思観、史観、史眼、歴史記述としての鳥瞰図考 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).10.26日
Re:れんだいこのカンテラ時評219 | れんだいこ | 2006/09/26 |
【思観、史観、史眼考その1】 歴史の全貌は霧の中にある。己の掲げるカンテラによって照らし続けねば先が見えない。人の掲げるカンテラの後ろに続いては前が見えない。歴史学に於いては、それぞれが思観、史観、史眼を持たねばならない所以である。 単なる年譜の羅列では歴史を貫く原動力が見えてこない。その歴史をどう観るのか、これは非常に難しい。人によって違うし、同じ人でも学び方とか経験によって変わってくる。願うらくは、加齢と共に序々に磨かれるべきであろうが、老齢による思考の退化をも考慮せねばならない。結局のところ、その人自身の時代環境、気質、資質、能力によって個性的に形成されざるを得ないのではなかろうか。 もう一つ、流布されている思観、史観、史眼がどれだけ正しいのかを問わねばならない。通説はあてにならない、あてにしてはいけないその種のストーリーに貫かれている。なぜなら先立つ闘争ないしは戦争を経ての勝者側に都合の良いものが普及されており、逆は逆だからである。このことを知らねばならない。むしろ、隠されているあるいは否定的に評されている人物や事象の方に正義があることが多い。こちらの思観、史観、史眼の方により真実があると考えられる。このことを弁えねばならない。 そういう意味で、通説教本(テキスト)を疑惑しながら読み取らねばならない。この辺りに何の疑問も涌かさず習熟するといわゆる優等生になる。しかしながら、優等生が優秀であるかどうかは保証の限りではない。但し、徒に斜交い構えの思観、史観、史眼を持つものでもない。この辺りの呼吸を弁えることが必要であろう。 それやこれやで、歴史をどう観るのかは、かなり高度な学問域ではないかという気がする。鬼塚英昭氏の「20世紀のファウスト」は、これに叶う好著である。れんだいこは、これを取り込もうとしたが、最初から引用転載したくなる記述ばかりであり却って困った。5ページ読み直すのに2時間かかる。500ページもあるというのに。つらいけどうれしいことだ。 「歴史観、歴史眼考」 (ronpyosyu/rekishikanco.htm) 「日露戦争にヤコブ・シフ(その陰にロスチャイルド)有り」 (seito_palesutina_yudayaginmondai_roschaild_sh ifco.htm) 2006.9.26日、2008.8.28日再編集 れんだいこ拝 |
【思観、史観、史眼考その2】 | |||
「憎まれ口」編集人木村愛二氏が、「敗戦記念8月の1日を期して『カール・マルクスの大罪』単行本発行急ぐ決意表明し自らを追い込む」なる宣言をしている。その要旨は、近代社会における暴力革命思想の持ち込みの親としてマルクス主義を措定し、「カール・マルクスの大罪」を暴く、とのことのようである。暴力革命思想の論拠となっている「階級闘争理論」に対し、「その誤りと徹底対決する」とのことのようである。これによって、「日本共産党系、反日共のブント系の誤りに対して理論的な鉄槌を加える」とのことのようである。 遡れば、この発案は、「歴史見直し論の父」ことポール・ラッシニエの著書「第二次世界大戦の責任者たち」の一説「階級闘争の概念によってマルクスは社会主義に暴力を導入した」に負っており、「これはまさに、ウヌッであった。私の長年の疑問が一挙に解けた感があったのである」と記している。次のように述べている。
この観点から次のように述べている。
これによれば、ガンジー的非暴力抵抗思想を称揚していくとのことのようである。 れんだいこは、木村愛二氏の上述の決意に対し観点を異にしているが、木村先輩の思想遍歴は分かるような気がする。現代史の諸事象を紐解く場合、現代世界最大権力体となっているネオシオニズムとの対峙なしには一歩も進まない。然しながら、ネオシオニズムの影響は言論界にも浸透し尽しており、これに批判的言辞で渡り合うのは勇気の要ることである。 最近の木村先輩の堂々たるネオシオニズム批判は、太田龍氏のそれと双璧を為しており、とどまるところを知らない。この両者の見解のすり合わせは全くできていないように思われるが、敢えてこれを識別する場合、太田氏の方の踏み込みの方がより深い。ネオシオニズムの背景にある「シオンの議定書」を見据えて、世界政府構想に向かう裏権力政府の存在を認め、その実在力に対して逸早く警笛している。