| れんだいこ史観とは、れんだいこの認識変遷史メモ |

更新日/2025(平成31.5.1栄和改元/栄和7)年12.7日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「れんだいこ史観とは、れんだいこの認識変遷史メモ」をものしておく。 2007.7.26日 れんだいこ拝 |
| れんだいこのカンテラ時評bP297 れんだいこ/2017年 2月13日 |
| 【「れんだいこ、れんだいこ史観」の由来と解説 本稿が未投稿だったので投稿しサイトアップしておく。課題は「『れんだいこ、れんだいこ史観』の由来と解説」である。 「れんだいこ史観」とはれんだいこの史観であり、れんだいこが勝手に命名しただけのことである。ますます判明しつつあるが、世の歴史観、歴史論と相当に隔絶している。例えば、最近、明治維新を評する視座に於いて様々な是非論が登場している。中には我慢の限界を超えるような幕藩体制称賛万歳論まで登場し持て囃されている。一理はあると思うが、称賛万歳論となると何が何でも行き過ぎだろう。他方、これまた我慢の限界を超えるような幕藩体制未開暗黒論が流布され続けている。れんだいこは文明開化万歳論に繋がるこの論調にも首肯しない。残念ながら、私論は既成のどの論とも一致しない。且つ我が輩の政論の方がはるかに正鵠を得ていると自負している。為に区別する意味で自ら銘打っている。 それは何も明治維新論ばかりではない、規約論、日本共産党論、田中角栄論、中山みき論、邪馬台国論、出雲王朝論、その他古代史各論、古史古伝論、学生運動論、大正天皇論、文革論、大東亜戦争論、ヒットラー論、イエスキリスト論、ユダヤ教論、著作権論、原発論、囲碁論等々、その細目まで数え上げればキリがない。逐一挙げれば課題が数百数千に上ろう。 これに興味を覚える者が居て、検索で知ったのだが、「れんだいこ史観とは何か」を廻るやり取りをしている(「5チャンネルれんだいこさんってどうですか?」)。噂になるだけでもあり難いことである。言い添えておくが、拙者は、著作権を主張して、俺に黙って論ずるとはけしからん、挨拶せぇ、引用転載するなら使用料払えなどとは口が裂けても云わない。ここら辺りからして昨今の権利病とは隔絶している。ジャスラック的音楽著作権なぞ、ない方がよほど文明的先進的と思っている。ここの観点が世の識者と全く違う。 ここで、簡略に「れんだいこ」命名の背景事情について述べておくことにする。 まず「れんだいこ」とは何か。いろんな意味があるが、その一は冗談風であるが「れんこんだいこん」を縮めたものである。れんこんは見通しの良さを示し、だいこんは滋養を表わしている。つまり、「れんだいこ」は、見通しの良さを賜り、味わえば為になるという二つの意味を挺している。 その二は、「連太鼓」の意である。れんだいこの奏でる思想、政論を共に太鼓を叩くようにして世に広めようという呼びかけの意味が込められている。これにより自ずと各地の太鼓舞踏にも親近感を覚えるようになっている。そういえば最近「太鼓芸道/鼓道」の演奏会に行く事があり感応した。 その三は、「連帯子」である。れんだいこと連帯し、何事かを企て世の改良、改革、革命、回天に向かおう、命に限るある身であることを踏まえ歴史に良い種、実を残しておさらばしようという意味が込められている。 その四として、2025.12.7日のネット検索で次の指摘を知った。非常に為になるこれを確認しておく。 「れん だ いこ」は天理教の教えの中の「れんげ」(蓮華)と「だんご」(団子)を指し、「互いにたすけあう陽気ぐらし」の世界を目指す天理教の教えにおいて、特に「感謝と謙虚さ」を表し、人間が神様から生かされていることを自覚し、周りの人と助け合って喜びに満ちた生活を送る大切さを説く言葉です。れんげ(蓮華)とは、泥の中から美しい花を咲かせる蓮の花のように、困難な状況でも清らかで美しい心を持ち続けること、また感謝の気持ちを表す。