「マスコミの奇妙な同一性論調、ヤラセ発言考」

 (最新見直し2009.10.23日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「マスコミの奇妙な同一性論調、ヤラセ発言考」について考察しておく。

 2009.10.22日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評654 れんだいこ 2010/01/25
 【新聞各紙の奇妙な同一性論調考】

 マスコミの奇妙なほどの論調の同一性を確認し、この背後にある仕掛けを暴いてみたい。目下、小沢キード事件がかまびすしい。小沢の首がとられるまで果てしなく続きそうな局面下にあるが、これを促している背後勢力こそ凝視せねばならぬのではなかろうか。新聞であれテレビであれ雑誌であれ、この仕掛けから一歩も出ることが許されない中で、ピエロばかりが得意げに売文、売口している様は滑稽と云うよりやはり寒い。日本の夜明けは遠い気がする。

 2010.1.25日付けの産経新聞13面の鳥海美朗「オピニオン社説検証、小沢幹事長」が面白い。面白いと云っても、書き手の鳥海氏の論調が面白いと云うのではない。逆で、鳥海氏が書けば書くほどこの御仁も相当オツムがヤラレテイルことが分かり、それが面白いと云う類のものである。

 どこが面白いかと云うと、鳥海氏が各紙の小沢パッシング競い合いの様子を暴いているからである。鳥海氏は、どこが一番先鋭的に小沢パッシングしているかを秤にかけ、「小沢氏に対し、最も明快に進退の決断を迫ったのは産経だった」として胸を張っている、その姿が滑稽という他ない。

 鳥海氏は、1.16日から24日まで、各紙が申し合わせたように三度、小沢パッシング社説を書いている見出しの品評をしている。れんだいこに云わせれば、これが秀逸である。これを転写したいが骨が折れる。仮に転写しても、「見出しにも著作権が働いている」とするのが今日び流行病の新聞著作権狂時代であるから迂闊には書けない。昨今のマスコミたるや、リークプロパガンダで居直り、著作権でも威猛々しいので触らぬ神に祟りなしとしておこう。

 れんだいこには、鳥海氏の目線と違って、まず気になることがある。鳥海氏がはしなくも明らかにしたように何故に新聞各紙は三度、回数まで同じの小沢パッシング社説を書いているのか。これは偶然だろうか。それは良い。問題は、なしてかくも各紙とも「ほぼ同じ論調」になっているのかというところにある。申し合わせたように、小沢責任論、退陣論を手を変え品を変えて論じている。小沢退陣に向けてのペンの威力の競い合いを演じている。それも表現の自由、報道の自由、出版の自由だろうが、本当の自由とは、異論、異端、反論まで含めてのものでなければ値打ちがなかろうに。

 ただの一社でも、小沢パッシングの異常さに警鐘を鳴らすところが出てこないものだろうか。翻って、ロッキード事件以来の我が戦後日本政治上のハト派叩きの異常さを指摘し、法の適用の公平さの観点から社会の木鐸としての役割を果たす社が出てこないものだろうか。鳥海氏よ、君が為すべきは、同じ論調の急進性を比較することで意気がるのではなく、大きく見解の違う甲乙丙丁のバラエティを良しとして、それを楽しみ、それに意見するのが元々の意味でのジャーナルなのではないのか。

 れんだいこは、イエスの言葉を思い出す。律法学者やパリサイ派の面々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせイエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」。明らかにイエスを試そうとしていた。イエスを訴える口実を得ようとして、このように問うた。

 イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。律法学者たちやパリサイ派の面々がしつこく問い続けた。イエスは身を起こして宣べられた。「あなたたちの中で、心の中でさえ姦通の罪を犯したことのない者が居れば、その人たちがまず、この女に石を投げなさい」。そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、最後にイエスひとりと、真ん中にいた女が残った。