木村氏は目下はそこまでは論及していない。というか、陰謀論批判の見地に立っており、太田氏的に深のめりすることを抑制しているように見える。それは、良し悪しの問題ではないように思われる。真相の決着がつかない限りいわば気質の問題で、太田氏の方がこの観点を急進主義的に披瀝し、木村氏のほうは幾分控え気味にしているという差があり、ある意味で木村氏には穏和主義的な弁えがあるのかも知れない。 それはともかく、木村氏はどうやら、ネオシオニズムとマルクス主義の思想的同調性、類縁性に着目しており、シオニズム批判即マルクス主義批判即暴力革命批判の構図で捉え、論を説き起こそうとしているように見える。太田氏は、マルクス主義はネオシオニズムの一分派に過ぎずとみなしており、その分評価が低く、ネオシオニズムを叩くことこそより本質的批判という構図にしているように見える。ここに両氏の若干の差異が認められる。 一応以上のような見立てをして、以下、れんだいこ見解を対置してみたい。 一般に思観、史観、史眼は難しい。これこそが世を正確に映し出す鏡だとする観点を生み出したように見えてもやはり何らかの歪み、時代的制限性を受けている。これを宗教ばりに真理と盲信するところに危険が潜んでいる。だがしかし人は一般に、信ずるものを真理だとみなすことにより原動力を生み出すようである。その作法には長所もあれば短所もある。 れんだいこのスタンスは違う。西欧宗教に顕著な一系統式のロゴス論理こそそもそも間違いで、多元的なカオス論理こそ弁えとすべきだと思っている。万事に於いてこのカオス論理の観点に立つことこそ重要と思っている。そういう意味では、ネオシオニズムもマルクス主義もその他もろもろの主義、思想、史観も又全てが学ぶ対象であり、やがて脱ぎ捨てる出藍対象でしかない。 ここのところが分からず、これこそまさしく真理なる如意棒を振り回す主義、思想、史観、組織論、運動論がしばしば登場してくる。宗教的装いであったり、思想的、政治的運動であったりその登場の仕方は千差万別であるけれども。れんだいこは、それらは幾分かの正しさを持っているのかも知れない、しかし、これで全てが解けたとするのははなはだ僭越で、それを振り回せば却って危険なものになる可能性のほうが高いと思っている。 もう一つ加えるならば、思観、史観及び史眼の過去、現在、未来の位置づけが肝要であるが、過去から現在又は未来を照射するものもあれば、現在から過去又は未来を点検するするものもある。どちらも有益であり、これを「二つ一つ」で把握せねばならない。この観点も必要であるように思われる。 残念なことは、現代歴史学が、単に記述することに忙しく、過去の観点を現代の後智恵から訂正する勇気と知力に欠けている恨みがあることである。これでは、過去から現在又は未来を照射しようが、逆に現在から過去又は未来を点検しようが、弁証法的にはならない。れんだいこが何を云いたいのかは後述することにする。 2006.8.29日 れんだいこ拝 |
【思観、史観、史眼考その3】 |
以上の前置きをして、さていよいよこれから本題に入る。知っておくべきことだが、一般に史観には次のような生態がある。まず、どこの国においても、その時々の支配者が都合の良いように歴史を書き改めるものである。当該国のその時代の権力者の支配に都合の良い意向に相応した体制擁護的自国愛的史観を生み出すもので、これを仮に第一史観と云うことにする。そういう意味で、当該国家の現体制護持、当該権力の阿諛追従的思観、史観即ち御用史観こそが第一史観となっている。戦前の皇国史観もこの類のものであろう。 次に、第一史観に反発する抵抗主義的反体制的思観、史観が生み出される。戦前の百姓一揆、自由民権、社会主義、無政府主義運動等々はこの類のものであろう。これが第二史観となる。その他様々なバリエーションが生み出され、これらが第三史観となっている。「公正中立」を装うマスコミ論調などがこの類のものであろう。 平時においては常に権力派の第一史観の方が強い。故にプロパガンダされ続け、公教育に持ち込まれ、受容される度合いに応じて権力が維持されるという構造にある。ところが、時に第一史観と第二史観が入れ替わることがある。この変遷を革命ないしは回天と云うのではなかろうか。 但し、次のことが踏まえられねばならない。第一史観、第二史観、第三史観はいずれも当該国家で生み出されるものだから、当然に自国愛史観でもあり、民族主義史観でもある。つまり、それぞれが合わさって「その国の形」を形成している。