だんご(団子)とは、餅米をこねて団子にするように、硬い心(我)を柔らかくして、人々が互いに寄り添い、助け合う姿を意味する。これらを組み合わせた「れんげだんご」は、天理教の信仰生活の基本姿勢、つまり「感謝と謙虚さを持って助け合う心」を象徴する大切な教えです云々。 まだある。これを確認しておく。次のように解説されている。 「れん だ いこ」は天理教の教えや活動を表す言葉ではなく、天理教に関する検索で出てくる「れん」(連)、「だ」(大)、「い」(一)、「こ」(子)は、おそらく天理教の信者の間での呼称や、教えの関連用語として使われる【『連』『大』『一』『子』】の音読みで、信者の集会(「おつとめ」など)や信仰の広がり(「一手一元」)、あるいは「おぢば(本部)」への「出直し(帰還)」といった概念を指す可能性が高いですが、特定の決まったフレーズではありません**。天理教は「親神・天理王命」を信仰する唯一神教で、相互扶助と心の陽気さを重んじ、教祖(おやさま)の教えを「天理教の教え」として広める【「一手一元(いつていちげん)」の教え】のが特徴です。 もとへ。れんだいこは当初「れんだいじ」のハンドルネームで「さざなみ通信」に初登場した。かの時の「れんだいじ論文」の輝きは今も失われていないと自負している。が、数々の問題提起にも拘らず好評する者が少ない。と云うか、斬新過ぎてまぶしいのだろうか、そもそも議論されることが少ない。議論前の難癖反応にはお目にかかるが、与太もんに関わって益することがないので無視している。連中はその癖、れんだいこから見てそれほどでもない論考を褒め合いしてお茶を濁している例が多い。そういうものを見て見ぬ振りをしている。 ネット界にデビュー時には数ケ所のサイトに出入りしていたが、いづこもいつの間にか中座してそのままになっている。れんだいこが辞去した分、それらのサイトで喧々諤々が進んでいるのならまだしも良いのだけれども。 「れんだいじ」は、故郷の蓮台寺にちなんでつけたハンドルネームであり、これはこれで大事にしようと思っている。その「れんだいじ」を何度も唱えるうちに「れんだいこ」が生まれ、こっちの方が更に気に入ったので、今では「れんだいこ」ネームの方を愛用している。これを「れんだい子」と受け取り、如何なる妙齢の美女ならんと懸想し胸をときめかす者もあるらん。そう受け取られるのが嫌ではなくむしろ面白がっている。ざっと以上が「れんだいこ」の由来と解説である。このところ発信不足なので本稿で中継ぎしておく。 「れんだいこ史観とは、れんだいこの認識変遷史メモ」 2017.2.13日 れんだいこ拝 |
| Re:れんだいこのカンテラ時評その136 | れんだいこ | 2005/12/31 |
| 【2005年の目からうろこ考】 不意に思い立ち、れんだいこの認識変遷史をメモしておこうと思った。まず学生時代の正義感からくるところの諸々の思念及び行動、革命的民主主義レベルの諸々の思念及び行動、マルクス主義レベルの諸々の思念及び行動、中山みき的たすけ合いレベルの諸々の思念及び行動、陽明学、イエス思想、アナーキズム、古神道、ネオシオニズム批判といろいろ雑穀してきている訳であるが、れんだいこから見れば皆な内的必然があり、傍から見れば訳が分からないという流れにあるようである。この先どう流れるのかれんだいこにも分からない。 それはともかく、そういう流れを縦とすれば、横の流れに於ける認識の変遷もある。今年は、遅ればせながらトロツキーの「我が生涯」を読み、トロツキズムの史的位置を確かめた点で画期的であった。これによれば、スターリニズム以降のマルクス主義運動は、本来のそれとは似ても似つかぬエセのものであり、この系譜でマルクス主義者然として教説する者は、如何に賢こぶろうと馬鹿丸出しということになる。トロツキズムのそれが十全なという訳ではないが、スターリン以降のイズムと比べれば瞭然としている。そういうことを感覚的に漠然として受け止めるのではなく、一応史実に沿って確認しえたことは収穫であった。