 れんだいこが解説するには及ぶまいが分からずやが多いので、説いておく。イエスは、表面的な偽善者を嫌った。法を盾にして人を責める者に、責められる人と同じ境遇になった時、己は違うと云い切れる者が果たして何人いるのかと問うた。潔白と云い切れる者が居るのなら、どうぞと問うた。イエスならではの見事な対応、口上ではなかろうか。とはいえ、新約聖書上は「一人また一人と立ち去ってしまった」とあるが現実はそうはいかない。何人何十人の者が石つぶてを投げ始めるのだろう。

 もとへ。そういう石つぶて派の一人であろう鳥海氏に申し上げる。どうぞ君のペンが小沢パッシングの時のみのものでないように。これまでもこれからも、もっと悪質な政治犯罪が生まれると思われるが、どうかその時には倍する正義のペンをふるってくれますように。戦後日本政治史上の本物のワルに怒りのペンが及びますように。

 これぐらいにしとこふふふ。

 2010.1.25日 れんだいこ拝

【小沢キード事件での読売、日経が同一論調誤報記事で失態、訂正で赤恥を掻く。説明責任履行せず】
  ここで、「マスコミの奇妙な同一性論調」が赤恥を掻く失態を見せた。これを確認しておく。「弁護士阪口徳雄の自由発言」の2010.1.28日ブログ「読売、日経の誤報の取材源はリークか(政治とカネ191) 」で言及しており、これを引用転載しておく。

 1/25日の読売新聞夕刊、日経新聞夕刊の社会面に同じ内容の誤報があった。1/26朝刊で同じように両紙に訂正記事がされた。誤報の内容は『検察が押収した石川議員の手帳に、水谷建設幹部が5000万円を支払った日(2004年10月15日)にホテル名が記載されていた。これは石川議員が水谷建設幹部と面談した裏付け』という趣旨の内容である。

 読売新聞も日経新聞も同じ内容の誤報である以上、別々の取材の結果、両紙が同じ間違いをすることは普通はあり得ない。同じ取材源であることはほぼ確実であろう。誤報である以上、両紙の記者は、押収された手帳の現物はもちろんそのコピーも見ていない。誰かの記憶に基づく証言を記事にしたのであろう。この取材源が民間の私人の記憶に基づく証言なら、おそらく普通の経験のある記者なら記事を書かない。両紙の記者が同じように記事を書くことも普通はあり得ない。仮に私人の記憶に基づく証言で記事を書いてもデスクで、ボツにされる。

 ところが、両紙の記者が同じ記事を書き、同じく両紙のデスクでも同じようにパスしたということは、かなり≪信頼のおける取材源≫であったのであろう。≪信頼のおける取材源≫とは、押収された手帳をみることができる立場の人間か、又はその押収手帳の記載内容の報告を受ける公的な立場の人間であったからこそ、両紙の記者が間違いがないと誤信し、記事にしたとしか考えられない。同時に両紙のデスクも信用したのであろう。

 しかし、≪信頼のおける取材源≫が実は記憶違いをしていたのである。2005年4月手帳の『ホテル名』の記載事実を、2004年10月手帳と記憶違いをしていたのである。読売新聞、日経新聞の夕刊の社会面にデカデカと『2004年10月の手帳にホテル名』と報道した。ところが、正確に手帳内容を知る者はビックリして、その情報を提供した者か誰かに、両紙の記事が間違いであることを知らせ、その間違いがどのような経過は不明であるが、両記者に伝わった。その結果、両紙は翌日の朝刊に『訂正記事』を同じように書いた。もし取材源が民間の私人なら、記憶に基づき証言している以上、簡単には間違いを認めない。

 最大の問題は≪手帳は2005年4月にホテル名が記載されている≫という訂正記事である。この訂正に至っては、押収した手帳を見れる者でしか判らない事実である。訂正情報の提供者が検察のリーク説が濃厚になる所以である。同じ取材源で、≪信頼のおける取材源≫であるから同じ記事を書き、訂正の情報も、≪信頼のおける取材源≫だからこそ、同じように訂正したと推定される。読売新聞は『石川議員関係者の取材に基づく』と訂正をしているが、本当かどうか極めて疑わしい。

