された日本ドームの市場経済生活は競争が過激で過酷であると思っております。ゆえに日本の現実は市場経済生活において過酷です。敗戦後の国民的価値観が大経済主義唯一であったからです。市場経済生活の外に出ますと、一服できるのでありますが今度はマスメディア様がつくってくれます日本ドームとなります。ここは論理を中毒させますトレンド疾走地帯であります。全体主義スピードです。独自な思考を論理で建設していく人には苦しくなります。それゆえに自分は京都に遷都しなければ、日本は閉塞してしまうと思っております。日本におけます論理リアリティを日々剥奪します自我制御装置につきましては、今年の自分のテーマです。90年代は演劇批評も面白くなくなり、柄谷行人などに発見を感じてきたのですが今では読んでおりません。日本語での批評精神の健在を感じるのは、現在の自分にとってインターネットのモニターでの読書です。
 「近代」を世界中みんなで問い直すという価値観論争が求められます。これは、近代国家(=先進国)国民の歴史的使命です。それができなければ、イスラム世界にとてつもない大災厄を振りまき、信仰篤きムスリムたちの命がけの戦いを通じて「近代」を問い直すというとんでもない歴史過程を招来することになります。 「寄生性」&「知的謀略」が国際金融家や国際商人の“危険因子” - トヨタなど日本の国際商人(輸出優良企業)も“危険因子”を持ちつつある -
 http://www.asyura.com/2003/dispute8/
msg/737.html

 投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 06 日
 あっしらさんが提示されましたように近代の問い直しは必要であり、問い直せるか、それともできないのか、の岐路地点が今であると思っております。れんだいこさんは近代史・現代史総体を問い直して行こうとしております。れんだいこさんのタブーに挑戦していく、あり方には、ダイナミズムを感じております。それはやはり68年~72年という怒涛の時期を身体の経験によって思考してきたからであると思います。覚悟が腹にあり柔らかい思索フットワークがダイナミズムをつくりだしているのではそう思っております。豊饒な問題意識をもっている方であると思っております。バルセロナより愛を込めてさんに読んでいただいたことが、れんだいこさんとの言説流通の回路を開いていく契機になりますれば、素晴らしいと思っております。自分といたしまして、今後もれんだいこさんの論文集をそのつど転載投稿していきたいと願っております。近代史・現代史総体を問い直している在野思想史家の存在を求めて、ネットで発見して行こうと思っております。自分が強制収容所をめぐる論議にはなかなか参加できず申し訳ないと思っております。ユダヤ人600万犠牲者説は、これまでの阿修羅の投稿言説において、嘘であることが、証明されたと思っております。ジオン兵士さんの投稿に確実性を感じました。
 --------------------------
 ゴルバチョフが公表したアウシュヴィッツの「死亡リスト」──実際には7万4千人。うちユダヤ人は3万人。
 http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/408.html
 投稿者 ジオン兵士 日時 2005 年 2 月 17 日
 --------------------------
 バルセロナより愛を込めてさんの欧州報告を読みながら、欧州におけるシオニストによる言論封殺とその空気に危機感をいつも覚えております。バルセロナより愛を込めてさんの欧州報告は、日本において貴重です。そこに批評精神の健在と批評装置の軌跡を感受している在野の人々は、日本に確実おります。読者はバルセロナより愛を込めてさんの読み手であり、その欧州報告は読み手に欧州の今から日本の今を見つめさせてくれます。読む行為とは発見であり、わが面を洗い、また精神の細胞は産まれていきます。言説には必ず流通性と応答性があります。それを実証したのが、れんだいこさんであると思います。自分は新聞もとっておりません。また最近は本もあまり読んでおりません。ほとんどインターネットで、モニターで文章を読んでおります。モニターは活字体で表示されます。71年の春に自分は印刷工になったのでありますが、それはガリ版のミニコミとか1冊しかない同人マンガ誌を、マンガ研究会の仲間とつくっていた自分にとって、印刷会社はあこがれでした。軽印刷所でしたので、活字は清打ちといいまして、直接タイプ原紙にタイピストの女性労働者が打っておりました。それが自分の所に版として回ってきまして、印刷機にかけ、印刷しておりました。仕事をしながら活字へのうらやましさが情念としてわいたものです。