宮地健一氏その他諸氏の論考に謝す。 但し、ネオシオニズム批判のフィルターを通せば、マルクスもカウッキーもレーニンもトロツキーもスターリンもかなりイカガワシイ素性と裏の顔を持つと云う点で、別の物差しが必要になって来る。学問は、こうして奥へ奥へと導いてくれることになり、容易に断定、確信なぞできない。 幕末維新考に於ける「孝明天皇以降の変調後継史」も目からうろこであった。早くより識者が指摘していたことであるが、何のことやら分からなかった。その一応の確認ができ、歴史は深いと改めて感慨させられた。既に、「大正天皇押し込め」は見てきているが、どちらも重要な政変であるように思う。しかし、公認史書はこういうところを書かないので、下手に学べば学ぶほど馬鹿になる。太田龍・氏その他諸氏の慧眼に謝す。 これは今年の「目からうろこ」ではないが、「9.11事件」の虚構も論議が深められ、資料が揃い始めたようである。まさかそったらことと考えるのが普通であるが、ネオシオニストどもにはあの程度の陰謀事件は朝飯前なのかも知れない。事件直後より疑惑を衝き続けている木村愛二氏の功労は評されねばならない。 論点が次第に「現代版ユダヤ人問題」に移りそうな気配がある。年末のアハマディネジャド大統領の「ホロコーストはウソだ」も衝撃的であった。れんだいこは、これについては「目からうろこ」ではないが、大方の者にはそうではなかろうか。そう受け取らないようだと共に語るに値しない。よほどの根拠がない限りこういう発言はできず、それをイランと云う一国の現役大統領が発言したことの重みはそれとして受け止めるべきだろう。今後ますます余震が続き、否再爆発するかも知れない。いずれにせよ議論を尽さねばならない。 そういえば、小ネズミの「9.11総選挙結果」も「目からうろこ」であった。開票に不正があったとしての究明まではできないが、今後に於いては一層選挙管理委員会の動きに目を光らせねばならない。投票者数よりも投票数が多いという事態はその原因を徹底究明せねばならない。「9.11総選挙結果」はその種の選挙の不正によりもたらされたと結論することは早計であろうが、すっきりしない面も残った。恐らくこちらが本筋の有権者行動が「目からうろこ」であった。ヤングが批判的という通念は壊され、マスコミ操作により大いに利用される団塊に過ぎないという認識をせねばならないことになった。「左」右両翼からの長年の愚民教育の賜物効果であろう。 その他、小ネズミのコソドロ式靖国神社参拝問題もある。れんだいこは、靖国神社参拝そのものを問題にしない。売国奴丸出しの首相による愛国者演出の為の靖国神社参拝を靖国神社の政治的悪用として批判している。イラクへの自衛隊武装派兵再々延長、国家財政の赤字体質下の引き続きの軍事防衛関連大盤振る舞い等々いろいろあった。れんだいこが得心するような処方箋は何一つ提起されなかった。ネオシオニストによる日本占領は既に「目からうろこ」ではないので記さない。蠢く御仁が際立って見えてきた。来年はもっとしゃしゃり出てくるのだろう。 そうだ最後にあれを記しておかねばならない。著作権という厄介な如意棒が振り回され、手間隙掛け編集著作権という新概念が登場してきた。これによると、今後は自分の著作であれ人のものであれ公的文書であれ、少し手を加えれば自分の著作権支配下になり、無通知無承諾転載はご法度ということになるらしい。著作権法に当らなければルールとマナー問題になり、それも怪しいとなればジャカマシィ、俺が不快だったから不快責任とらせるのだ何か文句があるかと云う論法で詰問できるらしい。サヨ圏の論法が丸出しにされていた。れんだいこは、この手合いには触らぬ神に祟りなしと一層自重自戒することにした。 それはともかく新年はどうなるか。お陰のありそうなところを見つけてお参りしながら考えてみよう。左往来人生学院に福がありますように。ご来場の皆様にも良き事が多かりますように。この一年お付き合い有難うございました謝謝。 2005.12.31日、2008.5.26日再編集 れんだいこ拝 |