 それなら、何故、石川議員関係者の『口先証言=ガセネタ』を鵜吞みにしたのか、そしてどうして,まもなく『ガセネタ』であることが判明したのか、しかも、私人では判らない、≪2005年4月手帳にホテル名が記載されている事実≫がどうして判ったのか、を詳細に検証して読者等に報告すべきである。それをしない以上、上記のような≪信頼のおける取材源=検察の情報説≫を否定できない。どちらにしても、誤報であったのであるから、読売新聞も日経新聞も、どのような経過で、同じ間違いを犯したのかキチント検証して、両読者に真実を報告べきであろう。


【読売新聞取材記者のヤラセ発言強要考】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK81」の トラトラトラ氏の2010.2.25日付け投稿「室井佑月さんの暴露はすごいな。○売新聞赤っ恥だこりゃ :晴天とら日和さんより」を転載しておく。

 晴天とら日和さんのページに出ていました、室井佑月さんが暴露した○売新聞(だと思うけど)の記者の卑劣さには、驚いてしまいました。こりゃとんでもないですよ!。
 http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann

 ここに、室井さんのコラムが画像としてリンクされてました。
 http://image.blog.livedoor.jp/hanatora53bann/imgs/c/0/c06af675.jpg

 で、画像を拡大して読んでみたところ、どうやらY売新聞の記者は小沢氏が説明責任を果たしていないってコメントを強要してるようで、室井さんが別のコメントをすると、”じゃあ掲載しません”て言ったとのことですね。世論操作、洗脳報道を、暴露されてしまって、読売さんどうするの。もっと、言うこときく提灯作家にコメントを求めるべきでしたね。まあ、こんあことだと思ってましたがね。

P.S. 経団連が役割を終え、自民党はなくなった、次はマスコミが消える番ですかね。  

 「晴天とら日和

 ■阿修羅 [文化放送2/16] 室井佑月氏に小沢氏の責任についてのコメントをしつこく求めてきたY新聞
 2010年2月16日放送の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」における山本モナ氏の話を一部書き起こしました。音声は下記URLで聞くことができます。当該個所は4:30あたりからです。
 http://www.joqr.co.jp/podcast_qr/shinshi/shinshi100216.mp3(今はリンク切れ)

 (書き起こしここから)

 山本:その雰囲気作りで、週刊朝日の今週号に、室井佑月さんが書いてらっしゃったコラムの中で、Y新聞が取材に来たと。「小沢さんの責任についてどう思いますか?」と聞かれて、「いや、小沢っていうよりも、検察の説明を聞きたいね」と。

 あと、「検察の情報を垂れ流したマスコミに責任について私は聞いてみたいよ」と言ったと。そしたら、「いやいや、ではなくてですね、小沢の責任についてどう思いますか?」と。「いや、だから、今のが私の答えですよ」と言ったら、「いや、ではなくてですね」と。

 すごい小沢の責任について聞いてくると。「じゃあ、もう載せなくてもいいよ、指示が合わないんだったら」と言ったら、「そうですか、じゃあ上と相談して」と言って、結局載らなかった。

 そういう、新聞に書いてあるいわゆる識者の発言とか見解というものも、若干なのかどれくらいなのか、コントロールされているのかなと。そうなると小沢さんもキャンペーンを張られたみたいなことになっているんじゃないかなと、ちょっと思いました。

 (書き起こしここまで)

 トップが老害にして権力の亡者と成り果てているから、。。。ゴミウリはトップがトップなもんだから末端まで腐ってるわけか。報道の使命ってなんだ? ジャーナリズムってなんだ?そういう基本的なことを思考したこともないのだろうなぁ、。。。 ナサケナイ、。。。本当に、ナ・サ・ケ・ナ・イ・。。。。。君らはホントにそれでよいのか?   








(私論.私見)