 日本のインターネット文化には、60年代後半から70年代のミニコミ運動の精神がダイナミックに流れております。高校とか大学そして、全国を横断する文学研究会やマンガ研究会の、そしてさまざまな住民運動とかのミニコミ発行の思いと記憶が大河として流れております。80年代から90年代はマンガ同人誌がミニコミ文化を形成していったのであると思います。マスコミ・マスメディアに対抗する庶民のツールであるミニコミとは60年代からの伝統があったわけです。否、それは謄写版印刷が活躍した戦前からであるかもしれません。敗戦後におきます「つづりかた運動」は謄写版印刷が活躍いたしました。吉本隆明も批評を書きガリ版でロウ原紙を鉄筆で切り、謄写版で印刷し、ひとりで発行していた「孤立を求めて連帯を恐れず」の執念の時期たる「試行」があったそうであります。70年代後半とか80年代は神田のミニコミを置いてある書店とか新宿の模索舎に行くのが楽しみでした。一太郎を産み出したジャストシステムは謄写版印刷、そのガリ版形態から研究をしていったそうであります。電子において活字を生成させていく情念です。活版印刷はやはり文字が美しかったです。おそらく欧州と米国はタイプ文化史からインターネットに流れていったのであると思います。日本の場合はガリ版からインターネットへの流れであると思います。絶対論理矛盾体制の空気で、独自的な思考による論理建設は、日本で困難なのですがガリ版ミニコミの蓄積が、おのれの手と指に記憶装置感覚として、いまだあるのかどうかが日本におけます庶民インターネットの今後を決すると判断しております。

 ドームのなかでいつのまにか刷りこまれた物語を落として行く行為こそ、からだの自然であり近代史から現代史の問い直しから、新たな細胞が産まれる、これもからだの自然です。風呂に入るとからだがリラックスします。からだが疲れから再生するかのようです。バルセロナより愛を込めてさんの欧州報告を読むと、自分はなにかを発見したという読書の達成感があります、そしてからだに新たな細胞が誕生しております。阿修羅の読者のひとりであるおらにとって、精神活動における風呂でもあると思っております。自分は転載投稿ばかりで申し訳ないのですが、ひとり鉄筆で鉄版の上のろう原紙をその桝目に文字をあるいは絵を書いていた行為こそおのれの原点であると思っております。同時代精神は継承されております。そしてバルセロナより愛を込めてさんの言葉の作業は、日本において同時代として流通していくのです。これが現在進行形としてある批評の営為であり健在であると思います。

 世界権力はおのれが批評されることを恐れております。彼らの偉大なる詐欺が、「大王様は詐欺師でまるはだか」と言われましては、祭典が崩壊してしまいます。亡くなった自分の親父は百姓の農家に生まれ、百姓で育ちましたので、おらも百姓の遺伝子があります。阿修羅への投稿は大地におのれが立つ原態かもしれません。実存による根源への旅、その身体と精神活動は世界権力といえども、封じこめることは不可能であると思います。大王様の詐欺はいつかはばれるのです。少年が一言「大王様はまるはだか」と発すれば、暗転になり、観客の見る世界舞台は更新され、次なる世界が出現しております。それが人間の精神活動ではないでしょうか。細胞は死滅し、しかし同時に新たな細胞は誕生しております。人間の細胞は兆単位であり、兆単位の身体活動であります。言葉の流通がここにあります。言説はまた身体活動でもあると思います。

 ガリ版からインターネットへ、インターネットはたしかにUSアメリカの国防省が発明し、マイクロソフトが1995年から世界中に普及させました。しかし、日本のパソコンまでの流れは、西欧のようにタイプ機器からでなく、ガリ版の音をひきずっております。思考と論理そして記述において身体で<書く>、そこから言葉を選択し文章の<節>を、かたまりとして構築していく、思考と身体のダイレクトな双方向性、思考と身体の同時一体性として展開していくと思います。日本語<節>生成には身体性があると思っております。バルセロナより愛を込めてさんの作業は、れんだいこさんをはじめ、日本の在野思想史家の身体に届いており、各個人による探求と応答していることは間違いありません。自己言及してしまい、すいませんでした。バルセロナより愛を込めてさん。ありがとうございました。自分はこれからもひとりの読者として読ませていただきます。お体をご自愛されますことを願っております。今後もご指摘ご批判よろしくお願いします。




(私論.私見)