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| 【れんだいこ史観系譜】 |
| 以上の綴りからでは、まだれんだいこ史観の何ものかが伝わらない。そこでスケッチしておく。れんだいこ史観とは、れんだいこの自負するところ、マルクス主義以降のマルクス主義を超える社会革命理論を模索し続けており、その道中で形成しつつある歴史観を云う。世に転向組があまたいるが共通して、マルクス主義右派になるかマルクス主義そのものから撤退するか反マルクス主義に転戦するかの三通りの生態を見せている。それらに比べて、人類解放の社会理論を引き続き掲げ、その為の方途として今やマルクス主義式水路すら抜け、もっと左派的に徹底せんとする方向に向かうのは珍しい。れんだいこ史観は、この列に位置している。「れんだいこ史観」の兄弟は「れんだいこ観点」である。「れんだいこ観点」とは、「れんだいこ史観」より抽出されたものの見方考え方を云う。一応、こういうことにしておこう。 では、どういうところに特徴があるか。簡略に云えば、日本古代史史上の出雲王朝時に獲得されていた日本古神道の奥義を学び、その良さを踏まえつつ足らざるところを他の有益な諸思想から学び、共生的開放的な認識、主義、主張、史観、指針、実践を生みだすものである。そういうことになる。補足すれば、現今流行のネオシオニズムのそれらとは逐一衝突しており、れんだいこ史観がヤラレルか、ヤルかの精神及び理論及び実践に亙る広範な闘争になっている、ということか。このれんだいこ史観を学ぼうが学ぶまいがそれは自由である。云えることは、れんだいこは、れんだいこ史観を創造し得心することによりはるかに有益な福利を得ているということである。自主的に学ぼうとする者に対して惜しみなく捧げたいと思う。そういうものである。 具体的に確認してみると以下の様々な点で通説と齟齬している。且つ通説批判の更なる批判と云う弁証法的高次の批判になっているところに特徴がある。自分でこれを云うと手前味噌になるが事実だから致し方ない。今のところ、れんだいこ史観を超える思想は見当たらない。つまり真理の底に達しているのかも知れない。思い出すままに確認すると次のような作業を経ている。「れんだいこ論文綴り集」がその順位を記録している。 「れんだいこ論文」は「規約考」から始まっている。これは、日共が金科玉条とする民主集中制論に違和感を覚え、あるべき規約を求めた考証論となっている。民主集中制、これより発する一枚岩団結主義、満場一致決議を本来の左派運動のものではないとして、新たに自由自主自律規約を創始し対置せんとしている。日共批判から生まれた新左翼各派も、組織論から見れば日共のそれと大差はない。 これに比して、れんだいこ規約は、党内の異論、異端、分派、党内反対派を当り前的に許容しつつ、その上で大同団結、共同戦線して行く組織論を提起している。ここに値打ちがあり、これがれんだいこ史観の一端となっている。この観点で行くと、何と、自民党の群れ方が一番理にかなっていることになる。自民党の生命力は案外とこの組織論の秀逸さにあるのではないかと気づかされている。自民党と他党との群れ方の差は大人と子供の差で解すれば良かろう。 次に「宮顕論」を手掛けている。宮顕の氏素性を疑い、宮顕こそ「スパイM」と交代する形で党中央に潜入してきたスパイの頭目ではないかと見立てている。その宮顕派によって手掛けられたのがスパイ摘発闘争と云う名の党破壊であり、「宮顕リンチ事件」はその頂点の犯罪であるとしている。スパイ派の宮顕派がスパイ摘発闘争の名目で労働者派の最後の中央委員たる小畑を査問リンチし圧殺したのが事件の真実であり、殺された小畑の方にこそ正義があり、リンチ容疑は冤罪であったことを論証している。 