自国愛史観と民族主義史観は通低しており、大概において重なり合っている。これが重なり合わなくなるのは、当該国家が多民族であって宗教的な分裂が見られることにより、それらの価値以上には国家的アイデンティティーを持たない場合である。 ところで、多民族ないしは宗教的な分裂理由以外に第一史観、第二史観、第三史観が自国愛史観、民族主義史観と重ならない場合もある。それは、第一史観、第二史観、第三史観のそれぞれが売国(買弁、傀儡)的国際主義に偏重している場合である。 ここにいよいよ国際主義なるものが登場する。凡そ、フランス革命以来歴然と、国際主義史観が生み出されるようになった。この国際主義を歴史的系譜で解析すると、近代民主主義的理想主義、アナーキズム、マルクス主義、ネオシオニズムの四派から構成されているように思われる。この四派に分かれている国際主義のそれぞれの特質を踏まえないままの単なる国際主義は痴愚的であることが知られねばならない。 これらのイズムの国際主義は互いに似ており且つ非なるものである。敢えて識別すれば、近代民主主義的理想主義は穏和主義でキリスト教的正義、同愛国主義と結びついて発展してきた。西欧のルネサンスの波はこう把握した方が分かり易い。これに対して、アナーキズム、マルクス主義、ネオシオニズムは急進主義的な性質を持っており、キリスト教的正義、愛国主義とは反目関係にある。この四者のうち、近代民主主義的理想主義とアナーキズムは、ネオシオニズムと相容れず、マルクス主義とネオシオニズムは同床している。 マルクス主義は、ネオシオニズム左派的本質を持っている。即ち、マルクス主義は、ネオシオニズム原理主義と相違しているが、本質的にネオシオニズム的国際主義と同じ釜の飯の間柄であるように見える。敢えて言えば、ネオシオニズム左派がマルクス主義で、ネオシオニズム右派が今日のネオコン主義のように思われる。どちらも急進主義である。急進主義的なマルクス主義を穏和化すれば近代民主主義的理想主義に接近する。穏和主義的な近代民主主義的理想主義を更に穏和化すれば、当該国家の第一史観と通低し始める。これに比して、アナーキズムは唯一孤高の草の根主義を保っている。概要そのような関係にあるように思われる。 2006.8.29日、2007.1.26日再編集 れんだいこ拝 |
【思観、史観、史眼考その4】 |
上述の説明で十分であるかどうかは別にして、現代世界は、第一史観と国際主義の調和、対立、抗争局面にある。ここが踏まえられないと、現代史の相関図が分からなくなる。 現体制護持的自国愛的史観と国際主義的史観は概ね対立することが多い。なぜなら、現体制護持的自国愛的史観は、その許容する限りにおいてしか国際主義史観を受け入れないからである。この受け入れ度の幅は大概狭い。つまり、排外主義に陥り易い。こうした折に、国際主義史観は現体制護持的自国愛的史観を打倒せんとすることで生命力を生む。その最大史観にネオシオニズムとマルクス主義がある。この両者は重なり合うところが多いだけに、決定的な差異を明らかにせねばならない。急進主義にして影響力が強いだけに、ネオシオニズムとマルクス主義の同一性と差異について弁えを持つことが非常に重要である。 俗流マルクス主義の国際主義は、特に日共系のそれは、マルクス主義的国際主義というよりもネオシオニズム的な国際主義に依拠しているケースが多い。特に、反戦平和運動戦線において、戦後史学の学界主流も又、ネオシオニズム的プロパガンダの術中で国際主義を説いており、にも拘わらずマルクス主義的国際主義と勘違いしている輩が多い。これはインテリ系を自認するものほどその傾向があるみたいである。 この場合、まずもって次のことが確認されておかねばならない。ネオシオニズムはまさにユダヤ民族主義であるのだが、そのネオシオニズムはもう一つの舌で国際主義を説くという二重原理になっており、従ってその舌も二枚舌である。自称科学的社会主義屋とか凡俗史学者は、ここのところを見ずに、ネオシオニズム原理の一方の舌でしかない国際主義の尻馬に乗ってその説を開陳している。故に、彼らの弁舌はネオシオニズム・サヨと識別されるべきであろう。 2006.8.29日 れんだいこ拝 |
【思観、史観、史眼考その5】 |