この宮顕が戦後も、戦後直後の共産党運動を善良に指導していた徳球―伊藤律系党中央に対し、朝鮮動乱対応過程での武装闘争の破綻を好機に「宮廷革命」で奪権し、その後の共産党を牛耳り、今日ある通りの、共産党と云う名だけの有害な日共運動に勤しんでいる史実を検証している。これがれんだいこ史観の一端となっている。これにより、共産党は、至らないまでも至ろうとしていた徳球―伊藤律系時代の革命志向の共産党から、至ろうとすることを内部から阻止する反革命志向の宮顕―不破系時代の日共へと変質したと見立てている。 補足しておけば、新左翼は、宮顕式変調日共運動を批判するところから生まれた訳だけれども、それを批判する構図に於いて、戦後直後の共産党運動を善良に指導していた徳球―伊藤律系党中央の否定で同衾しており、そういう意味では寧ろ政治的には徳球より宮顕の方に近い。ここのボタンの掛け違いの歪み直しの理論を獲得しない限り左派運動は碌なものにならないだろう。 「新日和見事件考」では、宮顕独裁時代の宮顕的指導の如実の姿が垣間見られる格好事件として検証し、宮顕が警察的な眼を光らして民青同の先頭的部分を双葉の芽を摘むようにして一網打尽にした顛末を解析している。併せて、不破、上耕らの日共官僚、赤旗記者が如何に宮顕の御用聞きとして立ち回るのか、党内が如何に治安維持法体制下に置かれているのかを確認している。新日和見主義者弾圧に如何に警察スパイが起ち回ったかも確認している。これがれんだいこ史観の一端となっている。 「戦後政治史考」では、戦後の共産党史を検証している。戦後当初の共産党を指導した徳球運動史、六全協で宮顕派が宮廷革命式で奪権し、以降この宮顕系党中央による日共史を追跡している。当初は共産党史運動を主眼としていたが、現在では日本戦後史の総合的俯瞰を試みている。随所に通説と違う見立てを披歴している。これがれんだいこ史観の一端となっている。 「学生運動論」では、戦後の学生運動史を俯瞰している。特に、新左翼系の登場経緯を確認し、期待と限界を検証している。新旧左翼共通の「徳球非、宮顕是」の構図がそもそもの間違いであり、この観点からの様々な日共批判論に対し、「徳球是、宮顕非」の観点からの日共批判論を反提起している。宮顕系党中央の共産党を仮面共産党として弾劾している。このように構図できない新左翼系各派の理論を貧困と断じている。これがれんだいこ史観の一端となっている。 「戦後日本論」では、国際ユダ邪論を獲得し、その国際ユダ邪の日本統治と拮抗するが如くに出雲王朝式土着日本主義が鼎立して始発したのが戦後日本であるとの観点を披歴している。後者の観点を肥大化すれば戦後日本をプレ社会主義と規定することができる。故に、この体制の実質的擁護に向かう運動を指針させるべきであったところ、大概の左派運動がブルジョア民主主義論で体制打倒に向かった史実を遺している。れんだいこはその種の運動を批判している。日本左派運動の過半が国際ユダ邪に従属しており、「左バネ」的に使嗾(しそう)されていることを批判している。これもれんだいこ史観の一端となっている。「国際ユダ邪論」はその後「」に表記替えしている。 「邪馬台国考」では、通説の「九州説、大和説の二大学派鼎立」の構図を批判し、「九州説、大和説、その他説の三学派鼎立」が史実であることを明らかにしている。その上で、通説の「邪馬台国の大和王朝転化説」を誤りであるとし、「邪馬台国滅亡、その王権簒奪的後釜としての大和王朝説」を打ち出している。 「日本古代史論」では国譲り史を重視し、出雲王朝から後の大和王朝に至る一大政変であったとして論じている。出雲王朝、邪馬台国王朝時代のいわば原日本政治こそ日本政治の原型であり、この時代に国名、国旗、紋章、国歌の原型ができており且つ思想、宗教、生活規範、風習等々の原型ができ、それが文明的に高度にして合理性があるものであり、それ故にはるけき今日まで繋がっており、そういう意味で「日本のふるさと」であり、その文明に導かれることによって歴史上の日本が世界に通用する高度にして平和的な社会を形成し続けて世界史上に枢要の地位を得ていたことを確認しようとしている。これがれんだいこ史観の一端である。 「天理教教祖中山みき論」では、中山みきの霊能を称賛し「西のイエス、東のみき」と評している。その教説の知恵、特に人類創造の「元の理譚」が如何に有益深淵なものであるか認め、大いに学ぶべしとして紹介している。興味深いこととして、マルクス主義運動に於ける日本共産党の変質と同じような内実で、天理教本部の教理が教祖の教説と齟齬している面も衝いている。そういう意味で、天理教本部批判は日共批判の論理、論法と通底している。但し、天理教本部の方が日共に比して真面目である点で批判を割り引いている。これがれんだいこ史観の一端である。 「ネットワークビジネス考」では、いわゆるマルチ商法を解析し、理論的には成り立つことを確認している。但し、その歴史的経緯の胡散臭さを確認し、典型的なユダヤ商法であることを見抜いている。青天井報酬方式を根幹とする外資系のユダヤ商法に対抗する低報酬型和式のマルチ商法を生み出し対抗する必要を論じている。これがれんだいこ史観の一端である。 「田中角栄論」では角栄政治の有能性を検証し、通説の反角栄政治論の空疎性を批判している。角栄を「現代版大国主の命」であったと判じている。あるいは角栄政治こそ戦後日本の在地土着型左派政治だったと論証せんとしている。角栄が指針した日本列島改造論を日本再建のバイブルとして見直そうと呼び掛けている。ロッキード事件では5億円授受は冤罪であり、キッシンジャ−を表の頭目とする国際奥の院の仕掛けた罠に嵌められたとしている。むしろ児玉―中曽根ラインの授受を角栄ラインにすり替えているとして検察の立件構図を批判している。当然、そういう検察立証の筋書きに添う線で饒舌した立花隆、日共その他の言論犯罪を批判している。これがれんだいこ史観の一端である。 「大東亜戦争を問う」では、伝統的天皇制を政治利用する形で近代的天皇制が生まれ、その陛下兵としての戦前軍部が如何に養豚され、最後に召し上げられたかを検証している。裏で糸を引いていたのが国際金融資本帝国主義(国際奥の院)であり、幕末維新−明治維新の捻じ曲げと軌を一にしていることを検証している。これがれんだいこ史観の一端である。南京大虐殺事件、百人斬り事件等々戦前軍部の犯罪は、戦後の戦勝国イデオロギーにハーモニーする形でフレームアップさせられていることをも検証している。これがれんだいこ史観の一端である。 「強権著作権論批判」では、著作権の本質が政治に於いては情報統制、経済に於いては濡れ手に泡式の暴利商法である、文明に対する白アリ理論であり排斥するに越したことはないとしている。 他にも日航123便事件考、原発考、コロナ騒動考等々がある。。これらのいずれもが、れんだいこが疑問に感じ、ならばと検証した連綿集であり、「れんだいこ論文綴り」として結実している。全て通説批判を基調として問題提起しているところに特徴がある。今のところ評価されていないが、今後の学問に避けて通れない関門と化していると自負している。(以下、略)。 2008.7.26日 れんだいこ拝 |
| 【れんだいこ史観の評について】 | ||||||||
ネット上に「れんだいこ史観」に纏わる興味深いやり取りがサイトアップされている。これを確認する。サイト元は http://okwave.jp/qa/q2171944.html
真面目なやり取りであり感謝申し上げておく。 2013.3.12日 れんだいこ拝 |
| 【史観の必要性について】 | |||||||||||||||||||||