さて、世界に稀有とまでは云えないまでも希少な皇国史観について言及しておきたい。戦後史学は、戦前の大東亜戦争史観並びに皇国史観を全否定するところから始まっているように見えるが、そろそろこれを客観化せねばなるまい。れんだいこが見るところ、大東亜戦争史観並びに皇国史観にも様々なものがあるが、近現代史にネオシオニズムの潮流を嗅ぎつけ、それと対峙する為の自国愛、民族愛形成を意図的に教説していたとしたなら、それは批判されるべきことではなく、むしろ評価されねばならないのではなかろうか。 但し、皇国史観はそもそも偏狭な史観でしかない。なぜなら、日本の国体を、古事記、日本書紀の記述に従い、外航して来た天津族の王朝形成を礼賛し、それ以前の王朝を形成していた国津族平定を正義とする史観に貫かれているからである。本当に必要なのは、日本の国体を、国津族王朝(これを「出雲王朝」と云う)から説き起こし、天津族と国津族の呼応派による大和王朝に国家的起源を見出し、今日に至るまでの歩みを俯瞰する史観であろう。 戦後史学主流は、そういう意味での国体論そのものから逃げ回っている。戦前の大東亜戦争史観並びに皇国史観の是認できる国体論の面に触れず、その好戦性、残虐性、天皇制批判に終始しているように見受けられる。しかし、それらは幾ら学んだとしても本質的に役に立たない。なぜなら、戦後史学主流は、戦後世界の覇権を確立したネオシオニズムの御用史学でしかないからである。ネオシオニズムの御用史学は、ネオシオニズムが戦後世界の覇権を確立するに至った歴史を正当化する為に雇われているものでしかなく、いわゆる戦勝国論理に貫かれている。そういうものでしかない。 故に、こういう時代に役に立つのは、ネオシオニズムとの対峙教説の方である。ネオシオニズムをどのように位置づけ、どのように関わろうとし、どのように抵抗したのか、この面の考察こそ一級課題であるように思われる。だがしかし、こういう研究は意図的に排斥されているようである。故に、肝心要のところを問わない戦後史学はさほど役に立つものではない。資料的価値を見出すための教材として位置づけるぐらいが適当で、そんなものであろう。こういうことも云っておきたかった。 2006.8.29日 れんだいこ拝 |
【思観、史観、史眼考その6】 |
現代に於ける「ネオシオニズム・テキスト」の果たしている役割に特別の言及をせねばならない。れんだいこの見るところ、西欧学は、西欧的皇国史観(キリスト教史観)とネオシオニズム史観(ユダヤ教タルムード史観)の二艘から成り立っているのではないのか。日本の学生がこれを学ぶのに、そのうちのネオシオニズム史観の方が高く評価され、その習熟度が値踏みされて、出来具合によって博士号が授与されているのではないのか。 こう考えない限り、日本のいわゆる博士の底浅さが理解できない。彼らは賢い故に博士資格を取得しているのではなく、ネオシオニズム史観のプロパガンダ引き受け屋として認定されているのではないのか。これは特に歴史学、思想哲学の面で云える。彼らが国際的学会で認められるには「ネオシオニズム・テキスト」と親和していないと評価されにくいという仕掛けになっているのではなかろうか。れんだいこは、ボンクラが大学教授の肩書きで登壇し、ロクデモない説教している姿に接するたびに、そのように思えてならない。 考えてみれば、優れた実業家が企業経営に成功するとは限らず、英明な政治家が首相になるとは限らず、学問的に勝れた者が教授となり学長になるとは限らない。このことには十分な根拠があり、何らかの仕掛けがありそうだ。特に洋行帰りの人士にこの傾向が顕著であることを思えば、それなりの洗脳機関があるのではなかろうかと思われる。 2006.9.7日、2007.1.26日再編集 れんだいこ拝 |
【思観、史観、史眼考その7】 |
以上の考察を経て最後に思観、史観、史眼の精度について言及しておきたい。「思想考、思考の嗜好性について」で述べたが、結局人はその嗜好に依り思観、史観、史眼を形成していることになるのだが、それらを物差しする尺度が要るであろう。ならば、どこに求めるべきか、れんだいこが開陳する。 思観、史観、史眼の良し悪しの基準1は、その論証性にある。過去の歴史をより精度高く説明できるものがより上等なものであろう。基準2は、予知性である。未来の歴史をより精度高く説明できるものがより上等なものであろう。基準3は、実践性である。現在の歴史に於ける処理、措置、展望をより精度高く説明できるものがより上等なものであろう。基準4は、合理摂理性である。基準1から3に対してより合理的且つ摂理的に説明できるものがより上等なものであろう。 以上、論証性、予知性、実践性、合理摂理性の基準に叶うものこそ良けれということになろう。簡略ながらメモしておく。 2008.11.19日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評bP139 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 5月 4日 |