| 「かっての大戦」の総括は、史観なしにはできない。まずこのことを確認しておきたい。少し横道にそれるが、史観とは何ぞや。まずここから論じていきたい。 史観とは歴史を縦に見る時の構図を云う。歴史を縦に見るとは「歴史の過去から現在、現在から未来への道筋」を観ることを意味する。これとは逆に歴史を横に見るのが情報である。情報は肝腎なものを必要なだけ集めるほどに判断を正確にさせる。但し、情報を幾ら寄せても史観がなければ「筋」が見えてこない。最近は史観が崩れているので、情報は増えても一向に分析できない傾向にある。そういう意味で現代に生きる史観が必要とされている。 情報と知識と智恵の関係は「ロウソクの例え」が分かり易い。情報はロウソクである。これを燃やすと知識になる。燃やした後に蓄積される滴(しずく)が智恵である。この次に要請されるのが史観である。この必要は歴史研究、特に日本古代史研究の際に特に必要となる。知識は断片であり、その知識が独特の筆法で書かれているので幾ら寄せても筋が見えてこない。否むしろ却って混乱させられてしまう。そういう仕掛けになっている。れんだいこから見て、そういう独特の筆法、仕掛けに気づこうとしない論者が多い。こういう場合、或る仮説的史観に基づき知識を整理し、真偽を判断し、真として採用したもので整合化させる必要がある。整合的理解ができなければ仮説的史観を更に検証し歴史の筋が見えてくるまで練り直す必要がある。史観はかく練られ創造され続ける。 史観は「木を見て森を見ず」の例えで考えると分かりやすい。「森」の調査の為に「森」の中に分け入り、その構成体である「木々」の調査を開始する。ところが、「森」が深ければ深いほど「木々」が膨大になり、その調査もままならない。ますます分け入るに連れて、「木々」の調査自体が目的になったり、「森」の入口も出口も抜け道も分からなくなり足元をすくわれる。いつしか「森」の構造と「木々」の関連なぞどうでも良くただ単に考証にのみ向かうことにもなったりする。 こうした時、「森」全体の見取り図を持って分け入ることは、「木々」の調査を能く進めるためにも必要だ。時には「木々」に目印を付けておき、互いの小関連を確保しておくことも有益だ。「森」の中から天空が仰げる場合、北斗七星を基準にした星座観測の素養を学んでおけば位置関係がよく分かり、迷うことも防げる。もうくどいので止すが、この種の役割を果たすのが史観である。そう理解すれば、史観の重要性がよく分かるというものだ。 ところが、気をつけなければならないことがある。この史観を持っていさえすれば、「森」の中に分け入ることも「木々」の調査も要らないかの如くの錯覚理論を振り回す手合いにぶつかることがある。この人士たちにとっては、史観こそが「重宝な真理」であり、この「真理包丁」をもってすれば何でも切れるという万能刀になっているかのようだ。凡そ公式化されており、時局の移ろいもなんのその屁の河童で後生大事にしようとする。 申し訳ないが、れんだいこはその種の史観を持たない。切れすぎてあぶないからというのではない。既に切れなさ過ぎて使い物にならないという意味と、そもそもその史観の生命は「森」の中に分け入ってこそ役に立つものであり、その際に分析と総合との確かな切れ刀であるべき筈であり、それを如意棒の如くに空中で振り回すなぞはそもそも馬鹿げていると思うからである。 そういう意味で、一見、史観は要るし要らないという二面性を守っているに思われる。しかし結論ははっきりしている。切れる鉈包丁を持って「森」の中に入ることは必要であり、切れなくなったら砥ぎ石で繰り返し砥いで切れるようにすれば良い。こういう分別が大事だろうと思う。で、れんだいこは、自らの史観を持っている。名付けて「れんだいこ史観」という。どういうものであるのかこれから披露する。 2005.10.3日再書き直し 20113.3.16日再書き直し れんだいこ拝 |
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これに関連して、1999.6.1日、「さざなみ通信」に投稿した「論理と理論と見解と方針の違いと相関について」を転載しておく。今日改めて読んでも瑞々しい感性を感じると自分で云うのはくすぐったいか。
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| 【「この人の立場は右派か左派か分からん」について】 |
| いわゆるれんだいこ史観に対して、「この人の立場は右派か左派か分からん」という評が披瀝されている。れんだいこはかく返答したい。右翼左翼規定は元々フランス革命の国民議会の席次に由来しているに過ぎず、政治理論的にさほど意味のあるものではないので、れんだいこが捉われる必要はないのだが、マルクス主義を踏まえて、その限界を突破しようとしていることは確かである。 この姿勢に対して、それを右翼的と云うのなら云うに任せるしかない。どうせ相手も何をもって右翼、左翼としているのかわかりゃしないのだから。しかし、逆に問いたい。既成の理論を完結系とみなしてその墨守に拘泥するのを保守的というのではないのかな。特に昨今のマルクス主義派の閉塞を思う時、この情況で思想的営為を放棄する者は、むしろ反動とでも呼ばれて然るべきではないかな。スタンスに安座してのうのうと「一見正論」を唱える者の精神こそ安逸過ぎるのではないかな。 れんだいこに対して、「この人の立場は右派か左派か分からん」という評を為す者の政治的姿勢と立場こそ逆詮索されねばならない。恐らく、現代パリサイ派のネオシオ二ズムが、凡愚に分かり易く図式主義、公式主義化したウヨサヨ理論に何の疑問も湧かさず浸りきり、逆に図式と公式から抜け出る者にレッテル貼りして楽しむ下賎の徒輩ではなかろうか。今やこういう手合いが多過ぎる。この情況にしてこうであれば、彼はいつ図式主義、公式主義、レッテル主義に疑問を持つ日を迎えるのだろうか。意味のないことではあるが、そういう興味を持つ。 例えば、冬山遭難事例で検証すればよい。困惑と疲労の次に不安と飢えと睡魔がやってくる。この時、困惑を覚えず睡魔も気にせずの遭難者がいたとしたら、よほど豪傑と云うべきだろう。やがて凍死するが、当人の意思によってそうなったのならともかくも、意思に反して凍死したとするなら誉められることだろうか。この時、他の遭難仲間が声を掛け合い身を擦り合って睡魔と闘っている時に、情況打開せんとしている時に、一人率先して睡魔を従順に受け入れている者が、仲間を揶揄するほど呑気過ぎることはない。要するに、失礼な痴呆でしかない。 この事例で云えば、れんだいこは、遭難したことをいち早く警鐘していることになる。それもお騒がせによってそうしているのではなく、充分な根拠を持って告げていることになる。早く知れば的確な対応により脱出も可能であろう。れんだいこは、そういう役割を果たしていると自負している。実際には、仲間が次々と睡魔にやられている情況に於いてではあるけれども。しかし、まだ自力救済の道が残っている以上奮戦せねばならないのではないかと訴えている。ドン・キホーテであろうとも。 もとへ。れんだいこにもやがて睡魔ならぬ病魔がやってくる。その時までの後僅かな命火を燃やし続けているということになる。それはもはや、情況をどうこうしようというほどの熱意によってではない。青春時代に関わって以来の難問パズルを解くノスタルジアに浸っているだけかも知れない。しかし、それでも良いではないか。しないよりは。 これがれんだいこの立場である。そのれんだいこに対して、「この人の立場は右派か左派か分からん」なる評は、何と遠いところからの罵辞であることか。話しが通じない御仁ではある。興味深いことに、そう痛辞する者の共通項として、ホロコースト、南京大虐殺、百人斬り事件、アンネの日記に対する狂気的是認が認められるようである。ところが、シオン長老の議定書に対しては偽書であると狂気的に否認する。ようも口がもつれないことだわ。何のことはないネオシオニスト教本通りの心身奴隷であることが透けて見えてくるだけの話である。れんだいこが相手するには及ばない。だがしかし、降りかかる火の粉は時に払わねばならないので、誰がどういう発言しているかにつきままチェックしている。いつか役に立つ日が来よう。 2007.5.4日 れんだいこ拝 |
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(私論.私見)