歴史記述としての鳥瞰図考 2013年5月連休の際、それまで積読しておいた「歴史の旅」の「特集、神武天皇は実在した」(1995.6月号)を読む機会を得た。この時、気づいた「歴史を読みとる際の鳥瞰図法考」を書きつけておく。関連性があるのでサイト「思観、史観、史眼考」に収納し、併せてサイト名を「思観、史観、史眼、歴史記述としての鳥瞰図考」と書き換えた。 (ronpyo/tetugakunote/ rekishikanco.htm) 鳥瞰図とは、そもそも絵画手法である。これを歴史分析に用いようとするのが本稿の意図である。思えば、これまでの歴史分析には余りにも鳥瞰図法が欠けていやしないだろうか。これを云い、論拠づけるのが本稿の狙いである。さて、これをどう解くか、以下、お読み下され。 絵画手法としての鳥瞰図とは、「ウィキペディア鳥瞰図」によれば次のように説明されている。
ここでは、これ以上の説明をはしょる(省く)ことにする。要するに、対象とする地形、風物なりを一望して記す俯瞰手法と云うことになる。問題は、絵画におけるこの手法を、歴史学に於いて応用できないのか、応用すべきではないのかと問うことにある。 そんなことは分かり切ったことと反論されることが予想されるが、ならば問う。歴史学における鳥瞰図事例を示してくれ、どこが鳥瞰図足り得ているのかと。れんだいこの知る限り、歴史学には「木を見て森を見ず」式の個別解析は多い。然るにその個別事象なり事件を然るべき位置に於いて捉えて提示しているだろうか。解析者が仮にそうしていると自負しても、その自負に堪え得るような鳥瞰図を示し得ているだろうか。はなはだ心もとないと思うのは、れんだいこだけだろうか。 それは何も歴史学だけではない。政治学、経済学、哲学、思想、その他ありとあらゆる分野において共通している。最近では病気に掛かっているのか、意図的故意に鳥瞰図法を避けている気がしてならない。従って、学んで部分的には分かるが一向に全体が見えないような論考、コメントとなりが多い、多過ぎる気がする。そのことを良しと自負するような専門家ばかりが造られている気がしてならない。 思えば、れんだいこは、この風潮に抗(あらが)っているのではなかろうか。早くより鳥瞰図法を取り入れているのではなかろうか。目下のところ刊行物としては「検証学生運動上下巻」の二冊でしか実証していないが、その「検証学生運動上下巻」評に於いて特筆されるべきところは、学生運動論に於ける初めての鳥瞰図による解析ではなかろうか。こういうことを、著者のれんだいこ自身が述べ、第三者から一向にそのように評価されないところが口惜しいと云うか滑稽なところなのだけれども、事実そうではなかろうか。 このことを、同書上巻の「筆者の執筆観点」の章の中で次のように述べている。
ここには鳥瞰図法により書き上げたとは書いていないが、「歴史学に於ける鳥瞰図法」により学生運動を検証すると云う意思を萌芽的に語っている。思えば、れんだいこが欲しているのは、この手法であり、これまでの諸学問分野にこの手法による解析がない分、れんだいこが精力的に挑んでいると云う構図なのではなかろうか。 この発想は、「歴史の旅」の「特集、神武天皇は実在した」を読んで得たものである。但し、同書の各論文執筆者への当てこすりではない。枚数制限もあろうからして充分に説き明かせるものではなかろう。部分的には論者のどの論文も為になるものがあった。このことには謝意申し上げておく。だがしかしと続くのだが、それを云えば繰り返しになるので後は云うまい。 |
【思観、史観、史眼考その8】 |
言い添えておくことがある。我々が歴史を学ぶ場合、その歴史記述は古代から現代に至るあらゆる箇所で、現代の支配者に都合よく書き換えられていることを承知の上で読み進めていく必要がある。この弁えなしに、通説記述があたかも歴史的真理であるかのように仮想して鵜呑みにしている者が多過ぎる。こういう心理は、現代の支配者に都合良い情報を流し続け、逆のものは逆にするマスコミの生態に対しても誘導される通りに合点する作法を生む。要するに両者は知の受容姿勢において共通している。我々の学問は、この態度との決別を起点とする我々ワールドの創造で立ち向かわない限り、あらゆる運動が消耗されることになる。さしあたり、ここまでを言っておきたかった。 |
(私論.私見)